新人教員の教材研究ノート

教師として学んだことを発信します。主に地歴公民科の教材研究を通じての内容が中心です。

大学入試から考える現代社会「日本で格差は拡大しつつあるのか?」

大学入試問題から考える現代社会「日本で格差は拡大しつつあるのか?」

2017年 大学入試センター試験【政治・経済】より

問2 次の表は日本、アメリカ、デンマーク、ドイツにおける2000年代の低所得層に対する所得再分配の比率と、所得再分配後の相対的貧困率とを示したものである。この表から読み取れる内容として正しいものを、下の①~④から選べ。

(単位:%)

 

   日本

   アメリ

  デンマーク

  ドイツ

低所得層に対する

所得再分配の比率   

   2.0

   1.9

   6.0

   4.2

相対的貧困率

   15.0

   17.0

   5.0

   11.0

(注)表中の「低所得層」とは、所得の下位20パーセントの世帯を指す。「低所得層に対する所得再分配の比率」とは、低所得層が受け取る公的な現金の給付額(直接税および社会保障の負担を差し引いた値)が、全人口の可処分所得の総額に占める比率である。

(資料)OECD編著『格差は拡大しているか』(2010年)により作成。

選択肢

 ①EU欧州連合)に加盟しているがユーロを導入していない国は、低所得層に対する所得再分配の比率が最も低く、相対的貧困率が最も高い。

リーマン・ショックの発端となった国は、低所得層に対する所得再分配の比率が最も低く、相対的貧困率が最も高い。

③すべての原子力発電所を2022年までに閉鎖する予定となっている国は、低所得層に対する所得再分配の比率が2番目に低く、相対的貧困率が2番目に高い。

④現時点で政府の債務残高がGDP国内総生産)の2倍を超えている国は、低所得層に対する所得再分配の比率が2番目に高く、相対的貧困率が2番目に低い。

解答

②が正解。②の国はアメリカを指している。所得再分配比率は1.9と最も低く、社会保障が整備されておらず、競争社会であることがうかがえる。また、相対的貧困率は17.0と4カ国中最も高く格差が大きいことを示している。

①はデンマーク、③はドイツ。④は日本で、アメリカについで所得再分配の比率が低く、一方で相対的貧困率が高い。すなわち、日本でも格差が拡大しつつあり、アメリカ型の自由主義的な社会へと変わりつつあることがデータからうかがわれる。

考察:日本で格差は拡大しつつあるのか?

まず用語を定義したい

相対的貧困率とは

貧困には相対的貧困絶対的貧困の2つがある。

相対的貧困とは「所得が国民の中央値の半分に満たない人の割合」(「OECD日本カントリーノート2015年」より)を指す。

そもそも相対的貧困とは、「ある国や地域の中で、平均的な生活レベル(中位所得)よりも、著しく低い水準に置かれている状態」を指す。

一方で絶対的貧困とは「その国で人間が文化的な生活をするのに必要な最低限の所得が満たされていない状態」をいう。

明坂らは、絶対的貧困の線引きを、生活保護基準額に満たない額と定義している(どちらの定義も明坂弥香ら著「日本の子どもの貧困分析」pp.2-5より引用)。

そもそも格差とは

本記事における格差とは、所得程度の差である。

所得格差の指標として「ジニ係数」というものがある。所得配分の格差を「0~1」の数値で表したものであり、「0」は全員の所得が同じ状態で「1」は1人の者が所得を独占している状態である。

「1」に近くなればなるほど、不平等である。ジニ係数高所得者が増加すれば、数値が大きくなる傾向にある。

 

ジニ係数の目安は以下のようになる

0.2~0.3 通常の所得配分が見られる社会。

0.3~0.4 若干の格差がある社会。市場経済においては通常の値である。

0.4~0.5 格差がきつい社会。

0.5以上 格差が大きい社会であり、政策等での是正が必要となる。

現在(2013年)の日本のジニ係数所得再分配後)は0.30であり、若干の格差がある社会に分類される。ただし、所得再分配前のジニ係数は0.48であり、政策による格差是正の効果がうかがえる。

ジニ係数の定義および目安の引用は、とうほう『政治・経済資料2017』による)

日本の現状はどうなのか

2015年度における中央値は245万円であり、したがってその半分の122万円以下が相対的貧困となる。

割合としては15.6%であり、日本の人口が約1億2500万人であることから、およそ2000万人が貧困状態にあると仮定される。1985年には12.0%だったことを鑑みれば、明らかに貧困状態にある人は増加している。

ただし、所得再分配前の数値は28.65であり、再分配後と比較しておよそ2倍の数値を記録している。ここにおいても政策による是正効果の大きさがうかがえる。

格差は拡大しているのか

所得再分配後のジニ係数は1998年の0.3326をピークに、2013年は0.3083まで下がっている。

相対的貧困率は、1985年には12.0%であったが、徐々に上昇していき、2012年の16.3%をピークとして以後低下し、2015年には15.6を記録している。

ジニ係数の数値が下がっているにもかかわらず、相対的貧困率が上昇しているということは高所得層と低所得層の開きが拡大していることを示している。

また、これは一部の高所得層に所得配分が集中していることも示している。底辺層への再分配が行き届いておらず、所得程度の差が明らかに拡大している。

かつて一億総中流といわれ、広い範囲で所得が平準化されていたことを考えれば、格差は拡大しているといえよう。

格差の何が問題か

OECDは格差の問題点としては

①低所得層の教育投資を困難にする点

②就業機会の低下

の2点を挙げている。

①については、低学歴の両親を持つ子の学力が低くなることや、高等教育を受ける確率の低下が確認されている。②に関しては、格差が大きいほど低学歴層が就業できない確率が上昇することが確認された。こうしたところから、OECDは格差縮小と機会平等政策の重要性を強調している。

結論

結論を言えば、日本で格差は拡大しているといえるだろう。

繰り返しになるが、以下のことがそれを示唆している。すなわち、

ジニ係数の数値が下がっているにもかかわらず、相対的貧困率が上昇しているということは高所得層と低所得層の開きが拡大していることを示している。また、これは一部の高所得層に所得配分が集中していることも示している。底辺層への再分配が行き届いておらず、持たざる者が増加したという点において日本の格差は拡大している。

 

(引用を示しているデータ以外は、平成29年度厚生労働白書より引用した。)

旅の効用

3か月間教員として働いた。夏休みに突入し、今までの働き方を振り返ると、あることに気づいた。院生時代もそうだったが、教材研究のために膨大な量の本や論文を読んだことだ。深夜まで教材研究をした日には、翌朝とてもつらかったことを覚えている。

 

さて、今年の夏は関西と東北へ旅に出ようと思う。というのは、机上だけでなく、現場で学ぶことも大事だからだ。

紙上の情報だけでなく、実物を見て、聞いて、雰囲気を味わうことで知識が活きたものとなる。だから旅に出ることが大事なのだ。そして、その重要性は、院生の時に読んだ一冊の本に教えてもらった。有田和正氏の本である。

 

学びの詰まった一冊

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有田和正氏は、プロ教師としての教材開発強化法について、次のように述べている。少々長くなるが引用したい。

わたしの提案したいことが、三つある。

一つは、常識を疑ってみることだ。

(中略)

教師の常識・社会の非常識といわれるではないか。常識を疑ってみることにしよう。そうすれば、新しい教材の側面が見えてくる。(PP.184-185)

二つは、アンテナを高く、広くはりめぐらせ、ということである。

雑誌一冊読まないようでは、新しい情報は入らない。アンテナをはりめぐらせて、いろいろなものに好奇心をはたらかせることだ。

(中略)

教える内容を確かにもっていてはじめて教え方の工夫ができるのである。

とにかく、いろいろな情報を「面白い」と思って集めることだ。(P185)

三つは、旅をすることである。わたしはあちこち講演に行くたびに、何か一つは見つけて帰る。いや、旅で見たことがもとになって、他のものが見えるのである。なるべく新しいところ、知らないところがいい。カルチャーショックを受けるようなところがいい。(P186)

 

このように氏は教材研究の一環として旅を勧める。ただし、単なるレジャーとしての旅を勧めているのではない。氏が理想とするのは知識を十分に蓄えた上での旅だ。

わたしは、これまでに23カ国を訪ねた。

それぞれの国に行く前に、多くの本を読んだ。もう行く必要がない、行ってもこれだけ見ることはできないだろう、というくらい読んだ。

しかし、行くたびに、私の予想はくつがえされた。本や写真、地図では読み取ることのできない世界が、現地では見えるのである。(P47-48)

現地主義を貫いているうちに気づいたのは、「百聞は一見に如かず」ではなくて、「百聞があって、一見が生きる」ということである。

予備知識があるのとないのでは、現場での一見のしかたが違ってくる。事前に勉強して、現地へ行くのが一番効果的である。(P49)

 

今夏の旅行に際して、旅行先に関する事前に入念な調査はかなわなかった。

しかし、この本を改めて読んで、以前丹念に調べてから旅行した際は、とても生き生きした経験ができたことを思い出した。今夏、まだ訪ねたことのない場所への旅を通じて学びを得ようと思う。

 

拙い知識ではあるが、しっかりと観察したい。そして、その中から学びを発見していきたい。こういうことを書いていると、教師というのは私生活だろうが常に教師なのだなあと感じる。

■参考

有田和正(2005)『若い教師に送るこの一冊① 有田和正の授業力アップ入門-授業がうまくなる十二章-』明治図書

財政規模はどうしてここまで肥大化したのか-福祉国家の誕生-

政治学を学んだ当初、経済と政治の結びつきにピンとこなかった。しかし、経済学もある程度学ぶようになると、両者は密接なかかわりを持つことが分かった。さて、今回の記事は財政の続編になる。

福祉国家ができたわけ

財政とは

財政とは「政府が税金を徴収したり、公債を発行することで資金を集め、それを元手に支出を行う経済活動」である。政府に求められる役割は多岐にわたる。

というのも、財政の目的は「公共需要の充足」、すなわち人々の共同的な需要の実現にあり、広く国民が政治に参加する民主主義国においては、必然的に財政規模が拡大せざるを得ない。

こうした国家の在り方を福祉国家という。今回のテーマは財政規模が拡大したきっかけ、つまり福祉国家の誕生についてである。

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福祉国家形成の時期

岡本英夫によれば、福祉国家の形成期は第1次世界大戦から第2次世界大戦の間に求められるという。

第1次大戦以前の資本主義において、市場は自律的と「されていた」。したがって、政府は市場に余計な介入をしないという自由放任主義が取られていた。

しかし、金本位制の崩壊や失業や恐慌などの市場の失敗を克服するために政府が経済活動に介入するようになると、国家が市場の働きを補完する混合経済体制がとられていく。

市場が失敗するということが自明の理となり、ケインズ経済学の登場のように従来の経済学が転換し、さらには管理通貨制度への移行、普通選挙制度の導入など経済的・政治的な転換点と福祉国家の誕生は時期が重なる。

夜警国家の時代

夜警国家の時代において、財政活動の目的は支配階級の利益実現であった。市民革命の結果、王制に変わって民主制が採用された。

しかし、実態は厳しい制限選挙制が敷かれ、一部の富裕層(商工業者など)に政治参加の道が限定された、名ばかりの民主制であった。

したがって、支配層である富裕層が経済活動に集中できるような環境を整備することが政府に求められた。たとえば、夜盗が出ては物流が滞り、商業活動が停滞してしまう。だからこそ、治安維持や国防が政府に求められた。

また、橋の建設や道路の舗装など最低限のインフラ整備も政府の仕事であった。流通の促進にはインフラストラクチャーが欠かせないからだ。小さな政府で十分だったのだ。

福祉国家の形成期へ突入

しかし、政府の性質が変化することで、財政規模が拡大するようになった。すなわち、普通選挙制度の導入によって広く国民の要求が政治回路に反映されるようになり、多様な利害の調整及び国民の福祉の増大が政府の目的となったのだ。

普通選挙制度導入の背景には、世界大戦が総力戦となり、国民全体が戦争の遂行に貢献したこと、および労働運動の激化という事情があった(それについては次の記事に詳しく書いた)。

労働者階級の政治参加は、利害の多様化をもたらし、政府の財政政策に変化をもたらした。また、社会権などの人権思想が浸透したことも政府の質的変化の流れを後押しした。

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そもそも労働運動が激化したのは、失業者が大量に発生したり、恐慌が発生するという市場の失敗があったからだ。つまり、市場の自律性の限界が露呈したのである。

そうした中で、恐慌の影響を被った農民や労働者は運動を組織化した。運動の激化によって、失業や恐慌、格差などの市場の失敗が、政府にとって是正すべき「社会問題」と化したのである。

こうした中で普通選挙制度の導入は、労働者や農民が組合や政党などを通じて、自らの主張を実現することを可能にした。

また、社会権思想の定着もその実現を後押しした。たとえば、教育を受ける権利や生存権などであり、教育政策の拡充や生活保護などの所得移転の拡大といった公共サービスが増大した。

1942年のベヴァリッジ報告は福祉政策の必要性を説いた嚆矢であろう。

 

このような社会保障政策の充実と同時に、政府による経済活動への介入によって社会問題の是正を試みられた。すなわち、ケインズ主義的な政策が行われるようになったのだ。

世界恐慌を契機としてアメリカのルーズヴェルト政権が積極的財政政策を採用した。有効需要を生み出すために、ダムや港湾の整備など公共事業に大量の資金が投入されるようになった。

ここにおいて、労働需要の創出と社会保険などの福祉政策が政府の重要な役割となったのである。 

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安定的な福祉国家体制の成立には

しかし、岡本は戦間期福祉国家的政策は一過性の、しかも国際的な連携を欠いた特殊一国的な政策に過ぎないとする。

福祉国家体制が定着するのは第二次大戦の終結を待たねばならなかった。福祉国家を安定化させる条件として次の3つがあげられている。

①戦後先進資本主義諸国の内部で福祉国家的な改革がなされ、それが定着
すること

②各国福祉国家間でその体制が相互連関的に発展していく関係が生まれ、世界的連関をもったシステムとして定着すること

福祉国家体制に正統性を付与する普遍的人権という概念が、国内政治のみならず国際政治においても重要な地位を獲得すること(岡本、185頁)

 

ともあれ福祉国家の成立条件は以下のようにまとめることができる。

①市場の自律性への疑義と、政府による経済介入

普通選挙制度の導入による労働者の政治参加

社会権思想の定着に伴う福祉政策の拡充

こうした整理の中で、国家を扱う政治学と市場を扱う経済学が密接に関りを持っていることを掴めた。市場に関するパラダイムシフトが国家の在り方を変えてしまったのだ。専門分野を持つことも重要だが、学際的に学ぶ必要性も大いに感じた。

◆参考

岡本英男「福祉国家と資本主義発展段階論」東京経済大学経済学会(2015)『東京経大学会誌 第285号』

「常識」の破綻

10年ひと昔、どころではない。1月ひと昔である。

社会は刻々と変化する。10年ひと昔というが、情報が氾濫し、新たな技術が目覚ましい勢いで開発される現代において変化は月ごとに起こるだろう。そうした状況においては従来の常識が通用しなくなることもある。AIの登場などによって、将来的に我々は未知の世界に突入するだろう。だが、常識が通用しなくなるのは将来の話にとどまらない。私たちは、現在進行形で常識が通用しない場面に直面しているのである。それは金融界で起こっている。

日本銀行の金融緩和政策が行き詰まっている。金融緩和政策とは、景気が悪化した場合に通貨供給量を増やし、資金調達を容易にする政策である。具体的に現在行われている政策は、2%の物価上昇率達成を目指し、国債の大量買入れなどを通じて市場に大量に資金を供給するものであり、「異次元」金融緩和と呼ばれる。

一般的に金融緩和とは日銀が銀行など金融機関から国債を買い入れ、資金を供給することである。その効果として、資金を余らせた金融機関が低金利で企業や個人などへの貸し出しを行うために、資金が循環し、景気が回復するとされる。また、好景気であれば、物価も上昇する。好景気というのは資金が企業に流れ、それが従業員の賃金へと還元され、それが消費需要の活性化をもたらすために、消費財の価格(すなわち物価)が高まるのである。同時に物価の上昇は貨幣価値の下落をもたらす。市場に大量の貨幣が供給されれば、当然のこととして貨幣の価値も下落する。

高校の政治・経済の教科書にはこのようなことが書かれている。また、経済学の教科書においても同様である。だが、そうした経済学的常識では説明できない現象が起きているのである。大規模な金融緩和が行われているにもかかわらず、物価上昇率が非常に鈍いのだ。それどころか一部の商品は下落しているのである。

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金融緩和が行われれば、資金が大量に金融機関に供給される。そして、金融機関が企業や個人に貸し出すことで資金が市場に出回る。さらに、それを企業が投資に活用したり、個人が消費に用いることで、物価は上昇するのだ。ということは、物価が上昇しない理由は企業の投資や個人の消費が十分でないことが理由の一つとして考えられる。では、彼らは資金をどこへ向けているのか?

それは内部留保、そして貯蓄である。 

 読売新聞(6月27日朝刊)によれば

個人(家計部門)が持つ金融資産の残高は18年3月末時点で、前年比2.5%増の1829兆円だった。(中略)主な内訳は、「現金・預金」が2.3%増の961兆円で、年度末として過去最高となった。日銀のマイナス金利政策で低金利環境が続くが、日本人の貯蓄性向は大きく変わっていない。

金利にもかかわらず、貯蓄に励むのである。企業の内部留保も増加傾向にある。

貯蓄が増える一方で、別の資金の使い道も増加している。投資だ。先ほどの記事(読売新聞6月27日朝刊)によれば次のようになっている。

「株式等」は11.7%増の199兆円と大きく伸びた。

また、個人株主が増加している。2017年度は5000万人を超え、5129万人と過去最高を記録した。2016年からの1年間で162万人の株主が増えたそうだ。

 このように、金融緩和の結果として、資金が貯蓄、内部留保、投資へと向かっている。しかし、経済は生産と消費から成る。どれだけ生産・消費が活発であるかということの物差しがインフレ・デフレといった物価動向である。生産活動にも消費活動にも資金が向かなければ、当然経済は停滞するだろう。となれば、日経平均株価が中長期的に上昇しているのも、実体経済を反映したものとは思えない。余った資金が株式投資に向かって、株価を押し上げているのではなかろうか。

そんなことを考えていたところ、2つのニュースが目についた。

1つは実質賃金が上昇したというものである。もう1つは日銀の金融緩和が長期化する可能性があるというものだ。

たった一部ではあるが、企業が資金を労働者に還元し始めた。しかし、デフレ傾向が続けば、賃金の上昇は持続しない。さらには、現状通りの金融緩和が続いても、物価が上がる兆しはない。人々が消費・生産に目を向けないために、デフレ傾向が続いていく。

現在の経済状況において、定説とは異なる事態が生じている。世界は大きな変革の過渡期にあるというが、金融という面においても変化が生じている。そもそも、金融とは「人が」金を融通し合うことであり、したがって、目下の現象も社会変化の一側面に過ぎない。社会が変化しているのなら、金融という側面を切り取ろうが財政という側面を切り取ろうが、どの側面からでも社会変化を観測できるだろう。理論の「基本」をしっかり学ぶことで、「例外」を発見できるのだ。

仮想通貨の可能性

国債の貨幣化という問題がある。政府が発行した国債などを日本銀行が直接引き受けることであり、財政赤字の補填として日銀が政府に直接協力することを意味する。しかし、財政法第5条では日銀の直接引き受けは原則的に禁止されており、民間の銀行などが国債を買い取る「市中消化の原則」が取られている。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。(財政法第5条)

だが、現行の金融緩和政策は実質的な国債の貨幣化といえる。というのも、日銀引き受けも市中消化も実質的な帰結はどちらも変わらないからである。

日銀引き受けも市中消化も変わらない仕組み

まず政府が発行した国債は民間銀行が買い取る。そして、日銀が民間銀行から国債を買い取り、その代金として民間銀行に現金を支払う。民間銀行に支給された資金は企業や家計に貸し出されることで、世の中の通貨量が増加する。一方で、政府の発行した国債を日銀が直接引き受けた場合、その際に発行した現金は財政支出に使われる。そして、その現金は企業や家計に流れ、生産活動・消費活動を刺激し、結果として通貨量は増加する。通貨量が増加すれば、物価が上昇し、インフレが生じる、というわけだ。買いオペレーションと呼ばれる政策である。

ちなみに、日銀が国債保有する限りは返済の必要は生じない。金融緩和政策の目的は市場に通貨を供給することであり、もし政府に対して返済を要求すれば、政府が日銀に対して支払わなければならず、そうすると市場の通貨量が減少するからである。インフレという目標が達成されない限りは、政府はいくらでも国債を発行できるのである。

つまり、国債の貨幣化によって、政府はいくらでも財政規模を拡大できるのである。政府が貨幣供給量をコントロールできることで、財政赤字がこれほどまでに拡大したといえよう。

こうした放漫財政が可能なのは、国家の発行する貨幣が価値を有していることが前提にある。すなわち、税収が不足していようとも自由な財政政策が行えるのは、国家が独占的に通貨を発行でき、かつその貨幣に価値があるからこそ可能である、ということだ。独占的な市場だからこそ絶対的な価値を持つ。しかし、仮想通貨の登場はこうした状況を変革するのではないだろうか。

仮想通貨の可能性

現状、電子マネーや優待券などは政府通貨の価値の裏付けがある。しかし、仮想通貨は政府ではなく民間の手によって発行される。もし、仮想通貨と政府通貨との間で市場原理が働けば、政府通貨の価値は相対的に低下する。そうなれば、税収の不足分を国債の貨幣化で補うことは困難となる。仮想通貨の価値の上昇によって、支払いや決済など政府紙幣の貨幣としての価値が低下するからである。したがって、仮想通貨は将来的には国家の財政政策・金融政策の在り方を根底から覆す可能性を持つといえる。税収が足りずとも、支出を自由に拡大できた時代を権力者が懐古するときがくるのかもしれない。

※文中の「政府通貨」という表現ですが、中央銀行の発行する紙幣と政府の発行する硬貨をまとめて政府通貨と呼んでいます。

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国債は無限に発行できるのか

財政法第4条には次のように書かれている。

国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

このように、財政法第4条では、公共事業などの資金調達を目的とする建設国債を除いて、赤字国債の発行を原則として禁止している。だからこそ、毎年特例法(特例公債法)を制定して政府は赤字国債を発行している。1975年以降、バブルの一時期を除いて毎年赤字国債が発行された結果、現在の政府の国債残高は585兆円を数える。財政規模の拡大に税収が追い付かず、国債発行が積み重なった結果ここまで借金が膨れ上がったのだ。

財政活動は税金が主な原資となる。税収入が不足していれば公債を発行して補わなければならない。もし債券が発行できなければ、自由に財政活動はできないだろう。現状のような財政規模の拡大は、公債発行が無制限だからこそ可能なのではないだろうか。今回はその問題について考えたい。

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財政法第4条の通り、赤字国債の発行は本来禁止されている。そもそも国債は将来世代の借金であり、借金は返済することを前提としている。この返済という点において国債発行のハードルは非常に低い。

元々国債は現金償還の必要性があった。つまり、満期が来た場合の返済は現金でなければならなかったのである。しかし、1984年の特例公債法から現金償還が努力義務になった。ここで、現金償還から借換償還となったのである。国債の償還資金を調達するために新たな国債を発行するようになった。つまり、借金を返済するために新たに借金をすることが可能になったのである。政府は国債の償還を実質的に考慮する必要がなくなったのである。ここにおいて、現金償還という借金に対する歯止め装置がなくなり、国債発行が無制限に行えるようになった。

では、そうした自転車操業がなぜ可能なのか。それは現状において国債が価値を持ち、市場で安定して売買されるからである。国債は債務証書、つまり借金の証明書である。本来無価値である借金の証明書が価値を持つものとして機能するのは、人々がそれを「信認」しているからである。つまり、発行主体である支払い能力に対する信認である。そして、信認の証として国債を購入するのである。購入者がいるからこそ、政府は資金を調達できる。

しかし、国債が現金償還を前提としなくなったため、支払い能力を測ることはできなくなった。つまり、実際の能力を計測できない以上「支払い能力がある」という「仮定」で人々は国債を購入しているのである。万が一、政府に支払い能力がないことが「明るみになれば」国債を発行しても購入者はいなくなる。ギリシャ危機はその典型例であろう。

整理すると以下のようになる。

①まず財政規模の拡大は国債が無制限に発行できるから可能となった。

②無制限発行の理由の一つとして、現金償還から借換償還に変更されたことがあげられる。発行を制限する法的な歯止めがなくなったのだ。

③日本国債の場合、安定資産として多くの購入者(日銀買い取りを期待する民間銀行など)がいるため、ある程度無制限に発行できる。それは発行主体である政府の支払い能力に対する信認が背景にある。ただし、その信認が消えれば、国債をいくら発行しても買い取り手がいなくなるため、実質的に無制限に発行できなくなる。

財政の機能

来年度の概算要求基準が決まった。早い話が、来年度に各省庁の使える予算がどのくらいかが決まったわけである。ここで財政に関してしっかりと理解する必要性を感じたので、まとめてみたい。

財政とは「政府が税金を徴収したり、公債を発行することで資金を集め、それを元手に支出を行う経済活動」である。予算規模が100兆円を超えることもあり、政府が経済に与える影響はきわめて大きい。そもそも、政府が経済活動に介入する理由は何なのか。それは市場が万能ではないからである。

では市場とは…

市場とは「需要者と供給者が財・サービスを貨幣を仲立ちに交換する場」である。つまり、商品が売買される場のことだ。経済学的な理想では、市場を通じて資源が最適に配分される。しかし、実際には資源が最適に配分されるわけではない。現実には市場の失敗が生じるのだ。たとえば、警察という公共サービスを例にとろう。警察の供給を民間に任せれば、対価を支払える人はその恩恵を享受できるが、支払い能力のない人はサービスの対象外となる。治安維持という社会全体に不可欠なサービスは市場では供給が困難なのである。富裕な地区はセキュリティが充実する一方で、貧困地域は治安が激しく悪化する。警察機能の供給の有無がアメリカのゲーテッド・コミュニティのような状況が生じうる。このように、公共的な財・サービスの供給は市場だけでは最適に配分されない。

だからこそ、政府の役割が重要になってくる。民間ではうまくいかない機能を代わりに政府が担うのである。財政には3つの機能があり、第1の機能が「資源配分」である。第2に所得の再分配であり、第3に「景気の自動調整機能」である。

第1の機能:資源配分

まず第1の「資源配分」機能が必要とされるのは、市場では公共財が適切に配分されないからである。ここにおける「資源」とは生産要素のことであり、主に「土地(天然資源など)」「資本」「労働」の生産の3要素を指す。すなわち、「資源配分」機能とは、公共財を生産するためにどの資源をどれくらい配分するかということに関するものである。たとえば、一般道路という公共財を生産するために必要な資源を考えてみよう。まず、道路を建設するためには用地(土地)を買収する必要がある。材料にはアスファルトと砂利(天然資源)が必要だろう。そして、それらを元に作業員(労働)がローラーなどの建設機械(資本)を使用して、工事を行う。政府が資金を生産要素に投入することで、公共財が提供される。

もしこうした公共事業を民間企業が行うとどうなるか。民間企業(私企業)の目的は利潤追求なので、建設にかかったコストを回収するために道路利用者から利用料を徴収するだろう。それでは財の恩恵にあずかれない人が生じてしまう。だからこそ、政府の役割が重要なのだ。

第2の機能:所得再分配

次に第2の「所得の再配分」機能について見てみたい。市場は資源を最も効率的に分配するシステムである。しかし、それはあくまでも「効率的」であり、「平等」「公平」に分配するシステムではない。自由競争を基幹とする市場システムにまかっせきりであれば、貧しいものはより貧しく、富める者はより裕福になることもある。格差が著しく拡大するような状況は、平等を旨とする近代以降の社会通念や民主主義に著しく反する。こうした背景から所得の再分配を政府が行うようになった。具体的には高所得層から低所得層へと所得が配分される。政府は累進課税という形で高所得者から税を徴収し、社会保障や義務教育費の負担などで低所得者へとサービスなどの形で所得を還元する。時には児童手当のように現金で分配する方法もある。

第3の機能:景気の自動調整機能

第3の景気の自動調整機能は、公共投資や減税(増税)などを通じて景気の安定化を目的とするものである。不況期には減税や公共投資の減少、好況期には増税公共投資の増加などで景気が安定化するというものだ(他に裁量的財政政策もあるがここでは触れない)。こうした機能が求められたのには、歴史的な経緯がある。そのきっかけは今から約90年前に遡る。1929年、ニューヨークで株価が大暴落した。世界恐慌の始まりである。それまでの経済学的常識では恐慌は起きないと「されていた」(実際には19世紀においても不況はたびたび生じている)。というのも、古典派経済学においては「供給は自ら需要を作り出す」というセイの法則が常識とされていた。つまり、商品を生産すれば(供給)、必ず購入され(需要)、当然失業者も発生しないという供給側中心の論理が取られていたのである。

しかし、実際には売れ残りも失業者も発生する。不況という市場の失敗が生じたのだ。ここでケインズという経済学者はセイの法則を批判し、需要が供給に先行すると主張した。すなわち、商品が売れないのは需要が不足しているからであり、だからこそ、需要を作り出すことが必要だとしたのである。ただし、この場合における需要とは、商品を購入できる金銭的な裏付けのあるものであり、それをケインズ有効需要と呼んだ。政府が公共投資などを通じて失業者を雇用し、給与を支払うことで、有効需要が創出できるとされた。ここにおいて、政府が経済活動に積極的に介入することが求められるようになったのである。

市場はいつでも成功するわけではない。市場の失敗はいつでも起こりうるからこそ、財政が必要なのだ。

さて、財政活動は税金が主な原資となる。公共財を提供しようにも、税収入が不足していれば、公債を発行して補わなければならない。もし債券が発行できなければ、自由に財政活動はできないだろう。現状のような財政規模の拡大は、国債発行が無制限だからこそ可能なのではないだろうか。つまり、税金を増やさずとも、財政政策を行えるのは政府が自由に資金を調達できるからなのではないだろうか。歴史的に見れば、財政問題が国家の破綻をもたらしてきた。革命の発端は課税の拡大である。次回は政府の無制限な国債発行について考えてみたい。

これからの時代のリーダー

「多数派」というものが形成されにくい世である。

現代社会は多様な価値観が共存する社会である。ウルリッヒ・ベックはこうした現代社会の現象を「個人化」と呼んだ。個人化とは、従来の価値観や慣習が共通認識・了解とはならず、個人が多様な価値観や慣習を選択するようになった現象を指す。たとえば、「定年まで一つの企業で働く」という雇用モデルは労働市場の流動化でもはや成り立たなくなりつつあるし、そもそも人生100年時代と言われる中で定年という概念が今後も妥当性を持つかは全く分からない。また、結婚や出産などのライフスタイルも、事実婚などといった形で多様化している。

個人化、グローバル化少子高齢化

現代社会が直面する社会変化は個人化にとどまらない。それがグローバル化少子高齢化であり、それらの急速な進行は様々な問題をもたらす。すなわち、今後の社会は個人化が一層進むと同時に、外国人の流入に伴うトラブルや少子高齢化による人口減少や社会保障給付の問題など、課題が頻発する社会となる。そうした中で求められるのは、主体的に課題解決に取り組む姿勢を持つ人材である。

それには理由が2つある。第1に、個人化が進んだことで政府の課題解決能力が著しく低下したからである。高度経済成長期においては、「多数」の有権者と政治家の利害が一致していた。たとえば、地方からは公共工事を通じたインフラの整備が求められたり、経済界からは護送船団方式が求められたり、多くの場面で「多数派」が形成されていた。それは一定程度の社会的な共通了解があったからである。生涯ある地域に暮らしたり、特定企業に生涯勤めるということが当たり前の時代においては、共通の利害を形成しやすく、それゆえ多数派が形成されやすかった。

第2に、経済が縮小したことで、政府の課題解決能力が低下したからだ。日本の財政支出はおよそ97兆円である。しかし、財政収入のうち税収でまかなえているのは58兆円である(2018年)。税収の不足分は国債で賄わなければならない。日本では1975年から毎年特例国債が発行されており、借金の増加は財政の硬直化をもたらす。つまり、借金返済に毎年追われているため、従来の財政政策のパフォーマンスが発揮されないのである。たとえば、高齢化の進行に伴って社会保障関連予算は毎年増加していくが、同時に国債費(借金返済のための支出)も増えていくので、その支出を賄うために国債を発行するために、財政政策の裁量がどんどん減少していく。限られた予算は分配対象の減少をもたらす。少ない予算の奪い合いが起り、脱落者、すなわち政府によっては救済されない人々が生じるのである。そもそも、個人化が進めば財政政策へのコンセンサス自体が得られない可能性もあるのだ。

現代社会のリーダー像

こうした背景を踏まえれば、これからの社会に求められるものは民間の課題解決能力といえる。では、具体的にどのような人材が求められるのか、すなわちどのようなリーダーが必要とされるのかを検討してみたい。まず必要な感覚は共感できることである。社会には様々な課題がある。課題というのは「誰か困っている人がいる」からこそ、「課題」といえる。困っている人に手を差し伸べる原動力となるのは、「その人を助けたい」「自分がその立場だったらつらい」といった共感する心だろう。

そして、次に必要な能力は発信力である。いくら社会課題を解決しようと考えても、一人でできることには限界がある。そうした時に、同じ課題の解決に興味を持つ人を惹きつけ巻き込んでいくには、自分の思いを表現することが重要な手段となる。SNSが発達し、遠く離れた人とも瞬時につながることのできる現在において、自分の感覚と近い人間とすぐつながることができる。そのときに表現力を持っているかどうかはフォロワー獲得に大きな影響を与える(この場合の表現力とは文章だけでなく、動画や画像などのメディア、プレゼンなどのバーバルコミュニケーションジェスチャーや目線などのノンバーバルコミュニケーションなどコミュニケーション全般に関連する能力と言えよう)。個人化が進んだ社会においても、同じような感性を持つ人間を探すのはSNSを用いれば容易にできるだろう。

最後に、情報収集・課題発見・分析などの知的能力が求められる。そもそも課題を発信するにはまず課題を発見しなければならない。そして社会課題を発見するには、社会に関して一定の知識を持つ必要がある。どこに何が生じているのかを理解するには、社会の構造や現象、そしてそれに伴って起きる問題など前提となる知識を身につけなければならない。そうした知識を用いて分析を行い、どのような解決方法があるかを考える。つまり、社会に関する知識と課題の背景や解決策の分析、そして表現は連関した営為なのである。そして、その前提には共感というパッションを有するという条件があるのだ。発見した課題を困っている人から聞き取り、真摯に向き合うこと、すなわち傾聴力が必要なのだ。

確かに、現代において多数派は形成されづらい。だが、それは時代の変化を表す一側面に過ぎないし、むしろ個人が動きやすい時代だということを意味している。だからこそ、民間の活力ある社会を目指して教育活動に取り組んでいきたい。次回はこうした人材を育てるにはどのような教育が必要か考えてみたい。

現実を見据えるために~書評『アドラーの教え』

「このクラスはやりづらいな…」「このクラスは話を聞かないな…」

授業中に反応が薄かったり、生徒が寝てしまうと、ふとこんな考えを抱いてしまう。思考とは恐ろしいもので、ふと何となく考えたことでも脳内で反復されてしまうと、それが行動に反映される。つまり、単なる感想にすぎなかったものが、「反応があるかな…」「話を聞いてくれるかな…」といった不安となり、それが体を緊張させる。不安から、本当に授業がやりづらくなってしまうのだ。こうなってくると、軌道修正が困難になってくる。

こんなふうに行き詰まっている時に出会ったのが本書だった。

読んでみて衝撃が走った。

「考え方を変えただけで、こんなにも勇気が湧いてくるのか」

特に私が参考になった個所は次の3つである

①誇張

②課題の分離

③共同の課題の探求

①誇張

授業をしている中で「このクラスは寝る生徒が多い」だとか「このクラスは話を聞かない」というふうに思ったことがあった。しかし、それは誇張に過ぎない。実際に授業中の生徒の様子を観察してみると、寝ている生徒は一部の生徒で、起きて勉強している生徒が大部分であることに気づいた。あまりにも寝ている生徒に焦点を当てすぎて、現実が見えていなかったのだ。

私たちが悩みを持つと、「基本的な誤り」が悪さをして、正常な判断力を失わせます。本当は自分に好意を持っている人もいるのに、すっかり見落としてしまうのです。実際は、世の中には苦手な人ばかりなどということは決してありません。苦手な人もいるというだけです。(岩井俊憲『アドラーの教え』P28))

本書を読んで、心のウソに気づくことができた。しかし、本書の効用はこれだけではなかった。

②課題の分離
③共同の課題の探求

生徒が寝てしまったり、不機嫌そうな表情をしていると、基本的に何か自分に非があるように感じてしまう。

「授業がつまらないかな」「なにか悪いことをしたかな」

まずこうした言葉が頭をよぎっていた。だけれども、本書は次のように述べる。

人間関係に苦しむ人は、相手の言葉や行為、気分、感情、悩み、問題、性格などの影響を受けすぎてしまっています。(同P96)

真の人間関係を築くためには、まずしっかりと自分を肯定して、自分の課題と相手の課題を分離することが大切です。「相手の気分、感情、行動は私の責任ではない」「相手には相手の都合があるんだ」。切り分けて、発想するだけで、気分が楽になるはずです。そして、建設的な関係を作るために、共同の課題を見つけてみましょう。

(中略)

相手の課題と自分の課題を切り離した上で、共同の課題を探していけばよいのです。(同P96-97)

たとえば生徒が眠っていたり、眠そうにしているのは、昼食が終わってすぐの授業だから、消化活動のために眠いのかもしれない。あるいは1限目であれば、部活動の朝練があったからかも眠いのしれない。あるいは教材が面白くなかったからかもしれない。

後者であれば私自身に改善の余地があるが、前者であれば私自身の問題ではなく、相手の問題である。このように自他の課題を分離した上で、どうすれば授業時間を楽しく、学びのあるものにできるか、が教師として考えるべきことである。

悩みすぎると現実が見えなくなる。具体的に「誰が」どのような状態にあるのか、「なぜそうなのか」相手側の立場に立ち、どうすればお互いのためになるのか、しっかりと考え、現実を直視していくことが地に足の着いた態度を養っていくのだろう。心構えを作るというところで、本書には大いに助けてもらった気がする。

江戸幕府の役人に学ぶ

世の中で「先生」と呼ばれる職業との営業の際には、一般の顧客以上に説明を要するらしい。基本的に疑ってかかるために、多くの情報を提供しないと信用しないからだそうだ。そんなことを営業職の方から聞いた。

自身の利益がかかっているのだから当然の態度だとは思うが、これが国益という広範な範囲にまたがる利益であれば尚一層のこと求められる態度なのだろう。しかし、人はしばしば相手の情報をうのみにしてしまう。その結果として、大きな損失を被ることもある。そうした戒めのモデルケースとして江戸幕府の役人に学ぶことは多い。

舞台は160年前

今から160年前、日本とアメリカとの間で通商条約が結ばれた。日米修好通商条約である。すでに1854年日米和親条約で日本は開国しており、通商条約の締結自体は必至のことであった。問題は積極的に開国するか、やむを得ず開国するか、ということだった。そうした状況下、国際法も十分に理解していない幕府の役人が対外交渉に臨んだのであった。

ハリスは江戸に赴いた際、当時の老中堀田正睦の自宅を訪ね、大演説を行っている。その内容は次のようなものだ。

アメリカの「親友のような」日本との友好関係

アヘン戦争に見られるイギリスの脅威

クリミア戦争、アロー戦争によるイギリス・フランスの脅威

アメリカがいずれの戦争にも参加しなかった平和主義の国であること

アヘン貿易をするイギリスの害悪、アヘン害悪の忠告

(井上勝生『日本の歴史18 開国と幕末変革』講談社学術文庫、p.217:一部省略および改変)

堀田はハリスの演説に圧倒されたそうだ。しかし、情報を鵜呑みにすることはなかった。演説の内容はすべて記録され、勘定奉行によって全ての情報が点検された。その結果、以下のことが判明した。

明らかになったのは…

まずアメリカが平和主義の国であるということに関して、メキシコとの戦争でアメリカがカリフォルニアを奪取したこと、その後、賠償金の代わりにニューメキシコを奪取したという事実から、アメリカが非侵略国であるという説を否定している。

また、アメリカがアヘンの害悪を忠告する友好論に関しても、アメリカがトルコのアヘンを中国に運んでいるという記事を見つけ、ハリスの虚言が暴かれた。

こうしてハリスを徹底的に批判した勘定奉行たちの点検が、堀田の外交路線に反映された。つまり、積極的にではなく、やむを得ず開国するというものである。その後、日本国内で貨幣流出や輸出超過などに伴うインフレといった経済的混乱が生じたことからも、やむを得ず開国という決断は適当だったのではなかろうか。国際法の理解は不十分だったとはいえ、事実を見極め、冷静かつ慎重に判断を下した江戸の役人の態度は、決断を下す局面において大いに参考となる。

時代が変わっても…

利益がかかっている局面において、このような事実を見極める態度の重要性は現代でも変わらない。アメリカの輸入製品への関税引き上げに対して、中国やEUが報復措置として米製品への関税引き上げを行った。そうした事象の背景には、首脳陣の交渉だけでなく、表舞台には出ない外交官たちの苦悩もあることだろう。外交交渉というものは激しさを伴う。国益を左右する立場にいるという重圧は想像を絶するものであり、時には相手を委縮させるためのハッタリも必要だろう。それはどんな時代も変わらない。

ハッタリを多用し、しかも現下の貿易紛争の渦中にいる人物といえば、トランプ大統領だ。トランプ氏が大統領に就任してからまもなく1年半が経とうとしている。半年前の記事であるが、彼が就任してからついたウソの数は2140に上るという(2018年1月時点で2140である)。

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現代は情報が氾濫している時代である。何が真実かを見極めるには、一次情報などの資料を読み込み、当該情報と照らし合わせ、つぶさに点検していく態度が重要なのだろう。それは国益に限らず、個人の利益においても同様である。ポピュリストが甘美な言葉を国民に投げかける政治状況においても、金融機関が「必ずもうかる」という誘惑をかけ、融資を持ち掛ける経済状況においても、江戸幕府の役人のような態度を持っていれば、甘い言葉に騙されることはない。冷静に事実を見極め、自分自身で判断を下すことを大事にしていきたい。

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