Shiras Civics

Shiras Civics

「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

MENU

歴史を学ぶ意義

 

 

実際の教壇に立って歴史を教えていると、生徒が歴史を学ぶ意義とは何なのだろうかと考えることがある。

しかし、業務が忙しいと甘えては検討をしてこなかった。正直なところ、生徒の将来において歴史学習がいかに貢献するか、歴史を学ぶ意義は何か、そういうところでの確信が持てないから、こうした悩みが出てきたのだ。それにもかかわらず、考えることをサボってきたために授業に自信が持てない。全く持って負のスパイラルである。

ここで負の循環を断ち切るためにも、今一度歴史を学ぶ意義について考えてみたい。

 歴史とはなんだろうか

そもそも歴史とは社会の変遷を記述したもの

社会の変遷の記述が歴史だとすれば、その最前線に記述されるものが現代社ということになる。

だからこそ、歴史を学べば、現代の社会に対して相対化という視点を持つことができる。

相対化というのは、物事を一面的にとらえず、ある事柄を絶対的なものではないと捉えること

たとえば、夫婦同姓という現代における「常識」も歴史的に見れば、明治時代に制度化されたものであり、それ以前までは統一的な制度は存在しなかった。

こうした経緯を知ることで、夫婦同姓を絶対視するのではなく夫婦別姓という選択肢を持つことができるのである。

(例として夫婦別姓を持って来ましたが、私自身の立場は上記のものとは限らないことを申しておきます)

 相対化ができなければ

では、もし相対化できなければ、どのようなことが起きるだろうか。現在において当たり前だととらえている常識やルールなどを絶対視すれば、それを変化させようという態度は生まれない。

ルールや制度というのは必要性があるから作られる。しかし、社会が変化すれば、その必要性自体も消えてしまう

そうした中で存続したルールは形骸化してしまう。つまり、ルールを定めた当初の状況と現実の社会状況が乖離しているにもかかわらず、それを変化させないがために、混乱が生じたり、それによって苦しむ人が生まれるのである。まさしく手段の目的化という事態が生じてしまうのだ。

 江戸時代の武士は時代の流れを読めなかった

たとえば、江戸幕府は農民からの搾取を前提として制度設計された。すなわち、農民からの年貢収入を武士が得ることで江戸幕府は成立していたのである。

武士は年貢を集めた後、それを換金し、生活物資などの購入資金に充てていた。

やがて、江戸が発展し人口が増加するにつれ、彼らの生活を支える消費財の栽培が盛んになった。つまり、米だけでなく、明かりとなる蝋や染料である藍などの商品作物の栽培が全国各地で盛んになったのである。

こうした生活必需品の価格が高騰する一方で、米の価格は上がらなかった。

その背景には享保の改革における新田開発など収穫量の増加などがあった。米の収穫量の増加は、米の価値の低下をもたらす。

そうして、価格の下がり続ける米を換金して、価格の上がっていく生活必需品を購入する武士階級は必然的に困窮していったのである。金を使う(消費する)しかないのに、金をより稼ぐ手段(生産)はほとんど限られているからこそ(戦争に伴う褒賞や収奪の機会が平和になったことで消失した)、それは不可避だった。

貨幣経済の進展という社会の変化に対して、米本位制を絶対視する幕府は時代の変化に対応することができなかったのである(田沼意次のような時代に適応しようとした改革者もいたが)。

 相対化はどんな教育的価値をもつのか

相対化の視点を身につけることは、社会を変化させようという態度の獲得につながる。

社会は個々人から成る人工物であり、自らが主体的に作り替えていくものである。よりよくしていこう、よりみんなが幸せになるような社会にしよう、そうした態度が社会の一員には求められるのではないだろうか。

主体的な社会の一員を育成するためには、相対化の視点を持たせることが必要なのだ。

生徒の日常には相対化できるものであふれている。

f:id:europesan:20180830064001p:plain

たとえば「先輩や上司を敬う」という「常識」は朱子学に遡れるであろう。相対化の視点を持たせるには、日常の疑問を授業において取り上げ、生徒に投げかけることが重要だ。

だからこそ、教師に求められることは、現在における「当たり前」という感覚を捨て、日常的に疑問を持ち、またその疑問を調べ、考えていくことだろう。

今のニーズ・潮流を知るためにも、ニュースを見て、新聞を読み、様々な人と出会うことが重要である。そして、そうして得た情報や疑問を丹念に調べ、歴史的に考察し、その変化を生徒に考えさせる。その過程を通じて、生徒は社会認識を深めていく。

歴史を学ぶ意義

歴史を学ぶ意義は相対化の視点をもつことにある。

さらにいえば、今の社会をより深く考えることともいえる。そのことを踏まえて、これからの授業を再構築していきたい。日本史では、世界史では、地理では、政治経済では、現代社会では、倫理では、と。いったいどんなふうに相対化ができるか、考え続けていこう。

www.yutorix.com

論文「平等と格差の社会思想史」まとめ

 

 

右を向いても「格差」、左を向いても「格差」である。

格差が社会的に「問題」として認識されているようだ。書店に行けば、「格差」を冠した本が平積みにされているし、ニュースでも格差に関する言説が飛び交っている。今回とりあげる論文では、格差と平等という概念が歴史的にどのようにとらえられてきたのかが詳細に書かれている。著者はフランスの歴史政治学者、ピエール・ロザンヴァロンである。

格差の問題点

そもそも格差の何が問題かと言えば、それが人々の公共心を失わせるからである。

人々がそこに格差があると痛感するのは、異なるルールが別の集団に適用されていると感じているときだ。彼らはダブルスタンダード、そして自分たちに有利なようにゲームを操作し、管理する人々に対して強い憤りを示す。こうした感情は社会的不信を高め、これによって、福祉国家の正統性も損なわれる。課税に対する嫌悪感が蔓延し、だれもが自己利益を重視した行動をとるようになり、最終的にパブリックマインドが損なわれる。(p.54)

「異なるルールが別の集団に適用されている」というのは、特定の集団のみを優遇するということだ。加計学園が国家戦略特区で優遇されたかもしれないという疑惑は、まさにそれにあてはまるだろう。そうした人々の猜疑心が高まれば、社会的不信、ひいては政治不信が高まっていく。

 格差に対する認識の推移

さて、ここで格差について歴史的に見ていきたい。19世紀まで遡ると、社会のあらゆる考えの中で中核的な考え方は「個人の責任」論であった。当然、格差の原因も個人によるものだとされた。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、格差というのが社会的な要因によるものだとされる。ここで、格差は政府にとって大きな問題となる。

政府にとって格差が問題視されるようになったきっかけは、労働運動と普通選挙制度の導入だった。社会主義思想が労働者に浸透し、プロレタリア革命が起こるのを防ぐために、各国は社会保障政策などを通じて福祉国家への道を歩んだ。1917年にソビエト連邦が成立したことで、労働者による革命は現実的な危機となった。そして、その12年後には世界恐慌が発生した。そうした中で、各国政府は、共産主義対策の一環で、格差是正の政策を打ち出していったのである。

また、ロザンヴァロンは第一次世界大戦を経験したことの重要性に関しても言及している。戦争は、人々が国家というコミュニティの一員であることを認識させた。戦争体験の共有は人々を連帯へと向かわせた。この連帯意識が、所得再分配政策へのコンセンサスを生み、福祉国家の基盤となったのである。

 近年の格差への潮流

しかし、ここ数十年で、再分配政策を通じた格差是正政策という流行は消えつつある。その背景には、共産主義が崩壊し、労働運動への危機感が消え、プロレタリア革命が現実感を失ったことがある。政府にとっての懸念は、革命よりも移民やテロ、治安などの問題へと変化したのだ。

この背景をロザンヴァロンは以下のように述べている。

殆どの国は二度の世界大戦に深く関与したが、その後、長期的な平和の時代が続くと、連帯責任と共有する運命を象徴する国家コミュニティへの帰属意識も薄れていった。かくして福祉国家は深刻な危機に直面した。財政的理由からだけでなく、個人の責任が社会生活を規定する要因として復活したことで、社会的危機という概念さえ形骸化した。(p.52)

ここにおける社会的危機とは、簡単に言えば、社会的な統合が崩壊しつつある状況を指す。しかし、そもそも個人の責任を当然視するようなバラバラの社会では、統合の欠如した状況は危機ではなく通常時と変わりがない。したがって、それはもはや危機ではない、という意味で形骸化していると述べているのだ。

このような状況の出現は、格差是正政策を促す外的要因の消滅を意味する。しかし、ロザンヴァロンによれば、格差を是正しようという試みが新たに2つ生じているという。

1つがポピュリズムであり、もう1つが機会の平等を重視した運動である。しかし、前者に関しては、排外的な平等を推進するという点で欠陥があり、後者に関しては、機会の平等が個人を前提にした考えであるために、突き詰めると無秩序な社会を生み出してしまうという欠陥を持っている。では、どうすべきか。

 解決策は

ロザンヴァロンによれば、共同体の絆を目安にした平等を構築すべきだという。その平等は次の3つから成る。①人々が(個人主義ではなく)市民間の相互関係、まとまりをもっていること、②(他の人々や組織との)相互関係が成立していること、③(コミュニティ全体の)コモナリティ(共有性)への認識が存在することである。

とりわけ、社会における相互関係の回復が、平等社会創設の重要な第一歩という。

相互関係としての平等とは、まず何よりも、扱いと関与の平等を意味する。制度への信頼を維持するには、特殊利益を優遇する法律を見直し、国の活動全般の平等性と透明性を高め、社会保障制度、税制の乱用を食い止めなければならない。(p.54)

政治不信の背景には、相互関係の欠如があるのかもしれない。そこで、ロザンヴァロンは教育について提唱する。

平等な社会に必要な第3の要素とは、社会を支えるコミュニティ意識をはぐくむことだ。(p.54)

彼が理想とするのは、共同社会を作り上げるために、社会の一員としての活動に参加する人々である。彼はこうした市民像をコモナリティと呼んでいる。

個人化が進展した現代社会において、一元的な価値観で社会を規定することは不可能である。だからこそ、「抽象的な普遍主義、あるいは特定のアイデンティティを基盤とする共同体主義ではなく、むしろ、個人の特異性を開花させ、それを認める社会が必要になる」。ポピュリズムのようにナショナリズムを喧伝したり、人権のような「普遍主義」に傾いたりしては、平等は実現されないのである。

格差は、政治制度や経済制度を空洞にしてしまう。格差を助長する要因を除去するには、異なる個人を尊重し合うこと、相互関係によってつながった社会、社会的コモナリティを基盤とする民主的平等のビジョンが必要となる。それこそが、公共政策のコンセンサスを形成し、経済的な格差だけでなく、社会的平和と協調への指針ともなるだろう。ロザンヴァロンはそう述べて、論文を締めくくる。

まとめ・疑問

  • カウンターデモクラシーとの関連はどうなっているのか…連帯した社会が政府に対して反抗するのか?
  • 相互関係によってつながった社会とは、たとえばどういった社会か。
  • 社会的コモナリティを基盤とする民主的平等とは…社会参加という関与に関する平等のことか。
  • 冷戦時代のように、国家が一丸となって対処すべき敵が存在しないことが、福祉国家衰退の一因となった。
  • 再分配政策があまり実施されなくなったと書いてあったが、日本においてはどうなのか、政策面に関する検討が必要であろう。

参考

ピエール・ロザンヴァロン(2016)「平等と格差の社会思想史——労働運動からドラッカー、そしてシュンペーターへ」フォーリン・アフェアーズ・レポート2016年2月号、pp.47-55

 

www.yutorix.com

www.yutorix.com

www.yutorix.com

www.yutorix.com

 

お金の歴史とこれから

 

 

おくりびと

10年前なら「納棺士」だけを意味したこの言葉も、今では全く異なる意味が加わった。「億り人」、つまり仮想通貨で一億円以上の収入を得た人物を指す言葉として一般的になりつつある。今朝の日経新聞の記事に、2017年度の仮想通貨取引を含めた収入で1億円を超えた人が331人だったとあった。

www.nikkei.com

仮想通貨の登場のように、経済の動きはめまぐるしい。その中心的な存在としての貨幣について、前回に引き続き考えたい。今回は歴史的な観点から貨幣について整理していく。

前回みたように貨幣には、交換手段、決済手段、価値尺度、価値貯蔵という4つの機能があった。では、貨幣が存在する以前、人々はどう生活していたのだろうか。

貨幣以前の社会

産業というのは気候や土地の状況と密接にかかわっている。海沿いの地域であれば、漁業が盛んになるし、肥沃な平野であれば農業が盛んになる。しかし、人は水産物のみ、あるいは農産物のみを食して生活しているわけではない。食卓に魚だけでなく、米や味噌汁があることで、豊かさを享受する実感を持っただろう。それは古代人も同様である。自分が必要とするものと相手が必要とするものとの物々交換が、貨幣登場以前の経済生活であった。たとえば、黒曜石やサヌカイトなどの交易の跡が日本各地にあるが、これらも物々交換の証拠だろう。

 市の成立

しかし、古代には、どこでも取引できるようなメルカリなどの便利なサービスはない。GPSのない時代に、取引相手を見つけるのは至難の業だっただろう。よしんば、取引の相手を見つけても、そもそも相手が必要とするものをこちらが持っていなければ、取引は成立しない。そこで、市(マーケット)という仕組みができた。様々な人がものを持ち寄って同じ場所に集まれば、取引が成立するのである。特に余剰生産物ができる農業の発展に伴って、市ができていった。ヨーロッパでは中世に、日本でも鎌倉時代に市が盛んになるが、その背景には、自給自足以上の取り分を人々が得たことがあった(ただし、貨幣の登場と、統一的な貨幣の普及は別次元の話である。)。

www.yutorix.com

物品貨幣が登場した

このように、市が開かれたことで、取引は活発になった。物々交換というのは非常に非効率的である。しかし、食材の場合であれば、取引までの間に腐ってしまうか傷んでしまうため、遠隔地との取引はほぼ不可能となる。そこで発明されたのが、貨幣である。初期の貨幣としては、商品との交換の際に使うことができ、かつ人々が価値(すなわち希少性)を認めるものが使用された。たとえば、古代中国では子安貝が貨幣として使用された。その名残として、お金に関する漢字には「貝」が入っている。たとえば、「貨」幣、「財」、「資」金、などである。また日本ではが貨幣として用いられていた。米のことは「稲」という。昔は稲を「ネ」と呼んでいたのが、いつからか「値打ち」の「ネ」として定着していった。また、も貨幣として使われた。というのも、貨幣の「幣」は布を意味する言葉である。それが現在の日本語にも残っているのである。

だが、米や布は長期間の保存に適していなかった。また、貝も大量に取れれば、インフレを起こしてしまう。そこで、長期間保存でき、希少性がある金属が貨幣として使われるようになった。それが、金や銀、銅であった。特に金はさびることがないので、非常に重宝された。そして、経済の規模が拡大していくとともに、貨幣の需要が増加していく。

 紙幣の登場

しかし、金属は非常に重いため、決済の度に持ち寄るのは非常に効率が悪い。そこで登場したのが両替商である。両替商はまず金や銀を預かる。そして、預かり証というのを発行する。預かり証を取引の際に利用し、相手はそれを両替商に持ち寄れば、取引分の金をもらうことができる。つまり、そもそも紙幣は金や銀との交換の裏打ちがあって効力を有していたのである。ちなみに、世界最初の紙幣は中国の宋代で発行された「交子」である。宋代は経済が大いに発展したため、当時用いられていた銅銭の供給が追い付かず、銅よりコストの安い鉄銭が大量に鋳造された。しかし、鉄は銅よりも重かったために、取引の利便性向上を目的として、銅や鉄との交換を保証した「交子」が発行されたのである。

話を戻そう。両替商はやがて銀行に形を変える。明治時代になって爆発的に銀行が増加したが、両替商の頃と変わらず「紙幣」を発行することができた。つまり、現在のように日本銀行だけが紙幣を発行しているわけではなく、民間銀行が自由に紙幣を発行できたのである。民間銀行は、1879年までに第153銀行まで設立された(当時の名残として、82銀行という長野県の地方銀行は、明治時代に設立された第19銀行と第63銀行が合併したことに由来する)。

 金が価値の源泉に

しかし、紙幣発行権を多くの主体が持っていることで、統一的な金融政策が困難になる。そこで、紙幣発行権を持つ銀行が1つに限定されることになった。それが中央銀行である。日本では1882年に日本銀行が設立され、翌1883年には紙幣発行権が各銀行から取り上げられ、紙幣発行の主体は日銀だけとなった。そして、当初の紙幣は金や銀との交換を保証していた。金や銀との交換を兌換というが、それを保証した紙幣を兌換紙幣という。金の価値を担保に紙幣を発行し、金との兌換を保証する制度を金本位制といった。最初は、日本は銀本位制を採用していたが、やがて金本位制に転じていく。

しかし、経済は貨幣量とは関係なく発展を続ける。銀行が保有する金の量は限られている一方で、貨幣需要が増加していったため、金本位制では経済発展が頭打ちになってしまう。そこで、金の保有量と関係なく紙幣を発行できる制度に移行していく。それが管理通貨制度である。現在の日本銀行券では金との交換はできない。

目に見えないものを価値の源泉に 

ここで、よく考えてほしい。そもそも貨幣は子安貝や金など希少性を持つものの裏打ちがあったからこそ意味を持った。しかし、管理通貨制度の下では価値の裏付けを持たないではないかと言いたくなる。では、何が価値を支えているかというと、発行主体である政府に対する信頼である。つまり、実体的な価値ではなく、目に見えない「信頼」が価値の根底にあるのが、現在の貨幣なのである。我々はフィクションの中で貨幣を使用しているのだ。その点、仮想通貨は政府が発行主体ではなく、政府に対する信頼という価値に支えられていない。ハッキングなどセキュリティ面でも不安が残る。だが、世界中で政府に対する不信感が取りざたされている現在において、従来の貨幣もどうなるのか全く分からないのであるが…。

おくりびとのように、言葉の中には時代とともに意味を変えていくものもある。貨幣も時代とともにその姿を変えてきた。歴史を踏まえて、その推移を見守っていきたい。

 

www.yutorix.com

www.yutorix.com

www.yutorix.com

www.yutorix.com

 

貨幣、通貨、資金の違いについて

 

 

言葉を整理する意味:貨幣、通貨、資金の違いとはなんだろう

仮想通貨、金融緩和、インフレーション、巨額の企業買収…。お金に関するニュースが流れない日はない。ましてや日常生活においても、お金と無縁な日はないだろう。

だからこそ、原点に立ち戻りたいと思う。すなわち、我々の生活を取り巻くお金とは何なのか、一度整理してみたい。まず貨幣と通貨の違いについて整理し、名称の整理を通じてお金について考えていきたい。

f:id:europesan:20180830144951p:plain

貨幣とはなにか

辞書を引くと、貨幣とは「商品の価値尺度や交換手段として社会に流通し、またそれ自体が富として価値貯蔵を図られるもの」デジタル大辞泉)、一方で、通貨とは「流通手段・支払い手段として機能している貨幣」(同上)とされる。つまり、貨幣と通貨はほぼ同義であるものの、特に流通した貨幣を通貨という。

英語で貨幣は"money"である。moneyはラテン語の"moneo"(忠告する)を語源とする。それはローマ神話最高神であるジュピターの妻であるユーノ(juno)に由来する。ユーノは結婚生活をつかさどる女神であり、結婚する男女に忠告する(moneo)ことを役割としていた。ユーノを祭る神殿にあったのが造幣局であり、そこで作られたコインがいつしか"moneo"と呼ばれるようになった。これがイギリスに伝わり、moneyと形を変えたのである。ちなみに"monster"も語源は同じ"moneo"である(人間が働いた悪事に対して神が忠告し戒めるという意味が"monster"である)。

通貨とはなにか

通貨は英語で"currency"である。これを分解すると、curは「走る」、-rentは「性質」、cyは「こと」を意味する。"currency"とは「走る性質をもつこと」、すなわち「世の中に流通しているもの」である「通貨」を意味する。curから派生した言葉として、"current"があるが、これも「今走っていること」から「現在」という意味になった。

資金とはなにか

最後に資金について、まとめたい。デジタル大辞泉には、資金は「事業の元手や経営のために使用される金銭」ないし「特定の目的のために用意され使われる金銭」とされている。さらに英語で資金は"fund"というが、元々はラテン語の"fundus"(土地、農場)に由来する。つまり、ある目的に使われる土地が転じて、ある目的に使われる通貨のことを資金というようになったのだろう。そもそも流通していなければ、特定の目的に利用することはできない。

練習問題:日本最古の通貨は?

よく歴史のクイズ問題として出題されるこの問題。一般的な正解は次のようになる。

708年に作られた和同開珎
683年ごろに作られた富本銭

この問題のポイントは、通貨を尋ねていることである。通貨の条件は流通していること、つまり人々に使われていたかどうかが重要なのである。

ここで本郷和人氏の本から引用したい。

富本銭はもちろん、和同開珎ですら、実際には機内などごく一部を除くと、ほとんど使われていないのです。しかも、当時の日本の銅の産出量の少なさからしても、到底、経済を回すほどの流通量ではありませんでした。貨幣が作られたことと、実際に貨幣経済が行われていたこととは、まったく別の話だったのです。

古代においてはまだ貨幣経済が普及していなかった、というのが、日本史のリアルです。むしろ、物々交換や、米や絹、布などのいわゆる物品経済のほうが主流だった。(『日本史のツボ』190-191頁)

つまり、流通していなかったために通貨とは言えないのだ。

では、日本最古の通貨は何だったのか。

和同開珎でも富本銭でもなく、清盛が輸入した銅の宋銭だったと答えるでしょう。銭というものは、大量に出回ってはじめて、通貨として機能するわけですから。(201ページ)

こたえは銅の宋銭である。

まとめ

最後に三つの言葉を整理したい。まず「貨幣」とは価値尺度や交換機能などの機能を有するものであり、それが流通すれば「通貨」となる。そして、何らかの目的に使われる通貨が「資金」といえよう。次回は、貨幣の機能についてまとめていく。

人間であるために~『エルサレムのアイヒマン』と日大アメフト部問題~

 

 

切迫した状況が、彼を思考停止に陥らせた。

日大アメフト部の選手が関西学院大学との試合中、相手選手へ反則行為をし、重症を負わせた。その件について、日大の選手が謝罪会見を開いた。会見全文を読んでみて、ある作品を思い出した。『エルサレムアイヒマン』である。

f:id:europesan:20180830145704j:plain

裁判を受けるアイヒマン

人はだれでも悪になりうる~エルサレムアイヒマンとは

エルサレムアイヒマン』とは、アイヒマンというナチスの元役人が終戦イスラエルで裁判にかけられ刑が執行されるまでを描いたレポートである。アイヒマンホロコーストユダヤ人の大量虐殺)の中心的な責任者である。

このレポートは、ハンナ・アーレントというユダヤ人哲学者が著したものであるが、同胞への非道を行ったアイヒマンを極悪人として描いているわけではない。むしろアイヒマンは「陳腐な小役人」として描かれている。

ちなみにハンナ・アーレント第二次世界大戦中はドイツ軍に捕虜として強制収容所に送られている。そこで何があったのか、言葉にすることさえはばかられる経験をしてきただろう。アーレントは収容所での経験を語ってはいないが、すさまじい体験をしたことは容易に想像できる。

アイヒマン裁判をアーレントはこう見た

裁判の陳述で、アイヒマンはこう述べている。

「自分は上司からの職務命令を忠実にこなしていただけであり」、「直接ユダヤ人に手をかけていないのだから罪の意識もない」

さらにこう述べている。

ユダヤ人に対する敵対感情はなかった」が「総統の命令に逆らえるような雰囲気はなかった」

こうした傍聴記録を通じて、アーレントアイヒマンを「普通の人」と評した。彼はただ単純に上からの命令をこなしただけであり、ホロコーストという「悪」の責任を彼個人に帰すべきではない、と。

アイヒマンは善悪の判断をなせる人間ではなく、命令を忠実にこなすマシーンだったのだから。つまり、アイヒマンは思考停止に陥っていただけで、大きな悪に加担していたものの、自らが悪だという意識は全くなかった。

ここで、アーレント人間である条件を思考することに求める。

思考をやめてしまえば、それはもう機械に過ぎないのだ。

もちろん、こうしたアーレントの評価はユダヤ人から大きな非難の的になった。しかし、それでも私は冷静に考え続けたアーレントはあっぱれだったと言いたい。

 凡庸な悪はどこにでもいる

話をアメフト部の件に戻そう。日大の選手は監督やコーチから命令(圧力)があったと言っていた。そして、プレッシャーの中で反則行為をしてしまい、その後は思考がとまってしまったとも述べていた。つまり、彼は極度の緊張状態の中で思考停止に陥り、監督やコーチの命令に従う機械となり果てたのである。しかし、彼がアイヒマンと異なったのは、良心の灯を捨てなかったことである。

実名と顔を出して会見に臨み、誠実に反省の意を表明したことは加害者としての罪の意識を持っていた証拠であろう。そして、自らどうすべきかを考え、償いのために行動したのである。十数年も逃亡生活を続けたアイヒマンと異なり、すぐに行動に移したところに彼の誠実さがあった。

今回の問題が示唆するのは、誰しもが思考停止に陥る可能性があるということである。極端な権力関係の中で、はたして正常に考え続けることができるのか。社内でもし組織的な不正行為があったならば…(雪印の不正告発)、部活動の試合で相手選手の選手生命を絶たせるようなけがをさせろと監督に言われたら…。もしそうした状況に直面して胸を張って考え続けることができるといえるだろうか。

日常の至る所に思考停止の芽はある。私たちは命令を実行する忠実なマシーンではない。人間であるために考え続けることの大事さを改めて認識した。

選挙なんて意味ないんじゃないかな ~カウンターデモクラシーについての覚書~

選挙なんて意味ないんじゃないか…。 

高校生の頃から感じていた疑問とは裏腹に、「選挙に行こう」という標語が日常生活の至る所で散見された。特に2015年に選挙権年齢が引き下げられてから、18歳選挙権を推進する運動で世間は大きく盛り上がった。しかし、そうした運動があっても、全体としての投票率は低下の一途をたどっていた。「選挙の大事さ」を強調する議論も、一部の声が大きい人たちの動きがメディアにピックアップされたために盛り上がったかのように見えただけだったようだ。

「結局選挙は意味がないのか…」。そうした長年の疑問に答えを出してくれた概念に、つい最近出会った。それが、今日紹介するカウンターデモクラシーである。

カウンターデモクラシーは、政府に対する信頼と不信の2つの軸から成り立つ概念であり、市民の働きに重点を置くものである。すなわち、選挙の際の投票は政治家に対する有権者の信頼を表す。一方で、選挙と選挙の間(執行)と、選挙の際とで有権者の意思には変化が生じる。代表が有権者の意思を体現することだとすれば、有権者の意思の変化にも対応しなければならない。そこで、執行の際に有権者が代表者を監視すること、すなわち不信感の表明によって、政府をコントロールすることが可能となるのだ。この不信感の表明が2つ目の軸である。

f:id:europesan:20180728201442p:plain

カウンターデモクラシーが注目されるようになった背景には、近年における代表制民主主義の機能不全の問題がある。それは選挙の機能不全の話と密接に関連している。まずは選挙の機能を確認していきたい。ピエール・ロザンヴァロンによれば、選挙とは以下の3つの機能を有している。すなわち、「代表機能/統治者の正当化機能/議員をコントロールする機能」(ピエール・ロザンヴァロン、pp.60-61)である。これらの機能の中でも、特に代表機能が効果を失いつつあるという。

第1の代表機能であるが、社会の複雑化によって個々人の価値観が多様化したことは、政党が利益を一元的に集約することを困難にし、有権者の多様な利害を代表することを不可能にした。第2の統治者の正当化機能であるが、投票率が低下し、選挙自体の有効性が問われている中で、その正当化機能も低下している。第3の議員のコントロール機能も意味をなさなくなっている。たとえば、代表者が選挙の際に掲げた公約が完全に実現されることはあまりない。もちろん、一部の公約は実現されるが(トランプ大統領は選挙公約31個のうち、15個を大統領令で実現した)、「全てが完全に」ということはあり得ないからだ。

代表機能が機能を失いつつある背景には、第1に社会の多様化という現象がある。社会が多様化し、様々な価値観を有する人が多くなると、「多数派」というものが存在しなくなる。すなわち、従来はある一定の価値に賛同する人が社会の中で多数を占めていたが、現在では様々な価値を持つ「少数派」が増加し、代表者が「多数派の利害」を代表することが困難となったのである。

第2に立法府の形骸化があげられる。立法府が議論の場でなく、行政の政策を認可するだけの場となってしまったのだ。すなわち、議会よりも行政権力の方が強大となってしまったのである。いわゆる政治主導のことであり、日本においても国会は議論の場でなく内閣提出法案を認可する場となっている感が否めない(内閣提出法案の成立率は約90%であり、議員提出法案の成立率は年にもよるが、10~20%ほどである)。

f:id:europesan:20180728201502p:plain

では、こうした問題にカウンターデモクラシーはどう向き合うのか。それは、代表の回路を増やすことである。そもそもカウンターデモクラシーは、代表制民主主義の機能不全という文脈で論じられている。代表制民主主義の機能不全は、選挙の機能不全に由来するところが大きい。つまり、選挙を絶対化せずに、代表の手段の一部と捉えることに特徴があるのだ。他の代表手段として、ロザンヴァロンがあげるのは、デモやSNSNGONPO、司法などである。司法に関しては、現在の世代ではなく、先哲の考えを反映するというユニークな考えをロザンヴァロンは述べていた。こうした運動を通じて、選挙以外の時でも政府をコントロールしようというのだ。

f:id:europesan:20180728201516p:plain

かつてルソーはこうした言葉を残している。

「イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。
自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる」(中山、p.192)。

選挙の有効性を疑問視する声は200年以上前から存在していたことになる。実際、選挙は機能不全に陥りつつある。しかし、まったく意味がないのではない。代表者への信頼という機能が託されているのだ。選挙に意味がないと悲観するのではなく、選挙と合わせて、どのような手段を見つけ、行使していくかが重要である。現状の問題点に対処する有効な手立てとしてカウンターデモクラシーをとらえ、自分に何ができるか、市民一人一人の役割を考えていきたい。とりわけ、教育を通じて、何ができるか、カウンターデモクラシーを支える市民の能力に何が必要なのか、知見を深めていきたい。

参考

・ピエール・ロザンヴァロン「ポピュリズムと21世紀の民主主義」pp.58-116、エマニュエル・トッド、ピエール・ロザンヴァロン他著(2018)『世界の未来 ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』、朝日新聞出版

・ルソー著(2008)『社会契約論』中山元訳、光文社

・山本達也「ソーシャルメディアがカウンターデモクラシーに与える影響―情報通信技術と民主主義をめぐる一考察―」pp.91-104(2017)『清泉女子大学紀要』

文書改竄は何が問題なのか

 

 

絶対的権力は腐敗する

19世紀英国のアクトン卿の言葉である。100年以上前の発言ではあるが、現代の民主主義社会においても大きく示唆に富む言葉である。

文書改竄の問題点~民主主義とどんな関係にあるの?~

 

f:id:europesan:20180830153914j:plain

森友学園を巡る財務省の文書改竄問題が報道を賑わせている。まるで政権の政治生命を左右するかのような印象を報道から受ける。それほど、メディアの取り上げ方はすさまじい。

だが、ここでは問題の内容には立ち入らない。マスメディアをはじめ解説コンテンツはあふれているからだ。今回は文書改竄の何が問題なのかを考えたい。

そもそも文書の改竄ってなんなの?

文書の改竄とは、文書内容を偽装したり、書き換えたりと恣意的に書面を操作することである。これが可能なのは、文書を管理する立場にある者かそうした人々に指示を出すことのできる者に限られる。

為政者や官僚の都合によって事実が歪曲されたり、隠蔽されてしまう可能性があるのだ。

それは民主主義という観点から言えば、非常に問題といえる。

民主主義の大原則は市民が自ら判断し、決定することである。そのためには適切な情報公開が必要であり、それが適切な判断・決定の材料となる。すなわち、政府の情報公開は教育的機能を担っているのだ。

しかし、その材料に瑕疵があれば、間違った判断・決定をもたらしうる。政権にとって都合の悪い情報が隠蔽・歪曲されれば、市民の批判能力は大きく減衰し、民主主義が持つ自浄能力は消え去ってしまう。

また手続き上の瑕疵は政治権力の正統性を大きく傷つける

正統性とは支配を受ける人々が支配者に対して、その支配の妥当性を認めていることを表す。支配者とは権力を有する者のことであり、ここでは代議士や官僚など政策決定に携わる者とする。

近代国家の原則は手続きの順守にある。いきなり段階をいくつも越えることは認められない。たとえば、運転免許試験の点数を不正に操作するだとか、自動車の検査で無資格の検査員が資格を行うだとかは決して認められない。適切な手続きを踏まえなければならないのだ。

そうした原則(文書偽造の禁止)を守ることで社会の運営がなされている。

しかし、そもそもそうした原則を設定する側が原則を守らなければ、人々は支配者に対して不信感を抱く。中には幻滅や怒りを抱く人もいるだろう。この結果、政治権力の正統性は大きく減退するのである。

正統性の度合いは政権の安定性に直結する。しかし、批判があるからこそ、問題点が改善され、より良い状態へと変化を遂げるのである。もし問題があっても、適切に情報公開をし、批判を甘んじて受け入れることが代表制民主主義体制における代表者としてふさわしい態度である。そして、その結果として内閣不信任が成立しようが、甘受すべきだろう。文書改竄というのは民主主義の原則を逸脱するものなのだ

民主主義を維持するには不断の努力が必要

丸山真男は民主主義を民主主義として維持するには、不断の努力が必要と言った。それは有権者が選挙に行けば達成されるわけではない。制度を構築する側にも、民主主義を守る努力が必要であり、両者が不断の努力をすることで民主主義は実現するのである。

しかし、権力側にいれば腐敗はどうしても起こりうる。だからこそ、市民が権力者に対して働きかけることで、腐敗を是正することができるのだ。

民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。つまり、自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。(丸山真男『日本の思想』156-157ページ)

『天皇の日本史』『近代天皇論』を読んで、天皇について考えた

先日、皇太子殿下が58歳の誕生日を迎えた。来年には天皇陛下の退位が予定されており、皇室や天皇の在り方に関する議論が論壇を賑わせている。 

にもかかわらず、天皇についてあまりにも自分が無知なことに気付いた。慌てて書店に行って手に取ったのがこの2冊だ。 

 


近代天皇論 ──「神聖」か、「象徴」か (集英社新書)


天皇の日本史 (平凡社新書) [ 武光誠 ]

 

 

 

天皇の日本史』は、天皇に焦点を当て古代から江戸時代までの歴史を紐解いていく。

『近代天皇論』は宗教学者政治学者の対談形式で書かれており、天皇国家神道をベースに明治維新から現代までの歴史を眺めていく。

天皇という存在

どちらにも共通しているのが、天皇は古代から権威として存在していた、ということだ。つまり、歴史の多くの場面で実質的な権力者が権力行使の正当化の道具として天皇を利用してきたのだ。

古代においては天皇「自身」の命令は絶対的なものであり、その伝統が続いているからこそ、権力者の天皇利用が可能だった。

たとえば、平安時代藤原氏天皇外戚関係を結ぶことで自身の権力基盤を形成した。室町時代には足利義満が朝廷の官位(太政大臣)を賜ることで、幕府の権威づけを試みた。近代においては、天皇が過度に神格化され、統帥権干犯問題などが起こった。

権威としての天皇はこうして生まれる

権威として機能するには、人々がその存在に権威を認めなければならない。そうでなければ、人々は権威に従ったり、敬意を抱いたりしない。

権威とは、他の者を服従させる威力のことである。(デジタル大辞泉

天皇の権威を多くの人が認めるには、古代においては臣民に対する、近代においては国民に対する教化が背景にあった。すなわち、古代においては律令体制下における神道の組織化(神祇官の設置)があり、近代以降には国家神道という形で国民が組織化されたことがある。

こうした中で天皇のイメージを周囲の人間が作り上げ、それが人々の行動を規定して行ったのだ。「天皇は神聖だ」「日本は神の国だ」と。

天皇に自ら従う人間を作り上げたという点では古代においても近代においても教育政策は成功したのだろう。しかし、近代におけるその顛末は国家の破滅というものだった。

民主主義における天皇

f:id:europesan:20180830173941p:plain

時に集合的な観念は人々を狂わせる。天皇を絶対化する教育は視野狭窄な集団を作り上げてしまったのだ。

翻って現在の日本は民主主義社会であり、建前とはいえ主権者は国民である。民主主義の究極的な原理は人民による自己決定であり、原理的に言えばその対象は天皇の進退をも含む。 

もちろん天皇は古代から連綿と続いてきた世界史上の稀有な存在であり、日本国民に日々祈りをささげてくださった尊いお方である。 

だからといって、天皇の在り方の議論に蓋をするのはもはや思考停止であり、その態度は健全な民主主義社会の一員のものとは言えない。

多様な考えが認められ、活発な議論が行われることで民主主義は活性化するのだから、議論をして当然なのだ。

タブーを作らず、自分なりの天皇の在り方を考えていきたい。

本書を読んで、天皇という視点から古代から現代までの通史を眺められたことは幸いであった。というのも天皇という神格化しやすい存在を絶対化せずに、相対化する基盤となった。初めから神聖不可侵ではなく、歴史的な経緯があって現在の天皇像が形成されたのだ。

そうした点で素敵な本に出会えたことに感謝である。

説明責任について

 

 

政治学において説明責任という言葉がある。説明責任はアカウンタビリティーといい、アカウンティング(説明)とレスポンシビリティー(責任)を合わせた造語である。この言葉は元々アメリカで生まれたものであり、アメリカ大使館によれば次のように定義されている。

政府の説明責任とは、公選・非公選を問わず公職者には、自らの決定と行動を市民に対して説明する義務がある、ということを意味する。政府の説明責任を実現するため、各種の政治的・法的・行政的な仕組みが使われる。これらの仕組みは、腐敗を防止し、公職者が市民の声に反応できる、身近な存在であり続けることを目的として作られたものである。このような仕組みがなければ、腐敗が蔓延するかもしれない。

 

民主主義における説明責任

代表制民主主義の下では、公職に就いている者(政治家)は委任者(国民)に対して説明責任をもつ。どのような法が、どのような利害関係を持って、どのような過程を通じて作成されたかということについての情報は、国民がより適切な判断・評価を行う上での材料となる。もしも不正が行われていても、情報が明るみになっていれば、国民は不正を糾すことができる。

最近になって、日本でもアカウンタビリティーを重視する潮流が生じている。東京都の小池知事が都政の透明性を重視すると謳ったり、森友学園問題を巡って官邸に対する忖度があったのではないかとメディアが騒ぎ立てたりするようなことが起きているところからも、社会的な潮流として説明責任に敏感になっている人が多くなったのではないかと思う。

確かに民主主義を十全なレベルに保つには国民の知的水準が一定のレベルにあることが必要である。そのために説明責任によって情報が公開されることが不可欠だ。しかし、それはあくまでも代表ー委任関係において重視されるものであり、他の領域においても重要だとは限らない。社会的に敏感な人が多いというのは、裏を返せば他の領域においても説明責任を求める人がいる可能性を示唆している。では、教育における説明責任はどのような位置づけなのだろうか。

教育における説明責任

というわけで教育における説明責任の必要性について考えたい。なぜ教育かといえば、説明責任は権力関係の下で発生するからだ。国民主権の下では国民が国政の最終決定権を有するとされてはいるが、実際は代表者と委任者の間には厳然たる権力関係がある。それは教育においても同様で、教師と生徒(学生・児童)の間にも権力関係はある。しかし、現実に妥協するのではなく、理想は目指すことに意義がある。民主主義社会の一員を育てることが現下の教育政策の目標ならば、幼少期から民主主義に親和的な価値観を育んでいく必要性があろう。

結論として、教育における説明責任は最低限必要である。教育とはある資質・能力を養うことであり、それゆえ獲得できる資質・能力というゴールに関する説明責任は不可欠だと思う。もし最終目標に関する説明がなければ、当然途中経過もわからず、何ができるようになったか、何ができないのかわからない。それはモチベーションを大きく削いでしまうし、教師に対する不信感をもたらしてしまう。一方で、あらゆる活動に説明責任を付随させても、そのコストは相当なものとなるし、時間制約上非常に困難だろう。だから、生徒が最終的に何ができるようになっているかを教師はきちんと説明する必要がある。

ただし、説明責任は教師が果たすべき責任のうち微々たるものである。教師が重きを置くべきは評価である。つまり、生徒が「何ができるようになったか」「何ができないのか」ということを逐次評価することである。そのためにも教師は目標を設定し、どういうステップがあるかを細分化して把握することが必要である。

ただし、どのようなことができるかが分かっても、自分が現在どの段階にいるのかということは中々わからない。そこで教師が適切な評価をすれば、何ができて、何ができないか生徒は理解できる。それがあるからこそ、現状の問題点を改善でき、それを修正すればより自分を高められるというモチベーションにもつながる。できることの積み重ねは小さいながらも成功体験となる。それは自信につながり、その自信の源を作ったという意味で教師に対する信頼が生じる。

ある能力を獲得できるようになるという将来への期待をもち、自分が着実に成長しているという実感を持てるからこそ、生徒は学ぶのである。だからこそ、説明責任に無駄な労力を割くべきではない。教師は不断に生徒を評価し、その努力に寄り添うべきなのだ。果たすべきは努力する姿勢に寄り添い続ける責任である。生徒ができるようになるまでとことん応援しよう。

説明責任よりも考えるべきことがある

最後に教育における説明責任の必要性の問題を考えてみたい。確かに民主主義社会の一員を育むために、幼少期から説明責任が「当たり前」であることはその目的の実現に貢献するかもしれない。しかし、教育という営みは本来的に権力的であり、なにがしかの価値観を育むためには一定の期間、盲目的に提示された課題と向き合うことが重要なのだ。そうして身についた価値観を判断基準として批判的思考や意思決定能力を養う方が自律した個人の育成に資するだろう。したがって、教育において最低限の説明責任は必要ではあるが、民主主義社会の成員を育む上ではそこまで重要ではないと思う。

 

www.yutorix.com

かぼちゃの馬車の問題が教えてくれること

 

 

より安全に、より快適に暮らしたい

こうした欲求の存在は、人類社会を発展させる原動力として機能してきた。しかし、過度な欲求の拡大は人類にとって毒となるようだ。

f:id:europesan:20180830144951p:plain

かぼちゃの馬車問題

都内でカボチャの馬車という女性専用シェアハウスの物件数が急増加している。この物件を管理するのはスマートデイズという企業であり、物件のオーナーはサラリーマンや公務員などの個人が中心である。

スマートデイズのビジネスモデルは、オーナーが管理会社に物件を賃貸し、管理会社は入居者に賃貸するというサブリースと呼ばれるものだ。

簡単に言えば、管理会社が不動産を管理し、毎月の賃料をオーナーに一定額支払う家賃保証のようなものだ。しかし先月、社長自ら支払いが困難であることをオーナーに伝えた。

背景には需要を度外視した急拡大があるという。入居者がほとんどおらず、空き家状態になっている物件もあるそうだ。オーナーの多くは銀行から個人融資を受けており、自己破産のリスクに直面している人もいる。

問題点は二つある

ここでの問題は二つある。

一つは、スマートデイズの事業の在り方つまり需要を度外視した過度な供給である。必要のない物件ができたところで、需要がないのだから、多くの空き家が生まれるだけに過ぎない。

もう一つは、銀行の融資の姿勢である。つまり、融資対象の事業に対する目利きの甘さである。これには構造的な背景がある。

日銀の超低金利政策によって銀行が企業に貸し出す際の金利が低下し、収益が低下した。そうした中で銀行は新たな販路を個人に見出し、結果として個人への融資事業が活発となった。つまり、銀行が自己の生き残りをかけて、新たな金の貸出先を作り上げたのである。

ここでどのプレーヤーにも共通しているのは、それぞれが自己利益の最大化に努めている点である。

そもそも近代社会は個人の自己利益の最大化、つまり欲求の存在を積極的に肯定してきた。そして欲求の存在自体は肯定されるべきである。なぜならそれが人類社会の発展をもたらしたからだ。

より生活を楽にしたいから、農業技術が発達し、食料の生産性が向上した。より遠くへ行きたいから、交通手段が発達した。より安心に暮らしたいから、医療技術が発達した。

では何が問題かといえば、欲求を満たそうとした結果、欲求が満たされなくなったことである。つまり、際限のない欲求の拡大は社会に不利益をもたらすのではないかということだ。

物件の急激な増加は大量の空き家を生み出した。空き家はそれ自体が社会的コストである。また、事業の将来性を無視した融資によって、破産の危機を迎える人が大量に発生するかもしれない。破産までいかずとも、賃料収入が得られなくなった人は借金の返済によって生活は非常に苦しくなるだろう。確かに融資を受けた人の中には安易に「ウマい話に乗った」者もいるだろう。不安定な時代だからこそ、安定した家賃「保証」に飛びついてしまったのも、気持ちはわからないではない。甘い言葉にそそのかされた者がいるのは確かなのだ。

しかし、無責任にも銀行が収益拡大のために安易に融資した姿勢には正直なところ憤りを感じてしまう。

必要性を超過する供給

何度も言うが、欲求自体は肯定されてしかるべきだ。しかし、今回のように需要を無視したり、無理やり需要を生み出したりといった過度な欲求の拡大は自制されるべきだと思う。

なぜなら、欲求の際限なき拡大は社会に不利益をもたらすからだ。かぼちゃの馬車の破綻はそれを如実に示している。

かぼちゃの馬車の問題は社会全体の利益と資本主義をうまく両立させることの困難さを我々に教えてくれる。低成長の時代に突入した今、我々は欲求とどう折り合いをつけていくべきなのだろうか。

 

www.yutorix.com

www.yutorix.com

www.yutorix.com