新卒教員の教科書

教師としての『教科書』がない。だったら自分で作ればいいんだ!そういう思いから始めました。

説明責任について①

政治学において説明責任という言葉がある。説明責任はアカウンタビリティーといい、アカウンティング(説明)とレスポンシビリティー(責任)を合わせた造語である。この言葉は元々アメリカで生まれたものであり、アメリカ大使館によれば次のように定義されている。

政府の説明責任とは、公選・非公選を問わず公職者には、自らの決定と行動を市民に対して説明する義務がある、ということを意味する。政府の説明責任を実現するため、各種の政治的・法的・行政的な仕組みが使われる。これらの仕組みは、腐敗を防止し、公職者が市民の声に反応できる、身近な存在であり続けることを目的として作られたものである。このような仕組みがなければ、腐敗がまん延するかもしれない。

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代表制民主主義の下では、公職に就いている者(政治家)は委任者(国民)に対して説明責任をもつ。どのような法が、どのような利害関係を持って、どのような過程を通じて作成されたかということについての情報は、国民がより適切な判断・評価を行う上での材料となる。もしも不正が行われていても、情報が明るみになっていれば、国民は不正を糾すことができる。

最近になって、日本でもアカウンタビリティーを重視する潮流が生じている。東京都の小池知事が都政の透明性を重視すると謳ったり、森友学園問題を巡って官邸に対する忖度があったのではないかとメディアが騒ぎ立てたりするようなことが起きているところからも、社会的な潮流として説明責任に敏感になっている人が多くなったのではないかと思う。

確かに民主主義を十全なレベルに保つには国民の知的水準が一定のレベルにあることが必要である。そのために説明責任によって情報が公開されることが不可欠だ。しかし、それはあくまでも代表ー委任関係において重視されるものであり、他の領域においても重要だとは限らない。社会的に敏感な人が多いというのは、裏を返せば他の領域においても説明責任を求める人がいる可能性を示唆している。次回は他の領域の中でも教育における説明責任の必要性について考えたい。