新卒教員の教科書

教師としての『教科書』がない。だったら自分で作ればいいんだ!そういう思いから始めました。

書評「天皇の日本史」「近代天皇論」

先日、皇太子殿下が58歳の誕生日を迎えた。来年には天皇陛下の退位が予定されており、皇室や天皇の在り方に関する議論が論壇を賑わせている。にもかかわらず、天皇についてあまりにも自分が無知なことに気付いた。慌てて書店に行って手に取ったのがこの2冊だ。 

天皇の日本史 (平凡社新書)

天皇の日本史 (平凡社新書)

 

 前者は、天皇に焦点を当て古代から江戸時代までの歴史を紐解いていく。後者は宗教学者政治学者の対談形式で書かれており、天皇国家神道をベースに明治維新から現代までの歴史を眺めていく。

 

どちらにも共通しているのが、天皇は古代から権威として存在していた、ということだ。つまり、歴史の多くの場面で実質的な権力者が権力行使の正当化の道具として天皇を利用してきたのだ。古代においては天皇「自身」の命令は絶対的なものであり、その伝統が現代まで続いているからこそ、権力者の天皇利用が可能だった。たとえば、平安時代藤原氏天皇外戚関係を結ぶことで自身の権力基盤を形成した。室町時代には足利義満が朝廷の官位(太政大臣)を賜ることで、幕府の権威づけを試みた。近代においては、天皇が過度に神格化され、統帥権干犯問題などが起こった。

 

権威として機能するには、人々がその存在に権威を認めなければならない。そうでなければ、人々は権威に従ったり、敬意を抱いたりしない。天皇の権威を多くの人が認めるには、古代においては臣民に対する、近代においては国民に対する教化があった。すなわち、古代においては律令体制下における神道の組織化(神祇官の設置)があり、近代以降には国家神道という形で国民が組織化されたことがある。こうした中で天皇のイメージを周囲の人間が作り上げ、それが人々の行動を規定して行ったのだ。「天皇は神聖だ」「日本は神の国だ」と。

 

時に集合的な観念は人々を狂わせる。翻って日本は民主主義社会であり、建前とはいえ主権者は国民である。民主主義の究極的な原理は人民による自己決定であり、原理的に言えばその対象は天皇の進退をも含む。天皇は古代から連綿と続いてきた世界史上の稀有な存在であり、日本国民に日々祈りをささげてくださった尊いお方だ。だからといって、天皇の在り方の議論に蓋をするのはもはや思考停止であり、その態度は健全な民主主義社会の一員のものとは言えない。多様な考えが認められて当然なのだ。タブーを作らず、自分なりの天皇の在り方を考えていきたい。素敵な本に出会えたことに感謝である。