Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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財政の機能

 

 

来年度の概算要求基準が決まった。早い話が、来年度に各省庁の使える予算がどのくらいかが決まったわけである。ここで財政に関してしっかりと理解する必要性を感じたので、まとめてみたい。

財政とは「政府が税金を徴収したり、公債を発行することで資金を集め、それを元手に支出を行う経済活動」である。予算規模が100兆円を超えることもあり、政府が経済に与える影響はきわめて大きい。そもそも、政府が経済活動に介入する理由は何なのか。それは市場が万能ではないからである。

では市場とは…

市場とは「需要者と供給者が財・サービスを貨幣を仲立ちに交換する場」である。つまり、商品が売買される場のことだ。経済学的な理想では、市場を通じて資源が最適に配分される。しかし、実際には資源が最適に配分されるわけではない。現実には市場の失敗が生じるのだ。たとえば、警察という公共サービスを例にとろう。警察の供給を民間に任せれば、対価を支払える人はその恩恵を享受できるが、支払い能力のない人はサービスの対象外となる。治安維持という社会全体に不可欠なサービスは市場では供給が困難なのである。富裕な地区はセキュリティが充実する一方で、貧困地域は治安が激しく悪化する。警察機能の供給の有無がアメリカのゲーテッド・コミュニティのような状況が生じうる。このように、公共的な財・サービスの供給は市場だけでは最適に配分されない。

だからこそ、政府の役割が重要になってくる。民間ではうまくいかない機能を代わりに政府が担うのである。財政には3つの機能があり、第1の機能が「資源配分」である。第2に所得の再分配であり、第3に「景気の自動調整機能」である。

第1の機能:資源配分

まず第1の「資源配分」機能が必要とされるのは、市場では公共財が適切に配分されないからである。ここにおける「資源」とは生産要素のことであり、主に「土地(天然資源など)」「資本」「労働」の生産の3要素を指す。すなわち、「資源配分」機能とは、公共財を生産するためにどの資源をどれくらい配分するかということに関するものである。たとえば、一般道路という公共財を生産するために必要な資源を考えてみよう。まず、道路を建設するためには用地(土地)を買収する必要がある。材料にはアスファルトと砂利(天然資源)が必要だろう。そして、それらを元に作業員(労働)がローラーなどの建設機械(資本)を使用して、工事を行う。政府が資金を生産要素に投入することで、公共財が提供される。

もしこうした公共事業を民間企業が行うとどうなるか。民間企業(私企業)の目的は利潤追求なので、建設にかかったコストを回収するために道路利用者から利用料を徴収するだろう。それでは財の恩恵にあずかれない人が生じてしまう。だからこそ、政府の役割が重要なのだ。

第2の機能:所得再分配

次に第2の「所得の再配分」機能について見てみたい。市場は資源を最も効率的に分配するシステムである。しかし、それはあくまでも「効率的」であり、「平等」「公平」に分配するシステムではない。自由競争を基幹とする市場システムにまかっせきりであれば、貧しいものはより貧しく、富める者はより裕福になることもある。格差が著しく拡大するような状況は、平等を旨とする近代以降の社会通念や民主主義に著しく反する。こうした背景から所得の再分配を政府が行うようになった。具体的には高所得層から低所得層へと所得が配分される。政府は累進課税という形で高所得者から税を徴収し、社会保障や義務教育費の負担などで低所得者へとサービスなどの形で所得を還元する。時には児童手当のように現金で分配する方法もある。

第3の機能:景気の自動調整機能

第3の景気の自動調整機能は、公共投資や減税(増税)などを通じて景気の安定化を目的とするものである。不況期には減税や公共投資の減少、好況期には増税公共投資の増加などで景気が安定化するというものだ(他に裁量的財政政策もあるがここでは触れない)。こうした機能が求められたのには、歴史的な経緯がある。そのきっかけは今から約90年前に遡る。1929年、ニューヨークで株価が大暴落した。世界恐慌の始まりである。それまでの経済学的常識では恐慌は起きないと「されていた」(実際には19世紀においても不況はたびたび生じている)。というのも、古典派経済学においては「供給は自ら需要を作り出す」というセイの法則が常識とされていた。つまり、商品を生産すれば(供給)、必ず購入され(需要)、当然失業者も発生しないという供給側中心の論理が取られていたのである。

しかし、実際には売れ残りも失業者も発生する。不況という市場の失敗が生じたのだ。ここでケインズという経済学者はセイの法則を批判し、需要が供給に先行すると主張した。すなわち、商品が売れないのは需要が不足しているからであり、だからこそ、需要を作り出すことが必要だとしたのである。ただし、この場合における需要とは、商品を購入できる金銭的な裏付けのあるものであり、それをケインズ有効需要と呼んだ。政府が公共投資などを通じて失業者を雇用し、給与を支払うことで、有効需要が創出できるとされた。ここにおいて、政府が経済活動に積極的に介入することが求められるようになったのである。

市場はいつでも成功するわけではない。市場の失敗はいつでも起こりうるからこそ、財政が必要なのだ。

さて、財政活動は税金が主な原資となる。公共財を提供しようにも、税収入が不足していれば、公債を発行して補わなければならない。もし債券が発行できなければ、自由に財政活動はできないだろう。現状のような財政規模の拡大は、国債発行が無制限だからこそ可能なのではないだろうか。つまり、税金を増やさずとも、財政政策を行えるのは政府が自由に資金を調達できるからなのではないだろうか。歴史的に見れば、財政問題が国家の破綻をもたらしてきた。革命の発端は課税の拡大である。次回は政府の無制限な国債発行について考えてみたい。

 

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これからの時代のリーダー

 

 

「多数派」というものが形成されにくい世である。

現代社会は多様な価値観が共存する社会である。ウルリッヒ・ベックはこうした現代社会の現象を「個人化」と呼んだ。個人化とは、従来の価値観や慣習が共通認識・了解とはならず、個人が多様な価値観や慣習を選択するようになった現象を指す。たとえば、「定年まで一つの企業で働く」という雇用モデルは労働市場の流動化でもはや成り立たなくなりつつあるし、そもそも人生100年時代と言われる中で定年という概念が今後も妥当性を持つかは全く分からない。また、結婚や出産などのライフスタイルも、事実婚などといった形で多様化している。

個人化、グローバル化少子高齢化

現代社会が直面する社会変化は個人化にとどまらない。それがグローバル化少子高齢化であり、それらの急速な進行は様々な問題をもたらす。すなわち、今後の社会は個人化が一層進むと同時に、外国人の流入に伴うトラブルや少子高齢化による人口減少や社会保障給付の問題など、課題が頻発する社会となる。そうした中で求められるのは、主体的に課題解決に取り組む姿勢を持つ人材である。

それには理由が2つある。第1に、個人化が進んだことで政府の課題解決能力が著しく低下したからである。高度経済成長期においては、「多数」の有権者と政治家の利害が一致していた。たとえば、地方からは公共工事を通じたインフラの整備が求められたり、経済界からは護送船団方式が求められたり、多くの場面で「多数派」が形成されていた。それは一定程度の社会的な共通了解があったからである。生涯ある地域に暮らしたり、特定企業に生涯勤めるということが当たり前の時代においては、共通の利害を形成しやすく、それゆえ多数派が形成されやすかった。

第2に、経済が縮小したことで、政府の課題解決能力が低下したからだ。日本の財政支出はおよそ97兆円である。しかし、財政収入のうち税収でまかなえているのは58兆円である(2018年)。税収の不足分は国債で賄わなければならない。日本では1975年から毎年特例国債が発行されており、借金の増加は財政の硬直化をもたらす。つまり、借金返済に毎年追われているため、従来の財政政策のパフォーマンスが発揮されないのである。たとえば、高齢化の進行に伴って社会保障関連予算は毎年増加していくが、同時に国債費(借金返済のための支出)も増えていくので、その支出を賄うために国債を発行するために、財政政策の裁量がどんどん減少していく。限られた予算は分配対象の減少をもたらす。少ない予算の奪い合いが起り、脱落者、すなわち政府によっては救済されない人々が生じるのである。そもそも、個人化が進めば財政政策へのコンセンサス自体が得られない可能性もあるのだ。

現代社会のリーダー像

こうした背景を踏まえれば、これからの社会に求められるものは民間の課題解決能力といえる。では、具体的にどのような人材が求められるのか、すなわちどのようなリーダーが必要とされるのかを検討してみたい。まず必要な感覚は共感できることである。社会には様々な課題がある。課題というのは「誰か困っている人がいる」からこそ、「課題」といえる。困っている人に手を差し伸べる原動力となるのは、「その人を助けたい」「自分がその立場だったらつらい」といった共感する心だろう。

そして、次に必要な能力は発信力である。いくら社会課題を解決しようと考えても、一人でできることには限界がある。そうした時に、同じ課題の解決に興味を持つ人を惹きつけ巻き込んでいくには、自分の思いを表現することが重要な手段となる。SNSが発達し、遠く離れた人とも瞬時につながることのできる現在において、自分の感覚と近い人間とすぐつながることができる。そのときに表現力を持っているかどうかはフォロワー獲得に大きな影響を与える(この場合の表現力とは文章だけでなく、動画や画像などのメディア、プレゼンなどのバーバルコミュニケーションジェスチャーや目線などのノンバーバルコミュニケーションなどコミュニケーション全般に関連する能力と言えよう)。個人化が進んだ社会においても、同じような感性を持つ人間を探すのはSNSを用いれば容易にできるだろう。

最後に、情報収集・課題発見・分析などの知的能力が求められる。そもそも課題を発信するにはまず課題を発見しなければならない。そして社会課題を発見するには、社会に関して一定の知識を持つ必要がある。どこに何が生じているのかを理解するには、社会の構造や現象、そしてそれに伴って起きる問題など前提となる知識を身につけなければならない。そうした知識を用いて分析を行い、どのような解決方法があるかを考える。つまり、社会に関する知識と課題の背景や解決策の分析、そして表現は連関した営為なのである。そして、その前提には共感というパッションを有するという条件があるのだ。発見した課題を困っている人から聞き取り、真摯に向き合うこと、すなわち傾聴力が必要なのだ。

確かに、現代において多数派は形成されづらい。だが、それは時代の変化を表す一側面に過ぎないし、むしろ個人が動きやすい時代だということを意味している。だからこそ、民間の活力ある社会を目指して教育活動に取り組んでいきたい。次回はこうした人材を育てるにはどのような教育が必要か考えてみたい。

 

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現実を見据えるために~書評『アドラーの教え』

「このクラスはやりづらいな…」「このクラスは話を聞かないな…」

授業中に反応が薄かったり、生徒が寝てしまうと、ふとこんな考えを抱いてしまうことがある。思考とは恐ろしいもので、ふと何となく考えたことでも脳内で反復されてしまうと、それが行動に反映される。つまり、単なる感想にすぎなかったものが、「反応があるかな…」「話を聞いてくれるかな…」といった不安となり、それが体を緊張させる。不安から、本当に授業がやりづらくなってしまうのだ。こうなってくると、軌道修正が困難になってくる。

あ~授業に行くのが億劫だな~

こんなふうに行き詰まっている時に出会ったのが本書だった。

読んでみて衝撃が走った。

「考え方を変えただけで、こんなにも勇気が湧いてくるのか」

特に私が参考になった箇所は次の3つである

①誇張

②課題の分離

③共同の課題の探求

①誇張

授業をしている中で「このクラスは寝る生徒が多い」だとか「このクラスは話を聞かない」というふうに思ったことがあった。しかし、それは誇張に過ぎない。

実際に授業中の生徒の様子を観察してみると、寝ている生徒は一部の生徒で、起きて勉強している生徒が大部分であることに気づいた。あまりにも寝ている生徒に焦点を当てすぎて、現実が見えていなかったのだ。

私たちが悩みを持つと、「基本的な誤り」が悪さをして、正常な判断力を失わせます。本当は自分に好意を持っている人もいるのに、すっかり見落としてしまうのです。実際は、世の中には苦手な人ばかりなどということは決してありません。苦手な人もいるというだけです。(岩井俊憲『アドラーの教え』P28))

本書を読んで、心のウソに気づくことができた。しかし、本書の効用はこれだけではなかった。

②課題の分離 ③共同の課題の探求

生徒が寝てしまったり、不機嫌そうな表情をしていると、基本的に何か自分に非があるように感じてしまう。

「授業がつまらないかな」「なにか悪いことをしたかな」

まずこうした言葉が頭をよぎっていた。だけれども、本書は次のように述べる。

人間関係に苦しむ人は、相手の言葉や行為、気分、感情、悩み、問題、性格などの影響を受けすぎてしまっています。(同P96)

真の人間関係を築くためには、まずしっかりと自分を肯定して、自分の課題と相手の課題を分離することが大切です。「相手の気分、感情、行動は私の責任ではない」「相手には相手の都合があるんだ」。切り分けて、発想するだけで、気分が楽になるはずです。そして、建設的な関係を作るために、共同の課題を見つけてみましょう。

(中略)

相手の課題と自分の課題を切り離した上で、共同の課題を探していけばよいのです。(同P96-97)

たとえば生徒が眠っていたり、眠そうにしているのは、昼食が終わってすぐの授業だから、消化活動のために眠いのかもしれない。

あるいは1限目であれば、部活動の朝練があったからかも眠いのしれない。あるいは教材が面白くなかったからかもしれない。

後者であれば私自身に改善の余地があるが、前者であれば私自身の問題ではなく、相手の問題である。このように自他の課題を分離した上で、どうすれば授業時間を楽しく、学びのあるものにできるか、が教師として考えるべきことである。

悩みすぎると現実が見えなくなる。具体的に「誰が」どのような状態にあるのか、「なぜそうなのか」相手側の立場に立ち、どうすればお互いのためになるのか、しっかりと考え、現実を直視していくことが地に足の着いた態度を養っていくのだろう。心構えを作るというところで、本書には大いに助けてもらった気がする。

結局悩みというのは、考え方やモノの見方に行き着くことが多い。血肉にするまで何度でも読み返そう。

江戸幕府の役人に学ぶ

 

 

世の中で「先生」と呼ばれる職業との営業の際には、一般の顧客以上に説明を要するらしい。基本的に疑ってかかるために、多くの情報を提供しないと信用しないからだそうだ。そんなことを営業職の方から聞いた。

自身の利益がかかっているのだから当然の態度だとは思うが、これが国益という広範な範囲にまたがる利益であれば尚一層のこと求められる態度なのだろう。しかし、人はしばしば相手の情報をうのみにしてしまう。その結果として、大きな損失を被ることもある。そうした戒めのモデルケースとして江戸幕府の役人に学ぶことは多い。

舞台は160年前

今から160年前、日本とアメリカとの間で通商条約が結ばれた。日米修好通商条約である。すでに1854年日米和親条約で日本は開国しており、通商条約の締結自体は必至のことであった。問題は積極的に開国するか、やむを得ず開国するか、ということだった。そうした状況下、国際法も十分に理解していない幕府の役人が対外交渉に臨んだのであった。

ハリスは江戸に赴いた際、当時の老中堀田正睦の自宅を訪ね、大演説を行っている。その内容は次のようなものだ。

アメリカの「親友のような」日本との友好関係

アヘン戦争に見られるイギリスの脅威

クリミア戦争、アロー戦争によるイギリス・フランスの脅威

アメリカがいずれの戦争にも参加しなかった平和主義の国であること

アヘン貿易をするイギリスの害悪、アヘン害悪の忠告

(井上勝生『日本の歴史18 開国と幕末変革』講談社学術文庫、p.217:一部省略および改変)

堀田はハリスの演説に圧倒されたそうだ。しかし、情報を鵜呑みにすることはなかった。演説の内容はすべて記録され、勘定奉行によって全ての情報が点検された。その結果、以下のことが判明した。

明らかになったのはハリスのウソ

まずアメリカが平和主義の国であるということに関して、メキシコとの戦争でアメリカがカリフォルニアを奪取したこと、その後、賠償金の代わりにニューメキシコを奪取したという事実から、アメリカが非侵略国であるという説を否定している。

また、アメリカがアヘンの害悪を忠告する友好論に関しても、アメリカがトルコのアヘンを中国に運んでいるという記事を見つけ、ハリスの虚言が暴かれた。

こうしてハリスを徹底的に批判した勘定奉行たちの点検が、堀田の外交路線に反映された。つまり、積極的にではなく、やむを得ず開国するというものである。その後、日本国内で貨幣流出や輸出超過などに伴うインフレといった経済的混乱が生じたことからも、やむを得ず開国という決断は適当だったのではなかろうか。国際法の理解は不十分だったとはいえ、事実を見極め、冷静かつ慎重に判断を下した江戸の役人の態度は、決断を下す局面において大いに参考となる。

不易と流行…時代が変わっても変わらず大切なものがある

利益がかかっている局面において、このような事実を見極める態度の重要性は現代でも変わらない。アメリカの輸入製品への関税引き上げに対して、中国やEUが報復措置として米製品への関税引き上げを行った。そうした事象の背景には、首脳陣の交渉だけでなく、表舞台には出ない外交官たちの苦悩もあることだろう。外交交渉というものは激しさを伴う。国益を左右する立場にいるという重圧は想像を絶するものであり、時には相手を委縮させるためのハッタリも必要だろう。それはどんな時代も変わらない。

ハッタリを多用し、しかも現下の貿易紛争の渦中にいる人物といえば、トランプ大統領だ。トランプ氏が大統領に就任してからまもなく1年半が経とうとしている。半年前の記事であるが、彼が就任してからついたウソの数は2140に上るという(2018年1月時点で2140である)。

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現代は情報が氾濫している時代である。何が真実かを見極めるには、一次情報などの資料を読み込み、当該情報と照らし合わせ、つぶさに点検していく態度が重要なのだろう。それは国益に限らず、個人の利益においても同様である。ポピュリストが甘美な言葉を国民に投げかける政治状況においても、金融機関が「必ずもうかる」という誘惑をかけ、融資を持ち掛ける経済状況においても、江戸幕府の役人のような態度を持っていれば、甘い言葉に騙されることはない。冷静に事実を見極め、自分自身で判断を下すことを大事にしていきたい。

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歴史を学ぶ意義

 

 

実際の教壇に立って歴史を教えていると、生徒が歴史を学ぶ意義とは何なのだろうかと考えることがある。

しかし、業務が忙しいと甘えては検討をしてこなかった。正直なところ、生徒の将来において歴史学習がいかに貢献するか、歴史を学ぶ意義は何か、そういうところでの確信が持てないから、こうした悩みが出てきたのだ。それにもかかわらず、考えることをサボってきたために授業に自信が持てない。全く持って負のスパイラルである。

ここで負の循環を断ち切るためにも、今一度歴史を学ぶ意義について考えてみたい。

 歴史とはなんだろうか

そもそも歴史とは社会の変遷を記述したもの

社会の変遷の記述が歴史だとすれば、その最前線に記述されるものが現代社ということになる。

だからこそ、歴史を学べば、現代の社会に対して相対化という視点を持つことができる。

相対化というのは、物事を一面的にとらえず、ある事柄を絶対的なものではないと捉えること

たとえば、夫婦同姓という現代における「常識」も歴史的に見れば、明治時代に制度化されたものであり、それ以前までは統一的な制度は存在しなかった。

こうした経緯を知ることで、夫婦同姓を絶対視するのではなく夫婦別姓という選択肢を持つことができるのである。

(例として夫婦別姓を持って来ましたが、私自身の立場は上記のものとは限らないことを申しておきます)

 相対化ができなければ

では、もし相対化できなければ、どのようなことが起きるだろうか。現在において当たり前だととらえている常識やルールなどを絶対視すれば、それを変化させようという態度は生まれない。

ルールや制度というのは必要性があるから作られる。しかし、社会が変化すれば、その必要性自体も消えてしまう

そうした中で存続したルールは形骸化してしまう。つまり、ルールを定めた当初の状況と現実の社会状況が乖離しているにもかかわらず、それを変化させないがために、混乱が生じたり、それによって苦しむ人が生まれるのである。まさしく手段の目的化という事態が生じてしまうのだ。

 江戸時代の武士は時代の流れを読めなかった

たとえば、江戸幕府は農民からの搾取を前提として制度設計された。すなわち、農民からの年貢収入を武士が得ることで江戸幕府は成立していたのである。

武士は年貢を集めた後、それを換金し、生活物資などの購入資金に充てていた。

やがて、江戸が発展し人口が増加するにつれ、彼らの生活を支える消費財の栽培が盛んになった。つまり、米だけでなく、明かりとなる蝋や染料である藍などの商品作物の栽培が全国各地で盛んになったのである。

こうした生活必需品の価格が高騰する一方で、米の価格は上がらなかった。

その背景には享保の改革における新田開発など収穫量の増加などがあった。米の収穫量の増加は、米の価値の低下をもたらす。

そうして、価格の下がり続ける米を換金して、価格の上がっていく生活必需品を購入する武士階級は必然的に困窮していったのである。金を使う(消費する)しかないのに、金をより稼ぐ手段(生産)はほとんど限られているからこそ(戦争に伴う褒賞や収奪の機会が平和になったことで消失した)、それは不可避だった。

貨幣経済の進展という社会の変化に対して、米本位制を絶対視する幕府は時代の変化に対応することができなかったのである(田沼意次のような時代に適応しようとした改革者もいたが)。

 相対化はどんな教育的価値をもつのか

相対化の視点を身につけることは、社会を変化させようという態度の獲得につながる。

社会は個々人から成る人工物であり、自らが主体的に作り替えていくものである。よりよくしていこう、よりみんなが幸せになるような社会にしよう、そうした態度が社会の一員には求められるのではないだろうか。

主体的な社会の一員を育成するためには、相対化の視点を持たせることが必要なのだ。

生徒の日常には相対化できるものであふれている。

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たとえば「先輩や上司を敬う」という「常識」は朱子学に遡れるであろう。相対化の視点を持たせるには、日常の疑問を授業において取り上げ、生徒に投げかけることが重要だ。

だからこそ、教師に求められることは、現在における「当たり前」という感覚を捨て、日常的に疑問を持ち、またその疑問を調べ、考えていくことだろう。

今のニーズ・潮流を知るためにも、ニュースを見て、新聞を読み、様々な人と出会うことが重要である。そして、そうして得た情報や疑問を丹念に調べ、歴史的に考察し、その変化を生徒に考えさせる。その過程を通じて、生徒は社会認識を深めていく。

歴史を学ぶ意義

歴史を学ぶ意義は相対化の視点をもつことにある。

さらにいえば、今の社会をより深く考えることともいえる。そのことを踏まえて、これからの授業を再構築していきたい。日本史では、世界史では、地理では、政治経済では、現代社会では、倫理では、と。いったいどんなふうに相対化ができるか、考え続けていこう。

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論文「平等と格差の社会思想史」まとめ

 

 

右を向いても「格差」、左を向いても「格差」である。

格差が社会的に「問題」として認識されているようだ。書店に行けば、「格差」を冠した本が平積みにされているし、ニュースでも格差に関する言説が飛び交っている。今回とりあげる論文では、格差と平等という概念が歴史的にどのようにとらえられてきたのかが詳細に書かれている。著者はフランスの歴史政治学者、ピエール・ロザンヴァロンである。

格差の問題点

そもそも格差の何が問題かと言えば、それが人々の公共心を失わせるからである。

人々がそこに格差があると痛感するのは、異なるルールが別の集団に適用されていると感じているときだ。彼らはダブルスタンダード、そして自分たちに有利なようにゲームを操作し、管理する人々に対して強い憤りを示す。こうした感情は社会的不信を高め、これによって、福祉国家の正統性も損なわれる。課税に対する嫌悪感が蔓延し、だれもが自己利益を重視した行動をとるようになり、最終的にパブリックマインドが損なわれる。(p.54)

「異なるルールが別の集団に適用されている」というのは、特定の集団のみを優遇するということだ。加計学園が国家戦略特区で優遇されたかもしれないという疑惑は、まさにそれにあてはまるだろう。そうした人々の猜疑心が高まれば、社会的不信、ひいては政治不信が高まっていく。

 格差に対する認識の推移

さて、ここで格差について歴史的に見ていきたい。19世紀まで遡ると、社会のあらゆる考えの中で中核的な考え方は「個人の責任」論であった。当然、格差の原因も個人によるものだとされた。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、格差というのが社会的な要因によるものだとされる。ここで、格差は政府にとって大きな問題となる。

政府にとって格差が問題視されるようになったきっかけは、労働運動と普通選挙制度の導入だった。社会主義思想が労働者に浸透し、プロレタリア革命が起こるのを防ぐために、各国は社会保障政策などを通じて福祉国家への道を歩んだ。1917年にソビエト連邦が成立したことで、労働者による革命は現実的な危機となった。そして、その12年後には世界恐慌が発生した。そうした中で、各国政府は、共産主義対策の一環で、格差是正の政策を打ち出していったのである。

また、ロザンヴァロンは第一次世界大戦を経験したことの重要性に関しても言及している。戦争は、人々が国家というコミュニティの一員であることを認識させた。戦争体験の共有は人々を連帯へと向かわせた。この連帯意識が、所得再分配政策へのコンセンサスを生み、福祉国家の基盤となったのである。

 近年の格差への潮流

しかし、ここ数十年で、再分配政策を通じた格差是正政策という流行は消えつつある。その背景には、共産主義が崩壊し、労働運動への危機感が消え、プロレタリア革命が現実感を失ったことがある。政府にとっての懸念は、革命よりも移民やテロ、治安などの問題へと変化したのだ。

この背景をロザンヴァロンは以下のように述べている。

殆どの国は二度の世界大戦に深く関与したが、その後、長期的な平和の時代が続くと、連帯責任と共有する運命を象徴する国家コミュニティへの帰属意識も薄れていった。かくして福祉国家は深刻な危機に直面した。財政的理由からだけでなく、個人の責任が社会生活を規定する要因として復活したことで、社会的危機という概念さえ形骸化した。(p.52)

ここにおける社会的危機とは、簡単に言えば、社会的な統合が崩壊しつつある状況を指す。しかし、そもそも個人の責任を当然視するようなバラバラの社会では、統合の欠如した状況は危機ではなく通常時と変わりがない。したがって、それはもはや危機ではない、という意味で形骸化していると述べているのだ。

このような状況の出現は、格差是正政策を促す外的要因の消滅を意味する。しかし、ロザンヴァロンによれば、格差を是正しようという試みが新たに2つ生じているという。

1つがポピュリズムであり、もう1つが機会の平等を重視した運動である。しかし、前者に関しては、排外的な平等を推進するという点で欠陥があり、後者に関しては、機会の平等が個人を前提にした考えであるために、突き詰めると無秩序な社会を生み出してしまうという欠陥を持っている。では、どうすべきか。

 解決策は

ロザンヴァロンによれば、共同体の絆を目安にした平等を構築すべきだという。その平等は次の3つから成る。①人々が(個人主義ではなく)市民間の相互関係、まとまりをもっていること、②(他の人々や組織との)相互関係が成立していること、③(コミュニティ全体の)コモナリティ(共有性)への認識が存在することである。

とりわけ、社会における相互関係の回復が、平等社会創設の重要な第一歩という。

相互関係としての平等とは、まず何よりも、扱いと関与の平等を意味する。制度への信頼を維持するには、特殊利益を優遇する法律を見直し、国の活動全般の平等性と透明性を高め、社会保障制度、税制の乱用を食い止めなければならない。(p.54)

政治不信の背景には、相互関係の欠如があるのかもしれない。そこで、ロザンヴァロンは教育について提唱する。

平等な社会に必要な第3の要素とは、社会を支えるコミュニティ意識をはぐくむことだ。(p.54)

彼が理想とするのは、共同社会を作り上げるために、社会の一員としての活動に参加する人々である。彼はこうした市民像をコモナリティと呼んでいる。

個人化が進展した現代社会において、一元的な価値観で社会を規定することは不可能である。だからこそ、「抽象的な普遍主義、あるいは特定のアイデンティティを基盤とする共同体主義ではなく、むしろ、個人の特異性を開花させ、それを認める社会が必要になる」。ポピュリズムのようにナショナリズムを喧伝したり、人権のような「普遍主義」に傾いたりしては、平等は実現されないのである。

格差は、政治制度や経済制度を空洞にしてしまう。格差を助長する要因を除去するには、異なる個人を尊重し合うこと、相互関係によってつながった社会、社会的コモナリティを基盤とする民主的平等のビジョンが必要となる。それこそが、公共政策のコンセンサスを形成し、経済的な格差だけでなく、社会的平和と協調への指針ともなるだろう。ロザンヴァロンはそう述べて、論文を締めくくる。

まとめ・疑問

  • カウンターデモクラシーとの関連はどうなっているのか…連帯した社会が政府に対して反抗するのか?
  • 相互関係によってつながった社会とは、たとえばどういった社会か。
  • 社会的コモナリティを基盤とする民主的平等とは…社会参加という関与に関する平等のことか。
  • 冷戦時代のように、国家が一丸となって対処すべき敵が存在しないことが、福祉国家衰退の一因となった。
  • 再分配政策があまり実施されなくなったと書いてあったが、日本においてはどうなのか、政策面に関する検討が必要であろう。

参考

ピエール・ロザンヴァロン(2016)「平等と格差の社会思想史——労働運動からドラッカー、そしてシュンペーターへ」フォーリン・アフェアーズ・レポート2016年2月号、pp.47-55

 

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お金の歴史とこれから

 

 

おくりびと

10年前なら「納棺士」だけを意味したこの言葉も、今では全く異なる意味が加わった。「億り人」、つまり仮想通貨で一億円以上の収入を得た人物を指す言葉として一般的になりつつある。今朝の日経新聞の記事に、2017年度の仮想通貨取引を含めた収入で1億円を超えた人が331人だったとあった。

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仮想通貨の登場のように、経済の動きはめまぐるしい。その中心的な存在としての貨幣について、前回に引き続き考えたい。今回は歴史的な観点から貨幣について整理していく。

前回みたように貨幣には、交換手段、決済手段、価値尺度、価値貯蔵という4つの機能があった。では、貨幣が存在する以前、人々はどう生活していたのだろうか。

貨幣以前の社会

産業というのは気候や土地の状況と密接にかかわっている。海沿いの地域であれば、漁業が盛んになるし、肥沃な平野であれば農業が盛んになる。しかし、人は水産物のみ、あるいは農産物のみを食して生活しているわけではない。食卓に魚だけでなく、米や味噌汁があることで、豊かさを享受する実感を持っただろう。それは古代人も同様である。自分が必要とするものと相手が必要とするものとの物々交換が、貨幣登場以前の経済生活であった。たとえば、黒曜石やサヌカイトなどの交易の跡が日本各地にあるが、これらも物々交換の証拠だろう。

 市の成立

しかし、古代には、どこでも取引できるようなメルカリなどの便利なサービスはない。GPSのない時代に、取引相手を見つけるのは至難の業だっただろう。よしんば、取引の相手を見つけても、そもそも相手が必要とするものをこちらが持っていなければ、取引は成立しない。そこで、市(マーケット)という仕組みができた。様々な人がものを持ち寄って同じ場所に集まれば、取引が成立するのである。特に余剰生産物ができる農業の発展に伴って、市ができていった。ヨーロッパでは中世に、日本でも鎌倉時代に市が盛んになるが、その背景には、自給自足以上の取り分を人々が得たことがあった(ただし、貨幣の登場と、統一的な貨幣の普及は別次元の話である。)。

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物品貨幣が登場した

このように、市が開かれたことで、取引は活発になった。物々交換というのは非常に非効率的である。しかし、食材の場合であれば、取引までの間に腐ってしまうか傷んでしまうため、遠隔地との取引はほぼ不可能となる。そこで発明されたのが、貨幣である。初期の貨幣としては、商品との交換の際に使うことができ、かつ人々が価値(すなわち希少性)を認めるものが使用された。たとえば、古代中国では子安貝が貨幣として使用された。その名残として、お金に関する漢字には「貝」が入っている。たとえば、「貨」幣、「財」、「資」金、などである。また日本ではが貨幣として用いられていた。米のことは「稲」という。昔は稲を「ネ」と呼んでいたのが、いつからか「値打ち」の「ネ」として定着していった。また、も貨幣として使われた。というのも、貨幣の「幣」は布を意味する言葉である。それが現在の日本語にも残っているのである。

だが、米や布は長期間の保存に適していなかった。また、貝も大量に取れれば、インフレを起こしてしまう。そこで、長期間保存でき、希少性がある金属が貨幣として使われるようになった。それが、金や銀、銅であった。特に金はさびることがないので、非常に重宝された。そして、経済の規模が拡大していくとともに、貨幣の需要が増加していく。

 紙幣の登場

しかし、金属は非常に重いため、決済の度に持ち寄るのは非常に効率が悪い。そこで登場したのが両替商である。両替商はまず金や銀を預かる。そして、預かり証というのを発行する。預かり証を取引の際に利用し、相手はそれを両替商に持ち寄れば、取引分の金をもらうことができる。つまり、そもそも紙幣は金や銀との交換の裏打ちがあって効力を有していたのである。ちなみに、世界最初の紙幣は中国の宋代で発行された「交子」である。宋代は経済が大いに発展したため、当時用いられていた銅銭の供給が追い付かず、銅よりコストの安い鉄銭が大量に鋳造された。しかし、鉄は銅よりも重かったために、取引の利便性向上を目的として、銅や鉄との交換を保証した「交子」が発行されたのである。

話を戻そう。両替商はやがて銀行に形を変える。明治時代になって爆発的に銀行が増加したが、両替商の頃と変わらず「紙幣」を発行することができた。つまり、現在のように日本銀行だけが紙幣を発行しているわけではなく、民間銀行が自由に紙幣を発行できたのである。民間銀行は、1879年までに第153銀行まで設立された(当時の名残として、82銀行という長野県の地方銀行は、明治時代に設立された第19銀行と第63銀行が合併したことに由来する)。

 金が価値の源泉に

しかし、紙幣発行権を多くの主体が持っていることで、統一的な金融政策が困難になる。そこで、紙幣発行権を持つ銀行が1つに限定されることになった。それが中央銀行である。日本では1882年に日本銀行が設立され、翌1883年には紙幣発行権が各銀行から取り上げられ、紙幣発行の主体は日銀だけとなった。そして、当初の紙幣は金や銀との交換を保証していた。金や銀との交換を兌換というが、それを保証した紙幣を兌換紙幣という。金の価値を担保に紙幣を発行し、金との兌換を保証する制度を金本位制といった。最初は、日本は銀本位制を採用していたが、やがて金本位制に転じていく。

しかし、経済は貨幣量とは関係なく発展を続ける。銀行が保有する金の量は限られている一方で、貨幣需要が増加していったため、金本位制では経済発展が頭打ちになってしまう。そこで、金の保有量と関係なく紙幣を発行できる制度に移行していく。それが管理通貨制度である。現在の日本銀行券では金との交換はできない。

目に見えないものを価値の源泉に 

ここで、よく考えてほしい。そもそも貨幣は子安貝や金など希少性を持つものの裏打ちがあったからこそ意味を持った。しかし、管理通貨制度の下では価値の裏付けを持たないではないかと言いたくなる。では、何が価値を支えているかというと、発行主体である政府に対する信頼である。つまり、実体的な価値ではなく、目に見えない「信頼」が価値の根底にあるのが、現在の貨幣なのである。我々はフィクションの中で貨幣を使用しているのだ。その点、仮想通貨は政府が発行主体ではなく、政府に対する信頼という価値に支えられていない。ハッキングなどセキュリティ面でも不安が残る。だが、世界中で政府に対する不信感が取りざたされている現在において、従来の貨幣もどうなるのか全く分からないのであるが…。

おくりびとのように、言葉の中には時代とともに意味を変えていくものもある。貨幣も時代とともにその姿を変えてきた。歴史を踏まえて、その推移を見守っていきたい。

 

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貨幣、通貨、資金の違いについて

 

 

言葉を整理する意味:貨幣、通貨、資金の違いとはなんだろう

仮想通貨、金融緩和、インフレーション、巨額の企業買収…。お金に関するニュースが流れない日はない。ましてや日常生活においても、お金と無縁な日はないだろう。

だからこそ、原点に立ち戻りたいと思う。すなわち、我々の生活を取り巻くお金とは何なのか、一度整理してみたい。まず貨幣と通貨の違いについて整理し、名称の整理を通じてお金について考えていきたい。

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貨幣とはなにか

辞書を引くと、貨幣とは「商品の価値尺度や交換手段として社会に流通し、またそれ自体が富として価値貯蔵を図られるもの」デジタル大辞泉)、一方で、通貨とは「流通手段・支払い手段として機能している貨幣」(同上)とされる。つまり、貨幣と通貨はほぼ同義であるものの、特に流通した貨幣を通貨という。

英語で貨幣は"money"である。moneyはラテン語の"moneo"(忠告する)を語源とする。それはローマ神話最高神であるジュピターの妻であるユーノ(juno)に由来する。ユーノは結婚生活をつかさどる女神であり、結婚する男女に忠告する(moneo)ことを役割としていた。ユーノを祭る神殿にあったのが造幣局であり、そこで作られたコインがいつしか"moneo"と呼ばれるようになった。これがイギリスに伝わり、moneyと形を変えたのである。ちなみに"monster"も語源は同じ"moneo"である(人間が働いた悪事に対して神が忠告し戒めるという意味が"monster"である)。

通貨とはなにか

通貨は英語で"currency"である。これを分解すると、curは「走る」、-rentは「性質」、cyは「こと」を意味する。"currency"とは「走る性質をもつこと」、すなわち「世の中に流通しているもの」である「通貨」を意味する。curから派生した言葉として、"current"があるが、これも「今走っていること」から「現在」という意味になった。

資金とはなにか

最後に資金について、まとめたい。デジタル大辞泉には、資金は「事業の元手や経営のために使用される金銭」ないし「特定の目的のために用意され使われる金銭」とされている。さらに英語で資金は"fund"というが、元々はラテン語の"fundus"(土地、農場)に由来する。つまり、ある目的に使われる土地が転じて、ある目的に使われる通貨のことを資金というようになったのだろう。そもそも流通していなければ、特定の目的に利用することはできない。

練習問題:日本最古の通貨は?

よく歴史のクイズ問題として出題されるこの問題。一般的な正解は次のようになる。

708年に作られた和同開珎
683年ごろに作られた富本銭

この問題のポイントは、通貨を尋ねていることである。通貨の条件は流通していること、つまり人々に使われていたかどうかが重要なのである。

ここで本郷和人氏の本から引用したい。

富本銭はもちろん、和同開珎ですら、実際には機内などごく一部を除くと、ほとんど使われていないのです。しかも、当時の日本の銅の産出量の少なさからしても、到底、経済を回すほどの流通量ではありませんでした。貨幣が作られたことと、実際に貨幣経済が行われていたこととは、まったく別の話だったのです。

古代においてはまだ貨幣経済が普及していなかった、というのが、日本史のリアルです。むしろ、物々交換や、米や絹、布などのいわゆる物品経済のほうが主流だった。(『日本史のツボ』190-191頁)

つまり、流通していなかったために通貨とは言えないのだ。

では、日本最古の通貨は何だったのか。

和同開珎でも富本銭でもなく、清盛が輸入した銅の宋銭だったと答えるでしょう。銭というものは、大量に出回ってはじめて、通貨として機能するわけですから。(201ページ)

こたえは銅の宋銭である。

まとめ

最後に三つの言葉を整理したい。まず「貨幣」とは価値尺度や交換機能などの機能を有するものであり、それが流通すれば「通貨」となる。そして、何らかの目的に使われる通貨が「資金」といえよう。次回は、貨幣の機能についてまとめていく。

人間であるために~『エルサレムのアイヒマン』と日大アメフト部問題~

 

 

切迫した状況が、彼を思考停止に陥らせた。

日大アメフト部の選手が関西学院大学との試合中、相手選手へ反則行為をし、重症を負わせた。その件について、日大の選手が謝罪会見を開いた。会見全文を読んでみて、ある作品を思い出した。『エルサレムアイヒマン』である。

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裁判を受けるアイヒマン

人はだれでも悪になりうる~エルサレムアイヒマンとは

エルサレムアイヒマン』とは、アイヒマンというナチスの元役人が終戦イスラエルで裁判にかけられ刑が執行されるまでを描いたレポートである。アイヒマンホロコーストユダヤ人の大量虐殺)の中心的な責任者である。

このレポートは、ハンナ・アーレントというユダヤ人哲学者が著したものであるが、同胞への非道を行ったアイヒマンを極悪人として描いているわけではない。むしろアイヒマンは「陳腐な小役人」として描かれている。

ちなみにハンナ・アーレント第二次世界大戦中はドイツ軍に捕虜として強制収容所に送られている。そこで何があったのか、言葉にすることさえはばかられる経験をしてきただろう。アーレントは収容所での経験を語ってはいないが、すさまじい体験をしたことは容易に想像できる。

アイヒマン裁判をアーレントはこう見た

裁判の陳述で、アイヒマンはこう述べている。

「自分は上司からの職務命令を忠実にこなしていただけであり」、「直接ユダヤ人に手をかけていないのだから罪の意識もない」

さらにこう述べている。

ユダヤ人に対する敵対感情はなかった」が「総統の命令に逆らえるような雰囲気はなかった」

こうした傍聴記録を通じて、アーレントアイヒマンを「普通の人」と評した。彼はただ単純に上からの命令をこなしただけであり、ホロコーストという「悪」の責任を彼個人に帰すべきではない、と。

アイヒマンは善悪の判断をなせる人間ではなく、命令を忠実にこなすマシーンだったのだから。つまり、アイヒマンは思考停止に陥っていただけで、大きな悪に加担していたものの、自らが悪だという意識は全くなかった。

ここで、アーレント人間である条件を思考することに求める。

思考をやめてしまえば、それはもう機械に過ぎないのだ。

もちろん、こうしたアーレントの評価はユダヤ人から大きな非難の的になった。しかし、それでも私は冷静に考え続けたアーレントはあっぱれだったと言いたい。

 凡庸な悪はどこにでもいる

話をアメフト部の件に戻そう。日大の選手は監督やコーチから命令(圧力)があったと言っていた。そして、プレッシャーの中で反則行為をしてしまい、その後は思考がとまってしまったとも述べていた。つまり、彼は極度の緊張状態の中で思考停止に陥り、監督やコーチの命令に従う機械となり果てたのである。しかし、彼がアイヒマンと異なったのは、良心の灯を捨てなかったことである。

実名と顔を出して会見に臨み、誠実に反省の意を表明したことは加害者としての罪の意識を持っていた証拠であろう。そして、自らどうすべきかを考え、償いのために行動したのである。十数年も逃亡生活を続けたアイヒマンと異なり、すぐに行動に移したところに彼の誠実さがあった。

今回の問題が示唆するのは、誰しもが思考停止に陥る可能性があるということである。極端な権力関係の中で、はたして正常に考え続けることができるのか。社内でもし組織的な不正行為があったならば…(雪印の不正告発)、部活動の試合で相手選手の選手生命を絶たせるようなけがをさせろと監督に言われたら…。もしそうした状況に直面して胸を張って考え続けることができるといえるだろうか。

日常の至る所に思考停止の芽はある。私たちは命令を実行する忠実なマシーンではない。人間であるために考え続けることの大事さを改めて認識した。

選挙なんて意味ないんじゃないかな ~カウンターデモクラシーについての覚書~

選挙なんて意味ないんじゃないか…。 

高校生の頃から感じていた疑問とは裏腹に、「選挙に行こう」という標語が日常生活の至る所で散見された。特に2015年に選挙権年齢が引き下げられてから、18歳選挙権を推進する運動で世間は大きく盛り上がった。しかし、そうした運動があっても、全体としての投票率は低下の一途をたどっていた。「選挙の大事さ」を強調する議論も、一部の声が大きい人たちの動きがメディアにピックアップされたために盛り上がったかのように見えただけだったようだ。

「結局選挙は意味がないのか…」。そうした長年の疑問に答えを出してくれた概念に、つい最近出会った。それが、今日紹介するカウンターデモクラシーである。

カウンターデモクラシーは、政府に対する信頼と不信の2つの軸から成り立つ概念であり、市民の働きに重点を置くものである。すなわち、選挙の際の投票は政治家に対する有権者の信頼を表す。一方で、選挙と選挙の間(執行)と、選挙の際とで有権者の意思には変化が生じる。代表が有権者の意思を体現することだとすれば、有権者の意思の変化にも対応しなければならない。そこで、執行の際に有権者が代表者を監視すること、すなわち不信感の表明によって、政府をコントロールすることが可能となるのだ。この不信感の表明が2つ目の軸である。

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カウンターデモクラシーが注目されるようになった背景には、近年における代表制民主主義の機能不全の問題がある。それは選挙の機能不全の話と密接に関連している。まずは選挙の機能を確認していきたい。ピエール・ロザンヴァロンによれば、選挙とは以下の3つの機能を有している。すなわち、「代表機能/統治者の正当化機能/議員をコントロールする機能」(ピエール・ロザンヴァロン、pp.60-61)である。これらの機能の中でも、特に代表機能が効果を失いつつあるという。

第1の代表機能であるが、社会の複雑化によって個々人の価値観が多様化したことは、政党が利益を一元的に集約することを困難にし、有権者の多様な利害を代表することを不可能にした。第2の統治者の正当化機能であるが、投票率が低下し、選挙自体の有効性が問われている中で、その正当化機能も低下している。第3の議員のコントロール機能も意味をなさなくなっている。たとえば、代表者が選挙の際に掲げた公約が完全に実現されることはあまりない。もちろん、一部の公約は実現されるが(トランプ大統領は選挙公約31個のうち、15個を大統領令で実現した)、「全てが完全に」ということはあり得ないからだ。

代表機能が機能を失いつつある背景には、第1に社会の多様化という現象がある。社会が多様化し、様々な価値観を有する人が多くなると、「多数派」というものが存在しなくなる。すなわち、従来はある一定の価値に賛同する人が社会の中で多数を占めていたが、現在では様々な価値を持つ「少数派」が増加し、代表者が「多数派の利害」を代表することが困難となったのである。

第2に立法府の形骸化があげられる。立法府が議論の場でなく、行政の政策を認可するだけの場となってしまったのだ。すなわち、議会よりも行政権力の方が強大となってしまったのである。いわゆる政治主導のことであり、日本においても国会は議論の場でなく内閣提出法案を認可する場となっている感が否めない(内閣提出法案の成立率は約90%であり、議員提出法案の成立率は年にもよるが、10~20%ほどである)。

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では、こうした問題にカウンターデモクラシーはどう向き合うのか。それは、代表の回路を増やすことである。そもそもカウンターデモクラシーは、代表制民主主義の機能不全という文脈で論じられている。代表制民主主義の機能不全は、選挙の機能不全に由来するところが大きい。つまり、選挙を絶対化せずに、代表の手段の一部と捉えることに特徴があるのだ。他の代表手段として、ロザンヴァロンがあげるのは、デモやSNSNGONPO、司法などである。司法に関しては、現在の世代ではなく、先哲の考えを反映するというユニークな考えをロザンヴァロンは述べていた。こうした運動を通じて、選挙以外の時でも政府をコントロールしようというのだ。

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かつてルソーはこうした言葉を残している。

「イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。
自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる」(中山、p.192)。

選挙の有効性を疑問視する声は200年以上前から存在していたことになる。実際、選挙は機能不全に陥りつつある。しかし、まったく意味がないのではない。代表者への信頼という機能が託されているのだ。選挙に意味がないと悲観するのではなく、選挙と合わせて、どのような手段を見つけ、行使していくかが重要である。現状の問題点に対処する有効な手立てとしてカウンターデモクラシーをとらえ、自分に何ができるか、市民一人一人の役割を考えていきたい。とりわけ、教育を通じて、何ができるか、カウンターデモクラシーを支える市民の能力に何が必要なのか、知見を深めていきたい。

参考

・ピエール・ロザンヴァロン「ポピュリズムと21世紀の民主主義」pp.58-116、エマニュエル・トッド、ピエール・ロザンヴァロン他著(2018)『世界の未来 ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』、朝日新聞出版

・ルソー著(2008)『社会契約論』中山元訳、光文社

・山本達也「ソーシャルメディアがカウンターデモクラシーに与える影響―情報通信技術と民主主義をめぐる一考察―」pp.91-104(2017)『清泉女子大学紀要』