Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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そもそもデータとは何か?-簡単な用語の整理-

 

今年のセンター試験現代社会。

第5問にはこんなリード文があった。

 

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2段落目で示されているのはデータ分析である。

 

第4次産業革命の流れの中でビッグデータに注目が集まっている。

中には貨幣ではなく情報が価値を生むようになる、と言う者もいる。

 

そうした世相を反映してか、多くの大学でデータサイエンス関連の学部新設が続いている。

国公立大学では東京大学広島大学滋賀大学山形大学横浜市立大学など。

私立大学では津田塾大学東京理科大学中央大学武蔵野大学工学院大学などが続く。

 

データサイエンスに従事する友人に聞いたところデータ関係の研究者は人材難で引く手あまただそうだ。企業のリクルート活動は非常に盛んらしい。

 

グーグルやアマゾンも本腰を入れてリクルートしているというデータサイエンティスト(この記事ではデータアナリストとは区別せずにデータサイエンティストと呼びます)。

 

学問分野として未知数であり、ビッグデータという概念も近年注目され始めたもの。

 

だが、社会の変化はいやがおうにも進んでいく。進路指導をしていてデータサイエンス学部を志望する生徒もちらほら出てきた。

 

後々のためにも色々と調べようと思ったが、まずは初歩から。

 

そもそもデータとは何なのか?

そこから整理していきたい。

 

 

データとは-日本語から

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大辞林にはこう書かれている。

①判断や立論のもとになる資料・情報・事実

②コンピューターの処理の対象となる事実。状態・条件などを表す数値・文字・記号。大辞林第3版より)

 

一方で、図書館情報学用語辞典には以下のように書かれている。

既知の事項や判断材料。研究に活動においては、調査や実験により得られ、考察の材料となる客観的な結果である。一方、情報処理システムの処理対象でもある。また、データは情報を生み出す材料とみなされることがあり、評価の加えられたデータを情報と定義し、データ、情報、知識という階層関係を強調する立場がある。データを情報といいかえても差し支えない場合も多く見られ、こうした関係付けの一般化には十分な根拠はないが、これにより潜在的な情報(データ)と実際に受容された情報とを便宜的に区別することができる。図書館情報学用語辞典 第4版)

 

データとは考える材料としての事実や資料であろうか。

  

英語ではどうか?

 

dataを英英辞典で引くと以下のように書かれている。

information,especially facts or numbers, collected to be examined and considered and used to heip decision-making, or information in an electronic form that can be stored and used by a computer

dictionary.cambridge.org

 

これを訳せばこんな感じだろうか。

(学術研究などの)調査や考えるために集められたり、意思決定の助けになったりする事実や数字などの情報。

あるいはコンピューターによって保管・処理が可能な電子的な形の情報のこと。

 

考える材料という点では日本語の定義と共通している。

 

結局データとは?

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データとは単なる事実である。それを加工すれば情報となる。

つまり、データを活用して判断したり、解釈した結果が情報となるのだ。

 

ビッグデータの時代においては解釈の材料が大量にある。

 

それを活用するのが人間の力量というわけだ。

したがって、データは考える時に使われて初めて価値を持つ。

ビッグデータがあっても解釈できなければ意味がない。データ分析のスキルを持つ人材が求められているわけである。

 

ただしデータ至上主義に陥ってはいけない

大量のデータによって様々な情報が手に入るようになった。

ただ留意しなければならないことがある。

それはデータ至上主義に陥ってはならないということだ。

 

そもそもデータ自体の信用性は担保されているのか?

意図的に改ざんされていないだろうか?

 

常に批判的な眼差しをもってデータに接しなければならない。

 

企業のデータ改ざんや省庁の隠蔽が多く取りざたされる昨今。

データが価値を持つ一方で、データの価値を貶める出来事が続いているのは皮肉なことだなあと思う。

 

www.yutorix.com

 

センター試験2019年政治経済、ほんの一部だけ解説してみる

 

今年のセンター試験政経、解説します。

完全にやっちゃえ先生に触発されて動いております。

 

www.yacchaesensei.com

 

選択肢の形式が変わったり、やや難化か?と思いました。

でも、基本的には、用語の定義だったり、年号であったりと、知識が正確に定着しているかどうかを確かめる問題だと思います。

 

  

ただただ覚えるだけの問題

第3問 問6 統治機構の問題です。

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ここで確認すべきは

天皇の国事行為、国会の権限、国会議員の権限、内閣の権限、
内閣総理大臣の権限、(裁判所の権限)、三権分立相互の関係

です。

 

たとえば国会の権限だけでこんなにあります。

法律の制定(41、59)、条約の承認(61、73)、憲法改正の発議(96)、内閣総理大臣の指名(67)、財務の監督・財政の処理(83)、課税に対する議決(84)、予算の議決(86)、決算の議決(90)、財状況の報告処理(91)、弾劾裁判所の設置(64)

  

 多すぎるし、なげえ~!

 (受験生の声)

 

…あと内閣と内閣総理大臣と(以下省略)

 

このへんの政治制度の授業って単純に知識習得を目的にすると恐ろしく退屈なものになります。

理想としては講義ならストーリー形式で授業をしたいなあと思ってますが、理解不足から全然踏み出せてません。

ちなみに地方自治制度を扱った本として、こちら非常におすすめです。ストーリーだからスラスラ読めます。

 


あなたのまちの政治は案外、あなたの力でも変えられる (ディスカヴァー携書)

  

答えは③。

①の国務大臣の訴追は内閣総理大臣の同意が必要ですし、②④は内閣の権限です。 

知識を正確に覚えていれば簡単に解ける問題でした。

 

考えさせる問題も

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こちらは外部不経済に関する問題。

外部不経済というのは外部効果の一種。市場の限界のところで学習します。

 

外部効果とは市場での取引が売り手と買い手以外の第三者に影響を与えることを言います。あるいは第三者が市場に影響を与えることです。

 

外部効果の中でも

  • 良い影響は外部経済 
  • 悪い影響は外部不経済                    

と分けることができます。

 

たとえば①を検討してみます。

 

猛暑(市場の外部要因)が飲料メーカーの売上の上昇(市場における行動)に寄与した。

 

はい、いい影響なので①は外部経済です。

②は投資家の売り(市場における行動)によって株価が下がっているだけなのでそもそも外部効果ではないです。

③もいい影響なので外部経済。

はい、消去法で④になりました!

 

ちゃんと検討します。 

                 

④大規模娯楽施設の建設によって交通量が増え、近隣住民は住宅の防音対策をしなければならなくなった。

 

防音対策は住民が原因ではありません。にもかかわらず、その対策費用を負担しなければならない。市場外部の要因によって不利益を受けている。

ということで、④は外部不経済なので正解。

 

抽象的な概念を具体化する訓練を日ごろからどれだけできているかが問われている気がします。

「たとえば何がありますか?」っていうなにげない発問、めちゃくちゃ入試対策になるんですね…

 

市場の応用理論も出てきた

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市場メカニズムの問題はほぼ毎年出てます。

共通プレにも出てました。

 

こちらはインセンティブについての問題。

まず市場メカニズムというのは需要と供給を通じて価格が決定する仕組みのこと。

このメカニズムを通じて、資源の最適配分(需要と供給が一致する状態)が実現します。

 

次にインセンティブはある行動を起こさせるための外からの刺激のこと。

 

問5の場合で考えると、

商品や税などの金額を操作することで、環境保全にふさわしい行動を人々が取るよう誘導するということです。ここでは価格操作がインセンティブです。

 

これらの情報をふまえた上で各選択肢を検討しましょう。

①は炭素税のこと。税額を操作するインセンティブですので適当です。

②操業停止は金額の操作ではない単純なペナルティです。よってインセンティブとして適当ではないため②が正解になります。

エコカー減税などが当てはまります。税額操作によるインセンティブのため適当です。

④商品の価格を操作する。よって適当です。

 

市場メカニズムの正確な理解、そしてその原理を選択肢の文と照合して、当てはまるかどうかを考えさせる問題でした。

 

炭素税やエコカー減税などを地球環境問題だけでなくて、

市場概念などと結びつけられるか、そこまで深く学習できているかが受験生にとって分かれ目と言えそうな問題です。

 

今話題になっている話も

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2019年度からマクロ経済スライドが発動されるそうです。

簡単に言えば、年金がほんの少し目減りする、という話。

 

さて、社会保障は国家的に大きな課題。

当然、僕らに大いに関係する問題です。

 

結論ですが、正解は②です。

でも僕が注目したのは①

年金給付の国庫負担割合は2009年から3分の1から2分の1に引き上げられました。

つまり、人々の負担が増えているってことです。

 

ただ、今の社会保障のトレンドは介護と医療。

学者さんたちの間だと年金はあんまり重視されていないそうです。

社会保障の4本柱?何それ?という状態らしいです。学校と学問で大きく乖離しているらしい…

 

でも、ここで年金について知らなきゃなあ、考えなきゃなあ、という強い思いをこの問題を見て思ったわけです。

さて、まとまらなくなってきました。

 

今後に向けて

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拙い解説を最後まで読んでいただいてありがとうございます!

 

それでは。

21世紀型教育とは?-大橋清貴ほか『AIに負けない自分で考える子供を育てる21世紀型教育』秀和システム

 

改革校として躍進しつつある学校は意外とある。

 

三田国際学園もその1つ。

本書は三田国際学園の現校長が執筆した本であり、その教育観と学校の教育実践の一端を知ることができる。

それが21世紀型教育である。

 


AIに負けない自分で考える子どもを育てる21世紀型教育 [ 大橋清貫 ]

 

 

三田国際学園について

三田国際学園とは?

東京都世田谷区用賀にある中高一貫校。近年改革校として注目されている。

 

沿革

元々女子校だったが、2015年に三田国際学園中学校・高等学校として共学化。

教育理念は知好楽。

 

教育の特色

変化の激しいこれからの社会を生きる子供のために5つの力を伸ばす世界標準の教育を展開する。

  

 国際共通語である「英語」、それを使って思いを伝えあう「コミュニケーション能力」、科学を理解する「サイエンスリテラシー」、情報を使いこなす「ICTリテラシー」、そして、それらの確かな知識とスキルに裏付けられた『考える力』。 (ホームページより引用)

 

具体的には以下の取り組みを中心に行っている。

  1. 相互通行型授業…毎回の授業で生徒に「トリガークエスチョン」を投げかけ、学びを促進する。
  2. 英語教育…それぞれの目標にあった英語教育を実施し、日常的にその力を強化する取組を行う。
  3. サイエンス教育…科学を見る目としての「サイエンスリテラシーを養う教育を行う。
  4. ICT教育…一人一人がタブレット端末を持っており、情報社会に必須のリテラシーを養う。
  5. 学習支援…考える力の土台としての基礎知識を定着させるために小テストの実施や学習支援を教員が積極的に行う。
  6. 教員研究…全教員が世代、教科に関わらず教育力の向上のために定期的に研修を行う。

 

4つのコース

  1. 本科コース…いわゆる普通科であり、キャリア・学習面でのサポートが充実している。
  2. メディカルサイエンステクノロジーコース(MSTC)…入学した時から「基礎研究」を行うことで、研究スキルを身に付け、科学的思考力を高めていく。
  3. インターナショナルコース スタンダード(ISC)…留学制度が充実しており、ディスカッションやプレゼンテーションなどを英語で日常的に行うことで、使える英語力を身に付けることを目的としている。
  4. インターナショナルコース アドバンスト(ICA)…英・数・理・社の授業をAll Englishで実施し、海外大学への進学を視野に入れた指導を行う。

 

www.mita-is.ed.jp

 

本書の内容

本書の構成

第1部 21世紀型教育について。

第2部 三田国際学園をモデルとした21世紀型教育の実践について。

     大橋校長と教育研究家である本間勇人氏の対談。 

第3部 21世紀型教育が必要とされる背景について。

 

21世紀型教育とは?

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いわゆる一斉講義のような知識教授の授業、これを20世紀型教育という。

20世紀型教育は戦後すぐから高度経済成長期にかけて必要とされた教育。

それに対して、現在求められているのは21世紀型教育である。

 

では、21世紀型教育とは何か?

それは教科書に書かれていることを教えるのではなく、教科書に書かれていないことを生徒が考え、解を見つけるという形の教育である。

世界で日本人が勝つには、考える力を伸ばし、海外の人と議論できるレベルの英語力を身に付けることが重要という。

だから、従来のような教育ではなく、三田国際学園では考える力を養うハイレベルな内容の授業をしている。

ハイレベルというのは、照準をクラスの上位2割にあわせるという意味である。学部レベル・大学院レベルの話もするんだとか…

 

当然こうした教育に賛同する人、つまり三田国際学園の保護者も従来のような伝統校・名門校、高偏差値校、大学合格実績のある学校に魅力を感じる層ではない。

校長は彼らを新しい物好きのイノベータータイプだと述べる。中には海外で戦っているような企業で働く保護者が一定数いるらしい。

 

保護者をマーケティング的発想から分類しているところからも、校長先生はかなりビジネス的な考えをしていると思った。

たとえば、保護者を顧客や投資家と呼び、成果を出して還元するという風に述べている。

考え方のベースはトマス・フリードマンの「フラット化された世界」にあるそうだ。

 

学校のフォロー

校長自身が思考力(創造力、批判的思考、問題解決能力)を伸ばすために教科書以上のことを授業で扱えといっているため、 学部レベル・修士レベルの教育をしているところもある。

 

けれども、そうした取り組みに対する批判もある。

 

思考の前提に知識があるんではないのか、とすればいつ知識を注入するのか?

 

これに対して校長は「生徒が自主的に教科書をやる、自分でどんどん勉強していく」と述べている。

 

これを見た時に

 

自主性にゆだねる性善説か…

 

と思いきや、実はちゃんと根拠があった。

  1. 教室に考えをどんどん発展させる生徒がいるということ(知的な刺激を受けるという外的要因)
  2. 朝の習熟度確認テスト(クリアしないと先に進めない)という定期的な知識の確認

 

曰く、生徒は進んで勉強するそうだ。だが、要領が悪い生徒にとってはかなりきつそうだなあとも思う。

 

それと、数分間のテストで数科目の確認ができるのだろうか、偏りはないだろうか、と疑問に思った。

 

思ったこと

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ハイレベルな授業の実施には教員の高い能力が前提である。

だからこそ、校長は様々なインセンティブを設定することで学校全体でのエンパワメントに努めている。

たとえば、論文コンテストなどのインセンティブや定期的な教員研修など。

褒賞を与え、モチベーションを上げるという手法はやはりビジネス的である。

バリバリ働きたい人にはとてもいい学校だろう。

 

背景には校長の危機感

校長は次のように言う。

 

2029年にシンギュラリティが起こる。

そうした中でもAIに代替されずに戦えるために、生徒には思考力という武器を持たせたい。

 

だからこそ、授業は生徒が思考を深められるものとなっている。

思考力は教科書にはない解を生徒が求めることで磨かれる。

そのために、生徒は教科書を超えた内容を考えることになる。

それが時には学部・修士レベルとなることもあるのだ。

 

授業は教員が発するトリガークエスチョンを起点に生徒がグループになって考えていく。

つまり、教員に求められるのは生徒が考える価値があると思うような発問を発すること、およびそのための教材研究である。

 

こうした思考訓練を積んだ生徒に囲まれているため、教室は競争的で刺激しあえる、時には助け合う(共創)の雰囲気だとか。

 

自分一人で考えるだけでなく、他者とともに意見を交換し、視野を広げ、考えを発展していく、まさに議論に適した場だなあと思う。

 

ただし、この本に書かれていることが校内すべてで実施されているのならばということには注意したい。

 

疑問

三田国際学園の教育理念と実践の概略を知るにはうってつけの本だと思う。

ただ、いくつか?と思うところもあった。

  1. 思考力の定義が簡潔だと感じた。たとえば思考力を創造力・批判的思考力・問題解決能力としているが、具体的にそれが何なのかはここでは示されていない。
  2. 論証過程にも難があったかと思う。校長の教育観はトマス・フリードマンの言う「不確実な社会」をがっつりベースにしている。しかし、不確実な社会で「こういう能力が必要だ!」と推論できるのか?という疑問を持った。 

ロシアの行動原理とは?

 

超大国の不在。

 

中国の経済的・軍事的台頭によってアメリカの地位が相対的に低下し、国際秩序が変動期に入っている。

 

そうした変化の中で一定の地位を占める国がある

ロシア。

 

日本との平和条約締結に向けた日ロ交渉、中東でのシリアへの介入、ウクライナへの軍事介入、アメリカ大統領選挙への介入疑惑など…

 

ニュースには大きく出るのになんだかよくわからない。

謎の大国、ロシアについて調べてみた。

グローバル化の進む現代において各国の特徴を理解することはもちろん、日本の隣国に目を向けることは悪いことではないだろう。

 

  

プーチンの圧倒的な地盤

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プーチン、実はかなりのエリート。

レニングラード大学の法学部を卒業後、ソ連のスパイ機関であるKGBに。

その後サンクトペテルブルク市の副市長などを経て、大統領になった人物である

 

プーチンは厚い支持基盤を持っている。

それは彼の大統領時代に経済が回復し、それを人々が「プーチンの業績」だと錯覚したから。

 

どういうことか。

ロシアの前身であるソ連は1991年に崩壊した。

崩壊直前のソ連経済はガッタガタ。社会主義から資本主義へと移行したことで経済が混乱していた。

そのため、ロシアの初代大統領エリツィン時代(1991~1999)は経済が混乱していた。

しかし、次のプーチン時代(2000~、一時首相、のち大統領に復帰)には経済が回復する。

ただし、ロシア自身の要因ではない。

中国などの新興国が台頭したことで石油や天然ガスなどのエネルギー資源の需要が高まったことが要因とされる。

ロシアは実はかなりの資源大国である。

資源ブームに乗って経済が回復した。そしてそれをプーチンの業績と民衆が錯覚した。

だから、プーチンは圧倒的な支持を得ている。

 

しかし、国内のインテリは「実は違うんだ」ということを知っているために度々でもが起こったりする。

 

ちなみにプーチンは地盤強化のために宗教勢力も動員している。ロシア正教会である。

 

ロシア経済の脆弱な構造

もちろんロシアは資源に依存した経済構造のため、その土台は不安定だ。

 

ロシアはパイプラインでヨーロッパへ天然ガスを供給している。

しかし、ウクライナ危機でそれを武器にするなどヨーロッパにとっては極めて不安定な供給減だった。

 

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そんな中でシェールガス革命が起きた。

中東の石油の価値が低下する(中東の油田地帯の確保で介入を繰り返したアメリカはシェールガス革命で中東に興味を失った)。

湾岸産油国は焦る。

そんな中ウクライナ危機が起こる。

中東はヨーロッパへ「ロシアよりも」安価に石油を輸出すると持ちかける。

ここにヨーロッパと産油国の間で合意が成立し、新たな資源供給先を欧州は見つけたのである。

 

ロシアは切羽詰まる。

 

「資源で持っている経済が終わる」

 

そこで目を付けたのが、東の果ての日本だった。

樺太からパイプラインを作って日本へと直接天然ガスを供給するという計画を持ち出した。

これは日本にとってもメリットがある。というのは、天然ガスは一度液化してタンカーで運ばなければならない。さらに陸揚げしてからまた気化して都市ガスとして利用するため、いちいちコストがかかる。しかし、パイプラインならその手間も省ける。

ただロシアにはパイプラインを作る資金も技術力もない。そこで日本に協力を、という運びだ。

 

北方領土交渉が加速したりしなかったりするのはロシア側の要因も大きい。

 

ロシアが日本に接近した背景にはロシアの経済構造と国際経済における変化(シェール革命)があったのだ。

 

ロシアの行動原理

ロシアは侵略に恐怖を持つ国である。

シベリア出兵やナチスドイツのソ連侵略など…

 

ちなみにプーチンの兄がドイツの侵攻を間接的な理由としてなくなっている。

こうした恐怖がソ連(ロシア)の周囲に衛星国を置く戦略の根本にある。

たとえばソ連時代の東ヨーロッパなどである。

それをふまえてウクライナ危機を見れば、すんなり理解できる。

 

ウクライナはロシアと国境を接し、文化を共有する距離の近い国である。

冷戦時代はここでソ連の兵器が多く作られていた。

そのウクライナにEU加盟の世論ができた。

もし加盟すればロシアとEU加盟国が国境を接する。もしかしたらNATOウクライナが加盟するかもしれない。そうしたらロシアは侵略の危機に陥るかもしれない。

 

侵略の恐怖がロシアを動かした。

ウクライナの西部はEU寄りだが東部はロシアよりである。この東部の住民に働きかけてロシアが分離独立運動を促したのである。

以後、ウクライナは東西で対立状態が続いている。

 

さらにロシアはクリミア半島を併合した。

それはロシアの気候に注目することで分かってくる。

 

ロシアは寒冷で冬の間は港が凍る。だから、長年不凍港を求めて戦争を重ねてきた。

南下政策である。

大英帝国が7つの海を支配した時代は海軍力がものをいう時代だった。

だから、ロシアとイギリスはユーラシア大陸をまたにかけて覇権争いを繰り広げる。

しかし、ロシアはイギリスに敗れ、結局不凍港を手にすることができなかった。

 

一転して冷戦時代である。

世界中に社会主義国家が出来ていった。

ここにシリア情勢にロシアが介入するヒントがあった。

 

シリアは社会主義政策を採用していた。

その関係からソ連と距離が近く、それはロシアになっても続いていた。

 

シリアにはロシア軍の基地がある。タルトゥースという地中海に面した軍港である。

もしアサド政権が倒れればロシアの軍港が失われる。積年の夢の結実、不凍港である。

 

だから、ロシアはアサド政権側に支援の手を差し伸べるのだ。

 

さて、そもそもロシアが不凍港を求めたのは冬に凍る港しかもっていなかったから。

けれども、その事態にも変化が起きている。

 

気候変動による変化

地球温暖化によって北極海が脚光を浴びている。

今まで分厚い氷に覆われていた北極海

しかし近年の気温上昇により氷が解け、新たな輸送ルートや資源開発の対象として注目されているのだ。

 

北極海をめぐって熾烈な争いが起こるかもしれない。

日本も無縁ではないかもしれない。

 

まとめると

ロシアの行動原理は次のようにまとめられる。

  1.  侵略の恐怖による緩衝地帯(衛星国)の設置
  2.  不凍港による南下政策(しかし北極海の融解で変化か?)
  3.  エネルギー資源に依存する経済構造

 

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町田総合高校での体罰問題についての分析~世論の反応は?~

 

今、ある問題をめぐってネットで炎上している。

 

こちらのニュースも参考に

mainichi.jp

 

ツイッター「町田総合高校」と検索すれば、問題の動画がすぐ出てくる。

そこにはたくさんのリプライが紐づいている。

 

リプライを見てわかるのは、教師の行動に肯定的な意見がほとんどだということだ。

詳しく見たい方はツイッターで検索を!

 

 

 

世論の分布

 

動画に対する反応を拙いながら分析してみた。8種類ある。

「教師の行動」体罰に対する認識」「(言葉による)指導の結果生徒が変わるかどうか」について世論がどう考えているのか、という視点から分析してみた。

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分布としては④が一番多いと感じた。

つまり、先生を舐めきって挑発しているし、口で言っても変わらないのだから、体罰もやむを得ないという意見である。

 

ただ多くの意見では「ただし体罰はだめだ」という補足もあるが、それは社会的な反応を意識したからゆえに付け足しただけかもしれない。

この後述べるように社会的に体罰はダメだという流れが2013年以降強く意識されるようになったからだ。

 

そもそも体罰とは何なのだろうか?

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体罰の議論をする前に、似たような言葉としての懲戒と区別しておこう。

まず懲戒はこのように定義される。

懲戒とは、一般的には、組織体においてその秩序を維持するために、一定の義務違反者に対して制裁として課される不利益な処分をいう。P157

 

一方で体罰とは何だろうか?

体罰は学校教育法第11条で禁止されている。

第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。

 

その内容については裁判でこう示されている。

体罰」とは、事実行為としての懲戒のうち、被罰者に対して肉体的苦痛を加える制裁をいい、殴る・蹴る等その身体に直接有形力を行使する方法によるものと、正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等それ以外の方法によるものとが含まれる(静岡地決昭 63年 2 月 4 日民事事件)。P162

判例でも体罰は絶対的に禁止されている。

 

文部科学省の見解でも、有形力の行使は体罰に含まれるとしている。

体罰の事例が文科省のHPで示されているので、参照したところ、今回のケースは体罰に該当すると思う。

また文科省の事例から判断すると、正当な行為とも言えないだろう。

www.mext.go.jp

 

もちろんホームページに書かれているのは、あくまでも「参考」事例であって、すべてを包括しているわけではない。

 

体罰が問題化した背景

 

2013年、今から6年前のことだ。

大阪府の桜宮高校の生徒が部活動顧問からの体罰を苦に自殺した事件があった。

この事件に世論が大きく衝撃を受け、以後体罰は絶対的に許されないという社会的な空気が醸成された。

その後も部活動での体罰が度々ニュースでクローズアップされていた。

 

しかし、今回の問題では体罰を肯定する反応が多い。

桜宮高校に対する世論との違いは何だろうか?

 

世論の分布

 

私個人は、その行動に理があるかないか、だと思う。

桜宮高校では理不尽な暴力がまかり通っていた。顧問の機嫌のために生徒への暴力が日常茶飯事だったという。

死を選択するほど追い詰められた少年の心境は想像を絶するものだろう。

理のない顧問の行動に世論は激高した。そして多くの人は少年の苦しみに思いをはせた。

 

しかし、町田総合高校のケースでは違う。

私は教師の行動には理があると思う。

生徒が教師を挑発し、それでも教師は耐えた。けれども、我慢の限界を超えた。

 

口で言ってもわからん奴には実力行使もやむを得ない。

 

そういう命題を共有している人が教師の行動に理解を示す反応をしていたのだろう。

 

みんな体罰がダメだということはきちんと理解しているのである。

けれども手を上げてしまった教師にも言い分があることはきちんとわかっているのだ。

 

関係ないけれども-個人的に

 

言葉で指導不可能な人間に対しては実力はやむを得ない、という人類史における命題がある。

そんな大きなレベルの話でなくとも、学校においては退学や停学などの懲戒処分で対応する。

 

しかし、体罰はダメなのだ。

今回これほど問題が大きくなってしまったのは体罰に頼らず、如何に組織的に生徒を指導するかが達成できなかったからだろう。

その点で様々な教訓を得た。

 

ただし、世論の同情もわかる。

早急に判断しては事態を見誤るだろうが、動画や該当学校の生徒のツイートを見た上で思うのだ。

私には先生が不憫で仕方がない。

教師としてこのような生徒に対峙した時、私に何ができるだろうか。

 

参考文献

この記事を書くにあたってこちらの論文を参考にした。

薬師丸正二郎「体罰と懲戒~その限界と判断基準~」

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_110007571105.pdf?id=ART0009395389

 

アメリカ外交の重層性-村田晃嗣『アメリカ外交 苦悩と希望』講談社現代新書

 

中東情勢においてアメリカの果たす役割は大きい。

しかし、アメリカという国がどういう行動原理で動いているのか、いまいちわからない。そこで手に取ったのが本書である。

  


アメリカ外交 苦悩と希望 (講談社現代新書)

 

 

アメリカ外交を見る眼-アメリカ外交を分析する視点-

 

第1章はアメリカ外交を分析する視点について書かれている。

 

著者はアメリカ外交分析に際して、3つのレベルを意識する必要を述べる。

  1. 国際システムのレベル
  2. アメリカ国内社会のレベル
  3. 大統領など指導者個人のレベル

 

次にアメリカに固有の4つの潮流である。これは大統領の性質を分析する分類枠組みである。

  1. ハミルトニアン
  2. ジェファソニアン
  3. ジャクソニアン
  4. ウィルソニアン

 

最後の視点としてアイデンティティがある。

 

3つのレベル

 

1.国際システムのレベル

ジョセフ・ナイによれば、国際システムはシステムとプロセスから構成される。

構造とは国際政治におけるパワーの分布状態であり、現在のようにアメリカ一国が突出していれば一極構造、米ソ冷戦期のように二つの超大国が対峙していれば二極構造、十九世紀のヨーロッパのようにいくつもの大国が競合していれば多極構造、ということになる。

 

一方でプロセスとは、プレーヤーがどのように行動するか、ということを意味する。国際政治におけるプレーヤーとは国家を指し、その行動如何によって展開は異なる。

主要な大国が現状維持を願って穏健に振る舞うか、現状打破を求めて過激に行動するかで、構造は同じでもプロセスは異なってくる。また、同じ国でも時代によって現状打破的であったり現状維持的であったりする。1930年代の日本は全社であったが、今日の日本は後者である。

 

構造とプロセスは相互関係にある。互いに影響を受けつつ、国際政治は進展していく。

一国にパワーが集中する過程では、他国はこれに反発して団結するか(バランス)、迎合ないし強調するか(バンドワゴン)の選択を迫られる「一極に完全にパワーが集中すれば、前者の選択は無意味である)。

 

国際システムの構造はパワーの分布状態といった。

では、パワーとは何か。

パワーは国家の有する軍事力(力)と経済力(富)と情報や文化、規範(価値)の複合体である。

  

3つ目の価値とはソフトパワーのことである。

近年においては、中国やロシアなどの権威主義国家が自国の影響力を高める際にシャープパワーを行使する、といった議論もある。 

ただIT革命がアメリカ発であり、GAFAなどのプラットフォーム企業を有するところからも依然としてアメリカのソフトパワーは強い。

 

アメリカはこれら3つのどのパワーにおいても、冷戦終結後は圧倒的な優位にあった。

ただし、2019年現在においてはアメリカの相対的なパワーの低下により、国際システム構造は多極構造となった。イアンブレマーはG0と表現している。

 

ただ、対外的な要因だけで外交政策が決まるわけではない。

それに対して国内勢力が歯止めをかけることもある。なにしろアメリカに最も批判的なのはアメリカ国民自身と言われるのだ。ゆえに視点は国内に向かう。

 

2.国内社会のレベル

 

国内社会を見る視点として、社会における宗教色の分布、またリベラルと保守的価値観の分布状況がある。

たとえば、1980年代以降アメリカでは宗教的右派や保守派の影響力が強まった。

 

また、人種構成や世代の変化も重要な視点だ。

たとえば、人種が多様化して多文化主義が台頭すれば、その反動として白人層が保守化する。

 

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3.指導者個人のレベル

 

アメリカの大統領権限は絶大である。

理想主義者なのかリアリストなのか、主教色が強いのか、国威の発揚に熱心なのか、大統領の性質によってもアメリカ外交は大きく左右される。

 

1つのレベルのみで分析してはアメリカの外交政策を見誤る。

その点で、この文章は非常に示唆的だった。

(1) 国際的要因と国内的要因が一致して同じ方向に働く時、大統領をはじめとする指導者層がこれに反して外交に果たす独自の役割は限定されよう。

(2)逆に、国際的要因と国内的要因が相反する方向に働く時、指導者層の役割は増大しよう。

(3)現在のように、国内的要因が矛盾を内包しており、その一方の潮流が国際的要因と親和性の高い場合、指導者層はその潮流に迎合しがちだが、(1)の場合ほど行動の自由を制約されるわけではない。

 

この枠組みを使って分析すれば、以下のようになる。

アメリカ外交は、19世紀には総じて内向的な小国として(1)、20世紀前半は国力を急増させながら依然として内向的な大国として(2)、第二次世界大戦後1950年代までは自覚的な超大国として(1)、そして、ベトナム戦争の本格化後、特に冷戦後は(3)の傾向にある、と言える。

 

こういう視点でトランプ政権の動向を分析すれば、色々と見えてくるものがあろう。

 

先ほどの分析レベルは他国にも当てはまる汎用的なものだった。

しかし、各国には独自の歴史や文化がある。

当然アメリカ外交にも独自の潮流がある。

 

アメリカ外交の4つの潮流

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アメリカの対外的行動には4つの潮流がある。1つがハミルトニアン、2つ目がジェファソニアン、3つ目がウィルソニアン、4つ目がジャクソニアンである。

 

ハミルトニアン国際協調を重視する海洋国家志向である。北東部の利益を代弁し、企業と連邦政府の協調を重視する。

ジャクソニアン国内の発展と安定を第一義的に考える大陸国家志向である。建国の父ジェファソンに由来し、また彼は独立自営農民が民主主義の核であるとしていた。だからこそ、連邦政府の権限は弱小であるべきだとしたのである。

ウィルソニアン民主主義的な理念を世界中に拡大することをアメリカの指名と考える理想主義である。

ジャクソニアンアメリカの物質的な安全と繁栄を最重要視し、そのためなら赤裸々な実力行使を辞さない立場であり、国威発揚に熱心な立場だ。

 

これらの関係は同列でもなく複合的である。また単体でもない。

たとえば、クリントン大統領は内政重視の点でジャクソニアンであり、人権や民主主義的価値観を重視していた点ではウィルソニアンと言える。

 

根底にはジャクソニアンがあり、国家の危機に際してはこれが浮上するため、アメリカは国益を最重視して強く連帯するのである。ただし、逆に言えば、国家的危機が起きない場合は、ジャクソニアンは影をひそめることがある。

 

ちなみにハミルトニアン共和党の、ジャクソニアンは民主党の源流となっている。

北東部の企業家が共和党の、南部の農家が民主党の元々の支持者だった。

 

アイデンティティについて

 

自己イメージという言葉がある。

自分がどんな人間なのか、という自己認識によって自らの行動を規定するのは、自己イメージによる。これがアイデンティティに基づく分析である。

 

たとえば、アメリカは元々ヨーロッパから逃れてきた人々が建国した。

権謀術数のはびこる旧世界(ヨーロッパ)には関与しない、という自己イメージを持つ人がいれば、孤立主義を選ぶし、一方で世界をアメリカ化しようというインターナショナリストがいれば、積極的な対外関与へと進むだろう。

あるいは帝国という自己認識があれば、その通りに行動するかもしれない。

 

以上の3つのレベルを筆者はこのようにまとめる。

アメリカ外交の歴史を概観しようものならば、国際システムと国内政治、個人という三つのレベル、パワーを構成する力、富、価値という三要素をヨコ軸に、四つの歴史的潮流をタテ軸に、さらにはアイデンティティーまで意識しながら、アメリカ外交を考察するという難題が、われわれを待ちかまえている。

 

本書の価値

 

本書はこうした視点を懇切に解説したのちに、アメリカの歴史を建国からブッシュ政権時代まで分析の枠組みに基づいて描いている。

国際政治学における理論を現実の事象に当てはめて丁寧に解説しており、手ごろな新書でそのエッセンスを味わえる点で非常に価値がある。

 

ただ惜しむらくは出版が2005年と古く、14年前の情報だという点である。続編を出してくれないだろうか。

ただ、ある視点をもってブッシュ政権時代を眺めてみると、すでに現在のトランプ政権の萌芽がみてとれる。

 

トランプの行動の背景は何なのか?

そうしたことを考える視座をもたらしてくれる点で有益だと思う。

 

何より筆者の洗練された文章力にあっと引き込まれる。

 

また、中東政策の背景を様々な視点から眺めることができた。

たとえば、キャンプ・デーヴィッド合意の背景には「人権外交」を掲げるカーター大統領のウィルソニアン的な人格があった。その一方でイランの人権抑圧に目をつむったのは当時の国際システムが要因としてあった。

世界が結びつく体験を味わえた。

 

ある事象は連鎖反応的にさらなる事象を誘発する。

世界は有機的に結びついている。

 

最後に本書冒頭の言葉で結びとしたい。

「一つの国についてしか知らない者は、実はその国についても知ってはいない」-アレクシス・ド・トクヴィル

「知識は陳腐化するのか?」-IT時代の知識の価値について~イラン問題を題材に~

 

知識は陳腐化するのか?

 

陳腐化とは、価値が低下することである。

 

インターネットがこれだけ発達した現代。

調べれば簡単に情報が出てくるようになった。

 

そういう時代において知識の価値は低下すると言われる。

果たしてそうなのかだろうか。

 

今日はその問いについて考えたい。

 

 

新聞を読む-アメリカの国務長官の中東歴訪の記事から

14日、アメリカのポンペオ国務長官が中東歴訪を終えた。

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アメリカは反イラン同盟を作って、イランの封じ込めを狙っている。

 

アメリカだけではない。

サウジアラビアなどの湾岸諸国やヨルダンなどのスンナ派諸国、そしてイランと敵対するエジプト、そしてイスラエルが接近し、反イラン同盟の構築に向けて動いているのだ。

 

中東の問題の淵源であるパレスチナ問題。それをもたらしたイスラエルアラブ諸国と協力しているなど、かつてのアラブ人が見たら卒倒するだろう。

 

しかし、こうした中東における変化は、サウジアラビアとイランを中心に「中東の新たな冷戦」が起こっている、という視点で見ればすんなり理解できる。それについては過去の記事を参考に。

 

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トランプ政権がなぜこれほどにイランを敵視するのだろうか。

 

イラン核合意はオバマ政権の時代に結ばれた。原子力の平和利用を認め、イランへの経済制裁を解除したものだ。

 

だが、大統領が変わると、過去の政権の政策を180度転換することはよくある。

トランプ大統領は核合意から離脱し、イランへの制裁を再開した。

 

背景にはトランプ大統領のイラン観があると言われる。

1979年にイラン革命が勃発し、アメリカの大使館員が400日以上人質に取られた。

この事件はアメリカに衝撃を与え、以後対イラン政策は今日まで続く強硬なものとなった。

「イランはまたアメリカに牙をむくかもしれない…」

 

そこにイランの原子力利用である。

 

「簡単に核兵器に転用するだろう。」

 

そんな恐怖が背景にあったとされる。

 

また、イランはシーア派国家である。イラクやイエメン、シリアとの結びつきが強く、それらがスンナ派諸国にとって脅威となっている。

王制サウジと革命を経験した共和制イラン。

体制の違いをめぐる対立から両国が競って同じ宗派を自陣に巻き込んだ。

その結果、中東全体で宗派対立のような様相を呈しているのが現状だ。

イスラエルもシリア問題をめぐってイランと敵対している。国境を接するシリアのアサド政権をイランが支援しているからだ。

 

ここでイランを封じ込めるという利害が一致し、中東でのイラン封じ込めが画策されているのだ。

 

知識を結びつけること

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新聞を読んでも、その情報が「何を意味しているのか」わからないことがある。

 

アメリカの国務長官が中東を歴訪した。」

「ああ、そうですか…」

 

知識を単体で手に入れても、すぐ忘れてしまうし、その位置づけもわからない。

 

けれども、自らの中に知識があればそれらを用いて解釈や分析ができる。

今手に入れた知識を自分の中にある知識と結びつけることで、新たな知識が生まれるのだ。

 

つまり、比較の材料としての知識は依然として価値を持つ。

解釈したり、分析したり、情報に意味を与えることは人間の専売特許なのだ。

これらは思考の一種であり、その材料が多ければ多いほどメニューも増える。

 

IT全盛期における知識の価値

インターネットがこれだけ発達した現代において、情報は簡単に出てくる。

それこそ、ある問題の解釈や分析もたくさん出てくる。

 

しかし、それらはあくまでも他人の思考の軌跡である。

 

思考は一朝一夕でできるものではない。

考え方を知り、それらを日常的に意識して行う訓練の積み重ねが必要なのだ。

その機会として新聞を活用するのは良いことだと思う。

 

ただし、そのためには比較できる知識が自分の中にあることが大切だ。

そして、その知識は体系化されたものであることが望ましいと思う。

全体的な関係の中でニュースを位置づけることができるからだ。

 

体系化された知識を得るのに最良の手段は読書だと思う。

特に教科書は優れた手段だ。ここでの教科書は学部や院レベルまでを射程にしている。

 

知識は陳腐化するのか?

考えるためには知識が土台となる。

考えるという能力はあらゆる時代において重要な能力だ。

 

だからこそ、その土台をおろそかにしてはならない。

調べられれば確かにすぐに出てくる時代になった。だからと言って知識の習得が意味を持たないわけではない。

 

ただ今までの教育は知識の習得に偏りすぎていた感がある。

インターネットがなく、教師と生徒間で知識の非対称性がすさまじかった時には、それは仕方なかったのかもしれない。

しかし、ネットを通じて知識を手に入れるハードルが下がったことで、知識の習得のみに偏った授業は時代錯誤と言えよう。

 

だからこそ、我々は解釈したり、分析したり、考える能力を持たなければならないのだ。

思考力があってこそ、知識は活きる。

つまり、知識と思考は車の両輪の関係なのだ。

 

知識自体は個人で好きに獲得できる。

個人の意思次第で好きなだけ吸収できるようになったのだ。

もちろん究極的には考える力だって個人の意思で身につく。

しかし、思考力の重要性にすべての人が気づくわけではない。

だから、それを鍛える訓練は社会で強制的にやらねばならない。

現下の教育改革はそういう流れの下で行われているのだろう。

 

ここで最初の問いに答えるなら、次のようなことが言えるだろう。

 

知識は陳腐化しない。

ただし、それを使って考えるならば。

 

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起業家教育-「成功」の反対は「何もしないこと」

 

連休最終日の一昨日、金融教育セミナーに参加してきた。

 

色々書きたいことはあるけども、起業家教育について書こうと思う。

 

 

起業家教育が求められる背景

 

人工知能がニュースに出ない日はない。そうした社会的変化に対して、多くの先生方は関心を共有されていると思う。

 

昨日のセミナーの中で言われていたのが、

 

将来的には、人工知能が人間の知力を超えるシンギュラリティが起こると言われている。一説には2029年に起こるそうだ。

2014年にオックスフォード大のマイケル・オズボーン教授が発表した論文には、将来的に消える職業のリストが書かれていた。

 

多くの職業が人間から機会に取って代わられる。

そうした時に人間はどうすべきか。

 

そうだ!仕事がないなら会社を作ってしまえばいいじゃない。

 

だから起業家教育を推進しよう、ということだった。

 

起業家教育って何を育てるの?

 

では、起業家教育では何を育てることを目指しているのか。

 

経済産業省の『生きる力』を育む起業家教育のススメ/小学校・中学校・高等学校における実践的な教育の導入例」http://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/downloadfiles/jireisyu.pdf

にはこう書かれている。

 

起業家精神(チャレンジ精神、創造性、探究心、等)起業家的資質・能力(情報収集力・分析力、判断力、実行力、リーダーシップ、コミュニケーション力等)を有する人材を育成する教育です。

起業家や企業経営者だけに必要な特殊なものではありません。

高い志や意欲を持つ自立した人間として、他者と協働しながら、新しい価値を創造する力など、これからの時代を生きていくために必要な力の育成のために起業家精神と起業家的資質・能力の育成をするための教育です。

 

起業家教育という名前こそあれども、起業家を生もう、ということだけが狙いではない。

これからの社会を生きる上で必要な資質・能力を養える教育が起業家教育だと言っているのだ。

 

また、起業家教育を実施して、チャレンジ精神や創造性などの精神面、判断力や実行力などの資質・能力面でも効果があったというデータも掲載されていた。

※もちろん「官公庁発行で、その教育を推進する立場だから不都合なデータはない」といううがった見方もできるけど。

 

起業という世界

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私の知り合いに実際に起業した人物がいる。

学生のころから常に本を読んで情報収集を怠らないし、理解力も分析力もすさまじいものがあった。組織を率いる点ではリーダーシップはもちろんのこと、色々な人と会っても笑顔を忘れないコミュ力の鬼だった。

 

バイタリティすげー…と常々思っていた。

 

ただ、完全無欠に見えても人間なので苦悩することもある。

起業の前、就職活動をしていて、大企業の内定をもらった。

就職か起業か、ずいぶん悩んでいた。

それでも起業を選んだのは「本当に自分がやりたいこと」をして生きていきたい、という思いがあったからだと聞いた。

と同時に大企業での(永遠ではないものの)安定を捨て、リスクをとる道を選んだのだ。

 

私には真似できないがゆえに、ただただ「すごいな…」としか思わなかった。

 

起業家に必要なもの

 

人生は選択の連続とよく言われる。

 

私も若いなりに選択し続けてきた。

だからこそ、選択した結果については責任を負う、という態度が大事だろう。そうした態度こそがチャレンジ精神である。

起業という道を選ぶか、既存の企業への就職を選ぶのか、というのも選択だ。

どちらにもリスクはある。そのリスクを恐れないチャレンジ精神を持つことがこの教育の鍵だと思った。

不安に打ち勝つ、強いメンタリティとでも言い換えようか。

 

ただ、チャレンジするには、失敗へのハードルを下げることは大事だとも思う。

たとえ失敗したとしても再起できる、そんな社会的なセーフティーネットの整備は必要であろう。*1

 

最終的には失敗を恐れずに起業を選択する、そういう決断力の涵養が起業家教育の根幹にあるのだと思う。目指す精神や資質・能力は並列ではなく、優先順位があるということだ。

 

今後のために 

成功の反対は何もしないことだ。

こんな言葉がドラゴン桜に書いてあったように覚えている。

確かに失敗が怖いなら、最初から無為でいることだ。そうすれば絶対に失敗しない。

 

私自身、失敗を恐れて、躊躇してしまうということがある。

教える云々の前に、まずは私自身がチャレンジを畏れてはいけないなあと思う。

 

といった規範論で終えても何も生産的ではないので、今後のためにも備忘録的に記事を貼っておきたい。

www.nikkei.com

 

gendai.ismedia.jp

 

そういえば、嫌われることを恐れて、硬直してしまうときがあるのもアドラーにヒントがあるのかも。

セルフイメージに縛られてそこから逸脱した行動ができないとか何とか…

 

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それでは。

*1:と考えたら、自己責任論が根強いアメリカで起業が盛んなわけは何だろうか。

ISが出現したわけ~アメリカの中東政策が招いた怪物-酒井啓子『9・11後の現代史』講談社現代新書②

中東は混沌とした状況にある。今では壊滅状態のIS(イスラーム国)の登場は衝撃的だった。

ここでは『9・11後の現代史』を参考に、ISがなぜ登場したのかまとめたい。

 

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9.11後の現代史 (講談社現代新書)

 

 

IS(イスラーム国)とは?

中東に激震が走った。2014年に勢力を伸ばしたIS(イスラーム国)の出現である。至る所で非イスラーム教徒やシーア派を迫害したり、文化遺産を破壊したりするなど、その残虐性・破壊性に人々は震えた。

ISの特徴は以下のとおりである。

第1に、スンナ派の組織であること。

第2に、従来の武闘派組織と異なり、組織的に行動すること。

第3に、「カリフ制国家」の樹立を宣言し、西欧近代国家と異なる枠組みを提供したこと。

第4に、サイクス・ピコ協定体制の打破」を掲げたこと。

第5に、外国人がISに流入していることである。

 

第1の特徴であるスンナ派組織であるというのは、ISが生まれたきっかけがイラク戦争である点に求められる。2003年のイラク戦争後、かつての政権党を担っていたバアス党が戦争後に解体され、要職についていた人物が公職追放にあったことに由来する。イラク国民のうち、スンナ派が4割、シーア派が6割で構成されているが、バアス党の下では少数派のスンナ派が政権を握ってきた。しかし、戦後はアメリカによって民主化がなされ、当然選挙では多数派であるシーア派が勝利する。社会から疎外されたスンナ派の人々は今の自分の不遇の原因を作ったアメリカと現政権に反旗を翻す。そうしてISなどの武装勢力流入していった。それが、ISがスンナ派たるゆえんである。

第2の特徴はテロ組織にもかかわらず、その組織性が卓越している点だ。イラク国軍に対する集団的な軍事攻撃など軍事面をはじめ、侵略地域での行政機構を抱えこみ、住民を統治する国家経営の面など、幅広い面においてその組織力が発揮されている。かつての政権党であるバアス党の人材を多くリクルートしたことで、その行政能力が担保されていたのかもしれない。

第3の特徴は、イスラーム独自の国家概念を打ち立てたことである。

カリフ制国家とは、イスラーム預言者ムハンマドの後継者である「カリフ」が、その共同体の指導者としてイスラーム社会を統治する国家体制のことであり、現在国際政治の前提となっている西欧起源の国民国家体制とは全く異なるものである。

カリフ制国家の宣言は、西欧の侵略にトラウマを抱える中東の人々の一部を魅了した。その一方で、国際秩序の根幹である国民国家を脅かす存在として、特に西欧の人々には脅威に映った。

第4の特徴も一部の中東の人々にとって魅力的だった。中東の人々の中には、自分たちは第一次世界大戦後に西欧列強によって分断され間接支配されてきた、という怒りを抱え、それがアラブ諸国の抱える最大の足枷だという意識は強い。だからこそ、その原因たるサイクス・ピコ協定の打破は一部の人を動かしたのである。

最後の特徴はISに外国人が流入している点だ。その多くはヨーロッパの移民2世・3世であり、彼らの多くはアラブにルーツを持つ。西欧で差別された移民が西欧を敵視するISに流入して、生まれた地に報復する構造ができているのだ。さらに、ISに流入せずとも、その理念に共感した人々は単独で起こすローンウルフ型のテロ問題となっている。ISがSNSなどを通じてテロを呼びかけたことで、フランスやベルギーなどで多くの犠牲者を出すテロが起きた。

では、そもそもISはなぜ出現したのだろうか?

 

ISの出現

IS出現の土壌はイラク戦争後の混乱にあった。

2003年のイラク戦争後、アメリカによる民主化政策の展開によってシーア派が台頭したことはすでに述べた。それは一方では、公職追放されたバアス党員、さらに言えばスンナ派の党員が社会から疎外され、他方ではシーア派の人々ばかりが政治過程に組み込まれるという不平等な構造をもたらした。

しかも、民主化が制度的に進めども市民生活は全くよくならない。それも当然、アメリカの主眼は住民の福祉ではなく、あくまでも民主制度の導入にあったからだ。

さらにISに対抗するためにシーア派民兵義勇兵として政権が募った。それを隣国イランが軍事指導したことで、否が応でも宗派対立が生じた。つまり、スンナ派から見ればシーア派は「外国の手先なのでは」という不信感が生じたのだ。そもそも旧バアス党員からすれば現政権はシーア派で自分たちを迫害したアメリカの手先であり、敵対関係にある。宗派間対立は不可避であった。

選挙の結果選ばれたマーリキーは当初両宗派の融和政策をとっていた。しかし、マーリキーは国民和解政策をやめ、スンナ派の迫害を図った。イラク国内の政情は不安定化し、国家破綻の様相を呈している。

そして、その不安定さの大元をたどると戦争に行きつく。イラクがここまで荒廃し、ISを生む土壌となった最大の契機はイラク戦争だった。

イラク戦争はなぜ起きたのだろうか?

 

イラク戦争

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2003年、アメリカがイラクに攻撃を行った。イラク戦争の勃発である。しかし、1991年の湾岸戦争を契機にイラクアメリカは敵対した関係にある。

1979年のイラン革命まで中東におけるアメリカの同盟国はイスラエルを除けば、イランだった。しかし、革命後は隣国のイラクが消去法的にアメリカとパートナーに選ばれる。しかし、湾岸戦争ではイラクアメリカを敵にする道を選んだ。ここで、アメリカにとってイラクは自分に刃向かう敵としての存在に変化したのである。

それが先鋭化したのが2001年の9・11後だった。

9・11事件をきっかけに、アメリカがイラクフセイン独裁政権が抱く反米姿勢を問題視し、これを「民主化」しないことにはアメリカは安全ではいられない、と推論したことが決定打となった。しかし、他国の内政にはおいそれと干渉することはできない。そこで建前として用いられたのが、フセイン政権が大量破壊兵器を保持しているということが開戦理由として掲げられた。

というのも、湾岸戦争の停戦合意には「軍備拡張しない」ということが盛り込まれていた。そのため90年代には国連の大量破壊兵器査察が頻繁に行われた。だが、次第に強引になっていく査察にイラク側が拒否したことで、アメリカがこれを問題視した。そして、国連の査察ではなくアメリカ自身が見つけ出すという理由でイラクへの軍事攻撃を主張したのだった。こうしてイラク戦争が引き起こされた。

 

イラク戦争

戦闘はあっという間に終わった。42日間でイラク戦争終結を迎えたのである。だが、開戦理由とされた大量破壊兵器は見つからなかった。

 

イラク戦争開戦から1年半後の2004年9月、パウエル国務長官は探索をあきらめる発言をした。見つからなかったのである。パウエル報告書に使用された証拠の多くがねつ造だったり剽窃だったりしたことが、のちに判明した。(P50より)

 

ちなみに後にイラク戦争を振り返ってこんなことが述べられた。

イギリスのイラク戦争参戦経緯と戦後処理を検証する独立調査委員会(通称チルコット委員会)は、2016年夏に膨大な報告書を発表した。そこではブレア政権が正しくない判断に基づきイラクを武力攻撃し、イラク戦争後の対処も十分ではなかったっことが厳しく糾弾されている。つまり、イラク戦争が理も大儀もない戦争だったということが、開戦から13年を経て、開戦当事国の公的な機関で認められたわけだ。無責任でずさんに行われたイラク戦争によって、イラクは秩序が崩壊し、政治は不安定化し、経済は停滞するという悲惨な運命をたどることになった。

その理不尽さからISは生まれた。(P46より)

 

 

戦闘自体は終わった。しかし、ここからが始まりだった。ずさんな開戦理由だからこそなのかもしれないが、そのずさんな戦後管理は間違いなくISの土壌となった。

ブッシュ大統領は自由と民主主義を広めること、民主主義思想の輸出を掲げていた。当然占領下のイラクでは民主化がすすめられる。しかし、あくまでも民主化に主眼が置かれていたため、市民生活の向上は二の次だった。そのため、住民の福祉はほとんど向上しなかった。

だからか、住民の抵抗活動は戦後すぐに始まった。さらには反米抵抗運動に外国人も流入したのである。その結果、2006年からの2年間、イラクは内戦状態に突入した。

こうした治安の悪化には、反米的要素に加え、政治家の腐敗や汚職に対するアンチテーゼの意味合いもある。イラクの戦後復興を担ったのは、亡命イラク人だった。彼らはイラク戦争中亡命し、戦後祖国に戻ってきたため、現地の支持地盤を持たない。だから、金で現地の人を買収して動員するなど賄賂のイメージから人々の不満を買ったのだ。また、支持基盤がないのだから、宗派アイデンティティに訴えて人々を動員するのが手っ取り早い。だからこそ、国民の多数派であるシーア派に訴えて選挙を勝ち抜こうとしたのだ。これがかつてのエリートであるスンナ派の没落をもたらし、戦後のイラクで宗派対立が醸成される要因となった。まさに国家破綻の状態だったからこそ、ISが出現したのだ。

さて、なぜイラク戦争の原因である9・11が引き起こされたのか?その淵源はアメリカの中東政策にあった。

 

9・11

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9・11の淵源はアメリカの中東政策にある。それはイラン革命がきっかけだった。

冷戦下、アメリカの中東政策の根幹はソ連の侵略から中東の油田地帯を守ることだった。そのためのパートナーがイランだった。しかし、1979年のイラン革命によってイランとは敵対関係になったため、代わって協力相手として浮上したのがイラクだったことは前述した。

同年、アメリカにとって悪夢のような出来事が起こった。ソ連がイランの隣国アフガニスタンに侵攻したのである。しかし、冷戦下において米ソが直接対決することは核戦争への発展の可能性を持つ。だからこそ、アメリカは自らが直接動くことをせず、子分を動員した。すなわち、アフガニスタン周辺の親米勢力を頼りにアフガニスタンで反ソ反共勢力を育てることが政策としてとられたのである。まずサウジアラビアイスラーム教徒を募り、集まったイスラーム義勇兵パキスタンの協力の下で軍事訓練を施され、反共ゲリラ兵士となったのである。その中には、後に9・11の首謀者とされるウサーマ・ビン・ラーディンもいた。

しかし、ソ連アフガニスタンから撤退すると彼らは役割を終える。しかし、彼らは役割を終えても、ソ連という無神論者(共産主義無神論)がイスラームを蹂躙しているとして、世界各地の紛争地域で活躍の場を求めた。そして、彼ら、特にビン・ラーディンが反ソから反米へと変わる転換点が湾岸戦争だった。

ソ連撤退後、ビン・ラーディンは祖国サウジアラビアの変化に気づく。サウジアラビアイスラームの聖地メッカとメディアを抱え、王家はそれら聖地を護る者と自らを位置づけることで体制の正統性を確保してきた。ところが、湾岸戦争に際して、サウジアラビアイラクが自国に侵攻するのでは、と危機感を抱く。そこで、サウジアラビアアメリカに国防をゆだねる決断をし、結果として、米軍がサウジ国内に駐留することとなった。

こうした事態にビン・ラーディンは失望した。

米軍駐留の決定に、聖地を護ることがその存在意義であるはずのサウディ王家が、外国軍に依存するばかりか、異教徒の兵士を国内に招き入れるなど言語道断(P74より)

 

ビン・ラーディンは祖国を批判するが、国籍を追放され、さらには避難先のスーダンからも追い出される。その末にアフガニスタンに拠点を築いたのである。ビン・ラーディンは自らが指導者であるアルカイーダの拠点をアフガニスタンにおき、そして2001年、9・11米同時多発テロ事件を起こすに至ったのである。アメリカはすぐにビン・ラーディンを犯人と特定し、アフガニスタン政府に引き渡しを要求したが、政府が拒否したためにアフガニスタンへの攻撃を開始した。2001年、アフガニスタン戦争である。それに続いて、イラクとの戦争を始めたことも前述のとおりである。

 

9・11事件の後、ブッシュ大統領テロとの戦いを表明し、イラク戦争に踏み切った。ブッシュの背後には自由民主主義の世界的な拡大をアメリカの使命と信じるネオコン新保守主義者)がおり、それはアメリカが中東政策に自ら介入することで実現されると考えられた。

アメリカの直接介入は伝統的な中東政策とは大きく異なる。従来はただ同盟国を作り、間接的に介入するだけだった。では、直接介入はうまくいったのか?

否。直接介入はアメリカに予想外の被害をもたらした。それはアメリカの介入意欲を減退させるのに十分だった。その証左として、オバマは「世界の警察を辞める」として、2011年にはイラクから撤退したし、トランプに至っては自国の利益が最優先とする「アメリカファースト」を掲げて大統領となった。イラクの混乱をもたらし、ISの出現をもたらした要因はアメリカの中東政策に大きな要因があったのだ。

 

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義を見てせざるは勇無きなり-尊属殺重罰規定違憲判決から考える

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大貫大八

 

という人物をご存知の方はいるだろうか。

 

尊属殺重罰規定違憲判決

 

と言えば、公民の授業で習った方は多いだろう。

 

大貫大八は、この裁判で被告人(つまり父親を殺した娘)の私選弁護人となった弁護士である。

 

大貫氏の法廷での在り方から弁護士とは何なのか、が見えてくる。

 

 

事件の概要

ものすごく簡単に言うと、夫婦同然の生活を何年も父に強いられてきた娘が、父親を殺した事件である。起きたのは1968年。

 

父の子供まで出産した娘は、ある日恋に落ちる。父に打ち明けたところ、父が激怒し「娘を殺してやる!」と脅され、たまらず父を絞め殺した。

 

ここで親殺し(尊属殺)の罪なのか通常の殺人罪を適用するのかが裁判で問題となった。

尊属殺が適用されると死刑か無期懲役、一方で通常の殺人罪が適用されれば、死刑か無期懲役、または3年以上の有期懲役が課せられる。

 

もちろん娘にとっては通常の殺人罪の適用がベターである。

 

ただ娘の資力では弁護士を雇えない。そこで国選弁護人がつくのだが、一審ごとに変わってしまうため一貫して弁護することができない。

そこで無償で私選弁護を買って出たのが大貫弁護士だったのだ。

 

当時の社会状況

裁判が始まったのは1968年。戦争を終えて23年経ったとはいえ、戦前から続く道徳観は変わらない。イエ社会だった。

 

憲法で個人の平等が謳われようとも、親殺しはタブーとされていた。ただ、娘と父親の関係は明らかに異常であった。けれども現行法(当時)では刑が重すぎるのではないか…

 

そうした異様な状態に対して大貫弁護士は徹底的に抗戦する。

以下は大貫弁護士の上告趣意書の一部抜粋である。

 被告人の実父相沢幸雄は被告人が中学生であつて満14才になつて間もない昭和28年3月頃強姦し、爾来無理に不倫な姦淫行為を継続し、被告人としても母リカや親族の者の協力によつて再三、父幸雄の魔手から逃れようとして家出したがその都度見つけ出されて連れ戻され、爾来15年間不倫関係を継続することを余儀なくされ、その間5人の子を生まされた(内2名死亡)のである。本件犯行の直接の動機になつたのは偶々被告人が勤務した印刷工場で知合つた年下の同僚郡司好偉と相思の仲となり結婚の話に進み、被告人としては実父によつてじゆうりんされてあきらめていた結婚が人並にできることを喜び父幸雄の許しを求めたところ、初めは許すような態度をとりながら飲酒をしては被告人に対し「出て行くならお前らが幸せになれないようにしてやる、一生苦しめてやる」とか、「今から相手の家に行つて話をつけてやる、ぶつ殺してやる」などと脅迫し、被告人は涙をのんで断念するの已むなきに至つたが、父幸雄は被告人を軟禁状態にして焼酎を飲んでは淫行を迫り、あるいは脅迫しあるいはばりざんぼうすると言うような地獄絵そのままの数日の生活の中に本件犯行が行われたのである。
 親子相姦と言うが如き古代の未開野蛮の時代なら格別、人類が長い歴史的試練を経て確立した近代の文明社会における道徳原理からすれば許すことのできない背徳行為である。刑法第200条の謂う直系尊属とはそのような破廉恥の背徳漢まで予測したものでないことは明らかである。御庁の判例も第一点で述べたとおり親子関係を「人倫の大本、人類普遍の道徳原理」と説明しておるように、正常な普通の親子関係を前提としていることは一点の疑もない。換言すれば、父親が暴力を以つて実子である娘を犯したばかりでなく、爾来15年間も夫婦同様の生活を強いて子の人としての幸福を奪つてしまうような野獣に等しい行為は如何なる角度より観ても「人類普遍の道徳原理」に適合することにはなり得ないのである。

尊属殺重罰規定違憲判決 上告審より

 

 漸く満14才になつたばかりの頃父幸雄に強姦されて以来夫婦の如き生活を強いられ、逃げ出せばどこまでも追いかけて連れ戻されて遂に不倫の15年の生活を余儀なくされたのである。原判決はその15年の生活の中に普通の夫婦に見られるような平穏さがあつた旨を認めているが、それこそ皮相の見解であつて被告人の異常な忍耐強さが表面に表わさなかつただけで、心中では常に父の背徳不倫行為に泣きつつあつたのである。
 以上のような事実は被告人が15年間その実父幸雄によつて憲法第18条の禁止する奴隷的拘束を受けて来たことになるのである。
 従つて又被告人は憲法の保障する幸福追求の権利すら奪われてしまつたのである。
 被告人はこのように奴隷的拘束の下に15年の忍従生活を強いられて来たのであるから愛人ができ普通の結婚ができるとなれば自らの幸福追求のために従来の不倫の奴隷的拘束より脱却せんとすることはむしろ憲法上保障されたところの権利でさえあるのである。

尊属殺重罰規定違憲判決 上告審より

こんな理不尽がまかり通ってはならない、とでも言わんばかりの熱量を感じる。

 

裁判の結果、尊属殺重罰規定自体が憲法に反するとの判決が出される。

大貫弁護士の弁護の下、勝利を勝ち取ったのだ。

ただ、大貫大八氏は途中でがんのため入院し、後を息子の正一氏が受け継いでいる。

 

そして1995年に立法措置が取られ、尊属殺人の規定は刑法から姿を消した。

 

大貫親子が社会を変えたのである。

 

弁護士とは

私が思うに、弁護士とは義の体現者である。

理不尽な世の中で正義を貫く、そういう義と優の徳目を備えた人物だと思う。

 

では、義と優とは何か。それは武士道にこう書いてある。

 

義は、自分の身の処し方を、道理に従い、ためらわず決断する心を言う。(新渡戸稲造著『現代語訳 武士道』山本博文訳 ちくま新書、P37)

正しい道理に従うことが義である。

 

一方で勇、つまり勇気とは何か。

勇気とは正しいことをすることである。(同P43)

 

義を見てせざるは勇無きなり。つまり、正しいことをためらわず行うことが弁護士の徳なのだ。

 

大貫大八氏、そして息子の正一氏の不正を許さない熱意には心を打たれる。

 

あらためて教師とは

なぜこんなことを書いたのか。

それは教師とは何かを他の職業との比較の中で最近考えているからだ。

ただ書いている中で、自分は論語の徳目の視点から職業を考えていることがわかった。*1

ちなみに新渡戸稲造の書いた『武士道』は朱子学キリスト教がベースとなっている。そして朱子学儒教論語)から派生している。

今後もこうした記事を書いて、教師の徳について考えたい。

 

参考にした記事を張っておく。

www.cyzowoman.com

 

business.nikkeibp.co.jp

 


現代語訳 武士道 (ちくま新書)

*1:論語には五常=仁・義・礼・智・信という5つの徳目がある。