Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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二次試験で公民系科目を利用できる国公立大学

 

※2020年8月21日に再更新しました。一橋大学が倫政を廃止します。

 

国公立大学の二次試験で公民系科目が受験科目となっている大学は非常に少ないです。

地理歴史はほとんどの大学で受験可能ですが、公民科は本当に少ない。受験生にとっても教員にとっても悩みどころですよね。

なかなかまとまったサイトもなく困っている方も多いと思うので、まとめてみたいと思います。

 

 

一橋大学-倫理・政治経済 ※2022年度から廃止

※2022年度入試から倫理、政治・経済が入試科目として廃止されます。

 

商・経済・法・社会学で倫理・政治経済が選択できます。

指定字数以内での論述問題が課され、内容としては定義の説明や事象の背景などの説明が聞かれます。

殆どの問題は教科書のレベルを超えているので、対策はかなり大変かと思います。

 

東京学芸大学-倫理、現代社会、政治経済

東京学芸大学は公民系科目すべてを選択できます。

ただし教育学部のA類 初等教育教員養成課程〈社会専修〉か〈環境教育〉、B類 中等教育教員養成課程〈社会専攻〉を受ける場合に限られます。

 

信州大学-倫理、現代社会、政治経済

信州大学でも公民系科目すべてを選択できます。

ただし、教育学部の社会科教育コースのみ受験科目として設置されています。

 

埼玉大学-政治経済

埼玉大学でも公民系科目だけではないですが、政治経済を受験科目にできる学部があります。

それが教育学部・学校教育教員養成課程・中学校コース・社会です。

ただ政治経済独自ではなく、総合問題という形で出題されます。

※総合問題は日本史、世界史、地理、政治経済から2つを選択して解答

 

高崎経済大学-政治経済

経済学部・地域政策学部(前期)で受験可能です。

傾向としては空欄補充や用語の説明がほぼ毎年出題されています。私大(早稲田)に似ていると思いますが、やはり書く力が求められているんでしょうか。

 

筑波大学-倫理

人文学類、比較文化学類、教育学類、心理学類、知識情報・図書館学

のいずれかで倫理での受験ができます。

傾向としては、時代を越えた思想家の比較や自由に論じるタイプの問題などかなりハイレベルですね。教材研究する上でも勉強になります。

 

まとめ

社会科教員を養成する学部では入試問題に全ての公民系科目が課されているところもありますが、それでも少ないですね。

将来の目標が決まっている人行きたい大学・学部が決まっている人には公民系科目の選択は一つの手ですが、まだ決まっていないのならより多くの大学を受験できる地理歴史の選択がいいのではないでしょうか。

 

【書評】日本のルール=行政を知ろう-新藤宗幸『行政って何だろう』

 

水道事業の民営化が決まりました。

政府部門の民営化はイギリスが先行していますが、かの地では格差が拡大したことで社会的排除が問題となっています。

日本でも、特に2000年代から新自由主義的改革が進み、政府規制が緩和されていきました。行政の仕事がどんどん市場に任され、政府の規模が小さくなっていく。果たしてそれは何をもたらすのか。

そうした行政の問題を知るのにうってつけの本がこちらです。

 


行政ってなんだろう (岩波ジュニア新書)

岩波ジュニア新書は中高生向けの本ですが、タイトルからは想像できないほど厚みのある内容です。

私たちの日常生活のあらゆる部分に行政活動は関わっています。この本は、日本の政治のルールブックともいえるかもしれません。

 

  

おすすめポイント

行政に関するスペシャリストの筆致は重厚ですが、一方で非常に分かりやすい言葉で書かれています。

日本の行政がいかに官僚の影響力が大きいか、そして国民の声を反映するためにはどうなるべきか、それを筆者は丁寧に伝えてくれています。

 

おすすめの方

教材研究で行政の仕組みをさっと知りたい方

行政の仕組みが複雑でよくわからないけど、関心がある方

高校生で行政学政治学を将来勉強しようと思っている方/公務員試験で行政学が試験科目で出題される方

 

ざっくり内容

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日本では行政の影響力が非常に大きいです。

憲法65条によれば、行政権は内閣に属します。内閣は議会の統制を受ける、つまり法的な根拠を基にして行政の権限や組織が規定されるわけです。

しかし、実際は公務員の裁量は非常に大きく、法律だけでなく、政令や省令、内規、そして現場の公務員の裁量(判断)など民主的な統制を免れてしまうわけです。

 

戦後、GHQの占領を経ても戦前から行政の影響力は温存されてきました。

戦前は公務員は「天皇のための官吏」でした。しかし、戦後は「国民のため」の組織に生まれ変わり、議会の統制を受けるようになります。また、戦前は中央省庁の出先機関に過ぎなかった地方も「地方自治体」として地方自治の主体になりました。

ですが実態は依然として戦前のような強い中央政府の影響力が保持されていました。それが最も現れていたのが中央と地方の関係です。

2000年に施行された地方分権一括法で、機関委任事務が廃止され、法定受託事務自治事務、国の直接執行事務の3つに再編されました。機関委任事務とは、中央政府の業務を地方自治体が代わりに行うというもので、高度成長に伴って増加の一途をたどっていきました。たとえばパスポートの発行は外務省の管轄ですが、実際の業務は各都道府県が担っており、地方自治体は戦後においても出先機関とされたのです。

これが廃止され、法定受託事務になりました。以前のように省庁の通告・通達にただ従うだけではなくなったのです。そうなれば、その解釈が中央と地方で分かれますから、紛争が起こりえます。そのためにできたのが国地方係争処理委員会でした。国と沖縄県が国地方係争処理委員会で対立を繰り広げる現在において非常に示唆的に思えました。

 

こうした改革が進められている中で、特に小泉内閣以降進んでいるのが新自由主義的な改革、小さな政府への回帰です。

成長部門と衰退部門を分け、成長部門にお金が流れるような仕組みを作りました。ただ、格差が拡大する中で果たしてその改革の流れは正しいのか、と著者は疑問を呈します。

そして、大事なことは政府の業務をいたずらに減らすのではなく、公正なルールの下に行政を置くことだと言います。

民主的統制を受け、国民の声を反映する行政にすることが大事だ、そう筆者は言うのです。

 

こうした内容に加えて、行政の概念や行政と国家の関係の変遷、行政の権限などを具体的な事例を交えて書いています。

 

少し古いのは残念

新版ですが、2008年に書かれているので、10年以上の情報のギャップがあります。そこは別の本で埋めるといいかと思います。

 

まとめ

行政は日常生活と密接にかかわっています。その仕組みを知ることは、我々の生活を改善するはじめの一歩だと思います。その歩みを助けてくれるこの本を強くお勧めしたいと思います。

最後に筆者の言葉で締めくくりたいと思います。

行政の活動は複雑な制度に支えられており、また、法律や政令、予算といった読み解くことが容易でない数々の規範を駆使しながらおこなわれています。それだけに、行政を理解することはむずかしいといわれるのですが、読者のみなさんが行政の意味を考え、それをコントロールすることに、この本が役立つならば幸いです。(230頁)

  

www.yutorix.com

 

地方で教員になるということ

 

今、僕は地方に暮らしています。

 

学生までは東京に暮らしていました。違う環境で1年を過ごすと、色々と見えてくるものがあります。これから地方に暮らす先生の方もいるかもしれません。

地方で働いて思ったことをつらつらと書いてみようと思うので参考になれば幸いです。

 

どれくらい地方か?

東京まで電車で1時間半くらいのところに住んでいます。

 

地方の良いところ

満員電車がない

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東京に暮らしている時は通学がおっくうでした。というのも、満員電車だからです。特に朝の中央線や地下鉄はしんどかった…。

国土交通省によれば、7~9時の間の中央線の乗車率は184%、東西線に至っては199%です。東京への人口集中が進んでいますから、今後も増加していくと思います。

 

その点、地方だとガラガラ。ストレスフリーで通勤できるのは良かったです。

www.mlit.go.jp

 

生活コストが比較的安い

都心の家賃は高いですよね。

僕の住んでいる地域であれば、都心の家賃に満たずに2LDKを余裕で借りられます。その代わり、周りにコンビニすらなかったりする場合もありますが…

ただ、チェーン店が多いので食料品とかの価格は都心と変わらないと思います。むしろ競争が緩やかだから激安スーパーなんかはないですね。

 

人が暖かい

店員の方が気軽に話しかけてきます。

暖かくなりましたね~とかなんでもない話題です。

東京だとダルそうな学生バイトがダルそうに対応することが当たり前だったので、ある意味新鮮でした。

 

地方の「ここどうにかならん?」ってところ

「あれ、もう良いところ終わり?」というツッコミが入りそうですが、終わりです。

ありません。終わりです。

 

文化資本が東京よりも圧倒的に少ない

小さな本屋や街の図書館はありますが、大規模な図書館や大型書店、また大型の文房具屋は近くにありません。

休日などに都心に行くか、県庁所在地に行くしかないわけです。

仕事帰りにふら~と本屋に寄るのは物理的に不可能です。

 

で、それが不満なわけはこちら。

 

面白い本との出会いは不意にやってきます。アマゾンは目的があれば最高の書店ですが、リアルな書店は未知の本との出会いの場だと思っています。ふらふら目的もなく寄って、良い本に出会うことで知的にアップデートできる。そんな機会を日常的に作るためにも大型書店が近くに帰り道にあるといいなあと思う次第です。

 

研修の機会が少ない

自主的に勉強会や研究会などに月に2,3回は行くようにしています。

魅力的な内容の勉強会を見つけると次のように書かれている時が結構あります。

 

開催地:東京 平日開催

 

へ゛い゛し゛つ゛う゛う゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!!

 

こんな時は心の中のニャンちゅうが泣き叫びます。行きたいけど行けない、そういうことが何度となくありました。

自分はやる気で動いているタイプです。けれども感情は保存できないらしく、定期的にやる気を出す機会を作るようにしています。

ですので、スキルアップの機会が都心に偏在しているのはなかなか辛いです。

 

プライベートがない

地方の私学は地域密着型が多いのかなと思います。

僕は学校の近くに住んでいるんですが、近隣の市町村から通っている生徒が大半です。

ですから、ご飯を食べようにも買い物をしようにも高確率で生徒に出くわします。

昨日もスーパーに行ったら会いました(笑)

 

採点しがたい地方の特徴

車社会

地方は車がないと生きていけません。買い物も通勤も全て車があればこそ充実します。

車での通勤が一般的です。この点は学校も同じです。

通勤のストレスがないですね。大体の車内はカラオケボックスですし。

一番びっくりしたのは居酒屋に車で行く人がいるということでした。

 

私立と公立の位置づけ

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東京には220以上の私学があり、名門私立も多く存在しています。

けれども地方の場合、公立高校が一番で私学は仕方なく行くという場合も多く、軽くカルチャーショックでした。

私立と公立の位置づけは地域によって異なるみたいなので比較は面白いですね。

地域密着という学校が多いのかな~と思いました。

 

まとめ

教員として地方で暮らす、というより東京出身者が地方で暮らしてみたら、という感じのレポートになっちゃいました。

最低限暮らしには困りませんが、やっぱりカルチャーショックは大きいですね。

これから地方で教員になる方がいれば参考になればと思います。

【書評】公民を教える先生におすすめ-牧野淳子『投票に行きたくなる国会の話』

 

公民を担当される先生、この本すごいおすすめです。

社会をより良くするためにどうすればよいのか、具体的な政治参加の在り方が書かれています。新科目「公共」で強調されている「政治参加の手法や原理」、特に国会への働きかけの方法について「そんな方法があったのか!」と視野が広がりました。

 

 

 投票に行きたくなる国会の話

 

 

本書の内容

日本は国民主権の国です。ですから、原理的には統治機構は国民全体の意見を反映するためのものです。でも、実態はどうかを見ると、まあひどいわけです。国民全体ではなく一部の人にいいように制度が「つくられている」か。そして、いかに一部の人の意見「だけ」を吸収する仕組みを作っているか。

 

なんだか王制のような仕組みですが、そもそも権力の暴走を防ぐために、日本国憲法では三権分立が制度化されています。

まず国会は政治を行うところ。次に、行政府は立法を実行するところ。そして、裁判所は立法・行政へのチェックをする。なぜ三権分立が取られているかというと、人間が時には間違いを犯し、暴走するから。つまり、プレコミットメントの発想です。

そして、三権だけではなく、国民も同様の監視を求められるのです。憲法12条に書かれている「不断の努力」がまさにそれなのです。

その手段にはデモや議員への働きかけなどがあります。本書で強調されているのは、いかに日本の制度が非民主的であろうとも、あきらめてはいけない。よりよくしていこう、より国民の声を反映していこうと行動することが大切であるということです。

 

国会のしくみ

国会は政治を行うところであり、政治とは結論を出すために意見調整を行うこと。民主主義国家だからこそ、全国民の意見が調整されなければなりません。しかし、現状は省庁や業界など一部の人の利益が優先されてしまいます。

そのわけは立法の仕組みにあります。

法案には2種類あります。まず内閣提出法案、そして議員提出法案。

日本では内閣提出法案の成立率がものすごく高いです。さらに法案の審議は出した順ではなく与野党で合意ができたものから。ですから、たいていの議員提出法案は時間切れで廃案となってしまいます。しかも、国会で審議される段階でもう与党では法案への了承が済んでいますから、どうしても成立させたい法案の場合は野党の反対を押し切って強行採決に臨みます。

そもそも内閣提出法案の起草は官僚によるものです。で、官僚での合意形成がなされた後に、内閣法制局という法律のプロである官僚が憲法に違反していないかなどをチェックします。そして与党への説明がなされ、党が了承すれば閣議にかけられ国会に提出されれます。この時点で何段階ものチェックを受けており、もし問題点が見つかっても、国会で修正されることは滅多にありません。

与党議員は賛成のために一票にすぎず、修正はもちろん否決もされないことが多いために国会では居眠りが多い。つまり、もうかなりの程度でチェックを受けているため、国会でその法案をチェックする余地が与党にはないし、そもそも閣議にかける前に与党がOKサインを出しているから、党議拘束で動く与党議員がそれをチェックするはずもないわけなんですね。

 

予算も同じ

こうした非民主性は予算も同様です。

税制や予算編成については各業界団体の意向を受けて官僚が起草します。こういう予算を作ります~と言って、それに従わない自治体には予算配分を恣意的に減らすなど、非公正な予算配分が行われたこともありました。

ちなみに国会の仕事は3つあります。1つが立法、2つ目が予算の審議、3つ目が行政の監視です。予算の審議はほとんど行われていませんし(メディアで放送する予算審議会くらい)、行政へのチェックも甘いです。

 

 

行政のチェック

行政をチェックするのが国会の仕事です。ただ、身内に甘いのは人の性です。ですから外部である国民が監視する必要があるんですが、その仕組みが十分になかったのが日本の行政制度でした。

たとえば、行政手続法。これは行政の仕組みの透明性を確保するための法律でしたが、成立したのは1993年。しかし、成立しても意見を反映する仕組みがない形式的な法律でした。それが2005年の法改正でやっとパブリックコメントが導入されます。ただ、実際の運用面は「しかたがないからやっている」だけになっている自治体が多いようです。

 

また、公文書(行政文書)についても日本の民主主義の未熟さを示唆しています。

 

原則として情報公開法は公文書管理法とセットで意味を持ちます

なぜなら、情報公開をしても、公開をする公文書がなければ何も見ることができないからです。

日本の場合、情報公開法にだいぶ遅れて2009年に公文書管理法が制定されました。けれども、官僚が抵抗したため、公文書の範囲が狭いことが問題となっています。行政を縛るためには国民の意見を反映するルール作りをしなければならない、そのための立法の役割の大きさを感じずにはいられません。

 

 

大事なことは国会の監視機能を生かすには国会議員を使って民意を反映させる事です。

その手段として、行政に問題を提起し、認識させるために一般質問やヒアリング、請願(憲法86条)があります。

 

裁判所

裁判所は立法・行政の暴走をチェックする機能を持っています。

しかし、行政に対するチェックは甘く、たとえば公共事業において計画段階での是非を問う裁判は起こせません。

また、国会にもチェックが甘く、違憲立法審査権はほとんど講師されません。日本の場合、具体的な事件に際して違憲審査権が行使される付随的違憲審査制が取られていますが、それが1952年の判例から定着していくわけでございます。

 

おすすめポイント

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社会をより良くしたい、という思いを現実化するにはなんだかんだ行動することが大切です。

けれども、いざ行動するとなると、「どうすればいいの?」となってしまう。だから、本書はそういう思いにこたえて、政治参加の方法が書かれています。

政治は複雑でよくわからないことが多いです。でも本書では統治の原理に即して「本来の姿」と「現実の悲惨さ」、そして「どうして現実はそうなってしまうか」という背景を描いているため、冷静にどこをどう変えていけばよいのか具体的な課題が見えてきます。

 

やさしい言葉で

本書は極めて平易な言葉で書かれているため、中高生にも理解しやすい内容です。

これを足掛かりにして別の本へと進むのもありかと思います。

 

本を取ろうと思った動機

授業をしていて統治機構に苦手意識を感じていました。仕事柄過去問を解いていて問題を間違えた時に、「よし!統治機構の本を読みまくろう!」と思い、まず手に取りました。

この分野は制度なので単純な知識の羅列に感じてしまう。けれども、実は制度の背後にはその正統性たる原理があって、それを実体化すれば制度になるんだと、そして原理と運用(実態)にどれほど乖離があるのかと、そういうことが本書を読んで見えてきました。

 

ぜひ手に取って

公民を担当される先生はもちろん、中高生にも読んでほしい本です。

選挙の有効性が疑問視されても、結局社会をより良くするには立法の役割が大きいです。

問題が何かを知り、どうすれば改善できるか、それを知るはじめの一歩として本書はうってつけだと思います。

 

最後に本書の終わりに書かれた言葉で締めくくりたいと思います。

一票を投じたら終わりではありません。おかしなことが起きているなと思ったら、なぜかと問い、正しく知って、議員やメディアや、少なくとも周りにいる人たちに伝えることで、その不完全な一票は充実し始めます。

少しずつ、国会や行政や裁判所の使い方がわかっている一部の人だけが利益を得る社会から遠ざかり、「みんな」のための社会に近づくのです。政治はあなたが過ごす毎日の積み重ねです。(207頁より)

 

 

 

哲学対話を授業でやってみた-準備編-

 

今回哲学対話を授業でやってみました。その様子についてはこちらをご覧ください。

www.yutorix.com

  

実施にあたって色々と準備をしたので、それについて書こうと思います。

 

 

哲学対話とは

ざっくり言えば、ある問いについてみんなで対話を通じて考えるというものです。

 

必要なモノ・こと

1.ルールの了解

対話が円滑に進むには参加者の間でルールが守られる必要があります。

スライドやプリントを用意して事前の共通認識を図るといいかと思います。

 

思考を深めるための知的な環境整備ですから、この点は丁寧に説明した方がいいかと思います。

 

2.コミュニティボール

対話の間に話せるのはコミュニティボールを持っている人だけです。

さて、コミュニティボールとは何か?

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この毛糸の玉です(写真はp4c-japanより引用)

対話中はコミュニティボールが大活躍します。

 

作り方はこちらのサイトを参照しました。

p4c-japan.com

対話の進め方など役に立つ情報もあるので、ぜひ参照ください。 

 

さて、コミュニティボールの材料は毛糸、結束バンド、筒

ダイソーでそろいます。ただ筒はなかったので紙ストローで代用しました。

20分くらいで1つ作れたかな…

 

僕は色のセンスが絶望的なのでイソギンチャクのような禍々しいボールができました。

 

参考になるサイト

ルールや運用についてはこちらのサイトが参考になるかと思います。

p4c-japan.com

 

こちらのブログは哲学対話の実践をされている方が書いています。私も何度となく参考にさせてもらいました。

p4c-essay.hatenadiary.jp

 

対話の枠組みはこちらの本を参照しました。おすすめです。

 


考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書) [ 梶谷真司 ]


www.yutorix.com

ブログから遠ざかる日々

 

昨日久しぶりに記事を書きました。

そこまで2週間ほどブログの執筆が滞っていました。

わけがいくつかあったので、備忘録として思いつく限りのことをまとめてみます。

 

 

手続き

役所へ行ったり、銀行へ行ったり、事務的な手続きが重なると時間が取られます。事務仕事があまり得意ではないので、精神的にも時間的もコストがかかります。

 

学校の仕事

初任ですが色々と頼まれることが多かった。やっぱり若いと頼みやすいんでしょうか。

学校の研究紀要に出す論文や研究授業の準備などが重なる時期でした。

 

忙しくなると

読書のペースが落ちました。隙間時間についついスマホを触ってしまうので、ついつい本を読むようになりたいですね。

 

僕はマルチタスクが苦手で、ある大きな課題が降ってくると、そのことばかり考えてしまいます。結果的にブログの優先順位が下がってしまいました。

 

ブログの位置づけ

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自分はドラクエ世代なので、レベルアップが大好きです。自分の成長を実感できるから勉強が好きだと思うんですが、それも忙しくなるとなかなか手が付けられなくなります。

最強の勉強法はアウトプットであって、その手段がブログだと思っています。読書でインプットしたことをブログでアウトプットする。でも、その頻度が落ちてしまった。意識して成長の機会を生活に取り入れたいですね。何事も継続が大切ですから…

 

あおせんさんの記事がとても参考になったので貼っておきます。

ao-labo.com

 

これから

来年度の授業準備が本格化すると思います。初年度は時の流れに身を任せていましたが、4月からの流れを何となくつかめました。3月は次年度の年間計画を立て、プリントづくりに邁進します。

まだまだひよっこ、がんばっていこう…

哲学対話を授業でやってみた

 

哲学対話を授業で初めて実施しました。その様子についてのレポートです。

 

 

そもそも哲学対話って?

みんなで対話を通じて考えを深めていくというものです。

 

授業をざっくり振り返るとこんな感じでした。

 

対話が始まる

今回は参加者が一人ずつ話したいテーマを考えて、多数決で決めました。

決まったテーマは「死ぬってどういうこと?」

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中々深みのあるテーマ。私もファシリテーターとして参加しました。

 

哲学対話で特徴的なことは「無理に話さなくてもいい」という点。

ですから、無理やり発言を促すのではなく、ただ待ちます。ファシリテーターとして参加していますから話しやすいように些細なことを言ったり質問したりするようにしますが、基本的には私が対話を回すというようなことはしませんでした。

 

徐々にポツポツと

自分が聞きたいことを終えると沈黙が流れます

初めてなので慣れない間に(あ~だれかしゃべんないかな~)と心の中で焦燥が…

そんな時に参加者がぽつぽつと意見を言い始めました。

 

「死は怖いもの。どうせ死ぬのに今勉強したりすることに意味があるのかな?って思う」

「終活が流行ってるけど、終活に備えている人は死を受け入れているのかな」

「じゃあやりたいことがある人は死が怖いのかな」

 

話題は変わり…

「もし明日地球がなくなるとわかったら、みんなは何をしているのか?」

「好きなことをする」「なくならないことを期待して平常通り過ごす」

「いや死はそもそも唐突に訪れるから準備なんかできない、だから悔いのないように生きたい」

 

「じゃあ余命宣告されたらどう?」

 

この問いで私の考えが大きく揺さぶられました。

生余命宣告されたら自分は死の恐怖が勝って何もできなくなると答えました。

しかし、生徒からは「余命宣告は残りの人生がどれくらいあるかっていう指標だから、精いっぱい好きなことをして生きたい」と。

 

衝撃が走りました。

自分にとって命が燃え尽きるまで没頭できることって、何があるんだろうか。

精いっぱい悔いのないように最後まで生きるには、具体的にどうしたらいいんだろうか。

あまりにも哲学的な、人生観を突き動かすような瞬間でした。

 

結論はださない

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こんな感じのやりとりをしているうちに、あっという間に対話は終わりました。

哲学対話では結論は出しません。参加者の思考を深めることがポイントです。

最後にまとめを提示する一般的な授業と大きく異なる点ではないでしょうか。

 

授業者として難しいところ

実施して難しいと思ったところがいくつかあります。

1.全員が話すわけではない。

 もちろん思考を深めているから話さないからかもしれませんが、そもそもテーマに興味がなかったり、安心して話せなかったりする生徒がいたので、テーマ選びやアイスブレイクを十分にやればよかったと思っています。

2.ファシリテーターの存在

 だいたい20人で1つの輪になって対話をします。普段から話慣れているならまだしも内向的だったり、人の目を気にする生徒であれば、まず最初の一声は出さないでしょう。クラスの人数によっては教員の配置を考える必要があるかもしれません。

 

生徒からの意見

おそらく生徒も初めて哲学対話をしたんだと思います。

ビックリしたのは普段は話さない生徒が自分の意見を多く述べていたこと。

振り返りでは、こんな意見がありました。

  • 対話の中では自分の意見を見直すことができた。
  • 自分だけでなく他の人も死について考えていることがわかった。
  • 人生の意味って何か考えてみたい。

 

多くの生徒は思考を深め、自分の見方を相対化できたようです。

日頃から考えることの大切さを説いていますが、こういう形で体験的に考えるということを学べるところに哲学対話の良さがあるんじゃないかなと思いました。

 

ちなみに今回哲学対話を実施しようと思ったきっかけはこの本を読んだことでした。

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日本は中国・アメリカどちらと付き合うべきか?-小原雅博『日本の国益』

 

中国やロシアなどの権威主義国家の躍進が目覚ましい。リベラルな国際秩序が影を潜めていく中で、日本はどうしていくべきなのか、そのヒントをくれるであろう一冊がこちら。

 


日本の国益 (講談社現代新書)

  

著者は長年に渡って外交の最前線で活躍してきた元外交官。実務家としての経験と外交理論を混ぜ合わせながら「日本の国益とは何なのか」を論じていく。

東アジア情勢で日本がどういう状況にあるのかを理解し、今後の日本外交の在り方を考えていく上でとても参考になった。

 

 

国益とは何か?

国益とは「国家・国民の利益」であるただし、日本のような民主主義国家においては「国民の利益」のことを指す。最も基礎的な国益は国民の安全、領土の防衛、主権の確保といった国家にとっての死活的な国益である。その上で物質的な豊かさや精神的な快適さなど国家の繁栄という二次的な国益がある。各国には死活的国益に加えて独自の国益があり、こうした国益の調整が外交である。

 

日本の国益とは?

何が「日本国民の利益」にあたるのか。筆者は3つの利益が日本の国益に該当すると言う。

 

安全・繁栄・リベラルな国際秩序である。

 

死活的国益としての国家・国民の平和的な状況は第一に確保すべき利益である。そのうえで経済的な豊かさを追求するべきだと。そして筆者は自国第一主義ではなく、国際協調の中で国益を確保していくべきとする。すなわち、国際法自由貿易など自由主義的な国際秩序を維持していくことが日本の国益にかなうという。戦後の日本が国際協調から恩恵を受けてきた一方で、現在においてはアメリカの保護主義的傾向や中国が国際秩序形成に乗り出していることで自由主義的な国際秩序が危機に瀕している。だからこそ、リベラルな秩序が重要なのだ。

国際協調を基軸に据えた国益追及の姿勢を開かれた国益と筆者は言う。 

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日本の国益の脅威-北朝鮮尖閣諸島問題・南シナ海問題

日本の国益の脅威となる要素は3つ。

  1. 北朝鮮の核ミサイル
  2. 尖閣諸島問題
  3. 南シナ海の領有権問題

 

(1)北朝鮮の核ミサイルは日本国家・国民の生存と安全を脅かす存在である。

(2)尖閣諸島問題は領土・主権を揺るがし、日本の安全の脅威となりかねない問題である。

(3)南シナ海で中国は南沙諸島などを実効支配し、国際仲裁裁判所の裁定を拒絶している。国際法を無視する中国の態度は法の支配といったリベラルな秩序を脅かす存在となっている。3つ目の日本とのかかわりは沖ノ鳥島との関りである。南沙諸島に関する国際仲裁裁判所の裁定ではいくつかの島は中国が領有権を有さない単なる「岩」であるとの判断がなされた。中国はこれを無視しているが、一方で沖ノ鳥島に対しても「岩」だと主張している。だが、沖ノ鳥島国連海洋法条約で「島」と認められており、また中国は沖ノ鳥島南シナ海問題で明らかなダブル・スタンダードをとっている。南シナ海での秩序を保つことがひいては日本の国益につながるのである。

 

今後、日本はどうしていくべきか?

筆者は「日米同盟+α」を堅持するべきと述べる。

αは中国との関係を念頭に置いたものである。アメリカが自国第一を掲げ、国際協調に亀裂が走り、リベラルな国際秩序が危機に瀕している。それに加えて、中国は軍事的拡大の野心を燃やし、力による現状変更を画策する。間違いなく中国は今後の国際秩序形成のキープレーヤーとなる。そうした際に、日本は価値外交を展開し、対話を通じて現状のリベラルな国際秩序を守り抜くべきだという。もちろん、日米同盟は日本の安全を維持するためにも長期的な利益にかなうし、経済的な繁栄を求めるのならば中国との関係も重要となる。そのうえで消滅の危機に瀕するリベラルな秩序を日本が盛り立てていくべきだとしている。

 

参考になったところ

歴史的な視点を提供しているのは良かった。

たとえばヨーロッパにおいて国益概念が変遷してきた記述や南シナ海での力の空白を中国が徐々に埋めてきた中国のサラミ戦術に関する記述だ。

 

前者は

マキャベリズム➡国家理性➡勢力均衡(ウィーン体制ビスマルク体制)➡英独対立(勢力均衡の破綻)➡イデオロギー<国益ファシズム共産主義・民主主義)という二次大戦の構図➡冷戦の下での長い平和➡冷戦終結に伴うアメリカによる平和➡各国が国益最優先の時代へ

という流れが全体的な構図を手に入れる点でも非常に面白かった。

 

後者で言えば、軍事的なプレゼンスの空白を徐々に埋めてきたところは面白かった。こんな感じだ。

 

戦後   二次大戦の敗北による日本の軍事プレゼンスの消失とフランスのインドシナ戦争の敗北による撤退➡西沙諸島の半分を支配

1973年  ベトナム戦争からのアメリカの撤退➡西沙諸島の全島を支配

1980年代 駐越ソ連軍の削減➡南沙諸島への進出

1988年  ベトナム海軍との衝突➡ファイアリー・クロス礁などを獲得

1995年  在比米軍の撤退(フィリピン)➡ミスチーフ環礁が占拠(フィリピンのパラワン島に近い)…冷戦後の力の空白

2010年代 岩礁の人工島化に着手

  

やや専門的に感じたので、国際政治や外交関係に興味のある人にはうってつけの本かもしれない。特に東アジアの国際秩序に関する説明は非常に整理されていたように思う。

 

ヨーロッパでもそうだけど、世界中からリベラルな秩序が消えかかっているんだなあと思った。

 

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日本の外交政策は理念通り遂行されてきたのか?-外交3原則について

 

戦後の日本は戦前の反省を踏まえて国際協調路線の外交政策をとってきた。 

 

 

日本の外交3原則

第二次世界大戦後、日本の外交では「国連中心主義」「自由主義諸国との協調」「アジアの一員としての立場の堅持」の3原則が取られた。戦前、日本が国連を脱退し、アジア諸国を侵略した反省からこのような原則が採用された。

 

ただしあくまでも理念であり、国連の機能不全やアジア諸国の多様な利害の存在、冷戦下における自由主義諸国が西側諸国のみを指すなど現実の国際情勢に翻弄されてきた。特に日米同盟を外交の基軸に据えている限りはどうしても東側諸国との対立は避けられない。構造的に矛盾を抱えた外交方針であり、事実一貫性を欠いていた。冷戦下においては自由主義諸国(西側諸国)との協調が最も重視されていた。

 

そもそも外交とは国益の調整であり、冷戦下の日本においてはそれが最も国益にかなっていたのである。

 

冷戦の終結はその対象国の拡大を意味するかに思われた。事実、ロシアは憲法を書き換え、自由主義的な色彩の憲法を採用した。東欧諸国も同様の動きを見せ、後のEUの東方拡大の下地を作った。リベラルな国際秩序が世界中に広まるかと思われた。しかし、現実はロシアは市場かの失敗を受け、プーチンに権力が集中する権威主義国家となり、中国は変わらず中国共産党による権威主義国家のままだった。

 

外交3原則の破綻が露呈した

冷戦の終結は「自由主義の勝利」をアメリカに錯覚させた。勢いづいたアメリカの単独行動主義によって、日本の外交3原則は目に見えて維持できなくなる。湾岸戦争の際、アメリカは国連安保理決議を根拠にイラクを攻撃した。この段階では国連中心主義と自由主義諸国との協調は維持できた。しかし、イラク戦争では安保理で決議がなされず、独仏と英米が決裂し、自由主義諸国間での不協和音が生じた。結局、アメリカは湾岸戦争時の国連決議を根拠にイラク戦争を開始した。ここにおいて、国連中心主義と自由主義諸国との協調はイコールではなくなり、アメリカに追従した日本も自らの原則をないがしろにしてしまったのだ。

 

そして現在は

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現在、アメリカの国力は相対的に低下しつつある。それは中国の経済的・軍事的台頭による。南シナ海南沙諸島などを実効支配し、法の支配など自由主義的な国際秩序が脅かされている。それだけでなく、アメリカの凋落はアメリカ自身にも変化をもたらした。トランプ大統領が「アメリカ第一」を掲げ、自由主義諸国の間でも亀裂が走っている。さらにはアメリカと中国が貿易戦争をはじめとして新冷戦と呼ばれるほどの対立状態に陥っている。こうした中で日本はどうすべきなのだろうか。

 

自由と繁栄の弧」など自由主義諸国との協調を重視する外交政策はもちろん重要である。価値を共有する国々の連帯はその価値を共有しない国への圧力となるだろう。しかし、経済的繁栄などの国益を確保するには中国やロシアなどの権威主義諸国とも協調していくことが必要であることは間違いない。とりわけ中国は一帯一路やAIIBなど国際秩序形成の将来的な担い手となる可能性もある。中国が独善的な秩序を作らずに、いかにして現状のリベラルな秩序に取り込めるかが今後の国際的な課題であろう。

 

参考

小原雅博『日本の国益

 


日本の国益 (講談社現代新書) [ 小原 雅博 ]

 

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初めてのジグソー法-備忘録的に

 

お覚えでしょうか。年明けにこんな宣言をしたことを。

 

思考力を重視した授業を3か月に1回はする。

(新卒教員の教科書「2019年の抱負-義理と人情を忘れずに」より)

 

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義理も人情も宣言も忘れてません。

 

年が明けて余裕ができたので

 

よし!生徒に考えさせる授業を作ろう!

 

と思い立ち、初めてジグソー法の授業づくりに取り組みました。

二学期までは学び合いをしていましたが、今回は別の教授法。

どんなことでも初めての気持ち、フレッシュさは忘れたくないですよね。

ということで作るまでの過程を振り返ってみたいと思います。ちなみに実施するのはまだ先の話。

テーマは2030年のエネルギー政策(エネルギーミックスの実現)についてです。

 

感想は一言。

死ぬほどエネルギー白書を読みました。

 

 

始まりはツイッター

 

大学院時代の専門は政治学。畑違いの自分がいざ現場に出てあまりにも教育理論を知らないことに愕然し、様々な情報にあたっていたところ、ある出会いがありました。

 

 

こちらのボリバルさん(@world_history_k)のツイートに紐づいたツイートを読んで、ハッとしたのです。

 

おっ!!!!!!!!

そういえばこれってあれじゃないの!あれ!!!

 

舞い上がった私はネットで「ジグソー法」「協調学習」と調べに調べました。すると東大のCoREFが無料で情報公開していることがわかりました。

coref.u-tokyo.ac.jp

 

ただPDFを印刷するのもなあと思い、こちらの本を購入。

 


協調学習とは 対話を通して理解を深めるアクティブラーニング型授業 [ 三宅なほみ ]

 

そして去年の暮れにはこちらのシンポジウムにも勢いで参加(PDF形式のチラシです)。

https://www.pref.saitama.lg.jp/f2208/documents/symposium20181206.pdf

 

本も読み、シンポジウムに参加したことで大いに刺激を受けレベルアップした気になりました。そんな不遜な私の前に立ちはだかったのは内容の壁でした。

 

深い学びは教師の深い理解から

 

授業では学習目標を設定することから始めます。

当たり前ですが、生徒にどんな姿になってほしいか理想像を出すにはある程度の知識がないとできません。そこでまず教材研究を深めるわけです。

そうしてアイデアを出すわけですが、今度はそれを実現する手立てとしてどういう教材を作るか考えなきゃならんわけです。

統計やら資料を精選し、さらには調べたことをまとめ、それを生徒のレベルに合わせて言語化する。

教員試験を突破すること(問題を解くこと)と問題を作ることのエベレスト級の差をしみじみと実感しました。

 

仕事は減っているのに帰りはむしろ遅くなる一方…心地よい頭の疲労感が蓄積していきます。心地よい疲労も溜まればただの疲労

 

ツイッター上でジグソー法作ってる人たちってこんな大変なんだあ~~~~すげえ~~~~😇

 

という心の声が職員室に漏れていました。

 

ただ、この過程を通して色々と良い点もあったので箇条書きでまとめたいと思います。

 

ジグソーに取り組むことで教師に起こった変化、わかったこと

 

①複数の論点で物事を捉えるようになった

ジグソー法は3つの視点を生徒が組み合わせて協調学習を引き起こすことを狙いとしています。教材化する際にもあるテーマを3つの論点に分けて作る必要があるため、ニュースに触れた時や新しい単元に入る際に「このテーマだとどんな論点があるかな~」と考える癖がつくようになりました。

論点ごとの関係性にまで視点を伸ばせばディスカッションの授業の時に役立つかな~なんて思ったりしてます。

 

②深く学べる

 問いに応えるための材料を探す、その過程で(教科書を越えて)知識がめちゃくちゃ身に付きました。

また問いに対して思考実験をするときに、身につけた知識を活用して考えるので、知識同士の関係性も見えてきました。個人的にはそのテーマに関して意見を持てるようになったのが大きいなあと思っています。調べる前はテーマについてただ知っているだけでしたから。

 

③時間がかかる

テーマを決めてから2~3週間ほどで作り上げましたが、かけた時間はおそらく20時間くらいです。初めてのことだったからかわかりませんが、シンポジウムに参加した時には平均して作成に17時間かかると説明を受けました。

 

負担が減ったからまだしも繁忙期にサクッと作れる代物ではないよなあ

 

と思ったので、コツコツやらねばなあと思います。慣れれば早くなるんですかね。

 

何はともあれまだ作っただけです。これから実施するのでその振り返りも書きたいと思います。

それでは。