Shiras Civics

Shiras Civics

「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

MENU

問いのセンスを磨こう

 

question mark

 

〇〇ってどうですか?

 

こんな質問をしている場面、よく見かけませんか?

この類の質問を投げかけられた生徒は非常に困っているでしょう。なぜなら、思考する幅が広すぎるからです。

 

「どうですか?」って「何がですか?」って返したくなりませんか?

たまにセミナーで講師が「どうですか?」と質問してくる時がありますが、私自身は非常に困ります。何について聞いているのか、明確ではないから。

 

…毒を吐いてしまいました。

さて、要は授業の中での問いは明確にしよう、ということを伝えたかったのです。

というのも、思考は問いから始まるからです。明晰な思考はしっかりと言語化された問いによって駆動します。

そして、授業というのは学習目標が単元ごと・時間ごとに設定されるものです。

ですから、生徒に考えさせたいことがあるなら、目標から逆算して問いを作り、その問いをブラッシュアップしていくのがいいと思うのです。

ちなみに私の場合は、学習目標から逆算して、問いを作ります。その時のポイントは何を聴きたいのか、何を理解してほしいのか、どんなことを考えさせたいのか、という焦点の設定です。

一時間の授業の中で4,5個の問いを作って、要所要所で生徒に考えさせます。

内容ベースから始まっているので、獲得すべき知識から逆算することが多いです。

ですが、コンピテンシーベースで考えていくならば、知識をどう活用するのか、という視点で問いを作るのがいいのでしょう(まだコンピテンシーベースで作ったことがありません)。

 

問いを明晰にすると思考が進みます。この技術は、授業構築だけでなく、日常生活の課題解決にも役立ちます。

眼前の課題が何か、それを明確に言語化する習慣が身につくからです。

 

さて、今の自分の不足は圧倒的な専門性の欠如です。問いをコツコツ蓄積していきたいなあと思う今日この頃。

 

www.yutorix.com

5Gは教育をどう変えるのか~ミクロとマクロの両面から考察する~

 

 

5Gへの注目が高まっています。

5Gとは次世代通信システムのことで、ビジネスの分野では世界的な5G推進の競争が繰り広げられています。ファーウェイやサムスンなどの世界的企業だけでなく、中国やアメリカ、スウェーデンや韓国、そして日本など世界中の政府も本腰を入れてしのぎを削っています。では、そもそも5Gとは何なのでしょうか。

 

5Gとは何か・何ができるようになるのか

"Wonderland" by Barcelona-based designer Jaume Plensa (Calgary, Alberta)

5Gとは、第5世代移動通信システム(5th Generation)のことです。現在主流の4Gに比べると、単純に通信が速くなるだけでなく、以下の3つの点に新規性があります。

  1. 高速大容量通信
  2. 超通信・低遅延通信
  3. 多数同時接続

今までよりも大量のデータの送受信が可能になり、超高速でデータをダウンロードすることができるようになります。具体的には遅延速度は1ミリ秒と、4Gの10分の1です。多数同時接続も可能になります。現在の4Gでは基地局一つに対して約100台の端末が同時にアクセスすれば、接続できなくなります。しかし、5Gでは100倍の1万台が同時にアクセスしても接続が遮断されません。こうした特徴はIoTによるデータ収集・分析を想定した仕様によるものです。

 

教育における変化

ミクロな変化

工場や自動運転、鉱山での遠隔操作など様々な実証実験が行われています。しかし、教育における実証実験はまだまだ微々たる数しかありません。

resemom.jp

 

国内では、東京都小金井市立前原小学校で初めての実験が行われました。生徒にはデジタルデバイスを配布し、それぞれWi-Fiに接続した端末と5Gに接続した端末に分け、それぞれダウンロードにどれくらいの時間がかかるのかを比べたものです。

正直、動画のダウンロードは授業中ではなく、事前にダウンロードして用意するのが基本ですが、この実験が示唆するのは学習の個別化です。

生徒はタブレットやPCを用いて自分の興味関心のある分野の勉強を自力で進めることができます。それも、高精細でリアルな映像をすぐに見る事が出来るのです。スタディサプリなどの映像授業でも、一斉授業ではなく、生徒の習熟度に応じて個人で進める時代になっているかもしれません。しかも全校生徒が接続してもサーバーがダウンしない。それを可能にするのが5Gです。

 

また、FUJITSUの提供している動画も未来へのビジョンを提示してくれています。


FUJITSUが5Gで実現する社会~教育編~

 

この動画の中で、日本の児童とオーストラリアのマイケル君が対話するシーンがあります。自動翻訳を通じて、互いの母国語でスムーズに話をしています。

オーストラリアと日本をリアルタイムで高解像度データで結びつけるのは5Gの超通信・低遅延という特徴ならではだと思います。

 

実はこれに類似した取り組み、ある学校が既にやっています。

2018年にグローバルティーチャー賞でトップ50に入選した滋賀県米原高校の堀尾美央教諭の取組みです。彼女がしているのは、Skypeを活用した海外との遠隔交流事業です。生徒たちがヨーロッパやアメリカ、アフリカの国々と英語を通じてディスカッションを積極的にするというプログラムを実施していました。

しかし、現状は4Gという環境下での通信なのでタイムラグや通信の乱れが発生してしまいます。こうしたノイズは5Gが実現されれば除去されるものでしょうし、その点で現状の「先進的な」教育をさらにアップデートするものです。

また、自動翻訳を通じて対話がなされれば、英語だけでなく、世界中のあらゆる人々との対話へのハードルが大きく下がるでしょう。それは生徒の視野を広げてくれますし、また当事者との対話は多角的な視点から問題を考察するという点で教育的に非常に意義のある経験をもたらしてくれると思います。

 

クラスメイトという日常的に生活する人だけではなく、国境を越えた多様な人との対話が新たな価値観をもたらし、学習者に変容をもたらす可能性が大きく増えるでしょう。

 

実現のためには

次の2点に凝縮されます。それは教員の学習機会の拡充と資質能力の向上です。

上記のような教育が成立する大前提は、教員自身がデジタルデバイス等に対する造詣を深めることです。機器を使いこなせなければ、旧来の教育が残り続けます。教員に勉強する時間を提供するためにも、ブラック部活動や事務作業で疲弊する現状を刷新し、働き方改革を官民挙げて本気で推進しなければならないと思います。

第二に教員が勉強しようと思うインセンティブです。人を動かすには人事考課が極めて重要です。読売教育賞などいくつかあることにはありますが、グローバルティーチャー賞のような取り組みをもっと拡充していくべきでしょう。熱意に依存する、個々人の気質という偶然的でコントール不可能な要因に制度が依存するべきではありません。行動経済学や心理学などの学問的知見を活用して制度を作るべきでしょう。

ミクロな変化をもたらすにはマクロな変化も必須だという事です。

 

マクロな変化

Biz school

マクロな変化としては学校間での格差が拡大すると思われます。特に私学は大淘汰時代を迎えると思われます。

その理由は設備投資が可能かどうかという点にあります。

 

新たなテクノロジーは様々ありますが、AIや5Gなどは設備投資に莫大な費用がかかります。現状、志願者に困っていない(伸ばしている)学校は内部留保や銀行からの借り入れによって設備投資が可能で、かつそれらをPR材料にできますが、定員割れによって志願者が減少し、将来性の少ないと判断された学校に対しては融資は厳しいかもしれませんし、当然財力はありません。5Gが当たり前になって低廉化すれば導入も可能になるかもしれませんが、その頃には受験生は別の学校へと流れているかもしれません。

そもそもこれだけ授業動画が配信されている時代ですから、学校に直接行く意味ですら変質するかもしれません。その意味では、N高等学校は民間企業が母体ですから、多くの私学にとってかなり手ごわい競合相手です。

とにもかくにも、5Gが当たり前になりつつある世界で導入できない学校とできる学校とで格差が生じ、それが志願者数へ影響を及ぼす可能性があるということです。

 

一方、公立の学校は企業や大学と共同で実験をする機会が多くなると思います。企業にとっては、ある学校で導入した取り組みが成功すれば、その自治体の学校すべてに導入されることを意味しますから、非常にメリットがあります。

しかし、公立と異なり、特定の教育を志望して入学する私学には、企業との実験はハードルが高いものがあります。保護者に対する説明責任が生じるからです。もちろん公立でも説明責任は生じるでしょうが、学校の教育内容に興味のある保護者の数は私学の方が断然多いですから。

人口減少社会とあいまって、新技術の導入は私学にとって大きな分岐点となるのです。

自信の付け方-自己肯定感を高める

 

メンタルに関するライフハックです。

 

 

自信をつける

自信のない人たち-コンプレックス

 

Confidence

自己肯定感が低い、という悩みは現代社会に生きる多くの人が抱えるものだと感じています。

 

かくいう私も高くはないと認識しています。

 

たとえば失敗した経験を引きずって、コンプレックスとして抱えている人。

たとえば、大学生だったら学歴コンプレックスでしょうか。第一志望に落ちたことを引きずって、学歴で人を判断してしまう。学歴が能力の証明であり、序列化した学歴を人間関係にも当てはめてしまう。実際には能力は多様なわけですが、学歴で判断することによって、認知をゆがめてしまう。

 

僕の場合は出自と、それに伴う社会的能力に対するコンプレックスがあります。

貧困が教育的機会の喪失をもたらす、というような論の出版物が最近たくさん出てきました。自分のコミュニケーション能力や社会性の低さは「格差社会の下位層にいた」ことで説明がついてしまうため、中々心苦しいものがあります。自己の解明の欲求が充足されるにつれて、余計苦しくなっていくのが実感できていました。

ちなみに、進路多様校に勤務していた時は、社会性の低い生徒がいる状況に家庭状況との相関関係があるのかなあと感じていました。

 

さて、今はそれを意識的に訓練するように気を付けていますが、自分自身を客観的に見て気づくことが出来なければ、コンプレックスの解消も難しいですよね。

わけもわからず苦しい毎日を送るようになってしまいます。

 

自信の付け方

自己肯定感の低い人は他者の言葉に敏感です。「バカ」とか「どんくさい」とかマイナスの言葉を投げかけられるたびに、自信を喪失していきます。

 

いちいち傷ついてしまうわけです。

きにしなければいいじゃん、という指摘はごもっとも。しかし、気にして「しまう」のです。セルフコントロールの枠外にある。非常に苦しい状態です。

 

他者の言葉はその人の価値を表しません。

いくら心無い言葉を投げかけられようが、価値は一ミリも減らないのに、自分の価値がないと「認識してしまう」のです。認知のゆがみです。

 

これに対処していくには、自分に何ができるのか、客観的に分析することが大事です。

つまり、できること/できないことを明確化して、自分の価値を認識することで、わけのわからない他者評価からバリアを作ることができるのです。

 

具体的に明確にするには

まず紙とペンを用意しましょう。

過去の経験から自分が何をできたか、具体的に書きだしましょう。たくさん書きだします。どんどん書きだします。それはもう書きだします。

そうしてたくさんの経験を書きだしたら、抽象化します。

自分は何が得意なのか、何が苦手なのか。

 

最初はむずかしいかもしれません。ですから、いきなり一人でやるのではなく、学校の先生やカウンセラーを頼るのもいいでしょう。

 

こうやって自分への気づきを得て、自分の価値を認識することは自信につながりますし、なにより意味の分からない他者の言葉に対するバリアになります。

もう心無い言葉を向けられても大丈夫。バカといわれても、「自分は戦略的に物事を計画して他者と協力しながら進めることができる」とか考える事が出来るようになるわけです。

むしろきちんと言語化せずに、3歳児でも使える言葉で相手にマウント取った気になってる痛いヤツとでも思えばいいんです。

 

それから強みにリソースを向ければ、唯一無二の人物になれますし、弱みを認識すれば、その克服にも昼食できます。

 

ちなみにこちらの本が自己分析の際に参考になります。

 

 

様々なコミュニティに所属する

Confidence_2008-36

能力というものは相対的なものです。

自分で能力が高いと思っていても、ある人物と比較した時に、絶望的な能力差を感じるものです。

そうした事態への対処としては「他者と比較しない」ことが大事なのですが、他者との比較は人間であればついつい行ってしまうもの。要は自分の価値観で自分を評価することができれば、良いのですがなかなか難しいものです。

 

ですから、私はいろんなコミュニティに所属することを提案します。

人間、自分が承認される場が必要です。本来的には家族や職場がその役割を担うと私は思っているのですが、必ずしもそうはいきません。ですから、いろんなコミュニティに所属しましょう。

そこで自分を承認されたり、新たな自分の一面を発見できるかもしれません。それは自分の自信を大きく高めてくれるものとなるでしょう。また、多様な人との交流は自分の尊敬できる人との出会いなど副次的な効果をもたらしてくれます。

 

要は自分の価値を実感できる場があることが大事なわけです。

 

まとめ

 

自己分析を通じて自分の得意・不得意を発見することで、自身の強みを自信にできる

自信をもてば、他者評価にいちいち揺らがない

最初は他者から承認してもらうことが強み・弱みを発見する第一歩かも(人によっては)

継続して自信を保つには勉強を続けること、いろんなコミュニティに所属することがグッド

 

www.yutorix.com

 

選挙だけじゃない、社会参画の方法-新科目「公共」と主権者教育-

 

 

2022年から高校で新科目「公共」が導入されます。

 

そこでは自立した主体として社会参画する態度を育むことが期待されています。

 

では、社会参画とは何なのか。

北俊夫先生によれば、社会参画とはより良い社会の形成に関わることであり、単純な参加ではなく、企画・計画する段階から関わることを意味する概念です。社会の構想も含めているわけですね。

https://www.bunkei.co.jp/school/komichi/pdf/monthly201509.pdf

 

どこに参画するのか

 

Elections

さて、社会参画ですから、社会のどの領域に関わるのかを明らかにしたいと思います。

公民科は主権者教育を長年推進してきました。社会科・地歴公民科・公民科に通底する目標である「公民的資質の育成」とは主権者の育成に他なりません。

主権者は国政の最終決定権者のことです。国政とは立法・行政・司法の三権全てを含みます。したがって、国政に参画する(できる)ことが主権者に求められていると言えるでしょう。

立法・行政・司法の過程に参画する、その資質が「公共」をはじめとした社会科全体で育むことが求められているのです。

 

「社会参画」を細分化する

北先生の概念を細分化したいと思います。

 

  1. より良い社会を構想する(理想を持つ)

  2. 実現するためにプロセスに分け、各段階に必要な手段を考える

  3. 実現の手段を得る(ないしは得るために何がしかに何らかの働きかけをする

 

1と2は調査・思考の過程ですが、3の段階では行動を含んでいます。

 

社会参画の例

ここでは単なる参加を越えた参画の例を提示します。

ただし、どういう社会を形作るか、その明らかな形が描かれている根本的なものは法律です。ですから、社会参画のメインは立法過程へのものとなります。

 

①立法に対する方法としては

  1. 選挙(投票・立候補)
  2. ロビイング
  3. 市民立法
  4. 請願

などがあります。

②行政への参画方法としては

  1. 苦情請願(参議院行政監視委員会のページ:https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/gyousei/index.html
  2. オンブズマン

などなど。

③司法への参加方法としては

  1. 裁判の申し立て(裁判の当事者となること)
  2. 裁判員裁判
  3. 検察審査会

特に1は重要でしょう。ブラック企業技能実習生の人権蹂躙がクローズアップされていますが、それと合わせるかのように労働関係の訴訟件数は増加しています。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0703_01.html

自分の身を守るためにも法律に関する知識は必須であり、人権が尊重される公正な社会を構想するためにも必須の知識といえるでしょう。

 

授業で扱うのは…

 

class

さて、ここで社会参画の手法を上げたのは理由があります。

それは、「授業で扱う内容が実社会とのつながりを持っていること」を生徒に実感してもらうため。

授業づくりというのは「生徒が将来どうなっているか、理想的な在り方」から構築するバックキャスティングの手法を取ります。つまり、教育目標ありきなのです。

ですから、授業の在り方としては、先述の社会参画の在り方をなぞるように実施していくことが大事かと思います。

 

  1. より良い社会を構想する(理想を持つ)

  2. 実現するためにプロセスに分け、各段階に必要な手段を考える

  3. 実現の手段を得る(ないしは得るために何がしかに何らかの働きかけをする

何度でも持ってきます。笑

 

まず自分にとってどのような社会が理想なのか、それを考えるところからスタートします。

次に具体的な実現のプロセスを調べます。

最後にそれを模擬選挙や模擬投票、ないしは専門家への提案という形で行います。とにかくリアルさ、現実に近づけることが大事なのです。

 

リアルさの重要性

今の子供たちは意味を見いだしたことには、かなりのリソースを傾けます。

今後、今学んでいることがどうつながるのか。それをわかってもらうことが学習意欲の喚起につながるのです。

 

リアルであるかは非常に大切かと思います。

その思いを強めたのは、これがきっかけです。

nnn.ed.jp

 

木下斉さんといえば、地方創生のプロです。

プロに直接教えてもらうという体験は中高生にとっては宝物でしょう。

やる気も出ます。「おままごと」のような質では、学習意欲の喚起は困難になってくると思います。

子どもたちにとってもリアルな体験ができる魅力的な学校へ移ってしまうかもしれません。実際、N高の生徒数はうなぎのぼりです。

 

こういう取り組みを授業の中でどれだけ作り出せるか、それが「公共」を含めた、これからの授業づくりの鍵だと思います。

といっても、これらは夏休み中に構想したもの。2学期からの実践にどれだけ反映できるだろうか。。。

公民の先生だからできること~わかりやすさと自分ごと化~

 

先の参議院選挙が終わった後、ニュースを見ていて結構多いなあと感じた意見があります。

 

そもそも政治ってよくわからないし、投票がどういう意味があるのかわからないという声です。

 

これを文字通り受け取ってはいけないと思います。

つまり、政治制度だとか、投票の機能とか、複雑な社会制度全般を理解できないという、学校教育で習う公民科の知識の全体的な欠如がうかがえるのです。

 

 

社会制度の複雑さ

 

人間は物事を単純化して理解します。

たとえば、知識を分類したり、二項対立的にとらえたり、ストーリーとして捉えたりと、様々な理解の仕方がありますが、その過程で必ず抜け落ちてしまう知識や見方があります。それは仕方のないものですし、加筆・修正して知識をアップデートしていけば、より多角的な視点から物事を捉えられるようになるので時間や努力量の問題だともいえます。

最初は極度に単純化して、そして徐々に複雑なものとして捉えることができるようになる。

 

f:id:europesan:20190428215403p:plain

 

けれども、それは理解しようという意思を持ち、理解できる能力をもち、理解できる環境にアクセスできる者に限られます。

あらゆる人がこのような状況にあるとは必ずしも言えません。相関関係でしかありませんが、参議院選挙の投票率が50%を下回り、18・19歳の投票率が31%であったことを踏まえると、投票しなかった方の中には、わからなさゆえに棄権した方もいたのかと思えます。消費税の意味だとか、憲法改正の意味だとか、よくわからないのも当然かと思いますが。

 

ですが、もしわからなさのために棄権したのであれば、そしてわかりたいけど複雑で理解ができない苦悩を抱えているのならば、私は助けてあげたいなあと思う。というのも学校教育にも責任の一端があるのだと思うからです。

 

複雑にすることで誰が得をするのか

 

公民科をして政治・経済・倫理と幅広く教材研究をしていますが、専門としてやっていても膨大な範囲を扱っているなあと感じます。

たとえば税制度。直接税・間接税の違いはもちろん、社会人になると控除だとかふるさと納税だとか税金について本格的に勉強するようになります。で、勉強すると結構税金は取られ損になっていることが多いことがわかるわけです。サラリーマンの捕捉率はほぼ100%といいますが、それでも確定申告をすれば戻ってくる場合も多い。大学生だって派遣のアルバイトをしていれば、ほぼ確実に多く取られている。つまり、多くの人々は税金の取られ損の可能性がある。国家は本来的に徴収すべき税金よりも多くの税金を取っているわけです。けれども、社会制度は基本的に行動しないものには恩恵を与えない。裁判しかり、請求しかり、投資しかり、そして投票もです。

 

巨大な社会制度という枠組みの中で投票という手段の社会的機能がしっかりと理解されていない。だから、自分は何のために投票行動をしているのかがそもそもわからない、というわけです。知らないから動きようがないのです。

 

だからこそ、しっかりと社会制度を学ぶ機会と、それをどう活用していくかを訓練する機会を保障することが主権者の育成にとって極めて大事だと思います。

ちなみに、ここでいう主権者は社会制度の意味を理解し、その上で自分の意見をもって投票できる人というふうに意味を狭めています。

主権者が増えることは、自分たちの社会づくりに参加する人が増えることを意味します。それは幅広い人々の利益が社会づくりの際に考慮されることを意味します。ですから、参加者が増えて意見が反映されれば、それは最大公約数的により多くの人が暮らしやすい社会の実現につながるのです。

 

しかし、現状は参加する者も少なく、かつ参加を妨げる一つの要因として複雑な社会制度の理解の困難さがあげられるのです。これをどうにかして改善したい。知らず知らずのうちに自分たちの幸せな生活が侵食されてしまうから。なぜなら内に秘められた意見は、意見として世間は認識してくれないから。投票だとか形として出さなきゃ考慮なんかはされないんです。

 

わかりやすく、考えてもらって

 

わかりにくさの解消は非常に大事です。それは主権者を育てる公的な教育インフラだから。

その点で次の動画はとてもいいなあと思いました。

 


【政治】憲法改正問題を中田がわかりやすく解説!〜基礎知識編〜①


【政治】憲法改正問題(第9条)の本質に中田が切り込む!〜核心編〜②

 

今の時代、探せばいろんなコンテンツが出てきます。

こういうコンテンツが普及して、生徒が公民科に興味を持ってもらえたらなあと思いますし、同時に自分のコンテンツの魅力も高めていく必要があるなあと思います。

 

教員ですから影響を与えられる範囲はとても狭いです。

けれども、まずは目の前の生徒たちが社会制度を理解して、それをうまく自分のために活用できるよう、わかりやすく丁寧に、そして面白く教えたい。そうして、それらを活用する機会を提供できるような授業を展開していきたいなあと思います。

それが公民の先生にこそできることだと思うから。

 

www.yutorix.com

 

www.yutorix.com

 

お盆休み中の成果

 

お盆休みが終わってしまいました。

 

民間企業に勤めている方と飲むと「こっちは休みなんかないぞ!」と叱責されますが、休んだからには何がしかの成果がないと気が済みません。

 

振り返りがてら、ちょっとまとめてみたいと思います。

 

IMG_0268 post

 

 

読書

①今求められる学力と学びとは

これ、めちゃくちゃおすすめです。メリトクラシー論が新学習指導要領の背後にある議論ですが、どうしてそのような流れになったのかが社会像・人間像を踏まえて述べられているので、非常に参考になります。

 

これを読んだら『暴走する能力主義』も併せて読みたいですね。

 

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編/マクロ編

スタンフォードシリーズを読みました。例えが豊富で分かりやすいですが、内容が浅いことと、いかんせんアメリカの教科書なので、日本の事例を述べている本にもアクセスしないといけませんね。 

経済学が苦手なので、ミクロ・マクロと一通り読みました。でも、数式を全く使わないので、数式やグラフを詳しく説明している本にも当たらねばと思います。

マンキュー、スティグリッツあたりの教科書かな~

(個人的には公務員試験用のテキストもわかりやすいと思うけども、要点だけの記述なので勉強が続く気がしない。)

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

 
スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編

 

 

③勇気ってなんだろう

 

本屋で立ち読みをしていて、ビビっときました。

衝動的に買いましたが、特に愛媛県警の裏金作りを告発した仙波敏郎さんの章が面白かった。この本に通底しているのは、組織や周囲に反して声を上げる勇気を持った人たちを称賛しているところです。

アイヒマンにならないためにも一読の価値ありですね。

 

勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)

勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)

 

 

④きけわだつみのこえ

 

8月15日に読み返しました。

何かと右・左であることにレッテル貼りをする世の中になりましたが、立場を越えて当時の若者が何を考えたのか思いをはせるのも大事だなあと思いました。

私よりもいくつも若い人たちが、ここまでしっかりとした筆致で、ここまでしっかりとした考えを、ここまで落ち着いた精神状態で、特攻前夜に書けるのかと驚愕したものです。

折に触れては気付きを得る書物です。

 

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

 

 

田中角栄 頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし

 

政治史をやっていたら避けては通れない人物でしょう。

一級の人物の人生は非常に勉強になります。

 

 

 

教材研究

 

2020年受験用 全国大学入試問題正解 17 政治・経済

2020年受験用 全国大学入試問題正解 17 政治・経済

 

 

過去問をいくつか解いていました。

けれども苦手分野がはっきりとわかってきました。やっぱり教員として知識面は絶対に外せないところ。むしろ深い知識は良い授業を生み出す基盤だと確信しています。

 

経済系・社会保障系・企業論系の読書をたくさんしたいですが、言うは易し行うは難しですね。。

 

論文

あとは様々な論文にアクセスしました。やっぱりまとまった時間があるとメモも取りやすし、一気に読めるから流れもクリアに残っている。

 

おかげで何となく次期学習指導要領の流れが把握できてきたところですが、日常の授業実践にまで落とし込めていません。

できれば2学期からちゃんとしたカリキュラム(目標・内容・方法)を簡単でもいいから作りたいなあと思いました。

 

work with an obelisk v3

 

仕事が始まる

 

振り返ると夏最初に掲げた読みたい本がどれだけ読めているか。

 

www.yutorix.com

 

殆ど読めてませんね。こういうことを確認出来る意味でもブログの効用を感じています。

 

さて、夏休みは色々と仕事を片付ける毎日です。

2学期からの授業に備えてプリントはほぼほぼ作りましたが、パワポと説明とワークとができてません。つまり、ほぼできてません。

 

あと半月ですが、持てる限り頑張っていきたいですね。

それでは良い夏休みを。 

74年前の大学生は何を考えていたのか~特攻隊の手記から思うこと~

 

※主張激しめです。

 

www.j-cast.com

 

トランプ大統領が、特攻隊は酒に酔って、薬をやっていたのか?と安倍首相に尋ねました。

 

彼らの名誉のために、実際の特攻隊に選ばれた若者の手記を引用します。少し長いですが、ご容赦ください。

 

上原良司(うえはらりょうじ)

1922年(大正11年)9月27日生。長野県出身

慶應義塾大学予科を経て、1943年(昭和18年)経済学部入学

1943年12月1日、松本歩兵第50連隊に入隊

1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として、沖縄嘉手納沖の米機動部隊に突入戦死

陸軍大尉。22歳

 

所感

 栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊*1に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきを痛感致しております。

 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは、自由主義者といわれるかも知れませんが、自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は、彼のイタリヤのクローチェ(イタリアの哲学者)も言っているごとく真理であると思います。権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家(日本・ドイツ・イタリア三国同盟の諸国)において見る事が出来ると思います。ファシズムのイタリヤはいかん、ナチズムのドイツまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。自己の信念の正しかった事、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかもしれませんが吾人にとっては嬉しい限りです。現在のいかなる闘争もその根底をなすものは必ず思想なりと思う次第です。既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

 愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望は遂に空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

 空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。操縦桿(そうじゅうかん)を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば、彼らが言うごとき自殺者とでも言いましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。

 こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っている次第です。

 飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。明日は出撃です。過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。何も系統だてず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は寂しいですが、心中満足で一杯です。

 言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼を御許し下さい。ではこの辺で。

出撃の前夜記す

 

 

これは特攻に出撃する前夜に、ある青年が自らの思いを綴ったものです。

酒でやけくそになっているでしょうか。薬をキメて頭がおかしくなっているでしょうか。

私には祖国の行く末と自らの人生を総括し、軍国主義の不条理と自由主義の勝利とに葛藤しつつも、冷静に人生にけりをつけた、一人の人間がいたようにしか思えません。

 

学生たちが戦争と直面してどう感じたのか、『きけわだつみのこえ』という本に収録されています。

自由を抑圧する軍国主義は話になりません。戦争自体を美化するつもりは一ミリもありませんが、それに臨んだ人間の尊厳までを踏みつける事には同意しません。

かつて祖国を憂い、空気という不条理に飲まれつつも、その命を燃やしていった多くの若者がいたことは多くの方に知ってほしいと思います。

 

*1:特攻・特別攻撃隊・特別兵器…航空兵力の不足したアジア太平洋戦争末期に、敗勢挽回のために取った無謀な戦法。最大限の爆薬をかかえた飛行機が敵艦船に体当たりを図った

8月15日にオススメすすめしたいコンテンツ

 

Sunrise @ Bàu Trắng, Phan Thiết


今日は8月15日。

あいにくの雨模様ですが、九段下の方は賑やかなのでしょう。

 

さて、今日は右も左もニュートラルの方もあの戦争について考えてほしい日です。

せっかくなのでお勧めしたいコンテンツを列挙したいと思います。

 

 

マンガ

小林よしのり

 

賛否両論ある方ですが、執筆の際に参考とされている文献は膨大な量です。

主張が偏ってはいますが、それを含めてでもおすすめの本です。

特に天皇論、東京裁判に関してはこの機会に知ってほしいなと思います。

 

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

 
ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論

ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論

 
ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論

ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論

 

 

日本の政治制度は特殊です。

天皇という一人の人間が一億人の最上位に立つ、というのは想像もできない苦労があります。

その苦悩や周囲の反応を、小林よしのりがパッション交えて語ります。

 

それから、パール判事という方をご存知でしょうか。

東京裁判は連合国による日本の戦争責任者を裁く法定でした。その中で唯一全員無罪を主張したのがインドのパール判事でした。もちろん、これは法の不遡及など法学に照らした解釈によるものです。

私個人としては、連合国による占領統治のおかげで人権やら民主主義やらが戦後統治の基本的観念となって、その点は非常に良かったと思うのですが、東京裁判に関しては法の運用面など法学的にはおかしいし、ほとんど連合国の私怨で開廷されたと思っています。もちろん政策遂行者が責任を取る場面は必要だと思うのですが、今でもいろいろな思いが錯綜して整理がついていないところです。

 

とにもかくにも小林よしのりは右系の方ですが、一読の価値ありと思いますので、ぜひぜひどうぞ。

 

かわぐちかいじ

 

Spitfire formation - 2014 Flying Legends

最近、空母いぶきが映画化されました。

かわぐちかいじと言えば、自衛隊や軍隊などを題材とした作品を数多く書いている漫画家です。

彼の作品の中でも、私が高校生の時にドはまりしたジパングをすすめます。

 

 

www.yutorix.com

 

それから戦後日本の軍事や国家の在り方について考えさせられるマンガとして、『太陽の黙示録』と『沈黙の艦隊』を上げておきたいと思います。

太陽の黙示録は日本が南北に分断され、それぞれ米中の支援を受けたことで国家の在り方が大局になった未来の日本が描かれています。

一方、沈黙の艦隊はある海自の将校が原子力潜水艦を乗っ取って、独立国を宣言し、各国を翻弄するという話です。専守防衛に縛られる日本の自衛隊の姿がまざまざと垣間見えるマンガです。

 

沈黙の艦隊(1) (モーニングコミックス)

沈黙の艦隊(1) (モーニングコミックス)

 

 

映画

 この世界の片隅に

 

この世界の片隅に

この世界の片隅に

 

 

第一次世界大戦を機に戦争の形態が総力戦に変わりました。

総力戦では、まず末端の市井に影響が出ます。この映画は市民がどう感じ、どういう人生を歩んだのか、そして戦争にどう左右されたのかを描いた映画です。

愛や悲しみ、そして苦しみ。それらを表現するのん(能年玲奈)の演技も素晴らしかった。

アマゾンプライムで見れますのでぜひぜひ。

 

こうして見返すと、なんだか偏ってるような気もしなくもないですね笑

 

www.yutorix.com

ブログを書き続けたら成長できたという話

 

このブログも設立してから4年以上が経ちました。

設立当初は記事を書こうにも、一ミリも筆が進まず、逃避しまくってました。修論の執筆と被ってたと言い訳しときます。

けれども、最近、記事を書き進めていくうちに自分の言葉で思いを紡げるようになったなあと実感しています。

 

ブログを書き続ける効用は、記事のストックがたまって、それを見比べれば自分の価値観の変化がわかることです。

人の価値観は変わります。根本的な部分では変わらないかもしれませんが、加筆修正を加えながらアップデートしていくものです。

日記をつける習慣があればいいんですが、紛失したり、持ち運べなくていつでも確認できるものではないです。その点、ブログは巨大な備忘録としての機能もあります。

 

その時の自分がどういう思いを持ったのか、どういうふうに現象を捉えたのか、ブログって、そんなふうに自分の見方を相対化してくれるものだと思います。

 

ここでやっちゃえ先生のツイートを拝借。

 

 

物事をパーツに分解して細かく見る「要素分解」という考え方があります。

たとえば、考えるという営みを要素に分解すれば、「比較する」とか「仮説を立てる」とか様々なパーツに分解できるかと思います。

 

こうやって細かく分析するには言葉や概念を知らなければなりませんし、そのためには勉強しなければなりません。勉強の先に到達できる世界があるのです。

そして、知らない言葉で世界は表現できません。その意味でブログはその時の自分ができる世界の表現方法の限界を集めたものですから、自分自身の成長が良くよく実感できるものだと思うのです。

 

少なくとも、かつては全く文章を書けなかったのに、今ではちょっと時間を書ければスラスラ書けるようになり、しかも文章力もちょっとは上がったかなと思っている人間がここにいます。笑

 

リカレント教育が推進されている昨今、学び続ける教員も社会的要請として求められているかと思います。成長を実感できるツールとしてブログ、とてもいいですよ~

 

www.yutorix.com

 

言葉が多ければ、世界はよりクリアに見える

 

教師という職業柄、観察という営みからは逃れられない。

 

その時、その観察の成否を決めるのは言葉の多さかなと思う。

たとえば、旅行に行って森林を見た時、「きれい…」と一言だけでは観察も何もない。もちろん友達と会話するのであればこんな一言でも盛り上がる。しかし、口に出さずとも観察眼を鍛えるためには「樹齢200年は超えているであろう4メートルほどの杉の大木が道の端にずっーと並んでいて、木々の間から差し込む陽光が荘厳な雰囲気を醸し出している」とか、具体的に感じたこと、見たことを表現したい。

 

その時、どれほど表現できる言葉を持っているのかがとても大事になってくる。表現できないことは認識できていないことである。我々の認識は言語を介して行われる。

だから、わからない言葉があれば辞書を引いたり、読書をたくさんして言葉を増やしていくしかない。そうして、やっとその先に見えてくる世界がある。

 

そして観察眼を鍛えるには場数を踏むしかない。

速く走りたい、といってイメージトレーニングや走るフォームを座学で学んでいてもしょうがない。実際に走らなければ早くはならない。同じように日常的に観察をして表現を繰り返さなければ観察眼は鍛えられない。

生徒の様子から彼らの心情や考え、関係性、性格などを読み取るには毎日毎日の観察の繰り返しが必要だろう。

観察をしつつ、同時に言葉を増やしていけば、分析・観察はきめ細かなものとなっていく。

 

夏休みは読書をしたい、と思いつつ、まだまだできていない。ああ、頑張ります。