Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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先生として胸を張ろう

 

人の想像力は無限の可能性を持っている反面、狭い範囲でしか想像できないこともあります。

 

とりわけ経験したことのないことに対して思いを巡らすのはかなり大変です。

 

ですから、想像力が足りなかったなあと思うことがありました。

 

 

想像できないこと

 

Business: Opportunity

 

私は大学院を修了してストレートで教員になりました。

 

当然、民間企業での経験がありません。

大学・大学院の同期や先輩はほとんど経済界へ進んでいきました。

彼らと話すたびに、やれ深夜1時まで残業だ、やれ海外出張だ、なんていう話を聞くと、

ああ、彼らと比べると自分は楽な境遇にいるなあ

とどことなく引け目を感じていました。

同時に、ちょっとしたコンプレックス(勘違い)も抱えるようになりました。

 

民間企業の方が大変だと。

 

相互に理解を

 

けれども、「大変さ」というのは業界や業種ごとに異なります。

 

建設業であれば「肉体労働が」大変、

中央省庁であれば「残業時間の膨大さが」大変、

「営業が」大変、「交渉が」大変、などなど。。

 

当然、先生も大変なことはたくさんあります。

授業準備や保護者対応、学級経営はもちろん、時には生徒の心のケアをするカウンセラーとなり、時には学校の広報マンとなり、時には学校の経営を考える経営者となります。

多種多様な能力が求められます。

 

でも、民間企業の方が大変だ、という先入観によって自分のことを肯定できないでいました。

 

ある意味で、民間企業への憧れがあったのかもしれません。

ビジネスをバリバリやるカッコよさを求めていたのかもしれません。

 

変な偶像を作り上げていたんですよね。

 

それらが呪いとなって、自分を縛っていました。

 

その呪縛を解き放つ言葉と出会いました。

 

平川理恵さんという方をご存知でしょうか。リクルートをやめた後起業し、その後横浜市の中学校で民間人校長として勤務。現在広島県の教育長をされています。

たまたま見た平川さんの記事にビビっときました。

 

私は先生たちの広報部長になりたい」とも言う。実は平川さん自身、学校のインサイドに入るまで「先生」という存在について、誤解していたそうだ。

「正直、民間より楽な仕事なんじゃないかと思っていました。ところが、実際に中に入ってみたら、先生がどれほど大変な仕事で、どれほど努力しているのかわかったんです。たとえば、子どもたちがけんかしたとします。すると先生たちは、どんなに忙しくても、その2人の言い分を丁寧に聞いて、どちらにも寄り添い、指導できるよう細やかに気を遣う。

ところが、先生のほとんどは、『私はこれだけ頑張っている』『これだけ働いている』とは、決してアピールしないのです。さらに、中学生は反抗期だから、家庭で親に先生の話など、あまりしません。だから、保護者は『先生は何もやっていない』と思い込んでしまう。それは子どもにとってもよくない。だから私は、先生たちの頑張りを伝える役目をしなければいけないと決意したのです」

 

toyokeizai.net

 

先生も大変だ

 

Teachers' Party


民間企業経験者から見ても先生は忙しい。

しかも、それが世に周知されない不遇がある。にもかかわらず、先生は現場で頑張っている。

 

先生が大変だ!と喧伝するつもりはありませんが、先生には先生として求められる能力がたくさんあります。

 

 

個人的には楽しくやっているつもりですが、どうしたって辛い局面はあります。

けれども、大変だからこそ、それは自分が使命感をもって全力で教育をしているからと感じられるのです。

平川さんの言葉は非常に勇気づけられるものでした。

 

人は勝手に偶像を崇拝してしまう。その偶像に自覚的になり、時にそれをぶっ壊す。

自分の中でイノベーションが起きました。

 

まだ表面的な話ですが、色々と深い次元でもイノベーションを起こしたいものです。

 

胸を張っていきましょう。

それでは。

 

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大学入学共通テストの問題作成の方針【現代社会、倫理、政経、倫理政経、地理、世界史、日本史】

 

Ready. Set. TEST!

 

1月29日に、令和3年度大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の問題作成方針https://www.dnc.ac.jp/news/20200129-01.html)が出されました。

 

社会科系の科目に焦点を絞って作問の方針をまとめてみました。

 

 

共通テストの問題作成方針要点

全体のポイント

以下、(ポイントの)抜粋です。

 

第1 問題作成の基本的な考え方 より

⾼等学校教育の成果として⾝に付けた,⼤学教育の基礎⼒となる知識・技能や思考⼒,判断⼒,表現⼒を問う問題作成
 平成 21 年告⽰⾼等学校学習指導要領(以下「⾼等学校学習指導要領」という。)において育成することを⽬指す資質・能⼒を踏まえ,知識の理解の質を問う問題や,思考⼒,判断⼒,表現⼒を発揮して解くことが求められる問題を重視する
 また,問題作成のねらいとして問いたい⼒が,⾼等学校教育の指導のねらいとする⼒や⼤学教育の⼊⼝段階で共通に求められる⼒を踏まえたものとなるよう,出題教科・科⽬において問いたい思考⼒,判断⼒,表現⼒を明確にした上で問題を作成する

 

「どのように学ぶか」を踏まえた問題の場⾯設定
 
⾼等学校における「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善のメッセージ性も考慮し,授業において⽣徒が学習する場⾯や,社会⽣活や⽇常⽣活の中から課題を発⾒し解決⽅法を構想する場⾯,資料やデータ等を基に考察する場⾯など,学習の過程を意識した問題の場⾯設定を重視する

 

第2  出題教科・科目の出題方法,問題作成のねらい,範囲・内容等 より

○ 問題作成のねらい,範囲・内容
 「第1」に⽰す問題作成の基本的な考え⽅を踏まえつつ,⾼等学校学習指導要領に準拠するとともに,⾼等学校学習指導要領解説及び⾼等学校で使⽤されている教科書を基礎とし,特定の事項や分野に偏りが⽣じないように留意する。
 なお,⾼等学校における通常の授業を通じて⾝に付けた知識の理解や思考⼒等を新たな場⾯でも発揮できるかを問うため,教科書等で扱われていない資料等も扱う場合がある

 

 これらから見えてくることは、単なる知識の暗記ではなく、知識の理解、知識を活用した思考力が求められているということです。

 思考力などを養う学習形態として、新学習指導要領で示されている「主体的・対話的で深い学び」が授業の場面に想定されています。大学入試に対応する上で授業改善は急務なようです。

 

出題教科・科⽬の問題作成の⽅針

公民科・地理歴史科それぞれにおいて思考する過程が重視されています。ただ、科目によって考察の過程に特色があります。

 

(1)公民科のポイント

現代社会)

 現代社会の課題や⼈間としての在り⽅⽣き⽅等について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽂章や資料を的確に読み解きながら基礎的・基本的な概念や理論,考え⽅等を活⽤して考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,図や表など,多様な資料を⽤いて,データに基づいて考察し判断する問題などを含めて検討する。


(倫理)

 ⼈間としての在り⽅⽣き⽅に関わる倫理的諸課題について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽂章や資料を読み解きながら,先哲の基本的な考え⽅等を⼿掛かりとして考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,倫理的諸課題について,倫理的な⾒⽅や考え⽅を働かせて,思考したり,批判的に吟味したりする問題や,原典資料等,多様な資料を⼿掛かりとして様々な⽴場から考察する問題などを含めて検討する。


(政治・経済)

 現代における政治,経済,国際関係等について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。現代における政治,経済,国際関係等の客観的な理解を基礎として,⽂章や資料を的確に読み解きながら,政治や経済の基本的な概念や理論等を活⽤して考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,各種統計など,多様な資料を⽤いて,様々な⽴場から考察する問題などを含めて検討する。

 

(倫理,政治・経済)

 「倫理」「政治・経済」を総合した出題範囲から,上述の両科⽬の問題作成の⽅針を踏まえて問題作成を⾏う。 

 

(2)地理歴史科のポイント

(地理(地理 A,地理 B))

 地理に関わる事象を多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。地理的な⾒⽅や考え⽅を働かせて,地理に関わる事象の意味や意義,特⾊や相互の関連を多⾯的・多⾓的に考察したり,地理的な諸課題の解決に向けて構想したりする⼒を求める。問題の作成に当たっては,思考の過程に重きを置きながら,地域を様々なスケールから捉える問題や,地理的な諸事象に対して知識を基に推論したり,資料を基に検証したりする問題,系統地理と地誌の両分野を関連付けた問題などを含めて検討する。


(歴史(世界史 A,世界史 B,日本史 A,日本史 B))

 歴史に関わる事象を多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽤語などを含めた個別の事実等に関する知識のみならず,歴史的事象の意味や意義,特⾊や相互の関連等について,総合的に考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,事象に関する深い理解に基づいて,例えば,教科書等で扱われていない初⾒の資料であっても,そこから得られる情報と授業で学んだ知識を関連付ける問題,仮説を⽴て,資料に基づいて根拠を⽰したり,検証したりする問題や,歴史の展開を考察したり,時代や地域を超えて特定のテーマについて考察したりする問題などを含めて検討する。

 

教師にできることはなんだろうか

6 июля 2019, Результаты вступительных экзаменов: иконописное отделение, магистратура / 6 July 2019, Entrance exam results for Masters program and for Icon Department

 

 

社会科の目標は「社会的な見方・考え方」の涵養です。

共通テストで試されていることは、各科目で具体化された見方・考え方が実際のテストの際に発揮できるかどうか、その学力が受験生にあるかどうか、ということだと思います。

となれば、教師にできることは日々の授業改善です。

 

問題の知識量が現行の学習指導要領に則っているので、受験生が学ぶべき知識量は変化ありません。

では、従来通りの教え方でいいのかといえば、そんなことはありません。

その知識をどう活用するか、または知識をどう評価するか、といった見方・考え方に収斂するような授業が求められているのでしょう。

(こんな偉そうなことを言っていますが、私自身は非教育学部出身のため、教育学や認知科学など授業改善の方途を勉強中です。そして、それを実践に落とし込む大変さよ…)

 

私自身は、大学入試の変化を非常に好意的に見ています。

資質・能力を基盤とした授業改善の強制力となりうるからです。もちろん受験生は見えない入試のあり方に不安でしょう。だからこそ、教員の授業改善が急務なのだと思います。(もちろん行政の方針が二転三転するなど、制度的な不備は一刻も早く解消されるべきです)。

通勤ラッシュを乗り越える方法あれこれ

 

 

今日、関東全域は雪である。

 

しかし、雪だからといって社会は容赦してくれない。

 

通勤を乗り越える

 

周知のとおり、東京都市圏の通勤ラッシュは民族大移動といっても過言ではない。

(その他都市圏の電車通勤事情は存じ上げないので、ご存知の方がいればご教授くださると幸いです)

 

ここに、国土交通省のデータがある。

f:id:europesan:20200127215439p:plain


出典:https://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo04_hh_000076.html

 

どの路線も通勤時間帯はキャパシティを過度に超過している。

たくさんの人たちが乗車するから、当然そこには様々な思いが交錯する。朝から通勤しなければならないからかイライラを隠さない人たち、ゲームで気晴らしをする人たち、資格試験のためか満員電車にもかかわらず狭いスペースで本を広げて勉強に励む猛者などなど。。。。

 

ちなみに私はネットフリックスで海外ドラマを見る人たちに分類される。

(これをルーティンにしてから快適になった。だが、難点は海外ドラマ特有のきわどいシーンが衆目の下にさらされる時でも、ギュウギュウのため手が動かせない点である)

 

これ以外にも色々と通勤の乗り越え方があると思う。

 

大喜利大会

 

UX Fest 2013

 

車内を観察して、一人大喜利大会を開くのである。

つらいつらい通勤を面白おかしく演出することで、ストレスを軽減しようという試みである。

オススメはドア付近のモニターで流れる動画や至る所に貼られた広告である。たちまちシュールな空間になるが、一本グランプリに比べるまでもなく低クオリティなので人に言い出せるレベルのものではない。

ただ、授業で話せるネタくらいは見つかる。

 

本を読む

 

王道の暇つぶしである。

困ったことに紙の本を広げるほどには広いスペースがない。

そんな時にこそキンドルである。

 

キンドルアンリミテッドを購入しているが、月額定額で(制限はあるが)本が読み放題なのはありがたい。

ただ惜しむらくは読みたい教育書はほとんどハードカバーの紙媒体でしか出版されていないことだ。

 

選択の自由、いずこにありや。

 

それでも我々は乗り越えねばならない

 

長く、つらい旅路を終えて、やっとゴールにつく頃にはへとへとである。

しかし、行き着く間もなくゴール(出勤)についてもまたゴール(退勤)に向かう旅がはじまるのである。

我々は朝っぱらから疲れてはならない。ストレスをためてはならない。

 

Snow

 

今日は朝から雪である(昨日の予報では)。

都心全域の交通網は麻痺するだろうが、そんなことは関係ない。

そして、いつも以上に車内のストレスが高ぶっているだろうが、そんなことも関係ない。

辛い現実をハッピーにするために、私は通勤の辛さを吹っ飛ばす術を編み出したのだ。

 

私は今日も大喜利し、キンドルを使い、ネットフリックスで海外ドラマを見るのである。

 

おすすめの車内混雑を乗り切る方法があればぜひご教授ください。

それでは。

 

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本が積み重なっていく悩み

 

教員の悩みの一つは書籍の購入頻度の多さと、それに比例して消えゆく収容スペースの存在だと思う。

かくいう私も当事者の一人である。

 

 

興味をそそる本が出る出る

 

book store, late night

 

出版不況といわれて久しい。

一方で出版社は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、新刊を毎月数冊と出版している。

「何じゃこりゃ!」という本はあるけれども、「これは!!」という本が多いのも事実である。

 

たとえば、1月の新書の新刊ラインナップはこんな感じ。

 

岩波新書

 

中公新書

 

講談社現代新書

 

ちくま新書

 

たまる積読、膨らむ本棚

 

1月の新刊だけでも5冊購入している。

 

毎月のことであるが、なんという魅力的なタイトルだろうか。

こうして毎月のごとく、タイトルにつられてはキャパシティと相談もせず購入して、本棚の肥やしにしてしまうのである。

 

Book store.

 

本屋をぶらぶらすることは、この上なく幸福である。

立ち読みしたり、気になる本をチェックしている間は至福の時間なのだ。

そして、気づけば手元には購入済みの本がある。

こうしてどんどんと積読がたまっていく。

 

ただ幸いなことは、手元に置いておくことで「読みたい」という気持ちをいつでも思い起こせることだ。

3年前に買った本でも手軽にすぐ読めるのは非常に便利だと思う。

と、こんなふうに積読の正当化をしておこう。

来月もきっと買うのだから。。。

 

(先生方の書籍事情はどうなのだろうか。)

 

情報収集のために

出版社のアカウントをフォローすると毎月の新刊情報を教えてくれます。

アンテナを高める上でも、フォローおすすめです。

 

それでは。

 

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【書評】主権者として金融にどうかかわるか~湯本雅士「金融政策入門」~

 

 

金融政策?ふーん?

 

日銀が金利を下げた…FRBが利上げした…

めまぐるしく届くニュースの中でも、金融政策ほど生活から遠く離れたものもないかもしれない。

難しいニュースを見たところで、出てくる言葉は「ふーん」という人も多いだろう。

 

けれども、金融政策の最終決定者は我々国民であって、その動向を注視することは極めて重要なことなのだ。そんな戒めを述べているのが今回紹介する「金融政策入門」である。

 

筆者は述べる。

 

金融政策というと、中央銀行のだれか偉い人が決めているというような感じを持たれているかもしれませんが、実は(間接的ながら)国民自身が決定し、その結果はみずからが引き受けるという覚悟で臨んでいる。そうした感覚を常に持ち続けることの重要性を、最後に改めて強調しておきたいと思います(P240)。

 

大原則は、主権者である国民自身が国のかじ取りを決めることである。国民の生活から乖離した政策決定は正当性をもたない。

 

では、金融政策とはそもそもなんなのか。また、国民生活にどのような影響をもたらすのだろうか。本書は初歩的な用語も丁寧に説明しながら、金融政策の大枠を提示してくれる。筆者の親切な人柄が垣間見える一冊である。

 

金融政策とは何か? 国民生活にどんな影響があるのか?

 

Money

金融政策を定義する前に、金融の定義をしたい。

本書によれば、金融とは「手元に資金が余っている個人や組織が、資金を必要としている経済主体にそれを提供して利用させることである」(P2)。

 

こうした金融の機能を健全な状態に保つことも金融政策の役割の一つである。

 

さて、本書の中で金融政策は次のように定義されている。

 

政策担当者が、一定の意図をもって通貨・金融面から経済主体の行動に働きかけ、その意図を実体経済面に実現させるべく努力する一連の行為である(P22)。

 

金融政策の目的は物価の安定と景気の調整の2つである。

物価や景気の状況は国民生活に大きな影響を及ぼす。たとえば、不動産価格などが急激に上昇したバブル時代においては、勤労者が都市部の住宅に手を出せないほど、住宅や土地の価格が高騰した。また、不況になれば企業は採用人数を絞るため、多くの大学生が就職活動で苦戦するようになる。就職氷河期世代と呼ばれる世代は悲惨な状況にある。

 

マクロの経済動向が人々の生活を左右する。そうした経済動向を調整するために、政府は財政政策を、中央銀行は金融政策を行っているのである。

 

ただし、その具体的な手法は金政策の担当者によって異なる。

そうした意図を知り、その流れの中で合理的な行動をとれば、生活を豊かにすることもできるだろう。

たとえば、政策金利を下げれば、預金をしていても大してリターンがないため、投資や消費が活発になる。そうすると、金融商品の価格が上昇し、配当金を多く得ることができるかもしれない。

 

現在、日本には1000兆円以上のお金が存在する。このお金の流れに働きかけるのが日銀であると考えれば、金融政策を理解し、その流れを読むことは自立にとって非常に重要だろう。

 

そして、政府と日銀が一体的に動いているとすれば、国民が金融政策のかじ取りを決めるのが理想的な姿といえよう(ただ、中央銀行は政府から一定程度独立すべきなので、デリケートな問題ともいえる)。 

  

主権者教育として

 日本証券業協会には以下のような記述がある。

 

2017 年 10 月、衆議院議員総選挙が実施されました。その際、読売新聞は「投票する候補者や政党を決めるとき、とくに重視したい政策や争点は何か」などを問う「電話全国世論調査」を実施しました。この調査では、有権者が投票する上で重視する「政策や争点」の上位3つが、「景気や雇用」「消費税など税制改革」「年金など高齢者向け社会保障」であるという結果が明らかになりました。すべて経済関連です。景気がよくて、雇用が安定している。これは、誰にとっても望ましい状態です。この点については争点はありません。
では、この状態を政策的にどう実現するか。「金融を緩和しながら、財政支出を拡大する」のか。「いや、その政策では、財政赤字が拡大して、将来不安が高まるから、人びとが消費を減らしてしまい、景気が悪化する。
むしろ、消費税率を上げて財政赤字の解消を図ることこそ必要だ」。さて、どちらでしょう。政策をめぐる争点です。

このような政策をめぐる争点に、主体的に判断できる能力こそ「主権者として求められる力」です。これは、ある政策を採った結果を、短期的だけではなく、長期的にも見通せる力、と言い換えてもよいかもしれません。
読売新聞のアンケート結果にあるように、投票の際、重視したい「政策や争点」の上位は経済関連の事項が占めています。だとすれば、「主権者として求められる力」の育成には、金融経済教育が重要になります。
まさに「今日の経済活動に関する諸課題について着目し、主権者として、よりよい社会の構築に向けて、その課題を解決しようとする力を養う」ための金融経済教育が必要とされているのです。

 http://www.jsda.or.jp/gakusyu/edu/web_curriculum/images/mailmagazine/Vol.59_20180329.pdf

 

結局、金融における政府の比重は極めて大きく、したがってその動向が金融の先行きを左右するわけである。

それゆえ、政策がどのような意味を持つのか理解し、それに対して意見を持つ経済金融的な見方・考え方が重要なのである。

 

授業アイデア

「デフレの原因は何か」というMQに対して、①労組の組織率の低下、②非正規雇用の増加(労働者派遣法改正の歴史)、③労働分配率の低下など、の視点からジグソーができるか(ただ、これだと金融からのアプローチがない)

これを社会的な文脈に結びつけるのならば(真正な学習)、新聞記事の社説を書いたり、政策提言をするなどのパフォーマンス評価が可能か。

 

本書の特徴

 

books

専門用語を丁寧に説明してくれるが、経済理論や経済について政治経済の教科書程度の理解があった方が楽しく読めるかと思う。逆に言うと、それ以外の方はちんぷんかんぷんになる可能性が。まったくの初学者にはちょっと難しいかもしれません。

金融をめぐる様々な立場の紹介など、基礎的な理論をめぐる対立などは中々面白いなと感じると同時に、ジグソー法で使えそうだなと思えた。

個人的には、高度経済成長期の金融政策に遡って、現在のデフレに対する状況までを解説してくれたのは非常にためになった。

日銀が何をしているのか、金融や経済などのニュースを理解したい方にはぜひ手に取ってもらいたい1冊である。

 

 

参考

湯本雅士「金融政策入門」

海外大学と国内大学 ~「蹴られる東大」と「忖度しない教育」~

 

 

最近、面白いシリーズを発見しました。

 

その名も「蹴られる東大」。

www.todaishimbun.org

 

やはり教育業に携わる者として、また大学受験生を指導する者として、「東大」は「目指す」ものだという認識があったのですが、近年の大学入試の状況やアジア圏での動向、中学入試事情などを見ると、東大ではなく海外を思考する方々が増えているように思います。

そうした思いを抱いている中で見つけたシリーズ。海外大学の特徴などが描かれているので、先生方の中でも広報や進路指導等を担当する方には参考になるのかなと。

 

日本国内と海外大学の違い

 

university

日本の大学は入るのが大変、出るのが楽。海外大学は逆。

 

よく言われる言葉ですが、語弊があります。

まず日本の大学は入るのが大変ですし、近年は文部科学省の方針もあって出席状況などを厳しくチェックするようになっています。単位認定が行われなければ、卒業できませんから、楽とは言い切れません。

www.mext.go.jp

 

また、海外大学においても同様です。

入るのはそもそも大変ですし、当然出るのも大変です。ただ、やはり日本とは違って、海外大学は授業の予習等がかなり大変らしく、その点は日本の大学生活の方が自由度が高いそうです。

 

次は海外大学での学習状況について、「蹴られる東大②」より抜粋です。

 

米国での大学生活について語ってもらいます。まずは学業面について、授業の構成や厳しさなども日本とは違うと思いますが、実際に受けてみてどう感じましたか

 まず取っていた授業を言うと、一つ目はDS(Directed Studies)というもので、これは1年生のうち選考に通った人のみが受けられる、ひたすら人文学をやる授業です。基本的に各セメスター4単位を取得するのですが、この授業が3単位分あって、文学、歴史、哲学がそれぞれ1単位ずつ、というように特にハードな集中授業三つから構成されていました。他に前セメスターは1.5単位のフランス語を取っていたのですが、こうした授業の取り方をした結果、リーディングの量が週平均600ページになってしまいました。もうどうなってんの、という(笑)。しかも古典の授業なので、『イーリアス』1冊をいきなりバーンと渡されて、3日後までに読んでこい、みたいなこともありました。最終的にDSの三つの授業で30冊くらいの本を買わされましたね。さらに毎週5〜6ページのライティングが課され、各授業それぞれ期末試験があったため、本当に一日中本を読むような生活が続きました。図書館が午前1時45分まで開いているので、そこで閉館まで勉強して、寮に帰ってルームメイトが寝ていれば、そのまま部屋で午前3時くらいまで勉強しました。フランス語の授業が朝8時20分から始まるので、朝7時半には起きて小テストの勉強をしていました。勉強は本当にすさまじかったです。毎日4時間睡眠で回す感じで、キツかったですね。

 

ほかにも、言語の壁は厚いみたいです。たとえば、ディスカッションにうまく参加できないもどかしさを吐露しています。

 

教授も学生がリーディングを全部は読んでいないことを察するので、論点から外れた発言は評価されませんが、かといって何も発言しないと授業参加点がゼロになってしまうので、難しいところです。しかしイェールではこうした点も、授業ごとに配置されているアカデミックアドバイザーの人たちに2週間に1回くらいの頻度で相談できます。「本当は授業中にこういう話をしたかったのにクラスメイトがこう話をもっていったせいでできなかった」と相談すると、「教授もそこは気付いているから、教授に後からどんな話をしたかったのか伝えに行けば参加点は下がらないよ」と教えてくれました。

 

言語の壁、そしてとんでもない学習量(事前準備)が毎日止むことなく続く。

半端じゃなく鍛えられる環境ですね。

 

本気で向き合う教員

 

McGill University

海外大学院での経験を持っている知人がいます。

「蹴られる東大」の記事はアメリカの大学でしたが、知人はイギリスの大学院を修了しています。

 

やはり授業は事前準備が大変とのことでした。毎週英語の分厚い本を何百ページも読んでまとめて…

それだけでなく、英語の壁があるため、母語のようには議論ができない苦悶があるとのことでした。

 

けれども、教授はネイティブでないからといって忖度しない

英語が出来なかろうが、準備が間に合わなかろうが、容赦しないとのことでした。

 

こういう点から鑑みるに、「研究者」の意識が強い日本の大学教授とは違って、海外の大学教授は「教育者」としての意識が強いのだなあと感じますね。

 

東大をける人たち

 

記事にあるような、東大を第2の選択肢として考えられるような人は、そもそも傑出した知力を備えています。しかも努力を怠らない。

 

僕実はセンターの社会でどの教科を受けるか最後まで迷ったままで、ついぞなんの勉強もしないまま1月に突入しまして。やらなくても点数がある程度まで取れる教科ということで結局地理にして、参考書を時間がある時に買いに行き、センターの前日に2冊組の参考書の片方だけを読み終えてセンター試験に臨みました。それまで一度も学校で勉強したことない地理で。(蹴られる東大①より)

 

なんじゃそりゃ~

もはや教師として教えることはあるのか、と思ってしまいますね。

 

ただ、大学進学の現実的な選択肢として海外大学を志向する生徒は増えています。

それは各校の大学合格実績に如実に表れています(以下のリンク参照)。

 

chukou.passnavi.com

※ただしこちらのリンクは2017年時点でのデータなので、現在はさらに伸びていると思われます。

 

変化する社会に合わせて大学進学も変化しています。

今回の記事が、進路指導の参考になれば幸いです。

それでは。

 

中高生が参加できるビジネス系のコンテストまとめ

 

最後のセンター試験、始まりましたね。

今回はビジネス系コンテストをゆるーくまとめました。

 

  

課外活動の重要性の高まり

 

近年の大学入試では、一般入試だけでなくAO入試や大学独自の入試*1、また推薦入試など「ペーパーテストで計測できる学力」以外の、多角的な観点から学生を評価する試験が多く行われています。

日本国内だけでなく、海外大学を思考する生徒も増えています。当然、日本と海外では入試方法が異なります。

 

そうした入学試験の多様化を受けて、学力試験だけではなく課外活動等に積極的に携わる生徒が増えている印象を受けています。

今回の記事では、ビジネス系のコンテストに的を絞ってまとめていきたいと思います。

理由は、私が公民科の教員であるのと、経済学が好きだからです。

追々社会科学系のコンテストはすべてまとめていこうかと思います。

 

課外活動を探している中高生、何か外部の活動と学内の活動を連携させたい先生方に役に立つ記事だと思います。

 

Examination paper

 

中高生(高校生のみの場合もあり)が参加できるコンテスト

 

キャリア甲子園

 

careerkoshien.mycampus.jp

 

高校生ビジネスグランプリ

 

www.jfc.go.jp

 

エコノミクス甲子園 

 

econ-koshien.com

 

常葉大学主催 高校生ビジネスプランコンテスト

 

www.tokoha-u.ac.jp

 

大阪商業大学 全国高等学校ビジネスアイディア甲子園


ouc.daishodai.ac.jp

 

日経ストックリーグ

  

manabow.com

MONO-COTO INNOVATION

  

www.mono-coto-innovation.com

  

自分がやりたいことを

いかがでしょうか。

こうしたコンテストに参加して結果を残せば、自身の関心や能力をアピールできる証明になります。

けれども、大切なことは 課外活動を通じて成長すること だと思います。

 

そういう認識をもって、副産物として結果がついてくればいいなあと指導する身としては考えております。

 

私が指導した経験のあるコンテストもいくつかあります。

教員としては、指導すると勉強するので、授業改善等に役立っているなあと感じています。

 

活動をすることで成長する。そうして身についた能力を学内の教育活動でも発揮する。さらに学内で伸ばした能力をコンテストに活かす。そういうサイクルの中で、入試を突破する力を身に付けてもらいたいですね。

 

こちらの記事も進路選択に役立ててみてください。

 

www.yutorix.com

  

*1:慶應義塾大学のFIT入試や筑波大学のAC入試などが実施されています。

Twitterってすごいなぁって話とか

 

※今日の話は感想です。ゆるゆるですのでご注意を。

 

 

先日、チレキさんにお会いしました。

 

 

以前、チレキさんとはTwitterで何度かやり取りをしていました。

 

ですが、直接お会いするのは初めて。

大いに刺激を得ました。

 

チレキさんのすごいところは、日々の授業で絶対に手を抜かないこと

毎日の授業にかける熱意・準備・実践、なにをとっても脱帽でした。

 

いくつか資料を見せていただきましたが、どれも参考になるポイントばかり。

質問をしても懇切丁寧に教えていただいて、とっても素敵な方だなあと思いました。

 

チレキさんの妥協しない姿勢に刺激を受けて、私もいてもたっていられなくなりました。

 

Twitterの機能

 

僕がチレキさんに出会ったのはTwitterを通じてです。

 

Twitterでは、多くの先生方が発信をされています。チレキさんもその一人です。

けれども、僕がしていたことは、画面の向こうで凄い実践をされている先生方を「ああ…すごいな」とただ眺めるだけでした。

 

だから、思い切ってDMをしてみたのです。

 

Twitterには、そうした先生方と繋がれる、ある種のマッチング機能がある。

もちろん無遠慮に接触をしてはダメでしょう。けれども、何度かやり取りをしていると「この人とお話してみたいな」と思うことがある。それがチレキさんでした。

 

他にも様々な先生方とTwitterを通じて出会うことが出来ました。

教育に熱い思いをもって日々試行錯誤されている先生方にお会いできた。とても光栄なことじゃないでしょうか。

あぁ、色々思い出してきちゃいました。このブログを書いている今、酒を飲んで、ZARDを聴いているので目から汗っぽい水がでてます。

次の日見たらこのセリフ消したくなるんだろうなぁ!笑

 

発信する人の下に情報は集まる

 

去年、ブログでよく授業実践を発信していました。

丁寧なコメントをくださる方々もいらっしゃり、授業改善等に役立てたりしていました。

 

A a A

 

情報は発信者の下によく集まります

さらに、発信することには2つメリットがあります。

1つはアウトプットすることによって自身の学びになること。もう1つは発信することで、自身の認識が形成されることです。

 

このブログは元々自分自身が学ぶことを第一の目的に始めました。

つまり、今学びが滞っている。

だからこそ、改めて初心に帰るべく、このゆるゆる日記を書くに至ったわけです。時刻にして0時過ぎ。まったくもって深夜のテンションです。

 

今年は

 

今年はブログはもちろんですが、論文を執筆します

昨年、勤務校に研究紀要を上梓しましたが、今年は学外に向けた発表を目標として執筆します。

教員になってから1つの夢だった論文執筆。

もう方々に言っているので後戻りできません。

自分は怠け者ですから、こうやって追い込まないとやらないので有言実行で頑張ります。

より良い教育のために、明日からまた頑張ろう。

 

それでは!

原監督の指導はすごい!-青学躍進の背景にステージ指導法あり

 

あけましておめでとうございます。

 

新年を迎え、世間は箱根駅伝で盛り上がっています。

今年の往路優勝は青山学院大学(以下、青学)。3年ぶりの往路優勝を勝ち取り、復路優勝へと弾みをつけました(母校ではないので、何とも言えない気持ち

 

さて、青学が箱根駅伝で優勝争いをするようになった立役者といえば、やはり原監督でしょう。

 

3学期をもうすぐ迎える教員の皆様にとっても、原監督の指導法は非常に有効なのではないか。そう思い、色々と調べてみました。

 

 

原監督とは

原晋監督は、元々陸上競技の選手でした。高校、大学、社会人と選手を続けていましたが、27歳の時にケガで引退。その後は中国電力の営業マンとして実力を発揮し、「伝説の営業マン」として呼ばれるようになりました。

 

そして、37歳の時、中国電力を退職し、青山学院大学陸上競技部の監督に就任。しかし、当初は芳しい結果が出ませんでした。けれども、就任5年目で学連選抜チームを箱根駅伝で総合4位に導くと、大学が本格的に支援。そして、翌年の箱根駅伝には33年ぶりに青学を出場に導きました。

 

その後、青学は箱根駅伝4連覇を達成しました。現在、原監督は、大学教授を務めたり、各種講演をしたりと、幅広い活動を行っています。

 

原監督の指導法

原監督の指導法にある理念は「選手自身が自分で考え、かつ楽しくプレーする」というものです。

 

本の学校スポーツの指導者は、科学が極めて発達した今でも、非科学的な「根性論」で指導することが少なくありません。監督の権威を絶対化し、上意下達の軍隊式の指導でバリバリ練習をさせる。当然、選手たちはまったく楽しくプレーなどできません。こうした点を改め、科学的にかつ選手の自主性を尊重する指導法で結果を出したのが、原監督の画期的な点といえるでしょう。

 

NYCMarathon2013-5634

 

では、具体的にどのように指導をしているのか?

 

その指導は、4ステージ指導と呼ばれています。

第1ステージは上意下達。つまり、監督の指示を選手が聞いて、実行すること。

これは、チームの理念だけでなく、具体的な行動を即座に伝達できるため、すぐに結果を出すのに有効です。しかし、監督がいなくなれば、効果は消え去ってしまいますし、選手自身は成長しません。

 

第2ステージは自覚期。つまり、選手が監督の考えを自覚する段階です。

監督が理念や目標をリーダーに伝え、その上でリーダーが選手個人に指示を出していきます。確かにリーダーは自覚しますが、その反面、監督の本意は中々浸透しずらくなります。

 

第3ステージはコーチング期。ここでは、監督の考えが選手個々に浸透していきます。

監督自身が選手全員に理念と目標を伝えた上で、「それをどう実現するの?」と問いかけます。こうすることで、チーム全体に自ら考える土壌が育ち、自立へと向かっていきます。

ただし、過度な自主性を放縦と勘違いしてしまうと、チームの秩序がなくなってしまいます。それを戒め、正しい方向へと向かわせることも監督の重要な役割です。

 

第4ステージは自立期。選手が自ら考え、監督は選手の自主性を尊重し、それにゆだねる段階です。選手が自ら考え、行動しているので、監督がいなくても、チームの強さは変わりません。

原監督はこうした段階を踏まえて、選手個々、チーム全体の力を高めていきました。

 

その際に具体的に行った指導が、1分間スピーチと目標管理ミーティングです。

毎朝、1分間スピーチを行い、最後は駅伝につなげる。表現力を磨くだけでなく、自身とチームの目標を再確認する場を常に設けています。

そして、月1回5人ほどに分かれて目標管理について意見を出し合います。学年に関係なく組織され、さらには選手個々のの役割などがチーム内で可視化されるため目標達成により一層近づけるわけです。

 

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不易流行

最終的には、選手自らが考え、行動する。これが原監督の指導の根底にある理念です。

これは我々教育者が当たり前に行っている指導に通ずるものではないでしょうか。

 

最終的な生徒のたどり着いた姿をイメージして、そこからカリキュラムを考えていく。

成長の段階をルーブリックで設定し、評価をしていく。そのために打ち手を考え、実践していく。そして、生徒の成長の様子を看取って、さらなる打ち手を考えていく。

 

 

これらは、何も目新しいものではありません。

 

やってみて、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

 

これは山本五十六の残した名言です。

結局、監督だけでなく、選手一人ひとりが考えるようにならないと、人は成長しないのです。その法則は昔からずっと変わらないのでしょう。

 

そして、これらの手法は何も教師だけでなく、学校経営やビジネスにおいても人を育てる立場の方であればぜひ知っておいて損はない知識でしょう。

最終的にプレーヤーが自ら考え、行動できるようになれば、組織全体のパワーアップに繋がります。学級、学校、会社などなど。。

そのためのヒントが、原監督の指導法にあるのではないでしょうか。

 

参考

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KS/0005/KS00050L021.pdf

 

https://www.mag2.com/p/news/352266

 

 

『ジョーカー』の世界がジョークに感じないワケ

 

 

ジョーカーを見てきました。

多分に現代社会の病理をえぐった作品だという印象が一つ、単純に次の展開が気になるような作品としての完成度が高いという印象が一つ。

wwws.warnerbros.co.jp

 

ここからはネタバレを含むので、見たくない人はスルーしてください。

 

ジョーカーざっくりストーリー

 

Downtown New York

 

舞台はゴッサムシティ。貧困層と富裕層の格差がとんでもなく広がっている街である。

 

主人公のアーサーはコメディアンを目指す壮年の男性。

母親と二人で暮らしており、ピエロの職で生活をつないでいる。

脳と神経の損傷のため、突発的に笑ってしまう障害を抱えており、生活も非常に困窮している。

 

ある日、彼は同僚から銃を渡される。そして、それを護身用に身につけていた。

しかし、彼は小児病棟での仕事中にそれを落としてしまう。それをきっかけに仕事をクビになり、落ち込みながら帰路についていたところ、酒に酔った証券マンに絡まれる。

 

激高したアーサーは証券マンに銃を向け、殺害してしまう。

しかし、その行為は貧困にあえぐ人たちにとって、英雄的行為だった。アーサーは殺害時、ピエロの格好をしていた。

結果として、ピエロは貧困層のヒーローとして神格化され、富裕層に対するデモ、暴動が起こっていく。

 

社会的な動きに対して、アーサー自身にも変化が生じる。

ある日、自分の母親が精神病を抱えており、自分が養子であることを知る。そして、幼少期に虐待したことで脳に損傷を抱えたことを知る。つまり、自分の障害が母親による後天的なものである、と知ることになった。

アーサーは母親を手にかける。

 

自分の「不遇で、惨めな」生涯を「悲劇」ではなく、彼はこう表現する。

「喜劇」だと。

 

そうして、妄想にとりつかれた彼は自分に敵意を向けた人間を殺すことに躊躇がなくなっていく。

 

現代社会に通じるリアルさ

 

この映画から感じたのは、きわめて現代的なテーマだった。

 

貧困、格差、分断、虐待、、、

 

どれも貧困から派生する問題である。

たとえば、アーサーの母親はシングルマザーだが、過去に精神病で入院しており、その際にアーサーに対する虐待が問題になっている。

そして、アーサーはその時の虐待が原因で精神的な障害を抱えるようになった。

 

貧困と虐待に因果関係があるわけではないが、たった一人で育児をするつらさ、生活を工面する不安からストレスのはけ口を虐待に求めることは往々にしてある。それが家庭における教育の差を生み、貧困の再生産を生み出すこともある。

 

また、アーサーが証券マンを殺人したことが、むしろゴッサムシティでは賞賛をもたらしたのも、きわめて大きな格差があるからだ。

 

おそらく舞台のモデルはニューヨークである。

アメリカの格差は世界で最も激しく、それゆえ富裕層と貧困層の分断はすさまじい。

たとえばリーマンショックの後、「我々は99%」というスローガンを掲げたデモが出てきた。それはすなわち、「残りの1%」は「我々ではない」という意味であり、デモで倒すべき存在という意味である。

映画の中でデモ集団が、車を燃やすなどの暴動に発展するシーンがあったが、これはパリで起きている「黄色いベスト運動」と瓜二つである。

とするならば、人々が貧困で不満を抱えている状況下では、あることをきっかけにそれが噴出するのだろう(映画内では、アーサーが証券マンを殺害して、シンボライズ化され始めたのがきっかけ)。

 

社会の分断がもたらすもの

 

Poverty Christmas

 

我々は社会という一つの集団を築いている。

しかし、あまりにもひどい格差は分断をもたらし、「私たち」と「あいつら」という分断意識を生み出してしまう。人間は仲間意識のない者、さらにいえば敵には容赦ない。異教徒に対する十字軍の情けのなさしかり、白人至上主義者による有色人種への容赦のない差別しかり、である。

暴動が起きていたときに、金持ちに銃を向ける者がいた。自分たちの不遇は金持ちのせいだ、という意識が貧困層に広まれば、そうした社会的不安定が生じるだろう。

加えて、貧困層での虐待などが精神的な病をもたらせば、被害妄想などで犯行に及ぶ人も増加するかもしれない。

 

であれば、ある程度の富の分配によって所得をできるだけ平準化する方が社会的安定性を保つ上でも、富裕層にとってのリスクを軽減する意味でも、効果的なのだろう。

 

新自由主義的政策が米英日でとられ、日本がますます市場原理を重視する小さな政府へとシフトする中で、格差は拡大しつつある。国家像・社会像をどうしていくのか、社会的な合意をはかるべきだなあと思った。

 

あと、ジョーカー普通に面白かったんでおすすめです。