Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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安楽死最前線

 

 

20日の読売新聞で面白い記事があった。

 

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安楽死尊厳死など、死に方をも含めた人生の問題は世界中で議論されている。

より良き生を全うし、その終着点をどう迎えるかは当事者にとっては重要な問題であるが、死ぬ権利を認めれば、社会秩序を支える人権概念の変容は避けられない。だから、各国政府も慎重に対応している。

 

ある女性の決断

この記事を読んで思い出したのは、日本人女性が安楽死のためスイスへと向かった、という記事だ。

www.swissinfo.ch

 

苦しみだらけの人生を生きる意味は何か。

その終わりを決する権限をどうして当事者が持ちえないのか。

近代社会に生まれた生命への権利に対する疑義が突き付けられているわけであるが、未だその壁は強固である。

誰だって自分の人生の主役は自分でいたいものであるが、自分で決められることにはそもそも限界があるみたいだ。

 

死ぬ権利を認めたら

 

では、仮に死ぬ権利が認められたとすれば、どうなるだろうか。

ある人物はこんなことを言っている。

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togetter.com

 

正直なところ、私もおおむね同意する。

私自身も人権を享受し行使する主体として十分とは言えないと思うが、できる限り自分の人生は自分で決めてきたという自負がある。そうした自己決定、自由権に対する各自の尊重がある社会風土の下でならば、安楽死は認めてもいいのだろう

でも、現実は厳しい。

少なくとも、人権主体を育てる教師のなかに、同僚に対する凄惨ないじめに加担したり、顧問として部員を恫喝し、暴力をふるい、中には自殺に追い込む者もいるのだから、「社会全体の風土形成」という点で実現は不可能である。人権を教える場から絶対王政が生まれてしまうのだから。

ただし、そんなことを言っていてはいつまでたっても実現されないので、私にできることは授業で生徒たちと議論することである。

 

もちろん個人にできることには限界があるので、制度的な方向で物事を進めていくことも大切ではあるけれども。やはり理想は社会的な合意形成がなされて制度が形作られることである。

 

Death Valley

 

まずは社会全体で議論を

本格的な超超高齢社会を迎え、死の問題は当事者だけでなく、社会全体が直面する問題に変わりつつある。

死ぬ権利を認める・認めないという法的な次元からでなくても、議論自体を始めないといけないフェーズに来ている。

 

う~む、考えたらず。このあたりの問題、生徒と議論していきたい。

 

  

 

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▼「死とは何か」というテーマで哲学対話の授業をしたときの記録です。

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過度な能力論を相対化してみる

 

 

こんにちは、しらすです。

〇〇力という言葉が流行っています。問題解決能力やコミュニケーション能力、課題設定能力など、様々な力がクローズアップされ、教育目標に設定されています。僕自身はスキル大好き人間なので、こうした能力の明示は非常に良い傾向だと思っているのですが、こうした能力論がもてはやされる背景を教条的に受け入れていたのかなあと思ってしまいました。

 

Business Photographers

 

なにかしらの能力を身に付けることは個人の問題です。グローバル、かつ不確実性が増大する未来社会(未来が不確実なのは当たり前ですけどね)で生き残るために身に付ける力として色々な力に焦点が当たるのは教育目標の明確化という意味ではいいとは思うんですけども、これが未来社会で生じる社会事象を解決するという文脈で過度にクローズアップされるのはおかしいなと、過度に個人の力量に還元されてはおかしいなと。

冒頭のおおたさんのツイートにあるように、社会問題の解決は個人の自発的な活動を中心とした私的解決ルートと、制度を通じた公的解決ルートの2つの道筋があるわけで、全ての問題解決が個人に帰責されては事象の把握を見誤ります。

現象の原因にはいろいろなレベルがあって、個人レベルでも意識なのか、能力なのか、環境においても対人関係か制度なのか、などなど様々な次元を想定しなければなりません。

 

過度なメリトクラシーに陥らずに、相対化してみなければいけないなあという学問の基本を忘れてはいけませんね。それでは。

 

 

▼過去記事もご参照ください。

  

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人生100年時代は大格差が起きるディストピアの時代

 

こんにちは、しらすです。

 

人生100年時代という言葉をニュースや新聞など至るところで聞くようになりました。日本政府が推進してきた未来社会像も既に定着している感があります。

100歳を超えた方々に対しては、「金〇〇、〇さん」としてマスコミに取材されたり、市町村から表彰されたり、一般的にはめでたいものとして扱われていますから、人生100年時代も肯定的に捉えられています。できることなら長生きしたいですもんね。だけど、私は人生100年時代は実現可能性が少ないなあと思っていますし、実現したところでハッピーなユートピアにはならないだろうなと思っています。

 

そもそも人生100年時代って?

 

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元々はイギリス人のリンダ・グラットン氏が『LIFE SHIFT』という著書の中で唱えたものです。健康寿命の長期化が起こり、それに備えるための社会システムとして、生涯を通じた学び直し高齢者の雇用促進が政策として求められるようになっていく、と。

安倍首相がグラットン氏を政府の会議に呼び、国を挙げてこれに取り組む姿勢を見せています。

内閣府ホームページ:人生100年時代構想会議

厚生労働省ホームページ:「人生100年時代」に向けて|厚生労働省

 

疑問①医療費はだれが出すの?

 

健康寿命が伸びる、という推計があります。たとえば、日本の平均寿命も1950年から見ると大幅に伸長しました。

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出典:「平均寿命と健康寿命の差に注意」

https://www.d1yk.co.jp/info_health/2017/03/post-35.html

※1950年及び2010年は厚生労働省「簡易生命表」1960年から2000年までは厚生労働表「完全生命表」、2020年以降は、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平均24年1月推計)」の出生中位・死亡中位過程による推計結果

 

健康寿命に関するデータはたくさんあったんですが、1950年からのものはありませんでした。ただ大体、男女ともに平均寿命から10歳引けば健康寿命になります。

 

結論から言いましょう。今後は、高齢者間でも格差が拡がって医療の恩恵に授かれる人とそうでない人が出てくるので、100年を迎える人もいれば、早くに病に侵される人も出てくる医療格差の時代になると思います。

経済成長による所得水準の向上を通じた生活水準の上昇、公衆衛生の改良、医療技術のイノベーションと医療費の低廉化および国民皆保険という奇跡的な環境・制度のおかげで、戦後日本の健康・平均寿命は大きく伸びを見せました。

ただ、かつてと異なり、現在の日本は成熟社会です。加えて人口減少が本格化しますから、経済は縮小していくでしょう。また、医療保険制度も現状は自己負担を1~3割に抑えていますが、高齢者が増加していけば、自己負担額が増加していくことが見込まれます。持続可能な社会保障制度のためには仕方ありません。

また、医療技術が進歩しても、それにアクセスできるかは別の話です。技術が開発された当初は付加価値が非常に高く、また量産体制がなければ、価格は低下しません。前述のように、医療費の自己負担額が増加していれば、アクセスの差が生じます。政府が支援をすればいいのですが、現下の財政状況でどこにそんなお金が?という感じです。

また、行政の機能低下も要因となってくるでしょう。地方公共団体の財政状況は国よりも厳しく、中には夕張市のように財政破綻する市町村も出てきました。これは国も同様のことですが、借金をすればその借金返済に予算が占められるようになり、財政の自由度が減少します。地方の人口減少で税収が減り、ただでさえ財政状況が悪く中で、財政の自由度が減る。すると行政の機能が低下し、たとえば公衆衛生も十分には維持できなくなる。水道の民営化はその一例かと思います。

格差が拡大しているにもかかわらず、環境の悪化や自己負担額が増加すれば、誰しもが人生100年を迎えるのが困難であるとわかります。

 

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疑問②政策は何を目的にして出されたの?

 

今の日本は人手が足りていません。ですから、民間企業の給与水準は上昇しているわけですね(といっても業界によって大きく異なるし、やっぱり飛躍的に伸びているのは成長産業です)。

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出典:毎日新聞2017年6月2日「<論点>人口減少 どう備える」https://mainichi.jp/articles/20170602/org/00m/070/005000c

 

人口減少を補うべく、政府は女性に働いてもらうために女性の社会進出を掲げましたが、高齢者にも働いてもらうために高齢者の雇用促進を進め、定年の延長を検討していますね。というか70歳になりましたね(努力義務ですが)。そういった文脈で政府が人生100年時代を検討しているとすれば、単純に経済成長を今後も継続し、経済規模を維持するための人手不足解消手段として、高齢者にも働いてもらう。また、医療や年金サービスの受給者だけでなく、負担者としても活躍してもらわないと困る、というような目論見で政策が推進されているんでしょう。自己実現リカレント教育だ、というのは経済成長を政府が躍起になって維持したいからだと思います。

 

まとめ

結論!格差の到来と政府の財政のさらなる悪化で、誰しもが100年時代を迎えるのは無理だと思います!

 

リーダーはテレビや本に影響を受けて、「これ、いいんじゃね~」というノリで政策を始めることがあります。首相レベルなら、ライフシフトを読んで、これいいんじゃね~ってノリで著者を政府委員に呼ぶことも余裕です。与党ってだけで、いろいろ動かせるんですよね。

でも、本気で100年時代だと思っているなら、ベーシックインカムなど社会保障制度改革や税制改革など国家100年の大計と呼ぶべき社会政策の深いところまで突っ込むと思うんですが、そうはなっていないのが単に思い付きなんだろうなあと思う所以です。

思い付きで政策を始めるなよってところに関しては教育社会学者の松岡先生が批判しているところです(教育政策に限ってですが)。

www.nhk.or.jp

 

こんな穿った見方をしているのは、社会科の教師だからなのか、はたまた私自身がそういう性分だからなのか、あるいは相乗効果でレベルアップ(?)できているからなのかはわかりませんが、人生100年時代にはこういう見方もあるなだなあと思っていただければと思います。それでは。

 

 

▼過去記事もご参照ください。

 

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筋トレをほぼ1年間続けたら全く風邪をひかなくなった話

 

こんにちは、しらすです。

先日同僚に「肩幅広くね?」と言われました。

 

 

風邪をひかなくなった2年目の変化

 

 

コロナウイルスが猛威を振るっております。「コロナウイルス 世界地図」とググるコロナウイルス感染マップ:日本経済新聞という物騒な地図が出てきます。

 

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東アジアの禍々しさがすごいですね。

さて我々の日常生活に目を向けると、時すでに遅しとはよく言ったもので、コンビニでも薬局でもマスクは売り切れ状態です。マスク難民に陥ってしまいました。

 

まあ幸運なことにコロナウイルスをはじめ、インフルエンザにもかかっていません。

そして今年度はなんと風邪を一度も引いておりません。思えば就職してからは風邪との戦いでした。

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新卒1年目は専門外の科目も含めた授業準備や校務分掌に追われ、睡眠時間を削るのはもちろん、トレーニングも全くできていませんでした。

今年度は職場も変わり、心機一転。

去年の6月頃からほぼ毎日筋トレを続けています。効果は冒頭のツイートの通りです。

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 ※上の記事中には4月からと書いてありますが、本格的に筋トレの比重を高め始めたのが夏前の6月頃です。

 

健全な精神は健全な身体に宿るはガチ

school

 

スクールの語源はスコレー、ギリシャ語で暇です。

いい教育(カリキュラムの策定・授業の実践・学級経営)を行うには、それなりの知見が必要ですが、それを身に付けるには相当量の学習・訓練を必要とします。今何がしかができる人は、その背景に膨大な量のインプットと試行錯誤があって、努力してきたんだと思います。もちろん今できなくても学習・訓練さえすればできるようになります(と自分に言い聞かせて頑張ります)。

 

で、教育というのは事前のデザインが大事ではありますけれども、実際の活動においてはコミュニケーションが大半を占めています。ですから、教師のメンタルヘルス・健康状態の管理ってとっても大事なんですよね。教師の健康状態・精神衛生の良好さが学習環境の一つである、と。

 

Training Exercise

 

継続は力なり。

ペンも力ではありますが、体を鍛えることも確実に力になっています。風邪を引くとQOLが下がりますが、今のところは毎日穏やかに過ごせているのかな。

筋トレの効用はすごいですが難点はスーツが合わなくなったことです。買わねば…

 

それとコロナウイルスには皆さま本当にお気を付けください。それでは。

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大学付属校は日本にしかないらしい

 

大学付属校って海外にはないらしいです。

 

 

大学付属校が大人気になったわけは大学入試改革

 

こんにちは、しらすです。

文部科学省が東京23区内の私学定員厳格化をした影響で、私立大学が軒並み難化しています。仕事柄、中学受験と大学受験の動向は追いかけているものですが、大学入試改革によって多くの利害関係者が揺れ動いているなあと感じます。特に大学入試の変化は中学受験にも影響を及ぼしています。

 

diamond.jp

 

たとえば日出学園が目黒日大という形で日大の係属校になったり、香蘭女学校から立教大学への推薦枠が増加されたりと、有名私大との提携を密にする学校が増加しました。

伝統的な御三家とかは安定的に倍率が高く、受験生も変わらないんですが、大学付属校は倍率が上昇傾向にあります。日大系列のある学校は女の子の倍率が昨年比で200%を超えていたり、なんだかすごい勢いです。今後10年間は私学定員の厳格化が起こりますので、今後もこの傾向は続くでしょう。

 

当事者抜きで大学入試改革が進む一方、先行きの見えない大学入試を回避したい保護者・受験生の動向と、少子化で定員を充たすために内部進学生を確実に包囲するという学校側の経営的な動きとがあいまって、中学受験で付属校の人気が高まっています。ですから、大学付属校の独自性に人気が集まった、というよりも、大学受験の不透明性と競争の激化という社会的な要因で付属校人気が高まっているようです。

 

Colleges!

 

とか、もう周知のこと言ってもしょうがないので、ここから本題。

そういえば海外に大学付属校ってあるのかなあと調べていたら、どうやら日本だけにしかないらしいです。厳密に言えば、あるっちゃある。けれども、日本のように内部進学を認めている学校はほぼ皆無なわけです。たとえば、ハーバード大学の付属校があって内部進学できるなら、たぶん年間学費が100万ドルでも入学希望者は殺到しそうですよね。もちろんありません。受験大国の韓国にもないらしく、世界的にも非常に不思議な制度である大学付属校。実は戦前から続いている制度です。

 

日本で一番最初の大学付属校は2つ。

1つは立教中学校。もうひとつは東洋大学付属の京北中学校です。1898年のことでした。そして、慶應義塾普通部明大明治と続いていきます。

 

こんなに長い歴史を持つ大学付属校。なぜ生まれたのか、どうして存続してきたのか、内部進学は戦前からあったのか、などなど調べてみました。社会に揉まれ続けた、大学付属校の荒波の歴史をお楽しみください。

 

大学付属校が生まれたのは明治時代にさかのぼる

 

HKD161042

 

先述の通り、大学付属校は日本に特有のものです。世界中のだれもがうらやむ内部進学制度や大学までの一貫教育。なんでこんな不思議な制度が出来たんでしょうか。

 

19世紀終わりから1930年代にかけて私立大学が付属学校を設置するようになりました。

厳しい規制を敷く政府に対する各学校の働きかけが功を奏して、悲願が叶い付属校の設置にこぎつけます。 

 

たとえば、次のように各学校が設置されました。

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出典:松本暢平「日本の私立大学の付属校に関する考察:戦前期におけるそれらの設置背景と内部進学」

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11057&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1

 

設置の背景

 

Business

 

背景には経営上の理由がありました。

当時の私立大学は今と異なり、政府からの補助金がありませんでしたから、授業料収入を唯一の収入源としていました。ですから、財政基盤が非常に弱く、そうした経営状態の改善を図るために、中等教育へと手を伸ばし、大学附属中学校が設置されたわけです。

ただ、中学校の設置は法令上の制約が多く、また利益率もあまりよくなかったので、実際には経営の改善に付与していたかは微妙なところでした。それでもなぜ設置したかといえば、それは私学には学園としての一貫教育を完成させ、学校歴を伸ばすことで、学校文化を体得した者を社会に輩出するという理想があったからです。その学校の教育理念をアイデンティティとして身に付けた人物を社会に送り出し、またその子弟が学校に入れば、学校文化を再生産できるという狙いもあったんでしょう。

 

内部進学はあったの?

戦前から内部進学はありました。ただし、全員が上級学校に進学できるわけではなく、専門学校や大学予科などへ進学する生徒も多くいました。また、中途退学者も多く、現在のようにほぼすべての生徒が進学できるわけではなかったようです。

 

ちなみに大前研一さんは内部進学について辛口のコメントをしております。

www.news-postseven.com

 

まとめ

賛否両論ではありますが、付属校は生き残りをかけて独自の学校形態を発展させてきたわけであります。海外にはない日本固有の学校制度ですからネイティブの方に話したら、たぶんびっくりされます。話のネタにどうぞ。

それでは。

 

▼過去記事もご参照ください。

 

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はじめての中学受験にドラマを見る

 

  

中学入試に初めて運営側として携わっている。

大学生の時、学習塾でアルバイトしていた時には中学受験生を教えていたし、受験当日も応援に行っていたけども、今年は試験を運営する側として関わっている。

 中学受験というのはまさに喜び、悲しみ、様々な感情が交錯するドラマそのものである。

 

Examination

 

子どもたちの後ろには、子供の将来を願い、教育に情熱を注ぐご両親がいる。

そして、彼らが合格すれば真っ先に喜び、逆に不合格であれば、ともに悲しみ寄り添ってあげる。

愛情ゆえに中学受験に注ぐエネルギーはものすごい熱量であるなあと感じる次第である。

 そういった思いを感じるわけであるから、運営する側の緊張感も凄まじいものである。

学習塾時代から保護者と接してはいたが、合否の最前線にいるのはやはり学校の先生なんだなあと、気が引き締まる思いである。

 というわけでしばらくの間、胃が痛いわけです。

それでは。

先生として胸を張ろう

 

人の想像力は無限の可能性を持っている反面、狭い範囲でしか想像できないこともあります。

 

とりわけ経験したことのないことに対して思いを巡らすのはかなり大変です。

 

ですから、想像力が足りなかったなあと思うことがありました。

 

 

想像できないこと

 

Business: Opportunity

 

私は大学院を修了してストレートで教員になりました。

 

当然、民間企業での経験がありません。

大学・大学院の同期や先輩はほとんど経済界へ進んでいきました。

彼らと話すたびに、やれ深夜1時まで残業だ、やれ海外出張だ、なんていう話を聞くと、

ああ、彼らと比べると自分は楽な境遇にいるなあ

とどことなく引け目を感じていました。

同時に、ちょっとしたコンプレックス(勘違い)も抱えるようになりました。

 

民間企業の方が大変だと。

 

相互に理解を

 

けれども、「大変さ」というのは業界や業種ごとに異なります。

 

建設業であれば「肉体労働が」大変、

中央省庁であれば「残業時間の膨大さが」大変、

「営業が」大変、「交渉が」大変、などなど。。

 

当然、先生も大変なことはたくさんあります。

授業準備や保護者対応、学級経営はもちろん、時には生徒の心のケアをするカウンセラーとなり、時には学校の広報マンとなり、時には学校の経営を考える経営者となります。

多種多様な能力が求められます。

 

でも、民間企業の方が大変だ、という先入観によって自分のことを肯定できないでいました。

 

ある意味で、民間企業への憧れがあったのかもしれません。

ビジネスをバリバリやるカッコよさを求めていたのかもしれません。

 

変な偶像を作り上げていたんですよね。

 

それらが呪いとなって、自分を縛っていました。

 

その呪縛を解き放つ言葉と出会いました。

 

平川理恵さんという方をご存知でしょうか。リクルートをやめた後起業し、その後横浜市の中学校で民間人校長として勤務。現在広島県の教育長をされています。

たまたま見た平川さんの記事にビビっときました。

 

私は先生たちの広報部長になりたい」とも言う。実は平川さん自身、学校のインサイドに入るまで「先生」という存在について、誤解していたそうだ。

「正直、民間より楽な仕事なんじゃないかと思っていました。ところが、実際に中に入ってみたら、先生がどれほど大変な仕事で、どれほど努力しているのかわかったんです。たとえば、子どもたちがけんかしたとします。すると先生たちは、どんなに忙しくても、その2人の言い分を丁寧に聞いて、どちらにも寄り添い、指導できるよう細やかに気を遣う。

ところが、先生のほとんどは、『私はこれだけ頑張っている』『これだけ働いている』とは、決してアピールしないのです。さらに、中学生は反抗期だから、家庭で親に先生の話など、あまりしません。だから、保護者は『先生は何もやっていない』と思い込んでしまう。それは子どもにとってもよくない。だから私は、先生たちの頑張りを伝える役目をしなければいけないと決意したのです」

 

toyokeizai.net

 

先生も大変だ

 

Teachers' Party


民間企業経験者から見ても先生は忙しい。

しかも、それが世に周知されない不遇がある。にもかかわらず、先生は現場で頑張っている。

 

先生が大変だ!と喧伝するつもりはありませんが、先生には先生として求められる能力がたくさんあります。

 

 

個人的には楽しくやっているつもりですが、どうしたって辛い局面はあります。

けれども、大変だからこそ、それは自分が使命感をもって全力で教育をしているからと感じられるのです。

平川さんの言葉は非常に勇気づけられるものでした。

 

人は勝手に偶像を崇拝してしまう。その偶像に自覚的になり、時にそれをぶっ壊す。

自分の中でイノベーションが起きました。

 

まだ表面的な話ですが、色々と深い次元でもイノベーションを起こしたいものです。

 

胸を張っていきましょう。

それでは。

 

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大学入学共通テストの問題作成の方針【現代社会、倫理、政経、倫理政経、地理、世界史、日本史】

 

Ready. Set. TEST!

 

1月29日に、令和3年度大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の問題作成方針https://www.dnc.ac.jp/news/20200129-01.html)が出されました。

 

社会科系の科目に焦点を絞って作問の方針をまとめてみました。

 

 

共通テストの問題作成方針要点

全体のポイント

以下、(ポイントの)抜粋です。

 

第1 問題作成の基本的な考え方 より

⾼等学校教育の成果として⾝に付けた,⼤学教育の基礎⼒となる知識・技能や思考⼒,判断⼒,表現⼒を問う問題作成
 平成 21 年告⽰⾼等学校学習指導要領(以下「⾼等学校学習指導要領」という。)において育成することを⽬指す資質・能⼒を踏まえ,知識の理解の質を問う問題や,思考⼒,判断⼒,表現⼒を発揮して解くことが求められる問題を重視する
 また,問題作成のねらいとして問いたい⼒が,⾼等学校教育の指導のねらいとする⼒や⼤学教育の⼊⼝段階で共通に求められる⼒を踏まえたものとなるよう,出題教科・科⽬において問いたい思考⼒,判断⼒,表現⼒を明確にした上で問題を作成する

 

「どのように学ぶか」を踏まえた問題の場⾯設定
 
⾼等学校における「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善のメッセージ性も考慮し,授業において⽣徒が学習する場⾯や,社会⽣活や⽇常⽣活の中から課題を発⾒し解決⽅法を構想する場⾯,資料やデータ等を基に考察する場⾯など,学習の過程を意識した問題の場⾯設定を重視する

 

第2  出題教科・科目の出題方法,問題作成のねらい,範囲・内容等 より

○ 問題作成のねらい,範囲・内容
 「第1」に⽰す問題作成の基本的な考え⽅を踏まえつつ,⾼等学校学習指導要領に準拠するとともに,⾼等学校学習指導要領解説及び⾼等学校で使⽤されている教科書を基礎とし,特定の事項や分野に偏りが⽣じないように留意する。
 なお,⾼等学校における通常の授業を通じて⾝に付けた知識の理解や思考⼒等を新たな場⾯でも発揮できるかを問うため,教科書等で扱われていない資料等も扱う場合がある

 

 これらから見えてくることは、単なる知識の暗記ではなく、知識の理解、知識を活用した思考力が求められているということです。

 思考力などを養う学習形態として、新学習指導要領で示されている「主体的・対話的で深い学び」が授業の場面に想定されています。大学入試に対応する上で授業改善は急務なようです。

 

出題教科・科⽬の問題作成の⽅針

公民科・地理歴史科それぞれにおいて思考する過程が重視されています。ただ、科目によって考察の過程に特色があります。

 

(1)公民科のポイント

現代社会)

 現代社会の課題や⼈間としての在り⽅⽣き⽅等について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽂章や資料を的確に読み解きながら基礎的・基本的な概念や理論,考え⽅等を活⽤して考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,図や表など,多様な資料を⽤いて,データに基づいて考察し判断する問題などを含めて検討する。


(倫理)

 ⼈間としての在り⽅⽣き⽅に関わる倫理的諸課題について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽂章や資料を読み解きながら,先哲の基本的な考え⽅等を⼿掛かりとして考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,倫理的諸課題について,倫理的な⾒⽅や考え⽅を働かせて,思考したり,批判的に吟味したりする問題や,原典資料等,多様な資料を⼿掛かりとして様々な⽴場から考察する問題などを含めて検討する。


(政治・経済)

 現代における政治,経済,国際関係等について多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。現代における政治,経済,国際関係等の客観的な理解を基礎として,⽂章や資料を的確に読み解きながら,政治や経済の基本的な概念や理論等を活⽤して考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,各種統計など,多様な資料を⽤いて,様々な⽴場から考察する問題などを含めて検討する。

 

(倫理,政治・経済)

 「倫理」「政治・経済」を総合した出題範囲から,上述の両科⽬の問題作成の⽅針を踏まえて問題作成を⾏う。 

 

(2)地理歴史科のポイント

(地理(地理 A,地理 B))

 地理に関わる事象を多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。地理的な⾒⽅や考え⽅を働かせて,地理に関わる事象の意味や意義,特⾊や相互の関連を多⾯的・多⾓的に考察したり,地理的な諸課題の解決に向けて構想したりする⼒を求める。問題の作成に当たっては,思考の過程に重きを置きながら,地域を様々なスケールから捉える問題や,地理的な諸事象に対して知識を基に推論したり,資料を基に検証したりする問題,系統地理と地誌の両分野を関連付けた問題などを含めて検討する。


(歴史(世界史 A,世界史 B,日本史 A,日本史 B))

 歴史に関わる事象を多⾯的・多⾓的に考察する過程を重視する。⽤語などを含めた個別の事実等に関する知識のみならず,歴史的事象の意味や意義,特⾊や相互の関連等について,総合的に考察する⼒を求める。問題の作成に当たっては,事象に関する深い理解に基づいて,例えば,教科書等で扱われていない初⾒の資料であっても,そこから得られる情報と授業で学んだ知識を関連付ける問題,仮説を⽴て,資料に基づいて根拠を⽰したり,検証したりする問題や,歴史の展開を考察したり,時代や地域を超えて特定のテーマについて考察したりする問題などを含めて検討する。

 

教師にできることはなんだろうか

6 июля 2019, Результаты вступительных экзаменов: иконописное отделение, магистратура / 6 July 2019, Entrance exam results for Masters program and for Icon Department

 

 

社会科の目標は「社会的な見方・考え方」の涵養です。

共通テストで試されていることは、各科目で具体化された見方・考え方が実際のテストの際に発揮できるかどうか、その学力が受験生にあるかどうか、ということだと思います。

となれば、教師にできることは日々の授業改善です。

 

問題の知識量が現行の学習指導要領に則っているので、受験生が学ぶべき知識量は変化ありません。

では、従来通りの教え方でいいのかといえば、そんなことはありません。

その知識をどう活用するか、または知識をどう評価するか、といった見方・考え方に収斂するような授業が求められているのでしょう。

(こんな偉そうなことを言っていますが、私自身は非教育学部出身のため、教育学や認知科学など授業改善の方途を勉強中です。そして、それを実践に落とし込む大変さよ…)

 

私自身は、大学入試の変化を非常に好意的に見ています。

資質・能力を基盤とした授業改善の強制力となりうるからです。もちろん受験生は見えない入試のあり方に不安でしょう。だからこそ、教員の授業改善が急務なのだと思います。(もちろん行政の方針が二転三転するなど、制度的な不備は一刻も早く解消されるべきです)。

通勤ラッシュを乗り越える方法あれこれ

 

 

今日、関東全域は雪である。

 

しかし、雪だからといって社会は容赦してくれない。

 

通勤を乗り越える

 

周知のとおり、東京都市圏の通勤ラッシュは民族大移動といっても過言ではない。

(その他都市圏の電車通勤事情は存じ上げないので、ご存知の方がいればご教授くださると幸いです)

 

ここに、国土交通省のデータがある。

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出典:https://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo04_hh_000076.html

 

どの路線も通勤時間帯はキャパシティを過度に超過している。

たくさんの人たちが乗車するから、当然そこには様々な思いが交錯する。朝から通勤しなければならないからかイライラを隠さない人たち、ゲームで気晴らしをする人たち、資格試験のためか満員電車にもかかわらず狭いスペースで本を広げて勉強に励む猛者などなど。。。。

 

ちなみに私はネットフリックスで海外ドラマを見る人たちに分類される。

(これをルーティンにしてから快適になった。だが、難点は海外ドラマ特有のきわどいシーンが衆目の下にさらされる時でも、ギュウギュウのため手が動かせない点である)

 

これ以外にも色々と通勤の乗り越え方があると思う。

 

大喜利大会

 

UX Fest 2013

 

車内を観察して、一人大喜利大会を開くのである。

つらいつらい通勤を面白おかしく演出することで、ストレスを軽減しようという試みである。

オススメはドア付近のモニターで流れる動画や至る所に貼られた広告である。たちまちシュールな空間になるが、一本グランプリに比べるまでもなく低クオリティなので人に言い出せるレベルのものではない。

ただ、授業で話せるネタくらいは見つかる。

 

本を読む

 

王道の暇つぶしである。

困ったことに紙の本を広げるほどには広いスペースがない。

そんな時にこそキンドルである。

 

キンドルアンリミテッドを購入しているが、月額定額で(制限はあるが)本が読み放題なのはありがたい。

ただ惜しむらくは読みたい教育書はほとんどハードカバーの紙媒体でしか出版されていないことだ。

 

選択の自由、いずこにありや。

 

それでも我々は乗り越えねばならない

 

長く、つらい旅路を終えて、やっとゴールにつく頃にはへとへとである。

しかし、行き着く間もなくゴール(出勤)についてもまたゴール(退勤)に向かう旅がはじまるのである。

我々は朝っぱらから疲れてはならない。ストレスをためてはならない。

 

Snow

 

今日は朝から雪である(昨日の予報では)。

都心全域の交通網は麻痺するだろうが、そんなことは関係ない。

そして、いつも以上に車内のストレスが高ぶっているだろうが、そんなことも関係ない。

辛い現実をハッピーにするために、私は通勤の辛さを吹っ飛ばす術を編み出したのだ。

 

私は今日も大喜利し、キンドルを使い、ネットフリックスで海外ドラマを見るのである。

 

おすすめの車内混雑を乗り切る方法があればぜひご教授ください。

それでは。

 

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本が積み重なっていく悩み

 

教員の悩みの一つは書籍の購入頻度の多さと、それに比例して消えゆく収容スペースの存在だと思う。

かくいう私も当事者の一人である。

 

 

興味をそそる本が出る出る

 

book store, late night

 

出版不況といわれて久しい。

一方で出版社は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、新刊を毎月数冊と出版している。

「何じゃこりゃ!」という本はあるけれども、「これは!!」という本が多いのも事実である。

 

たとえば、1月の新書の新刊ラインナップはこんな感じ。

 

岩波新書

 

中公新書

 

講談社現代新書

 

ちくま新書

 

たまる積読、膨らむ本棚

 

1月の新刊だけでも5冊購入している。

 

毎月のことであるが、なんという魅力的なタイトルだろうか。

こうして毎月のごとく、タイトルにつられてはキャパシティと相談もせず購入して、本棚の肥やしにしてしまうのである。

 

Book store.

 

本屋をぶらぶらすることは、この上なく幸福である。

立ち読みしたり、気になる本をチェックしている間は至福の時間なのだ。

そして、気づけば手元には購入済みの本がある。

こうしてどんどんと積読がたまっていく。

 

ただ幸いなことは、手元に置いておくことで「読みたい」という気持ちをいつでも思い起こせることだ。

3年前に買った本でも手軽にすぐ読めるのは非常に便利だと思う。

と、こんなふうに積読の正当化をしておこう。

来月もきっと買うのだから。。。

 

(先生方の書籍事情はどうなのだろうか。)

 

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それでは。

 

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