Shiras Civics

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「大人のための倫理、政治・経済」というテーマで色々書いてます。政経や倫理の講義、大学(中学)受験、書評、キャリア教育、社会科教育、時事問題、教師の日常などなどを発信してます。

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世界のお金は金に向かっている~公民科の知識で経済を分析する~

 

 

コロナウイルスの騒動によって多方面に影響が出ています。

安倍首相が2日に全国の学校に休校要請を出し、勤務校でも突然の最後の授業が行われたり。。。

 

さて、今日は金融の話。

結論から言うとこんな感じです。そして、金が買われている。

 

日本の経済状況と金融

そもそも日本の経済状況は芳しくありませんでした。

デフレ傾向の中で日銀がマネーストック(簡単に言うと個人や企業がどれだけお金を持っているか=使うかという指標)を増やそうとしてもなかなか増えず、一方で日銀の金融政策で金融機関の抱えるお金はどんどん増えていきました。

金融政策の一環として、日銀はETF(いろんな会社の株をごちゃまぜにした投資信託)を購入しているので、株価は上昇していました。

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2013年からの推移を見てください。黒田日銀総裁が就任した年で、このときから黒田バズーカといわれる超金融緩和がはじまり、今まで続いてきました。

銀行にお金を供給する政策は効を奏しますが、そこから先である民間企業や個人が思ったよりお金を借りない。つまり、マネーストックが増えない。こりゃ困った。

 

というわけで、お金を余らしても仕方がないので、行き場のない資金は株式市場へ向かいます。同時に日銀が投資信託を買っているので、相乗効果で日本の株式市場は好況を呈していました。

 

実体経済の状況

けれども、経済とは「生産・交換・消費」です。ですから、これが活発でない限り、本当の経済の力はよろしくありません。「株」というデータ上の数値だけが上昇したって、人々の生活はよくなりようがないわけです。実際の経済活動を伴う「実体経済」を見ないといけないわけですね。

実際、2019年のGDP速報値では―6.3%でした。明らかに消費税の影響で消費が落ち込んでいます。

 

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www.nikkei.com

 

余談ですが、経済学に出てくる登場人物は家計・企業・政府の3者だけです。GDPも、これら3者の経済活動の程度によって増減します。

その中でも支出面から見たGDPは次のように分解できます。

 

支出面から見たGDP=家計最終消費支出+民間設備投資+政府最終消費支出+総固定資本形成+在庫品増加+輸出-輸入

 

この中で最も大きいのは家計支出の合計である民間最終消費支出で、大体5割~6割くらいを占めています。ですから、日本経済は家計消費が落ち込むと結構な打撃を受けるわけです。

 

今回消費税の影響によって、おそらく家計消費が落ち込んだため、GDPが下がったのだと思われます。ただ、もちろん企業も消費税の影響を受けるので、民間設備投資は落ち込んだものと思われます。ですから、家計・企業、双方に悪影響があったと言えそうです。

 

ここから何が言えるかというと、先ほど申し上げた経済の原則である「生産・交換・消費」が落ち込んでいるということです。GDPは支出(消費)から見ても、生産からみても、分配(どれだけ給料もらったかとか)から見ても、同額です。

ですので、明らかに実体経済は悪くなっています。

 

ダブついた資金は安定資産へ向かう

でも、日本の場合は株価の上昇によって何とか経済が持っていた感がありました。

だけれどもコロナウイルスの影響もあり、株価が下落。そしてGDPもマイナスとなり、ダブルで日本経済が落ち込む様相を呈しているのです。

 

ただし、お金は持っているだけでは損です。どこかに投資されるはずです。

それが超安定資産である金です。

金価格チャート(1年推移)

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https://gold.mmc.co.jp/market/gold-price/

 

元々上昇基調でしたが、今年の2月20日ごろから急激に上昇しています。

つまり、今後も株価が下がると考えた投資家が金の購入に向かっている。

 

時を同じくして、アメリカの株価(ダウ平均株価)も下がっています。

 

となれば、ドルを上回る安定資産(金)に向かうか、コロナウイルスの影響の少ない新興国などの株式・債券市場に向かうか、はたまた現物取引に向かうか、という感じでしょうか。

 

個人的には金の積み立てを始めようかと考えていた矢先にこうした状況になったので、もう少し市況を見て判断したいと思っています。

 

と思ったら南先生がだいぶ前から書かれておりました。慧眼…

blog.goo.ne.jp

 

それでは。

「それ、テストに出ますか?」という道具主義についての私見②-なんだかんだ評価の問題じゃん!-

 

www.yutorix.com

 

昨日の記事であるけれども、特にこの時期は学年末考査が控えているから、表題の質問はよく聞かれる。そのたびに「具体的に何が出題されるかは言えないけれども、テスト範囲に含まれています」という玉虫色の回答をする。

 

というか「テストに出ますか?」という問いに対して、「そもそも勉強というのはテストのためにするものではなく…(うんぬんかんぬん)」という規範的なことを言い始めても、質問に対する回答になっていないし、説教チックなので子どもたちの心は離れてしまうだろう。

 

では、何と答えたらいいか、といったら「テスト範囲です」と答えるしかない。

だって、評価の中心がテストなんだから。

 

evaluation

 

子どもたちにとって成績というのは重要な指標である。

成績次第で保護者が一喜一憂し、学校内での位置も決まり(競争性・選抜制を敷く学校においては)、教師からの信用も変わる。そして、本人にとっても自己の努力の結晶なのだから、成績の向上・維持に腐心するのは至極当然のことである。

そして、成績を算出する指標として、なんだかんだテストが重要な地位を占めているのであれば、子どもたちはそれを気に掛けるに決まっている。合理的な生徒ならなおのことである。

 

評価をどうするか、は教師にとって永遠のテーマともいえる。

とある先生の言葉を借りれば、評価は沼、といえるほど深みのあるテーマだ。

だが、冒頭の質問には、そもそも評価のツールとしてテストを採用する以上は避けられない質問であり、「テスト範囲です」という答えをするしかない。

それは教師個人の評価方法に端を発する問題ではなく、そもそも学校の方針としてテストを採用しているから生じる構造的な問題なのである。

同時に、どんな人物に育ってほしいか、という学習目標をどのように実現し、どう評価するか、という指導と評価の一体化がどれだけできるのか、という問題にも通ずる。

テストを絶対視するのではなく、それ以外での多面的な要素による評価も検討しないといけないのだなあ…全然この分野はわからん。

 

そういえば麹町中では定期テストを廃止したそうだけど、どんな効果があったんでしょうか。

gendai.ismedia.jp

 

最後にやっちゃえ先生の苦心を共有して終わりたい。

 

それでは。

 

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「それ、テストに出ますか?」という道具主義についての私見

 

「先生、これってテストに出ますか?」

 

教師なら誰だって一度は受けるであろう質問である。

 

私自身もそうであるが、多くの高校教員は大学受験というものを少なからず意識して授業を行っていると思う

受験という目標に沿って授業展開をするので、きわめて合理的に授業が行われる。ただ、知識の伝達と得点力の向上点においてではあるけれども。

 

class

 

ただし、私は受験合理性に基づいた授業を否定するつもりはないし、現に私自身も高3生にはそうした授業を展開している。

この立場は教育を受験という目標実現の手段として捉える点で、受験合理性に立脚した道具主義的な立場である。それはある面では非常に効率的であるが、教員も生徒も「テストに出るかどうか」が主要な関心事項になり、またテストに出ない(と考えられた)ものは学習対象から外れてしまう。

 

だからこそ教育の在り方を変えようという流れの中で、入試制度改革が学習指導要領改訂とセットで実施されたのであろう。それほど現場の教員にとってはテストの改革は日常の授業を変え得る強制力となりうる。

 

ただ、それでも教育が受験のための道具である立場は変わらない。

確かに教育は何らかの目的を実現する手段ではあるが、受験合理性が一番大事な目標になるんではなくて、市民性の育成などを目標として据えることも大切だと思うのだ。

 

教育はどこまでいっても道具主義的であって、教師は何のための道具なのかをしっかり認識したうえで教育活動に当たるべきであろう。でないと、そこから脱却することはできない。自戒の念を込めて。

 

それでは。

 

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読書はたまる、されど進まず(1月の消化本)

 

毎月、とんでもない量の本を購入するので、まったく収支が黒字にならない。

院生の時は「こんなに本を買えたらな~」と書店の一角で考えていたものだが、社会人になってお金と時間がトレードオフの関係であることを知ってからは「こんなに時間ないのか~」とお金で買えないものがあることを知った。時間欲しい。

 

一月は高校3年生が登校しなくなる。

本音を言えば、もう少し授業をしたかったが、その分時間に余裕ができたため、読書にふけることができた。ただ、入試業務が忙しくあまり時間をさけていない状況である。

 

Reading

 

1月は授業準備に関する本が中心であった。

 

まず金融分野の教材研究である。正直、マクロ経済学は苦手である。一通り学習したものの、なんだか腑に落ちないところがあるのも事実である。

 

これは良かったが、結構前提知識を必要とする本であった。

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それから社会保障の本も粛々と読破した(実は読むのは2回目)

平易な言葉で書かれていてオススメ。 社会保障制度がどうして誕生したのか、何を目的にしているのか、持続可能な社会保障制度を維持するには、負担と受益をどうすればいいのか、様々な考えをわかりやすく説明してくれる。

 

ただ、↑は詳しい制度については言及していないので、制度の詳細を知りたかったので、こちらにも手を出した。

 

余裕(スコレー)は哲学へと向かわせる。大学院時代の専門を思い起こそうとつらつらと読んだが、やっぱり研究しないと教師生活はつまらないと痛感した。 

 

ちょっとこちらも読み進めている(全然読み終わらないけど)(500ページ以上ある)

 

論文は散々読んでいるんだけども、本に限ると、これしか読んでないんですね(読み切れてないものもあるし)。時間と金はトレードオフなんだ…!(2回目)

 

それでは。

 

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安楽死最前線

 

 

20日の読売新聞で面白い記事があった。

 

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安楽死尊厳死など、死に方をも含めた人生の問題は世界中で議論されている。

より良き生を全うし、その終着点をどう迎えるかは当事者にとっては重要な問題であるが、死ぬ権利を認めれば、社会秩序を支える人権概念の変容は避けられない。だから、各国政府も慎重に対応している。

 

ある女性の決断

この記事を読んで思い出したのは、日本人女性が安楽死のためスイスへと向かった、という記事だ。

www.swissinfo.ch

 

苦しみだらけの人生を生きる意味は何か。

その終わりを決する権限をどうして当事者が持ちえないのか。

近代社会に生まれた生命への権利に対する疑義が突き付けられているわけであるが、未だその壁は強固である。

誰だって自分の人生の主役は自分でいたいものであるが、自分で決められることにはそもそも限界があるみたいだ。

 

死ぬ権利を認めたら

 

では、仮に死ぬ権利が認められたとすれば、どうなるだろうか。

ある人物はこんなことを言っている。

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togetter.com

 

正直なところ、私もおおむね同意する。

私自身も人権を享受し行使する主体として十分とは言えないと思うが、できる限り自分の人生は自分で決めてきたという自負がある。そうした自己決定、自由権に対する各自の尊重がある社会風土の下でならば、安楽死は認めてもいいのだろう

でも、現実は厳しい。

少なくとも、人権主体を育てる教師のなかに、同僚に対する凄惨ないじめに加担したり、顧問として部員を恫喝し、暴力をふるい、中には自殺に追い込む者もいるのだから、「社会全体の風土形成」という点で実現は不可能である。人権を教える場から絶対王政が生まれてしまうのだから。

ただし、そんなことを言っていてはいつまでたっても実現されないので、私にできることは授業で生徒たちと議論することである。

 

もちろん個人にできることには限界があるので、制度的な方向で物事を進めていくことも大切ではあるけれども。やはり理想は社会的な合意形成がなされて制度が形作られることである。

 

Death Valley

 

まずは社会全体で議論を

本格的な超超高齢社会を迎え、死の問題は当事者だけでなく、社会全体が直面する問題に変わりつつある。

死ぬ権利を認める・認めないという法的な次元からでなくても、議論自体を始めないといけないフェーズに来ている。

 

う~む、考えたらず。このあたりの問題、生徒と議論していきたい。

 

  

 

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▼「死とは何か」というテーマで哲学対話の授業をしたときの記録です。

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過度な能力論を相対化してみる

 

 

こんにちは、しらすです。

〇〇力という言葉が流行っています。問題解決能力やコミュニケーション能力、課題設定能力など、様々な力がクローズアップされ、教育目標に設定されています。僕自身はスキル大好き人間なので、こうした能力の明示は非常に良い傾向だと思っているのですが、こうした能力論がもてはやされる背景を教条的に受け入れていたのかなあと思ってしまいました。

 

Business Photographers

 

なにかしらの能力を身に付けることは個人の問題です。グローバル、かつ不確実性が増大する未来社会(未来が不確実なのは当たり前ですけどね)で生き残るために身に付ける力として色々な力に焦点が当たるのは教育目標の明確化という意味ではいいとは思うんですけども、これが未来社会で生じる社会事象を解決するという文脈で過度にクローズアップされるのはおかしいなと、過度に個人の力量に還元されてはおかしいなと。

冒頭のおおたさんのツイートにあるように、社会問題の解決は個人の自発的な活動を中心とした私的解決ルートと、制度を通じた公的解決ルートの2つの道筋があるわけで、全ての問題解決が個人に帰責されては事象の把握を見誤ります。

現象の原因にはいろいろなレベルがあって、個人レベルでも意識なのか、能力なのか、環境においても対人関係か制度なのか、などなど様々な次元を想定しなければなりません。

 

過度なメリトクラシーに陥らずに、相対化してみなければいけないなあという学問の基本を忘れてはいけませんね。それでは。

 

 

▼過去記事もご参照ください。

  

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人生100年時代は大格差が起きるディストピアの時代

 

こんにちは、しらすです。

 

人生100年時代という言葉をニュースや新聞など至るところで聞くようになりました。日本政府が推進してきた未来社会像も既に定着している感があります。

100歳を超えた方々に対しては、「金〇〇、〇さん」としてマスコミに取材されたり、市町村から表彰されたり、一般的にはめでたいものとして扱われていますから、人生100年時代も肯定的に捉えられています。できることなら長生きしたいですもんね。だけど、私は人生100年時代は実現可能性が少ないなあと思っていますし、実現したところでハッピーなユートピアにはならないだろうなと思っています。

 

そもそも人生100年時代って?

 

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元々はイギリス人のリンダ・グラットン氏が『LIFE SHIFT』という著書の中で唱えたものです。健康寿命の長期化が起こり、それに備えるための社会システムとして、生涯を通じた学び直し高齢者の雇用促進が政策として求められるようになっていく、と。

安倍首相がグラットン氏を政府の会議に呼び、国を挙げてこれに取り組む姿勢を見せています。

内閣府ホームページ:人生100年時代構想会議

厚生労働省ホームページ:「人生100年時代」に向けて|厚生労働省

 

疑問①医療費はだれが出すの?

 

健康寿命が伸びる、という推計があります。たとえば、日本の平均寿命も1950年から見ると大幅に伸長しました。

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出典:「平均寿命と健康寿命の差に注意」

https://www.d1yk.co.jp/info_health/2017/03/post-35.html

※1950年及び2010年は厚生労働省「簡易生命表」1960年から2000年までは厚生労働表「完全生命表」、2020年以降は、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平均24年1月推計)」の出生中位・死亡中位過程による推計結果

 

健康寿命に関するデータはたくさんあったんですが、1950年からのものはありませんでした。ただ大体、男女ともに平均寿命から10歳引けば健康寿命になります。

 

結論から言いましょう。今後は、高齢者間でも格差が拡がって医療の恩恵に授かれる人とそうでない人が出てくるので、100年を迎える人もいれば、早くに病に侵される人も出てくる医療格差の時代になると思います。

経済成長による所得水準の向上を通じた生活水準の上昇、公衆衛生の改良、医療技術のイノベーションと医療費の低廉化および国民皆保険という奇跡的な環境・制度のおかげで、戦後日本の健康・平均寿命は大きく伸びを見せました。

ただ、かつてと異なり、現在の日本は成熟社会です。加えて人口減少が本格化しますから、経済は縮小していくでしょう。また、医療保険制度も現状は自己負担を1~3割に抑えていますが、高齢者が増加していけば、自己負担額が増加していくことが見込まれます。持続可能な社会保障制度のためには仕方ありません。

また、医療技術が進歩しても、それにアクセスできるかは別の話です。技術が開発された当初は付加価値が非常に高く、また量産体制がなければ、価格は低下しません。前述のように、医療費の自己負担額が増加していれば、アクセスの差が生じます。政府が支援をすればいいのですが、現下の財政状況でどこにそんなお金が?という感じです。

また、行政の機能低下も要因となってくるでしょう。地方公共団体の財政状況は国よりも厳しく、中には夕張市のように財政破綻する市町村も出てきました。これは国も同様のことですが、借金をすればその借金返済に予算が占められるようになり、財政の自由度が減少します。地方の人口減少で税収が減り、ただでさえ財政状況が悪く中で、財政の自由度が減る。すると行政の機能が低下し、たとえば公衆衛生も十分には維持できなくなる。水道の民営化はその一例かと思います。

格差が拡大しているにもかかわらず、環境の悪化や自己負担額が増加すれば、誰しもが人生100年を迎えるのが困難であるとわかります。

 

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疑問②政策は何を目的にして出されたの?

 

今の日本は人手が足りていません。ですから、民間企業の給与水準は上昇しているわけですね(といっても業界によって大きく異なるし、やっぱり飛躍的に伸びているのは成長産業です)。

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出典:毎日新聞2017年6月2日「<論点>人口減少 どう備える」https://mainichi.jp/articles/20170602/org/00m/070/005000c

 

人口減少を補うべく、政府は女性に働いてもらうために女性の社会進出を掲げましたが、高齢者にも働いてもらうために高齢者の雇用促進を進め、定年の延長を検討していますね。というか70歳になりましたね(努力義務ですが)。そういった文脈で政府が人生100年時代を検討しているとすれば、単純に経済成長を今後も継続し、経済規模を維持するための人手不足解消手段として、高齢者にも働いてもらう。また、医療や年金サービスの受給者だけでなく、負担者としても活躍してもらわないと困る、というような目論見で政策が推進されているんでしょう。自己実現リカレント教育だ、というのは経済成長を政府が躍起になって維持したいからだと思います。

 

まとめ

結論!格差の到来と政府の財政のさらなる悪化で、誰しもが100年時代を迎えるのは無理だと思います!

 

リーダーはテレビや本に影響を受けて、「これ、いいんじゃね~」というノリで政策を始めることがあります。首相レベルなら、ライフシフトを読んで、これいいんじゃね~ってノリで著者を政府委員に呼ぶことも余裕です。与党ってだけで、いろいろ動かせるんですよね。

でも、本気で100年時代だと思っているなら、ベーシックインカムなど社会保障制度改革や税制改革など国家100年の大計と呼ぶべき社会政策の深いところまで突っ込むと思うんですが、そうはなっていないのが単に思い付きなんだろうなあと思う所以です。

思い付きで政策を始めるなよってところに関しては教育社会学者の松岡先生が批判しているところです(教育政策に限ってですが)。

www.nhk.or.jp

 

こんな穿った見方をしているのは、社会科の教師だからなのか、はたまた私自身がそういう性分だからなのか、あるいは相乗効果でレベルアップ(?)できているからなのかはわかりませんが、人生100年時代にはこういう見方もあるなだなあと思っていただければと思います。それでは。

 

 

▼過去記事もご参照ください。

 

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筋トレをほぼ1年間続けたら全く風邪をひかなくなった話

 

こんにちは、しらすです。

先日同僚に「肩幅広くね?」と言われました。

 

 

風邪をひかなくなった2年目の変化

 

 

コロナウイルスが猛威を振るっております。「コロナウイルス 世界地図」とググるコロナウイルス感染マップ:日本経済新聞という物騒な地図が出てきます。

 

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東アジアの禍々しさがすごいですね。

さて我々の日常生活に目を向けると、時すでに遅しとはよく言ったもので、コンビニでも薬局でもマスクは売り切れ状態です。マスク難民に陥ってしまいました。

 

まあ幸運なことにコロナウイルスをはじめ、インフルエンザにもかかっていません。

そして今年度はなんと風邪を一度も引いておりません。思えば就職してからは風邪との戦いでした。

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新卒1年目は専門外の科目も含めた授業準備や校務分掌に追われ、睡眠時間を削るのはもちろん、トレーニングも全くできていませんでした。

今年度は職場も変わり、心機一転。

去年の6月頃からほぼ毎日筋トレを続けています。効果は冒頭のツイートの通りです。

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 ※上の記事中には4月からと書いてありますが、本格的に筋トレの比重を高め始めたのが夏前の6月頃です。

 

健全な精神は健全な身体に宿るはガチ

school

 

スクールの語源はスコレー、ギリシャ語で暇です。

いい教育(カリキュラムの策定・授業の実践・学級経営)を行うには、それなりの知見が必要ですが、それを身に付けるには相当量の学習・訓練を必要とします。今何がしかができる人は、その背景に膨大な量のインプットと試行錯誤があって、努力してきたんだと思います。もちろん今できなくても学習・訓練さえすればできるようになります(と自分に言い聞かせて頑張ります)。

 

で、教育というのは事前のデザインが大事ではありますけれども、実際の活動においてはコミュニケーションが大半を占めています。ですから、教師のメンタルヘルス・健康状態の管理ってとっても大事なんですよね。教師の健康状態・精神衛生の良好さが学習環境の一つである、と。

 

Training Exercise

 

継続は力なり。

ペンも力ではありますが、体を鍛えることも確実に力になっています。風邪を引くとQOLが下がりますが、今のところは毎日穏やかに過ごせているのかな。

筋トレの効用はすごいですが難点はスーツが合わなくなったことです。買わねば…

 

それとコロナウイルスには皆さま本当にお気を付けください。それでは。

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大学付属校は日本にしかないらしい

 

大学付属校って海外にはないらしいです。

 

 

大学付属校が大人気になったわけは大学入試改革

 

こんにちは、しらすです。

文部科学省が東京23区内の私学定員厳格化をした影響で、私立大学が軒並み難化しています。仕事柄、中学受験と大学受験の動向は追いかけているものですが、大学入試改革によって多くの利害関係者が揺れ動いているなあと感じます。特に大学入試の変化は中学受験にも影響を及ぼしています。

 

diamond.jp

 

たとえば日出学園が目黒日大という形で日大の係属校になったり、香蘭女学校から立教大学への推薦枠が増加されたりと、有名私大との提携を密にする学校が増加しました。

伝統的な御三家とかは安定的に倍率が高く、受験生も変わらないんですが、大学付属校は倍率が上昇傾向にあります。日大系列のある学校は女の子の倍率が昨年比で200%を超えていたり、なんだかすごい勢いです。今後10年間は私学定員の厳格化が起こりますので、今後もこの傾向は続くでしょう。

 

当事者抜きで大学入試改革が進む一方、先行きの見えない大学入試を回避したい保護者・受験生の動向と、少子化で定員を充たすために内部進学生を確実に包囲するという学校側の経営的な動きとがあいまって、中学受験で付属校の人気が高まっています。ですから、大学付属校の独自性に人気が集まった、というよりも、大学受験の不透明性と競争の激化という社会的な要因で付属校人気が高まっているようです。

 

Colleges!

 

とか、もう周知のこと言ってもしょうがないので、ここから本題。

そういえば海外に大学付属校ってあるのかなあと調べていたら、どうやら日本だけにしかないらしいです。厳密に言えば、あるっちゃある。けれども、日本のように内部進学を認めている学校はほぼ皆無なわけです。たとえば、ハーバード大学の付属校があって内部進学できるなら、たぶん年間学費が100万ドルでも入学希望者は殺到しそうですよね。もちろんありません。受験大国の韓国にもないらしく、世界的にも非常に不思議な制度である大学付属校。実は戦前から続いている制度です。

 

日本で一番最初の大学付属校は2つ。

1つは立教中学校。もうひとつは東洋大学付属の京北中学校です。1898年のことでした。そして、慶應義塾普通部明大明治と続いていきます。

 

こんなに長い歴史を持つ大学付属校。なぜ生まれたのか、どうして存続してきたのか、内部進学は戦前からあったのか、などなど調べてみました。社会に揉まれ続けた、大学付属校の荒波の歴史をお楽しみください。

 

大学付属校が生まれたのは明治時代にさかのぼる

 

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先述の通り、大学付属校は日本に特有のものです。世界中のだれもがうらやむ内部進学制度や大学までの一貫教育。なんでこんな不思議な制度が出来たんでしょうか。

 

19世紀終わりから1930年代にかけて私立大学が付属学校を設置するようになりました。

厳しい規制を敷く政府に対する各学校の働きかけが功を奏して、悲願が叶い付属校の設置にこぎつけます。 

 

たとえば、次のように各学校が設置されました。

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出典:松本暢平「日本の私立大学の付属校に関する考察:戦前期におけるそれらの設置背景と内部進学」

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11057&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1

 

設置の背景

 

Business

 

背景には経営上の理由がありました。

当時の私立大学は今と異なり、政府からの補助金がありませんでしたから、授業料収入を唯一の収入源としていました。ですから、財政基盤が非常に弱く、そうした経営状態の改善を図るために、中等教育へと手を伸ばし、大学附属中学校が設置されたわけです。

ただ、中学校の設置は法令上の制約が多く、また利益率もあまりよくなかったので、実際には経営の改善に付与していたかは微妙なところでした。それでもなぜ設置したかといえば、それは私学には学園としての一貫教育を完成させ、学校歴を伸ばすことで、学校文化を体得した者を社会に輩出するという理想があったからです。その学校の教育理念をアイデンティティとして身に付けた人物を社会に送り出し、またその子弟が学校に入れば、学校文化を再生産できるという狙いもあったんでしょう。

 

内部進学はあったの?

戦前から内部進学はありました。ただし、全員が上級学校に進学できるわけではなく、専門学校や大学予科などへ進学する生徒も多くいました。また、中途退学者も多く、現在のようにほぼすべての生徒が進学できるわけではなかったようです。

 

ちなみに大前研一さんは内部進学について辛口のコメントをしております。

www.news-postseven.com

 

まとめ

賛否両論ではありますが、付属校は生き残りをかけて独自の学校形態を発展させてきたわけであります。海外にはない日本固有の学校制度ですからネイティブの方に話したら、たぶんびっくりされます。話のネタにどうぞ。

それでは。

 

▼過去記事もご参照ください。

 

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はじめての中学受験にドラマを見る

 

  

中学入試に初めて運営側として携わっている。

大学生の時、学習塾でアルバイトしていた時には中学受験生を教えていたし、受験当日も応援に行っていたけども、今年は試験を運営する側として関わっている。

 中学受験というのはまさに喜び、悲しみ、様々な感情が交錯するドラマそのものである。

 

Examination

 

子どもたちの後ろには、子供の将来を願い、教育に情熱を注ぐご両親がいる。

そして、彼らが合格すれば真っ先に喜び、逆に不合格であれば、ともに悲しみ寄り添ってあげる。

愛情ゆえに中学受験に注ぐエネルギーはものすごい熱量であるなあと感じる次第である。

 そういった思いを感じるわけであるから、運営する側の緊張感も凄まじいものである。

学習塾時代から保護者と接してはいたが、合否の最前線にいるのはやはり学校の先生なんだなあと、気が引き締まる思いである。

 というわけでしばらくの間、胃が痛いわけです。

それでは。