Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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主体性ってなんだ?

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今日は、こちらの哲学カフェでお話しする機会を頂きました。

 

 

テーマは「主体性」

 

自分の頭の中を整理したいので、事前に読んだこと・聞いたことを書き残しておきます。

というわけで、この記事は「主体性って何?」という哲学好きの方、「主体的・対話的で深い学びって何だろう?」という教育関係者の方に参考になるかと思います。

あとは受験生を抱える保護者の方にも参考になるかな~

 

 

「主体性がない」??

 先生, 学習, 学校, 教育, 教室, 学ぶ, チューター, 宿題, 改善, 子供, 勉強, クラス, 学生

 

とある授業でのことでした。

 

私「いつもはグループのメンバーは私が決めてるけど、今日は自分たちで決めてくださーい。」

生徒「はーい!」

 

というような感じで、普段グループ分けは僕がしてるんですが、そろそろいいだろう、ということで生徒たちに考えさせました。

 

職場のパフォーマンスを上げるには、「言いやすい環境」の構築が不可欠です。

ですので、「グループワークするなら、なるべく好きな人同士、気の合う人同士がいいよね」という思いを持っています。

 

もちろん、クラスによっては諸刃の剣で、孤立しがちな生徒がいたりすると教師も生徒もlose-loseになってしまうので、使い分けは必要ですけどね。

 

担当しているクラスも段々人間関係がわかってきたし、かなり優秀な生徒たちなので、大丈夫だろうと思い、任せてみたわけです。

 

しかし…

 

結局決まるのに20分ほどかかってしまいました。

20分の間に、「先生、これはオッケー?」「あれはオッケー」という確認を求める声が。

「そうか、最初の条件設定をきちんと解説しなかったな…完全に自由にしてしまった…これは完全に私が悪い…いや、最終的には完全に自由にしていきたいか、段階を踏めばよかったのか」

確かに学期の大半を共にするグループなので大事な案件ではありますが、最初の20分を失ってしまったのはキツい…

 

この体験から僕の中にある疑問が生じます。

 

普段見ている生徒たちは、学習課題を与えるとササっと解いたり、意見を述べたり、議論したり、すぐこなせてしまう。「すごい主体的だ!」なんて思ってたんです。

けれども、グループを決める、という課題については全くできていなかった。むしろ指示待ち。

あれ、むしろ従属的…主体的とは?

 

この違いは何だろう?

 

「結局、教師が与えた課題、枠組みの中で積極的に取り組む様子が主体的に見えたのか」、「それとも普段していないことをやらせてみただけで、訓練したらできるのか」、「でも、それって結局、自分が与えられた環境でどう行動すべきか、我々教員が育もうとしている未知の状況に対応できる思考力・判断力・表現力を育てられていないんじゃないのか」。

 

様々な疑問は教育実践に対する再考を迫ります。

 

辞書では主体性はどう扱われている?

 

男, 探している, 単語, 本, ブラック, ホワイト, 意味, 辞書

 

「主体的」な学び以前に、そもそも「主体」「主体性」という言葉を吟味していませんでした。まずは辞書を紐解いて調べてみました。

 

日本国語大辞典では、主体と主体性は次のように定義されています。

 

主体とは、「他に対して、働きかける当のもの。認識に関しては主観と同義であり、実践的には意識と身体を持った行為者をさす」。

 

主体性とは、「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行ったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動するさま」。

 

ここからわかるのは、主体というのは客体との関係で成立する関係性的な概念ということですね。

おそらく教育関係者が普段口にしている主体性という言葉は、「自分の意志で判断し、行動する」という意味じゃないでしょうか。

 

そういえば、すっごい昔(大学生の時)の記事で自律的なことが大事って書いたなあ。

www.yutorix.com

 

では、哲学者たちはどのように考えていたのか、それも見てみましょう。

 


哲学者たちは主体性をどう捉えた?

 

共通している前提は、合理的な推論などを行う認知主体です。

 

たとえば、デカルトやカントなどの近代合理論者は主体を次のように捉えています。

主体とは、自己意識のような、倫理的、合理的、規範として機能する自律的な存在

 

この認知は精神の領域で行われます。それゆえ、合理論者は身体と精神を区別して、精神が実態であると考えました。

そして、精神は絶対的に自由で、自律的に判断ができる、とされています。

 

一方で、構造主義者であるフーコーは次のように捉えています。

主体とは、外部から強制されなくても自ら進んで権力に従う存在

 

合理論とかなり離れた定義です。フーコーの思想は、完全な自由など存在しない、あらゆる存在は権力からの影響を受けて思考・行動している、という考え方です。

通常、権力はある主体が他の主体に働きかけて、ある行動を強制させる性質の者を指しますが、フーコーの権力論では「強制されなくても、自ら進んで権力に従う存在」を指します。

詳しくはこちらの記事で解説しているので、良ければご覧ください。

 

www.yutorix.com

 

要は、自律的に判断・行動する主体なんていないよ!ということです。

確かに僕らは学校で先生の望むように行動したり、親の望むよう(怒られないよう)行動したりすることがあります。

 

確かにフーコーの思想は説得力があり、人は環境に大きく影響を受けて行動しています。

それでも人生は決断の積み重ねですから、自己の意志というものも強く作用しているように思えます。

 

折衷案をとれば、環境からの影響を自覚しながらも、その環境に働きかける存在が主体といえそうです。

これ、学校で育てられるのか…?

 

続いて、教育者たちはどのように考えているのか、みていきましょう。

 

 

教育学者たちは主体性をどう捉えた?

 

フクロウ, 読書, 本, 鳥, 研究, 動物, ライン アート, 知恵, スマート, 教育, 学校, 学習

 

教育学者の溝上慎一は主体性を「行為主体性」と解釈して、次のように定義しています。

 

行為主体性(agency)とは、「行為者(主体)から対象(客体)へとすすんで働きかけるさま」

 (理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで-

 

「さま」というのは、様子や状態を指すので、この言葉だと授業内での主体性は評価できそうです。

 

この定義を受けて、溝上は主体的な学習を次のように定義しています。

 

主体的な学習(agentic learning)とは「行為者(主体)が課題(客体)にすすんで働きかけて取り組まれる学習のこと」

 

たとえば、ある学習課題を解決しようと資料を調べたり、国際的・歴史的な比較をしたり、議論して意見交換をしたり、そうした働きかけるという状況は、主体的といえそうですね。

 

さて、溝上は主体的な学びは3つの学びから構成されると言っています(下図)。

  • ①課題依存型
  • ②自己調整型
  • ③人生型


一般的に「面白い」といわれる授業は課題依存型の主体的学習です。

いかに面白い教材でモチベーションを上げるか、ここに教材研究の面白さがあるとは思いますが、結局課題ありきの主体性です。

 

次に自己調整型の主体的学習は、自分の学びの方向付けや手段の妥当性を俯瞰して検討・修正する学び方です。たとえば情報収集の手段として図書館に行って本を読むのがいいのか、Google Scholarで論文をぐぐると良いのか、与えられた課題の解決のためにどのような手段が良いのか、目標に照らし合わせてベストな手段を選択したりする学習が例としてあげられそうです。

受験勉強や資格試験の勉強なんかはまさにこの学習ですね。

 

最後が人生型の主体的学習です。

人生の目標を立てたり、アイデンティティの形成につながるような学習ですが、これは原体験となるような学習ですね。

僕の尊敬する南英世先生は「授業は感動を提供する」と言われていますが、生徒の人格形成に資するような授業がそうなのかな。

でも、新しい学習指導要領だと、生徒たちの人生観や世界観を形成するような学習を展開することが謳われています。その際に哲学者の思想などを駆使して、自分の考えと似ている点や違う点などを比較しながら、自分の考えを形成していくとか。

自戒の念を込めて言いますが。まず教える先生も自分の信念を持っていてほしいですね。

ちなみに僕がやりたい教育は人生を真剣に考える教育なので、人生型の学習に分類されます。

 

さて、学習指導要領では「主体的な学び」は次のように定義されています。

 

「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しをもって粘り強く取り組み、自己の学習活動をふり返って次に繋げる学び」

 

おおむね溝上の三つの主体的学習の要素が満たされていますが、先ほどの図のように最終的には人生型の主体的学習へと到達することが重要のようです。

 

 

結局、私の問題意識は何なんだろう?

 

分岐, オリーブ, 自然, 自由奔放に生きるの結婚式, グリーン オリーブ, 地中海, 水彩画

 

ここまで「主体」「主体性」「主体的な学び」について見てきました。

 

結局、僕の関心は何なのか。

 

それは教室の外でも発揮する主体性を育むことはできるのか、ということです。

 

頭の整理ができたので、今日はここまで。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

それでは!

 

 

▼主体的・対話的で深い学びとは?

 

  

 

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【大人のための哲学】ソクラテスの生き方と哲学②~無知を知ることが成長の始まり~

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今回はソクラテスに学ぶシリーズ第2弾、あらゆる勉強に効く思考法についてです。

 

 

ソクラテスの生きた社会

 

ここからしばらくはソクラテス無知の知に至るまでの歴史です。飛ばしたい人は飛ばして次の見出しへどうぞ。

 

ソクラテスは約2500~2400年前に活躍した古代ギリシャの哲学者です。

ソクラテスが生きた古代ギリシャにはポリスという小さな共同体が点在していました。

現在でいうと、市区町村が一つの国としてまとまっているイメージです。渋谷国や名古屋国、京都国って感じでしょうか。

 

その中でもソクラテスアテネというポリスに暮らしていました。

 

さて、当時の古代ギリシャではある考えが浸透していました。

それは、「人それぞれ考え方は違うよね」という思想です。相対主義といいます。

そして、この相対主義というロジックで金儲けや権力闘争に明け暮れていた人たちがいました。ソフィストと呼ばれる弁論家です。

彼らはたとえ正義に反して財を成しても、それは自分たちの幸福につながるから問題がないと主張しました。

 

もちろん多様性を認め合う寛容の哲学なら全く問題はないのですが、当時のアテネは荒廃していたこともあり、互いを尊重するというよりかは、自分さえよければいいじゃん!相手を出し抜こうぜ!という身勝手な考え方・生き方をとっているソフィストが多かったそうです。

 

テンプル, ギリシャ語, 破滅, 興味の場所, 古代時, 古代, シチリア島, ギリシャ, 円柱状の

 

では当時のアテネでは何が起こっていたか。

それはペロポネソス戦争という約20年以上にわたる戦争にアテネが負けたことで、人々が大きく疲弊してしまっていたこと、長期にわたる戦闘で多くの人が経済的基盤を失ってしまったこと、加えて疫病(ペストか天然痘という説があります)が蔓延し多くの人が亡くなっていたことなどがあげられます。

こうした社会的混乱から人々の精神は荒れに荒れてしまいます。当然、相対主義は多様性や寛容を求める哲学ではなく、自分が最優先の考えになってしまいます。

 

なんだか現代も似たような側面がありますね。

格差が大きくなり、感染症が蔓延しているという中で、社会不安が拡大しています。時には心が荒んでしまうこともあると思います。

自分さえよければいい、という発想には古代ギリシャも今も通じるところがあると感じました。

 

そうした物質的な荒廃だけでなく、精神的な荒廃に異を唱えたのがソクラテスでした。

 

相対主義は違う!人それぞれの生き方は確かにあるだろうが、それでも絶対的に善い生き方がある!

 

ソクラテスは、人々に渇を入れ、この世の真理を追い求めようと活動を始めます。

 

ソクラテスが求めたこと

 

ソクラテスは知的に荒廃した状況に対して、真の「知」を求めることが重要だと考えました。

ここでいう「知」とは、人としての善い生き方です。古代ギリシャでは「善美のことがら」と呼ばれていました。

 

こうした考えを持つきっかけは、デルフォイの神託と呼ばれる出来事でした。

デルフォイの神殿と呼ばれる、日本でいえば〇〇神社という由緒正しい場所です。

 

ある日、最も賢い人物はソクラテスだという神様からのお告げがありました。

 

信心深いソクラテスは戸惑います。なぜなら、ソクラテスは自分は全く賢くないと考えていたから。

それなら賢いとされている人たちに色々聞いてみよう!ということでソクラテスは学者や政治家、軍人など様々な専門家に問答を仕掛けます。

 

ソクラテス「勇気とは何か?」

 

軍人「勇気とは、戦場でも怯えずに立ち向かうことである」

 

ソクラテス「それは勇気の例である。勇気の概念とは何か?」

 

軍人「戦場で逃亡せずに、立ち向かうことである」

 

ソクラテス「では、敗北が明らかになっていても、無謀に戦い続けることが勇気なのか?」

 

軍人「それは…」

 

ソクラテスは、問い返します。

 

そして、専門家は返答します。

 

問答の繰り返しで最終的に専門家は詰まってしまいます。

 

色々聞いてみてわかったことは、彼らはそれらしく言うことはするが、決して正しさや勇気の概念を明らかにはしていないということでした。

専門的な知識は豊富にあるけれども、正しさや勇気などの人生において重要な知は持っていない。

 

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ソクラテスはこの経験から次のような結論に至ります。

 

『他の人は「知」にいて知らないのに知っていると思い込んでいる』、一方で『自分は「知」について無知であることを理解している』、「その点において自分は他の人よりも賢いということなのだろう」

ソクラテスデルフォイの神託をそのように解釈しました。

これが有名な無知の知と呼ばれる考え方です。そして、自分が無知だからこそ、知を追い求めようとする。つまり、無知の知を自覚することが哲学の出発点になるのです。知っていると思ったら、それ以上は知ろうとは思いませんもんね。

 

ここから、ソクラテス無知の知を自覚させ、より善い生き方を追及させようと様々な専門家に問答を仕掛けます。

 

確かに彼らの持っている知識は生活に役に立つだろうが、それは善い生き方につながるとは限らない。

だからこそ、人生において大切なことについて無知ということを自覚させ、知を求める生き方に改めさせようと行動しました。

 

これ以降の続きに関してはこちらのリンクからご覧ください。

 

www.yutorix.com

 

無知の知の効用

 

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近年、考えることが非常に重要視されています。

人工知能の普及やグローバル化の進展など、不確実性の高い社会においては個人が自律的に思考することが成功の源泉になる、ということでしょうか。

 

その流れは教育界にも波及しています。

たとえば、新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が重視され、生徒が自律的に考える教育への方針転換がうたわれています。

 

しかし、考える上では、前提となる態度が重要です。

たとえば、何かあったときに、既に知っていると思っているなら、わざわざ調べたり、考えようとはしないでしょう。

でも、自分はまだまだ無知だということを自覚していれば、もっと知りたい、調べたい、考えたいという知的な行動が起きるはずです。

つまり、無知の知は学びを駆動させる前提条件なのです。

 

仕事でも自分の仕事が効率的と思っていれば、効率的に仕事ができるようにはしません。

文章力が高いと思い込んでいれば、文章を良くしていこうという動機は起きません。

 

でも、自分ができない、わからない、と解釈することで改善のきっかけを得て、新たな地平が見えることもあります。

 

勉強する前までは「知ってるよ~」と思っていることでも、勉強を深堀してみると、たくさん知らないことが出てくることがあります。

 

変化が激しくなる今後の社会においては、常に学び続けることが求められます。

ソクラテスの知的な姿勢は、現代人に非常に示唆的ではないでしょうか。

 

以上、今回の記事が皆さんのお役に立てば幸いです。

それでは。

 

▼入門書としてオススメ

 

 

 

ソクラテスが現代に蘇ったら?というテーマの本。池田さんの文章は読みやすいです。

 

 

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【大人のための哲学】ソクラテスの生き方と哲学①~信念をもって生きるということ~

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今回はソクラテスに学ぶ人生論です。

 

www.businessinsider.jp

 

せっかくたくさんのお金を稼いでも、人を傷つけるお金の使い方をしてしまうこともあります。理想がなければ、道具は凶器になり得ます。

 

強靱な腕力も、自衛隊に入れば人の役に立ちますが、一方で人を傷つけることもできます。

達者な弁論術を持っていれば、弁護士として人を救うことも出来ますし、政治家として人を動かすスピーチが出来るかもしれません。

けれども、その口八丁手八丁で詐欺を働くことも出来るかもしれません。

 

正しさが心になければ、正しい行動もできません。

 

でも、そもそも正しさって何なんだろうか。

 

現代でも悩ましいこの難問に対して、一緒に考えよう、と言ったのがソクラテスです。

 

  

ソクラテスって誰?

 アテネの芸術学校, ラファエル, イタリアの画家, フレスコ画, 1509-1512, 絵画

 

今から約2500~2400年前の古代ギリシャアテネ)で活躍した哲学者です。日本はまだ弥生時代あたりですね。

父親は石大工、母親は助産師で、奥さんは悪妻として有名なクサンチッペです。クサンチッペについて、ソクラテスは次のような言葉を残しています。

 

ともかく結婚せよ。

もし君が良い妻を持てば、幸福になるだろう。

もし君が悪い妻を持てば、哲学者になるだろう。

 

この格言からわかるのは、ソクラテスが後世に名を遺すのにクサンチッペが多大な貢献をしているということです(この発言はソクラテスが残したかはわかりません。後世に創られたという説もあります)。

 

ただ残念ながら、ソクラテスは著作を一切残していません。ソクラテスの言動を詳しく知るのは、彼の弟子プラトンの著作からなのですが、それはまた別のお話で。

 

元々ソクラテスは自然哲学(今でいう自然科学、世界は何からできているのかな~ということを探究する学問)に興味がありました。しかし、40歳ごろから関心が人間の生き方にシフトさせていきます。

その中心的な活動は、ポリス市民の知的な態度を改めさせようという、コーチングのようなものでした。これを問答法といいます。

しかし、こういった活動が人々から反感を買い、死刑判決を受け、最後は刑死しました。


ja.wikipedia.org

 

当時のギリシャ社会の様子

 

ソクラテスが生きた古代ギリシャにはポリスという小さな共同体が点在していました。

現在でいうと、市区町村が一つの国としてまとまっているイメージです。渋谷国や名古屋国、京都国って感じでしょうか。

 

その中でもソクラテスアテネというポリスに暮らしていました。

 

さて、当時の古代ギリシャではある考えが浸透していました。

それは、「人それぞれ考え方は違うよね」という思想です。相対主義といいます。

そして、この相対主義というロジックで金儲けや権力闘争に明け暮れていた人たちがいました。ソフィストと呼ばれる弁論家です。

彼らはたとえ正義に反して財を成しても、それは自分たちの幸福につながるから問題がないと主張しました。

 

もちろん多様性を認め合う寛容の哲学なら全く問題はないのですが、当時のアテネは荒廃していたこともあり、互いを尊重するというよりかは、自分さえよければいいじゃん!相手を出し抜こうぜ!という身勝手な考え方・生き方をとっているソフィストが多かったそうです。

 

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では当時のアテネでは何が起こっていたか。

それはペロポネソス戦争という約20年以上にわたる戦争にアテネが負けたことで、人々が大きく疲弊してしまっていたこと、長期にわたる戦闘で多くの人が経済的基盤を失ってしまったこと、加えて疫病(ペストか天然痘という説があります)が蔓延し多くの人が亡くなっていたことなどがあげられます。

こうした社会的混乱から人々の精神は荒れに荒れてしまいます。当然、相対主義は多様性や寛容を求める哲学ではなく、自分が最優先の考えになってしまいます。

 

なんだか現代も似たような側面がありますね。

格差が大きくなり、感染症が蔓延しているという中で、社会不安が拡大しています。時には心が荒んでしまうこともあると思います。

自分さえよければいい、という発想には古代ギリシャも今も通じるところがあると感じました。

 

そうした物質的な荒廃だけでなく、精神的な荒廃に異を唱えたのがソクラテスでした。

 

相対主義は違う!人それぞれの生き方は確かにあるだろうが、それでも絶対的に善い生き方がある!

 

ソクラテスは、人々に渇を入れ、この世の真理を追い求めようと活動を始めます。

 

ソクラテスが大切にしたもの~知の追求=魂の配慮~

 

ソクラテスは知的に荒廃した状況に対して、真の「知」を求めることが重要だと考えました。

ここでいう「知」とは、人としての善い生き方です。古代ギリシャでは「善美のことがら」と呼ばれていました。

 

こうした考えを持つきっかけは、デルフォイの神託と呼ばれる出来事でした。

デルフォイの神殿と呼ばれる、日本でいえば〇〇神社という由緒正しい場所です。

 

ある日、最も賢い人物はソクラテスだという神様からのお告げがありました。

 

信心深いソクラテスは戸惑います。なぜなら、ソクラテスは自分は全く賢くないと考えていたから。

それなら賢いとされている人たちに色々聞いてみよう!ということでソクラテスは学者や政治家、軍人など様々な専門家にインタビューしまくります。

 

ソクラテスは彼らに問います。

 

「正しさって何ですか?」

「勇気って何ですか?」

「美しさって何ですか?」

 

それは~ペチャクチャペチャクチャ…〇※△×!!!!

 

ソクラテスは、問い返します。

 

そして、専門家は返答します。

 

問答の繰り返しで最終的に専門家は詰まってしまいます。

 

色々聞いてみてわかったことは、彼らはそれらしく言うことはするが、決して正しさや勇気の概念を明らかにはしていないということでした。

専門的な知識は豊富にあるけれども、正しさや勇気などの人生において重要な知は持っていない。

 

ソクラテスはこの経験から次のような結論に至ります。

『他の人は「知」にいて知らないのに知っていると思い込んでいる』、一方で『自分は「知」について無知であることを理解している』、「その点において自分は他の人よりも賢いということなのだろう」

ソクラテスデルフォイの神託をそのように解釈しました。

これが有名な無知の知と呼ばれる考え方です。そして、自分が無知だからこそ、知を追い求めようとする。つまり、無知の知を自覚することが哲学の出発点になるのです。知っていると思ったら、それ以上は知ろうとは思いませんもんね。

 

ここから、ソクラテス無知の知を自覚させ、より善い生き方を追及させようと様々な専門家に問答を仕掛けます。

 

確かに彼らの持っている知識は生活に役に立つだろうが、それは善い生き方につながるとは限らない。

だからこそ、人生において大切なことについて無知ということを自覚させ、知を求める生き方に改めさせようと行動しました。

 

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少し余談ですが、、、

ソクラテスはポリスを非常に愛していました。愛国主義というか、パトリオティズムというか。

そして、ソクラテスはポリスの全盛期に育ち、その黄金期と比較して現在のポリスの惨状を嘆いていたのです。

その荒廃の原因を人々の知的な態度・あり方に求め、それを改めることで愛するポリスを、かつてのように善くしていこうと考えたんじゃないのかなと思います。「知」という側面から社会を良くしていこうと考えたわけです。

この辺は教師の仕事に通じるな~さすがソクラテス先生だな~という感じです。

 

さて、戻ります。ちょっと複雑な話になります。

 

無知の知を出発点に知を求める生き方をソクラテスは称賛しました。

繰り返しになりますが、「知」とは人としての善い生き方のこと。つまり、何が正しくて、何が不正なのかを判断できることです。

そして、その判断は魂において行われます。当時、魂は人間の本体とされていました。現代風にいえば、マインドです。

ソクラテスは魂が善い状態になっていることを「徳」と表現しました。

ここではマインドがいい感じの状態という意味だと思ってください。

 

つまり、知=善悪を判断できること=徳=魂が善い状態、という関係です。

 

また、ソクラテスは「知っているなら、行動できるよね!」という発想だったので、知を求めて善悪を知れば、それに従って実践できるよね、と考えました。

さらに、正しいことを実践する生き方は幸福だよね、と。

 

まとめるとこういうことです。

 

知を知っている➡知を実践できる➡知に従う生き方はハッピー

 

そのために、自分の行動が正しいのか、しっかり向き合いなさいと言いました。これを魂の配慮といいます。

自分のマインドセットが正しいのかを振り返りなさい、ということですかね。

何か行動する前に、自問自答する。「その行為で誰かが損を被らないか」「この発言で誰かを傷つけないか」…

 

死に代えても守り抜いたもの

 

さて、ソクラテス無知の知を起点にして、あらゆる人に問答をしまくりました。

 

しかし、こうした方法は人々の反感を買いました。

それもそうですよね。だって、自分は賢い、と思っている人がみんなの前で「あなたは知らないじゃないか!」と追及されて、しかも何も答えられなくなってしまえば、プライドはズタズタにされますし、怒りを買います。

 

もちろん素直に自分を振り返って、知的な探究生活を始める者もいましたが、多くの専門家はソクラテスに対して敵意を抱くようになりました。

ただし、ソクラテスの意図は無知の自覚を促そうというもので、プライドをへし折ろうといった魂胆はありませんでした。

 

結果的にソクラテスは民衆裁判にかけられ、死刑になります。ただ、当時の監獄は今と比べてガバガバだったので、簡単に脱獄できるものでした。

 

しかし、彼は脱獄を拒否し、死刑を選びます。少し長いですが、ソクラテスに話しかける国法(擬人化されたものです)とのやり取りを引用します。

 

お前がこの世を去るなら、今ならお前は不正をーわれわれ国法からというよりも、人間から-加えられた者としてこの世を去るのだ。しかるにもしお前が脱獄して、無恥千万にも、不正に不正を、禍害に禍害を報い、かくてわれわれに対するお前の合意と契約を蹂躙して、また最も禍害を加えてはならない者ーすなわちお前自身と友達と祖国とわれわれとーにこれを加えるなら、その時、われわれはお前の存命中を通じてお前に怒りを抱くだろうし、またあの世ではわれわれの兄弟なる冥府(ハデス)の国法も、親切にお前を迎えてはくれまい、なぜといえば、力の及ぶ限り、お前がわれわれを滅ぼそうとしたことを、彼らは知っているから。だからお前はその説を実行せしめんとするクリトンに説得されぬようにして、むしろわれわれに従うがいい。(プラトン『クリトン』)

 

ソクラテスは逃亡の勧めを断固として退けます。

 

ソクラテスにとっての正しさとは、ポリスの法でした。

愛するポリスで育ち、愛するポリスの復権を願い活動してきた。それなのにもかかわらず、都合の悪い時だけポリスの法に背くことはできない。彼にとって重要なことは、国法に背いて生きることよりも、国法に従って死ぬことでした。

 

彼は死よりも、最後まで善く生きることを大切にしました。

 

ソクラテスは死刑になろうとも自説を曲げて助けを乞うことはせず、今まで自分がしてきたことへの信念を最後まで貫き通したのです。

その最期は誇りに満ちた安らかな姿だったといいます。

 

ソクラテスは今の社会で何を思うか

 

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ソクラテスは絶対的な正しさがあると考え、それを追及する生き方を善いことだと考えました。

しかし、それはあくまでも古代ギリシャ、さらにいえばアテネという一国内における正しさです。

さらに、正しさの定義も明確にしていません。

 

しかし。それでも彼の思想は現代でも示唆に富んでいます。

 

現代社会はかつてと違い、様々なコミュニティ、組織、個人が交流する社会です。グローバル化の進展はそれに拍車をかけています。

個人の数だけ正義があります。競争の激化や格差の拡大、テロリズムの台頭は社会不安にもたらし、自分さえよければいい!相手を出し抜こう!という態度を生むかもしれません。

そういう時代だからこそ、ソクラテスが実践した対話が重要なのでしょう。対話を通じてみんなが納得できる正しさを作っていく。

 

しかし、作り上げた正義を実践するのは個人です。

時には自分自身の行動が正しいのかどうか振り返る習慣が必要です。

内なる心の声、もっといえば内なるソクラテス先生の渇に耳を傾けてもいいかもしれません。

 

君が今からやろうとしていることは正しいのか?

 

魂への配慮を欠かさず、善く生きること。

ソクラテスが現代のわれわれに投げかけるのは、自分が正しさについて知らないという知的に謙虚な姿勢、それを出発点に正しさが何なのかを追い求め、自分の行動が正しいかどうかを振り返ることが大切である、ということでしょう。

 

ソクラテスには、教師として大切なことを教えてもらった気がします。

僕らは目の前の雑事に忙殺されて本当に大切なものをみうしなってしまっているのではないだろうか。

 

以上、今回の記事が皆さんの役に立てば幸いです。

それでは!

 

▼入門書としてオススメ

 

 

 

ソクラテスが現代に蘇ったら?というテーマの本。池田さんの文章は読みやすいです。

 

 

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【大人のための哲学】分断社会を考えるヒントに~寛容の大切さを説き続けた哲学者ヴォルテール~

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現代社会では、多様性が重視されています。

口で言うのは非常に簡単ですが、それを貫き通すことは難しいです。
その証左として、ネット上での炎上やテロ事件、ヘイトスピーチの問題などは絶えることがありません。

自分の認められない価値に遭遇した時にも、それでも「多様性が大事だ!」と説き続けること、一貫し続けることは難しいです。


けれども、不寛容は時として社会に大きな害をもたらします。
そうした時代だからこそ、寛容の大切さを説いたヴォルテールの思想が大きな意味を持つんじゃないかと思います。

 

 

ヴォルテールって誰?

 

ヴォルテール(1694-1778)は18世紀に活躍したフランスの啓蒙思想家・文学者です。『寛容論』や『哲学書簡』などの著作を残しています。
イギリスの合理的な思想に感銘を受け、フランス社会の在り方を批判してバスチーユ牢獄に投獄されたり、冤罪事件に対して声を上げたりするなど、当時の非合理的な社会体制や不正義に対して異を唱えました。彼の影響を受けた人物にモンテスキューなどがいます。

ja.wikipedia.org


啓蒙思想とは?

 

啓蒙思想啓蒙主義)とは次のような考え方です。

 

18世紀ヨーロッパにおける、中世的な思想や慣習を打破して、

近代的・合理的な知識体系を打ち立てようとした一連の思想のこと

 

 

f:id:europesan:20201211140134p:plain

 

啓蒙とは、「明るく照らす」という意味です。17~18世紀のヨーロッパ社会では、未だに中世的な慣習や社会体制が残存していました。人々は過去の因習にとらわれ、無知蒙昧なままでいる。だからこそ、理性や科学の力によって暗い社会を「明るく照ら」し、人々を無知から解放してあげようという運動が起こったのです。
そうした啓蒙思想を推進した代表的な人物の一人が、ヴォルテールでした。

 

 

ヴォルテールの哲学~寛容~

 

当時のヨーロッパ社会ではキリスト教が強い影響力を持っていました。

しかし、キリスト教の中でもカトリックプロテスタントの双方が排他的になっていました。血みどろの宗教戦争を経て、双方が歩み寄りを見せる一方で、地域によってはカトリックプロテスタントを弾圧する、といったことも起こっている時代でした。
同じキリスト教徒といえども、双方の関係はあまりよくなかったのです。
そうした中で、フランスでとある事件が起こりました。

 

カラス事件です。

以下、光文社学術文庫より出版されている『寛容論』から事件の引用です。

キリスト教カトリックプロテスタントの対立がつづくなか、実子殺しの容疑で父親が逮捕・処刑(死刑)された「カラス事件」。
狂信と差別意識の絡んだこの冤罪事件にたいし、ヴォルテールは被告の名誉回復のために奔走する。理性への信頼から寛容であることの意義、美徳を説いた歴史的名著。
この著作が発表される2年前の1761年10月に南仏トゥールーズで起きた事件と一連の動向がフランスを震撼させます。

改革派キリスト教プロテスタントであったジャン・カラスの家で、その長男マルク・アントワーヌの死体が発見されました。実際には、長男が自ら縊死したということですが、当時、カラスが町では少数派であったプロテスタント信者であったこともあり、事件を聞きつけた群衆が宗教的な狂信から「ジャン・カラスが息子のマル・アントワーヌを絞め殺したぞ」と叫んだのです。この流言に煽られた町の司法当局は、カラスを逮捕し、公正な審理もないままで、車責めの死刑に処したのです。カラスの家族や関係者は死刑を免れたものの、一家離散し、名誉も財産も剥奪没収されてしまいました。

最初は、父であるカラスの実子殺しを疑ってもいなかったヴォルテールは、数日後、錯綜するさまざまな情報にふれて、実は宗教の狂信による煽動が、冤罪事件をもたらしたことを確信します。
そこから、カラスとその関係者の名誉回復に向け、ヴォルテールは危険を承知で、精力的な言論活動を展開することになります。
その中で、彼が主張しているのは、「寛容(トレランス=原意は忍耐)」という美徳でした。自然な理性にもとづいて宗教の狂信と暴力を徹底的に批判し、多様性との共存を、忍耐をもって求めつづけることです。

 

ヴォルテールは、カラス事件に関する言論活動を通じて、人々に不寛容の不利益と、理性的精神で冷静に物事を見つめる大切さを訴えます。

 

そうした彼の姿勢が次の言葉に集約されています。

知性が虚弱なひとびとは、陰気な迷信に動かされ、そして考え方が自分たちと異なる人間を犯罪者にしたててしまう

 

ひとびとにもっと思いやりと優しさをもってほしい

 

現代における意義

キャンドル, 教会, 祈り, 炎, 光, 宗教, 雰囲気, 信仰, 記念, キリスト教, 瞑想, 瞑想的

 

現代社会は多様性の時代と言われています。
その一方で、自分と異なる意見に対する排他的な言動を見ない日はなかなかありません。SNSやインターネット上での炎上問題は「気に入らない意見」の徹底的な排除のように思えます。外国人に対するヘイトスピーチの問題、イスラム国などによるヨーロッパでのテロ事件、様々なレベルでの問題は不寛容に一つの原因があるように思えます。

 

そうした排外的な「感情」は極端な世論を掻き立て、人々を扇動してしまうこともあります。何が真実なのかを冷静に確認せずとも、狂信的に世論を信じ込み、排外主義に加担してしまう。

時代を超えてもヴォルテールが読み継がれているのは、人類に不寛容がつきものだからかもしれません。

 

人間の弱さに目を向けつつ、それでも理性の力を信じ続けたヴォルテール

最後に彼の言葉を引用して終わりたいと思います。

 

私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.

 

 

 

 

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今年買って良かったもの3選【2020年】

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今回は今年の買い物の中でも、仕事が捗ったなあと感じる3つをご紹介します。

ただし、あくまでも「教員」目線でのチョイスになりますのでご容赦ください。

 

 

テレ東ビジネスオンデマンド

 

txbiz.tv-tokyo.co.jp

 

情報収集しなきゃ…と思っても新聞を読むと結構時間がかかります。

その点、テレビならながら作業でも聞くことが出来ます。

 

こちら、テレビ東京の経済系番組が月500円で視聴し放題です。

アプリをインストールするかブラウザ、テレビとつなげて見ることも出来ます。

 

一月ワンコインでガイアの夜明けWBSなどを見放題なのはありがたいですね。

 

僕は情報収集のために使っていて、特に新聞によっては経済系の記事が余り充実していないこともあり重宝しています。

過去の放送に遡って見放題なので、その点も素晴らしいです。

 

経済の流れや企業の商品開発の事例など非常に勉強になるかと思います。

 

ipad air

 

 

勤務校でオンライン授業が始まったので、その前に駆け込み購入をしました。

 

良い点を並べるとこんな感じ。

 

①大きな画面で本を読める。かさばらない。重くない。

 

読書が趣味だったり、職場に持って行く資料が多くなると荷物が重くなりませんか?

 

今までは紙の本で読むことが多かったのですが、ipadを買ってからkindleで読むことが多くなりました。

紙の本って結構重いですよね。その点、kindleならipad一つの重量で済みますし、ある程度大きいので読みやすいです。

 

満員電車でipadが出せなくても、kindleで同期しているのでスマホでも続きを読めるという使い分けができます。
www.yutorix.com

 

②PDFで書類を保管して、書き込みが出来る。

 

職場で配られた書類を保管する手間が省けました。また紙媒体で配られたらスキャンして保管して、ジャンルごとに保管すれば良いので、探すのも楽ちんです。

 

僕が保管用に使っているアプリがGoodNote 5です。

 

GoodNotes 5

GoodNotes 5

  • Time Base Technology Limited
  • 仕事効率化
  • ¥980

apps.apple.com

 

たとえば、こちらに学習指導要領(300ページくらいある)をダウンロードして書き込みをしています。

重たーい書類も持ち歩かなくて良いのは本当にありがたい!

その点でタッチペンはマストアイテムかと思います。

 

たとえばこんな感じ(拾い画像です)

iPad】GoodNotes 5で出来ることを詳しく解説。Notes 4との違いもチェック!

 

 【iPad】GoodNotes 5で出来ることを詳しく解説。Notes 4との違いもチェック!

 

 

③授業でも使える

 

Apple TVを使えばミラーリングで画面共有が出来るので、たとえばスライドを投影したり、僕の場合ですとプリントやスライドをPDF化して、授業で書き込みを見せながら使っています。

 

YouTubePremium

 

 

YouTube Premium - YouTube

 

今年度一番良かったといっても過言ではないでしょう。

 

月額1180円を支払うことで以下の特典を得られます。

 

・広告なし再生
・バックグラウンド再生
・動画の一次保存
YouTube MusicプレミアムとGoogle Play Musicの利用

 

僕は結構情報収集や勉強の一環でYouTubeを見るんですが、広告がストレスになっていました。

また、ほかのアプリの使用を中断して聞かなければいけなかったので、それも大きなアストレスでした。

 

でも、プレミアムでは広告なしで再生ができますし、ほかのアプリを起動しながらバックグランド再生も可能になります。

要は部屋の掃除などの「ながら作業」をしつつ情報収集ができるようになったので、ものすごい快適になりました。

 

料金についてはプランごとに異なっています(webブラウザandroidの場合)。

通常プラン➡月額1180円

ファミリープラン➡月額1780円(最大5人まで)

 

ただ、iOSアプリだとApp Store経由で支払い料金が高くなるみたいです。

通常プラン➡月額1550円

ファミリープラン➡月額2400円

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

主に情報収集とその管理ツールという感じでしたね。

他にも用途はたくさんありますが、「情報は一つにまとめよ」という金言が実行できているのが個人的な評価ポイントとして非常に高いです。

 

以上、今年買って良かったもの3選をご紹介しました。

お役に立てれば幸いです!それでは。

 

 

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【大人のための哲学】置かれた場所で あえて咲くという人生戦略~森鴎外に学ぶ、社会と自分の折り合いをつける考え方

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この仕事でこんなことを成し遂げたい!

 

そう期待に胸を躍らせて入った会社では想像と異なる仕事の連続。

その積み重ねは次第に心をむしばんでいく。

 

こんなはずじゃなかった…

 

しかし、それでもすぐには物事は好転しません。

希望を失ったとき、人の心は簡単に壊れてしまいます。

 

それでも心の安寧を得るにはなんとかしなければならない。

そんなとき、森鴎外の考え方は一つのヒントをくれるかもしれません。

今回はその思考法をご紹介します。

 

 

森鴎外って誰?

森鴎外1862年~1922年)といえば、明治を代表する文豪であり、陸軍軍医の最高ポスト軍医総監も勤めています。本名は森林太郎

舞姫』『高瀬舟』など、国語の教科書にも載るような著作をいくつも出しており、その文章は現在においても非常に評価されています。

 

ja.wikipedia.org

 

諦念(レジグナチオン)と「かのように」

 

明治時代になるとヨーロッパの思想が怒濤の勢いで日本に入ってきます。

西洋思想に出会った人々の中には、「社会の中でこんなことを実現したい!」「私はこんなことをやりたい!」と強烈な自我に目覚める人もいました。

 

しかし、個人が自分の思いを貫き通そうとしても、社会というのは非常に大きな壁として立ちふさがります。

不条理な社会に心が壊れてしまうこともあるかもしれません。

ここで実存主義者たちはあなたの生きたいように生きよ!と高らかに言うのです。

 

特にコロナ禍においても転職市場が活況な現在においては、社会と個人を天秤にかけて自分の生きたいように生きるという選択肢をとっている人が多いのかなと思います。

 

天使, フィギュア, 喪, 希望, 彫刻, 像, 神聖な

 

しかし、森鴎外は違います。

 

華々しい経歴の森鴎外。一見順風満帆に見えますが、彼は自分の理想と社会の現実との葛藤に苦しんでいました。

 

そこで彼がたどり着いた境地が「諦念(ドイツ語でレジグナチオン)」と「かのように」という考え方でした。

 

諦念とは、個人と社会を対立するものと捉えるのではなくて、自分が置かれた立場を運命として受け入れ、その中でより良く生きようとすることで、心の平穏さ・安寧を求めることを言います。

 

どんな環境でも自分の思いや欲求とぶつかり合うこと、ミスマッチは起こりえます。

そんなときに「こんなこと違う!」とやめてしまう前に、まずは与えられた環境の「解釈」をポジティブに捉え直し、その環境で最高のパフォーマンスを出してみる。

今の環境の中でやりたいことを精一杯やる。

大事なことは、環境に埋没しないよう、自分のやりたいことや希望を捨てずに、自己を保ちながら、「社会ってこんなもんだよな…」という一種の諦めも持つという両義的な考え方です。

 

そして、その諦めの先に「かのように」という境地があります。

これは、理不尽な社会を受け入れて、まるで「〇〇であるかのように」振る舞うことを指します。

たとえば、上司と合わなくても、あたかも部下である「かのように」振る舞う。

ルールに不満を覚えていても、妥当なルールである「かのように」振る舞う。

 

鴎外は、現実社会の理不尽さを嘆くのではなく、「そもそも社会とはそんなものだ…」と諦めながら社会を受け入れました。

そうした上で、現実には受け入れがたいことも、あたかも「〇〇であるかのように」見なしてしまうことで対峙していくことだ、と述べました。

確かに目に見えないルールに従った方が無難ですね。暗黙の了解といいますか。

 

置かれた場所で咲きなさい、という言葉と通ずるものがありますね(僕はこの言葉はあんまり好きではないのですが…)

www.yutorix.com

 

ちなみに森鴎外がこういった諦めの思想を深めた大きなきっかけは、大逆事件と呼ばれる社会主義者の弾圧事件です。

大逆事件とは、無実の罪で捉えられた社会主義者が即刻裁判で死刑になった事件です。

鴎外は、自分が軍医として属している国家権力の横暴さを痛感し、葛藤した経験から諦念という思想をよりいっそう深めていきました。

 

どうして良いかわからない人へ

通り, 道路, 高速道路, ジャンクション, トラフィック, 旅行, アスファルト, 交通, アドベンチャー

 

人生は決断の連続です。

自分で決めたことが積み重なって今の人生が作られています。

 

確かに自分のやりたいことを大切にすることは大事です。

けれども、いつでも、どこでも自分の希望が通る場所というのは中々見つからないのではないでしょうか。

待遇が良くても人間関係が悪かったり、自分のやりたいことでも金銭面で満たされなかったり、、、大切なことは自分の思いを見つめ、その上で今の環境で出来ることを諦めないことではないかと思います。

鴎外の考えは諦めの哲学といわれますが、僕は諦めることと諦めないことは0か100かではなく、グラデーションの問題だと思っています。今の環境で何が出来て、何が出来ないのかを精査していく。

そして、いつかやりたいことを実現するために、今の環境でできることを積み重ね、動いていく。

 

大切なことは、何かチャンスがあったときにすぐ動けるように常に牙を磨いておくこと。

そして、自分のやりたいことは絶対に諦めないことだと思います。

 

www.yutorix.com

 

僕自身の思想は、①理不尽な社会は変えていくべき、②花開く場所を探しなさい、という思想を持っているので森鴎外の思想は中々反発するものがあるのですが、ただ仕事を続けていく上で大事な考え方なのかなあとも思っています。

今の仕事を続けるべきか否か迷ったら、まずは今の環境でできることは何か、やりたいことはどれくらいできるのか、それを考えるきっかけとなる思想なのではないんでしょうか。 

 

最終的に個人的な話になってしまいましたが、今回のお話が皆さんの参考になれば幸いです。

それでは!

 

  

 

 

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【大人のための哲学】自分の気持ち、押さえ込んでない?~素直な気持ちを肯定する本居宣長の思想~

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こんにちは、しらすです。

 

コロナ禍で自分と向き合う時間が増え、自分が本当に何をしたいのか、どんな人生を歩みたいのかを真剣に検討する人が増えたと言います。

今まで、世間体や見栄、社会常識などは時にその人の気持ちを抑え込んでしまいます。

そんな方こそ、自分の気持ちをありのままに肯定してくれる本居宣長の思想が参考になるかと思います。

 

 

本居宣長とは?

本居宣長(もとおり のりなが:1730-1801年)は江戸時代に活躍した国学者です。

国学というのは、ざっくり言えば日本古来の思想を追究しようという学問のこと。

古事記』や『源氏物語』の研究をしたことで知られています。

 

ja.wikipedia.org

 

本居宣長の思想~真心~

地蔵, 石, 山, 森, 仏, 修行

本居宣長が活躍した江戸時代、ある思想が一大ムーブメントを巻き起こしていました。

それが朱子学儒学の発展です。

 

事の発端は江戸幕府ができたころ、徳川家康が国を治めるために朱子学を取り入れたことに始まります。

朱子学は上下関係を非常に重視します。そこから、礼儀や身分秩序、またそれに付随する道徳観念が生まれてきます。

 

当然、善悪の判断も上下関係などを基準に行われるようになります。

 

そうした朱子学と、飛鳥時代から日本に入ってきていた仏教の善悪の基準が相まって、日本社会の道徳観念が形成されていきました。

 

朱子学の考え方に「分をわきまえる」と「慎みを持つ」というものがあります。前者は身分制を正当化し、後者は庶民が貧しいことを正当化しました(逆にお金儲けに専念するということで商人は卑しいものとされました)。

 

スマイリー, 絵文字, 怒り, 怒って, 不安, 感情, ボール, 穏やかな, 文字, 陽気です, 混乱

 

こうした朱子学のあり方に対して本居宣長は大批判を加えます。

 

朱子学は禁欲的すぎる!

もっと人の気持ちを、欲望を素直に肯定すべきだ!

 

著作の『玉勝間』でこんなことを述べています。

 

おいしいものはおいしい、恋しいものは恋しい、つらいことはつらい、その自然な心が真心であり、その本心に素直にそって生きていけという教えである。もちろん世の中を渡っていくには、我慢をし、耐え忍び、お世辞もいい、いつも自分に素直にばかりには行かない。それを承知の上で、なお自分を歪めず、屈折せず、偏屈にならず、自分の自然な心を活かしていく工夫が大事である。不自然な歪んだ生き方は、どこかで無理が生じる。無理な生き方は、どこかで行きづまる。世の中には無数の生き方がある。様々な生きる場所がある。そこから自分を自然に活かせる道を探し出そう。

生まれながらの真心というものこそ、人の道なのである。|記事|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−|Historist(ヒストリスト)

 

宣長は、仏教や朱子学の考え方は人為的なものであり、自分の素直な気持ちを歪めてしまうと批判しました。

 

そこで宣長が重視したのが真心(まごころ)です。

これは、生まれつき持っている心のこと。あくまでも本人の心がどう感じているのか、本心に従っているのか、そういった素直な心に従う有様を言っています。

 

現代社会では多様性が重視されています。

多様な価値観がある一方で、その価値観を教条的に盲進してしまうことも時にはあるでしょう。

そうした価値観に従うことが本当に心から望んでいることなのか、真心がなんなのかを考えることで自分を相対し出来るかもしれません。

 

怒りたいときには怒る、悲しいときには悲しむ、そうした心の動きに素直に従おうということですね。

 

真心を大事にするということ

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宣長のいう「真心(まごころ)」とは、生まれついたままの心のことですから、上辺(うわべ)を取り繕(つくろ)うことはもとより、狡知・姦計、悪事でさえも、それが生まれながら備え持っている心に基づき、全身全霊、必死になって行おうとしているならば、誠(まこと)であり、真心(まごころ)に基づくふるまいとなるのです。

ですから、ここで宣長が問題にしているのは、世間の人が、仏教や儒教などの特定の教えを盲信して、それらの教義(イデオロギー)に自らの生まれついた心を明け渡してしまい、何事も教義・ドグマのままに判断し、モノに触れて動く生まれついた心さえ、型にはめて押し殺してしまうことなのですね。もはやそれは、「人とあらむものの心にあらず」ということなのです。

これは何も宗教の教義に限った話ではなくて、世間の常識や社会に根付いている固定観念も、当然含みます。

 今年の抱負 | 海彦のブログ

 

本居宣長は商人や医師など様々な経歴を歩んだ末に、国学の研究に打ち込みます。

医師の傍ら研究を続けること35年、全44巻の『古事記伝』が完成します。

 

自分の好きなものをとことん追求し、貫き通すという彼の生き方は、まさに真心を体現したものといえるかと思います。

生活の糧を得る、というのも大事ですが、自分の心に従う、ということも非常に大事です。宣長の思想はそれを考えるヒントになるかもしれません。

 

今回の記事が皆さんのお役に立てれば幸いです。

それでは!

 

▼参考

 

 

 

▼この記事が面白いと思った方はニーチェの思想もオススメです。

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【大人のための哲学】自由になるために~フーコーが教えてくれる日常生活の金縛り~

 

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子どもの時、本当はおかしいなあと思いつつ叱られたらいやだから、という理由でルールに従っていた経験はありませんか?

 

ある行動をとりたくでも、なぜかできない。

金縛りのように行動を制限「してしまう」。

そんな経験があれば、フーコーの哲学がきっと役に立つはずです。

 

  

フーコーって誰?

知の枠組みは不連続に変化 ミシェル・フーコー「言葉と物」|好書好日

本名はミシェル・フーコー

かなりの秀才で高等師範学校(フランスのエリート養成機関です)に進学し、その後大学教員になっています。

フーコーは同性愛者でしたが、当時の社会では公言できず、非常に苦しんでいたようです。そうした彼の苦しみは、次第に社会への関心をかき立てていきます。

自分を苦しめる社会とは一体何なのか、かれはこのテーマを生涯追求することになります。

 

ja.wikipedia.org

 

フーコーの思想~規律権力~

 

フーコーの思想は構造主義に分類されます。

構造主義というのは、「人間は何らかの社会構造に支配されていて、完全に自由に物事を判断しているわけではない」という考え方です。

朱に交われば赤くなる、といいますが、ある立場や環境に身を置くことで考え方や行動が変わることはよくあることです。組織の論理、社会の論理が無意識に人々の思考や行動に影響を与えてしまうんですね。

 

そういう点で、「自分にとっての真理を見つけよう」という実存主義構造主義は真っ向から反発する思想です。完全な自由などない!ってことですね。

 

実存主義の有名な思想家にニーチェがいます。

www.yutorix.com

 

フーコーが唱えた代表的な考え方に規律権力というものがあります。

 

権力というと、通常は上から下に命令して強制的に従わせる、というような関係をイメージするかと思います。たとえば、王様の命令に部下が従う、という構図ですね。

一方で、規律権力というのは、上から下ではなく、むしろ下から自発的に従おうとしてしまう権力関係のあり方を指します。

 

規律権力の例としてフーコーがあげるのが、パノプティコンと呼ばれる刑務所です(下図)。

パノプティコンとは通常の刑務所とは異なり、円形の建物の中央に塔があり、その塔はマジックミラーになっていて看守がいるかどうかわかりません。

囚人たちは常に見られているかもしれない、という恐れを抱いて、自分から刑務所内のルールを守るようになります。

つまり、強制していないにもかかわらず、自発的に権力に従おうとしてしまうのです。

自分の中に勝手に権力者像を作り出して従ってしまう、恐ろしいですね。

 

あなたの半径5メートルの悩みに答える「哲学」3選 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

あなたの半径5メートルの悩みに答える「哲学」3選 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

 

さらに、こうした権力関係は監獄だけでなく、社会の至る所にあるといいます。

学校や工場、職場、家庭、軍隊、病院などなど…

 

まさに見えない権力関係にスポットライトを当てたのがフーコーの思想でした。

 

規律権力は至る所にある

リフォーム, ペイント, 労働, バナー, 猫, 創造性, アート

 

規律権力は社会の至る所に発生する、といいました。

たとえば、家庭内でも親が見ているかも、という疑心暗鬼から良い子を「演じている」子どもがいるかもしれません。

あるいは、SNSでの炎上を恐れて発信を一切シャットアウトする、というのも規律権力に支配されているのかもしれません。

また、小さなコミュニティ単位だけでなく、社会全体でも規律権力は起こりうることです。世間体や正義など「正しいとされているもの」に従ってしまう。フーコー自身も同性愛者であることが今よりも奇異な目で見られた時代を生きたからこそ、規律権力に敏感だったのかもしれません。

 

では、一体どうしたら規律権力の影響から逃れることが出来るのか。

 

それは、自分自身と向き合うことだとフーコーは述べます。

 

変化を恐れずに、柔軟に変わっていくことで規律権力を打破していこう。

僕自身は、「理不尽なことでも勇気を出して変えていく強い意志を持ち、行動していくことが重要だ」というふうに解釈しています。

 

フーコーは同性愛者であることをカミングアウトし、堂々と生きる道を選びました。

 

フーコーの思想の意義

シルエット, 旅行者, 山, 光, 指, ハイカー, 分離, ポインティング, 肖像画, ナップザック

 

フーコーの規律権力の考え方は、普段見えない社会構造に光を当ててくれます。

 

何でかわからないけど、、本当は嫌だけど、、そうしてしまう。

でも、それは自分が勝手に作り出した権力者像に従っているだけかもしれません。

 

心を縛り付けるもの、メンタルブロックを解除することは大変なことです。

でも、それを意識すれば、変化させることが出来ます。

 

目に見えないものを見えるようにする。

フーコーの規律権力は、僕らを縛る何かを浮き彫りにする心強い武器だと思います。

 

今回の記事が皆さんのお役に立てれば幸いです。

それでは!

 

余談

 

今回の記事を書こうと思ったきっかけは、私学のとある労働事情を聞いたことでした。

 

 

自分を変えていけるのは、自分だけです。

社会構造に目を向け、そこから逃れるでも、変えていくでも、とにかく自分のあり方を決める意思を強く持つ、という点ではフーコー実存主義者と共通していたんですね。

  

参考

・岡本裕一郎『フシギなくらい見えてくる!本当にわかる現代思想

 

 

・田中正人『哲学用語図鑑』

 

 

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先生はジョブ型?メンバーシップ型?~先生の採用と働き方のギャップについて~

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今日はこういうお話です。

 

 

 

ジョブ型?メンバーシップ型?

ロシア, オフィス, 男性, 女性, 作業, 労働者, 複雑な, キュービクル, コンピューター, 建物

 

近年、雇用のあり方が変わりつつあります。

従来主流であったメンバーシップ型からジョブ型という雇用のあり方へと変化しつつあります。

 

違いは次の通りです。

ジョブ型雇用。一言で表すと“仕事に人をつける働き方”です。

求人の時点で職務内容や勤務地、給与などがジョブ・ディスクリプション(職務記述書)によって明確に定められており、労働者はその内容に自分の希望・スキルが合っていれば応募します。ジョブ・ディスクリプションが更新されない限り、配置転換や昇給、キャリアアップは生じません。

一方、メンバーシップ型雇用は“人に仕事をつける働き方”。

仕事内容や勤務地などを限定せず、候補者はポテンシャルや人柄を考慮に入れて採用されます。そのため、メンバーシップ型での採用は“就職”というより“就社”に近いといわれることも。昇給・スキルアップ・配置転換・勤務地の変更など勤務環境が大きく変わる制度となっている・可能性があるのが特徴です。日本企業の多くは終身雇用・年功序列とともにメンバーシップ型雇用を採用しつづけてきました。

ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用 2つの違いや今後の方向性を解説 | データのじかん

 

先生の働き方

 人, 女の子, 女性, 学生, お友達と, 研究, 学校, アクティビティ, 宿題, カラフルです, ペン

 

学校教員になるには、基本的に教員免許がなければなりません。

教員免許は中学校・高校の段階では「教科」ごとに発効されています。

 

僕の場合は、「中学校社会科」「高校地理歴史科」「高校公民科」の3つの免許が交付されています。

この免許があるからこそ、政治・経済や倫理、日本史などを教えることができる、というわけです。

 

そして、学校教員の募集は基本的に「教科ごとに」行われています。

社会科の先生、数学の先生、というように教科を入り口にして募集が行われているのです。

先ほどの2つの働き方で言えば、教科の仕事ありき(つまり授業です)で募集をかけているので、ジョブ型に該当するかと思います。

 

しかし、教員の業務は授業だけではありません。

学級担任に、校務分掌と呼ばれる学校運営(企業で言う人事や労務、法務、経理、営業、広報などです)、部活動、生徒指導、行事運営というように多岐にわたる仕事があります。

 

愚痴っぽくなりますが、私学の場合には広報がかなり重要な業務になりますので、土日がよくつぶれます。笑

そして、上記の仕事は教員になる前には余り知る機会がありません。

それゆえ、入職してから割り振っていき、徐々に仕事を覚えていくというメンバーシップ型となります。

つまり、入職前は教科ごとに採用するジョブ型の側面が強いにもかかわらず、入職後にはその他の仕事の比重が非常に強くなるというメンバーシップ型の側面が強くなってしまうのです。

個人的な経験談ですが、入職前よりも入職後に知った仕事の割合の方が大きかった時期もありました。

 

こうした入職前後での働き方のギャップは色々な問題をもたらしていると思います。

たとえば、想像以上の仕事量にまいってしまい、退職・休職してしまう方や、本来主要な業務とされていた授業が疎かになってしまう等の問題はよく聞くところです。

 

実習よりもインターンシップを、そして業務の精選を

 

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問題を改善する1つの方策としては、インターンシップの導入があげられます。

入職前後のミスマッチの原因はそもそも教員の仕事についての全体像を理解する機会があまりない、ということです。

(もちろん書籍やネットなどから十分知ることの出来る環境はありますが、それでも経験の機会があるにこしたことはありません)

学生のうちに教員の業務を経験する機会は、基本的には数週間の教育実習のみです。

 

確かに実習の学びは大きく、僕自身も実習を通じて教員の楽しさ(つらさも)味わったんですが、やっぱりたかだか数週間です。

ほとんど一過性のイベントに近く、教員の仕事の全体像は余り見えてこないわけです。

 

そこで長期のインターンシップの導入を掲げたいと思います。

多くの企業では、半年や一年程度のインターンシップが導入されています。大学生はもちろん、高校生の段階からインターンシップを経験する生徒も増えてきました。

 

しかし、学校では教育学部の授業プログラムを除いて、まだ一般的ではありません。

 

仮にインターンシップが導入されれば、学生にとっては未知なる先生の仕事を長期的に経験することができ、一方で先生にとっては業務を割り振ることになるので、働き方改革につながることになります。

つまり、win-winです。

こちらはミスマッチを改善するという目的に基づきます。

 

仕事から家庭, ロックダ, 作業, ホーム, 仕事, ルーム, 検疫, ワークステーション, 研究, ブログ

 

一方で、もう1つの方策はそもそもの業務の効率化という目的に基づくものです。

それが、業務のアウトソース化です。

 

先生個人が行う業務は教育活動だけでなく、部活動の集金や会計等などもあります。

でも、これって必ずしも先生が行わなくていいものではないでしょうか。

たとえばN校は、業務の一部をパートの方に任せているそうです。

オンラインで仕事を任せる、いわゆるギグワークで業務の一部を外部化しているみたいですね。

 

つまり、やろうと思えば出来るわけです。

アメリカの学校などでは授業担当やカウンセリング担当など、業務ごとに担当者が完全に分かれています。

どちらがいいかは一長一短だと思いますが、それでも社会全体の雇用のあり方が変わっていく中で教員だけは旧来のやり方に固執すべき理由もないかと思います。

 

分業という考えを取り入れ、それぞれが得意な分野に注力して全体としてのパフォーマンスを上げていく。こうした方向に移行するには、やはり「何をして何をしないか」業務を精選し、加えて「誰がやるべきで、誰がやらないべきか」という専門職としての業務の割り振りを考えていくべきなのかなと思います。

 

専門家なのか、何でも屋なのか、今のところ線引きは難しい…

 

近年、教員志望者は減少しつつあります。

mainichi.jp

 

背景には、日本の教員が世界で一番忙しいと言われ、「ブラック」化が進んでいることが指摘されています。

けれども、これからの教育の中心的な担い手はやっぱり教員です。

 

 

持続可能な開発目標(SDGs)が普及し、至る所で見られるようになりました。

教育業界も持続可能にしていきたい所存です。

それでは!

 

▼stand.fmもやっております!よければご視聴ください!

 

参考

川崎 祥子(文教科学委員会調査室) 「教員採用選考試験における競争率の低下― 処遇改善による人材確保の必要性 ―」参議院常任委員会調査室・特別調査室『調査と立法』

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20191101018.pdf

 

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2020年11月新刊のオススメ本まとめ【社会科学系中心・新書編】

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こんにちは、しらすです。

11月に出版された社会科学系書籍の中で「オッ!」と思ったものを、まとめます。

 

▼9・10月のオススメはこちらです。 

www.yutorix.com

 

 

政治系新書

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コロナ危機の政治 安倍政権 VS. 知事

 

 

1993年の選挙制度改革、90年代後半から2000年代前半にかけての行政改革によって首相官邸に権限が集中し、中央政府の権限が強まったといわれます。

しかし、コロナウイルス感染症を巡る対応については地方が先行し、時には国と地方が対立する場面すらありました。

その意味では、今回のコロナショックは今後の地方自治体の権限の強さを象徴するきっかけだったともいえます。

地方政治と中央政治の関係を考える一冊です。

 

文在寅時代の韓国 「弔い」の民主主義

 

 

韓国では民主主義が非常に強く、逆に裁判所や政府の方針にも国民の世論が反映「されすぎている」という指摘があります。

文在寅政権は理想主義的な政策を掲げ、国民の期待を背負って誕生しました。

その政権が今どのような姿なのか、隣国の姿を正確に理解する一助となる一冊です。

 

 

経済系新書

 

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2025年を制覇する破壊的企業

 

 

コロナショックをきっかけにデジタル化がいっそう進行しました。

有名な企業として、GAFAMやテスラ、クラウドストライク…

そして、今後5年間の経済はデジタル分野の企業が大きな影響力をもつと言います。

本書は2025年に影響力を持つ企業11社を分析し、これからの経済を読み解く一冊です。

是非オススメしたい一冊です。

 

就職氷河期世代の行く末

 

 

バブル崩壊後の就活戦線は非常に厳しいものでした。

日本型雇用慣行は不況のつけを新卒採用に回し、この時期の就活生の多くは非正規雇用にならざるを得ませんでした。

 

そして、約135万人の就職氷河期世代は今後の社会保障のあり方や格差の問題を象徴するものとなります。

今後の日本が向き合っていくこの問題をどう考えるべきか、非常に重要な一冊です。

 

給与クライシス

 

 

今、日本の雇用のあり方は大きく変わろうとしています。

メンバーシップ型からジョブ型へ、出勤から在宅勤務へ、、、

様々な変化のなかどうすれば良いのかを考える一助となる一冊です。

 

SDGs 危機の時代の羅針盤

 

 

今や企業や学校、そして政府など社会に浸透しつつあるSDGs

そのイロハを政府の交渉官とNGOの代表が語り尽くします。

 

グローバル・タックス 国境を超える課税権力 

 

 

少し前、パナマ文書が話題になりました。

世界中の富裕層が脱税をしていたわけですが、日本人はもちろん、英国のキャメロン元首相など政府の要人も脱税していたことが明らかになりました。

資本主義は必然的に格差をもたらしますが、それをある程度緩和しないと社会不安をもたらします。

その一つの手段が国際的な課税、グローバルタックスです。『21世紀の資本』が大ベストセラーとなったピケティ教授もこれを唱えています。

 

 砂戦争 知られざる資源争奪戦

 

 

水などの資源は争奪戦が始まっていますが、実は「砂」も熾烈な争奪戦が行われています。

それは、砂がビルやガラス、様々なインフラの原料になるからです。

国際政治経済を眺める一つの視点を本書から得られるかと思います。

 

「バックキャスト思考」で行こう!-持続可能なビジネスと暮らしを創る技術-

 

 

思考法の1つにフォーキャスト思考という考え方があります。

これは過去のデータなどから未来の進路を予測するという発想です。

しかし、これにより創られた未来像は過去・現在の延長線にすぎないという欠点があります。

その対になる言葉として、バックキャスト思考があります。

これは、目指すべき未来を設定し、そのために現在において何が必要か、逆算して考える未来起点の発想法です。

SDGsなどの国際的な取り決めはもちろん、個人にも応用可能な発想です。

是非オススメしたい一冊です。

 

左翼の逆襲 社会破壊に屈しないための経済学

 

 

現在の経済危機で、個人の生活は大きく揺らいでいます。

そこで著者の松尾氏はマルクスの考え方を用いて、社会設計を見直すべきだと言います。

今後の経済を考える一助となる一冊です。

 

経済学の堕落を撃つ 「自由」 VS 「正義」の経済思想史

 

 

経済学は、経世済民という言葉から来ています。

これは、民の生活を良くする、という意味で、元々人間の幸福を目指した学問が経済学でした。

しかし、経済学は次第に人間の幸福を考えなくなった、つまり「堕落」したというのです。

その堕落の歴史を経済思想史から振り返り、追求する一冊です。

 

やばいデジタル "現実"が飲み込まれる日

 

 

デジタル化が進んでいますが、そこで問題になるのは情報の真偽。

その情報が正しいのか、フェイクなのか、デジタル社会は多くの恩恵をもたらす一方で、そうした多数の問題点もはらんでいます。

これからのデジタル社会とどうつきあっていくのか、私の専門であるシティズンシップ教育とも関わる一冊ですね。

 

歴史系新書

 

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独裁の世界史

 

 

自由民主主義への信頼が揺らぎ、権威主義国家が世界中で台頭しています。

本書は、独裁という切り口で歴史を遡り、「なぜ独裁は消えないのか」というテーマを追求していきます。

現代社会を俯瞰する視座を養ってくれる一冊です。

 

アレクサンドロス大王

 

 

世界に大きな影響を与えた偉人、アレクサンドロス大王

若くして亡くなった偉人の姿を多面的な視点から追求していきます。

 

村の日本近代史

 

 

ここで言う近代化とは、国家の統治に組み込まれる過程の進行という意味です。

その手段は住人や土地の正確な把握、度量衡の整備などに象徴されますが、その起源は豊臣秀吉政権期に遡ると言います。

日本史の多面的な理解にオススメの一冊。

 

哲学・思想・社会系新書

 

アテネの芸術学校, ラファエル, イタリアの画家, フレスコ画, 1509-1512, 絵画

 

自分の頭で考える日本の論点

 

 

読書家、学者、起業家、様々な側面を持つ出口治明氏の新刊。

現在の日本が直面する㉒の論点について、どのように考えるか、その一つのあり方を教えてくれる一冊です。

魚をくれるではなく、魚の釣り方を教えてくれるのがいいですね。

 

他者を感じる社会学

 

 

人間関係が難しいのは古今東西変わらずの悩みです。

BLMやヘイトスピーチ、世界中で吹き荒れる差別の問題について学問の見地から考える一冊。

 

レイシズムとは何か

 

 

『他者を感じる社会学』同様、差別について考える入門書です。

本書は差別の要因を社会関係における権力関係に求めます。

この権力関係を分析し、自らのあり方を是正することが重要だと著者は言います。

社会には必ず権力関係が伴います。今後の人類社会のあり方を考える一冊です。

 

はじめてのスピノザ 自由へのエチカ

 

 

スピノザは大陸合理論と呼ばれる哲学一派の一人です。

スピノザの唱えた思想は「エチカ」、日本語に訳すと「倫理学」です。

つまり、彼は「どう生きるべきか」という問題について洞察した哲学者だったのです。

コロナウイルスをきっかけにどう生きるべきかを考える人が増えていると言います。

その一助にオススメの一冊。

また、本書はスピノザの入門書としても最適です。

 

教育系新書

 

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教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか

 

 

教員として働いていて痛感することですが、教育業界はモーレツに働くことでかろうじて成り立っている世界です。

残業時間が世界一長いと言われる日本の教員の世界、インタビューなどを通して問題の分析に真摯にあたっています。

教員の方だけでなく、多くの人に読んでもらいたい一冊です。

 

コロナ関連

 

ベルリン, 中央駅, ベルリン中央駅, 鉄道駅, 放棄された, 空, コロナ, Coronavirus, 鉄道

 

疫病と人類 新しい感染症の時代をどう生きるか

 

 

感染症の専門家が、過去の感染症を踏まえた上でこれからの時代をどう生きていくか、指南する一冊です。

社会構造や歴史など様々な側面から新型コロナウイルスを考察しており、これからの社会や自分自身の生き方を考える上で示唆に富んでいます。

 

新型コロナ 収束への道

 

 

第三波が来ているといわれており、感染者数が日に日に増加しています。

本書は、新型コロナウイルスがどのように収束するのか、そのシナリオについて考察しており、これからの経済を見通す上で必読だと感じました。

経済に興味がある方に是非オススメです。

 

まとめ

 

今月も面白い本が多数出版されていて、どんどん積読がたまっていきます。

しかし、人生は有限。たくさん読みたいなあと思いつつ、時間はどんどん過ぎていくのが悲しいですね、、。

 

以上、11月新刊オススメ本まとめ【社会科学系中心・新書編】でした。

皆様の読書の参考になれば幸いです!

それでは!

 

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▼過去記事です。

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