新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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なぜ自律的である必要があるのか-教育目標としての自律-

中学校学習指導要領の道徳では、その内容として自律性を養うことが項目の一つに掲げられている。道徳における自律性の必要性とは何なのかを今回は考えていきたい。

なぜ自律的である必要があるのか

自律性とは

自律性とは、自らが立てた規範に従って行動することである。つまり、他人から言われたままに行動するのではなく、自分で考えたルールに基づいて行動するさまである。

例を挙げるならば、電車の中で優先席だから席を譲るのではなく、けがなど体に支障をきたしている人や老人、妊婦に対して、余裕のある人が席を譲るという行動原理のことであろう。

自律性が求められる背景はなんなのか

自律性が求められる背景には、価値観の多様化という社会的状況がある。つまり、一人一人の考え方が多様化したことで、多くの人にとって共通している価値観が影響力を喪失した社会である。

たとえば、かつては年上を敬うという朱子学的な価値観などが多数の人間にとって常識であったが、今では必ずしもそうした価値観があらゆる世代で共有されているわけではない。

なぜ価値観が多様化したのか

価値観が多様化した理由は、共同体の崩壊それに伴う個人主義の進展にある。

共同体とは地域的なつながりである。そこでは自分たちのことは自分で賄うという自治的な空気がある。それゆえ、共同体では協力が不可欠となり、内部で分裂することは避けるべきだとされ、何らかの規範が共有される。こうした中で育てば周りの人間と似たような同質的な人間集団が形成されていく。
しかし、インターネットの発達や都市化の進展などに伴って、協力せずとも「一人」で生きていけるようになった。そして、地域の人びととのつながりを持たない人が増え、共同体が崩壊した結果、共通の規範も消失したのである。

共通の規範がないとどうなるか

このように共通の規範がない状況では、行動を起こす際に迷いがどうしても生じてしまう。例を出せば、ある行為をしたときに謝るべきなのかどうか、生徒が問題行動をした場合にそれを叱るのかどうか、というように生活におけるあらゆる場面で迷いが生じうるのだ。究極的には、どうしていいかわからずにパニックに陥る可能性すらある。

だからこそ、自律性が求められているのだ。つまり、自らが考えた抽象的な行動規範に従うことで、行為の際の指針を得ることができる。それに従えば、いろいろな状況に対応することが可能となる。

たとえば、余裕のあるものは困っている人に手を伸べるという規範を立てたとしよう。道で困っている人がいたら、周りの人が素通りしても、声をかけるだろうし、電車など他の場でもそうするだろう。

自律性を養う教育とはなんだろうか

自律性を養う教育の目標は、生徒が自らの行動原理を持つことである。その評価方法として、たとえば授業でロールプレイングを導入して意思決定をさせたり、価値観を提示して選ばせたり、といったことができるだろう。

価値観や行動原理というのは、すでに生育過程で習得しているかもしれない。経験則に基づいて行動する生徒にはこれが当てはまるだろう。一方で、何事も迷ってしまう生徒にはそもそも行動原理がない。

前者のような生徒には、自らの行動原理を言語化して認識することが効果的であり、後者のような生徒には、どのような価値観があるかをインプットし、その価値観の中から自分の感覚に近いものを選択してもらい、その後その軸に則って行動をするよう促すのが有効だろう。どちらの生徒にも行動原理を意識化し、次第に自動化するまで教師が手助けするのだ。

こうした教育活動を通じて確固たる行動原理を生徒に身につけてもらいたい。その前提として常に生徒を見て、活動に対するフィードバックを与え、入念な準備が必要なのは言うまでもない。

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生徒に自律性を養う以前に、教える教師が自律的でなければならない。

その場しのぎの回答ではなく、自らの行動規範に則り、自律的であるよう努めたい。また、教師としても、自律性を養う教育とはどのようなものか追及していきたい。