実際の教壇に立って歴史を教えていると、生徒が歴史を学ぶ意義とは何なのだろうかと考えることがある。
しかし、業務が忙しいと甘えては検討をしてこなかった。正直なところ、生徒の将来において歴史学習がいかに貢献するか、歴史を学ぶ意義は何か、そういうところでの確信が持てないから、こうした悩みが出てきたのだ。それにもかかわらず、考えることをサボってきたために授業に自信が持てない。全く持って負のスパイラルである。
ここで負の循環を断ち切るためにも、今一度歴史を学ぶ意義について考えてみたい。
歴史とはなんだろうか
そもそも歴史とは社会の変遷を記述したもの
社会の変遷の記述が歴史だとすれば、その最前線に記述されるものが現代社会ということになる。
だからこそ、歴史を学べば、現代の社会に対して相対化という視点を持つことができる。
相対化というのは、物事を一面的にとらえず、ある事柄を絶対的なものではないと捉えること
たとえば、夫婦同姓という現代における「常識」も歴史的に見れば、明治時代に制度化されたものであり、それ以前までは統一的な制度は存在しなかった。
こうした経緯を知ることで、夫婦同姓を絶対視するのではなく夫婦別姓という選択肢を持つことができるのである。
(例として夫婦別姓を持って来ましたが、私自身の立場は上記のものとは限らないことを申しておきます)
相対化ができなければ
では、もし相対化できなければ、どのようなことが起きるだろうか。現在において当たり前だととらえている常識やルールなどを絶対視すれば、それを変化させようという態度は生まれない。
ルールや制度というのは必要性があるから作られる。しかし、社会が変化すれば、その必要性自体も消えてしまう。
そうした中で存続したルールは形骸化してしまう。つまり、ルールを定めた当初の状況と現実の社会状況が乖離しているにもかかわらず、それを変化させないがために、混乱が生じたり、それによって苦しむ人が生まれるのである。まさしく手段の目的化という事態が生じてしまうのだ。
江戸時代の武士は時代の流れを読めなかった
たとえば、江戸幕府は農民からの搾取を前提として制度設計された。すなわち、農民からの年貢収入を武士が得ることで江戸幕府は成立していたのである。
武士は年貢を集めた後、それを換金し、生活物資などの購入資金に充てていた。
やがて、江戸が発展し人口が増加するにつれ、彼らの生活を支える消費財の栽培が盛んになった。つまり、米だけでなく、明かりとなる蝋や染料である藍などの商品作物の栽培が全国各地で盛んになったのである。
こうした生活必需品の価格が高騰する一方で、米の価格は上がらなかった。
その背景には享保の改革における新田開発など収穫量の増加などがあった。米の収穫量の増加は、米の価値の低下をもたらす。
そうして、価格の下がり続ける米を換金して、価格の上がっていく生活必需品を購入する武士階級は必然的に困窮していったのである。金を使う(消費する)しかないのに、金をより稼ぐ手段(生産)はほとんど限られているからこそ(戦争に伴う褒賞や収奪の機会が平和になったことで消失した)、それは不可避だった。
貨幣経済の進展という社会の変化に対して、米本位制を絶対視する幕府は時代の変化に対応することができなかったのである(田沼意次のような時代に適応しようとした改革者もいたが)。
相対化はどんな教育的価値をもつのか
相対化の視点を身につけることは、社会を変化させようという態度の獲得につながる。
社会は個々人から成る人工物であり、自らが主体的に作り替えていくものである。よりよくしていこう、よりみんなが幸せになるような社会にしよう、そうした態度が社会の一員には求められるのではないだろうか。
主体的な社会の一員を育成するためには、相対化の視点を持たせることが必要なのだ。
生徒の日常には相対化できるものであふれている。
たとえば「先輩や上司を敬う」という「常識」は朱子学に遡れるであろう。相対化の視点を持たせるには、日常の疑問を授業において取り上げ、生徒に投げかけることが重要だ。
だからこそ、教師に求められることは、現在における「当たり前」という感覚を捨て、日常的に疑問を持ち、またその疑問を調べ、考えていくことだろう。
今のニーズ・潮流を知るためにも、ニュースを見て、新聞を読み、様々な人と出会うことが重要である。そして、そうして得た情報や疑問を丹念に調べ、歴史的に考察し、その変化を生徒に考えさせる。その過程を通じて、生徒は社会認識を深めていく。
歴史を学ぶ意義
歴史を学ぶ意義は相対化の視点をもつことにある。
さらにいえば、今の社会をより深く考えることともいえる。そのことを踏まえて、これからの授業を再構築していきたい。日本史では、世界史では、地理では、政治経済では、現代社会では、倫理では、と。いったいどんなふうに相対化ができるか、考え続けていこう。