10年ひと昔、どころではない。1月ひと昔である。
社会は刻々と変化する。10年ひと昔というが、情報が氾濫し、新たな技術が目覚ましい勢いで開発される現代において変化は月ごとに起こるだろう。そうした状況においては従来の常識が通用しなくなることもある。AIの登場などによって、将来的に我々は未知の世界に突入するだろう。だが、常識が通用しなくなるのは将来の話にとどまらない。私たちは、現在進行形で常識が通用しない場面に直面しているのである。それは金融界で起こっている。
日本銀行の金融緩和政策が行き詰まっている。金融緩和政策とは、景気が悪化した場合に通貨供給量を増やし、資金調達を容易にする政策である。具体的に現在行われている政策は、2%の物価上昇率達成を目指し、国債の大量買入れなどを通じて市場に大量に資金を供給するものであり、「異次元」金融緩和と呼ばれる。
一般的に金融緩和とは日銀が銀行など金融機関から国債を買い入れ、資金を供給することである。その効果として、資金を余らせた金融機関が低金利で企業や個人などへの貸し出しを行うために、資金が循環し、景気が回復するとされる。また、好景気であれば、物価も上昇する。好景気というのは資金が企業に流れ、それが従業員の賃金へと還元され、それが消費需要の活性化をもたらすために、消費財の価格(すなわち物価)が高まるのである。同時に物価の上昇は貨幣価値の下落をもたらす。市場に大量の貨幣が供給されれば、当然のこととして貨幣の価値も下落する。
高校の政治・経済の教科書にはこのようなことが書かれている。また、経済学の教科書においても同様である。だが、そうした経済学的常識では説明できない現象が起きているのである。大規模な金融緩和が行われているにもかかわらず、物価上昇率が非常に鈍いのだ。それどころか一部の商品は下落しているのである。
金融緩和が行われれば、資金が大量に金融機関に供給される。そして、金融機関が企業や個人に貸し出すことで資金が市場に出回る。さらに、それを企業が投資に活用したり、個人が消費に用いることで、物価は上昇するのだ。ということは、物価が上昇しない理由は企業の投資や個人の消費が十分でないことが理由の一つとして考えられる。では、彼らは資金をどこへ向けているのか?
それは内部留保、そして貯蓄である。
読売新聞(6月27日朝刊)によれば
個人(家計部門)が持つ金融資産の残高は18年3月末時点で、前年比2.5%増の1829兆円だった。(中略)主な内訳は、「現金・預金」が2.3%増の961兆円で、年度末として過去最高となった。日銀のマイナス金利政策で低金利環境が続くが、日本人の貯蓄性向は大きく変わっていない。
低金利にもかかわらず、貯蓄に励むのである。企業の内部留保も増加傾向にある。
貯蓄が増える一方で、別の資金の使い道も増加している。投資だ。先ほどの記事(読売新聞6月27日朝刊)によれば次のようになっている。
「株式等」は11.7%増の199兆円と大きく伸びた。
また、個人株主が増加している。2017年度は5000万人を超え、5129万人と過去最高を記録した。2016年からの1年間で162万人の株主が増えたそうだ。
このように、金融緩和の結果として、資金が貯蓄、内部留保、投資へと向かっている。しかし、経済は生産と消費から成る。どれだけ生産・消費が活発であるかということの物差しがインフレ・デフレといった物価動向である。生産活動にも消費活動にも資金が向かなければ、当然経済は停滞するだろう。となれば、日経平均株価が中長期的に上昇しているのも、実体経済を反映したものとは思えない。余った資金が株式投資に向かって、株価を押し上げているのではなかろうか。
そんなことを考えていたところ、2つのニュースが目についた。
1つは実質賃金が上昇したというものである。もう1つは日銀の金融緩和が長期化する可能性があるというものだ。
たった一部ではあるが、企業が資金を労働者に還元し始めた。しかし、デフレ傾向が続けば、賃金の上昇は持続しない。さらには、現状通りの金融緩和が続いても、物価が上がる兆しはない。人々が消費・生産に目を向けないために、デフレ傾向が続いていく。
現在の経済状況において、定説とは異なる事態が生じている。世界は大きな変革の過渡期にあるというが、金融という面においても変化が生じている。そもそも、金融とは「人が」金を融通し合うことであり、したがって、目下の現象も社会変化の一側面に過ぎない。社会が変化しているのなら、金融という側面を切り取ろうが財政という側面を切り取ろうが、どの側面からでも社会変化を観測できるだろう。理論の「基本」をしっかり学ぶことで、「例外」を発見できるのだ。