歴史を教えていると必ず直面する課題がある。
歴史って何の役に立つの?という質問。もう就活の時に何千回と反芻し、就職してからも何度も考えた。というか生徒から聞かれる。
正直なところ、君は役に立つというたった一つの視点でしか物事をみれないの?別にエンタメとして楽しめばいいじゃん!
と思うのだが、エンタメならTikTokやらインスタやら歴史以外のものに走るのが普通である。
でもそんな疑問をもってしまうのもわからなくはない。
だって板書をノートに写して先生があーだこーだ話すだけの時間なんて、興味がない人からしたら睡眠学習でしかないのだ。
しかし、こちらも職業教師である。歴史にまず興味を持ってもらうためにはどうすればよいのか、日頃から頭を悩ませて書店をブラブラしているのである。
そんなときに出会った一冊が本書であった。
この本はあるテーマから歴史を眺めることで歴史の奥行きを伝えようという趣旨で書かれている。
日本史のツボ:内容
概要
氏のモットーは歴史のリアルを感じてもらうこと。たとえば「鎌倉武士の給料は現在で言うとどれくらいか?」といった疑問を提示したり、北斗の拳を引き合いに出して説明したりと、例えが豊富なために文章がとても読みやすい。
本書は次の7つをテーマとして通史を描いている。ちなみに7つのテーマはかなり密接に関連している。
天皇 宗教 土地 軍事 地域 女性 経済
天皇から見た通史
ここでは天皇というテーマについて見てみたい。
天皇と言えば、政治には関与せずに、儀式を行うというイメージがある。しかし、もともと天皇には王としての役割があった。
世界史的に見たとき、「王」には共通して担っていた役割があります。民から税を徴収し、大規模な治水事業を行うこと、法律を定めること、兵馬を率いて、戦争を指揮すること、神の言葉を民に伝え、神に五穀豊穣を祈ること、暦を定めること、宮廷において芸術や文化をはぐくむこと…。(14ページ)
こうした役割も、時代を経るうちに、他の勢力に削がれていき、残された役割が現在の天皇を形作ったのである。
古代における天皇
古代において天皇が果たした役割というのは大陸文化の受容、そしてそれに改変を加えて独自の日本文化を作り上げることだった。
つまり、日本ブランドの創生である
そしてそれを促進したのが白村江の戦い、
すなわち、外圧であった
外圧による天皇の施策
敗戦によって天皇は都を移したり(飛鳥から近江大津宮へ)、国防の強化を実行した。さらには日本独自のアイデンティティの基礎となるヴィジョンを打ち出した。天智、天武、持統の3天皇が行ったのはヴィジョンの提示だった。たとえば以下の4つがそれにあたる。
・天皇という呼称…中国・朝鮮とは異なる独自の存在であることの誇示
・日本書紀・古事記の編纂…天皇家と神話を結びつけることによる権威の確立
しかし、こういったヴィジョンもあくまでも理想にすぎず、実態は政策が完璧に行われていたかどうかは怪しいと本郷氏は言う。
また、外圧によって始まった改革も、唐が内乱状態に入り外圧が消えると、努力目標を政権は失っていく。そうして建前に過ぎなかった律令は崩壊していくのであった。
平安時代には摂関政治が確立し、天皇ではなく藤原氏が政務を担うようになった。
そして894年には遣唐使も廃止される。つまり、外交という国家の重要な仕事が天皇の役割ではなくなるのである。こうして天皇は権力をどんどんと失っていった。
平安時代の天皇
天皇の政治権力はそがれつつあったが、依然として経済力は握っていた。
平安時代に天皇は摂関家によって、政治的権力を奪われましたが、失われなかったのは経済力でした。それは国の土地はすべて天皇のものという律令制の建前がかろうじて守られていたからです。(23ページ)
律令制の建前とは公地公民である。
公地公民の下では全ての土地が公有地なので国家に入ってくる税金も莫大なものになる。
しかし、平安時代になると、日本の土地は大半が私有地である荘園になる。そうなれば税金も減るはずなのだが、そうはならなかった。
その理屈を理解するには職の体系という概念がポイントになる。
土地の庇護の代わりに荘園からの収益の一部が貴族や寺社などに納められる。そうした寄進先の中で最も上位の権威が天皇だった。寄進によって天皇は莫大な収入を得たのである。
その行き着いた究極形が院政であった。
しかし、院政は天皇にとっては良策ではなかった。それはかろうじて残っていた律令制の建前を自己否定することになったからである。
院政以前、天皇は摂関家に政治の実権を握られていましたが、だからこそ摂関家のように私利私欲に走らない、公を代表する存在として、「公地公民制」の頂点に立つことができていたのです。
それが白河上皇や後白河上皇のように、自分の支配下の荘園を拡大させるようになると、摂関家や寺社勢力などと同じ土俵に降りて、私利私欲による闘争に参加することを意味します。
そもそも公地公民を掲げ「この国の土地は天皇のものだ」と唱える天皇家が”私有地”を持つこと自体矛盾しているわけで、ここにおいて「律令制」は建前としても崩壊してしまったわけです。
かくて、日本全体が土地争奪戦に突入した。これが日本における中世の幕開けだといえるでしょう。(25-26ページ)
この本のいいところはこうした歴史上の転換点が強調されているところである。授業で学んだことの意義が分かるので、とてもタメになる。
中世の天皇
鎌倉時代:承久の乱をきっかけに幕府と朝廷の立ち位置が逆転
1232年、承久の乱で後鳥羽上皇が鎌倉幕府に敗北する。これによって天皇の権力は大きく減退する。
①経済力の後退…後鳥羽上皇に味方した皇族や武士の所領が没収
②軍事力の解体…天皇直属の軍隊の解体。六波羅探題の設置によって朝廷を監視
③後鳥羽上皇の配流…幕府が刑罰を課す側に
このように逆転した立場を戻そうとしたのが後醍醐天皇だった。
鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇はかつての天智、天武天皇のようにヴィジョンを掲げた。
しかし、後醍醐天皇の行った建武の新政は失敗に終わり、また武士が政権を担うようになる。
しかし、武士の権力が強力だったとはいえ、依然として幕府にとって天皇は不可欠だった。
それは室町幕府が土地の権利をめぐる論理として職の体系を超える論理を構築できなかったからである。そのため、天皇家を滅ぼしてしまえば、土地をめぐって混乱が生じてしまう。こういう危機意識が幕府上層部にはあった。
権力を失い、王としての面影がなくなった戦国時代以降
職の体系に頼らないシステムができたのは戦国時代だった。その代表例が織田信長だ。
権利関係が天皇ではなく、戦国大名に一元化される。もう天皇は土地を保護してくれない、無用の長物となった。
その結果、天皇が経済的な利権を失い、じり貧になっていく。葬儀代すら出せない天皇も出てくる。
そして江戸時代には天皇は完全に江戸幕府の統制下におかれる。外出すらも幕府の許可が必要だった。
しかし、明治維新の際には天皇が再び「王」としての役割を期待され担ぎ出される。
このように天皇は時代に翻弄されてきたのだった。こういう歴史的視点をもって生前退位など現代のニュースを見れば、普段とは違った考えに至るかもしれない。
本書には天皇以外にも6つテーマがある。どの章も読みごたえがあり、
今を見る視点を提供してくれる。
歴史学は「むかし」との比較を通じて「いま」の特質を明らかにしてくれます。僕たちが当たり前だと思って疑問を抱かずにいる「いま」の位相を改めて示すことにより、それを改善するためのヒントがおのずと生まれてくるはずです。(220ページ)
昔の記事で書いたが、歴史を学べば、現在の事象を相対化する視点を手に入れることができる。
と偉そうなことを述べてみたが、まず私に課せられた使命は今の授業のあり方を見直して、2学期からの授業を考えることである。
ああ夏休みが終わってしまう。