去年の暮れのことだった。冬休みでダラダラとツイッターを見ていたら、衝撃が走った。
考えさせる日本史の加藤公明さんの授業を実際に受けるという得難い経験をしました。感想をつぶやいていきます。一言で言うなら「職人芸で真似できるイメージすらわかない」です。教材が簡素でありながら深い学びになる授業展開をしていくのは純粋に授業力が高すぎます。
— よーへいさん (@you5he5she) 2018年12月27日
思考力を伸ばす授業って何だろうか、と思っていた矢先のことだった。
すごい…という感覚以外なかった。
このツイートをきっかけに、加藤公明先生の実践に興味を持った。
気になったのでよーへいさん(@you5he5she)にDMを送ったところ、授業中のメモをいただいたので、ここにまとめてみたい。
加藤公明先生について
加藤先生は大学院まで日本史を学び、その後千葉県の県立高校で教員になった。以後37年間高校の教壇で日本史を教え続け、現在は大学で客員教授としても教えている。
その実践について
加藤先生が行っているのは「考える日本史授業」だ。
自分が楽しく勉強していた歴史の授業を生徒はつまらなさそうに受けている。もっと楽しんでもらいたい、もっと主体的に学んでもらいたい、そういう思いから生まれたのが「考える」授業である。
その手順は以下の通りだ。
- 資料を配り、問題を提起する。
- まずは個人で考え、その後、全体で問いを共有していく。
- 各自の問いを基にそれぞれが仮説を立てる。
- 仮説を検証し、そこから得た解からさらに問いを発展させる。
足利義満の絵画史料からペアワークでなんだろうを探せ!という課題から入りました。これって質問づくりと手法的には同じです。そして、全体共有をしていきました。質問が作れない生徒向けに「将軍なのに〇〇で変だな」と〇〇に入る言葉を考えろと足場がけも巧みです
— よーへいさん (@you5he5she) 2018年12月27日
加藤先生は質問づくりが苦手な生徒にもプロットを用意して、きちんとフォローしている。主体的に学習に向かうには丁寧なフォローが必要だ。そのためには、生徒がどこでつまづくか教員の理解が欠かせない。
ペアワークで出てきたものを9組ほど出てきたものを全て教えてくれと全体共有。そうすると重複含めて30ぐらいの質問が出てきます。そして、残り時間でその疑問に資料を読解しながら答えていくというスタイルでした。この部分は、一斉講義のようで生徒が自発的に言いたい場ができていた
— よーへいさん (@you5he5she) 2018年12月27日
この取り組みのすごいところは、問いが生徒によって作られているという点である。教員が問いを提供しても、それは生徒にとっては考えたい問いとは限らない。
自らが問いたいことを考え、それを検証していく。生徒の内在的な知的欲求を満たすような試みがこの授業の特筆すべき点であろう。
思考は問いから始まる。問いによって思考は駆動し、考えは発展していく。そして、語ることで考えは形になり、対話がはじまる。対話によって思考はさらに深まっていく。
実践の問題点
問題点として、よーへいさんがこんなことを言っていた。
加藤公明先生の実践の問題点は、個人で深める時間が希薄な点と生徒が質問を出したものを答えると言う授業展開のためワークシートを作れないため形に残る成果物を生みにくい点でしょうか。
— よーへいさん (@you5he5she) 2018年12月27日
確かに自分一人で考えるという点、そして教材の保持という点からはこの授業は物足りないと思う。
けれども、思考は一人だけだと行き詰まることが多い。修士時代、研究室に閉じこもって一人で考えていても考えが煮詰まることが多かった。だが、友人と議論すると「あっそういうことか!」と考えが明確になることが多かった。対話は時に思考を深めてくれる。
また、生徒の知りたい!という思いから始まり、それを満たすような授業は生徒の性質に左右される。生徒の自由な発想を重視するならば、仕方ないのだろう。
加藤先生の実践には限界もあり、一方で大きな効果もある。よーへいさんの指摘がなければ、批判的に見ることができなかったかもしれない。
自分の思い
対話型実践に取り組んでみたいと思っていたところで、こうした授業に触れることができたのはとてもうれしいことだ。
加藤先生の実践の良いところは
- 生徒が自発的に問いを出しているところであり、問いが思考の出発点だとすればスタートラインをしっかりと整備している。
- しかも、その問いは教師が提供したものではなく、生徒が出したものであって、ここではイヤイヤ勉強するということはあり得ない。
- ただ、材料を提示して、そこから考えるという点で思考の範囲は限定的であり、ある意味で強制的に題材を考えねばならない。日本史嫌いにはつらいかもしれない(考える誘因がない)。
問を立て、仮説を設定し、それを検証し、そこから得た解からさらに問いを発展させる。思考のサイクルが授業の中でぐるぐると回っているのだ。
この授業では、問いを出し、仮説を立て、検証していくプロセスは生徒と教師が協力的に行う。時に教師がヒントを出したり、あるいは生徒が問いの取り組みに参加できるようフォローを行う。
自由な発想を重視し、探究のサイクルを稼働させ、生徒が歴史に向かっていくような試みがなされている。ある程度方向性が限定されているとはいえ、学びがどこに向かうかはわからない。
こうした授業を行うには、教師に以下の要素が求められると思う。
- 幅広い観点から問いを作り、仮説を立て、それを検証できる思考力。
- 教材に対する十分な理解と圧倒的な知識量。
- 問いかけや議論を進めるファシリテーション能力。
加藤先生のように生徒の考える力を伸ばしていきたいなあと思う。
理想の授業に向かって、日常的にこつこつと実践を積み重ねていきたい。
最後に、こうした気づきを得ることができ、さらにはブログでの引用を快諾してくれたよーへいさんにこの場を借りて感謝を申し上げたい。
ありがとうございました!