新卒教員の教科書

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新卒のあの頃の自分へ向けたメッセージをつらつらと書いております。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みによるブログ。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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しんどい働き方からバイバイ-木暮太一『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』星海社新書

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あれは働き始めてしばらくたったころのことだった。

 

僕はなんのために働いているんだろう。

 

仕事が重なってとてもつらかった時期がある。

そんな時にふと浮かんできたのが、自分の働き方への疑問だった。

 

幸いなことに何とかほどほどには仕事をこなせるようになった。ただ今なら笑い話にできるけれども、あの頃の辛さを再び繰り返さないという保証はない。

しんどくなると、世界はたちまち灰色になる。

 

あれだけ楽しかった授業準備も、授業も、今ではしんどさに拍車をかける邪魔者以外の何物でもない。

 

つらい。でも、給与はそんな高くない。本当に何のために働いているのだろうか。

 

見える世界がグレーになれば、出てくる言葉もネガティブなものになる。思い起こせば、当時(とはいってもほんのちょっと昔の)の僕は愚痴ばかり言っていた。

 

この本を読んで、当時の記憶がよみがえってきた。と同時に、その時の僕に欠けていたものが見えてきた。

 

 

本書『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』は、何のために働くのか、QOLが上がる働き方を模索する上でナビゲーションになる本だ。


僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

  

給与はどうやって決まるか

グローバル化の流れの中で成果主義を導入する企業は多い。

ただ日本型雇用慣行の一つ、年功序列型賃金体系を採用している企業は依然として多いだろう。教育界は言わずもがなだ。

というか、教育に成果主義は合わないと思うが。

 

この本では年功序列型の企業でどのように給料が決まるか、マルクス資本論をベースに解説している。

曰く、僕らは企業に労働力という商品を提供している。

商品の価値は2つに分けられる。「価値」と「使用価値」だ。

そして、給与は価値をベースにして決められる。

では、そもそも「価値」と「使用価値」とは何なのだろうか。

 

「価値」とは、それを作るのにかかった手間で換算される。

もう少し詳しく言えば、「必要な原材料の価値の積み上げ+加工する労力(労働力の価値)」が商品の価値のこと。

これをおにぎりに例えれば、必要な原材料は米やノリ、そして具材だ。一方で加工する労力とはそれを握る労力のこと。これを足したものが商品の価値となる。

 

では、これを人間に例えるとどうなるか。

まず必要な原材料の価値の積み上げとは、次の日もまた次の日も元気に働くのに必要な資源のことだ。たとえば、食事や睡眠、住居、余暇の代金である。これら賄うために企業が負担する費用を労働の再生産コストという。ざっくり言えば生活費だが、社会一般的に(この本が書かれた2011年における社会通念としては)生活費は年を追うごとに高くなる。それは人生のライフステージを経るごとに関わる人が増えるからだ。結婚すれば妻を支え、やがては子を、そして孫を養う。そうなると生活費は高くなっていくだろう。基本的に年功序列型の日本企業はこの考え方に基づいて給与が上がっていく。

 

そして、もう一方の労働力の価値である。これは今までどれだけ自分がその労働力を身につけるのに時間を費やしたかで変わる。たとえば、おにぎりをただ握るだけの仕事と弁護士ではそれまでに身につけるべき知識・スキルが大きく異なる。だから、医者や弁護士など難関の国家資格を必要とする職は給与が高く、一方で単純技能のみを必要とする職の給与は低い。というか、自分自身に内在化された「原料」と捉えれば、スキルや知識・経験は前者の原材料に含まれるかもしれない。

 

さて、次は「使用価値」である。これは「その商品自体が役に立つ 」という意味である。たとえば、パンの価値は「食べた人の空腹感を解消する」である。

僕らは企業に役に立つ使用価値を提供しているのだ。

 

でさらに、給与を決める要因がある。それが需要と供給の関係である。

労働力市場において、成果を出している人は多くの企業からリクルートの対象となる。つまり、需要が多くなる。すると希少性が高いから給与は高くなる。

けれども、成果を出していない人は求められない。需要が少ない。だから、給与は高くはならない。

 

けれども、ベースは労働力の「価値」で給与が決まっているから、需要が少なかろうが、給与がこのラインで決まった値を大きく下回ることはないのだ。

 

しんどい働き方

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
ぢつと手を見る

 

僕らの給与は価値ベースで決まっているといった。

 

だから、いくらがむしゃらに働いて成果を出しても給与は大幅には変わらない。あくまでも年功序列だから。

たとえば、頑張って残業してまで高い成果を出しても、確かに給与は上がるけれども、その分労働の再生産コストも上がる。

もし体を壊してそこから回復しようものなら、医療費なり療養費なり様々なコストがかかる。地位に応じて付き合いが増えれば、その分交際費が跳ね上がる。

 

結局、労働の再生産コストを上げて売り上げ(つまり給与)を増やしても、利益(給与からコストを差し引いた余り)は変わらないのだ。

 

めざすべき働き方

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では、どのような働き方をめざせばよいのだろうか。

 

筆者が提案するのはこうだ。

 

労働力の価値を使って稼げ。

 

どういうことか。

つまり、がむしゃらに働いて労働の再生産コストを上げるのではなく、労働力の価値を上げよう。そのために、知識・スキル・経験を身につけよう、と言っているのだ。

 

そして、そのためのマインドとして

 

労働力を消費するのではなく、投資する

 

という考えが必要だと言っている。

自分の労働力を投資できる仕事とは、その経験が「将来の土台を作る仕事」です。一方で、目先のキャッシュを追い求める仕事とは、自給は高いが「将来に何も残らない仕事」です。

 

教員における成果というと、あまりよくわからないが、労働力の価値はわかる。

それは授業準備、校務分掌・学級経営等の経験、教育理論・教科の知識などの蓄積だろう。

僕は新卒だから、こうした蓄積が皆無だった。毎日ヒーヒー言いながらプリントを作り、パワポを作り、授業を考えていた。それに校務分掌や部活動が重なった結果、退廃的になってしまったのだ。

 

こうした蓄積を日々積み重ねていくことで、労働力の価値は上がっていく。時間が少なくなっていけば、時間給で換算するとかなりの稼ぎ手となる。

 

だから、この本を読んで僕はこう変わった。

1つは、自分に振る仕事が価値(資産)となるか、否かという視点である。

基本的には学校というのは前例主義だから、すべての仕事をメモするのは当然にしても、それが資産となる仕事かどうかを考えて、頭の中でランク付けするようにした。

2つ目だが、資産にならないような仕事ならスピーディーにとっとと終えて、資産となるようなことに時間を使うようになった。それも意識的にだ。

 

自分は考える教育を施したい。そのためには今のままじゃ知識もスキルも足りない。だから、できるだけ教材研究に時間を費やし、業務はなるべき早く終えるようにし、読書に時間を費やすようにしているのだ。

 

 だから、今はしんどい。けれども、楽しい。充実感がある。

それは将来の理想の自分に向かって、着々と自分の価値を高めている実感があるからだ。

 

我日に我が身を四省す

 論語の一節に、「吾日に吾が身を三省す」という言葉がある。

その日1日を振り返って、自分が正しい行いをしたかどうかを確かめるために3つの問いを自分に課すのだ。

 

1.誰かのために真心を尽くしたか。

 

2.誠実に友人に接したか。

 

3.自分がわかっていないことを相手に伝えていないか。

 

僕はこの反省にもう1つ問いを足してみたい。

 

資産を作る仕事を、今日はどれだけやったか?

 

今はつらくても、10年後、その仕事は大きな土台になる。

今までの積み重ねで賢く仕事をしていこう。

  

ちなみにこの本は一般企業を想定しているので、すべてを置き換えて教育業界に当てはめるのは無理があると思いました。それとマルクス資本論がベースになっているので、抽象的な話が続きます。リアリティを感じるには、仕事始めの社会人だったり、まじめに仕事を考え始めた就活生が読者として適しているかもしれません。