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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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立憲主義は果たして勝利したのか?-長谷部恭男『憲法とは何か』

 

 

たまには憲法についての本も読んでみよう、ということでドストレートなタイトルの本を手に取った。

 


憲法とは何か 岩波新書 / 長谷部恭男 【新書】

 

立憲主義とは何か?

立憲主義に基づく憲法

そもそも憲法と言えども様々な形のものがある。

我々が当たり前とする憲法立憲主義に基づくものをいう。では立憲主義とは何か?

立憲主義とは、近代国家の権力を制限する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区分を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。(69頁より)

 

そして立憲主義に基づいた憲法を立憲的意味の憲法という。

この憲法の下では、

政府を組織し、その権限を定めると同時に、個人の権利を政府の権限濫用から守るため、個人の権利を宣言するとともに、国家権力をその機能と組織に応じて分割し、配分する(権力分立)。(70頁より)

制度的には硬性憲法違憲審査制が採用されている。だが立憲主義において重要なことは、のちに述べるが、あくまでも多様な価値観の公平な共存である。

 

どのようにして立憲主義はできたのか?

立憲主義という思想が生まれ、普及したのは2つのきっかけがあった。それはヨーロッパの悲惨な経験と外界との交流である。悲惨な経験とは大規模な宗教戦争、いわゆる30年戦争である。中世においては生活規範から日常の行動に至るまでキリスト教の影響を受けていたが、この戦争を通じて人々は「絶対的に分かり合えない思想」があることを悟る。また、時を同じくして大航海時代が始まっていた。世界中の人々との交流は新たな発明や考えをもたらす。これらがヨーロッパにとっての原体験となり、近代立憲主義は生まれた。

 

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誰しも自らにとってかけがえのないもの、世界観がある。自分にとっての世界の意味をかけての対立が起こってしまえば、簡単に譲歩するわけにはいかない。それはたちまち血みどろの争いへと発展する。比較不能な価値観をめぐる争いは絶えない。宗教に根差す紛争は、30年戦争の時代ではなく、現在においてなお世界中で絶えないことを鑑みれば当然であろう。

 

しかし、社会が持続可能であるためには、比較不能な価値観を人々が持とうとも、お互いの存在を認め合い、共存する枠組みが必要である。人々が共存するための社会生活の枠組みが立憲主義であり、そこでは公と私の領域が厳格に区分される。

 

私的な生活領域では、各自がそれぞれの信奉する価値観・世界観に沿って生きる自由が保障される。他方、公的な領域では、そうした考え方の違いにかかわらず、社会のすべてのメンバーに共通する利益を発見し、それを実現する方途を冷静に話し合い、決定することが必要となる。(10頁より)

 

死ぬほど大事なので強調したい。

そもそも多元化した社会における共存が立憲主義の目的だったのである。 

 

だが筆者は立憲主義を「人々に無理を強いる」枠組みという。

自分にとって本当に大切な価値観・世界観であれば、自分や仲間だけではなく、社会全体にそれを推し及ぼそうと考えるのが、むしろ自然であろう。しかし、それを認めると血みどろの紛争を再現することになる。多元化した世界で、自分が本当に大事だと思うことを、政治の仕組みや国家の独占する物理的な力を使って社会全体に押し及ぼそうとすることは、大きな危険を伴う(10頁より)

 

立憲主義の下では、特定の価値の押しつけは許されないし、もし押し付けようとすれば反発が起こるのは必定である。

しかし、歴史的に特定の価値の実現を目指して起こった思想・運動があった。共産主義ファシズムである。立憲主義が現在もなお各国の根本的な原理として採用されたのは、共産主義ファシズムとの戦いを経てからのことだった。

 

正統性をめぐる三つ巴の争い-立憲主義ファシズム共産主義

戦争とは国家権力の正統性をめぐる争いである。

国家権力の正統性をめぐる争いとは

いかなる国家形態が、国民全体の安全と福祉と文化的一体感の確保という国民国家の目標をより達成しうるかをめぐって諸国が相争う闘争状態(42頁より)

である。

 

ファーストラウンド:第二次世界大戦

第1次世界大戦後、正統性に関わるイデオロギーを争った敵対勢力は3者あった。

リベラルな議会制民主主義(リベラル・デモクラシー)、ファシズム共産主義である。この3者が第1次世界大戦後に各国の憲法を決定するモデルとなった。

ここでいうリベラルな議会制民主主義とは立憲主義に基づく議会制民主主義国家のことである。

立憲主義が多様な価値観の共存を図る一方で、ファシズムは民族、共産主義は階級という同一性を民衆の中に求める。後者の体制で見られたのは特定の価値観の押しつけであった。

 

第2次世界大戦を通じて連合国(すなわち共産主義陣営とリベラルな議会制民主主義陣営)はファシズムを粉砕する。日本の憲法アメリカに書き換えられることでその神寧に加入し、ドイツは東西で別々の陣営に属することになった。

 

セカンドラウンド:冷戦

その後、アメリカとソ連を中心に冷戦がはじまる。

冷戦は、異なる憲法原理、国家権力の異なる正統性根拠を掲げる二つの陣営の戦争状態であった。表面的には、それは市場原理に基づく資本主義陣営と共産主義陣営の対立と見えたかもしれない。しかし、資源の配分方法に関する対立は、そもそもの憲法的対立から派生する二次的対立にすぎない。体制の正統性をめぐる対立であったからこそ、相互の「殲滅」の理論的可能性をも視野に含めた軍事的対立が現出した。(52-53頁より)

 

殲滅をも視野に入れた軍拡競争はソ連の疲弊によって終焉した。ソ連憲法の変更に同意し、共産主義から議会制民主主義を採用することに合意し、ここに国民国家憲法原理をめぐる長い長い戦争は終わりを告げた。

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冷戦終結の意味するところは、リベラルな議会制民主主義、つまり立憲主義共産主義に対する勝利である。ベルリンの壁の崩壊は東側諸国への立憲主義の普遍化をもたらした。立憲主義はその敵の排除に成功したのだ。立憲主義に基づく憲法原理の拡大はEUの東方拡大の下地になっているのだろう。 

 

立憲主義(議会制民主主義)の勝利?

ここから立憲主義はあくまでも体制の原理であって、体制同士の対立を調停する概念としては有用でないことがわかる。

また、勝利は正統であることを必ずしも意味しない。その憲法原理から派生した「資本主義」が「暴走」し、その「終焉」が叫ばれている。格差の拡大などの社会矛盾が噴出し、先進各国国内での対立は分断という形で急進化している。共存ということを争うことなく互いを認め合うという意味で解釈すれば、どれだけその正統性を声高に主張できるのだろうか。

 

一方で、その成り立ちを見てみれば大いに可能性もある。比較不能な価値観が多くありつつも、互いに社会生活を営む機会やコストを分かち合う社会的枠組みを構築しなければいけない。そういう共通認識を人々が持ち、立憲主義が生まれた。個人化が進み、ますます多様な価値観にあふれている現代社会。共存のためには価値観の調停は不可欠である。立憲主義にはそのヒントがあるのではないだろうか。

 

さて、あらためて立憲主義の成り立ちを見て終わりとしよう。

人としての正しい生き方とは何か、なぜ自分は存在するのか、なぜ宇宙はあるのか、という問いへの答えは、人の生の意味、そして宇宙の意味を決定する。こうした問いに対する両立しない複数の立場が相争うならば、それは相互の生と死をかけた闘争へと至るのが自然である。立憲主義とは、こうした永続する闘争に終止符を打ち、お互いの違いを認めつつ、なお社会全体に共通する利益の実現を求めて、冷静に討議と決定を行う場を切り開くプロジェクトであった。近代立憲主義を生み出したのは、血みどろの宗教戦争から抜け出そうとした近代ヨーロッパの知恵と経験であり、その梯子とされたのが、個人の自己保存の権利を、信仰のいかんにかかわらず誰もが承認する自然権だとするグロティウスやホッブズ等の提唱した自然権論である。(中略)…「近代ヨーロッパは、正しい信仰にかかわる戦いから逃れるために、中立的な基盤そのものを探し求めようとした」(179頁より)

 

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