去年読んだ本をもう一度読み直しています。
今回はこちらです。司法権に関する入門書です。
ざっくり内容
裁判所ってどんなところ?
「裁判所ってどんなところ?」
本書のタイトルに答えることは実は意外と難しいです。
通常であれば、「裁判を行うところ」と答えるでしょう。
しかし、それでは十分ではありません。
司法権とは国家権力の一部が行政権や立法権と分離したものです。この三権分立の考えは市民革命以降に出てきたものです。司法権の担い手に裁判所がふさわしいとされました。
しかし、裁判自体は有史以来おこなわれてきました。
裁判は社会の紛争を解決するものです。古くは王や貴族、役人によって、つまり行政府の人間によって行われてきました。その意味で、遠山の金さんは裁判官ですが、所属は江戸幕府という行政府であり、役人にすぎません。
行政府と裁判権が結びつけば、裁判を受ける側にとってはリスクしかありません。為政者にとって都合のいい人間であれば見せしめの裁判となるでしょう。当然、人権は保障されません。単純に裁判を行う場を裁判所とすることが適切でない理由はここにあります。
したがって、人権を保障するためには行政府から司法府が分離している必要があります。ちなみに、行政府は立法府による法律に基づいて運営されているので、立法府とも司法府は分離される必要があります。つまり、司法権の独立が裁判所にとって極めて重要なのです。
ここで裁判所とはどんなところか?という質問に対しては、
司法権の独立が保障され、公平性や公開性が担保された、人権保障のための裁判を行う場が裁判所
と言えます。
裁判所の歴史-戦前・戦後
明治時代、日本は西洋化を遂げ、急速に西洋法制の導入に努めました。
ところが今まで律令を手本としていましたから、なかなか整備が進みませんでした。
その転換点となったのが、1991年の大津事件でした。
この事件は日本が司法権の独立を確立したといわれる出来事でした。
しかし、明治末期ごろには社会主義や無政府主義が浸透し始め、裁判所が思想統制の機関として利用されるようになっていきました。
1910年の大逆事件、1925年の治安維持法など危険思想の統制という形で政治権力としての側面が強く出ていました。
やがて太平洋戦争が終わり、GHQの占領によって権利保障的な裁判所へと生まれ変わります。
戦前の人権は法律の範囲内での保障でした。これを法律の留保と言います。しかし、戦後の日本国憲法では人権は憲法による保障とされ、ワンランク保障の度合いがアップしました。
そして、果たして人権が保障されているのか、侵害されていないかを司法府がチェックするために導入されたのが違憲立法審査制でした。
戦前は法律の留保ですから、人権保障の担い手は議会です。しかし、議会が歯止めをかけられず、結果的に人権侵害が起きてしまいました。そして、戦後は権利保障の拠り所として裁判所が位置づけられたのです。
裁判所の原理は民主主義と自由主義
このような司法府による行政の監視は三権分立の中でどう位置付けられているのでしょうか。
裁判所は法の番人と言われます。
果たして法律通りに行政が実施されているのかを監視することが一つの役割です。これは法律による行政の支配を徹底させるためであって、法による行政の実現を目指すものです。
法律は立法府の意思によるものであり、さらに立法府は国民の意思を反映しています。したがって、法律による行政の支配を徹底させることは国民の意思を行政にしっかりと反映させることなのです。
この点で、民主主義の原理に基づいて三権は構築されており、司法府はその監視機能を担っているのです。
では、民主主義原理だけが裁判所の行動原理かと言えば、そうではありません。
民意の反映は人権保障と一致するとは限りません。
古代ギリシャの民衆裁判でソクラテスは命を落としました。魔女狩りは民衆による民間裁判的な側面もありました。
前述のとおり、裁判所の本質は人権保障にあります。人権を保障した上で紛争を解決することがその役目です。
ですから、時には国民代表の意思を否定することもあります。
それが違憲立法審査権なのです。
こうした人々の自由を守るという点において、裁判所は自由主義的な側面も有しています。
ですが、これはあくまでも理想的な司法の役割です。
現実には司法権は行政の監視を躊躇しがちです(日本においては)。
政治的な問題に対しては裁判所は憲法判断をしないという統治行為論というものがあります。
とくに安全保障の問題に関しては裁判所は憲法判断を避けてきました。
その結果、自衛隊や米軍に関しては全く統制ができていない状況が起こっています。
憲法の前文には平和的生存権があります。本来の裁判所の役割を考えれば、人権保障が第一ですがこの権利は判例で否定されています。
その一方で同じ裁判で争われた自衛隊の合憲性に関しては言及していません。
こうした課題はあれども、司法には高邁な理想があるのです。
おすすめポイント
裁判所とは何かということを原理的、歴史的に説明しているため、体系的に司法権に関して理解できる。
特に近代的な司法権が整備される前後の対比は非常に理解を深めてくれる。
おすすめの方
著者も述べていますが、中高生や大学生、そして法学部出身ではない社会科教員向けに書いているそうです。
具体例が豊富で理解しやすく、また平易な言葉で書かれているので学生にお勧めです。
また学び直しの社会人にも向いていると思いました。
授業で活用できそうなアイデア
司法権の歴史的説明は導入として使えそう
(例:江戸時代の遠山の金さんは裁判官か?というような発問。 これによって政治権力から司法府が独立していることが近代司法の要件であることが理解できる)
統治行為論の説明
(平和的生存権との兼ね合いで、それが判例でないがしろにされたというのは単純な暗記を避ける意味でいい説明)
西洋法制と東洋法制の違い(東洋は法による支配、西洋は法の支配)
まとめ
誰だったか、三権の中で司法権は最も閉鎖的と仰っている方がいました。
裁判中は写真も撮れないですし、昔はメモも取れませんでした。
司法官僚的な側面が強く、前例主義で動く組織です。
しかし、2009年には裁判員制度が導入され、裁判所にも市民感覚が反映されるようになりました。
また起訴処分を市民が決める検察審査会制度も実際に機能し始めています。
我々の生活からは見えづらい司法の世界へ素敵な筆致でいざなってくれる、そんな入門の書が今回の本でした。