意味のない会話がキライでした。
ダラダラと内容のないことを言われると、
「こいつは何が言いたいんだ?」
とイライラしてきます。自分の時間が奪われている感覚になるのでしょうかね。
しかし、教師という職業は人との会話は避けられません。
他の先生方を見ていると、生徒と他愛のない会話をして、談笑しているのを見るとうらやましくなることが多かったです。
なぜなら、私は意味のない会話を嫌ってきたために、意味のない会話をふっかけることをしてこなかったからです。
大人になって
意味のない会話の重要性
— kota atsumi (@jetatsumi) April 7, 2019
特に自己肯定感の低い子は、教員の「褒め」は「媚びてくる」と感じたり、「叱り」を「人格否定」と感じたりすることがあります。良い意味では感受性が強いとも言えます。
ですので、4月から5月の時期は、「意味のない会話」を多くして、まず関係を作ることが大切です。
思い返せば、学生時代の私はこのツイートにあるような子でした。
斜に構える、世の中を穿ってみる、そういう子です。
大人になると、接触する相手は選べません。僕と同じような子がいても話しかけづらいわけです。というのも、反応が薄いから何を考えているのかよくわからない。
「意味のない会話」はせずに、何か伝えることがあるときに生徒に話しかけていました。
そうして会話を避けてきた結果、コミュニケーションへの自信のなさが残ってしまいました。
コペルニクス的転回
日和や季節についての会話や、女子高生同士のサイダーのような会話も、しばしば「内容のない会話」の例として槍玉に挙げられる。しかし、交わされる言葉の内容そのものにはあまり意味が無くても、言葉を交換しあい、話題をシェアっているということ自体に、大きな意味がある。
言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
人間は、「私はあなたの存在を意識していますよ」「私はあなたとコミュニケーションする意志を持っていますよ」と示し合わせておかないと、お互いに不信を抱いたり、不安を抱いたりしやすい生き物だ。だから、会話内容がなんであれ、お互いに敵意を持っていないこと・いつでもコミュニケーションする用意があることを示し合わせておくことが、人間関係を維持する際には大切になる。
意味のない会話にも、意味はある。
人は一人では生きていけません。ましてや教員はチーム戦ですから、チーム同士の連携が必須です。そして教員は生徒や保護者との関係構築能力が非常に重要です。
関係を作るにはコミュニケーションをとることが大事で、その手段として意味のない会話を積極的にすることが大事なのです。
こうした効果をザイオンス効果(単純接触の原理)というそうです。
では、苦手な自分はどうしたらうまくできるようになるのか。
一番良いのは、子ども時代から挨拶や世間話を毎日のように繰り返して、そのことに違和感をなにも覚えない状態で育ってしまっておくことだと思う。毎日挨拶ができること・世間話を楽しむことには、文化資本(ハビトゥス)としての一面があるので、物心つかない頃からインストールしてしまっているのが一番良い。
だが、一定の年齢になってしまった人の場合は、自分の力でコツコツと身に付けていくしかない。その際には、会話の内容だけでなく言葉を交換すること自体にも重要な意味があることをきちんと自覚して、「こんな会話に意味は無い」などと思ってしまわない事。それと、そういう会話を上手にこなしている人達を馬鹿にするのでなく、社会適応のロールモデルとして、真似できるところから真似ていくことが大切なのだと思う。
そしてもし、今の職場で挨拶や世間話をする機会が乏しいなら、そのままほったらかしにしておかないほうが良い。世の中には、挨拶や世間話をする機会が非常に乏しく、業務上のやりとりだけの職場も存在するが、それをいいことに言葉の交換をおざなりにしていると、じきに「空っぽのコミュニケーション」ができなくなってしまう。そのような人は、職場以外でもどこでも構わないから、挨拶や世間話を実践して、「空っぽのコミュニケーション」ができる状態をキープしておいたほうが良いと思う。いざ、「空っぽのコミュニケーション」が必要になった時、慣れていないととっさに出来ないものだから。
周りの人を観察し、コミュニケーション強者から吸収していこうと思います。
まずはたくさんしゃべる機会を自分から作っていこうかな…。
殻を破ろう
https://pbs.twimg.com/media/D3XadooUYAA0xPi.jpg
居心地の良い環境に居続けることは精神の安定に不可欠です。でも、それが殻にこもることを意味してしまうことも。
だから、殻を破っていくことで成長していくと思うのです。
生徒に対して苦手を克服しろという前に、自分が苦手に克服する姿勢をもとうと思います。
それでは。