新卒教員の教科書

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新卒のあの頃の自分へ向けたメッセージをつらつらと書いております。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みによるブログ。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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橋下徹氏の発言に見るこの国のリーダーたち

 

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一匹の妖怪が日本を徘徊している、分断という妖怪が。

最近、分断社会というキーワードを目にすることが増えた。

 

さて、橋下徹氏のツイートが注目を集めている。

 

 

 

 

東洋と西洋で異なる為政者観

 

王さまはどうあるべきですか?

 

読者の方はこの質問にどう答えるだろうか。

 

というか、この問いを発すること自体が、すでにある価値観を前提としている。

それは東洋的な為政者観である。

 

東洋の王の理想像は徳をもった君主である。

すなわち徳のある王が統治すれば、安寧な社会が訪れる、という社会観、為政者観である。

 

一方で、西洋はどうしようもない王を殺してきた歴史をもつ。

(もちろん易姓革命を正当性として、愚鈍な王を殺してきたのは東洋も変わらないが)

 

その根底には権力を有する者は暴走する、という価値観がある。

だからこそ、権力同士が監視をしたり、被治者が治者に対して監視をするというプレコミットメントの発想があるのだ。

 

何故こんな話をしたのか、というと橋下徹氏の発言から現代日本の主要なリーダーの姿が浮き彫りになってきたからだ。

 

橋下氏の発言から見えてくるのは

 

橋下氏といえば、前大阪市長であり、その前には大阪府知事を全うした胆力の持ち主である。

私の世代の橋下氏のイメージといえば、「テレビに出てるチャラい弁護士」だった。

しかし、能ある鷹は爪を隠す。

敏腕弁護士はタレントとして知名度を上げ、一躍日本第二の都市の首長となった。 

 

さらにさかのぼれば、名門北野高校を卒業後、早稲田大学へ進学。その後、弁護士として活躍する。

 

さて、このようなエリート街道を走ってきた方に多いのが自助の発想である。

 

何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか

 

 他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない。何の支援体制もないまま、僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない

 

これらの発言から見えてくるのは次のようなものだ。

 

  • 他人に究極的な迷惑をかける(殺人という形で)子どもを持っていたら、抑止力がないのだから先に殺して迷惑をかける事態の発生を抑制することは倫理的に許される(単純な功利主義
  • 一度ドロップアウトした人間に対しての支援よりも、彼らを抱える親に対する支援を先に整備せよ
  • 子育てを社会的にどうしていくべきかという視点がない

 

かつては為政者として政策立案にかかわっていたであろうに、彼の発言からはドロップアウトした人間に対する救済手段への言及がない。

競争に負けたら負けっぱなしだというのが前提にある。

 

※もちろん、私自身は引きこもりの子を抱える親への支援は大事だと思います。

 

今回の事件のように、農水次官の息子が現在の結果に至るまでに本人の努力や意思という要素はかなりあっただろう。しかし、そこに至るまでに避けられない社会的要因もありうるのだ。

 

そういうときに、社会に対して恨みを持つほど放置していいのだろうか。

社会が救いの手を差し伸べることが大事なのではないだろうか。

 

民主主義社会において王は国民

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橋下氏といえば、大阪都構想行政改革で名をはせた人物である。

それは徹底的な効率性の重視であり、成果主義の重視であり、競争の重視である。

それは一組織の活性化には効果的かもしれない。

 

しかし、あらゆる社会部門において効率性が機能するわけではない。

 

競争に負けて、負けっぱなしで放置していればどうなるのか。

社会が社会であり続けるためには、分断ではなく社会的な弱者への包摂が重要なのではないか。

失敗したら、いつでもリスタートできるような環境の整備が重要なのではないだろうか。

競争社会の成れの果ては、ゲーテッドコミュニティのような物理的な分断から、移民・難民への迫害など精神的な分断までを含む広範な分断社会である。

 

政府部門にできることは如何に分断を食い止めるか、そのシステムの構築にあると思う。

 

為政者に必要なものは、自己責任だけでなく、福祉の視点である。

競争に負けたものには救済を、競争を始めたいものには環境の整備をすべきであろう。

 

現代の日本は新自由主義的な方向に進んでいると言われている。

そして、特に中曽根内閣以降、規制緩和や民営化などをはじめとして、それが実際に具体化されるつある。

 

中央省庁の官僚をはじめ、現代日本のリーダーたちの多くは自己責任的な発想を持っていると思われる。

橋下氏と同様、学歴競争、就活競争を勝ち抜いてきた猛者である。

 

さて、小さな政府に転換したとはいえども、政府の役割は大きい。なぜならば、依然として我々の生活に大きな影響力を与えているのだから。大学への補助金の許認可も消費税の増税も政府が決めているのだから。

 

だからこそ、我々は政府の人間をきちんと選ばなければならないし、もはや東洋的な君主に期待して行動していては生活が破綻するのが目に見えている

 

一億総帝王

 

東洋的な価値観では全人的な君主が理想とされる。

しかし、統治するのもされるのも同じ人間だし、選ぶのも選ばれるのも同じ人間である。

完全無欠な人間などいないし、為政者も間違いうる。

 

だから、我々は為政者を徹底的に監視しなければならないのだ。

 

さて、今度は別の質問をしよう。

 

みなさんはどんな社会を作っていきたいですか?

 

バラバラな社会ですか?まとまった社会ですか?

 

民主主義社会においては国民一人ひとりが王である。

だからこそ、我々一人ひとりが理想の社会像を持つことが重要であり、その具体的な実践があればこそ、為政者への打撃となるのである。

 

競争の重要さは重々承知している。しかし、私自身は今の自己責任を声高に叫ぶ風潮には辟易するし、社会のどこかで困っている人がいれば救い合うような社会が訪れてほしい。

 

最後に憲法第12条を引用して終わりとしたい。

 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

川崎で起きた通り魔事件の被害者、遺族の方にはお悔やみ申し上げます。