新学期が始まり二か月が過ぎました。
高3生も受験に向かってシフトチェンジするころでしょう。
かといって受験!受験!と汲々としていない時期でもあるのかなと思います。
私の担当するのは公民科目です。
受験生はセンターでしか使いません。
ですので重要度はあまり高くありません。
さて、この間の授業で今学期はじめて内職をしている生徒を見つけました。
(おお…内職してる!)
ビックリしたのが第一ですが、同時に悲しく、悔しくもありました。
聴くに値しない授業を提供していると思うと、悔しくて仕方ないからです。
しかし、私の考え方が多分に目的合理的なので、「受験突破という目的に照らして行動してるのならいいか…」とその時は見過ごしてしまいました。
しかし、全員が同じ行動をとるのであれば、私はもはや授業をする意味はないでしょう。
そんなふうに悩んでいたら、こんな記事を見つけました。
そうか、そういう対処法があるかと納得する記事でした。
とりあえずその日は放置しましたが、いずれこれは解決しなきゃなあと思うのです。
一方で私の授業をしっかり聞いている生徒の特徴を思い浮かべると
授業外でコミュニケーションを一定程度取っている生徒が当てはまりました。
結局は日頃のコミュニケーションの積み重ねで信頼関係が構築される。
そして、授業をコミュニケーションの一環と捉えれば、授業中に教員の話を聞く、自分の意見を述べる、そういう営みも日常生活の延長線上にあるものに過ぎないと思うのです。
ちなみにタイトルのラポールは心理学用語で信頼関係を意味します。
じゃあ私がすべきは何か、というと現実にあらゆる生徒に話しかけるのは難しい。
となれば、授業中で話しかける、目を合わせる、笑顔でいる(好印象でいる)といったところでしょうか…
結局は制限の中で如何にコミュニケーションを重ねるか、という戦略とデザインに尽きるのかな。
う~む、コミュニケーションの悩みは尽きません。