楽しいこと、そして困難を共に乗り越えること、それが大切である。
楽しかった思い出、今となっては何もなし
大学生のころ、ビジネスコンテストに参加したことがある。
チームで調査をして、アイデアを発表する、というオーソドックスなコンテスト。
結果的には何も賞は得られなかったが、チームで何かを作り上げる、という経験がとても楽しかったことはとにかく覚えている。
けれども、楽しかったという記憶ばかりで何かを得た、という記憶はあまりない。
賞や賞金などといったものは大してほしくなかったのかもしれない。
大学院受験とも並行していたので、身が入らなかったのかもしれない。
どちらにせよ、心の底から頑張ったと言えるものではなかった。
サプライズも研修も
社会人になり、サプライズを計画する機会を持つようになった。
幹事として、あれこれ考えるのは楽しい。考える過程で意見がぶつかることもあるが、それでも、より良いものを誰かと作ろうと協力するのは楽しい。
そうして自分たちが作ったものを誰かに喜んでもらえることは、なおのこと嬉しいわけである。
誰かに喜んでもらえるわけではないが、教員の研修にも同じ感覚を持ったことがある。
最近の研修はワークショップ形式が非常に多い。
自分の意志で参加しているとは言え、見知らぬ人たちと意見を交わすのには最初抵抗感があった。
けれども、実際やってみるとこれが結構楽しいなのだ。
主題に対して、大人が真剣に意見を交わして、あーでもない、こーでもない、と議論を交わすのは楽しい。
そうして、発表し終わった後には、もっとやりたかったなあ…という高揚感を覚えた経験が何度もあった。
子どもたちにも同じ思いを
次期学習指導要領には「対話的・主体的で深い学び」が盛り込まれている。
今まで対話というものに対して懐疑的だった。
研修では、大人が参加しているから意見が否定されたりしない。
むしろ、「貴重な改善策」として自分の意見が重宝される。
思えば、自分に自信がなかったのかもしれない。
だから、ワークショップで人と意見を交わすのが億劫だった、いや、というよりも怖かった。
否定されるのでは、聞いてもらえないのでは、という思いがあったから。
けれども、研修だとか、サプライズだとか、チームで共通の目標に向かって対話をすることは非常に楽しいし、何より自分にない見方を得られたり、成長できたりと色々と収穫もある。
こういう経験があったから、「議論の際には人の意見を否定しない」という不文律が、まさに身をもって理解することができた。子どもたちの自信を身につけさせ、そして議論がうまく回っていくためのルールであり、ワークショップを何度も繰り返せばきっと子供たちも自己肯定感を高められるのだろうと思った。
自分の意見は力のあるものなのだと、反映されるに値するなのだという実感を持つだろうから。
まとめると、要は子どもたちに、学びがあって、かつ楽しめるワークを提供したいと思った。
結局ワークショップも人が企画したものである。
ということは楽しくなる秘訣は環境面の整備など、人為的に構築可能なわけだ。
もちろん参加者の性質にもよるだろうけども、企画者としてどういうことに気を付けるべきなのか、しっかり勉強しようと思った。
まずは楽しさ。
そして目標設定である。その目標を達成するために何度も立ち上がって、試行錯誤することが成長にとって大事なのだ。
そもそも辛いなんて今の時代には合っていない。
辛さに直面して、それを乗り越えることは心の成長にとって大切なことだと思うが、教師はそれを子供に強制してはならないと思う。
子どもが自ら辛いことに向き合おうという気持ちを喚起してあげる、そういうモチベーションを震わせる方面に注力したい。