このブログも設立してから4年以上が経ちました。
設立当初は記事を書こうにも、一ミリも筆が進まず、逃避しまくってました。修論の執筆と被ってたと言い訳しときます。
けれども、最近、記事を書き進めていくうちに自分の言葉で思いを紡げるようになったなあと実感しています。
ブログを書き続ける効用は、記事のストックがたまって、それを見比べれば自分の価値観の変化がわかることです。
人の価値観は変わります。根本的な部分では変わらないかもしれませんが、加筆修正を加えながらアップデートしていくものです。
日記をつける習慣があればいいんですが、紛失したり、持ち運べなくていつでも確認できるものではないです。その点、ブログは巨大な備忘録としての機能もあります。
その時の自分がどういう思いを持ったのか、どういうふうに現象を捉えたのか、ブログって、そんなふうに自分の見方を相対化してくれるものだと思います。
ここでやっちゃえ先生のツイートを拝借。
Twitterで定期配信している自分のブログの過去記事を読み返していると、一つ一つの言葉の甘さが身にしみる。例えば「教える」「理解する」「伝える」「受け止める」など。
— やっちゃえ@Blended Learning (@Yacchaee) 2019年8月13日
2,3年前に意識を払えていなかった言葉を自覚できるのはブログのおかげ。全国の教員の皆様、自分のためにブログやりませんか…
物事をパーツに分解して細かく見る「要素分解」という考え方があります。
たとえば、考えるという営みを要素に分解すれば、「比較する」とか「仮説を立てる」とか様々なパーツに分解できるかと思います。
こうやって細かく分析するには言葉や概念を知らなければなりませんし、そのためには勉強しなければなりません。勉強の先に到達できる世界があるのです。
そして、知らない言葉で世界は表現できません。その意味でブログはその時の自分ができる世界の表現方法の限界を集めたものですから、自分自身の成長が良くよく実感できるものだと思うのです。
少なくとも、かつては全く文章を書けなかったのに、今ではちょっと時間を書ければスラスラ書けるようになり、しかも文章力もちょっとは上がったかなと思っている人間がここにいます。笑
リカレント教育が推進されている昨今、学び続ける教員も社会的要請として求められているかと思います。成長を実感できるツールとしてブログ、とてもいいですよ~