人の想像力は無限の可能性を持っている反面、狭い範囲でしか想像できないこともあります。
とりわけ経験したことのないことに対して思いを巡らすのはかなり大変です。
ですから、想像力が足りなかったなあと思うことがありました。
想像できないこと
私は大学院を修了してストレートで教員になりました。
当然、民間企業での経験がありません。
大学・大学院の同期や先輩はほとんど経済界へ進んでいきました。
彼らと話すたびに、やれ深夜1時まで残業だ、やれ海外出張だ、なんていう話を聞くと、
ああ、彼らと比べると自分は楽な境遇にいるなあ
とどことなく引け目を感じていました。
同時に、ちょっとしたコンプレックス(勘違い)も抱えるようになりました。
民間企業の方が大変だと。
相互に理解を
けれども、「大変さ」というのは業界や業種ごとに異なります。
建設業であれば「肉体労働が」大変、
中央省庁であれば「残業時間の膨大さが」大変、
「営業が」大変、「交渉が」大変、などなど。。
当然、先生も大変なことはたくさんあります。
授業準備や保護者対応、学級経営はもちろん、時には生徒の心のケアをするカウンセラーとなり、時には学校の広報マンとなり、時には学校の経営を考える経営者となります。
多種多様な能力が求められます。
でも、民間企業の方が大変だ、という先入観によって自分のことを肯定できないでいました。
ある意味で、民間企業への憧れがあったのかもしれません。
ビジネスをバリバリやるカッコよさを求めていたのかもしれません。
変な偶像を作り上げていたんですよね。
それらが呪いとなって、自分を縛っていました。
その呪縛を解き放つ言葉と出会いました。
平川理恵さんという方をご存知でしょうか。リクルートをやめた後起業し、その後横浜市の中学校で民間人校長として勤務。現在広島県の教育長をされています。
たまたま見た平川さんの記事にビビっときました。
「私は先生たちの広報部長になりたい」とも言う。実は平川さん自身、学校のインサイドに入るまで「先生」という存在について、誤解していたそうだ。
「正直、民間より楽な仕事なんじゃないかと思っていました。ところが、実際に中に入ってみたら、先生がどれほど大変な仕事で、どれほど努力しているのかわかったんです。たとえば、子どもたちがけんかしたとします。すると先生たちは、どんなに忙しくても、その2人の言い分を丁寧に聞いて、どちらにも寄り添い、指導できるよう細やかに気を遣う。
ところが、先生のほとんどは、『私はこれだけ頑張っている』『これだけ働いている』とは、決してアピールしないのです。さらに、中学生は反抗期だから、家庭で親に先生の話など、あまりしません。だから、保護者は『先生は何もやっていない』と思い込んでしまう。それは子どもにとってもよくない。だから私は、先生たちの頑張りを伝える役目をしなければいけないと決意したのです」
先生も大変だ
民間企業経験者から見ても先生は忙しい。
しかも、それが世に周知されない不遇がある。にもかかわらず、先生は現場で頑張っている。
先生が大変だ!と喧伝するつもりはありませんが、先生には先生として求められる能力がたくさんあります。
先生は・・・
— Kazuya Takahashi | 髙橋一也 (@kz8_takahashi) 2019年12月30日
インストラクターであり、
ファシリテーターであり、
コーチであり、
プロデューサーなんざます。
生徒をどうプロデュースできるか毎日考えるだけで授業が数倍楽しくなるよ。 https://t.co/gblc5zeka4
個人的には楽しくやっているつもりですが、どうしたって辛い局面はあります。
けれども、大変だからこそ、それは自分が使命感をもって全力で教育をしているからと感じられるのです。
平川さんの言葉は非常に勇気づけられるものでした。
人は勝手に偶像を崇拝してしまう。その偶像に自覚的になり、時にそれをぶっ壊す。
自分の中でイノベーションが起きました。
まだ表面的な話ですが、色々と深い次元でもイノベーションを起こしたいものです。
胸を張っていきましょう。
それでは。