ひろしまタイムラインという試みがあります。
広島・長崎は、被爆から75年の節目の夏を迎えた。被爆者の高齢化が進み、核廃絶への思いを若い世代にどう継承していくかが大きな課題となる中、「もし75年前にSNSがあったら?」をテーマに、1945年の広島の3人の若者の日常をツイッターで毎日発信する取り組み「1945ひろしまタイムライン」が注目を集めている。ツイートを発信する企画参加者は、「原爆投下当日だけでなく、一連の投稿を読んで原爆への理解を深めてほしい」と願っている。(北條香子)
NHK広島放送局の企画で、「当時の広島の人々が何を感じていたのか、ツイッターを通じて同世代の若者に追体験してほしい」との思いから、20代の女性ディレクターが提案。中国新聞の記者だった故大佐古一郎さん=当時(32)、第1子を妊娠中だった主婦の故今井泰子さん=当時(26)、中学1年生だった新井俊一郎さん=当時(13)=が45年に書き残した日記を題材に、それぞれ「一郎」「やすこ」「シュン」としてアカウントを開設した。
このツイートについて思うことがあったので、昨夜ツイッターに連投しました。
制作者が、被爆者のリアルな体験を伝えていこうという思いはステキだと思います。
でも、色々と思うところがあったので、その思いを綴らせてもらいます。
以下は私のツイートを改めて編集し直した文章です。
【ひろしまタイムラインに思うこと】
製作者・賛同者の方はすみません。淡々と語らせてください。
自分は被爆三世です。
曾祖母を原爆で亡くしました。当然会ったことはありません。
当時東京の大学で研究をしていた祖父は、原爆投下の知らせを受け、その日のうちに鉄道を乗り継ぎ、母の許へ急いだそうです。
けれども遅かった。
祖父が見た曾祖母は全身がやけどに覆われ、かつての面影は全くなかったそうです。
そして看病のかいもなく、原爆投下から四日後、息を引き取りました。
この看病の際に祖父は放射能被害を受けています。
僕がこの話を知ったのは祖父が亡くなってからです。
祖父は厳格でしたが、僕はおじいちゃん子だったので、かなりなついていました。
けれども祖父の口から曾祖母を目の前で亡くしたことは生前には一度も聞きませんでした。
ただ、祖父が亡くなる少し前のある日のことでした。
お酒を飲んでなのか、年をとって涙腺が緩んだのか、普段は感情を出さない祖父が人前で涙を流したことがあったそうです。
泣きながら母親を目の前で亡くしたことを相当悔いていたと聞きました。
これは葬儀後に祖母から聞きました。
その後祖父の書斎を整理していたら自伝が出てきて、冒頭の経緯を知りました。
僕にとっては被爆体験は想像の世界です。それも読書を通じた世界しか知りません。
慕っている人が、大切な人を目の前で亡くしたつらさを想像して、それが自分にとってもつらい、というレベルの話です。
でも、今でもこの話を思い出すと胸が苦しくなります。
じいちゃん、つらかったよなぁ
母ちゃん、目の前で死んじまうのはつらいよなぁ
自伝を読んで真っ先に感じたのは、祖父への同情でした。
厳格さと優しさを持ち合わせた祖父に様々な過去があったんだと。
だから、原爆投下は僕にとっては慕っている人の悲劇として刻まれているのです。
人格形成期にこういった経験を持ったからこそ、僕にとって広島の原爆投下は重要なテーマになっています。
ひろしまタイムラインの製作者の思いは十分わかるのですが、同時にコンテンツとして消費してしまう「軽さ」も感じてしまいました。
なんというか、故人の被爆体験をコンテンツ化して弄んでいる、って感じてしまったんですよね。当然制作者の意図は違うと思うのですが、ツイッターで多くの人が反応している様子を見て、なんともいえない違和感・嫌悪感に襲われてしまいました。
過去の思いを受け継いでいくことはとても大切だと思います。
そこにいた人たちが何を感じ、どう動き、何を考えたのか。
ですから、過去の惨事を啓発していくこと、当時の経験を語り継いでいくことは大事だと思います。
ツイッターの反応を見て、あまり否定的なことを言うのもどうかと思いましたが、こういう感情を抱いた人間がいたことも事実なので、あえて発信することにします。
よく教育現場では当事者だからこそ取り上げてはならない問題があると言います。
たとえば、殺人事件の被害者や震災の被災者にその問題を取り上げたらどうなるか。
そのことを思い出して、過呼吸になったり、辛い記憶を呼び起こすと思います。
僕にとっては原爆は想像上の出来事に過ぎません。
でも、大事な人が母親を亡くす大惨事としても刻まれています。
当事者ではないけども当事者に近い被爆三世という存在だからこそ、当事者の思いを、軽い扱いをするように見えたことが、僕がひろしまタイムラインへ嫌な感覚をもった理由なのかなと感じました。
近くて遠い、なんともいえない距離感です。
【ひろしまタイムラインに思うこと】
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年8月8日
製作者・賛同者の方はすみません。淡々と語らせてください。
自分は被爆三世です。
曾祖母を原爆で亡くしました。当然会ったことはありません。
原爆投下の知らせを受けた祖父は、鉄道を乗り継ぎ、東京から母の許へ急いだそうです。#ひろしまタイムライン
こちらは冒頭の記事の続きです。ひろしまタイムラインへの制作者の思いが綴られています。
劇作家の柳沼昭徳さんの監修のもと、広島ゆかりの10代~40代の市民11人が企画に参加。当時の新聞記事を読んだり、親族への聞き取りを重ねるなどし、3人の生活や人柄、世間の空気に思いをはせた。日記の日付に合わせてツイートを投稿しているが、丸写しではなく、現代の人にも共感しやすい言葉に置き換え、想像も交えながら、戦時下の日常の出来事や思いをつぶやく。
学生時代から被爆証言の継承活動を続けている被爆3世の福岡奈織なおさん(27)は、他の女性2人とともにやすこのアカウントを担当。やすこは新婚で、夫が出征した直後の5月に初めての妊娠が判明。「ここ2週間ほどご飯がいただけません」(5月21日)とつわりに苦しんだり、「一緒に死ぬのならまだ諦めもつくけれど、別れ別れに死んでゆくことを思うと、たまらない」(5月24日)と夫を思う日々などをつづっている。福岡さん自身も今春結婚したばかりで、「自分を重ね合わせる部分もある」という。一郎とシュンは3月から、やすこは5月から毎日ツイッターで発信していたが、企画への関心は8月6日の原爆の日に一挙に高まった。「#ひろしまタイムライン」はツイッターのトレンドで上位に入り、フォロワー数も急増。やすこの「ものすごい光 地響き、家が揺れて 電気のかさやガラスがふきとんで」というツイートは6000回以上リツイートされ、「赤ちゃんも大丈夫でしょうか」などと案じるコメントが並んだ。
だが6日のツイートばかりが「バズって」(爆発的に広まって)いることに、福岡さんは複雑な心境でいる。「それまでの生活や思いを知った上で初めて、あの日にやすこが感じたことを理解できるのではないか」と思うからだ。
ツイッターの投稿は年末まで続く。福岡さんは「8月6日に焼け野原になってたくさんの人が亡くなったことだけが原爆じゃない」と力を込める。「ずっと放射能の怖さを感じ、大勢の死傷者を見たトラウマ(心的外傷)と生きなくちゃいけない。原爆とは何だったか、私たちが考え出すのはこれからだと思う」
ひろしまタイムラインは年末まで続きます。
ご興味のある方は是非ご覧ください。
この文章を言語化するきっかけを、こちらの記事にいただきました。
ありがとうございました。
▼ちなみに私が教師になった遠因も祖父の被爆体験が関係しています。こちらの記事に書いています。