この仕事でこんなことを成し遂げたい!
そう期待に胸を躍らせて入った会社では想像と異なる仕事の連続。
その積み重ねは次第に心をむしばんでいく。
こんなはずじゃなかった…
しかし、それでもすぐには物事は好転しません。
希望を失ったとき、人の心は簡単に壊れてしまいます。
それでも心の安寧を得るにはなんとかしなければならない。
そんなとき、森鴎外の考え方は一つのヒントをくれるかもしれません。
今回はその思考法をご紹介します。
森鴎外って誰?
森鴎外(1862年~1922年)といえば、明治を代表する文豪であり、陸軍軍医の最高ポスト軍医総監も勤めています。本名は森林太郎。
『舞姫』『高瀬舟』など、国語の教科書にも載るような著作をいくつも出しており、その文章は現在においても非常に評価されています。
諦念(レジグナチオン)と「かのように」
明治時代になるとヨーロッパの思想が怒濤の勢いで日本に入ってきます。
西洋思想に出会った人々の中には、「社会の中でこんなことを実現したい!」「私はこんなことをやりたい!」と強烈な自我に目覚める人もいました。
しかし、個人が自分の思いを貫き通そうとしても、社会というのは非常に大きな壁として立ちふさがります。
不条理な社会に心が壊れてしまうこともあるかもしれません。
ここで実存主義者たちはあなたの生きたいように生きよ!と高らかに言うのです。
特にコロナ禍においても転職市場が活況な現在においては、社会と個人を天秤にかけて自分の生きたいように生きるという選択肢をとっている人が多いのかなと思います。
しかし、森鴎外は違います。
華々しい経歴の森鴎外。一見順風満帆に見えますが、彼は自分の理想と社会の現実との葛藤に苦しんでいました。
そこで彼がたどり着いた境地が「諦念(ドイツ語でレジグナチオン)」と「かのように」という考え方でした。
諦念とは、個人と社会を対立するものと捉えるのではなくて、自分が置かれた立場を運命として受け入れ、その中でより良く生きようとすることで、心の平穏さ・安寧を求めることを言います。
どんな環境でも自分の思いや欲求とぶつかり合うこと、ミスマッチは起こりえます。
そんなときに「こんなこと違う!」とやめてしまう前に、まずは与えられた環境の「解釈」をポジティブに捉え直し、その環境で最高のパフォーマンスを出してみる。
今の環境の中でやりたいことを精一杯やる。
大事なことは、環境に埋没しないよう、自分のやりたいことや希望を捨てずに、自己を保ちながら、「社会ってこんなもんだよな…」という一種の諦めも持つという両義的な考え方です。
そして、その諦めの先に「かのように」という境地があります。
これは、理不尽な社会を受け入れて、まるで「〇〇であるかのように」振る舞うことを指します。
たとえば、上司と合わなくても、あたかも部下である「かのように」振る舞う。
ルールに不満を覚えていても、妥当なルールである「かのように」振る舞う。
鴎外は、現実社会の理不尽さを嘆くのではなく、「そもそも社会とはそんなものだ…」と諦めながら社会を受け入れました。
そうした上で、現実には受け入れがたいことも、あたかも「〇〇であるかのように」見なしてしまうことで対峙していくことだ、と述べました。
確かに目に見えないルールに従った方が無難ですね。暗黙の了解といいますか。
置かれた場所で咲きなさい、という言葉と通ずるものがありますね(僕はこの言葉はあんまり好きではないのですが…)
ちなみに森鴎外がこういった諦めの思想を深めた大きなきっかけは、大逆事件と呼ばれる社会主義者の弾圧事件です。
大逆事件とは、無実の罪で捉えられた社会主義者が即刻裁判で死刑になった事件です。
鴎外は、自分が軍医として属している国家権力の横暴さを痛感し、葛藤した経験から諦念という思想をよりいっそう深めていきました。
どうして良いかわからない人へ
人生は決断の連続です。
自分で決めたことが積み重なって今の人生が作られています。
確かに自分のやりたいことを大切にすることは大事です。
けれども、いつでも、どこでも自分の希望が通る場所というのは中々見つからないのではないでしょうか。
待遇が良くても人間関係が悪かったり、自分のやりたいことでも金銭面で満たされなかったり、、、大切なことは自分の思いを見つめ、その上で今の環境で出来ることを諦めないことではないかと思います。
鴎外の考えは諦めの哲学といわれますが、僕は諦めることと諦めないことは0か100かではなく、グラデーションの問題だと思っています。今の環境で何が出来て、何が出来ないのかを精査していく。
そして、いつかやりたいことを実現するために、今の環境でできることを積み重ね、動いていく。
大切なことは、何かチャンスがあったときにすぐ動けるように常に牙を磨いておくこと。
そして、自分のやりたいことは絶対に諦めないことだと思います。
僕自身の思想は、①理不尽な社会は変えていくべき、②花開く場所を探しなさい、という思想を持っているので森鴎外の思想は中々反発するものがあるのですが、ただ仕事を続けていく上で大事な考え方なのかなあとも思っています。
今の仕事を続けるべきか否か迷ったら、まずは今の環境でできることは何か、やりたいことはどれくらいできるのか、それを考えるきっかけとなる思想なのではないんでしょうか。
最終的に個人的な話になってしまいましたが、今回のお話が皆さんの参考になれば幸いです。
それでは!
【組織人と個人としての葛藤を考えるとき使える思考】
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年12月6日
個人と組織との間で揺れ動きながらも、たえず良心的であろうと自己を保ち続ける姿勢。
諦念(レジグナチオン)
▼stand.fmもやっております!よければご視聴ください!
▼クリックいただけますと幸いです!よろしくお願いします!