今日は、こちらの哲学カフェでお話しする機会を頂きました。
第2回チョークトークカフェは、今週末26日に行います!
— チョークトークカフェ@教育をめぐる哲学カフェ (@ChalkTalkCafe) 2020年12月23日
いまのところ15名ほどの方から参加の申し込みをいただいています🙌
まだまだ受け付けていますので、お気軽にご参加ください〜⭐️ pic.twitter.com/TNi34IXyX5
テーマは「主体性」
自分の頭の中を整理したいので、事前に読んだこと・聞いたことを書き残しておきます。
というわけで、この記事は「主体性って何?」という哲学好きの方、「主体的・対話的で深い学びって何だろう?」という教育関係者の方に参考になるかと思います。
あとは受験生を抱える保護者の方にも参考になるかな~
「主体性がない」??
とある授業でのことでした。
私「いつもはグループのメンバーは私が決めてるけど、今日は自分たちで決めてくださーい。」
生徒「はーい!」
というような感じで、普段グループ分けは僕がしてるんですが、そろそろいいだろう、ということで生徒たちに考えさせました。
職場のパフォーマンスを上げるには、「言いやすい環境」の構築が不可欠です。
ですので、「グループワークするなら、なるべく好きな人同士、気の合う人同士がいいよね」という思いを持っています。
もちろん、クラスによっては諸刃の剣で、孤立しがちな生徒がいたりすると教師も生徒もlose-loseになってしまうので、使い分けは必要ですけどね。
担当しているクラスも段々人間関係がわかってきたし、かなり優秀な生徒たちなので、大丈夫だろうと思い、任せてみたわけです。
しかし…
結局決まるのに20分ほどかかってしまいました。
20分の間に、「先生、これはオッケー?」「あれはオッケー」という確認を求める声が。
「そうか、最初の条件設定をきちんと解説しなかったな…完全に自由にしてしまった…これは完全に私が悪い…いや、最終的には完全に自由にしていきたいか、段階を踏めばよかったのか」
確かに学期の大半を共にするグループなので大事な案件ではありますが、最初の20分を失ってしまったのはキツい…
この体験から僕の中にある疑問が生じます。
普段見ている生徒たちは、学習課題を与えるとササっと解いたり、意見を述べたり、議論したり、すぐこなせてしまう。「すごい主体的だ!」なんて思ってたんです。
けれども、グループを決める、という課題については全くできていなかった。むしろ指示待ち。
あれ、むしろ従属的…主体的とは?
この違いは何だろう?
「結局、教師が与えた課題、枠組みの中で積極的に取り組む様子が主体的に見えたのか」、「それとも普段していないことをやらせてみただけで、訓練したらできるのか」、「でも、それって結局、自分が与えられた環境でどう行動すべきか、我々教員が育もうとしている未知の状況に対応できる思考力・判断力・表現力を育てられていないんじゃないのか」。
様々な疑問は教育実践に対する再考を迫ります。
辞書では主体性はどう扱われている?
「主体的」な学び以前に、そもそも「主体」「主体性」という言葉を吟味していませんでした。まずは辞書を紐解いて調べてみました。
日本国語大辞典では、主体と主体性は次のように定義されています。
主体とは、「他に対して、働きかける当のもの。認識に関しては主観と同義であり、実践的には意識と身体を持った行為者をさす」。
主体性とは、「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行ったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動するさま」。
ここからわかるのは、主体というのは客体との関係で成立する関係性的な概念ということですね。
おそらく教育関係者が普段口にしている主体性という言葉は、「自分の意志で判断し、行動する」という意味じゃないでしょうか。
そういえば、すっごい昔(大学生の時)の記事で自律的なことが大事って書いたなあ。
では、哲学者たちはどのように考えていたのか、それも見てみましょう。
哲学者たちは主体性をどう捉えた?
共通している前提は、合理的な推論などを行う認知主体です。
たとえば、デカルトやカントなどの近代合理論者は主体を次のように捉えています。
「主体とは、自己意識のような、倫理的、合理的、規範として機能する自律的な存在」
この認知は精神の領域で行われます。それゆえ、合理論者は身体と精神を区別して、精神が実態であると考えました。
そして、精神は絶対的に自由で、自律的に判断ができる、とされています。
「主体とは、外部から強制されなくても自ら進んで権力に従う存在」
合理論とかなり離れた定義です。フーコーの思想は、完全な自由など存在しない、あらゆる存在は権力からの影響を受けて思考・行動している、という考え方です。
通常、権力はある主体が他の主体に働きかけて、ある行動を強制させる性質の者を指しますが、フーコーの権力論では「強制されなくても、自ら進んで権力に従う存在」を指します。
詳しくはこちらの記事で解説しているので、良ければご覧ください。
要は、自律的に判断・行動する主体なんていないよ!ということです。
確かに僕らは学校で先生の望むように行動したり、親の望むよう(怒られないよう)行動したりすることがあります。
確かにフーコーの思想は説得力があり、人は環境に大きく影響を受けて行動しています。
それでも人生は決断の積み重ねですから、自己の意志というものも強く作用しているように思えます。
折衷案をとれば、環境からの影響を自覚しながらも、その環境に働きかける存在が主体といえそうです。
これ、学校で育てられるのか…?
続いて、教育者たちはどのように考えているのか、みていきましょう。
教育学者たちは主体性をどう捉えた?
教育学者の溝上慎一は主体性を「行為主体性」と解釈して、次のように定義しています。
行為主体性(agency)とは、「行為者(主体)から対象(客体)へとすすんで働きかけるさま」
(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで-
「さま」というのは、様子や状態を指すので、この言葉だと授業内での主体性は評価できそうです。
この定義を受けて、溝上は主体的な学習を次のように定義しています。
主体的な学習(agentic learning)とは「行為者(主体)が課題(客体)にすすんで働きかけて取り組まれる学習のこと」
たとえば、ある学習課題を解決しようと資料を調べたり、国際的・歴史的な比較をしたり、議論して意見交換をしたり、そうした働きかけるという状況は、主体的といえそうですね。
さて、溝上は主体的な学びは3つの学びから構成されると言っています(下図)。
- ①課題依存型
- ②自己調整型
- ③人生型
一般的に「面白い」といわれる授業は課題依存型の主体的学習です。
いかに面白い教材でモチベーションを上げるか、ここに教材研究の面白さがあるとは思いますが、結局課題ありきの主体性です。
次に自己調整型の主体的学習は、自分の学びの方向付けや手段の妥当性を俯瞰して検討・修正する学び方です。たとえば情報収集の手段として図書館に行って本を読むのがいいのか、Google Scholarで論文をぐぐると良いのか、与えられた課題の解決のためにどのような手段が良いのか、目標に照らし合わせてベストな手段を選択したりする学習が例としてあげられそうです。
受験勉強や資格試験の勉強なんかはまさにこの学習ですね。
最後が人生型の主体的学習です。
人生の目標を立てたり、アイデンティティの形成につながるような学習ですが、これは原体験となるような学習ですね。
僕の尊敬する南英世先生は「授業は感動を提供する」と言われていますが、生徒の人格形成に資するような授業がそうなのかな。
でも、新しい学習指導要領だと、生徒たちの人生観や世界観を形成するような学習を展開することが謳われています。その際に哲学者の思想などを駆使して、自分の考えと似ている点や違う点などを比較しながら、自分の考えを形成していくとか。
自戒の念を込めて言いますが。まず教える先生も自分の信念を持っていてほしいですね。
ちなみに僕がやりたい教育は人生を真剣に考える教育なので、人生型の学習に分類されます。
さて、学習指導要領では「主体的な学び」は次のように定義されています。
「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しをもって粘り強く取り組み、自己の学習活動をふり返って次に繋げる学び」
おおむね溝上の三つの主体的学習の要素が満たされていますが、先ほどの図のように最終的には人生型の主体的学習へと到達することが重要のようです。
学習指導要領の主体性の定義、かなりサルトルの影響受けてる気がする…
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年12月26日
即自存在から対自存在へ生徒が変わるよう、学校教育が大きな役割を果たせよ、って読めなくもないな。
結局、私の問題意識は何なんだろう?
ここまで「主体」「主体性」「主体的な学び」について見てきました。
結局、僕の関心は何なのか。
それは教室の外でも発揮する主体性を育むことはできるのか、ということです。
頭の整理ができたので、今日はここまで。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
それでは!
今回の哲学カフェも、順調にお申し込みをいただいています。
— Kohei Seki (@bokuto_kohei) 2020年12月23日
教育と主体性について、ゆっくり考えてみませんか? https://t.co/dYydTuGjJ6
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