「アテネの学堂」という絵画をご存じでしょうか。
イタリアの天才画家ラファエロによる大作で、有名な古代ギリシャの哲学者が描かれています。
指を天に向けているプラトンの姿はその理想主義的な哲学を表しており、一方で手のひらで地を押さえているアリストレスの姿は、その現実主義的な哲学を暗示しています。
今回はアリストテレスの現実主義的な哲学をご紹介します。
前回までにプラトンの理想主義的な哲学をご紹介しましたので、よければこちらもご覧ください。
「アテネの学堂」には、古代ギリシャの哲学オールスターがそろっていて、各人の哲学がその姿によく表現されています。
アテネの学堂はこれ。
中央左がプラトン、右がアリストテレス。けんかしないでほしい。
アリストテレスって誰?
アリストテレス(紀元前384-前322)は古代ギリシアの哲学者です。
17歳のころ、プラトンの主催する学園アカデメイアに入門し、以後プラトンが亡くなる20年間、プラトンに師事しました。
ただ、師匠の理想主義的な哲学とは異なり、現実主義的な哲学を展開します。そこから、現実のあらゆる物事を観察し、分析、整理し、様々な学問の土台を作りました。
物理学、生物学、天文学などの自然科学から、政治学や心理学、論理学など人文社会科学系諸学問、めっちゃくちゃすごいやん…天才やん…
こうした現代に通ずる学問の基礎を気づいたことから、「万学の祖」と呼ばれてます。
現実にある「本質」をみつけよう~形相と質料~
アリストテレスは師匠プラトンの理想主義的な哲学を批判します。
イデア論ですね。
ア「いやいやwイデアなんか探したってどこにもなくない?w」
たしかにね~
だって、イデア界っていう僕らの暮らす世界(感覚界)とは別の世界を「想定」して、そこにイデアがあるっていうんですから、若干オカルトっぽいですよね。
しかも、理性ならイデアを把握することができるって言われても…。ほんとですかい…
だから、アリストテレスは物事の本質はそのものの中にあるんだと考えます。
彼はそれをエイドス(形相)と表現しました。プラトンの言うイデアに相当するものです。アリストテレス版イデアだと思ってくださいませ。
そして、物事はエイドス(形相)とヒュレー(質料)から成り立っているとしました。簡単にいれば、エイドスは物事の設計図やレシピで、ヒュレーは材料です。パンケーキのレシピがエイドスで、小麦粉とか牛乳がヒュレーです。
さて、ここにキレイな花があるとします。
プラトンであれば、こう考えます。
「キレイな花もいつか枯れる。では、何がキレイさを保たせているのかといえば、それは美のイデアである。イデア界にある美のイデアの性質を幾分もっていることで、美しさが発揮されているのである。つまり、キレイな花と美のイデアはそれぞれ独立したものなのだ。」
一方でアリストテレスはこう考えます。
「いやいや、花から離れて美しさの本質があるわけないでしょ。
(人間から見て)キレイに見えるように花を咲かせるプログラムが花自体にあって、そのように咲いただけです。ここでは、キレイに花を咲かせるというエイドスは遺伝子などに該当します。そして、その遺伝情報に基づいて花を咲かせるに必要な栄養素などがヒュレーに該当するんですよ。」
正直、現実の世界の物事がなぜあるのかを説明するには、アリストテレスの方に分があるといえます。
たとえば、丸い木の机があるとして、それは「丸い机」というエイドスがあって、「木」というヒュレーから成り立っていると考えます。もし、ガラスの丸机ならヒュレーが「ガラス」になっただけです。
こうしてアリストテレスの現実に目を向ける哲学と、プラトンの理想を掲げる哲学が西洋哲学の二大巨頭になりました。
だからアテネの学堂では議論しあってるんですかね~
全ては完全体に向かっている~目的論的自然観~
プラトンの話にもどれば、彼は現実の感覚界は絶えず変化してしまうとして、悲観的にとらえていました。
一方で、アリストテレスは変化についても自身の哲学に基づいて説明をしています。
それが「可能態」と「現実態」です。
たとえば、先ほどのキレイな花が種だったときを例にしましょう。
種であるということは、これから起こる変化として、花を咲かせるでしょう。
種の目的を「成長すること」ととらえれば、まだ種の状態であるということは、潜在的に「花を咲かせる」可能性があるだけの状態です。これを「可能態」といいます。
やがて芽吹いて、花を咲かせれば、種の当初の目的である「成長すること」が達成されますので、目的を現実化した状態になります。これを現実態といいます。
ちなみに種は花の材料なので、ヒュレーに該当します。そして、現実に花を咲かせることは種の目的=本質なので、エイドスに該当します。
ヒュレー=可能態 エイドス=現実態
という図式が成り立つわけです。
これをあらゆることにアリストテレスは応用しました。
たとえば、先ほどの種は成長して木になる。種は可能態で、木は現実態です。
そして、その木が切り出されれば、材木になります。この場合、木は潜在的に材木になる可能性を持っていたという意味で可能態であり、材木になれば、現実態になります。
また、材木は家や机などの材料になります。ここでは、材木は可能態になり、家や机は現実態になります。
という感じであらゆる変化は可能態と現実態、エイドスとヒュレーで説明できてしまうのです。物事には目的があり、それに基づいて変化すると考えられました。
こうした世界観を目的論的世界観といいます。
中世まではこの目的論的世界観がヨーロッパ社会では中心的な考え方でした。
では、最終的に目的を達成し続けるとどうなるか?
どこかで究極的な目的がないといけませんね。
これをアリストテレスは完全究極の目的として、「不動の動者」と表現しました。
神みたいなもんです。
そういえば、ドラゴンボールのセルも完全体を目指してましたもんね。
セルが完全体を目指していたように、物事には目的があるってアリストテレスは捉えたんですよね。
(ドラゴンボールわからない人、ごめんなさい!)
アリストテレス哲学の意義
プラトンは本質は理想世界(イデア界)にあるんだと考えました。だから、自分の理性を使って、イデアって何なんだろ~とひたすら考えることがメインになります。
でも、アリストテレスの場合は、本質は現実にこそあると考えたので、必然的に目の前の世界をくまなく観察することがメインになりました。
そうして、色々なものを観察すると、どうやら見た目は違っていても共通点があることに気づきます。これをなど類型化し、分類・整理していくことで、物事の本質が浮かび上がっていきます。今でも生物を「科」や「類」などで分類しますよね。その原型を作ったんだと思ってください。
なにより、彼は動物や物質など目に見えるものだけでなく、国家の在り方やルール、人の生き方、論理学など目に見えないものも観察し、整理したことです。ちなみに、こうした目に見えないものを形而上学といいます。
べた褒めですが、アリストテレスはほんとすごいですね。
日本アリストテレス協会による「哲学者が好きな哲学者は誰か?」というアンケートによれば、アリストテレスは2位!
(何そのアンケート!詳しくはこちらをご覧ください。)
ちなみに自分はどちらかと言えば、アリストテレスの地に足のついた感じが好きです。
人はどう生きるべきか、社会はどうあるべきか、アリストテレス哲学の人間観・社会観を見ていきましょう!
それでは!
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