理想を追い求める人もいれば、現実に活路を見いだす人もいます。
このような対立関係にある「理想と現実」という思考法はそもそもいつ始まったのでしょうか。
実は、この発想は今から約2500年前の古代ギリシャから2人の哲学者が始めたものです。その二人とは、プラトンとアリストテレス。
今回はプラトンの哲学についてご紹介します。
プラトンって誰?
本名はプラトンではなく、アリストクレスといいます。
プラトンは体格が良く、若い頃にはレスリングでも活躍していました。そのため、「広い」という意味のあだ名をつけられ定着しています。
「肩幅広男」で歴史に名を残すってすごいですね!
かたはばひろお!
名門の家系出身で、将来は政治家になると思われましたが、政治の腐敗に絶望し、距離を置くようになります。
彼はアテナイ(プラトンが過ごした国)でアカデメイアという学園を開いて、弟子の教育に当たるとともに、独自の哲学体系を打ち立てていきました。
イデア論
ソクラテスは「真の知」を追い求め、この世における普遍的な善さを追求し続けました。
その方法が問答法であり、常に問い返し続けることでした。
しかし、ソクラテス自身は「知」が何かを明らかにせずに、この世を去っていきます。
プラトンは師の考えを発展させ、「真の知」の内容を明らかにしようとします。
プラトンが、師匠の考えを発展させた哲学こそがイデア論でした。
イデアとは、モノの本質で、永久不変の真理、真の実在です。ソクラテスが追い求めた真の知がこれに該当します。
といっても、これだけじゃ意味わからないですね。
簡単にいれば、この世はニセモノ!本当の世界があるよ!という話です。
たとえば、三角形を紙に書いてみてください。
不揃いではありますけど、三角形ではありますよね。でも、完全な三角形か?といわれたら違うと答えざるを得ないと思います。
では、正確に計算されて作られた三角定規は完全な三角形か?といえば、それもNo。原子レベルに分解すれば、きれいな線ではないからです。
でも、我々が不揃いな三角形らしきものやおにぎり、そして三角定規などといった全く形の異なるものをみて、「三角形だ!」と認識できるのはなぜか?
それは三角形のイデア、完全な三角形を知っているからです。
プラトンは、人間はありとあらゆるもののイデアを知っているとしました。
我々が暮らす現実の世界では、物事は不揃いで完全なものはないけれども、イデアを知っているから物事を認識し、分類できるわけです。
ちなみに、現実界に序列があるように、イデア界にも序列があるとプラトンは言いました。
それを善のイデアといいます。
【世界の教養:哲学】人は生まれたときにイデアの全てを忘れている~イデア~ | ALIS
では、完全無欠なイデアを人間はいつ知ったのか?
それを説明するために、プラトンは世界を二つに分けます。
完全無欠な世界です。
一方で、現実界とは僕らが暮らす世界のことを指します。
この世界の物はイデアの一部を持っていて、そのかすかなイデアの成分から人間は物事が何かを認識できるそうです。
で、元々人間は生まれる前に魂だけがイデア界に住んでいたんですが、残念なことに?人間は現実界に生まれてしまいます。
完全無欠だった魂から、不完全な肉体に生まれてしまいますが、美しいものや善いものを見ると、かつての故郷であるイデア界を思い出し、それらを追い求めようとします。
このように美しいものや善いものを追い求めさせるものをエロースといいます。
ちなみに、肉体ではなく、精神的な愛を求めあうことをプラトニック・ラブといいます。
肉体という不完全なものではなく、完全な魂(精神)を求めるという愛の形ですね~
プラトンはソクラテスの「知を追い求める」姿勢を継承し、物質的なものから精神的なものへ、個別的なものから普遍的なものへ段階を追うことで「真の知=イデア」に到達することができるとしました。
そして、イデアを追い求めることが理想の生き方だとしたわけです。
さて、異なる世界に存在するイデアですが、人間はこれを捉えることができるのでしょうか?
プラトンによれば可能だ、ということです。
現実界の物事は感覚で把握されます。その一方で、イデアは理性で認識することができます。
ここからプラトンは理性を正しく使って理想を認識する哲学者が政治をすべきだという考えにいたします。
このように、不完全な現実と完全な理想という二分法で世界を捉え、理想を追い求める大切さを説いたのがプラトンの哲学です。
それゆえ、彼の哲学は存在論に分類されます。
「~はあるのか?」「~とは何か?」という問いから始まる哲学です。
通常、モノが存在する、といえるのは現実の世界においてでしょう。
けれども、プラトンは世の中のすべての物事には理想的な完成形があるといいました。この理想こそがイデアといいます。
しかし、彼の弟子であるアリストテレスはこう言って師匠を批判しました。
「イデア界なんかなくない?」
理想の効用
プラトンは理想主義者でした。
イデア界という、あるのかないのか、よくわからない設定を持ち出してまで理想を打ち立てました。
しかし、彼が理想主義者になったのは悲しい過去が関係しています。
それは最愛の師匠ソクラテスが死刑になるという現実社会の不条理に直面したことでした。
民衆裁判で市民がデマに流され、ソクラテスを死に追いやった!
プラトンは故国であるアテナイを愛していました。その愛国心からアテナイをどうにかしなければならない、という強い動機から現実に対置される理想を作り、その理想を実現するために現実を改良していかなければならない。理想は作り出さなければならない、という哲学を考えたのです。
ここから西洋思想は、物事の「あるべき姿」を作り出し、理想と現実に世界を分ける哲学大系を持つようになります。自然を超えた超自然的発想といいますか。
この考え方は、キリスト教の教義大系にも大きな影響を与えています。
だから、ホワイトヘッドという20世紀の哲学者は西洋の哲学はプラトンの注釈にすぎない、なんていう言葉を残しています。
さて、プラトンの哲学は師匠の死という耐えがたい過去が関係していました。
このように、現実世界は理不尽で義理が通じないこともあります。
だからこそ、厳しい現実を生きる上で理想をもつことは、人生の羅針盤になります。
現実社会をどう歩んでいくか、個人にとっての理想、社会にとっての理想、、様々な理想をもつことで厳しい道のりも乗り越えていけるのではないでしょうか。
ただし、プラトンの理想主義はあくまでも普遍的なものでした。
一方で現代社会は多様性の時代です。それゆえ一人ひとりの理想は異なるわけですが、そうした個人にとっての理想を肯定する哲学は19世紀の実存主義者の登場を待たなければなりませんでした。
基本的には現代は色んな思想があって、その人たちが共通了解をつくろうという原理が強いのかなと思います。
▼共通了解を作ろう!といった哲学者がハーバーマスです。
さて、プラトンの理想主義の原動力はアテナイの政治を改革するという政治哲学的なものが出発点でした。彼は理想の国のあり方についての哲学を構築し、実際に政治改革に乗り出します(失敗しますが…)
次回はプラトンの政治論についてです。
それでは。
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