幸せってなんだろう!!!!
あなたはこの問いにどう答えますか?胸を張って「幸せです!!!」と言えますでしょうか。
でも、自分の幸せが何なのか中々これだ!と言える人ってあまりいないのかなあと思っています。
もちろん幸せが言える人は素敵なことなのですが、そうではない人は今回の記事をぜひ参考にしていただければと思います。
今から約2000年以上前、アリストテレスという哲学者が幸せは何なのか、世の中の人間を観察しまくって、頭を酷使して酷使して出した結論です。
考えるきっかけにしていただければ幸いです。
前回はアリストテレスの存在論について確認しました。合わせてこちらもご覧ください。
ざっくり前回のおさらい
この世界っていったい何なの?
古代ギリシャの哲学者たちはこの問題に生涯をささげて考えてきました。
そうして、ソクラテス、プラトン、アリストテレスときて、ようやく
現実の事柄を観察、整理して、体系化することで世界が何たるかを知ることができる
という現代に通じる学問の土台を作ったのです。
アリストテレスはその前提として、物事の本質はそのものの中にあると主張します。この本質のことをエイドス(形相)といい、本質を成り立たせるための材料をヒュレー(質料)といいました。
たとえば、パンケーキのレシピがあって、その材料には小麦粉や牛乳などが使われます。この場合、レシピがないとパンケーキはできませんので、パンケーキのエイドスはレシピです。そして、小麦粉などがヒュレーに該当します。
で、細かいことを言うと、エイドスというのは目的でもあるんですよね。
本質をこの世に実現して初めて存在することになりますから、材料を集めて、本質を実現させるという、という絶え間のない変化がこの世の中で起きているんですが、詳しくはこちらをご覧ください。
幸せって何だ?
さて、アリストテレスはありとあらゆるものに目的があると考えます。
当然、人間にも目的があるって考えたんですよ。
人間の目的って何だと思います?
この問題に対してアリストテレスはどう考えたか。
幸福に生きることです。
人は何か行動するときに様々な目的を持っています。その究極的な目的は最高善といい、それこそが幸福であることなのです。
けれども、そもそも幸福って何なんでしょうか。
アリストテレスは、幸福を三つに分けます。それが、①快楽、②名誉、③知恵です。
①の快楽を求める生活は享楽的生活、大衆に多いって言ってます。
②の名誉を求める生活は政治的生活、軍人や政治家に多い生活だと言ってます。
③の知恵を求める生活を観想的生活、真理を探究する哲学者の生活ですね。
このように幸福を類型化したうえで、一番低俗な幸福を①の快楽的生活だと述べています。
だって人間のエイドスは理性ですからね。
まあ、「満足な豚よりも不満足なソクラテスがいい」って哲学者の言葉もあるくらいですから、これは欲にまみれるよりも理性的であるほうが幸せだよっていう哲学者ならではのランキングかもしれませんね。
②の政治的生活は、確かに素晴らしいものなんですけども、名誉とかって他人からもらうものなので、依存しちゃっているんですよね。だから、アリストテレス的には自分で手に入れることができないので×。この辺、現代でも自尊感情の獲得とかの話に通ずるものがありますね。
そして、最高の幸せを観想的生活、つまり知恵を追い求める哲学者のような生活だとアリストテレスは述べました。アリストテレス自身がこういう生活をしていたでしょうか、もう「俺はめっちゃ幸せやぞ!」って感じだったんでしょうねw
ただ留意しなければならないことが2点あります。
大前提は、当時の社会状況と現在の社会状況が全く異なるということですが、そのうえで…
①エリート主義的な幸福感である
アリストテレスは幸福を序列化し、人間であれば観想的生活を最上級の幸福として求める(べき)だといいましたが、現代に置き換えると必ずしもそうとはいえないですよね。
古代ギリシャの哲学の特徴は「人間すべてに当てはまる普遍的な哲学」を追い求めることだったので、どうしても押しつけがましくなってしまいます。
②当時は奴隷制社会だった
そもそも古代ギリシャは奴隷制社会でした。そのため、日常の労働は全て奴隷に任せ、一般市民(大人の男性だけです)はプラプラして一日中議論したり、勉強したりすることが可能だったわけです。
奴隷の犠牲の上に成り立つベーシックインカムで365日24時間ずーーっと観想的生活ができるわけですから、そりゃ幸せですよね。
ただし、低俗とはいえ幸福の在り方として認めている点ではアリストテレスはやはり学者としてあらゆる人を観察し、研究していたんだなあと感じます。現代だって研究データの捏造とか、気に食わなかったら改ざんしてしまうこともありますからね。
でも、感情は人間につきもの。どうつきあっていけばいい?
幸福な生活を送るには、3つのタイプがあることを見てきました。
アリストテレスは、幸福な生活を送るためには「徳」を発揮しなければならないと述べています。
人間の本質は魂です。この魂がいい感じの状態を発揮することが徳であって、そうして幸福にたどり着けるんだと言ってます。
では、この徳とは何かといえば、ざっくりいうと三つあります。
①何が正しいのかを追究する探究心的な心、②感情に流されないようにコントロールする強い理性、③そして良いと判断したことを実際の行動レベルに落とし込んで習慣化していく力です。
現代でもめっちゃ大事やないの…
さて、ここからアリストテレスが使った用語で解説します。細かいので、大学受験生とか興味のある方以外は飛ばして大丈夫です!
アリストテレスは、あらゆる物事には本質(エイドス)と質料(ヒュレー)があるとしました。
当然、人間も本質を持っています。それが、魂です。
で、その魂の機能を徳といいます。この魂の機能がいい感じに発揮されれば、徳も良い感じに発揮されるので、幸せにたどり着けるってわけですよ。
そういえば魂(精神)いい感じの状態にするために、マインドフルネスとか流行ってましたよね。スティーブジョブズも座禅とか好きだったそうですし。
で、徳は2種類あって、①知性的徳、②習性的徳(倫理的徳)とあります。
さらに知性的徳は2種類あって、①真理を探究する知恵、②感情を良い感じにコントロールする思慮とあります。②の思慮ですけれども、たとえば「勇気」という感情も振れ幅があります。過剰な勇気は「無謀」かもしれないし、逆に「勇気」が不足すれば「臆病」になります。だから、アリストテレスは真ん中くらいいいよねということで、「中庸」という状態に感情をコントロールする理性的能力を列挙したんだと思います。
いやあ、大人になってもこれは難しい…
で、もう一つの習性的徳ですけれども、これは「勇気」とか「節制」っていう美徳を実際に行動に落とし込んで、かつ習慣化する力です。GRIT!やり抜く力!
なぜなら、中庸の感情を「知っていたとしても」、それが行動に移せないのなら意味がないですからね。
人間は一人では生きていけないし、社会の中で生きているので、頭の中で美徳が完結していてもまともな社会生活を営めない、そうアリストテレスは考えたのです。
このように、知恵を求め、感情を中庸の状態にし、実際の行動に落とし込み習慣化する、そうして幸せな生活が営めるとしたわけです。
ここでの幸せな生活とは、真理を求める知恵が発揮されるということが条件になっていることからも、観想的生活を念頭に置いていることがわかります。
今でいうとどんな人だろ。
社交的で、正義感にあふれていて、読書や勉強が好きで欠かさず、常に落ち着いた人?
パーフェクトヒューマンじゃない。
ただ、学者とか自分の好きなことを追究している人って確かに幸せそうですよね。
そういう意味でアリストテレスは最高に幸福だったんだろうなあと思います。
大事なことはあなたにとっての幸せを考えること
以上、アリストテレスの幸福論を見てきました。
いかがでしたでしょうか?
ぼく個人としてはどの幸福も大事だな~と思います。そもそも現代においては個々人が独自の幸福観を持っているわけですから、「これが幸福のあり方なんだぞ!古代ギリシャからの伝統だ!」なんておしつけちゃいかんわけですよ。
あくまでも自分の幸福感を考える参考程度にしておいてください。
今後も様々な哲学者の幸福論を紹介していきたいと思います。
それでは!
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