新卒教員の教科書

新卒教員の教科書

新卒のあの頃の自分へ向けたメッセージをつらつらと書いております。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みによるブログ。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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なぜ、教壇に立っているのか

 

あなたはなぜ教壇に立つのですか。

 

こう聞かれて、どう答えますか?

 

大学時代の教職課程、おぼろげな記憶をさかのぼると、周りに結構多かったのが「親が教師だから」「教師にあこがれたから」という理由だった。

 

別にこれ自体は悪くない。むしろ尊敬できるロールモデルに生育過程の中で出会えたことはとっても幸せなことであるし、人生の目標を持てることは、その目標実現のために行動を最適化できる。そういう意味では、むしろ教師になるなど大学入学時点で一ミリも考えていなかった自分はだいぶ遠回りをしたと思う。

 

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僕が教員になろうと考えた理由はきわめてシンプルで、この国の民主主義をよりよくするために、自分が持てる資源を活用して一番効果的な職は何かと考えたら教師が良かったというだけである。

 

だから、僕が教壇に立つ理由は、目の前の生徒が民主主義の担い手として十分な資質・能力・信念を備えさせるため、と答えたい。

 

Education

 

最近、教育学の勉強を本格的にしている。

政治学社会学から研究を出発している僕にとって、教育学はかなり未知の分野だった。でも、そのおかげで、自分の大学院時代の研究が目の前の仕事とようやくつながりを持ち始めた。

 

まだまだ理論も付け焼き刃だし、自分のものとして消化し切れていない感があるけれども、この1年はどんどん摂取していこう。

市場の課題解決能力って高いけども、市場が機能しなければジリ貧になるんだよね

 

※ただの感想です。

 

 

僕は田舎に住んでいるのだが、近くのドラッグストアにはトイレットペーパーやらティッシュが山のように積まれている(マスクはない)。

ただ、都心(結構裕福な街)に行くと平日の昼間からドラッグストア(中には文房具屋)に並んで、トイレットペーパーやらティッシュを待ちわびている人たちがいる。

 

あれ、なんでお金持ちがこんなところに並んでいるんだろう、というふとした疑問からこの話は始まった。

 

お金は手段

Money

お金を貯める人は多い。何のためかと問われれば「将来(の不安)のため」と答える人も多い。

 

でも、お金は使ってなんぼである。使わなければただの紙切れだし、政府が新円に突然切り替えればホントに紙切れになってしまうこともある(戦後すぐの時期、インフレ対策で交換に制限を設けられた形で新円切り替えが行われた。加えて超高率の所得税が欠けられて、富裕層が軒並み没落しました。マジです)。

 

お金は財・サービスの対価として支払うものである。つまり、お金は何かを得るための手段なのだ。手段は目標に従属するもので、主とはならない。だから、せっせとお金を貯めても、お金を貯める・集めることが目的にしては本末転倒なのである。

 

さて、市場とは、貨幣を仲立ちにして需要者と供給者が財を交換する場のこと。

払うお金に応じて受け取る財・サービスの量・質は上がっていく。

だから、何か困ったことがあっても、お金があれば融通が利くことが多い。これは歴史上変わらない原理だ(現世では例外はあれども、地獄の沙汰も金次第というし、「あの世」でも通じる原理だ)。

 

だから、資本主義社会だとお金持ちが強い。

金をもてば持つほど市場の課題解決能力の恩恵に授かれるからだ。

 

しかし、市場は常に機能するとは限らない。

非常時においては生活必需品の過度な需要に対し、生産が追い付かず、超過需要に陥ってしまう場合がある。そうなれば、過度なインフレで値段は天井知らず。しかも、量が限られているからオークション形式でどんどんアップしていく。

そうなると究極のお金持ちしか手を出せなくなる。ジリ貧である。

 

市場が機能しなくなるとき

Scott Toilet Paper

僕らは教科書で市場の変化する姿をさんざん勉強してきた。

第二次世界大戦期、都市部のお金持ちでも物資を手に入れるのは大変で、その点農家などの自給自足ができる人たち、軍人などの国家的に重要な職に就く人たちに優先して配給された。

 

しかし、それは国家が市場を管理していた時代の話で、今は国家の干渉は最低限(のはずだ)。それから70年以上が経ち、あまりにも管理されなくなって、今度は市場が暴走し始めた。

 

こういう市場の暴走を懸念して、「市場に大事なことは儲けることだけでなくて、人びとの「共感」も重要なんですよ」ってアダム・スミスが言っていたのを思い出す。市場と倫理はセットなんだと。

 

そして、現在。

人々はティッシュやトイレットペーパー、マスクなどを求めている。需要は大いにある。平時であれば、この需要をマーケティング部が見逃すはずがない。

けれども今は非常時である。自宅勤務を命じられた労働者もいるし、中には感染した労働者もいるかもしれない。工場だって稼働できるか微妙なところである。そうなれば供給体制が需要に追いつくわけがない。しかも、世界的な流行だから輸入すれば解決できるわけがない。

 

つまり、需要と供給で成立する市場のうち、供給側が需要に追いつくほどには稼働していないのだから、市場が機能していないというわけである。

となれば、いくらお金を積もうとも、肝心のブツがないわけで、市場を通じた課題解決は図ることが困難となる。

 

こういう時には市場以外の領域の人々が動くしかない。つまり、政府か市民である。

政府は今さんざん検討しているところだから口を挟まないが、我々市民にもできることはあるだろう。

「助け合い」という言葉はあまり好きではないが、それでも市場は特定分野では機能していないし、政府への批判など大きなことを考えるよりも、市井の人々でできることを考えた方が合理的だろう。もちろん政府の動きを注視することも大事なのだけど。

 

Adam Smith Wallpaper

アダム・スミスの述べた市場とセットの「倫理」というのは、今のような状況に足りないものなのかなあと思ったりする。

 

※政治制度や経済状況、国際状況など多種多様な視点はあれども、個人の倫理という視点も持つことは悪くないだろう。倫理は、最近の僕のテーマである。

 

それでは。

 

サラリーマンにテレワークは向いていないのか

 

コロナウイルスの影響で一部の企業がテレワークを導入しています。

 

私の友人の企業もテレワークを導入したそうですが、うまくいっているとはいいがたいよう。

 

なぜなのでしょうか?

 

いくつか理由がありますが、そもそも労働は何を基に評価されるのでしょうか?

そしてうまくいくとはどういう状況を指しているのでしょうか?それら働き方について考えていきたいと思います。

 

まず労働は生産行為ですから、何らかの経済的な価値(商品・サービス)を生み出すことが期待されます。ビジネスマンなら私的財・サービス、公務員なら公共財・サービスです。

 

ただ、会社によっては「成果を出すことで評価されるのか」どうかがわかれています。成果を出せば評価されるのなら時間に拘束されることはありません。逆にそうした評価体系がなければ、時間を決めて拘束されます。後者の例として教員は最たるものでしょう。

 

さて、テレワークの導入ですが、全ての企業に妥当なのでしょうか?

否、前者の成果型であれば妥当でしょう。なぜなら成果を出し、そのために必要性で動いているからです。基本的な思考は「成果を出しさえすればいい」のですから、成果を出すためにはフルコミットをします。こういう人は基本的にどこにいても働くわけです。

でも、時間に拘束されているのならその時間帯はずっとテレワークに従事する必要があります。でも、家にいる必然性もないのにそれをしているのならモチベーションは下がります。実際、ネットフリックスやYouTubeを見たり、寝ていたりとダラダラ仕事をしているそうです。というのも人の目、上司の監視がないから仕事をしなくても咎められない。成果を出すことも求められないので、時間内ログインしていればよい。だから、テレワークを導入しても意味がない。だから職場に行くことにも一定の合理性があるなあと思いました。

 

結論としては、評価体系の異なる企業によっては、テレワークの導入は意味をなさないということです。

でも、それが明るみになったのなら、全体として成果型になってくれないかなぁ。教育で成果型って超難しいんですけどね(〇〇大学何名合格とかになっちゃう)。

 

こういう負の側面はありますが、家でやれることなら家でやればいいし、職場に行かなければならないなら行けばいい。そういう柔軟な働き方への可能性を社会実験として見せてくれたのかなあと思っています。

 

今回はインセンティブという経済的な視点から考えてみました。

 

個人的には、職場ではもうちょっと緩い働き方を認めてあげてもいいのかも、たとえば音楽を流すとか。

 

 

※ふと思ったんですが、テレワークを導入した企業が集中しているところだと、飲食店の損失とかすごいんでしょうね。

国立大学の授業料値上げ検討のニュースとヤフコメのまとめ

 

 

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国立大学が授業料を値上げしそうだ。

 

国立大学の状況は厳しい。毎年国立大学に配分されている交付金が減少しており、大学関係者にとっては経営状況の改善が悩みの種となっている。

 

国立大学の授業料は年間で53万5800円という標準額が定められているが、現状は大学独自の判断による2割までなら上げることができる。

今回のニュースは、ここをさらに徹底させようというもの。

つまり、政府が標準額を定めている国立大学の授業料について、大学の裁量で自由に金額を決められる制度の検討が始まった

 

1975年くらいまでは国立大学の授業料は非常に低かった。しかし、そこから2年に1度のペースで授業料は上昇を続け、現在では私立との差は約6割まで縮まっている。

 

ヤフーニュースは辛らつな論調のようである。

ここで国立大学の学費を自由化した場合、一斉に大幅な値上げが実施されるのはほぼ間違いありません。一部から日本の公教育が崩壊するとの指摘も出ていますが、政府は機会の均等についてはあまり重視していないように見受けられます

 2019年10月、大学入学共通テストにおける民間英語試験導入に関して、萩生田文部科学相が「身の丈に合わせて勝負を」と発言したことが問題視されたことがありましたし、2018年には麻生財務相が、国立大学出身の市長に対して「人の税金を使って学校へ行った」と批判するという出来事もありました。今年から大学無償化の施策が始まりますが、現実には極めて所得の低い人しか支援の対象になっておらず、中間層にとってはほとんど恩恵がありません。教育は所得の高い人だけが受けるべきという価値観を持つ政治家が少なくないという現実を考えると、教育の機会平等を確保するのは難しそうです。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

ちなみに昔の授業料はどのくらいか

ちなみに1950年からの授業料を国立・私立別にまとめているグラフがあったので、連符しておく。

物価上昇率を考慮しても安いぞ!

 

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70年にわたる大学授業料の推移をグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース

 

なんでこんなに安かったか、それは貧しくても学業優秀であれば、学問へ門戸を開いていたから。エリート養成という機能が国立大学にあったのである。

しかし、そこを自由化してしまえば、本当に階級の再生産になると思うから、入れては如何と思うのですが、、、

 

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世間の反応は

以下は、ヤフーニュースのコメントを「そう思う順」に並べたものである。上から5つを並べてみた。

 

最も「そう思う」が多いコメント

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「その穴埋めを入学者の親に回す」

もし奨学金が今のような借金のままであるなら、授業料自由化は学業による選別に加えて、親の資産状況という偶然的な要素を前提としてしまうのはまずいんでないかい。

 

2番目

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3番目

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こういう見方をしている人が増えたと思う。

本当かどうかは別にして、世の中は虚構で成り立っているので、虚構が虚構であるとバレてしまったら分断と憎悪が社会を占めるようになってしまいますよ。

 

4番目

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私学に勤める者としては、学校の財務状況として補助金がなければやっていけない現実があるが、関係のない人にとってはこう思うのが普通だと思う。

でも、自由化を突き詰めるといっても、日本の私学はアメリカみたいに超高額な学費にはしてはならない。で、その司令塔が行政だから、補助金を出している。アレ…

ただ、私学も公教育の担い手だから説明責任がいるよね。学習指導要領ガン無視じゃだめですよ。

 

5番目

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まとめ

 

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まだ授業料の自由化が決まったわけではないけども、政府の方針と今までの推移、社会の風潮を見ると、ほぼ自由化は確実っぽい。

で、多くの人はあまり好意的に見ていないと思う(逆にあまりダメージのない高所得者はそもそも人口に占める割合が低い)。つまり、これだけ多くの人が格差が拡がっていて、それを食い止める役目が政府にあるのに、それと逆行していると感じている。政治不信って、こういう経済的な問題に対する政府の無力さに嘆いているところから始まっているのかな。

 

希望を描けるような社会は、誰が作るのだろうか。

統治者なのか、被統治者なのか…

 

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💡教員の本質的な仕事とは何か?-働き方改革と生徒たちの求めることの距離-

 

どうもこんにちは、しらすです。

本題ですが、本質的な仕事とは何でしょうか。

 

 

生徒の思いは

 

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いきなりですが、生徒って基本的に「自分のことを見てもらいたい」のかなあと考えています。

 

僕は定時で帰りたい生き物です。

ですから、なるべく業務削減のために論述等のフィードバックはスタンプの種類を変えて対応してきました。

たとえば、5段階で設定してスタンプを使い分け、相当いい答えが書かれている場合のみコメントをする、という感じにしていました。

 

本質的な仕事は教材研究だと思っていて、これ以外の仕事はなるべく時間をかけないよう、速攻で終わらせる工夫をしてきました。

 

けど、今年は生徒の課題に対してコメントを書くようにしています。基本的には手書きで一人ひとり違うコメントを書いています。書く前は半端じゃない仕事量に途方に暮れるのですが、やっている最中は謎のアドレナリンが出て作業が進みます。生徒の思いが具体的に伝わってくるから嫌いではないんですが、何せ量が多い。正直きつい。

「今日をがんばった者…今日をがんばり始めた者にのみ…明日が来るんだよ…!」という感じで追い詰めておりました。

 

生徒の声は…悪くない

ただし、生徒達には非常に評判が良かった。

それは「全員分のコメントを書くという具体的な労働力」が「自分が見られているという感覚」を可視化しているからだと思います。

というのは、生徒たちからは「えっ!全員にコメント書いたんですか?」とか「ほかの先生は書いてくれないね~」というような意見が出ていたからです。

やっぱり一人ひとりの生徒の根底には「自分を見てほしい」という欲求があり、たとえ見れなくとも「見ているんだよ」というメッセージを送ることが信頼構築に重要なわけです。そして、それはコメントを書くとか具体的な行動を伴って初めて生徒が先生のメッセージを認識するわけですから、やはり労力は割かないといけない。

 

だけども、担任業務だったり、校務分掌だったり、教科以外の仕事が多く、教務に十分な時間を割けない先生は多くいます。そういう理由で私もスタンプで済ませていたんですが。あれもこれもとやっていたら、結局先生は「寝なくても大丈夫マン」しかできない仕事になってしまう。

 

本質的な仕事とは?

 

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生徒の成長を支える上で信頼関係の構築は不可欠です。

授業も学級経営もコミュニケーションの一形態ですから、それが信頼的な性質であった方がいいに決まっています。

そうした努力は本質的な仕事でしょう。

 

ですから、何をどう効率化すべきか、という仕事の振り分けの基準は、子供の成長につながるかどうか、という視点で見て見るべきなのかなと思います。

(まあ、こんな感じで追い詰めてじり貧になるんですが」

 

ただ、これもまだ考える余地がある気がする。

 

それでは。

 

 

 

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【哲学者紹介#001】ハーバーマス-近代の夢を追い続ける-

 

どうもこんにちは、しらすです。今日はハーバーマスという哲学者の紹介です。

 

ハーバーマス】1929年生まれ・ドイツ出身

◆ドイツを中心に活躍する哲学者。御年90歳だが、精力的にメディアで発信するなど勢いは衰えない。

◆戦前はヒトラーユーゲントに参加。一方で、戦後はアメリカ占領に伴う民主主義教育を受けた世代。それらが彼の哲学に影響を及ぼしている。

◆哲学的な立場はフランクフルト学派第二世代に属する。

◆公共圏論、対話的理性、コミュニケーション的行為などを提唱し、哲学や政治学社会学の進歩に与えた影響は計り知れない。

 

「ハーバーマス」の画像検索結果

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9

 

 

いきなりだが、理性、というとどういうイメージを持つだろうか。

 

知的、洗練、賢い、合理的…。

おそらく悪いイメージはなく、何か価値のある良い言葉として受け止めている人が多いだろう。

 

それもそのはずで、まさしく理性が近代社会を発展させてきたからだ。

 

理性には成果を志向する、目的を達成するという意味合いがある。こうした理性を「道具的理性」と呼ぶ。

産業革命以降、大量生産を如何に効率よくするか、という点で人類は腐心してきた。機械化が進み、フォーディズムが登場し、様々な改良がおこなわれ、産業の生産性は飛躍的に上昇した。工場では分業が進み、労働者は目的に沿って合理的に動く。

 

こうした工場の合理的な在り方は官僚組織や学校など社会のあらゆるところに波及していった。組織が機能的に分化し、そして組織内においても役割分担がなされる。こうして目的を達成するという点で極めて合理的な組織がつくられていく。

 

こうして分業が進み、(先進国の)社会は豊かになった。けれども、同時に目的に対する価値判断はなされず、ただただ目的を効率的・合理的に達成することが重視されるようになった。

 

こういう視点で見れば、ナチスドイツの官僚は優秀だった。ヒトラーの非人道的なユダヤ人虐殺も、理性を効率よく活用した結果に過ぎない。官僚はヒトラーの意に従って、合理的・効率的に仕事をこなしただけだった。ただ、彼らの欠点は、その仕事の目的に対する価値判断がなかっただけなのである。

過度に理性を信奉した末路は悲惨だった。凡庸な悪はこうして生まれる。

 

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だから、過度な理性信奉は危険だと、戦後の社会では批判されるようになった。その急先鋒がドイツのフランクフルト学派だった。ただ、その学派の中でも、それに異を唱えた人がいた。それがハーバーマスである。

 

ハーバーマス曰く、理性には「目的を達成する」だけの側面ではなく、「価値判断を伴う」側面もあるという。後者の理性を「対話的理性」と呼んだ。

 

対話的理性とは、何が正しいかは自明ではないんだから、みんなでルールなどを決めよう、ということであって、合意を形成する能力のことである。特にグローバル化が進んで、色々な価値観や意見、出自を持つ人が同じ社会でごった返しているような状況かでは何が正しいかなんて誰にも分らない。だから、正しさをみんなで決めよう、という非常に現実的な哲学を提唱したのである。

 

どうして対話的理性などとハーバーマスは言い出したのか。

 

当時、ナチスドイツの反省から「理性のせいでひどい目にあった!」「理性はダメだ」という批判があった。それもハーバーマスの身内のフランクフルト学派を中心にして批判が巻き起こったのだ。

 

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でも、彼に夢があった。近代という時代は、全ての人が理性を持つようになる「啓蒙」の時代であって、それを達成しなければならない。けれども、まだその目標は達成できていない。だからこそ、近代という未完のプロジェクトを完成させるためにも理性の可能性を我々は信じなければならないのだ、と。

 

しかも、前述の「理性批判」というのも、あくまでも目的を達成するという意味での「道具的理性」に対する批判だった。だから、ハーバーマスは何とかして理性の可能性を信じなければならない、近代というプロジェクトを完成させなければならないという信念から、「対話的理性」という新たな理性の地平を拓いたのである。

 

対話的理性という概念は多くの研究を発展させた。こうした研究成果は多くの研究者の論争の中で生み出されていったというところも、彼の生きざまが自身の哲学を体現していると言えるところである。

 

何かを道具的に用いる力も大切だ。

けれど、それが正しいかみんなで話し合う、そんな力も大事なのである。

ハーバーマスは、今もドイツでメディアを通じて発信を続けている。あらゆる人への啓蒙を通じて、近代の夢を追い求めているのだ。

 

 

 

  

 

世界のお金は金に向かっている~公民科の知識で経済を分析する~

 

 

コロナウイルスの騒動によって多方面に影響が出ています。

安倍首相が2日に全国の学校に休校要請を出し、勤務校でも突然の最後の授業が行われたり。。。

 

さて、今日は金融の話。

結論から言うとこんな感じです。そして、金が買われている。

 

日本の経済状況と金融

そもそも日本の経済状況は芳しくありませんでした。

デフレ傾向の中で日銀がマネーストック(簡単に言うと個人や企業がどれだけお金を持っているか=使うかという指標)を増やそうとしてもなかなか増えず、一方で日銀の金融政策で金融機関の抱えるお金はどんどん増えていきました。

金融政策の一環として、日銀はETF(いろんな会社の株をごちゃまぜにした投資信託)を購入しているので、株価は上昇していました。

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2013年からの推移を見てください。黒田日銀総裁が就任した年で、このときから黒田バズーカといわれる超金融緩和がはじまり、今まで続いてきました。

銀行にお金を供給する政策は効を奏しますが、そこから先である民間企業や個人が思ったよりお金を借りない。つまり、マネーストックが増えない。こりゃ困った。

 

というわけで、お金を余らしても仕方がないので、行き場のない資金は株式市場へ向かいます。同時に日銀が投資信託を買っているので、相乗効果で日本の株式市場は好況を呈していました。

 

実体経済の状況

けれども、経済とは「生産・交換・消費」です。ですから、これが活発でない限り、本当の経済の力はよろしくありません。「株」というデータ上の数値だけが上昇したって、人々の生活はよくなりようがないわけです。実際の経済活動を伴う「実体経済」を見ないといけないわけですね。

実際、2019年のGDP速報値では―6.3%でした。明らかに消費税の影響で消費が落ち込んでいます。

 

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www.nikkei.com

 

余談ですが、経済学に出てくる登場人物は家計・企業・政府の3者だけです。GDPも、これら3者の経済活動の程度によって増減します。

その中でも支出面から見たGDPは次のように分解できます。

 

支出面から見たGDP=家計最終消費支出+民間設備投資+政府最終消費支出+総固定資本形成+在庫品増加+輸出-輸入

 

この中で最も大きいのは家計支出の合計である民間最終消費支出で、大体5割~6割くらいを占めています。ですから、日本経済は家計消費が落ち込むと結構な打撃を受けるわけです。

 

今回消費税の影響によって、おそらく家計消費が落ち込んだため、GDPが下がったのだと思われます。ただ、もちろん企業も消費税の影響を受けるので、民間設備投資は落ち込んだものと思われます。ですから、家計・企業、双方に悪影響があったと言えそうです。

 

ここから何が言えるかというと、先ほど申し上げた経済の原則である「生産・交換・消費」が落ち込んでいるということです。GDPは支出(消費)から見ても、生産からみても、分配(どれだけ給料もらったかとか)から見ても、同額です。

ですので、明らかに実体経済は悪くなっています。

 

ダブついた資金は安定資産へ向かう

でも、日本の場合は株価の上昇によって何とか経済が持っていた感がありました。

だけれどもコロナウイルスの影響もあり、株価が下落。そしてGDPもマイナスとなり、ダブルで日本経済が落ち込む様相を呈しているのです。

 

ただし、お金は持っているだけでは損です。どこかに投資されるはずです。

それが超安定資産である金です。

金価格チャート(1年推移)

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https://gold.mmc.co.jp/market/gold-price/

 

元々上昇基調でしたが、今年の2月20日ごろから急激に上昇しています。

つまり、今後も株価が下がると考えた投資家が金の購入に向かっている。

 

時を同じくして、アメリカの株価(ダウ平均株価)も下がっています。

 

となれば、ドルを上回る安定資産(金)に向かうか、コロナウイルスの影響の少ない新興国などの株式・債券市場に向かうか、はたまた現物取引に向かうか、という感じでしょうか。

 

個人的には金の積み立てを始めようかと考えていた矢先にこうした状況になったので、もう少し市況を見て判断したいと思っています。

 

と思ったら南先生がだいぶ前から書かれておりました。慧眼…

blog.goo.ne.jp

 

それでは。

「それ、テストに出ますか?」という道具主義についての私見②-なんだかんだ評価の問題じゃん!-

 

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昨日の記事であるけれども、特にこの時期は学年末考査が控えているから、表題の質問はよく聞かれる。そのたびに「具体的に何が出題されるかは言えないけれども、テスト範囲に含まれています」という玉虫色の回答をする。

 

というか「テストに出ますか?」という問いに対して、「そもそも勉強というのはテストのためにするものではなく…(うんぬんかんぬん)」という規範的なことを言い始めても、質問に対する回答になっていないし、説教チックなので子どもたちの心は離れてしまうだろう。

 

では、何と答えたらいいか、といったら「テスト範囲です」と答えるしかない。

だって、評価の中心がテストなんだから。

 

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子どもたちにとって成績というのは重要な指標である。

成績次第で保護者が一喜一憂し、学校内での位置も決まり(競争性・選抜制を敷く学校においては)、教師からの信用も変わる。そして、本人にとっても自己の努力の結晶なのだから、成績の向上・維持に腐心するのは至極当然のことである。

そして、成績を算出する指標として、なんだかんだテストが重要な地位を占めているのであれば、子どもたちはそれを気に掛けるに決まっている。合理的な生徒ならなおのことである。

 

評価をどうするか、は教師にとって永遠のテーマともいえる。

とある先生の言葉を借りれば、評価は沼、といえるほど深みのあるテーマだ。

だが、冒頭の質問には、そもそも評価のツールとしてテストを採用する以上は避けられない質問であり、「テスト範囲です」という答えをするしかない。

それは教師個人の評価方法に端を発する問題ではなく、そもそも学校の方針としてテストを採用しているから生じる構造的な問題なのである。

同時に、どんな人物に育ってほしいか、という学習目標をどのように実現し、どう評価するか、という指導と評価の一体化がどれだけできるのか、という問題にも通ずる。

テストを絶対視するのではなく、それ以外での多面的な要素による評価も検討しないといけないのだなあ…全然この分野はわからん。

 

そういえば麹町中では定期テストを廃止したそうだけど、どんな効果があったんでしょうか。

gendai.ismedia.jp

 

最後にやっちゃえ先生の苦心を共有して終わりたい。

 

それでは。

 

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「それ、テストに出ますか?」という道具主義についての私見

 

「先生、これってテストに出ますか?」

 

教師なら誰だって一度は受けるであろう質問である。

 

私自身もそうであるが、多くの高校教員は大学受験というものを少なからず意識して授業を行っていると思う

受験という目標に沿って授業展開をするので、きわめて合理的に授業が行われる。ただ、知識の伝達と得点力の向上点においてではあるけれども。

 

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ただし、私は受験合理性に基づいた授業を否定するつもりはないし、現に私自身も高3生にはそうした授業を展開している。

この立場は教育を受験という目標実現の手段として捉える点で、受験合理性に立脚した道具主義的な立場である。それはある面では非常に効率的であるが、教員も生徒も「テストに出るかどうか」が主要な関心事項になり、またテストに出ない(と考えられた)ものは学習対象から外れてしまう。

 

だからこそ教育の在り方を変えようという流れの中で、入試制度改革が学習指導要領改訂とセットで実施されたのであろう。それほど現場の教員にとってはテストの改革は日常の授業を変え得る強制力となりうる。

 

ただ、それでも教育が受験のための道具である立場は変わらない。

確かに教育は何らかの目的を実現する手段ではあるが、受験合理性が一番大事な目標になるんではなくて、市民性の育成などを目標として据えることも大切だと思うのだ。

 

教育はどこまでいっても道具主義的であって、教師は何のための道具なのかをしっかり認識したうえで教育活動に当たるべきであろう。でないと、そこから脱却することはできない。自戒の念を込めて。

 

それでは。

 

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読書はたまる、されど進まず(1月の消化本)

 

毎月、とんでもない量の本を購入するので、まったく収支が黒字にならない。

院生の時は「こんなに本を買えたらな~」と書店の一角で考えていたものだが、社会人になってお金と時間がトレードオフの関係であることを知ってからは「こんなに時間ないのか~」とお金で買えないものがあることを知った。時間欲しい。

 

一月は高校3年生が登校しなくなる。

本音を言えば、もう少し授業をしたかったが、その分時間に余裕ができたため、読書にふけることができた。ただ、入試業務が忙しくあまり時間をさけていない状況である。

 

Reading

 

1月は授業準備に関する本が中心であった。

 

まず金融分野の教材研究である。正直、マクロ経済学は苦手である。一通り学習したものの、なんだか腑に落ちないところがあるのも事実である。

 

これは良かったが、結構前提知識を必要とする本であった。

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それから社会保障の本も粛々と読破した(実は読むのは2回目)

平易な言葉で書かれていてオススメ。 社会保障制度がどうして誕生したのか、何を目的にしているのか、持続可能な社会保障制度を維持するには、負担と受益をどうすればいいのか、様々な考えをわかりやすく説明してくれる。

 

ただ、↑は詳しい制度については言及していないので、制度の詳細を知りたかったので、こちらにも手を出した。

 

余裕(スコレー)は哲学へと向かわせる。大学院時代の専門を思い起こそうとつらつらと読んだが、やっぱり研究しないと教師生活はつまらないと痛感した。 

 

ちょっとこちらも読み進めている(全然読み終わらないけど)(500ページ以上ある)

 

論文は散々読んでいるんだけども、本に限ると、これしか読んでないんですね(読み切れてないものもあるし)。時間と金はトレードオフなんだ…!(2回目)

 

それでは。

 

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