新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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動機づけについて考えた - アメとムチだけじゃ人は動かない -

 

夏の暑さはどこへやら。

 

もうすぐ10月になる。高校3年生は受験勉強や就職試験に忙しい時期だろう。

生徒たちを見ていると大学受験の頃の思い出が頭をよぎる。

あの時期は気が付けば参考書を開いていた。

 

さて僕が担当するクラスはほぼ全ての生徒がAO推薦や指定校推薦で進路を決める。そのためクラスの中にちらほら進路が決まる者も出始めた。

 

そうした中で最近、生徒の様子に変化が生じている。

夏休み前には積極的に発言していた生徒たちが授業に寝るようになった。

 

なぜだろう。

 

生徒に聞いたら「もう成績決まっちゃってますからね~」とのこと。

「夏休み前のハツラツさの裏には狙いがあったのか」

インセンティブのためにやっていたのか」

生徒の生の声に少しびっくりしたものの、自分の高校時代にも思い当たる節があった。

そういえば自分も苦手な教科はそんなスタンスで受けていたし、この時期は内職で受験勉強していた。

 

インセンティブが生徒を動かすんだな~と思ったものの、授業は受けてほしい。

何か方法はないかと本を漁っているうちにある概念を見つけた。

動機づけである。

 

  

2つの動機づけ

勉強する動機は2種類に分けられる。外発的動機づけ内発的動機づけだ。

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外発的動機づけ

外発的動機づけは、勉強自体の楽しさではなくて、勉強した結果得られる報酬や賞罰によって引き起こされるものだ。

たとえば「テストで100点取ったらおもちゃを買ってあげる!」というエサをつるしたり、「大卒の資格がほしいから大学受験を頑張る」といった目標のために勉強を頑張ったりと、勉強は目的ではなく、あくまでも手段として位置付けられている。

 

内発的動機づけ

一方で内発的動機付けは、勉強する内容や活動そのものから得られる楽しさによって引き起こされる

歴史小説を読んでいたら歴史上の人物が好きになって調べるようになった」

「図鑑を見ていたら恐竜に興味を持つようになったので、化石を取りに近くの河原に行った」

純粋な学ぶ楽しさから勉強に向かうのが、このケースである。

 

分析してみると

その生徒たちは外発的動機付けで動いていた。

大学入試を控え、それに必要な成績のために授業を受けていたのである。そういえば授業の初めに「この教科が嫌いな人はどれくらいいる?」と聞いたら、半数以上が手を挙げたのだから、当然といえば当然だ。

目標達成のために嫌いな教科も我慢して受ける忍耐力の強さには感服する。

 

でも、教師としては教科自体の面白さを伝えられなかったことに悔しさを感じる

目的が達成されて、授業が自分にとって価値を持たなくなれば、そこで学びは終わってしまうのだ。

「ここはテストに出やすいよ~」とか「これを知れば〇〇に役に立つよ」と安易に外発的動機づけに頼っていた自分をぶん殴りたい。

 

2500年前から学びの本質は変わらない

論語の教え

これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

 

訳:あることを知っている人は、それを好きな人にはかなわない。あることが好きな人は、それを楽しんでいる人にはかなわない。

 

好きだからこそ、頑張ろうと思える。さらに言えば楽しいからこそ、物事は続けられる。それは勉強だけでなく、趣味や仕事でも同じだろう。

 

楽しいという感覚は勉強において無敵なのだ。

 

2500年前に書かれた論語は現代の僕らに教えてくれる、学びに向かうには内発的動機づけがとても重要なのだと。

 

父の教え

僕はド文系だ。特に理科はとても苦手だった。でも、地学は大好きだ。それは父の教育に由来する。

幼少期、父は休日に僕を河原や山に連れて行ってくれた。そこは学びの宝庫だった。

石を割れば三葉虫の化石が出てきたり、山にキャンプに行けば夜空を見て星座を見たりと、小さいころに自然に対する感受性が育まれた。

 

父の偉大なところは、興味があれば調べられるように、図鑑を家に買い揃えていたところだと思う。実際に見たものを図鑑で調べたり、逆に図鑑で見たものを実際に探しに行ったり、その頃は好奇心の赴くままに学んでいた。

 

何か目標を立てて学ぶのではなく、利害を超えて純粋な好奇心から学んでいた時期があった。

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学校教育の難しさ

学校教育は一斉教育が基本だ。法律で受ける教科も決まっている。生徒が選ぶ余地はほとんどない。

だから生徒にどんな動機づけをさせるかがとても重要になる。

生徒は強制的に、つまりムリヤリ学習空間へと放り込まれる。

だから、最初は「これを勉強すると〇〇に役に立つよ」とか「こういうスキルが身につくよ」といった外発的動機づけでモチベーションを奮わせるしかない。

彼らにとって価値のあるものを提示して動かせる。

 

そうした強制の過程で、「わかる楽しさ」や「考える楽しさ」を経験してもらいたい。それが僕の理想像だ。

 

ただ、現実としては外発的動機づけは非常に有効であることは間違いない。生徒の大部分は教科に興味を持たないまま卒業していくのだし、思考力や判断力など教科を超えた能力の育成も教科教育に必要なことなのだから。

事実、僕だって外発的動機づけで動くことが多いのだ。寝ている生徒をどうにかしたい、その一心で「動機づけ」という概念を発見したのだ。

 

これからのために

生徒の様子の変化に気付けたおかげで分析の視点を得ることができた。

問題を解決したいという外発的動機づけで動いていたとはいえ、今後の指導に活かせる視座を得たのは幸いだった。

これからは安直にエサをぶら下げずに、教科の楽しさも伝えられるようバランスよく授業を構築していきたい。

課題は、どうすれば魅力を伝えられるか、どうすれば楽しさを見出すのか、そうした認知心理学の知見がないことだ。

 

2つの動機づけは子育てしている方にもとても有益な考え方だと思うので、ぜひ考える際のヒントにしてほしいと思います。では。

わたしが教師になったわけ 原体験としての1945と2009

教師になって約半年。

節目ということで、なぜ教師になったかを振り返ってみた。思い起こせば社会をどうにかしたいという気持ちがあった。

 

私の針路を決めた決めた出来事

原体験としての政権交代

 

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高校生のころから政治に興味があった。正直かなり特殊な高校生だったと自負している。笑

 

時は2009年にさかのぼる。衆議院選挙の真っ最中、自由民主党から民主党へ大規模な政権交代が行われようとしていた。二大政党制が日本に定着するか?!なんて言われていたのもこの頃だ。

 

そのころ、メディアは自民党バッシング一色だった。反自民の意見が大勢を占め、民主党政権交代は秒読み状態だった。

高校生ながらに思った疑問が「民主党を支持するのはなんでだろうか」というものだった。

そこで周囲の大人に徹底的に聞いて回った。

 

「なんで民主党がいいの?」

 

自民党にお灸をすえるため」

自民党が嫌いだから」

 

みな同じような回答をしてきた。それから具体的に何が悪いかを答えてくれる人は皆無だったと思う。

 

結果として民主党政権交代は実現した。

と同時に強く思ったことがある。

 

なんだ、大人もあまり考えてないんだな…

 

そして、私は政治学を学ぶ決心をした。

当時の私にはこの出来事がなぜ起きたのか全く分からなかった。なぜ人々は民主党を支持しているのだろうか、逆に自民党を支持していないのだろうか、と。

 

そして、今では確信を得ている。

衆愚政治は絶対に避けるべきだと。

もちろん、過去の選択が間違えだったというのは結果論の話だ。私と違う考えを持つ人もいるだろう。でも、あの政権交代は間違いなく私の原体験として強く心に刻まれているのだ。

 

(民主主義は社会のあらゆるメンバーが決定に参加するシステムである。だから個々人が考える能力を有することを理想とし、一人ひとりが冷静に考えることが求められる。こういう理想が掲げられている一方で、人々が大して考えていないこと、そして周囲に流されているという現実に私は強い危機感を抱いたのだ)

 

私の学問の方向性を決めたのは間違いなく2009年の政権交代にある。

 

アイデンティティとしての祖父

 

私が政治学の中でも政治理論を学ぶようになったのは祖父の影響が大きい。

 

祖父は私のあこがれだった。大戦中は理系だったために学徒動員を免れ、戦後は某企業に勤め、退職後は大学教授を務めた。

 

そんな祖父も亡くなってしばらくたった時のことである。

書斎を整理していると、祖父の自伝があることに気づいた。祖父の生まれから、死ぬ直前までの出来事が事細かに書かれていた。そこには衝撃的なことが書かれていた。

 

母親を原爆で亡くしたこと。

治療のかいもなく、原爆投下から4日後に亡くなったこと。

 

衝撃だった。大切な人を目の前で亡くすつらさは想像に堪えない。

 

その後、祖母にこんなことを聞いた。厳格でめったに感情を出さない祖父が死の少し前に人前で泣いた、と。

お酒を飲んで涙腺が緩んだからか、母(私から見て曾祖母)を亡くしたことを思い出したそうだ。

祖父の苦しみを想像すると涙が出てきた。

 

若気の至りか幼稚さゆえか、しばらくは反米思想を持つようになった。非常に短絡的だったが、原爆の強烈なインパクトゆえにやむを得なかった面もあると思っている。(今は特にそういうわけではない。アメリカは素敵な国だし、アメリカ人も素敵な人たちだと思っている。)

 

 

反米的な考えは太平洋戦争への興味につながった。

そこから、東京裁判や原爆の正当性など正義とは何だろうかと考えるようになった。

正義への疑問は哲学への興味へとつながった。そのおかげで、まず疑ってみるという姿勢を持てる土台になった。社会の理不尽さにも疑問を抱くようになった。

 

考えることは疑うことからスタートする。

近代哲学の父と言われるデカルトは、あらゆることを疑って自身の哲学を完成させた。

疑うことは考える上でとても大切なことなのだ。

そして、一人ひとりが考えることは民主主義を機能させる上でも大切なことなのだ。

 

こうした経緯があって大学院で民主主義理論を学んだ。

 

教師としての自分と民主主義

教師になったわけ 

教師になったのは、かつての過ちを繰り返さないためである。

つまり、周囲に流されずに自ら考えられる人々を育てることで、民主主義的な社会を作っていこうという気持ちがベースにあったからだ。

個々人の能力が高くなれば、社会はよくなっていく。そういう確信が教職に向かうモチベーションになっているのだ。

今後の社会では一人ひとりが考える能力を高めていくこと、そして共同して納得解を導き出すことが求められている。でも、それらは民主主義社会にとって本来的に非常に大事なことなのだ。

 

民主主義を支える資質と能力

最後に人々が身につけるべきだと私が考えている能力・資質を書いておこう。

ただし、未だにこれらの明確な形は見えていないし、今後アップデートしうるものであることは付言したい。

 

学習力:自ら課題を発見し、そのために必要な知識を調べ、習得しようとする態度

想像力:社会的想像力:同じ社会の困っている人がいることを想像できること

寛容さ:多様な価値観の存在を認め、それらを尊重できること

思考力:自らの持つ価値に従って論理的に考え、事象の結果を予測できること

判断力:自らの価値に従って様々な選択肢の中から決定できること

 

民主主義は参加する市民が常に政治をよくしようとすることで正常に維持される。単に参加が拡大しても、政治的に成熟した市民がいなければ、それは動員というのだ。

民主的であろうと行動する市民、それが民主主義社会が求める理想なのである。

本郷和人『日本史のツボ』を読んだらタメになった

歴史を教えていると必ず直面する課題がある。

歴史って何の役に立つの?という質問。もう就活の時に何千回と反芻し、就職してからも何度も考えた。というか生徒から聞かれる。

正直なところ、君は役に立つというたった一つの視点でしか物事をみれないの?別にエンタメとして楽しめばいいじゃん!

と思うのだが、エンタメならTikTokやらインスタやら歴史以外のものに走るのが普通である。

でもそんな疑問をもってしまうのもわからなくはない。

だって板書をノートに写して先生があーだこーだ話すだけの時間なんて、興味がない人からしたら睡眠学習でしかないのだ。

しかし、こちらも職業教師である。歴史にまず興味を持ってもらうためにはどうすればよいのか、日頃から頭を悩ませて書店をブラブラしているのである。

そんなときに出会った一冊が本書であった。

日本史のツボ (文春新書)

日本史のツボ (文春新書)

 

この本はあるテーマから歴史を眺めることで歴史の奥行きを伝えようという趣旨で書かれている。

 

 

日本史のツボ:内容

概要

著者は東京大学史料編纂所教授の本郷和人

氏のモットーは歴史のリアルを感じてもらうこと。たとえば「鎌倉武士の給料は現在で言うとどれくらいか?」といった疑問を提示したり、北斗の拳を引き合いに出して説明したりと、例えが豊富なために文章がとても読みやすい。

本書は次の7つをテーマとして通史を描いている。ちなみに7つのテーマはかなり密接に関連している。

天皇 宗教 土地 軍事 地域 女性 経済

天皇から見た通史

ここでは天皇というテーマについて見てみたい。

天皇と言えば、政治には関与せずに、儀式を行うというイメージがある。しかし、もともと天皇には王としての役割があった。

世界史的に見たとき、「王」には共通して担っていた役割があります。民から税を徴収し、大規模な治水事業を行うこと、法律を定めること、兵馬を率いて、戦争を指揮すること、神の言葉を民に伝え、神に五穀豊穣を祈ること、暦を定めること、宮廷において芸術や文化をはぐくむこと…。(14ページ)

こうした役割も、時代を経るうちに、他の勢力に削がれていき、残された役割が現在の天皇を形作ったのである。

 

古代における天皇

古代において天皇が果たした役割というのは大陸文化の受容、そしてそれに改変を加えて独自の日本文化を作り上げることだった。

つまり、日本ブランドの創生である

そしてそれを促進したのが白村江の戦い

すなわち、外圧であった

 

外圧による天皇の施策

敗戦によって天皇は都を移したり(飛鳥から近江大津宮へ)、国防の強化を実行した。さらには日本独自のアイデンティティの基礎となるヴィジョンを打ち出した。天智、天武、持統の3天皇が行ったのはヴィジョンの提示だった。たとえば以下の4つがそれにあたる。

天皇という呼称…中国・朝鮮とは異なる独自の存在であることの誇示

日本書紀古事記の編纂天皇家と神話を結びつけることによる権威の確立

法隆寺伊勢神宮の建立…日本独自のデザイン

大宝律令律令制の導入による国家体制の整備

しかし、こういったヴィジョンもあくまでも理想にすぎず、実態は政策が完璧に行われていたかどうかは怪しいと本郷氏は言う。

また、外圧によって始まった改革も、唐が内乱状態に入り外圧が消えると、努力目標を政権は失っていく。そうして建前に過ぎなかった律令は崩壊していくのであった。

平安時代には摂関政治が確立し、天皇ではなく藤原氏が政務を担うようになった。

そして894年には遣唐使も廃止される。つまり、外交という国家の重要な仕事が天皇の役割ではなくなるのである。こうして天皇は権力をどんどんと失っていった。

 

平安時代天皇

天皇の政治権力はそがれつつあったが、依然として経済力は握っていた

平安時代天皇摂関家によって、政治的権力を奪われましたが、失われなかったのは経済力でした。それは国の土地はすべて天皇のものという律令制の建前がかろうじて守られていたからです。(23ページ)

律令制の建前とは公地公民である。

公地公民の下では全ての土地が公有地なので国家に入ってくる税金も莫大なものになる。

しかし、平安時代になると、日本の土地は大半が私有地である荘園になる。そうなれば税金も減るはずなのだが、そうはならなかった。

その理屈を理解するには職の体系という概念がポイントになる。

 

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土地の庇護の代わりに荘園からの収益の一部が貴族や寺社などに納められる。そうした寄進先の中で最も上位の権威が天皇だった。寄進によって天皇は莫大な収入を得たのである。

その行き着いた究極形が院政であった。

しかし、院政天皇にとっては良策ではなかった。それはかろうじて残っていた律令制の建前を自己否定することになったからである。

 

院政以前、天皇摂関家に政治の実権を握られていましたが、だからこそ摂関家のように私利私欲に走らない、公を代表する存在として、「公地公民制」の頂点に立つことができていたのです。

それが白河上皇後白河上皇のように、自分の支配下の荘園を拡大させるようになると、摂関家や寺社勢力などと同じ土俵に降りて、私利私欲による闘争に参加することを意味します。

そもそも公地公民を掲げ「この国の土地は天皇のものだ」と唱える天皇家が”私有地”を持つこと自体矛盾しているわけで、ここにおいて「律令制」は建前としても崩壊してしまったわけです。

かくて、日本全体が土地争奪戦に突入した。これが日本における中世の幕開けだといえるでしょう。(25-26ページ)

 

この本のいいところはこうした歴史上の転換点が強調されているところである。授業で学んだことの意義が分かるので、とてもタメになる。

 

中世の天皇

鎌倉時代承久の乱をきっかけに幕府と朝廷の立ち位置が逆転

1232年、承久の乱後鳥羽上皇鎌倉幕府に敗北する。これによって天皇の権力は大きく減退する。

①経済力の後退後鳥羽上皇に味方した皇族や武士の所領が没収

②軍事力の解体天皇直属の軍隊の解体。六波羅探題の設置によって朝廷を監視

後鳥羽上皇の配流…幕府が刑罰を課す側に

このように逆転した立場を戻そうとしたのが後醍醐天皇だった。

鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇はかつての天智、天武天皇のようにヴィジョンを掲げた。

律令制の再建、天皇親政の復活である。

しかし、後醍醐天皇の行った建武の新政は失敗に終わり、また武士が政権を担うようになる。

しかし、武士の権力が強力だったとはいえ、依然として幕府にとって天皇は不可欠だった。

それは室町幕府が土地の権利をめぐる論理として職の体系を超える論理を構築できなかったからである。そのため、天皇家を滅ぼしてしまえば、土地をめぐって混乱が生じてしまう。こういう危機意識が幕府上層部にはあった。

 

権力を失い、王としての面影がなくなった戦国時代以降

職の体系に頼らないシステムができたのは戦国時代だった。その代表例が織田信長だ。

権利関係が天皇ではなく、戦国大名に一元化される。もう天皇は土地を保護してくれない、無用の長物となった。

その結果、天皇が経済的な利権を失い、じり貧になっていく。葬儀代すら出せない天皇も出てくる。

そして江戸時代には天皇は完全に江戸幕府の統制下におかれる。外出すらも幕府の許可が必要だった。

しかし、明治維新の際には天皇が再び「王」としての役割を期待され担ぎ出される。

このように天皇は時代に翻弄されてきたのだった。こういう歴史的視点をもって生前退位など現代のニュースを見れば、普段とは違った考えに至るかもしれない。

 

本書には天皇以外にも6つテーマがある。どの章も読みごたえがあり、

今を見る視点を提供してくれる。

 

歴史学は「むかし」との比較を通じて「いま」の特質を明らかにしてくれます。僕たちが当たり前だと思って疑問を抱かずにいる「いま」の位相を改めて示すことにより、それを改善するためのヒントがおのずと生まれてくるはずです。(220ページ) 

 

昔の記事で書いたが、歴史を学べば、現在の事象を相対化する視点を手に入れることができる。

www.yutorix.com

と偉そうなことを述べてみたが、まず私に課せられた使命は今の授業のあり方を見直して、2学期からの授業を考えることである。

ああ夏休みが終わってしまう。

ざっくり冷戦史

 

冷戦とは?

 アメリカとソ連を中心にした政治的・軍事的・思想的な対立である。

1945年のヤルタ会談から1989年のマルタ会談までの間で対立が繰り広げられた。

ちなみに冷戦(Cold war)とは、米ソ両国の直接戦争(Hot war = 熱戦)を伴わない対立状態のこと。

冷戦をとらえる枠組み

冷戦は40年以上にわたって続いた対立である。

スポーツでも試合時間中、ずっと試合が白熱しているわけではない。所々で展開の進まない時間帯もある。冷戦も同様だ。

したがって冷戦をとらえるには、米ソの軍事的緊張が高まる時期緩む時期を区分することがポイントになる。

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具体的に冷戦を整理すると

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緊張と緩和の繰り返し

緊張Ⅰ【冷戦の開始】

第二世界大戦

そもそもアメリカとソ連は国家理念が180度異なっていた。

アメリカが掲げる資本主義私有財産の保障や競争社会を是とする。その一方で、ソ連の掲げる共産主義*1私有財産を否定し(国有財産)、平等な社会を理想とする。

米ソが協力して戦った第2次世界大戦の終わりごろから、両国は対立し始める。

ヨーロッパや日本の戦後処理を決めたヤルタ会談で、米ソの思惑の違いから双方に不信感が広がった。特に会談での取り決めに反して、ポーランドソ連共産党政権を立てたことで対立は決定的となった。

アメリカを中心とした西側陣営、ソ連を中心とした東側陣営に分かれて世界が争う萌芽がここで生まれたのである。

軍事的に見れば、米国が核兵器を唯一保有していたものの、科学技術や経済力の面ではソ連が上回っていた

戦後

ソ連は戦後東ヨーロッパに社会主義政権を樹立していく。

共産主義の拡大に危機感を抱いたアメリカは、ソ連への敵対政策を展開していく。

まずヨーロッパへ無償経済援助を行うことで西ヨーロッパ諸国を自陣営に組み込んでいった(マーシャル=プラン)。しかし、こうした西側の動きに反して、ソ連を中心に東ヨーロッパ諸国は結束を強めていく。

東欧諸国はアメリカからの援助を拒否し、独自の経済協力機構(コメコン)を結成する。

経済的な対立の一方で、軍事的には西側では1949年にNATO、東側では1955年にWTOワルシャワ条約機構)が発足し、軍事的な対立も深まっていく。

ここでヨーロッパにおける東西冷戦の枠組みが確定した。

また、ソ連が1949年に水爆実験に成功することで、両国の軍事的な均衡状態が生まれる。

緩和Ⅰ【雪どけ】

きっかけはスターリンという独裁者の死だった。後継者であるフルシチョフスターリンを批判し、アメリカとの平和共存政策を打ち出した。

これによって、米ソの対立が緩み始めた。ソ連アメリカ、イギリス、フランスの首脳がジュネーブに集まって会談が開かれ、両陣営に融和ムードが広がった。

緊張Ⅱ【キューバ危機】

しかし、融和ムードも突如として終わりを迎える

きっかけはソ連キューバに核ミサイルの基地を建設したことだった。

キューバの位置を確認すれば、アメリカの目と鼻の先にあることがわかる。

ミサイル基地はシカゴやワシントンを射程範囲に含んでいた。

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アメリカはソ連の核ミサイルが運び出される前に海上を封鎖することを決めた。

ここで米ソは核戦争の危険に瀕する。

しかし、両国の交渉の末、キューバのミサイル基地は撤去され、危機は回避された

キューバ危機の翌年、米ソ間でホットライン(直接の電話回線)が設けられ、両国の間で直接対話ができるようになった。

緩和Ⅱ【デタント

キューバ危機以降、米ソ間では軍縮が進み、融和ムードができていく

1970年代に起きた米ソ間の緊張の緩和をデタントという。

デタントを象徴するのは次の2つである。

 ①米ソの核軍縮 ②ヨーロッパにおける東西の融和

この時期には、米ソ間でミサイルの数量制限に関する条約が結ばれたり(SALTⅠ)、ドイツの積極的な外交によって東西ヨーロッパ間での対話が進んだりした。こうした融和ムードから冷戦は終わるかのように見えた。

緊張Ⅲ【新冷戦】

しかし、1979年にソ連アフガニスタンに侵攻することで再び米ソは緊張状態に入った。ここで新たな軍事的緊張状態に突入していく。

アメリカのレーガン大統領はソ連「悪の帝国」と呼び、宇宙からレーザー光線でミサイルを迎撃する計画(SDI)を打ち立てた。ソ連への対抗姿勢を明確にする。

アメリカの姿勢に呼応してソ連も軍事拡張を進めていく

米ソの軍事的競争の激化は、両国の財政赤字の拡大をもたらした。

ソ連国内では公的予算のうち軍事支出が拡大し、民生予算が圧迫されていく。

政権党である共産党は限られた富を独占し腐敗していった。もはや国民生活は限界を迎えていた。こうした中でゴルバチョフソ連のトップに就任する。

緩和Ⅲ【冷戦の終結 

ゴルバチョフが取り組んだのはソ連の改革であった。

彼の改革は以下の3点である。

ペレストロイカ(政治経済制度改革)②グラスノスチ(情報公開)③新思考外交

①はソ連国内の立て直しを図るもので、資本主義的要素の導入など経済的な改革が行われた。

②が導入された背景にはチェルノブイリ事故の隠蔽があった。ゴルバチョフは情報公開を進め、マスメディアなどに表現の自由を与えた。

③では軍縮と米国との協調が進められていった。1986年には米ソ間で中距離核戦力全廃条約が締結され、戦力の削減が決められた。

1989年にはアフガニスタンからの撤退が完了し、こうした東西の軍縮の流れの中で米ソの対立が終わりを迎える。

1989年に地中海のマルタで米ソの首脳が集まり、冷戦の終結が宣言された。ここに米ソの冷戦は終焉した。

冷戦を学ぶ意義

来年で平成が終わる。30年続いた平成の幕開け米ソ冷戦の終結の年でもあった。

平成は冷戦という枠組みから脱却した期間でもある。そのために現代を理解する上で冷戦の理解は欠かせない。

たとえば、冷戦後には民族紛争が激化した。東西陣営という行動原理が崩壊したために、民族主義・宗教が噴出したからだ。

また米中冷戦を理解するには、米ソ冷戦のアナロジーで考察することもヒントとなる。かつてはイデオロギーの対立だったが、現在は何をめぐる対立なのだろうか。

*1:共産主義社会主義の発展形であるが、ここでは同じものとして扱う。ただし、厳密に言えば両者は異なる。

大学入試から考える現代社会「日本で格差は拡大しつつあるのか?」

大学入試問題から考える現代社会「日本で格差は拡大しつつあるのか?」

2017年 大学入試センター試験【政治・経済】より

問2 次の表は日本、アメリカ、デンマーク、ドイツにおける2000年代の低所得層に対する所得再分配の比率と、所得再分配後の相対的貧困率とを示したものである。この表から読み取れる内容として正しいものを、下の①~④から選べ。

(単位:%)

 

   日本

   アメリ

  デンマーク

  ドイツ

低所得層に対する

所得再分配の比率   

   2.0

   1.9

   6.0

   4.2

相対的貧困率

   15.0

   17.0

   5.0

   11.0

(注)表中の「低所得層」とは、所得の下位20パーセントの世帯を指す。「低所得層に対する所得再分配の比率」とは、低所得層が受け取る公的な現金の給付額(直接税および社会保障の負担を差し引いた値)が、全人口の可処分所得の総額に占める比率である。

(資料)OECD編著『格差は拡大しているか』(2010年)により作成。

選択肢

 ①EU欧州連合)に加盟しているがユーロを導入していない国は、低所得層に対する所得再分配の比率が最も低く、相対的貧困率が最も高い。

リーマン・ショックの発端となった国は、低所得層に対する所得再分配の比率が最も低く、相対的貧困率が最も高い。

③すべての原子力発電所を2022年までに閉鎖する予定となっている国は、低所得層に対する所得再分配の比率が2番目に低く、相対的貧困率が2番目に高い。

④現時点で政府の債務残高がGDP国内総生産)の2倍を超えている国は、低所得層に対する所得再分配の比率が2番目に高く、相対的貧困率が2番目に低い。

解答

②が正解。②の国はアメリカを指している。所得再分配比率は1.9と最も低く、社会保障が整備されておらず、競争社会であることがうかがえる。また、相対的貧困率は17.0と4カ国中最も高く格差が大きいことを示している。

①はデンマーク、③はドイツ。④は日本で、アメリカについで所得再分配の比率が低く、一方で相対的貧困率が高い。すなわち、日本でも格差が拡大しつつあり、アメリカ型の自由主義的な社会へと変わりつつあることがデータからうかがわれる。

考察:日本で格差は拡大しつつあるのか?

まず用語を定義したい

相対的貧困率とは

貧困には相対的貧困絶対的貧困の2つがある。

相対的貧困とは「所得が国民の中央値の半分に満たない人の割合」(「OECD日本カントリーノート2015年」より)を指す。

そもそも相対的貧困とは、「ある国や地域の中で、平均的な生活レベル(中位所得)よりも、著しく低い水準に置かれている状態」を指す。

一方で絶対的貧困とは「その国で人間が文化的な生活をするのに必要な最低限の所得が満たされていない状態」をいう。

明坂らは、絶対的貧困の線引きを、生活保護基準額に満たない額と定義している(どちらの定義も明坂弥香ら著「日本の子どもの貧困分析」pp.2-5より引用)。

そもそも格差とは

本記事における格差とは、所得程度の差である。

所得格差の指標として「ジニ係数」というものがある。所得配分の格差を「0~1」の数値で表したものであり、「0」は全員の所得が同じ状態で「1」は1人の者が所得を独占している状態である。

「1」に近くなればなるほど、不平等である。ジニ係数高所得者が増加すれば、数値が大きくなる傾向にある。

 

ジニ係数の目安は以下のようになる

0.2~0.3 通常の所得配分が見られる社会。

0.3~0.4 若干の格差がある社会。市場経済においては通常の値である。

0.4~0.5 格差がきつい社会。

0.5以上 格差が大きい社会であり、政策等での是正が必要となる。

現在(2013年)の日本のジニ係数所得再分配後)は0.30であり、若干の格差がある社会に分類される。ただし、所得再分配前のジニ係数は0.48であり、政策による格差是正の効果がうかがえる。

ジニ係数の定義および目安の引用は、とうほう『政治・経済資料2017』による)

日本の現状はどうなのか

2015年度における中央値は245万円であり、したがってその半分の122万円以下が相対的貧困となる。

割合としては15.6%であり、日本の人口が約1億2500万人であることから、およそ2000万人が貧困状態にあると仮定される。1985年には12.0%だったことを鑑みれば、明らかに貧困状態にある人は増加している。

ただし、所得再分配前の数値は28.65であり、再分配後と比較しておよそ2倍の数値を記録している。ここにおいても政策による是正効果の大きさがうかがえる。

格差は拡大しているのか

所得再分配後のジニ係数は1998年の0.3326をピークに、2013年は0.3083まで下がっている。

相対的貧困率は、1985年には12.0%であったが、徐々に上昇していき、2012年の16.3%をピークとして以後低下し、2015年には15.6を記録している。

ジニ係数の数値が下がっているにもかかわらず、相対的貧困率が上昇しているということは高所得層と低所得層の開きが拡大していることを示している。

また、これは一部の高所得層に所得配分が集中していることも示している。底辺層への再分配が行き届いておらず、所得程度の差が明らかに拡大している。

かつて一億総中流といわれ、広い範囲で所得が平準化されていたことを考えれば、格差は拡大しているといえよう。

格差の何が問題か

OECDは格差の問題点としては

①低所得層の教育投資を困難にする点

②就業機会の低下

の2点を挙げている。

①については、低学歴の両親を持つ子の学力が低くなることや、高等教育を受ける確率の低下が確認されている。②に関しては、格差が大きいほど低学歴層が就業できない確率が上昇することが確認された。こうしたところから、OECDは格差縮小と機会平等政策の重要性を強調している。

結論

結論を言えば、日本で格差は拡大しているといえるだろう。

繰り返しになるが、以下のことがそれを示唆している。すなわち、

ジニ係数の数値が下がっているにもかかわらず、相対的貧困率が上昇しているということは高所得層と低所得層の開きが拡大していることを示している。また、これは一部の高所得層に所得配分が集中していることも示している。底辺層への再分配が行き届いておらず、持たざる者が増加したという点において日本の格差は拡大している。

 

(引用を示しているデータ以外は、平成29年度厚生労働白書より引用した。)

旅の効用

3か月間教員として働いた。夏休みに突入し、今までの働き方を振り返ると、あることに気づいた。院生時代もそうだったが、教材研究のために膨大な量の本や論文を読んだことだ。深夜まで教材研究をした日には、翌朝とてもつらかったことを覚えている。けれども、たくさんの本と出会ったことは糧になっていると実感している。

 書を捨て旅に出よう

さて、今年の夏は関西と東北へ旅に出ようと思う。というのは、机上だけでなく、現場で学ぶことも大事だからだ。

紙上の情報だけでなく、実物を見て、聞いて、雰囲気を味わうことで知識が活きたものとなる。単なる知識を実のあるものにしてくれるのだ。だから旅に出ることが教員として非常に重要なのである。その重要性は、院生の時に読んだ一冊の本に教えてもらった。有田和正氏の本である。

学びの詰まった一冊

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有田和正氏は、プロ教師としての教材開発強化法について、次のように述べている。少々長くなるが引用したい。

わたしの提案したいことが、三つある。

一つは、常識を疑ってみることだ。わたしなど、つまらぬ常識という名の非常識にこり固まっていて、本当の姿が見えなくなっている。

教師の常識・社会の非常識といわれるではないか。常識を疑ってみることにしよう。そうすれば、新しい教材の側面が見えてくる。(184-185ページ)

二つは、アンテナを高く、広くはりめぐらせ、ということである。

雑誌一冊読まないようでは、新しい情報は入らない。アンテナをはりめぐらせて、いろいろなものに好奇心をはたらかせることだ。

(中略)

教える内容を確かにもっていてはじめて教え方の工夫ができるのである。

とにかく、いろいろな情報を「面白い」と思って集めることだ。(185ページ)

三つは、旅をすることである。わたしはあちこち講演に行くたびに、何か一つは見つけて帰る。いや、旅で見たことがもとになって、他のものが見えるのである。なるべく新しいところ、知らないところがいい。カルチャーショックを受けるようなところがいい。(186ページ)

 

このように氏は教材研究の一環として旅を勧める。ただし、単なるレジャーとしての旅を勧めているのではない。氏が理想とするのは知識を十分に蓄えた上での旅だ。

わたしは、これまでに23カ国を訪ねた。

それぞれの国に行く前に、多くの本を読んだ。もう行く必要がない、行ってもこれだけ見ることはできないだろう、というくらい読んだ。

しかし、行くたびに、私の予想はくつがえされた。本や写真、地図では読み取ることのできない世界が、現地では見えるのである。(47-48ページ)

現地主義を貫いているうちに気づいたのは、「百聞は一見に如かず」ではなくて、「百聞があって、一見が生きる」ということである。

予備知識があるのとないのでは、現場での一見のしかたが違ってくる。事前に勉強して、現地へ行くのが一番効果的である。(49ページ)

 よみがえってきたのはかつてのワクワクだった

今夏の旅行に際して、旅行先に関する事前に入念な調査はかなわなかった。計画性のなさと時間管理の未熟さを恥じたい。

しかし、この本を改めて読んで、以前丹念に調べてから旅行した際は、とても生き生きした経験ができたことを思い出した。今夏、まだ訪ねたことのない場所への旅を通じて学びを得ようと思う。

 

拙い知識ではあるが、しっかりと観察したい。そして、その中から学びを発見していきたい。こういうことを書いていると、教師というのは私生活だろうが常に教師なのだなあと感じる。常に学びを忘れない教師でありたい。

参考

有田和正(2005)『若い教師に送るこの一冊① 有田和正の授業力アップ入門-授業がうまくなる十二章-』明治図書

有田和正の授業力アップ入門―授業がうまくなる十二章 (若い教師に贈るこの一冊)

有田和正の授業力アップ入門―授業がうまくなる十二章 (若い教師に贈るこの一冊)

 

財政規模はどうしてここまで肥大化したのか-福祉国家の誕生-

政治学を学んだ当初、経済と政治の結びつきにピンとこなかった。しかし、経済学もある程度学ぶようになると、両者は密接なかかわりを持つことが分かった。さて、今回の記事は財政の続編になる。

福祉国家ができたわけ

財政とは

財政とは「政府が税金を徴収したり、公債を発行することで資金を集め、それを元手に支出を行う経済活動」である。政府に求められる役割は多岐にわたる。

というのも、財政の目的は「公共需要の充足」、すなわち人々の共同的な需要の実現にあり、広く国民が政治に参加する民主主義国においては、必然的に財政規模が拡大せざるを得ない。

こうした国家の在り方を福祉国家という。今回のテーマは財政規模が拡大したきっかけ、つまり福祉国家の誕生についてである。

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福祉国家形成の時期

岡本英夫によれば、福祉国家の形成期は第1次世界大戦から第2次世界大戦の間に求められるという。

第1次大戦以前の資本主義において、市場は自律的と「されていた」。したがって、政府は市場に余計な介入をしないという自由放任主義が取られていた。

しかし、金本位制の崩壊や失業や恐慌などの市場の失敗を克服するために政府が経済活動に介入するようになると、国家が市場の働きを補完する混合経済体制がとられていく。

市場が失敗するということが自明の理となり、ケインズ経済学の登場のように従来の経済学が転換し、さらには管理通貨制度への移行、普通選挙制度の導入など経済的・政治的な転換点と福祉国家の誕生は時期が重なる。

夜警国家の時代

夜警国家の時代において、財政活動の目的は支配階級の利益実現であった。市民革命の結果、王制に変わって民主制が採用された。

しかし、実態は厳しい制限選挙制が敷かれ、一部の富裕層(商工業者など)に政治参加の道が限定された、名ばかりの民主制であった。

したがって、支配層である富裕層が経済活動に集中できるような環境を整備することが政府に求められた。たとえば、夜盗が出ては物流が滞り、商業活動が停滞してしまう。だからこそ、治安維持や国防が政府に求められた。

また、橋の建設や道路の舗装など最低限のインフラ整備も政府の仕事であった。流通の促進にはインフラストラクチャーが欠かせないからだ。小さな政府で十分だったのだ。

福祉国家の形成期へ突入

しかし、政府の性質が変化することで、財政規模が拡大するようになった。すなわち、普通選挙制度の導入によって広く国民の要求が政治回路に反映されるようになり、多様な利害の調整及び国民の福祉の増大が政府の目的となったのだ。

普通選挙制度導入の背景には、世界大戦が総力戦となり、国民全体が戦争の遂行に貢献したこと、および労働運動の激化という事情があった(それについては次の記事に詳しく書いた)。

労働者階級の政治参加は、利害の多様化をもたらし、政府の財政政策に変化をもたらした。また、社会権などの人権思想が浸透したことも政府の質的変化の流れを後押しした。

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そもそも労働運動が激化したのは、失業者が大量に発生したり、恐慌が発生するという市場の失敗があったからだ。つまり、市場の自律性の限界が露呈したのである。

そうした中で、恐慌の影響を被った農民や労働者は運動を組織化した。運動の激化によって、失業や恐慌、格差などの市場の失敗が、政府にとって是正すべき「社会問題」と化したのである。

こうした中で普通選挙制度の導入は、労働者や農民が組合や政党などを通じて、自らの主張を実現することを可能にした。

また、社会権思想の定着もその実現を後押しした。たとえば、教育を受ける権利や生存権などであり、教育政策の拡充や生活保護などの所得移転の拡大といった公共サービスが増大した。

1942年のベヴァリッジ報告は福祉政策の必要性を説いた嚆矢であろう。

 

このような社会保障政策の充実と同時に、政府による経済活動への介入によって社会問題の是正を試みられた。すなわち、ケインズ主義的な政策が行われるようになったのだ。

世界恐慌を契機としてアメリカのルーズヴェルト政権が積極的財政政策を採用した。有効需要を生み出すために、ダムや港湾の整備など公共事業に大量の資金が投入されるようになった。

ここにおいて、労働需要の創出と社会保険などの福祉政策が政府の重要な役割となったのである。 

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安定的な福祉国家体制の成立には

しかし、岡本は戦間期福祉国家的政策は一過性の、しかも国際的な連携を欠いた特殊一国的な政策に過ぎないとする。

福祉国家体制が定着するのは第二次大戦の終結を待たねばならなかった。福祉国家を安定化させる条件として次の3つがあげられている。

①戦後先進資本主義諸国の内部で福祉国家的な改革がなされ、それが定着
すること

②各国福祉国家間でその体制が相互連関的に発展していく関係が生まれ、世界的連関をもったシステムとして定着すること

福祉国家体制に正統性を付与する普遍的人権という概念が、国内政治のみならず国際政治においても重要な地位を獲得すること(岡本、185頁)

 

ともあれ福祉国家の成立条件は以下のようにまとめることができる。

①市場の自律性への疑義と、政府による経済介入

普通選挙制度の導入による労働者の政治参加

社会権思想の定着に伴う福祉政策の拡充

こうした整理の中で、国家を扱う政治学と市場を扱う経済学が密接に関りを持っていることを掴めた。市場に関するパラダイムシフトが国家の在り方を変えてしまったのだ。専門分野を持つことも重要だが、学際的に学ぶ必要性も大いに感じた。

◆参考

岡本英男「福祉国家と資本主義発展段階論」東京経済大学経済学会(2015)『東京経大学会誌 第285号』

「常識」の破綻

10年ひと昔、どころではない。1月ひと昔である。

社会は刻々と変化する。10年ひと昔というが、情報が氾濫し、新たな技術が目覚ましい勢いで開発される現代において変化は月ごとに起こるだろう。そうした状況においては従来の常識が通用しなくなることもある。AIの登場などによって、将来的に我々は未知の世界に突入するだろう。だが、常識が通用しなくなるのは将来の話にとどまらない。私たちは、現在進行形で常識が通用しない場面に直面しているのである。それは金融界で起こっている。

日本銀行の金融緩和政策が行き詰まっている。金融緩和政策とは、景気が悪化した場合に通貨供給量を増やし、資金調達を容易にする政策である。具体的に現在行われている政策は、2%の物価上昇率達成を目指し、国債の大量買入れなどを通じて市場に大量に資金を供給するものであり、「異次元」金融緩和と呼ばれる。

一般的に金融緩和とは日銀が銀行など金融機関から国債を買い入れ、資金を供給することである。その効果として、資金を余らせた金融機関が低金利で企業や個人などへの貸し出しを行うために、資金が循環し、景気が回復するとされる。また、好景気であれば、物価も上昇する。好景気というのは資金が企業に流れ、それが従業員の賃金へと還元され、それが消費需要の活性化をもたらすために、消費財の価格(すなわち物価)が高まるのである。同時に物価の上昇は貨幣価値の下落をもたらす。市場に大量の貨幣が供給されれば、当然のこととして貨幣の価値も下落する。

高校の政治・経済の教科書にはこのようなことが書かれている。また、経済学の教科書においても同様である。だが、そうした経済学的常識では説明できない現象が起きているのである。大規模な金融緩和が行われているにもかかわらず、物価上昇率が非常に鈍いのだ。それどころか一部の商品は下落しているのである。

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金融緩和が行われれば、資金が大量に金融機関に供給される。そして、金融機関が企業や個人に貸し出すことで資金が市場に出回る。さらに、それを企業が投資に活用したり、個人が消費に用いることで、物価は上昇するのだ。ということは、物価が上昇しない理由は企業の投資や個人の消費が十分でないことが理由の一つとして考えられる。では、彼らは資金をどこへ向けているのか?

それは内部留保、そして貯蓄である。 

 読売新聞(6月27日朝刊)によれば

個人(家計部門)が持つ金融資産の残高は18年3月末時点で、前年比2.5%増の1829兆円だった。(中略)主な内訳は、「現金・預金」が2.3%増の961兆円で、年度末として過去最高となった。日銀のマイナス金利政策で低金利環境が続くが、日本人の貯蓄性向は大きく変わっていない。

金利にもかかわらず、貯蓄に励むのである。企業の内部留保も増加傾向にある。

貯蓄が増える一方で、別の資金の使い道も増加している。投資だ。先ほどの記事(読売新聞6月27日朝刊)によれば次のようになっている。

「株式等」は11.7%増の199兆円と大きく伸びた。

また、個人株主が増加している。2017年度は5000万人を超え、5129万人と過去最高を記録した。2016年からの1年間で162万人の株主が増えたそうだ。

 このように、金融緩和の結果として、資金が貯蓄、内部留保、投資へと向かっている。しかし、経済は生産と消費から成る。どれだけ生産・消費が活発であるかということの物差しがインフレ・デフレといった物価動向である。生産活動にも消費活動にも資金が向かなければ、当然経済は停滞するだろう。となれば、日経平均株価が中長期的に上昇しているのも、実体経済を反映したものとは思えない。余った資金が株式投資に向かって、株価を押し上げているのではなかろうか。

そんなことを考えていたところ、2つのニュースが目についた。

1つは実質賃金が上昇したというものである。もう1つは日銀の金融緩和が長期化する可能性があるというものだ。

たった一部ではあるが、企業が資金を労働者に還元し始めた。しかし、デフレ傾向が続けば、賃金の上昇は持続しない。さらには、現状通りの金融緩和が続いても、物価が上がる兆しはない。人々が消費・生産に目を向けないために、デフレ傾向が続いていく。

現在の経済状況において、定説とは異なる事態が生じている。世界は大きな変革の過渡期にあるというが、金融という面においても変化が生じている。そもそも、金融とは「人が」金を融通し合うことであり、したがって、目下の現象も社会変化の一側面に過ぎない。社会が変化しているのなら、金融という側面を切り取ろうが財政という側面を切り取ろうが、どの側面からでも社会変化を観測できるだろう。理論の「基本」をしっかり学ぶことで、「例外」を発見できるのだ。

仮想通貨の可能性

国債の貨幣化という大問題

国債の貨幣化という問題がある。政府が発行した国債などを日本銀行が直接引き受けることであり、財政赤字を補填するために日銀が政府に直接協力することを意味する。

しかし、財政法第5条では日銀の直接引き受けは原則的に禁止されており、民間の銀行などが国債を買い取る「市中消化の原則」が取られている。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。(財政法第5条)

だが、現行の金融緩和政策は実質的な国債の貨幣化といえる。というのも、日銀引き受けも市中消化も実質的な帰結はどちらも変わらないからである。

日銀引き受けも市中消化もその「帰結」が変わらない仕組み

まず政府が発行した国債は民間銀行が買い取る。そして、日銀が民間銀行から国債を買い取り、その代金として民間銀行に現金を支払う。民間銀行に支給された資金は企業や家計に貸し出されることで、世の中の通貨量が増加する。一方で、政府の発行した国債を日銀が直接引き受けた場合、その際に発行した現金は財政支出に使われる。そして、その現金は企業や家計に流れ、生産活動・消費活動を刺激し、結果として通貨量は増加する。通貨量が増加すれば、物価が上昇し、インフレが生じる、というわけだ。買いオペレーションと呼ばれる政策である。

ちなみに、日銀が国債保有する限りは返済の必要は生じない。金融緩和政策の目的は市場に通貨を供給することであり、もし政府に対して返済を要求すれば、政府が日銀に対して支払わなければならず、そうすると市場の通貨量が減少するからである。インフレという目標が達成されない限りは、政府はいくらでも国債を発行できるのである。

つまり、国債の貨幣化によって、政府はいくらでも財政規模を拡大できるのである。政府が貨幣供給量をコントロールできることで、財政赤字がこれほどまでに拡大したといえよう。

こうした放漫財政が可能なのは、国家の発行する貨幣が価値を有していることが前提にある。すなわち、税収が不足していようとも自由な財政政策が行えるのは、国家が独占的に通貨を発行でき、かつその貨幣に価値があるからこそ可能である、ということだ。独占的な市場だからこそ絶対的な価値を持つ。しかし、仮想通貨の登場はこうした状況を変革するのではないだろうか。

仮想通貨の可能性

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現状、電子マネーや優待券などは政府通貨の価値の裏付けがある。しかし、仮想通貨は政府ではなく民間の手によって発行される。

もし、仮想通貨と政府通貨との間で市場原理が働けば、政府通貨の価値は相対的に低下する。そうなれば、税収の不足分を国債の貨幣化で補うことは困難となる。仮想通貨の価値が上昇することによって、支払いや決済など政府紙幣の貨幣としての価値が低下するからである。

したがって、仮想通貨は将来的には国家の財政政策・金融政策の在り方を根底から覆す可能性を持つといえる。まだ仮想通貨を決済等で利用できる場は限られており、仮想通貨市場が乱高下している現在においては、現実的ではないのかもしれない。

しかし、いずれその時代はやってくる。そうなれば政府はもはや自由な財政・金融政策は不可能となる。

税収が足りずとも、支出を自由に拡大できた時代を権力者が懐古するときがくるのかもしれない。

※文中の「政府通貨」という表現ですが、中央銀行の発行する紙幣と政府の発行する硬貨をまとめて政府通貨と呼んでいます。

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国債は無限に発行できるのか

財政法第4条には次のように書かれている。

国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

このように、財政法第4条では、公共事業などの資金調達を目的とする建設国債を除いて、赤字国債の発行を原則として禁止している。だからこそ、毎年特例法(特例公債法)を制定して政府は赤字国債を発行している。1975年以降、バブルの一時期を除いて毎年赤字国債が発行された結果、現在の政府の国債残高は585兆円を数える。財政規模の拡大に税収が追い付かず、国債発行が積み重なった結果ここまで借金が膨れ上がったのだ。

財政活動は税金が主な原資となる。税収入が不足していれば公債を発行して補わなければならない。もし債券が発行できなければ、自由に財政活動はできないだろう。現状のような財政規模の拡大は、公債発行が無制限だからこそ可能なのではないだろうか。今回はその問題について考えたい。

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そもそも赤字国債は発行することはできない

財政法第4条の通り、赤字国債の発行は本来禁止されている。そもそも国債は将来世代の借金であり、借金は返済することを前提としている。この返済という点において国債発行のハードルは非常に低い。

元々国債は現金償還の必要性があった。つまり、満期が来た場合の返済は現金でなければならなかったのである。しかし、1984年の特例公債法から現金償還が努力義務になった。ここで、現金償還から借換償還となったのである。国債の償還資金を調達するために新たな国債を発行するようになった。つまり、借金を返済するために新たに借金をすることが可能になったのである。政府は国債の償還を実質的に考慮する必要がなくなったのである。ここにおいて、現金償還という借金に対する歯止め装置がなくなり、国債発行が無制限に行えるようになった。

国債が無制限に発行できるからくり

では、そうした自転車操業がなぜ可能なのか。それは現状において国債が価値を持ち、市場で安定して売買されるからである。国債は債務証書、つまり借金の証明書である。本来無価値である借金の証明書が価値を持つものとして機能するのは、人々がそれを「信認」しているからである。つまり、発行主体である支払い能力に対する信認である。そして、信認の証として国債を購入するのである。購入者がいるからこそ、政府は資金を調達できる。

しかし、国債が現金償還を前提としなくなったため、支払い能力を測ることはできなくなった。つまり、実際の能力を計測できない以上「支払い能力がある」という「仮定」で人々は国債を購入しているのである。万が一、政府に支払い能力がないことが「明るみになれば」国債を発行しても購入者はいなくなる。ギリシャ危機はその典型例であろう。

ポイントは次の通り

①まず財政規模が拡大した背景には、国債が無制限に発行できるという土壌があったことがあげられる。

②無制限発行の理由の一つとして、現金償還から借換償還に変更されたことがあげられる。発行を制限する法的な歯止めがなくなったのだ。水は低きに流れる。資金を手にいてる楽な手段が手に入れば、それを活用しないわけがない。

③日本国債の場合、安定資産として多くの購入者(日銀買い取りを期待する民間銀行など)がいるため、ある程度無制限に発行できる。それは発行主体である政府の支払い能力に対する信認が背景にある。ただし、その信認が消えれば、国債をいくら発行しても買い取り手がいなくなるため、実質的に無制限に発行できなくなる。