新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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日本は中国・アメリカどちらと付き合うべきか?-小原雅博『日本の国益』

 

中国やロシアなどの権威主義国家の躍進が目覚ましい。リベラルな国際秩序が影を潜めていく中で、日本はどうしていくべきなのか、そのヒントをくれるであろう一冊がこちら。

 


日本の国益 (講談社現代新書)

  

著者は長年に渡って外交の最前線で活躍してきた元外交官。実務家としての経験と外交理論を混ぜ合わせながら「日本の国益とは何なのか」を論じていく。

東アジア情勢で日本がどういう状況にあるのかを理解し、今後の日本外交の在り方を考えていく上でとても参考になった。

 

 

国益とは何か?

国益とは「国家・国民の利益」であるただし、日本のような民主主義国家においては「国民の利益」のことを指す。最も基礎的な国益は国民の安全、領土の防衛、主権の確保といった国家にとっての死活的な国益である。その上で物質的な豊かさや精神的な快適さなど国家の繁栄という二次的な国益がある。各国には死活的国益に加えて独自の国益があり、こうした国益の調整が外交である。

 

日本の国益とは?

何が「日本国民の利益」にあたるのか。筆者は3つの利益が日本の国益に該当すると言う。

 

安全・繁栄・リベラルな国際秩序である。

 

死活的国益としての国家・国民の平和的な状況は第一に確保すべき利益である。そのうえで経済的な豊かさを追求するべきだと。そして筆者は自国第一主義ではなく、国際協調の中で国益を確保していくべきとする。すなわち、国際法自由貿易など自由主義的な国際秩序を維持していくことが日本の国益にかなうという。戦後の日本が国際協調から恩恵を受けてきた一方で、現在においてはアメリカの保護主義的傾向や中国が国際秩序形成に乗り出していることで自由主義的な国際秩序が危機に瀕している。だからこそ、リベラルな秩序が重要なのだ。

国際協調を基軸に据えた国益追及の姿勢を開かれた国益と筆者は言う。 

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日本の国益の脅威-北朝鮮尖閣諸島問題・南シナ海問題

日本の国益の脅威となる要素は3つ。

  1. 北朝鮮の核ミサイル
  2. 尖閣諸島問題
  3. 南シナ海の領有権問題

 

(1)北朝鮮の核ミサイルは日本国家・国民の生存と安全を脅かす存在である。

(2)尖閣諸島問題は領土・主権を揺るがし、日本の安全の脅威となりかねない問題である。

(3)南シナ海で中国は南沙諸島などを実効支配し、国際仲裁裁判所の裁定を拒絶している。国際法を無視する中国の態度は法の支配といったリベラルな秩序を脅かす存在となっている。3つ目の日本とのかかわりは沖ノ鳥島との関りである。南沙諸島に関する国際仲裁裁判所の裁定ではいくつかの島は中国が領有権を有さない単なる「岩」であるとの判断がなされた。中国はこれを無視しているが、一方で沖ノ鳥島に対しても「岩」だと主張している。だが、沖ノ鳥島国連海洋法条約で「島」と認められており、また中国は沖ノ鳥島南シナ海問題で明らかなダブル・スタンダードをとっている。南シナ海での秩序を保つことがひいては日本の国益につながるのである。

 

今後、日本はどうしていくべきか?

筆者は「日米同盟+α」を堅持するべきと述べる。

αは中国との関係を念頭に置いたものである。アメリカが自国第一を掲げ、国際協調に亀裂が走り、リベラルな国際秩序が危機に瀕している。それに加えて、中国は軍事的拡大の野心を燃やし、力による現状変更を画策する。間違いなく中国は今後の国際秩序形成のキープレーヤーとなる。そうした際に、日本は価値外交を展開し、対話を通じて現状のリベラルな国際秩序を守り抜くべきだという。もちろん、日米同盟は日本の安全を維持するためにも長期的な利益にかなうし、経済的な繁栄を求めるのならば中国との関係も重要となる。そのうえで消滅の危機に瀕するリベラルな秩序を日本が盛り立てていくべきだとしている。

 

参考になったところ

歴史的な視点を提供しているのは良かった。

たとえばヨーロッパにおいて国益概念が変遷してきた記述や南シナ海での力の空白を中国が徐々に埋めてきた中国のサラミ戦術に関する記述だ。

 

前者は

マキャベリズム➡国家理性➡勢力均衡(ウィーン体制ビスマルク体制)➡英独対立(勢力均衡の破綻)➡イデオロギー<国益ファシズム共産主義・民主主義)という二次大戦の構図➡冷戦の下での長い平和➡冷戦終結に伴うアメリカによる平和➡各国が国益最優先の時代へ

という流れが全体的な構図を手に入れる点でも非常に面白かった。

 

後者で言えば、軍事的なプレゼンスの空白を徐々に埋めてきたところは面白かった。こんな感じだ。

 

戦後   二次大戦の敗北による日本の軍事プレゼンスの消失とフランスのインドシナ戦争の敗北による撤退➡西沙諸島の半分を支配

1973年  ベトナム戦争からのアメリカの撤退➡西沙諸島の全島を支配

1980年代 駐越ソ連軍の削減➡南沙諸島への進出

1988年  ベトナム海軍との衝突➡ファイアリー・クロス礁などを獲得

1995年  在比米軍の撤退(フィリピン)➡ミスチーフ環礁が占拠(フィリピンのパラワン島に近い)…冷戦後の力の空白

2010年代 岩礁の人工島化に着手

  

やや専門的に感じたので、国際政治や外交関係に興味のある人にはうってつけの本かもしれない。特に東アジアの国際秩序に関する説明は非常に整理されていたように思う。

 

ヨーロッパでもそうだけど、世界中からリベラルな秩序が消えかかっているんだなあと思った。

 

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日本の外交政策は理念通り遂行されてきたのか?-外交3原則について

 

戦後の日本は戦前の反省を踏まえて国際協調路線の外交政策をとってきた。 

 

 

日本の外交3原則

第二次世界大戦後、日本の外交では「国連中心主義」「自由主義諸国との協調」「アジアの一員としての立場の堅持」の3原則が取られた。戦前、日本が国連を脱退し、アジア諸国を侵略した反省からこのような原則が採用された。

 

ただしあくまでも理念であり、国連の機能不全やアジア諸国の多様な利害の存在、冷戦下における自由主義諸国が西側諸国のみを指すなど現実の国際情勢に翻弄されてきた。特に日米同盟を外交の基軸に据えている限りはどうしても東側諸国との対立は避けられない。構造的に矛盾を抱えた外交方針であり、事実一貫性を欠いていた。冷戦下においては自由主義諸国(西側諸国)との協調が最も重視されていた。

 

そもそも外交とは国益の調整であり、冷戦下の日本においてはそれが最も国益にかなっていたのである。

 

冷戦の終結はその対象国の拡大を意味するかに思われた。事実、ロシアは憲法を書き換え、自由主義的な色彩の憲法を採用した。東欧諸国も同様の動きを見せ、後のEUの東方拡大の下地を作った。リベラルな国際秩序が世界中に広まるかと思われた。しかし、現実はロシアは市場かの失敗を受け、プーチンに権力が集中する権威主義国家となり、中国は変わらず中国共産党による権威主義国家のままだった。

 

外交3原則の破綻が露呈した

冷戦の終結は「自由主義の勝利」をアメリカに錯覚させた。勢いづいたアメリカの単独行動主義によって、日本の外交3原則は目に見えて維持できなくなる。湾岸戦争の際、アメリカは国連安保理決議を根拠にイラクを攻撃した。この段階では国連中心主義と自由主義諸国との協調は維持できた。しかし、イラク戦争では安保理で決議がなされず、独仏と英米が決裂し、自由主義諸国間での不協和音が生じた。結局、アメリカは湾岸戦争時の国連決議を根拠にイラク戦争を開始した。ここにおいて、国連中心主義と自由主義諸国との協調はイコールではなくなり、アメリカに追従した日本も自らの原則をないがしろにしてしまったのだ。

 

そして現在は

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現在、アメリカの国力は相対的に低下しつつある。それは中国の経済的・軍事的台頭による。南シナ海南沙諸島などを実効支配し、法の支配など自由主義的な国際秩序が脅かされている。それだけでなく、アメリカの凋落はアメリカ自身にも変化をもたらした。トランプ大統領が「アメリカ第一」を掲げ、自由主義諸国の間でも亀裂が走っている。さらにはアメリカと中国が貿易戦争をはじめとして新冷戦と呼ばれるほどの対立状態に陥っている。こうした中で日本はどうすべきなのだろうか。

 

自由と繁栄の弧」など自由主義諸国との協調を重視する外交政策はもちろん重要である。価値を共有する国々の連帯はその価値を共有しない国への圧力となるだろう。しかし、経済的繁栄などの国益を確保するには中国やロシアなどの権威主義諸国とも協調していくことが必要であることは間違いない。とりわけ中国は一帯一路やAIIBなど国際秩序形成の将来的な担い手となる可能性もある。中国が独善的な秩序を作らずに、いかにして現状のリベラルな秩序に取り込めるかが今後の国際的な課題であろう。

 

参考

小原雅博『日本の国益

 


日本の国益 (講談社現代新書) [ 小原 雅博 ]

 

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初めてのジグソー法-備忘録的に

 

お覚えでしょうか。年明けにこんな宣言をしたことを。

 

思考力を重視した授業を3か月に1回はする。

(新卒教員の教科書「2019年の抱負-義理と人情を忘れずに」より)

 

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義理も人情も宣言も忘れてません。

 

年が明けて余裕ができたので

 

よし!生徒に考えさせる授業を作ろう!

 

と思い立ち、初めてジグソー法の授業づくりに取り組みました。

二学期までは学び合いをしていましたが、今回は別の教授法。

どんなことでも初めての気持ち、フレッシュさは忘れたくないですよね。

ということで作るまでの過程を振り返ってみたいと思います。ちなみに実施するのはまだ先の話。

テーマは2030年のエネルギー政策(エネルギーミックスの実現)についてです。

 

感想は一言。

死ぬほどエネルギー白書を読みました。

 

 

始まりはツイッター

 

大学院時代の専門は政治学。畑違いの自分がいざ現場に出てあまりにも教育理論を知らないことに愕然し、様々な情報にあたっていたところ、ある出会いがありました。

 

 

こちらのボリバルさん(@world_history_k)のツイートに紐づいたツイートを読んで、ハッとしたのです。

 

おっ!!!!!!!!

そういえばこれってあれじゃないの!あれ!!!

 

舞い上がった私はネットで「ジグソー法」「協調学習」と調べに調べました。すると東大のCoREFが無料で情報公開していることがわかりました。

coref.u-tokyo.ac.jp

 

ただPDFを印刷するのもなあと思い、こちらの本を購入。

 


協調学習とは 対話を通して理解を深めるアクティブラーニング型授業 [ 三宅なほみ ]

 

そして去年の暮れにはこちらのシンポジウムにも勢いで参加(PDF形式のチラシです)。

https://www.pref.saitama.lg.jp/f2208/documents/symposium20181206.pdf

 

本も読み、シンポジウムに参加したことで大いに刺激を受けレベルアップした気になりました。そんな不遜な私の前に立ちはだかったのは内容の壁でした。

 

深い学びは教師の深い理解から

 

授業では学習目標を設定することから始めます。

当たり前ですが、生徒にどんな姿になってほしいか理想像を出すにはある程度の知識がないとできません。そこでまず教材研究を深めるわけです。

そうしてアイデアを出すわけですが、今度はそれを実現する手立てとしてどういう教材を作るか考えなきゃならんわけです。

統計やら資料を精選し、さらには調べたことをまとめ、それを生徒のレベルに合わせて言語化する。

教員試験を突破すること(問題を解くこと)と問題を作ることのエベレスト級の差をしみじみと実感しました。

 

仕事は減っているのに帰りはむしろ遅くなる一方…心地よい頭の疲労感が蓄積していきます。心地よい疲労も溜まればただの疲労

 

ツイッター上でジグソー法作ってる人たちってこんな大変なんだあ~~~~すげえ~~~~😇

 

という心の声が職員室に漏れていました。

 

ただ、この過程を通して色々と良い点もあったので箇条書きでまとめたいと思います。

 

ジグソーに取り組むことで教師に起こった変化、わかったこと

 

①複数の論点で物事を捉えるようになった

ジグソー法は3つの視点を生徒が組み合わせて協調学習を引き起こすことを狙いとしています。教材化する際にもあるテーマを3つの論点に分けて作る必要があるため、ニュースに触れた時や新しい単元に入る際に「このテーマだとどんな論点があるかな~」と考える癖がつくようになりました。

論点ごとの関係性にまで視点を伸ばせばディスカッションの授業の時に役立つかな~なんて思ったりしてます。

 

②深く学べる

 問いに応えるための材料を探す、その過程で(教科書を越えて)知識がめちゃくちゃ身に付きました。

また問いに対して思考実験をするときに、身につけた知識を活用して考えるので、知識同士の関係性も見えてきました。個人的にはそのテーマに関して意見を持てるようになったのが大きいなあと思っています。調べる前はテーマについてただ知っているだけでしたから。

 

③時間がかかる

テーマを決めてから2~3週間ほどで作り上げましたが、かけた時間はおそらく20時間くらいです。初めてのことだったからかわかりませんが、シンポジウムに参加した時には平均して作成に17時間かかると説明を受けました。

 

負担が減ったからまだしも繁忙期にサクッと作れる代物ではないよなあ

 

と思ったので、コツコツやらねばなあと思います。慣れれば早くなるんですかね。

 

何はともあれまだ作っただけです。これから実施するのでその振り返りも書きたいと思います。

それでは。

現代に甦るホッブズ-グローバル化の逆接

 

混迷を深める世界はどうなるのだろうか。ホッブズの面影がちらつく。


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ホッブズの社会契約説-リバイアサンという国家権力

17世紀、イギリスは内乱のさなかにあった。ピューリタン革命である。血みどろの戦いが繰り広げられ、あちこちで殺戮が起こり、イギリスは恐怖と猜疑心で包まれた。そうした闘争状態を目の当たりにしたホッブズは独自の社会契約説を展開する。

 

人はみな自己保存の権利を持つ。これを自然権という。しかし、個々人が自らが生存するために他者との闘争に明け暮れる「万人による万人の闘争状態」が生じてしまう。この状態を克服し、個々人の安全を守るために、あらゆる個人が自然権を国家権力に移譲するという社会契約が結ばれる。政府に絶対的な権力(この絶対的な権力のことをリバイアサンといった)が集中することで個々人が法に服し、社会が安定するというものである。ここにおいて国家権力の正統性は個人(国民)の安全を守ることにあった。これがホッブズの述べた社会契約説である。

 

「新しい」万人の番人に対する闘争

さて、21世紀の現在はグローバル化が進み、当時とは社会状況が大きく異なる。30年前には冷戦が終結し、世界に平和が訪れると思われていた。だが、今やホッブズの述べた世界が再び現れたかのようである。

 

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グローバル化((ここにおけるグローバル化とは交通インフラの技術進歩と情報化の進展による世界の一体化を指すの進展は国境のハードルを著しく下げた。それはテロリストの流入を招き、テロが世界中で頻発するようになった。アメリカでは9・11やボストンでのテロが起き、大西洋を越えたヨーロッパでもパリやブリュッセルで悲惨なテロ事件が起こった。大規模な東西陣営での対立が終わりをつげ、国家対テロという新しい戦争局面が起きたのである。ここで国家は恐怖と猜疑心に包まれる。「もしかしたら国内に敵がいるのでは…」「新たに流入してきた人々の中にテロリストがいるかもしれない」。

 

疑心暗鬼になった国家権力は安全確保のために安全保障国家へと変貌する。それは時には国民のプライバシーや自由を抑圧する。国家が行うのは対外的にはISやアルカイダなどのテロ組織の殲滅、そして(壁の建設など)国境監視の強化である。一方で国内的には通信傍受やインターネットの監視であり、ここにおいて人々の人権は制限される。たとえばトランプ大統領が出したイスラム圏からの入国禁止は移動の自由の制限であり、また通信傍受はプライバシーの侵害である。国家の正統性は安全の確保(自己保存)にあるため、そのための人権の制限はやむを得ないということだろう。

 

リバイアサンの下で自由は

このような安全保障国家化は今後も続いていくと思う。

というのは、国家間対立とは異なり、「相手に勝利した(=テロリズムを殲滅した)」と評価することは極めて困難だからである。テロリズムには国家のような実体がない。しいて言えばISなどのテロ組織であれば殲滅できるだろうが、ある宗教的動機からテロに走る個人を完全に排除することは難しい。ある日突然、アメリカ国旗への忠誠からISへの忠誠を持ってしまうかもしれないからだ。中東はもちろんアメリカから出たことのない若者がネットを通じて感化されてしまうかもしれない。そうした流動性からテロの殲滅は極めて困難と言える。

 

だから国家権力は国民の自由を制限し、危険人物がいればすぐに取り締まれるように通信傍受などを行い、さらには危険分子を流入させないために国境の管理に徹しているのだ。グローバル化が進んだ世界において国家がみずからの殻に閉じこもろうとしている。国境を超えるのが容易になった一方で、国境線が明確になっているのだ。まさに逆説的な現象が起きている。

 

国家によるテロへの対処

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さらにテロは国家も主体となる。中国やロシア、北朝鮮などのサイバーテロの実態が明らかとなり、各国が対策を講じている。だからこそ、今後は国家同士の対立がますます増していくだろう。テロに悩む国は対外的には危険分子の排除、すなわちテロ組織の殲滅に動くだろう。アメリカがISの殲滅やシリア情勢に介入しているのもこうした背景がある。またアメリカにとっての死活的産業であるIT産業の保持のためにも、サイバー空間での対立は今後も熾烈を極めるだろう。実体がないテロリズムよりも目に見える相手との戦いに資源を投入しようということだ。ただ、前述のとおりテロに勝利したと評価することは困難なので国内的には戒厳状態が続くだろう。なぜなら国家の正統性の一つは安全の確保にあるのだから。そうした兆候はアメリカでの愛国者法やフランスでのパリ同時多発テロ後の非常事態宣言の長期化、そして日本での秘密情報保護法の制定などに如実に現れている。

 

ホッブズの時代と現代との相違点は国家の中に社会契約を結んでいない異質な人がいるという点だ。そのために国家は自己保存が脅かされる恐怖に苦しむ。安全保障国家化は進み、緊急時の人権の制限を可能とする法制化が進んでいくだろう。

はたしてリバイアサン自由の代償に安全をもたらすのだろうか。

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立憲主義は果たして勝利したのか?-長谷部恭男『憲法とは何か』

 

 

たまには憲法についての本も読んでみよう、ということでドストレートなタイトルの本を手に取った。

 


憲法とは何か 岩波新書 / 長谷部恭男 【新書】

 

立憲主義とは何か?

立憲主義に基づく憲法

そもそも憲法と言えども様々な形のものがある。

我々が当たり前とする憲法立憲主義に基づくものをいう。では立憲主義とは何か?

立憲主義とは、近代国家の権力を制限する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区分を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。(69頁より)

 

そして立憲主義に基づいた憲法を立憲的意味の憲法という。

この憲法の下では、

政府を組織し、その権限を定めると同時に、個人の権利を政府の権限濫用から守るため、個人の権利を宣言するとともに、国家権力をその機能と組織に応じて分割し、配分する(権力分立)。(70頁より)

制度的には硬性憲法違憲審査制が採用されている。だが立憲主義において重要なことは、のちに述べるが、あくまでも多様な価値観の公平な共存である。

 

どのようにして立憲主義はできたのか?

立憲主義という思想が生まれ、普及したのは2つのきっかけがあった。それはヨーロッパの悲惨な経験と外界との交流である。悲惨な経験とは大規模な宗教戦争、いわゆる30年戦争である。中世においては生活規範から日常の行動に至るまでキリスト教の影響を受けていたが、この戦争を通じて人々は「絶対的に分かり合えない思想」があることを悟る。また、時を同じくして大航海時代が始まっていた。世界中の人々との交流は新たな発明や考えをもたらす。これらがヨーロッパにとっての原体験となり、近代立憲主義は生まれた。

 

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誰しも自らにとってかけがえのないもの、世界観がある。自分にとっての世界の意味をかけての対立が起こってしまえば、簡単に譲歩するわけにはいかない。それはたちまち血みどろの争いへと発展する。比較不能な価値観をめぐる争いは絶えない。宗教に根差す紛争は、30年戦争の時代ではなく、現在においてなお世界中で絶えないことを鑑みれば当然であろう。

 

しかし、社会が持続可能であるためには、比較不能な価値観を人々が持とうとも、お互いの存在を認め合い、共存する枠組みが必要である。人々が共存するための社会生活の枠組みが立憲主義であり、そこでは公と私の領域が厳格に区分される。

 

私的な生活領域では、各自がそれぞれの信奉する価値観・世界観に沿って生きる自由が保障される。他方、公的な領域では、そうした考え方の違いにかかわらず、社会のすべてのメンバーに共通する利益を発見し、それを実現する方途を冷静に話し合い、決定することが必要となる。(10頁より)

 

死ぬほど大事なので強調したい。

そもそも多元化した社会における共存が立憲主義の目的だったのである。 

 

だが筆者は立憲主義を「人々に無理を強いる」枠組みという。

自分にとって本当に大切な価値観・世界観であれば、自分や仲間だけではなく、社会全体にそれを推し及ぼそうと考えるのが、むしろ自然であろう。しかし、それを認めると血みどろの紛争を再現することになる。多元化した世界で、自分が本当に大事だと思うことを、政治の仕組みや国家の独占する物理的な力を使って社会全体に押し及ぼそうとすることは、大きな危険を伴う(10頁より)

 

立憲主義の下では、特定の価値の押しつけは許されないし、もし押し付けようとすれば反発が起こるのは必定である。

しかし、歴史的に特定の価値の実現を目指して起こった思想・運動があった。共産主義ファシズムである。立憲主義が現在もなお各国の根本的な原理として採用されたのは、共産主義ファシズムとの戦いを経てからのことだった。

 

正統性をめぐる三つ巴の争い-立憲主義ファシズム共産主義

戦争とは国家権力の正統性をめぐる争いである。

国家権力の正統性をめぐる争いとは

いかなる国家形態が、国民全体の安全と福祉と文化的一体感の確保という国民国家の目標をより達成しうるかをめぐって諸国が相争う闘争状態(42頁より)

である。

 

ファーストラウンド:第二次世界大戦

第1次世界大戦後、正統性に関わるイデオロギーを争った敵対勢力は3者あった。

リベラルな議会制民主主義(リベラル・デモクラシー)、ファシズム共産主義である。この3者が第1次世界大戦後に各国の憲法を決定するモデルとなった。

ここでいうリベラルな議会制民主主義とは立憲主義に基づく議会制民主主義国家のことである。

立憲主義が多様な価値観の共存を図る一方で、ファシズムは民族、共産主義は階級という同一性を民衆の中に求める。後者の体制で見られたのは特定の価値観の押しつけであった。

 

第2次世界大戦を通じて連合国(すなわち共産主義陣営とリベラルな議会制民主主義陣営)はファシズムを粉砕する。日本の憲法アメリカに書き換えられることでその神寧に加入し、ドイツは東西で別々の陣営に属することになった。

 

セカンドラウンド:冷戦

その後、アメリカとソ連を中心に冷戦がはじまる。

冷戦は、異なる憲法原理、国家権力の異なる正統性根拠を掲げる二つの陣営の戦争状態であった。表面的には、それは市場原理に基づく資本主義陣営と共産主義陣営の対立と見えたかもしれない。しかし、資源の配分方法に関する対立は、そもそもの憲法的対立から派生する二次的対立にすぎない。体制の正統性をめぐる対立であったからこそ、相互の「殲滅」の理論的可能性をも視野に含めた軍事的対立が現出した。(52-53頁より)

 

殲滅をも視野に入れた軍拡競争はソ連の疲弊によって終焉した。ソ連憲法の変更に同意し、共産主義から議会制民主主義を採用することに合意し、ここに国民国家憲法原理をめぐる長い長い戦争は終わりを告げた。

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冷戦終結の意味するところは、リベラルな議会制民主主義、つまり立憲主義共産主義に対する勝利である。ベルリンの壁の崩壊は東側諸国への立憲主義の普遍化をもたらした。立憲主義はその敵の排除に成功したのだ。立憲主義に基づく憲法原理の拡大はEUの東方拡大の下地になっているのだろう。 

 

立憲主義(議会制民主主義)の勝利?

ここから立憲主義はあくまでも体制の原理であって、体制同士の対立を調停する概念としては有用でないことがわかる。

また、勝利は正統であることを必ずしも意味しない。その憲法原理から派生した「資本主義」が「暴走」し、その「終焉」が叫ばれている。格差の拡大などの社会矛盾が噴出し、先進各国国内での対立は分断という形で急進化している。共存ということを争うことなく互いを認め合うという意味で解釈すれば、どれだけその正統性を声高に主張できるのだろうか。

 

一方で、その成り立ちを見てみれば大いに可能性もある。比較不能な価値観が多くありつつも、互いに社会生活を営む機会やコストを分かち合う社会的枠組みを構築しなければいけない。そういう共通認識を人々が持ち、立憲主義が生まれた。個人化が進み、ますます多様な価値観にあふれている現代社会。共存のためには価値観の調停は不可欠である。立憲主義にはそのヒントがあるのではないだろうか。

 

さて、あらためて立憲主義の成り立ちを見て終わりとしよう。

人としての正しい生き方とは何か、なぜ自分は存在するのか、なぜ宇宙はあるのか、という問いへの答えは、人の生の意味、そして宇宙の意味を決定する。こうした問いに対する両立しない複数の立場が相争うならば、それは相互の生と死をかけた闘争へと至るのが自然である。立憲主義とは、こうした永続する闘争に終止符を打ち、お互いの違いを認めつつ、なお社会全体に共通する利益の実現を求めて、冷静に討議と決定を行う場を切り開くプロジェクトであった。近代立憲主義を生み出したのは、血みどろの宗教戦争から抜け出そうとした近代ヨーロッパの知恵と経験であり、その梯子とされたのが、個人の自己保存の権利を、信仰のいかんにかかわらず誰もが承認する自然権だとするグロティウスやホッブズ等の提唱した自然権論である。(中略)…「近代ヨーロッパは、正しい信仰にかかわる戦いから逃れるために、中立的な基盤そのものを探し求めようとした」(179頁より)

 

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EUってそもそもなんのためにあるの?-統合史から見るEUの機能と限界

 

イギリスがEUとの間で合意なき離脱に向かっている。ここで、そもそもEUとはどういう目的の下で作られてきたのか、というところを確認してみたい。

 

 

EUにできること-その機能

結論を言ってしまえば、EUソ連とドイツを封じ込める、いわば二重の封じ込めのために設立された。

第二次世界大戦後のヨーロッパにおいて重要な課題の1つが「ドイツ問題」だった。ヨーロッパの秩序を乱すドイツ、それをいかにヨーロッパの平和的な秩序の中に組み込むかということが戦後の課題であった。もう1つが東西冷戦下において統合が進んだという事実である。実際、統合はアメリカの後押しを背景として推進された。東側に対抗する上で共通の経済圏ができることは規模の経済を実現し、復興を容易にする上でもインセンティブがあったのである。つまり、東西冷戦への対処EU統合のもう1つの目的だったのだ。

 

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統合史の話に戻ろう。まず朝鮮戦争の勃発に伴いヨーロッパでも東西間での緊張が走った。それは西ドイツの再軍備問題へと発展する。ドイツの台頭を恐れたフランスはECSCとしての統合を提案する。この背景には、フランスが復興のために効率的に石炭を利用したいという思惑があった。結果的にドイツはECSCに加盟し、軍事的にはNATOに加盟することでヨーロッパの脅威ではなくその一員としての道を歩んでいくことになる。

 

しかし、ドイツ問題は再燃する。ブランドの東方外交によってドイツがその存在感を高めたからだ。60年代の末から70年代前半にかけて西ドイツのブラントが鉄のカーテンを越えて、東欧諸国やソ連との外交関係を深めていく。こうした独断に対してアメリカやフランスは不快感をあらわにした。フランスはヨーロッパ内でのプレゼンスを保つためにイギリスのEC加盟を認める。つまり、イギリスのEC加盟は独仏の勢力均衡争いの副産物だったのである。

 

一旦はドイツ問題は収束するも、再び燃え上がる。契機は両独の統一問題であった。再びドイツがヨーロッパにとっての危機となるか?そこでフランスやイタリアが提案したのがEUだった。ドイツのマルクをユーロという形で統合し、さらには欧州中央銀行による経済政策によって経済覇権を防ぐ、という狙いがあった。何度も燃え上がるドイツ問題、その対処のために欧州の統合は進展していったのである。言い換えれば、ドイツ問題には統合という解があったのだ。

 

その際、軍事的にはアメリカが多くを負担し、経済的にはEUが突き進むという棲み分けが行われていた。戦後の欧州の発展はこうした役割分担の下にあった。そしてそうした体制のことをEUNATO体制といった。この辺りは戦後日本の日本とアメリカとの経済と軍事の棲み分け関係に似ている。

 

冷戦後のEU

だからこそ、EUはドイツ問題と東西冷戦という問題には対処が可能なのだ。現在の問題で言えば、ドイツの権力が強まることに対してはEUはその権限を強めることで対処可能である。またウクライナ問題に関しても、東西冷戦と同様の枠組み、すなわち軍事的にロシアに対抗することは可能である。しかし、現下におけるロシアとの問題は東西冷戦時代と異なり、イデオロギー的側面が抜け落ちている。

そのイデオロギー的側面はテロリズムとの戦いに見られる。西欧近代とジハード主義の対立である。ただし、テロリズムの温床はEU内部においても育っているので完全に排除することは困難である。

 

EUにできないこと-その限界

なぜ行き詰まっているのか?それは難民問題に対するEUの在り方を見ればわかる。

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EUは域外からの人々に対しても市民権を認め、域内の人々と同様に取り扱うことを法的に決めている。寛容の理念を掲げ、手厚く人権を保障している。ただし、それは中に入れば、の話である。そもそもEUは域外からの流入民に対して冷淡であった。ところが100万人を超える難民が流入してきたのである。これは全く持って想定外であった。そして流入してきた難民がシェンゲン体制を利用することでこの体制自体が崩壊しつつある。難民の流入をせき止めるために各国が国境管理を強化したからだ。ここにおいて難民の流入という設立当初想定していなかった事態に直面したことで、EUは逆統合と域内対立を深めているのである。

 

現下の問題

EUが機能している間はそれに対する加盟各国民の支持があった。それは移動の自由や職業の資格、製品の規格など日常生活での恩恵と直結していたからだ。機能しているから統治を妥当だと感じる、すなわち機能的正当性があった。しかし、機能不全に陥った今やその統治に妥当性はない。しかも、EUの官僚は直接選挙で選ばれてもいないし、欧州議会は遠い存在である。民衆の不満が高まっていく。これが民主主義の赤字という問題である。こうした中で各国に噴出するのは「自国のことは自国で決める」という自決権であり、移民・難民の流入に対する恐怖感・雇用不安である。

 

そうした民主主義の赤字はユーロ危機の中で助長される。ユーロ危機のためには財政統合、銀行統合などEUの権限を強めることが不可欠である。しかし、各国の不満は民主的な支持のないEU政府の統治にある。今までのEUに対する支持は問題を解決してきたその機能性にあった。今、問題の解決には集権化が必要なのに、人々の意向はそれとは逆にある。全く持って袋小路の状態にEUはある。

 

まとめ

以上をまとめると次のようになる。

EUはそもそもドイツ問題と東西冷戦の対処のためにできた。実際、ドイツ問題が燃え上がるたびに統合という解を用いて対応してきた。
冷戦が終わった現在においてもドイツ問題、そしてウクライナ問題、テロの問題は当初の目的の枠組みを活用して対処ができる。
しかし、難民問題は想定外の事態だった。シェンゲン体制が崩壊の危機に直面し、各国では機能不全のEUに対する反感が高まっている。

これが現下のEUの問題である。

 

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EUが世界に投げかけるもの-遠藤乾『欧州複合危機 苦悶するEU、揺れる世界』中公新書

 

今日紹介する本はこちら、遠藤乾『欧州複合危機』。さすが中公新書といった感じです。学術的な重みのある文章が270頁以上あるので、かなり読みごたえがあります。実際、仕事をやりながら1週間ほどかけて読み切りました。2年前に出版されていますが、正直もっと早く読みたかったなあというくらいの知的興奮を覚えました。

 

☑内容のまとめ
☑本書の価値

 という感じでお送りします。

 

 
欧州複合危機 - 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書)

  

本書の内容

年始になるとイアン・ブレマーがある予想を立てるのが恒例になりました。その年に世界的な話題になるであろう10のトピックです。2019年の予想にはEU関連が2つありました。1つがヨーロッパでの分断の深まり、もう1つはイギリスのEU離脱です。実際、イギリスのEU離脱をめぐる話題には事欠きません。

 

では、EUに起こっている危機とは何か?

①ユーロ危機、②難民危機、③テロリズムウクライナ問題を含む安全保障危機、④イギリスのEU離脱の4つです。

それら4つの危機が同時並行的に、お互いに影響し合いながら、しかもグローバルに/EU内外で/国民国家の枠組みを超え/地域にも波及しながら、という多層的な次元で展開しているというのが題名にある「欧州複合危機」です。

 

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危機は新たな危機を生じさせます。ユーロ危機をきっかけにEUの財政的な権限強化がなされましたが、EUは各国国民との距離が遠く、民主的正当性に欠けています。反動として、自国の決定権を声高に叫ぶ動きが起こり、それを1つの要因としてイギリスの国民投票が行われました。こうした民主的な正当性の欠如を民主主義の赤字と言います。

また、ユーロ危機によって不健全な財政を抱える南欧諸国に対する緊縮財政が要求されます。こうした国々では財政再建のために豊かな地域への課税がなされます。たとえばスペインでは豊かなカタルーニャ地方に対して中央政府が課税を強行しました。これに対して、言語を異にし中央政府から長年抑圧されてきたカタルーニャ民族意識が高揚し、独立を問う選挙が行われました。結局選挙は無効となりましたが、こうした国民国家の再編は南欧だけでなくスコットランド等でも見られる現象です。ユーロ危機が中央・地方間の対立をもたらし国民国家の再編という新たな危機をもたらしたのです。

 

また、難民危機も深刻な対立を招きました。難民を積極的に受け入れると表明したドイツ、一方で難民を拒絶したハンガリーオーストリア。先ほどのユーロ危機では健全財政のドイツとギリシャという主に南北での対立でしたが、難民問題では東西での対立の様相を呈しています。さらにはドイツ国内でも難民受け入れをめぐって対立が起きています。国内での分断は極右勢力の台頭をもたらし、ポピュリズムが各国で勃興しています。話はそれだけにとどまりません。

EU域内での自由な移動を保障したシェンゲン協定が危機を助長したのです。2015年に起きたパリ同時多発テロ、そしてブリュッセルでのテロ。この事件の犯人にはシェンゲン協定を利用して移動してきた難民が紛れていました。フランスは事件後、シリアへの空爆を強化し、国内では非常事態宣言を発令しました。テロリズムへの対処という厳戒態勢の下でヨーロッパのリベラリズムは抑圧されてゆくと筆者は案じます。また、ケルンでの難民による暴動によってドイツでも歓迎ムードは息絶えていきました。

100万人を超える難民の流入はヨーロッパに大混乱をもたらしました。それは労働者に雇用不安を抱かせ、テロリズムをもたらし、さらにはシェンゲン協定の限界も露呈させたのです。

 

難民の流出元は大半がシリアやアフガニスタンです。この地域はロシアやトルコなど複数のアクターが介入することで複雑な様相を呈しています。ロシアがなぜ介入したのか?そのカギはウクライナ危機にあります。なぜかは本書を読めばわかるはず…

 

危機はEUにとどまらず中東、そして世界と密接に関係している、というわけです。

 

この本の価値

この本の価値は2つあります。

1つはEUをめぐる問題に対しての視座を提供してくれる点。もう1つは、EUという枠組みを通じて世界に何が起こっているかを考える契機となる点にあります。

 

今後も流入し続けるニュースのどこに着目すべきか、いくつかの要素を特定し、視角を設定したい。そのことで、読者が自ら考える手がかりを得られればと願っている。(ⅷ頁より)

 

2年前と出版はやや古いものの、EUをめぐる問題がすっきりと整理されており、問題相互の関連も非常に分かりやすいです。論点の把握にちょうどいいと思います。

 

EUはどうなるのか?今後も存続していくのか?問題解決の枠組みとして機能していたEUが今では問題の一部としてみなされるようになったのはなぜなのか?Brexitは世界に何を示そうとしているのか?EUの危機はなぜ起こったのか?そもそもEUはなぜできたのか?そして、今後世界はどうなっていくのか?

そうした疑問に筆者は1つ1つ丁寧に対峙して解を出そうとしていきます。

 

日本から遠く離れたEU、しかしグローバル化の進んだ現在において、危機は世界的な緊密さをもって進行します。余談ですが、この本を読んでいてEUアメリカとの関係は日本とアメリカのそれに似ていると感じました。

世界情勢や国際政治、ヨーロッパ情勢などに興味のある方、ぜひご一読を。

 


欧州複合危機 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書) [ 遠藤乾 ]

  

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マンガ喫茶のススメ-最近のライフハック

 

この土日は予定がパーになりました。

風邪が流行っているから仕方ないです。

 

こういう何もない日は読書したり、授業準備をするんですが、家にずっといると飽きてしまうので、場所を変えて作業するようにしてます。

 

今まではカフェをよく使っていたんですが、最近はある場所にはまってます。

マンガ喫茶です。

 

 

カフェでの勉強をやめた理由

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家で長いこと作業していると気分転換が必要になります。

今まで勉強したり読書したりするのはカフェでした。

コーヒーが好きなので落ち着くんですが、やっぱりカフェは勉強には向いていないなあと思うようになりました。いくつか理由があります。

 

1.うるさい

これにつきます。

基本的にカフェはコーヒーやケーキを楽しみながらおしゃべりする場です。

都心の回転率が速いところなら常に満席で勉強なんてできません。

子連れの方もいますから赤ちゃんも泣きます。それはもう凄く泣きます。生理現象ですから仕方ありません。

 

2.たった一杯のコーヒーで長居すべきではない

都心であればカフェ難民が数多くいます。特に土日なんかはかなり混雑してます。

場所代も含まれているでしょうが、混雑している中で何時間も陣取られてしまうのはお店としても好ましくないでしょう。

実際、何時間もいないでね~という張り紙があったりします。

 

3.集中できない

集中を遮るものがたくさんあります。

皿の割れる音であったり、隣の人の会話をついつい聞いてしまったり。

ここで集中できる人は本当にすごいなあと思います。

 

カフェでも若干の例外はある

上のようなことが起きる理由を値段に求めました。だから少し割高のカフェに行ってみました。

次の3つです。

 

ルノアール

www.ginza-renoir.co.jp

 

椿屋珈琲店

www.towafood-net.co.jp

 

ホテルのラウンジ

お住いの近くのホテルを想像してください。

 

一番安いのはルノアールです。コーヒー一杯が600円くらい。

椿屋珈琲店は1000円くらいです。

ホテルのラウンジもあんまり椿屋珈琲と変わりません。

 

場所と時間帯によりますが、この3つは空いていることが多いです。

ただ、ホテルのラウンジ以外は土日でも混んでます。

ラウンジは静かなんですが、勉強する雰囲気じゃありません。

場違い感がすごいです。圧倒的場違い。

 

この中だとルノアールは電源もwi-fiもあるので良いなあと思いました。

 

マンガ喫茶にした理由

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1.静か

漫喫に来る方は1人の場合が多いですし、マンガを読むのが目的なので静かです。

 

2.料金が時間制なので回転を気にせずいつまでも居れる

だいたい5~6時間パックで1000円くらいです。

もちろん時間に応じて料金は加算されていくので、自己責任で上がっていく仕組みです。

 

3.個人スペースを選べば人の目がない

僕は毎回個室を選びます。

仕切られているので周りの目がありませんし、自分のやりたいことに集中できます。

また、調べ物をするときにスマホを触らずに済むので、ついついいじってしまう人には良いのかなあと思います。

 

4.勉強に飽きたらマンガを読んでリフレッシュ

実は僕、大のマンガ好きです。作業に一区切りついて休憩するときにはマンガを読めば大体リフレッシュできます。

 

5.ドリンクバーがある

もちろん薄利多売なので質は下がりますが、のどを潤すのなら、最高です。

 

6.お金が若干高い

5~6時間で1000円くらいですからコスパはいいと思います。

ただカフェに行くよりは割高になってしまいます。

お金をカフェよりも払っているので元を取ろうと思う気持ちが働いて、けっこう作業がはかどります

 

まとめ

以上、最近のライフハックでした。

 

カフェか漫喫かは好みがあるから分かれると思います。

ちなみに駅からちょっと歩く距離にある個人経営のカフェは大体空いているけど、勉強するような雰囲気ではないところが多い気がします。

 

家じゃ集中できない!という方は一度マンガ喫茶を使ってみてはどうでしょうか。

みなさんも風邪にはお気をつけて。

それでは。

そもそも統計とは何か?-言葉と歴史から整理する-

 

毎月勤労統計に誤りがあることが発覚した。

news.yahoo.co.jp

 

ニュースで出てくる社会の動向の多くは統計を基にしている。

だが社会事象を把握する根幹の統計に不備があった。

 

ここでそもそも統計とは何かを整理してみたい。

 

 

日本語から-辞書

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大辞林には次のようにある。

集団現象を数量的に把握すること。一定集団について、調査すべき事項を定め、その集団の性質・傾向を数量的に表すこと。(大辞林第3版より)

 

ある集団がどんな行動をするか、どんな性質を持つのか、数字的に把握できるものが統計である

なるほど、社会心理学とか実証系の学問で不可欠だなあと思う。

 

英語では

英英辞典を引いてみた。

The practice or science of collecting and analysing numerical data in large quantities, especially for the purpose of inferring proportions in a whole from those in a representative sample.

https://en.oxforddictionaries.com/definition/statisticsより

 

特に代表的な標本の比率から全体の比率を推測するために、大量の数値データを収集し、分析する実践ないし科学のこと。

つまり、一部分のサンプル(標本)の比率を「全体に当てはめても同じような比率になるんだろう」と推測する。そのために、大量のデータを集めて分析すること自体とその科学的方法のことを統計という。

 

そもそも明治時代にstatisticsの訳語として統計が使われ始めたことから、定義は日本語と同じである。では歴史的に見るとそもそも統計は何のために使われ始めたのだろうか。

 

歴史から-近代国家との関係

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統計の歴史的源流には次の3つがある。

  1. 国の実態を捉えるための統計

  2. 大量の事象を捉えるための統計

  3. 確率的事象を捉えるための統計 

 

第1の源流-国家動態の把握

古来より徴税や兵役のために人口実態を正確に行う必要から為政者によって行われてきた。

特に近代ヨーロッパにおいては、産業や人口の動態を正確に把握することで国家の繁栄に結び付けようとしたことから発展していった。

18世紀から19世紀においては国家運営の基礎として統計を用いる重要性が認識され、統計調査・統計制度の整備が積極的に行われるようになった。ナポレオンは1801年に統計局を設置し、以後政府による統計整備が進んでいった。

 

第2の源流-大量の事象の把握

その開拓者はイギリスのグラントという人物である。彼は当時ペストに度々見舞われたロンドンにおいて、教会の資料を基にし志望統計表を分析し、一見すると偶然に見える人口現象の背後に一定の法則があることを見つけた。

 

その後、エドモンド・ハレーがこうした手法を科学的に発展させる。彼は人間の死亡において一定の秩序があることを見つけた。つまり、ある人口集団における死亡に対して、それを予測し得る一定の法則があることを明らかにしたのである。

これによって生命保険会社は合理的な保険料金を算出することができるようになった。

※ハレーはハレー彗星の発見者である。

 

第3の源流-確率的事象の把握

確率論はパスカルフェルマーらによって基礎づけられていった。

後に人口推計や年金論などに応用されていった。

 

こうした3つの潮流を統合したのが19世紀半ば、ベルギーのケトラーである。

確率論を社会統計に導入し、科学的な統計としての体裁が整う。社会現象や自然現象を数量的にとらえることで科学的な分析が可能になった。

彼は公的統計の改善や世界的な統計機関の設立に尽力し、近代統計学の祖とされている。

 

統計が現在のような科学的な手法として位置づけられるのは19世紀以降、近代国家においてである。

 

結局統計とは?

統計とは、社会集団の行動パターンの傾向や集団の性質を数量的に表すものである。

統計によって異なる集団間での比較や同一集団における時間的な変化を比較することができる。すなわち横と縦の比較ができる。

また、ある集団において「ある行動をしたらこうなった」という因果関係を見出すこともできるだろう。それによって行動改善の手立てとすることも可能になる。

 また人口動態や給与の変化など政策立案の根幹でもある。

 

統計学は最強の学問?

統計に関する学問が統計学である。ずいぶん前から統計学が最強の学問である』という本が出版されているが、目もくれなかった。

統計の効果が社会動向を掴むことにあるとすれば、数量的なエビデンスを基にして考えるための前提となる学問である。

とりあえず記事を書いている途中にアマゾンで買った(笑)

 


統計学が最強の学問である

 

教育の動向は-エビデンスで考えよう

教育においても統計、すなわちエビデンスで考えることがトレンドになっている。

 

私自身も「わけのわからない根性論」や「狭い世界だけでの感覚的な経験則」、「理不尽な因習」に依拠して意思決定をしたくないので、この流れを歓迎している。

そうした流れは教育政策や子育てといったありとあらゆる領域に浸透し始めている。

 

この間あるシンポジウムに参加した時、エビデンスベースドポリシーメイキングという言葉が何度も言われていた。

曰く、授業改善の手立てとしてデータを収集して、統計を活用していくということだ。

 

ただ統計はあくまでも意思決定の材料であって、それを金科玉条のごとく絶対視してはいけない。

 

さて、冒頭の毎月雇用統計の不備の問題に戻ろう。

統計を基にして国家運営が行われている。政策決定の前提が間違っているとすれば、影響は様々なところへ及ぶだろう。

給付金が少なかったり、統計の見直しが行われたり、すでに各所で社会的なコストが生じている。統計、侮るべからずである。

 

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そもそも情報とは何か?―簡単な用語の整理—

 

「データ」に引き続き、「情報」とは何なのかを整理したい。

 

 

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情報とは-日本語から

 

辞書を引くと次のようにある。

①ある物事の内容や事情についての知らせ。「事件についての情報を得る」

②文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの。「情報時代」

③生態系が働くための指令や信号。神経系の神経情報、内分泌系のホルモン情報、遺伝情報など。

デジタル大辞泉より)

 

3つもある。

全く持って何のことやらという感じだ。

 

言葉を分解してみる-漢字の視点から

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辞書で引いてもわからないなら、さらにさかのぼってみる。

そこで「情報」を分解して考えてみたい。

 

まず「情」である。

「情」とは、まこと(本当)のことであり、次の3つの意味がある。

①本当の気持ち
②事実
③物事の状態、様子

 

次に「報」である。

主な意味として

①むくいる
②知らせる

の2つがある。

 

これらをふまえれば、情報とは

 知らされた、あるいは知らせた事実や物事の状態・様子

 となるだろうか。

 

英語では

 

情報は英語でinformationである。

informは知らせるという意味の動詞であり、-ationは動詞に付く接尾辞である。

-ationには①その行為自体②その行為の結果として生じたもの、という2つの意味がある。

したがって、この場合においては

①知らせるという行為
②知らされたこと(知らされた結果として生じたもの)

 となる。

 

知らせるという行為は伝えるという行為を内包する。

すなわち、ある事実が伝えられ、それを伝えられた者が知る(認知する)と、その事実は情報となる。認知しない情報は受け手にとっては存在しないものと変わらない。

 

こうしてみると、情報が「情報」として受け止められるには、言語などの媒体を共有する必要があることがわかる。たとえば、英語や日本語を共有していれば認識できても、アラビア語を共有していなければそれは謎の記号でしかない。

こういうところにグーグル翻訳のすさまじい価値を感じる。

 

また、知らされて結果として生じた者が情報ならば、それはなんらかの考えや判断かもしれない。情報の受け手の頭の中に生じた変化をも含むのが情報なのである。

 

結局情報とは?-データとの違い

 

①データとは単なる事実であり、それを考えの材料として活用すれば情報となる。

 

データは加工されることで、情報という「有意味」のものとなる。

ここにおける加工とは「考える」という営みであって、そもそも考えるとは段階的なものである。

したがって、1つではなく、複数のデータの組合せが考える対象となる。

 

② データ(事実)が伝達され、それが受け手に認知されることで情報に変化する

 

すなわち、情報には

①処理
②伝達

という2つの側面があるといえる。 

※①は前回の記事から、②は今回整理した結果として得た定義です。

 

情報化社会とは-IT革命の意義

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情報には伝達処理という要素がある。
かつては人間のみが担っていたこの行為をコンピューターが担うようになった。

この爆発的な普及がIT革命によって生じた。

 

IT革命とは(※長いので太字だけでも結構です)

広くはコンピューターによる通信ネットワークの発展がもたらした、社会全般にわたる構造変革をさす。とくにアメリカでは1990年代初頭からインターネットが普及し、企業活動から行政サービス、文化・学術活動まで、市民生活の様々な場面で情報の活用が進んだ。各種の規制緩和に支えられ、オンライン・ショッピングや株取引をはじめとする電子商取引(Eコマース)、新聞・雑誌・書籍などをインターネット上で配信する電子出版など、既存の流通構造や商習慣にとらわれない新しいマーケットが構築された。一方、ソフトウェアやコンテンツなど、コンピューターの周辺分野でも様々なベンチャービジネスが生まれ、大企業をしのぐ売り上げを計上するものも現れた。それがさらに株式市場の活況につながり、アメリカは空前の好景気を享受した。これに対し日本は、インフラ整備や規制緩和の遅れによって大きく引き離されている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典より)

  

人間だけで処理・伝達できる情報には限界があった。

しかし、インターネットの普及によってその総量が飛躍的に増大したのだ。

爆発的な情報の拡大は市場、すなわちフロンティアの拡大である。

だからこそ、情報を活用したビジネスが大量に出現し、さらには情報保護の必要性という法的な変化も生まれてきたのである。

アメリカでは90年代ITバブルが起きた。IT革命の勝者の果実だろうか。今ではGAFAが躍進し、世界中でIT規制の流れが起きるほどの脅威となっている。

 

さらには個々人が簡単に情報を生み出せるようになった。

現に私も皆さんにブログを通じて考えを伝えている。

 

現代社会は情報の海に浮かんでいるのである。

前述のとおり、情報は共有された言語でしか意味をなさない。

それゆえに、言葉を大切にして情報を見極めていきたい。

  

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