新卒教員の教科書

新卒のあの頃の自分へ向けたメッセージをつらつらと書いております。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みによるブログ。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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意味のない会話の意味

 

 

 

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意味のない会話がキライでした。

 

ダラダラと内容のないことを言われると、

 

「こいつは何が言いたいんだ?」

 

とイライラしてきます。自分の時間が奪われている感覚になるのでしょうかね。

 

しかし、教師という職業は人との会話は避けられません。

他の先生方を見ていると、生徒と他愛のない会話をして、談笑しているのを見るとうらやましくなることが多かったです。

なぜなら、私は意味のない会話を嫌ってきたために、意味のない会話をふっかけることをしてこなかったからです。

 

大人になって

 

思い返せば、学生時代の私はこのツイートにあるような子でした。

斜に構える、世の中を穿ってみる、そういう子です。

 

大人になると、接触する相手は選べません。僕と同じような子がいても話しかけづらいわけです。というのも、反応が薄いから何を考えているのかよくわからない。

「意味のない会話」はせずに、何か伝えることがあるときに生徒に話しかけていました。

 

そうして会話を避けてきた結果、コミュニケーションへの自信のなさが残ってしまいました。

 

コペルニクス的転回

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

日和や季節についての会話や、女子高生同士のサイダーのような会話も、しばしば「内容のない会話」の例として槍玉に挙げられる。しかし、交わされる言葉の内容そのものにはあまり意味が無くても、言葉を交換しあい、話題をシェアっているということ自体に、大きな意味がある。
 
 言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
 
 人間は、「私はあなたの存在を意識していますよ」「私はあなたとコミュニケーションする意志を持っていますよ」と示し合わせておかないと、お互いに不信を抱いたり、不安を抱いたりしやすい生き物だ。だから、会話内容がなんであれ、お互いに敵意を持っていないこと・いつでもコミュニケーションする用意があることを示し合わせておくことが、人間関係を維持する際には大切になる。

 

意味のない会話にも、意味はある。

 

人は一人では生きていけません。ましてや教員はチーム戦ですから、チーム同士の連携が必須です。そして教員は生徒や保護者との関係構築能力が非常に重要です。

関係を作るにはコミュニケーションをとることが大事で、その手段として意味のない会話を積極的にすることが大事なのです。

こうした効果をザイオンス効果(単純接触の原理)というそうです。

 

では、苦手な自分はどうしたらうまくできるようになるのか。

 

 一番良いのは、子ども時代から挨拶や世間話を毎日のように繰り返して、そのことに違和感をなにも覚えない状態で育ってしまっておくことだと思う。毎日挨拶ができること・世間話を楽しむことには、文化資本ハビトゥス)としての一面があるので、物心つかない頃からインストールしてしまっているのが一番良い。
 
 だが、一定の年齢になってしまった人の場合は、自分の力でコツコツと身に付けていくしかない。その際には、会話の内容だけでなく言葉を交換すること自体にも重要な意味があることをきちんと自覚して、「こんな会話に意味は無い」などと思ってしまわない事。それと、そういう会話を上手にこなしている人達を馬鹿にするのでなく、社会適応のロールモデルとして、真似できるところから真似ていくことが大切なのだと思う。
 
 そしてもし、今の職場で挨拶や世間話をする機会が乏しいなら、そのままほったらかしにしておかないほうが良い。世の中には、挨拶や世間話をする機会が非常に乏しく、業務上のやりとりだけの職場も存在するが、それをいいことに言葉の交換をおざなりにしていると、じきに「空っぽのコミュニケーション」ができなくなってしまう。そのような人は、職場以外でもどこでも構わないから、挨拶や世間話を実践して、「空っぽのコミュニケーション」ができる状態をキープしておいたほうが良いと思う。いざ、「空っぽのコミュニケーション」が必要になった時、慣れていないととっさに出来ないものだから。

 

周りの人を観察し、コミュニケーション強者から吸収していこうと思います。

まずはたくさんしゃべる機会を自分から作っていこうかな…。

 

殻を破ろう

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居心地の良い環境に居続けることは精神の安定に不可欠です。でも、それが殻にこもることを意味してしまうことも。

だから、殻を破っていくことで成長していくと思うのです。

 

生徒に対して苦手を克服しろという前に、自分が苦手に克服する姿勢をもとうと思います。

それでは。

 

35歳は学びの限界?

 

最近、部署を移動して慌ただしくなったため、自分の勉強がぱたりと止んでしまいました

 

さて、今日思ったことについてです。

 

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35歳限界説というものがあります。

 

「35歳になったら、もう体力もなくなって、意欲も減退するから、それまでの学びの貯金を切り崩して生きていく」というもの。

 

マジか。今めちゃくちゃ頑張らないとだめじゃん。

 

素直な私はもうひたすら仕事に精を出していましたが、最近になって本当に35歳までなのかなと思うようになりました。

 

そう思うようになったきっかけはこちらのツイート。

 

 

伊藤賀一先生はスタディサプリなど大学受験指導などをしながら、早稲田大学教育学部に通っておられます。

バイタリティがすごいですよね。

オフィシャルサイトはこちら→https://www.itougaichi.com/

 

現在、賀一先生は46歳。

 

僕も仕事をしていますが、正直働きながら学校行くって相当大変だと思います。

 

でも、賀一先生はこうして実際に働きながら勉強して、そしてまだまだ勉強を続けたいとおっしゃっているのです。

 

もうこれでおわかりでしょう。

 

そうです。学びに限界はないのです。

本人の意欲があれば、(体力も続けば)いつまでも学べるんです。

 

最近、自分の周りでも働きながら大学院に進学する人が増えています。

 

学びに終わりはない、と思ったという話でした。

【書評】民主主義だけが正義じゃない-森炎『裁判所ってどんなところ?』

 

去年読んだ本をもう一度読み直しています。

 

今回はこちらです。司法権に関する入門書です。

 

 

ざっくり内容

裁判所ってどんなところ?

 

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「裁判所ってどんなところ?」

 

本書のタイトルに答えることは実は意外と難しいです。

通常であれば、「裁判を行うところ」と答えるでしょう。

しかし、それでは十分ではありません。

 

まず、司法権裁判権は異なる権限です。

司法権とは国家権力の一部が行政権や立法権と分離したものです。この三権分立の考えは市民革命以降に出てきたものです。司法権の担い手に裁判所がふさわしいとされました。

 

しかし、裁判自体は有史以来おこなわれてきました。

裁判は社会の紛争を解決するものです。古くは王や貴族、役人によって、つまり行政府の人間によって行われてきました。その意味で、遠山の金さんは裁判官ですが、所属は江戸幕府という行政府であり、役人にすぎません。

行政府と裁判権が結びつけば、裁判を受ける側にとってはリスクしかありません。為政者にとって都合のいい人間であれば見せしめの裁判となるでしょう。当然、人権は保障されません。単純に裁判を行う場を裁判所とすることが適切でない理由はここにあります。

 

したがって、人権を保障するためには行政府から司法府が分離している必要があります。ちなみに、行政府は立法府による法律に基づいて運営されているので、立法府とも司法府は分離される必要があります。つまり、司法権の独立が裁判所にとって極めて重要なのです。

 

ここで裁判所とはどんなところか?という質問に対しては、

司法権の独立が保障され、公平性や公開性が担保された、人権保障のための裁判を行う場が裁判所

と言えます。

 

裁判所の歴史-戦前・戦後

明治時代、日本は西洋化を遂げ、急速に西洋法制の導入に努めました。

ところが今まで律令を手本としていましたから、なかなか整備が進みませんでした。

その転換点となったのが、1991年の大津事件でした。

この事件は日本が司法権の独立を確立したといわれる出来事でした。

しかし、明治末期ごろには社会主義無政府主義が浸透し始め、裁判所が思想統制の機関として利用されるようになっていきました。

1910年の大逆事件、1925年の治安維持法など危険思想の統制という形で政治権力としての側面が強く出ていました。

 

やがて太平洋戦争が終わり、GHQの占領によって権利保障的な裁判所へと生まれ変わります。

 

戦前の人権は法律の範囲内での保障でした。これを法律の留保と言います。しかし、戦後の日本国憲法では人権は憲法による保障とされ、ワンランク保障の度合いがアップしました。

そして、果たして人権が保障されているのか、侵害されていないかを司法府がチェックするために導入されたのが違憲立法審査制でした。

戦前は法律の留保ですから、人権保障の担い手は議会です。しかし、議会が歯止めをかけられず、結果的に人権侵害が起きてしまいました。そして、戦後は権利保障の拠り所として裁判所が位置づけられたのです。

 

裁判所の原理は民主主義と自由主義

 

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このような司法府による行政の監視は三権分立の中でどう位置付けられているのでしょうか。

 

裁判所は法の番人と言われます。

果たして法律通りに行政が実施されているのかを監視することが一つの役割です。これは法律による行政の支配を徹底させるためであって、法による行政の実現を目指すものです。

法律は立法府の意思によるものであり、さらに立法府は国民の意思を反映しています。したがって、法律による行政の支配を徹底させることは国民の意思を行政にしっかりと反映させることなのです。

この点で、民主主義の原理に基づいて三権は構築されており、司法府はその監視機能を担っているのです。

 

では、民主主義原理だけが裁判所の行動原理かと言えば、そうではありません。

 

民意の反映は人権保障と一致するとは限りません。

古代ギリシャの民衆裁判でソクラテスは命を落としました。魔女狩りは民衆による民間裁判的な側面もありました。

前述のとおり、裁判所の本質は人権保障にあります。人権を保障した上で紛争を解決することがその役目です。

ですから、時には国民代表の意思を否定することもあります。

それが違憲立法審査権なのです。

こうした人々の自由を守るという点において、裁判所は自由主義的な側面も有しています。

 

ですが、これはあくまでも理想的な司法の役割です。

現実には司法権は行政の監視を躊躇しがちです(日本においては)。

政治的な問題に対しては裁判所は憲法判断をしないという統治行為論というものがあります。

とくに安全保障の問題に関しては裁判所は憲法判断を避けてきました。

その結果、自衛隊や米軍に関しては全く統制ができていない状況が起こっています。

憲法の前文には平和的生存権があります。本来の裁判所の役割を考えれば、人権保障が第一ですがこの権利は判例で否定されています。

その一方で同じ裁判で争われた自衛隊の合憲性に関しては言及していません。

 

こうした課題はあれども、司法には高邁な理想があるのです。

 

おすすめポイント

裁判所とは何かということを原理的、歴史的に説明しているため、体系的に司法権に関して理解できる。

特に近代的な司法権が整備される前後の対比は非常に理解を深めてくれる。

 

おすすめの方

著者も述べていますが、中高生や大学生、そして法学部出身ではない社会科教員向けに書いているそうです。

具体例が豊富で理解しやすく、また平易な言葉で書かれているので学生にお勧めです。

 

また学び直しの社会人にも向いていると思いました。

 

授業で活用できそうなアイデア

司法権の歴史的説明は導入として使えそう
(例:江戸時代の遠山の金さんは裁判官か?というような発問。 これによって政治権力から司法府が独立していることが近代司法の要件であることが理解できる)

 

統治行為論の説明
(平和的生存権との兼ね合いで、それが判例でないがしろにされたというのは単純な暗記を避ける意味でいい説明)

 

西洋法制と東洋法制の違い(東洋は法による支配、西洋は法の支配)

 

まとめ


誰だったか、三権の中で司法権は最も閉鎖的と仰っている方がいました。

裁判中は写真も撮れないですし、昔はメモも取れませんでした。

司法官僚的な側面が強く、前例主義で動く組織です。

 

しかし、2009年には裁判員制度が導入され、裁判所にも市民感覚が反映されるようになりました。

また起訴処分を市民が決める検察審査会制度も実際に機能し始めています。

 

我々の生活からは見えづらい司法の世界へ素敵な筆致でいざなってくれる、そんな入門の書が今回の本でした。

投票-めんどくさくて、わかりづらくて、ありがたみのないもの-

 

統一地方選を目の前にしてなんてことを言うんだと思った方もいると思います。

 

タイトルはショッキングですが、言いたいことは表題とは真逆のことです。

なぜ投票率が下がっているのか、巷で言われていることとは別の視点から考えてみたいと思います。

 

 

投票率が下がる3つの要因

結論的に言えば、次の3つが投票率の低下の要因の一部だと考えています。3つ目から遡って説明していきます。

  1. 価値観の多様化による「利害関係」の複雑化
  2. 政策争点のわかりづらさ
  3. 参政権の価値の低下

 

まずは参政権の価値の低下から。

そもそも参政権は一部の特権階級に限られていました。

市民革命で参政権を得たのは一部の資本家など。

やがて産業化が進み、労働運動が盛り上がっていくと参政権獲得運動に発展していきます。労働者へと政治の門戸が開かれるようになりました。

ただ現在のように多くの国で女性も政治に参加するようになるのは、世界大戦を待たなくてはなりませんでした。イギリスでは第1次世界大戦後に女性参政権が、フランスや日本においては第2次世界大戦後に参政権が付与されます。これは戦争を通じて国家に奉仕したことの対価として付与されたものでした。つまり、国家への奉仕の代わりに国家に口出しをすることが認められたのです。

そうした時代的背景に加えて、参政権を求める命を懸けた人々の行動があったからこそ、我々は権利を獲得していったのです。

 

しかし、そうした血みどろの歴史は忘却の彼方に消え去り、今となっては一定の年齢に達すれば参政権は自動的に付与されます。別にありがたみも何もありません。

政治に参加する権利が個人にとってさほど価値を持たなくなったのです。

 

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次に政策争点のわかりづらさです。これは価値観の多様化による「利害関係」の複雑化とも関連しています。

 

マックス・ウェーバーによれば、政治家の役割はビジョンを提示することであり、そのビジョンを具体的な政策に落とし込み、実施するのが官僚の役割です。つまり、政治家には個別具体的な政策を争点とするのではなく、「どんな社会を理想とするか」グランドデザインの提示が求められているのです。

 

しかし、どんな社会を理想とするか訴える政治家はなかなかいません。

美しい国」や「自由と繁栄の弧」というけれども、理想の社会像として人口に膾炙しているわけではありません。

また、資本主義や社会主義といった体制選択の余地があるわけでもありません。

この選択肢のなさは戦後の日本社会がたどってきたものでした。冷戦下において、日米安保体制と経済成長という枠組みがあったために人々に体制選択の余地はありませんでした。それは現在でも基本的な枠組みとして残っています。

必然的に、大きな政治的枠組みを争うのではなく、個別具体的な政策が争点になります。

たとえば、消費税を10%に上げるという争点を掲げた時に、それ自体が非常に専門性を必要とする概念です。多くの人々に関連する一方で、知識を必要とするところから、人々は興味関心を失います(興味関心はあるけれども、調べるのがめんどくさいという人もいる)。

調べるのがめんどくさい、わからない、だから投票に行かない。わかりづらさが投票率の低下を助長していると思われます。

 

また、現在は多様化の時代と言われます。

高度経済成長期のように経済成長という目標に人々の意見が集約できる時代の政治には、日本全土の経済発展が求められました。

戦後の復興の下での貧しさの中で、人々は豊かさを求め、政治にその役割を期待したのです。

池田隼人の所得倍増計画田中角栄の列島改造論など経済成長というわかりやすい社会のグランドデザインは人々を魅了しました。

しかし、経済成長がある程度達成され、人々は豊かになると、豊かさ以外の別のものを求めるようになります。もっと言えば、物質的な豊かさが充足され、精神的な豊かさを求めるようになります。

また、バブルの崩壊やグローバル化少子高齢化などで社会構造にも変化が生じます。こうした中で全国民的を巻き込むような政治的争点はあまりなくなっていき、政策のターゲットが細分化されていきます。

たとえば、育児サービスの充実は共働き世代や家庭を持つ人にとって非常に嬉しいことですが、独身の方には直接的な関係はありません。

高齢者福祉は「いつかはみなそうなる」わけですが、若者には短期的には関係がありません。

関係がない、だから投票に行かない。

価値観が多様化したからこそ、政治家は包括的な政策を提示することができません。そうすると個別具体的な政策のリストを提示することになり、「この政策には関係がない」と思うような人が増加してしまうのではないでしょうか。

 

まとめ

 

投票率の低下には3つの要因があります。

投票の権利自体が陳腐化し、そもそも投票先の政治自体がわかりづらいし、関係がないものが多い。

 

ですが、果たしてそれだけなのか。

この記事を書いている中で浮かび上がってきた仮説があります。

 

それは

何でもかんでも中央政府が指示を出したり、やろうとするから無理があるんじゃないか?

日本全国一律に政策を提示するから有権者を囲えないのであって、地方政治に裁量を委ねていって、地域独自の課題は地域に解決させれば人々の興味関心や当事者性を喚起できるのではないか?

というものです。

 

もちろん検討の余地があると思います。

 

ですが第4次産業革命という経済的な大きな変革の時代において、政治もまた変化を求められているのではないか、と思った次第です。

 

とにもかくにも、教師に求められるのはわかりにくさの解消と関係がないと思ってしまう態度の是正にあるのかなと思いました。

とりわけ公民科においては、政策を目の前にして是非を判断する能力の涵養が必要と感じました。その点で正確な知識の理解は避けて通れませんね。

参政権の大事さは概念的に伝えても実感が伴わなければいけませんし、なかなか難しいのかなと思いました。それでも伝え続けることが教育の役割だと信じますが。

 

それでは。

【書評】地方自治の時代へ-村林守『地方自治のしくみがわかる本』

 

修了式が終わりました。教員一年目は終わりましたが、勉強が終わることはありません。積読の消化にまいります。

 

 

今回はこちら。

地方自治のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

地方自治のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

 

 

岩波ジュニアは高校生向けのシリーズですが、侮るなかれ、大人が読んでも十分読み応えのある内容を備えています。

本書も例にもれず、非常に丁寧に説明がなされており、非常に優れた入門書と言えます。

 

おすすめポイント

1.難しい地方自治の制度が丁寧に説明されている

2.歴史的な変化を踏まえて現代における地方自治の在り方を描いているため、今後の変化の見通しができる

 

地方自治とは地域的な政治システムのことです。ここでの政治システムとは法律など強制力で人々をまとめ上げる仕組みを指します。もっといえば地方自治体による地域統治のことです。

 

筆者の主張は「地方に裁量を!」というもの。つまり地方自治体の権限を増やす地方分権の推進を訴えています。

 

ではなぜ地方の裁量を増やすべきなのか、また地方自治の現状はどうなのか、といった疑問が浮かぶかと思います。

 

地方と中央の関係はどう変化してきたか

 

地方自治体は住民との距離が近いため行政サービスなどに対して住民の声が反映されやすいことが特徴です。ですが、行政サービスの内容は中央政府の意向が長らく反映されてきました。そして、それは社会の動態に連動して変化していったのです。

 

戦後すぐの焼け野原、多くの人々は貧困にあえいでいました。ですから行政サービスの主眼は安定的な食糧供給に置かれました。

 

やがて高度経済成長期になると全国一律での発展が求められます。土建国家と揶揄されることもありますが、金融規制や公共事業をはじめとした政府による産業振興策によって経済成長が図られました。国民全体が豊かになる中で一部の低所得に苦しむ人のために社会保障政策が整備されました。

こうした中で自治体に求められたことは公共事業と社会保障の地方における国の出先機関的な役割でした。そのおかげで全国一律の水準のサービスが提供され、日本全国が格差を縮めていきましたが、地方自治に政策決定の余地はありませんでした。

 

しかし、バブル崩壊後の1990年代に突入すると、経済成長も停滞するようになります。

1990年代は自由化の時代でした。日本版金融ビックバンやコメの関税化など日本が国際経済の荒波に飛び込み、グローバル経済に飲み込まれていきます。

そうなると終身雇用や年功序列の給与体系では日本企業は戦えません。企業は中央政府に働きかけ、これらの制度が崩れていきます。労働規制が緩和され、非正規雇用が増加しました。特に生産性の低い教育や福祉業界では非正規雇用の問題は深刻です。

 

また重化学工業からサービス産業へと中心産業が変化したことで働き手にも変化が起こります。肉体的な労働を中心とする男性が働き手の時代から、頭脳労働が中心となったことで女性にも活躍の道が開かれていきます。

こうした雇用の変化は家族にも変化をもたらしました。共働き世帯が増え、また核家族で、しかも専業主婦が消えたことで地域での支え合いもなくなるようになりました。

 

こうした中で福祉サービス、すなわち保育や高齢者サービスの充実が求められています。

これらの行政サービスは地域によって事情が全く異なります。たとえば、人口が50万人弱の鳥取県と1300万人ほどの東京都では全く異なるでしょう。だからこそ、全国一律のサービスの提供ではなく、地方に裁量を与えることが求められているのです。

 

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地方自治体と中央政府の仕事の変化

 

地方には裁量はないんでしょうか?

否、2000年以降は着々と地方にも権限が委譲されています。

それまでの流れも観てみたいと思います。

 

中央政府が全国一律にサービスを提供できたのはなぜか。

それは機関委任事務というものの存在が背景にありました。

機関委任事務とは本来は国の仕事だけども地方自治体が代わりにやる仕事のこと。

 

全国的に格差を縮小し、経済発展を目指す高度経済成長期には有効に作用しました。しかし、成長が停滞すると地域課題が様々に噴出してきます。地方の権限増加が求められるようになりました。

 

そこで1999年地方分権一括法が制定され、翌2000年に施行されます。

機関委任事務法定受託事務自治事務、国の直接執行事務に分けられ、地方に大きく裁量が任されます。

権限の委譲に伴い、税源の移譲も議論されます。

これまでは国の仕事を自治体がやるということで地方交付税や国庫補助金など財源保障を国が行っていました。

しかし、真に裁量を任せるのならお金もなければならんということで行われたのが三位一体の改革でした。

地方へと税源を移譲するという目的で、国庫補助負担金が4兆円、そして地方交付税5兆削減、そして地方税が3兆円増加することとなりました。簡単に言えば、転職したら基本給は3万円増えましたが、その代わり手当が9万円減った、差し引き6万円のマイナス(6兆円のマイナス)ということです。

 

おわかりのように改革はうまくいかず、むしろ自治体間の格差を拡大させました。中央政府財政再建地方自治体の改革が利用されたのです。

 

つまり、仕事上は裁量は増えたけれども、お金の裏打ちは確保できていない、というのが地方自治体の現状です。

 

おすすめの方

地方自治に興味を持つ大学生/高校生/中学生

大学受験を控える高校生。
ちなみにセンター試験現代社会や政治経済で地方自治は頻出分野です。

社会科/地歴公民科の教員
教材研究の入門書としてぴったりかと思います。ここから発展して西尾勝先生の行政学などに手を出すのもいいかと思います。

 

授業のアイデア

 

次のようなところで使えそうな気がします。

 

中央政府と地方政府の理想的な在り方を問う

(社会のグランドデザインに関する考えを持たせる)

行政委員会の説明

(時の政権に左右されないために執政府(市長・都道府県知事)から独立している)

地方自治体と国の関係における英米型と大陸型のところ

 

まとめ

 

地方創生が叫ばれ、地方を活性化させようという施策が積極的に行われています。

ですが、国が一声号令をかければ全国が地方創生に右向け右をしてしまうのは、未だに国の影響力が強いことを物語っています。

 

今後、地方自治体の役割はどんどん増していくと思われます。

始めの一冊として手に取ってみてはいかがでしょうか。

生徒と向き合うということ-褒めて叱ってぶつかろう-

  

何気ない日常がガラッと変わって見えるような出来事。

そんな原体験は突然訪れます。

 

僕にとっては今日はそんな日だったようです。

 

 

その時、僕は補習の監督をしてました。

寝ている生徒がいて、1度目は注意しましたが、2度目からは放置していました。

 

廊下を通り過ぎる時に、たまたまそれを見た先輩の先生が

 

なんだよ~お前寝ちゃダメだろ~

 

とその生徒に話しかけました。

 

他の生徒にも

 

ちゃんとやってるか~?頑張れよ~

 

と教室を回っていったのです。

 

ニコニコと話しかけ、眠そうだった生徒たちの雰囲気が変わったような気がしました。

 

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補習後、その先生にお礼を告げました。

 

するとこういわれたのです。

 

彼らは相当やばい成績をとってます。だから、進級のために補習を受けてます。でも本来1年間の積み重ねをこの短期間で埋めようというのは無理な話なんです。それでも彼らは毎日朝から学校に来て補習を受けている。彼ら自身もまじめに受けなきゃやばいということはわかっているんですね。

でも、元々がだらしないから、だらけちゃう。だけど、寝ているのを起こせばやばいなと思ってしっかり勉強に向かう。

 

 

社会って叱ってくれる人も褒めてくれる人もあんまりいません。

でも、彼らの姿勢を直さないと社会に出た時、大学に行ったとき、専門に行ったとき、今と社会とのギャップにやられちゃうと思うんです。だから、褒めて、叱って、ちゃんと見てあげることが大事だと思うんですよね。

 

なんとない会話でした。

でも、その先生のその言葉が僕にとってどれだけ響いたか。

 

授業準備は半端なくしてきました。様々な場で授業は褒められてきました。

でも、生徒とのコミュニケーションという授業の基盤たるものは避けてきました。

 

しっかり生徒と向き合おう、そう思える原体験が不意に訪れた瞬間でした。

 

 

ステキな方の下で働けている。

人に恵まれたことに感謝です。

 

やっと100記事!-過去の人気記事は?-

 

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昨日書いた記事でやっと100記事に到達しました。

www.yutorix.com

 

このブログも実は2014年からやっていますから、ブログ歴は4年以上になります。

(整理せずに次々と食材を買ってはぶち込まれた冷蔵庫の中くらい放置していました。本格的に稼働したのは去年頃です)

 

節目ということで、アクセス数の高い人気の記事を振り返ってみたいと思います。

ワクワク…

 

 

第5位 哲学対話を授業でやってみた

 

www.yutorix.com

 

第5位の記事は哲学対話の授業に関するもの。

 

哲学対話を実際に授業で実施した様子をレポートした記事です

生徒が予想以上に考えを深め、自分自身も大いに刺激を受けました。

 

新年度で哲学対話を実施しようか迷っている方の参考になればと思います。

 

第4位 なぜ自律的である必要があるのか-教育目標としての自律-

 

www.yutorix.com

 

中学校学習指導要領の「道徳」には教育目標として「自律」が掲げられています。

しかし、学習指導要領に書いてあるからという理由だけで受け入れるべきではないと僕は思っています。

自分の中で反芻して血肉にしたものが教育目標たるにふさわしい。

 

そういう視点で自律を考えると、どういう社会を背景にしているのかが見えてきました。

社会的な背景から教育目標の意義を突き詰めていきます。

 

第3位 「普遍的な」人権思想、ヨーロッパで生まれた人権思想

 

www.yutorix.com

 

この記事は私の考えをかなり反映しています。

 

普遍的という言葉はフィクションでしかないと思っています。

現代社会において基本的人権や法の支配は普遍的なものとして語られています。

しかし、それらは特殊ヨーロッパ的な条件の中で生起したものです。

たまたまヨーロッパが国際的な覇権を獲得したから人権の概念が広まったに過ぎない。

 

もちろん人権は否定していませんし、重要であることは重々承知しています。

ですが、そもそもの生まれが異なる概念をおいやすやすと受け入れていいのか、とも思うのです。

 

無批判にある概念の「いいとこどり」をしていないか、そういう自己批判の思いも記事に込めています。

 

第2位 歴史を学ぶ意義

 

www.yutorix.com

 

歴史の授業を担当して戸惑う毎日でした。

というのは、生徒から聞くのは「何の役に立つの?」という言葉ばかり。

実用性ブーイングの嵐でした。

 

けれども、それに対して納得いく説明ができない。

もどかしく時間は過ぎていきました。

この記事は、夏休みの直前になり、考える時間を十分に手に入れた自分が行き着いた結論です。

 

番外編 お気に入りの記事

 

www.yutorix.com

 

8月31日。

新学期を直前にして超絶憂鬱でした。

 

あ~学校やだな~

 

という無気力状態でネットサーフィンをしていたらあるブログの記事を見つけます。

そして、その記事に勇気をもらって…という話です。

 

第1位 貨幣、通貨、資金の違いについて

 

www.yutorix.com

 

まさかのこれが一位。

言葉の違いをまとめたこの記事が、意外や意外、最も多くのアクセスを集めていました。

 

考えることは言葉を通して行われます。だからこそ、言葉は定義されてこそ、正確に思考が進んでいきます。

そういう意味でwikipedia的に使われたのかもしれませんね。

 

まとめ

あらためて過去の記事を見てみると、面白いですね。

自分ってこんなこと考えていたのか~、という意味でブログは巨大な備忘録に思えてきます(笑)

 

見苦しい記事もあったかと思います。

文章が下手であったり、デザインが見づらかったりとまだまだ発展途上ですが、今後も書き続けていきたいなあと思います。

次なる目標は300記事です。

 

セーフティーネットがガチャっておかしくない?っていう話

 

 

カルチャーショック

 

僕は今年度から社会人になりました。

初任給という形で給料をいただいています。

 

ですが、正直かつかつです。

大学と大学院の奨学金の返済がはじまり、車のローン、そして月々の生活費が迫ってくる…

残りはほんの僅かになります。

正直、あんまり給料日は楽しみじゃないですね(笑)

 

同僚と話をするとこんな話が出てきます。

 

「車買うときに親に半分だしてもらった」

「親に買ってもらった」

 

こういう時に!!??となります。ええ、カルチャーショックを感じます。

 

我が家はあまり裕福ではなかったこともあり、家訓が放任主義でした。好きなこと・やりたいことがあるなら、最低限の応援はする。けれども、必要を超える分は自分でまかないなさい、というもの。

 

当然、車に関しても「買いたいなら自分の金で買いなさい、その代わり何も干渉はしないから」という放任主義でした。

もちろん、それを当たり前として育ってきた僕としては貯金を切り崩して購入したわけです。

 

ですが、隣の芝は青い。

他の家庭は子供に経済的な支援をしている。彼らは浮いたお金で何か別のことをする。

いいなぁと思う。

 

思えば大学時代もそうでした。

ある程度の偏差値の大学に行ったためか富裕層が多い。社長や大企業の幹部、弁護士の子息などなど…

経済的に恵まれた友人は奨学金などに頼りはしません。家庭で授業料を賄えますから。

こう書いていると恨み節でもあるかのようですが全くそんなことはありません。彼らはとてもいい人ですし、僕も凄くお世話になりました。

ですが、ひしひしと格差を感じていた僕がいたことは事実です。

 

日本全体で格差が広がっている

 

いま、日本の社会では格差が進んでいるといわれています。格差を表す指標として相対的貧困率ジニ係数があります。

 

相対的貧困率とは、所得の中央値の半分未満で暮らす世帯の割合のことです。

 

平成27年度調査によれば、中央値は427万円ですから、213.5万円未満で暮らす人の割合が相対的貧困率にあたります。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa15/dl/16.pdf

 

ここに厚生労働省の資料があります。

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図表2-1-18 世帯構造別 相対的貧困率の推移|平成29年版厚生労働白書 -社会保障と経済成長-|厚生労働省

 

青い線が相対的貧困率です。年々上昇しているのがわかります。

 

一方、ジニ係数とは所得がどれくらい均等に分配されているかを表す指標です

1に近いほど格差が大きく、0に近いほど平等に分配されています。

 

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日本のジニ係数推移 1962~2014

当初所得は何もしない状態でのジニ係数で、再分配所得とは政府による再分配(生活保護や手当などの再分配)を行った後の数値です。

当初所得に注目すると格差が年々拡大していることがわかります。

ただ、日本政府の頑張りのおかげで一定程度格差は縮小しています。ですが、格差大国のアメリカが0.38程度ですから再分配後の数値も国際的には高い水準にあります。

 

セーフティネットとしての家族

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再び僕の話に戻ります。

 

僕は今、親元を離れて一人暮らしをしています。

ですが、全てを自分だけで賄えているわけではありません。

 

たとえば、アパートを借りるとき親の力を借りています。

普通、入居する何か月前には家を借りなくてはなりません。すぐ埋まってしまうからです。

修士論文の執筆に追われていた自分はバイトを減らしていましたから、当然数か月分の家賃を払えるわけもありません。

 

親に頭を下げて肩代わりしてもらいました。

 

母は何かしら食料を送ってきてくれます。

 

父は帰省の度にいくらか餞別をくれます。恥ずかしがり屋の父ですから、別れ際に「ほれっ」と渡してくれます。

 

そういう時に家族の大事さ、ありがたさを凄く感じるわけです。

 

「ああ、家族がいなきゃ生きてけないな」と。

 

つまるところ何が言いたいかというと、家族がセーフティーネットとして機能しているということです。

 

生活に困っても、家族が助け舟を出してくれるから生きていける。

 

でも、僕のようなケースも先ほどの統計を見ると恵まれているんだと思うんです。

 

ましてや大学の授業料を出してもらったり、ポンと自動車代を出してくれるような親はかなり余裕のある層だと思うのです。

 

最後の砦がガチャで決まる時代

  

セーフティネットというのは最後の砦です。

誰も頼る人がいなくなって、最後に頼れる人ということです。

 

市場でもなく、政府でもなく、それが家族だと思っています。

 

ですが、この家族ですら所得格差が拡大する時代においては頼りになるか定かではありません。

 

たまたま親の経済状況が許す限りで僕は支援してもらえました。

同僚もそうです。たまたまその家に生まれたから親に補助してもらったわけです。

 

ですが、セーフティネットって偶然に左右されるものでしょうか?

 

家族ってガチャみたいなものだと思ってます。

ガチャを引いたらノーマルかレアが一生決まってしまう。

 

偶然性で生活が、キャリアが、将来が決まってしまう。

 

しかも、初めに引いたガチャの出によってその後もガチャを引けるかどうか決まってしまう。

もはや人生ですら運ゲーですね。

 

誰も頼る人がおらず、不安を抱えて生きている人がいるのです。

 

政府のすること/市場のすること

 

いま日本政府は、政府の仕事を徐々に市場原理に任せています。

 

しかし、市場と政府では対象とする仕事の性質が異なります。

政府は人々が必要とすることを、市場は人々が必要以上に求める欲求に対するものを扱うのが得意です。

たとえば、人々が必要とする水は政府が供給してきました。

一方で、お菓子やお酒などの嗜好品は活きる上では必ずしも必要ではありません。ですから、市場で扱われてきました。

しかし、水道が民営化され、市場原理にさらされることになりました。

 

こういう市場原理の行き着く先が果てしない競争です。

その結果、リストラや倒産などで職を失う人が大量に出ました。

また、市場競争は価格の引き下げを伴いますから、必然的にコストのカットを求められます。そのしわ寄せは人件費に行きますから、そのあおりを食らった人も多くいたと思います。

 

こういう困ったとき、貧困に直面した時、政府機能が縮小している今、政府は有効に動けているんでしょうか。

 

確かに僕は上にあげたような状況ほど困ってはいません。ですが、家族がいなければきっと生活はできなかったでしょう。

消費者金融という道もありましたが、あれはセーフティネットではありません。

 

格差が拡大しているという事実は政府のセーフティネット機能が弱まっているということを意味しています。

 

そしてセーフティネットがない人が日本にどれほどいるのでしょうか。

 

ガチャのように偶然で生活が決まるのではなく、きちんと政府が機能する。やみくもに市場原理に任せるのではなく、必要としている人の声に耳を傾け、適切なサービスを供給する、そんな社会が理想的だと思います。

 

【書評】財政は社会の設計図-神野直彦『財政のしくみがわかる本』

 

ひたすら積読を消化しています。

 

今日紹介する本は、神野直彦先生の書いた『財政のしくみがわかる本』です。


財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

 

 

おすすめポイント

 

こちらの本、平易な言葉で書かれていますが、内容はとても深いです。

財政が必要になるのはそもそもどういう背景からなのか、意義や理念、そして実態がスラスラ頭に入ってきます。

 

通常、財政は中学校社会科の公民や高校の現代社会、政治・経済などで扱われます。

重要なトピックであるにもかかわらず扱える時間数は限られています。

制度を教えたいけれども、消費税や国債費など時事的なテーマなどで議論もできる。それから社会保障政策も考えさせたい…!

でも結局制度の説明に終始しがちですし、時間も少ないため、要点の説明で終えてしまうこともしばしば。

 

ですが、この本では一つ一つの財政制度の「意味」が説明してあるため、単純な丸暗記を回避し、かつ様々なトピックを網羅しているので幅広く考えることが可能です。

たとえば、直間比率をどうするかが金持ちの負担を大きくするか、貧しい人の負担を大きくするか、という社会観に関わっているということであったり、財政赤字財政破綻は全く性質が異なることであったり、単なるワードに過ぎなかったものが意味を持ち始めます。

 

おすすめの方

 

そういう点で中高生にとてもおすすめしたい一冊です。

特に「一度財政を勉強した」けども、つながりがよくわからない生徒さんには非常に重宝するんではないかと思います。

財政分野は受験でも頻出です。特に私大の上位や国公立の二次試験を受けるのなら論述問題も出ますから深い理解が必要です。受験期ではなく、高2までに読んでおくといいのかなと思います。

 

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また社会科・公民科の先生にもおすすめです。

こちらの本には授業で使える問いであったり、説明の際に使える例が豊富にあります。

たとえば、借金は悪いことなのか?という発問。

僕たちは借金は悪いことだと考えています。しかし、それは僕らが家計として経済活動をしているから。家計は消費こそすれども生産をしません。ですから、収入の中でやりくりしないといけませんから、それを越えて消費するのはダメなんですね。一方で企業は借金しても大丈夫。なぜなら生産して収入を大きくすれば、そこから返済できるから。では、政府の借金はどうなのか…

本書を読めば、経済の3主体と財政がきっちりと関連をもって理解できるはずです。

また、本書の随所に出てくる財政を考えることは理想の社会を考えることという箇所は、授業でも使える題材だと思います。

 

経済学に興味がある方・財政に興味がある方・国の仕事に興味のある方にもおすすめです。

 

人によっては?かも

出版が2008年と10年以上前ですが、原理原則を知るには最適かと思います。

あとこの本は筆者の主張・思想が出ています。時々政府を批判したりするので、ある程度財政を勉強した方が読むにはちょうどいいかと思います。

ただ私個人は神野直彦さんの主張には賛同しますし、原理原則から批判しているのでまっとうな本だと思います。

 

まとめ

財政とは国民の共同の財布です。

僕らは税金を納め、それを政府は公共サービスなどを通して国民に配っています。

ですから、財政を考えることは社会の在り方を考えることなのです。

それに関してこの本が示唆するところはとても多いので、また別の記事で紹介したいと思います。

 

それにしても岩波ジュニア新書は中高生向けとはいえ、大人が読んでも物凄く勉強になります。

ああ、積読を減らさねば…(あと100冊くらい)

【書評】戦後の歴史をコンパクトに-中村政則『戦後史』

 

積読の消化期間に入っています。

 

統治機構を勉強するなら日本の現代史はもう一度おさらいしよう!ということでこちらの本を手に取りました。

 


戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))

 

出版は2005年。およそ15年のロスは最近ブームの「平成史」関連の書籍を手に取っていただければと思います。

 

 

おすすめポイント

 

若干古いとは言えども、サクッと戦後の歴史を俯瞰するにはうってつけの本です。

本書の特徴は2つ。「貫戦史」「1960年体制」を基軸に据えているところです。

貫戦史とは、戦争がその後の社会にどのような影響を与えたか、戦前との連続性に重点を置いて著述することです。戦争のインパクトがいかに大きいかがわかります。

また筆者は一般的な1955年体制ではなく、1960年体制を用いています(あるいは経済的には1940年体制が一般的です)。その理由は1960年代に戦後日本の基本的枠組みが形作られたからです。

 

著述の方法としては、日本の戦後史を政治・経済・社会・文化に分け、その時の筆者の記憶を交えながら書き進めていきます。

歴史上の事象に立ち会った人間にしか書けないであろうリアルな感覚が読んでいくうちに伝わってきます。

 

おすすめの方

 

これから戦後史を勉強しようと思っている方

政治や経済を勉強したけども、それらが日本の現代史でどのように動いてきたかを知りたい方

手っ取り早く戦後の歴史を知りたい方

 

※筆者は左寄りな思想で、かつ記憶史という方法によりリアルさのある文章が書かれています。

勉強を目的とするのであれば、ある程度思想の方向性を理解した上で、それを相対化しつつ読み進めることをお勧めします。

 

ざっくり内容

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戦後のイメージは何でしょうか?

筆者は反戦・平和・民主主義・貧困からの脱出としています。

 

そして筆者は戦後を4つの時期に区分します。

第1期が1945年から1960年

第2期が1960年から1973年

第3期が1973年から1990年

第4期が1990年から現在(2005年)

 

第1期は講和問題と日米安保で日本が揺れに揺れました。

日本は国際社会の動向に大きく左右されてきました。

アメリカに占領された当初は非軍事化と民主化が主眼に置かれていましたが、朝鮮戦争の勃発と中華人民共和国の成立により対日政策が180度転換します。

当時ヨーロッパでは冷戦構造がほぼ確立していました。

冷戦下において日本の地政学的重要性を鑑み、アメリカは再軍備と経済復興に注力します。

そうした中で日本を自由主義陣営に引き入れるため、アメリカは講和の準備を進めていきます。

そして朝鮮戦争のさなかである1951年、サンフランシスコ平和条約が締結されました。同時に日米安保条約も締結されます。

約10年後、岸信介首相が日米安保条約の改定を行いました。激しい安保闘争が繰り広げられ、また三池炭鉱での激しい労働闘争も行われていました。

筆者は1950年代を政治闘争の時期としています。

 

個人的に面白かったのは憲法第1条と9条、そして沖縄との関係です。

憲法1条で象徴天皇制が取られたのは、天皇の戦争責任を問う諸国に対する配慮であり、また再び天皇大元帥として再軍備を行わないように、憲法9条で武力放棄が定められました。

そして不戦を高らかに掲げ独立する一方で、沖縄はアメリカの委任統治領とされ、米軍基地がずっと置かれています。

本土の平和主義と象徴天皇制は沖縄の軍事的な犠牲の下にあったのです。

 

第2の時期に戦後日本の基本的な枠組みが決まっていきました。

たとえば、GATTIMFなどへの加盟がそれを象徴しています。

池田隼人首相は戦後の日本は開放経済の中で、つまり諸外国との競争の中で経済発展をしていかなければならないと説きました。

でも、世界銀行からの借款で新幹線や高速道路が作れらたり、先進国からの技術供与があったことは間違いなく高度経済成長を促進する要因となりました。設備投資の近代化が進み、重化学工業が進んでいきました。

また政治的にはベトナム戦争沖縄返還日中国交正常化などがありました。

ベトナム戦争では日本だけでなく韓国にもアメリカは協力を求めます。当時の韓国経済はボロボロで、大量の失業者がいました。戦後の日本は未だに講和条約を結んでいなかったのですが、ベトナム戦争をきっかけに急速に交渉が進みました。結果、1965年に日韓基本条約が結ばれ、賠償金ではなく経済協力の名目で韓国にお金が支払われました。

ちなみに日韓基本条約を締結した佐藤栄作首相のねらいは、アメリカに貸しを作ることで沖縄返還交渉を有利に進めることでした。頭いいですね。

時の米大統領ニクソンは中国を訪問します。これは中ソにくびきを打つと同時に、沖縄返還を遂げた日本が台頭しないようにアメリカに接近する中国の意図もありました。

こうして次の田中首相は中国との国交正常化を政治課題とするのです。1972年に日中共同声明、1978年には日中平和友好条約が結ばれました。

また田中角栄と言えば列島改造計画です。この計画で日本中で投機ブームが起き、地価が高騰します。そこにオイルショックが起きたわけですから、インフレが加速します。教科書に書いてあるオイルショックによるインフレは前段階としての列島改造計画による投機ブームが裏にあったのですね。

※高度経済成長期以前は主婦も重要な労働力であり、高度経済成長期に家族を養えるほどの所得を夫が得るようになったことで専業主婦という家族形態が現れたという箇所は面白かったです。というかそんなに所得もらってたのか。すごい。

 

第3期はオイルショックからソ連の崩壊(1991年ですが)までです。

オイルショックを機に、企業の減量経営がはじまります。また政治的にはサミットが開催され、ここで日本は金持ちクラブの仲間入りを果たしました。つまり、戦後のイメージの一つである「貧困からの脱出」を果たしたのです。

1985年のプラザ合意と翌年の前川レポートによりバブル経済に突入し、日本経済は絶頂期を迎えていきます。バブル経済の説明は詳しかったですね。

ですが、バブルは崩壊し、冷戦も終結します。ここに昭和天皇崩御が重なり、一つの時代が終わったと筆者は言います。

 

第4期はポスト冷戦の時代です。

湾岸戦争は日本の安全保障政策を大きく変えました。

金だけ出すのか、という国際社会からの批判に日本はPKO協力法を制定して遂に自衛隊を海外に派遣できるようにします。

その後、9・11直後に小泉首相は、クウェートに感謝されなかった日本の赤っ恥を繰り返さない、湾岸戦争の轍を踏まないということで、テロ対策特別措置法を制定し、後方支援を可能としました。

こうした対米従属を筆者は強く批判します。

 

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筆者は言及していませんが、個人的には小泉首相あたりの規制緩和をはじめとした新自由主義的改革は第5の岐路なのではないかと思っています。

郵政民営化規制緩和など市場の影響力を強めることで経済の活性化を図ろうということですが、所得の中央値が下がり、生活保護世帯が増加し、格差が大きく拡大している状況を見ると日本社会は大きく変わったのではないかと思うのです。

本文中に引用されていた山田昌弘氏の「希望格差社会」という言葉が胸に刺さりました。

 

甲乙つけがたい

 

60年の歴史をおよそ280頁にまとめているので、さっと読める一方で薄いところは本当に薄いです。

たとえば、高度経済成長やバブル経済の要因について詳しく述べられている一方で、金融ビックバンや小泉首相構造改革についてはサラッと書かれている程度です。

ただ貫戦史を叙述方法として採用しているだけあって、戦争に関してはそれなりに詳しく書かれています。もちろん、戦争の経緯ではなく戦争の影響についてですが。

また、参考文献が随所に書かれていますので発展的に勉強することも可能です。

 

まとめ

 

やはり歴史は面白いですね。

私自身の信条としては、「今の社会を相対化すること」に歴史の意義があると考えています。

特に近現代史は現在の社会の枠組み・仕組みが多く作られた時代ですから、多くの人に学んでほしいところです。

 

「へ~そうだったのか!」となる、

まさに今の日本を相対化するきっかけになる一冊です。

  

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