新卒教員の教科書

新卒のあの頃の自分へ向けたメッセージをつらつらと書いております。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みによるブログ。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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教材研究で役に立つテレビ番組【公民科】

 

 

昨日、地理のネタ探しにテレビ番組を活用しているという宮地先生のツイートを見かけました。

公民科でもネタ探しで使えそうなテレビ番組って何だろうとツイートしたところ、コメントをいただきましたのでそれをまとめさせていただきます。

 

 

はやし@育休中さん、まろさん、コメントいただきありがとうございました。

  

はやしさんより

 

 

クローズアップ現代

www.nhk.or.jp

 

バンキシャ

www.ntv.co.jp

 

オイコノミア

www2.nhk.or.jp

 

オイコノミアは残念ながら終わってしまいましたね…

NHK強し。

 

加えて、世界の哲学者に人生相談という番組もお教えいただきました。

 

世界の哲学者に人生相談

www4.nhk.or.jp

 

まろさんより

 

映像19

www.mbs.jp

 

トップニュース

www6.nhk.or.jp

 

国際報道

www.nhk.or.jp

 

映像19は近畿圏を中心に放送されているみたいです。

残念ながら私は見れない…。

 

個人的に

 

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教材研究だと、やっぱりNHKは心強いですね。あと池上彰さんの特番も。

そういえば、NHKドキュメンタリーの「欲望の資本主義」シリーズも面白かったです。

 

欲望の資本主義

www.nhk.or.jp

 

あとは、映像の世紀も使ってます。もちろん公民だけでなく、世界史の授業でも活用しています。

 

映像の世紀

www4.nhk.or.jp

 

宮地先生のように様々なツールで教材研究ができると、研究がさらに楽しくなりますね。

もしこれ以外にもご存知の方がいらっしゃったら是非ご教授いただけたらと思います。

それでは。

 

www.yutorix.com

www.yutorix.com

 

授業の成否は結局ラポール

 

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新学期が始まり二か月が過ぎました。

 

高3生も受験に向かってシフトチェンジするころでしょう。

かといって受験!受験!と汲々としていない時期でもあるのかなと思います。

 

私の担当するのは公民科目です。

受験生はセンターでしか使いません。

 

ですので重要度はあまり高くありません。

 

さて、この間の授業で今学期はじめて内職をしている生徒を見つけました。

 

(おお…内職してる!)

 

ビックリしたのが第一ですが、同時に悲しく、悔しくもありました。

 

聴くに値しない授業を提供していると思うと、悔しくて仕方ないからです。

 

しかし、私の考え方が多分に目的合理的なので、「受験突破という目的に照らして行動してるのならいいか…」とその時は見過ごしてしまいました。

 

しかし、全員が同じ行動をとるのであれば、私はもはや授業をする意味はないでしょう。

 

そんなふうに悩んでいたら、こんな記事を見つけました。

www.yacchaesensei.com

 

そうか、そういう対処法があるかと納得する記事でした。

 

とりあえずその日は放置しましたが、いずれこれは解決しなきゃなあと思うのです。

 

一方で私の授業をしっかり聞いている生徒の特徴を思い浮かべると

 

授業外でコミュニケーションを一定程度取っている生徒が当てはまりました。

 

結局は日頃のコミュニケーションの積み重ねで信頼関係が構築される。

そして、授業をコミュニケーションの一環と捉えれば、授業中に教員の話を聞く、自分の意見を述べる、そういう営みも日常生活の延長線上にあるものに過ぎないと思うのです。

ちなみにタイトルのラポールは心理学用語で信頼関係を意味します。

 

www.yutorix.com

  

じゃあ私がすべきは何か、というと現実にあらゆる生徒に話しかけるのは難しい。

となれば、授業中で話しかける、目を合わせる、笑顔でいる(好印象でいる)といったところでしょうか…

結局は制限の中で如何にコミュニケーションを重ねるか、という戦略とデザインに尽きるのかな。

う~む、コミュニケーションの悩みは尽きません。

橋下徹氏の発言に見るこの国のリーダーたち

 

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一匹の妖怪が日本を徘徊している、分断という妖怪が。

最近、分断社会というキーワードを目にすることが増えた。

 

さて、橋下徹氏のツイートが注目を集めている。

 

 

 

 

東洋と西洋で異なる為政者観

 

王さまはどうあるべきですか?

 

読者の方はこの質問にどう答えるだろうか。

 

というか、この問いを発すること自体が、すでにある価値観を前提としている。

それは東洋的な為政者観である。

 

東洋の王の理想像は徳をもった君主である。

すなわち徳のある王が統治すれば、安寧な社会が訪れる、という社会観、為政者観である。

 

一方で、西洋はどうしようもない王を殺してきた歴史をもつ。

(もちろん易姓革命を正当性として、愚鈍な王を殺してきたのは東洋も変わらないが)

 

その根底には権力を有する者は暴走する、という価値観がある。

だからこそ、権力同士が監視をしたり、被治者が治者に対して監視をするというプレコミットメントの発想があるのだ。

 

何故こんな話をしたのか、というと橋下徹氏の発言から現代日本の主要なリーダーの姿が浮き彫りになってきたからだ。

 

橋下氏の発言から見えてくるのは

 

橋下氏といえば、前大阪市長であり、その前には大阪府知事を全うした胆力の持ち主である。

私の世代の橋下氏のイメージといえば、「テレビに出てるチャラい弁護士」だった。

しかし、能ある鷹は爪を隠す。

敏腕弁護士はタレントとして知名度を上げ、一躍日本第二の都市の首長となった。 

 

さらにさかのぼれば、名門北野高校を卒業後、早稲田大学へ進学。その後、弁護士として活躍する。

 

さて、このようなエリート街道を走ってきた方に多いのが自助の発想である。

 

何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか

 

 他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない。何の支援体制もないまま、僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない

 

これらの発言から見えてくるのは次のようなものだ。

 

  • 他人に究極的な迷惑をかける(殺人という形で)子どもを持っていたら、抑止力がないのだから先に殺して迷惑をかける事態の発生を抑制することは倫理的に許される(単純な功利主義
  • 一度ドロップアウトした人間に対しての支援よりも、彼らを抱える親に対する支援を先に整備せよ
  • 子育てを社会的にどうしていくべきかという視点がない

 

かつては為政者として政策立案にかかわっていたであろうに、彼の発言からはドロップアウトした人間に対する救済手段への言及がない。

競争に負けたら負けっぱなしだというのが前提にある。

 

※もちろん、私自身は引きこもりの子を抱える親への支援は大事だと思います。

 

今回の事件のように、農水次官の息子が現在の結果に至るまでに本人の努力や意思という要素はかなりあっただろう。しかし、そこに至るまでに避けられない社会的要因もありうるのだ。

 

そういうときに、社会に対して恨みを持つほど放置していいのだろうか。

社会が救いの手を差し伸べることが大事なのではないだろうか。

 

民主主義社会において王は国民

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橋下氏といえば、大阪都構想行政改革で名をはせた人物である。

それは徹底的な効率性の重視であり、成果主義の重視であり、競争の重視である。

それは一組織の活性化には効果的かもしれない。

 

しかし、あらゆる社会部門において効率性が機能するわけではない。

 

競争に負けて、負けっぱなしで放置していればどうなるのか。

社会が社会であり続けるためには、分断ではなく社会的な弱者への包摂が重要なのではないか。

失敗したら、いつでもリスタートできるような環境の整備が重要なのではないだろうか。

競争社会の成れの果ては、ゲーテッドコミュニティのような物理的な分断から、移民・難民への迫害など精神的な分断までを含む広範な分断社会である。

 

政府部門にできることは如何に分断を食い止めるか、そのシステムの構築にあると思う。

 

為政者に必要なものは、自己責任だけでなく、福祉の視点である。

競争に負けたものには救済を、競争を始めたいものには環境の整備をすべきであろう。

 

現代の日本は新自由主義的な方向に進んでいると言われている。

そして、特に中曽根内閣以降、規制緩和や民営化などをはじめとして、それが実際に具体化されるつある。

 

中央省庁の官僚をはじめ、現代日本のリーダーたちの多くは自己責任的な発想を持っていると思われる。

橋下氏と同様、学歴競争、就活競争を勝ち抜いてきた猛者である。

 

さて、小さな政府に転換したとはいえども、政府の役割は大きい。なぜならば、依然として我々の生活に大きな影響力を与えているのだから。大学への補助金の許認可も消費税の増税も政府が決めているのだから。

 

だからこそ、我々は政府の人間をきちんと選ばなければならないし、もはや東洋的な君主に期待して行動していては生活が破綻するのが目に見えている

 

一億総帝王

 

東洋的な価値観では全人的な君主が理想とされる。

しかし、統治するのもされるのも同じ人間だし、選ぶのも選ばれるのも同じ人間である。

完全無欠な人間などいないし、為政者も間違いうる。

 

だから、我々は為政者を徹底的に監視しなければならないのだ。

 

さて、今度は別の質問をしよう。

 

みなさんはどんな社会を作っていきたいですか?

 

バラバラな社会ですか?まとまった社会ですか?

 

民主主義社会においては国民一人ひとりが王である。

だからこそ、我々一人ひとりが理想の社会像を持つことが重要であり、その具体的な実践があればこそ、為政者への打撃となるのである。

 

競争の重要さは重々承知している。しかし、私自身は今の自己責任を声高に叫ぶ風潮には辟易するし、社会のどこかで困っている人がいれば救い合うような社会が訪れてほしい。

 

最後に憲法第12条を引用して終わりとしたい。

 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

川崎で起きた通り魔事件の被害者、遺族の方にはお悔やみ申し上げます。

教材研究で役に立つサイト【公民科】②

 

第二弾です。

今回はコンテンツ中心のサイトだけでなく、授業実践例が豊富に掲載されているサイトも紹介します。

 

www.yutorix.com

  

 

片岡勝規の公民科倫理教科研究室

 

k-katsunori.la.coocan.jp

 

片岡先生は千葉県の長生高校でご勤務されています。

長生高校といえば、千葉県内でもかなりの進学校です。

 

このサイトの見どころは

  1. 授業実践例が豊富にある。
  2. 授業プリントが全範囲網羅している。

という点にあるかと思います。アンパンマンを題材にしている教材など先生の多様な実践を見ることができます。

私も倫理や現代社会の授業づくりで参考にしています。

 

ロックで学ぶ現代社

 

rock.hideki-osaka.com

 

ロックで現代社会の内容を解説されています。

ビートルズやボブ=ディランで青年期や平和などが解説されているので、トークづくりで非常に参考になります。

 

独立行政法人や中央省庁の教材用ページ

北方領土学習教材

www.hoppou.go.jp

 

北方領土も政治的にとやかく言われていますが、こちらのサイトは公民だけでなく地理や歴史でも使える教材が豊富にあります。

ワークシートや指導案をPDFやワード形式でもダウンロードできるので、授業づくりの参考になります。

 

法教育学習教材

www.moj.go.jp

 

法務省の高校生対象教材のページです。

無料で指導案やワークシートなどをダウンロードできます。

 

金融教育

www.shiruporuto.jp

 

金融広報中央委員会が金融教育に特化したサイトを展開しています。

共助から自助へと社会的潮流が変わっている中で金融リテラシーが強く求められています。

様々な実践が毎年蓄積されているので、一度見てみてはいかがでしょうか。

ちなみに昨年度、こちらの勉強会に参加しましたが、とても勉強になりました。

 

 

 

社会保障教育

www.mhlw.go.jp

 

社会保障教育関連の教材を無料でダウンロードできます。

上記以外にも、中央省庁や独立行政法人などの団体が無料で配布している教材は数多くあると思います。

ご自身の興味ある分野で調べてみるとあるかもしれません。

 

各種教材会社のサイト

 

第一学習社帝国書院などの教科書会社は先生用の教材研究支援ページを設置しています。

リンクを張っておきます。

 

www.teikokushoin.co.jp

 

www.daiichi-g.co.jp

 

まとめ

授業づくりは大変です。一から作るとなるとかなり過酷となるでしょう。

ですから、先人の知恵を借りることは非常に大事だと思っています。

 

書いていて思ったのは、こんなステキな教材を作りたいなぁということでした。

それでは。

教材研究で役に立つサイト【公民科】

 

教育実習の時期です。

既に実習へ行かれている方はもう授業を担当されているかと思います。

これから実習へ行かれる方も授業準備に余念がないのではないでしょうか。

それから私学の採用試験も続々と始まっています。

 

今回は公民科の教材研究で私が参照しているサイトをご紹介します。

実習に行かれる方、これから模擬授業を採用試験で行っていく方の参考になれば幸いです。

 

 

南英世のホームページ

homepage1.canvas.ne.jp

こちらは南英世先生のホームページです。

南先生は大阪の府立高校で勤めあげられ、現在は大阪府天王寺高校で教鞭をとられています。

 

このホームページで必見は、先生の書かれた講義録です。

私は授業のトークをどうするか練るときに参照しています。

 

ちなみに私は南先生のファンです。笑

 

大学入試のための政治経済

www.kyoritsu-wu.ac.jp

 

こちらのサイトは共立女子第二中高の松原先生によるサイトです。

かなり奥深い内容のコンテンツを発信されています。政治経済の分野はすべて網羅されており、また画像も豊富なので、教材研究の参考になるかと思います。

 私はこのサイトを参考にしてパワーポイントを作ることが多いです。

 

各種研究会のホームページ

 

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上記2つのサイトは公民科のコンテンツに関するものです。

一方で、コンテンツに加えて、その教授方法まで言及されたものも多くあります。

 

日本中、様々な研究会があります。

そして各研究会では紀要が発行されており、バックナンバーをウェブ上で無料で読めることが多いです。

授業実践でどうしようか迷われている方がいらっしゃれば論文等を読んでみるのもいいかもしれません。

たとえば都倫研(東京都高等学校公民科「倫理」・「現代社会」研究会)が参考になります。

www.torinken.org

 

他にも様々な研究会があります。またJ-stage等の論文サイトで調べてみるのもいいかもしれません。

 

まとめ

世の中には意外と知られていないコンテンツがたくさんあります。

ここで紹介したものは、私が教育実習に行くときは知りませんでした。だからこそ、色々な人にこんな良いものがあることを、特に実習生には知ってほしいなと思います。

 

それでは。

我々教師の存在意義とは

 

授業準備が大変です。

 

進学コースを教えることになりました。

大学受験生の演習授業も持っているので、プリントやら過去問やらの教材研究、そして今年度から校務分掌も変わったので、忙しくなりました。

 

GWも授業準備で消えそうですが、ここで考えたことをざっと。

 

多くの教員は日々、より良い授業をするべく、教材研究や生徒の観察をしています。

そして、そのために莫大な私財を教育書やセミナーなどに投資していることと思います。

 

ですが、ふと、思いました。

これは、単なる技術論を求めているに過ぎないな、と。

 

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もちろん授業では、教員が話し上手であったり、プリントの作り方がうまかったり、字がきれいであれば、生徒の教員を見る目も変わってきます。

そして、その眼差しは教員にとっては非常に嬉しいものだと思います。

 

ですが、これらは年数を積み重ねればある程度誰しもが手に入れられるものだと思うのです。

となれば、ある程度の年数を重ねた教員のスキルは頭打ちになってくると思うのです。

 

そうしたところで差が出るのは信念なのでしょう。

つまり、「こういう風な生徒になってもらいたい」という理想像です。

 

今、私は技術を求めてばかりいます。それは目の前の課題を解決するのには非常に有効です。

ですが、結局、それが何につながるのか、目的が明確でなければ、その指導がどう身を結ぶのか、わからないままです。

理念をもって授業ができないのです。

 

GW、基本に立ち返り、自分の理想を形にしたいと思います。

 

どういう生徒を育てたいのかな~

 

それでは。

意味のない会話の意味

 

 

 

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意味のない会話がキライでした。

 

ダラダラと内容のないことを言われると、

 

「こいつは何が言いたいんだ?」

 

とイライラしてきます。自分の時間が奪われている感覚になるのでしょうかね。

 

しかし、教師という職業は人との会話は避けられません。

他の先生方を見ていると、生徒と他愛のない会話をして、談笑しているのを見るとうらやましくなることが多かったです。

なぜなら、私は意味のない会話を嫌ってきたために、意味のない会話をふっかけることをしてこなかったからです。

 

大人になって

 

思い返せば、学生時代の私はこのツイートにあるような子でした。

斜に構える、世の中を穿ってみる、そういう子です。

 

大人になると、接触する相手は選べません。僕と同じような子がいても話しかけづらいわけです。というのも、反応が薄いから何を考えているのかよくわからない。

「意味のない会話」はせずに、何か伝えることがあるときに生徒に話しかけていました。

 

そうして会話を避けてきた結果、コミュニケーションへの自信のなさが残ってしまいました。

 

コペルニクス的転回

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

日和や季節についての会話や、女子高生同士のサイダーのような会話も、しばしば「内容のない会話」の例として槍玉に挙げられる。しかし、交わされる言葉の内容そのものにはあまり意味が無くても、言葉を交換しあい、話題をシェアっているということ自体に、大きな意味がある。
 
 言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
 
 人間は、「私はあなたの存在を意識していますよ」「私はあなたとコミュニケーションする意志を持っていますよ」と示し合わせておかないと、お互いに不信を抱いたり、不安を抱いたりしやすい生き物だ。だから、会話内容がなんであれ、お互いに敵意を持っていないこと・いつでもコミュニケーションする用意があることを示し合わせておくことが、人間関係を維持する際には大切になる。

 

意味のない会話にも、意味はある。

 

人は一人では生きていけません。ましてや教員はチーム戦ですから、チーム同士の連携が必須です。そして教員は生徒や保護者との関係構築能力が非常に重要です。

関係を作るにはコミュニケーションをとることが大事で、その手段として意味のない会話を積極的にすることが大事なのです。

こうした効果をザイオンス効果(単純接触の原理)というそうです。

 

では、苦手な自分はどうしたらうまくできるようになるのか。

 

 一番良いのは、子ども時代から挨拶や世間話を毎日のように繰り返して、そのことに違和感をなにも覚えない状態で育ってしまっておくことだと思う。毎日挨拶ができること・世間話を楽しむことには、文化資本ハビトゥス)としての一面があるので、物心つかない頃からインストールしてしまっているのが一番良い。
 
 だが、一定の年齢になってしまった人の場合は、自分の力でコツコツと身に付けていくしかない。その際には、会話の内容だけでなく言葉を交換すること自体にも重要な意味があることをきちんと自覚して、「こんな会話に意味は無い」などと思ってしまわない事。それと、そういう会話を上手にこなしている人達を馬鹿にするのでなく、社会適応のロールモデルとして、真似できるところから真似ていくことが大切なのだと思う。
 
 そしてもし、今の職場で挨拶や世間話をする機会が乏しいなら、そのままほったらかしにしておかないほうが良い。世の中には、挨拶や世間話をする機会が非常に乏しく、業務上のやりとりだけの職場も存在するが、それをいいことに言葉の交換をおざなりにしていると、じきに「空っぽのコミュニケーション」ができなくなってしまう。そのような人は、職場以外でもどこでも構わないから、挨拶や世間話を実践して、「空っぽのコミュニケーション」ができる状態をキープしておいたほうが良いと思う。いざ、「空っぽのコミュニケーション」が必要になった時、慣れていないととっさに出来ないものだから。

 

周りの人を観察し、コミュニケーション強者から吸収していこうと思います。

まずはたくさんしゃべる機会を自分から作っていこうかな…。

 

殻を破ろう

https://pbs.twimg.com/media/D3XadooUYAA0xPi.jpg

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居心地の良い環境に居続けることは精神の安定に不可欠です。でも、それが殻にこもることを意味してしまうことも。

だから、殻を破っていくことで成長していくと思うのです。

 

生徒に対して苦手を克服しろという前に、自分が苦手に克服する姿勢をもとうと思います。

それでは。

 

35歳は学びの限界?

 

最近、部署を移動して慌ただしくなったため、自分の勉強がぱたりと止んでしまいました

 

さて、今日思ったことについてです。

 

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35歳限界説というものがあります。

 

「35歳になったら、もう体力もなくなって、意欲も減退するから、それまでの学びの貯金を切り崩して生きていく」というもの。

 

マジか。今めちゃくちゃ頑張らないとだめじゃん。

 

素直な私はもうひたすら仕事に精を出していましたが、最近になって本当に35歳までなのかなと思うようになりました。

 

そう思うようになったきっかけはこちらのツイート。

 

 

伊藤賀一先生はスタディサプリなど大学受験指導などをしながら、早稲田大学教育学部に通っておられます。

バイタリティがすごいですよね。

オフィシャルサイトはこちら→https://www.itougaichi.com/

 

現在、賀一先生は46歳。

 

僕も仕事をしていますが、正直働きながら学校行くって相当大変だと思います。

 

でも、賀一先生はこうして実際に働きながら勉強して、そしてまだまだ勉強を続けたいとおっしゃっているのです。

 

もうこれでおわかりでしょう。

 

そうです。学びに限界はないのです。

本人の意欲があれば、(体力も続けば)いつまでも学べるんです。

 

最近、自分の周りでも働きながら大学院に進学する人が増えています。

 

学びに終わりはない、と思ったという話でした。

【書評】民主主義だけが正義じゃない-森炎『裁判所ってどんなところ?』

 

去年読んだ本をもう一度読み直しています。

 

今回はこちらです。司法権に関する入門書です。

 

 

ざっくり内容

裁判所ってどんなところ?

 

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「裁判所ってどんなところ?」

 

本書のタイトルに答えることは実は意外と難しいです。

通常であれば、「裁判を行うところ」と答えるでしょう。

しかし、それでは十分ではありません。

 

まず、司法権裁判権は異なる権限です。

司法権とは国家権力の一部が行政権や立法権と分離したものです。この三権分立の考えは市民革命以降に出てきたものです。司法権の担い手に裁判所がふさわしいとされました。

 

しかし、裁判自体は有史以来おこなわれてきました。

裁判は社会の紛争を解決するものです。古くは王や貴族、役人によって、つまり行政府の人間によって行われてきました。その意味で、遠山の金さんは裁判官ですが、所属は江戸幕府という行政府であり、役人にすぎません。

行政府と裁判権が結びつけば、裁判を受ける側にとってはリスクしかありません。為政者にとって都合のいい人間であれば見せしめの裁判となるでしょう。当然、人権は保障されません。単純に裁判を行う場を裁判所とすることが適切でない理由はここにあります。

 

したがって、人権を保障するためには行政府から司法府が分離している必要があります。ちなみに、行政府は立法府による法律に基づいて運営されているので、立法府とも司法府は分離される必要があります。つまり、司法権の独立が裁判所にとって極めて重要なのです。

 

ここで裁判所とはどんなところか?という質問に対しては、

司法権の独立が保障され、公平性や公開性が担保された、人権保障のための裁判を行う場が裁判所

と言えます。

 

裁判所の歴史-戦前・戦後

明治時代、日本は西洋化を遂げ、急速に西洋法制の導入に努めました。

ところが今まで律令を手本としていましたから、なかなか整備が進みませんでした。

その転換点となったのが、1991年の大津事件でした。

この事件は日本が司法権の独立を確立したといわれる出来事でした。

しかし、明治末期ごろには社会主義無政府主義が浸透し始め、裁判所が思想統制の機関として利用されるようになっていきました。

1910年の大逆事件、1925年の治安維持法など危険思想の統制という形で政治権力としての側面が強く出ていました。

 

やがて太平洋戦争が終わり、GHQの占領によって権利保障的な裁判所へと生まれ変わります。

 

戦前の人権は法律の範囲内での保障でした。これを法律の留保と言います。しかし、戦後の日本国憲法では人権は憲法による保障とされ、ワンランク保障の度合いがアップしました。

そして、果たして人権が保障されているのか、侵害されていないかを司法府がチェックするために導入されたのが違憲立法審査制でした。

戦前は法律の留保ですから、人権保障の担い手は議会です。しかし、議会が歯止めをかけられず、結果的に人権侵害が起きてしまいました。そして、戦後は権利保障の拠り所として裁判所が位置づけられたのです。

 

裁判所の原理は民主主義と自由主義

 

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このような司法府による行政の監視は三権分立の中でどう位置付けられているのでしょうか。

 

裁判所は法の番人と言われます。

果たして法律通りに行政が実施されているのかを監視することが一つの役割です。これは法律による行政の支配を徹底させるためであって、法による行政の実現を目指すものです。

法律は立法府の意思によるものであり、さらに立法府は国民の意思を反映しています。したがって、法律による行政の支配を徹底させることは国民の意思を行政にしっかりと反映させることなのです。

この点で、民主主義の原理に基づいて三権は構築されており、司法府はその監視機能を担っているのです。

 

では、民主主義原理だけが裁判所の行動原理かと言えば、そうではありません。

 

民意の反映は人権保障と一致するとは限りません。

古代ギリシャの民衆裁判でソクラテスは命を落としました。魔女狩りは民衆による民間裁判的な側面もありました。

前述のとおり、裁判所の本質は人権保障にあります。人権を保障した上で紛争を解決することがその役目です。

ですから、時には国民代表の意思を否定することもあります。

それが違憲立法審査権なのです。

こうした人々の自由を守るという点において、裁判所は自由主義的な側面も有しています。

 

ですが、これはあくまでも理想的な司法の役割です。

現実には司法権は行政の監視を躊躇しがちです(日本においては)。

政治的な問題に対しては裁判所は憲法判断をしないという統治行為論というものがあります。

とくに安全保障の問題に関しては裁判所は憲法判断を避けてきました。

その結果、自衛隊や米軍に関しては全く統制ができていない状況が起こっています。

憲法の前文には平和的生存権があります。本来の裁判所の役割を考えれば、人権保障が第一ですがこの権利は判例で否定されています。

その一方で同じ裁判で争われた自衛隊の合憲性に関しては言及していません。

 

こうした課題はあれども、司法には高邁な理想があるのです。

 

おすすめポイント

裁判所とは何かということを原理的、歴史的に説明しているため、体系的に司法権に関して理解できる。

特に近代的な司法権が整備される前後の対比は非常に理解を深めてくれる。

 

おすすめの方

著者も述べていますが、中高生や大学生、そして法学部出身ではない社会科教員向けに書いているそうです。

具体例が豊富で理解しやすく、また平易な言葉で書かれているので学生にお勧めです。

 

また学び直しの社会人にも向いていると思いました。

 

授業で活用できそうなアイデア

司法権の歴史的説明は導入として使えそう
(例:江戸時代の遠山の金さんは裁判官か?というような発問。 これによって政治権力から司法府が独立していることが近代司法の要件であることが理解できる)

 

統治行為論の説明
(平和的生存権との兼ね合いで、それが判例でないがしろにされたというのは単純な暗記を避ける意味でいい説明)

 

西洋法制と東洋法制の違い(東洋は法による支配、西洋は法の支配)

 

まとめ


誰だったか、三権の中で司法権は最も閉鎖的と仰っている方がいました。

裁判中は写真も撮れないですし、昔はメモも取れませんでした。

司法官僚的な側面が強く、前例主義で動く組織です。

 

しかし、2009年には裁判員制度が導入され、裁判所にも市民感覚が反映されるようになりました。

また起訴処分を市民が決める検察審査会制度も実際に機能し始めています。

 

我々の生活からは見えづらい司法の世界へ素敵な筆致でいざなってくれる、そんな入門の書が今回の本でした。

投票-めんどくさくて、わかりづらくて、ありがたみのないもの-

 

統一地方選を目の前にしてなんてことを言うんだと思った方もいると思います。

 

タイトルはショッキングですが、言いたいことは表題とは真逆のことです。

なぜ投票率が下がっているのか、巷で言われていることとは別の視点から考えてみたいと思います。

 

 

投票率が下がる3つの要因

結論的に言えば、次の3つが投票率の低下の要因の一部だと考えています。3つ目から遡って説明していきます。

  1. 価値観の多様化による「利害関係」の複雑化
  2. 政策争点のわかりづらさ
  3. 参政権の価値の低下

 

まずは参政権の価値の低下から。

そもそも参政権は一部の特権階級に限られていました。

市民革命で参政権を得たのは一部の資本家など。

やがて産業化が進み、労働運動が盛り上がっていくと参政権獲得運動に発展していきます。労働者へと政治の門戸が開かれるようになりました。

ただ現在のように多くの国で女性も政治に参加するようになるのは、世界大戦を待たなくてはなりませんでした。イギリスでは第1次世界大戦後に女性参政権が、フランスや日本においては第2次世界大戦後に参政権が付与されます。これは戦争を通じて国家に奉仕したことの対価として付与されたものでした。つまり、国家への奉仕の代わりに国家に口出しをすることが認められたのです。

そうした時代的背景に加えて、参政権を求める命を懸けた人々の行動があったからこそ、我々は権利を獲得していったのです。

 

しかし、そうした血みどろの歴史は忘却の彼方に消え去り、今となっては一定の年齢に達すれば参政権は自動的に付与されます。別にありがたみも何もありません。

政治に参加する権利が個人にとってさほど価値を持たなくなったのです。

 

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次に政策争点のわかりづらさです。これは価値観の多様化による「利害関係」の複雑化とも関連しています。

 

マックス・ウェーバーによれば、政治家の役割はビジョンを提示することであり、そのビジョンを具体的な政策に落とし込み、実施するのが官僚の役割です。つまり、政治家には個別具体的な政策を争点とするのではなく、「どんな社会を理想とするか」グランドデザインの提示が求められているのです。

 

しかし、どんな社会を理想とするか訴える政治家はなかなかいません。

美しい国」や「自由と繁栄の弧」というけれども、理想の社会像として人口に膾炙しているわけではありません。

また、資本主義や社会主義といった体制選択の余地があるわけでもありません。

この選択肢のなさは戦後の日本社会がたどってきたものでした。冷戦下において、日米安保体制と経済成長という枠組みがあったために人々に体制選択の余地はありませんでした。それは現在でも基本的な枠組みとして残っています。

必然的に、大きな政治的枠組みを争うのではなく、個別具体的な政策が争点になります。

たとえば、消費税を10%に上げるという争点を掲げた時に、それ自体が非常に専門性を必要とする概念です。多くの人々に関連する一方で、知識を必要とするところから、人々は興味関心を失います(興味関心はあるけれども、調べるのがめんどくさいという人もいる)。

調べるのがめんどくさい、わからない、だから投票に行かない。わかりづらさが投票率の低下を助長していると思われます。

 

また、現在は多様化の時代と言われます。

高度経済成長期のように経済成長という目標に人々の意見が集約できる時代の政治には、日本全土の経済発展が求められました。

戦後の復興の下での貧しさの中で、人々は豊かさを求め、政治にその役割を期待したのです。

池田隼人の所得倍増計画田中角栄の列島改造論など経済成長というわかりやすい社会のグランドデザインは人々を魅了しました。

しかし、経済成長がある程度達成され、人々は豊かになると、豊かさ以外の別のものを求めるようになります。もっと言えば、物質的な豊かさが充足され、精神的な豊かさを求めるようになります。

また、バブルの崩壊やグローバル化少子高齢化などで社会構造にも変化が生じます。こうした中で全国民的を巻き込むような政治的争点はあまりなくなっていき、政策のターゲットが細分化されていきます。

たとえば、育児サービスの充実は共働き世代や家庭を持つ人にとって非常に嬉しいことですが、独身の方には直接的な関係はありません。

高齢者福祉は「いつかはみなそうなる」わけですが、若者には短期的には関係がありません。

関係がない、だから投票に行かない。

価値観が多様化したからこそ、政治家は包括的な政策を提示することができません。そうすると個別具体的な政策のリストを提示することになり、「この政策には関係がない」と思うような人が増加してしまうのではないでしょうか。

 

まとめ

 

投票率の低下には3つの要因があります。

投票の権利自体が陳腐化し、そもそも投票先の政治自体がわかりづらいし、関係がないものが多い。

 

ですが、果たしてそれだけなのか。

この記事を書いている中で浮かび上がってきた仮説があります。

 

それは

何でもかんでも中央政府が指示を出したり、やろうとするから無理があるんじゃないか?

日本全国一律に政策を提示するから有権者を囲えないのであって、地方政治に裁量を委ねていって、地域独自の課題は地域に解決させれば人々の興味関心や当事者性を喚起できるのではないか?

というものです。

 

もちろん検討の余地があると思います。

 

ですが第4次産業革命という経済的な大きな変革の時代において、政治もまた変化を求められているのではないか、と思った次第です。

 

とにもかくにも、教師に求められるのはわかりにくさの解消と関係がないと思ってしまう態度の是正にあるのかなと思いました。

とりわけ公民科においては、政策を目の前にして是非を判断する能力の涵養が必要と感じました。その点で正確な知識の理解は避けて通れませんね。

参政権の大事さは概念的に伝えても実感が伴わなければいけませんし、なかなか難しいのかなと思いました。それでも伝え続けることが教育の役割だと信じますが。

 

それでは。