今回はソクラテスに学ぶシリーズ第2弾、あらゆる勉強に効く思考法についてです。
ソクラテスの生きた社会
ここからしばらくはソクラテスが無知の知に至るまでの歴史です。飛ばしたい人は飛ばして次の見出しへどうぞ。
ソクラテスは約2500~2400年前に活躍した古代ギリシャの哲学者です。
ソクラテスが生きた古代ギリシャにはポリスという小さな共同体が点在していました。
現在でいうと、市区町村が一つの国としてまとまっているイメージです。渋谷国や名古屋国、京都国って感じでしょうか。
その中でもソクラテスはアテネというポリスに暮らしていました。
さて、当時の古代ギリシャではある考えが浸透していました。
それは、「人それぞれ考え方は違うよね」という思想です。相対主義といいます。
そして、この相対主義というロジックで金儲けや権力闘争に明け暮れていた人たちがいました。ソフィストと呼ばれる弁論家です。
彼らはたとえ正義に反して財を成しても、それは自分たちの幸福につながるから問題がないと主張しました。
もちろん多様性を認め合う寛容の哲学なら全く問題はないのですが、当時のアテネは荒廃していたこともあり、互いを尊重するというよりかは、自分さえよければいいじゃん!相手を出し抜こうぜ!という身勝手な考え方・生き方をとっているソフィストが多かったそうです。
では当時のアテネでは何が起こっていたか。
それはペロポネソス戦争という約20年以上にわたる戦争にアテネが負けたことで、人々が大きく疲弊してしまっていたこと、長期にわたる戦闘で多くの人が経済的基盤を失ってしまったこと、加えて疫病(ペストか天然痘という説があります)が蔓延し多くの人が亡くなっていたことなどがあげられます。
こうした社会的混乱から人々の精神は荒れに荒れてしまいます。当然、相対主義は多様性や寛容を求める哲学ではなく、自分が最優先の考えになってしまいます。
なんだか現代も似たような側面がありますね。
格差が大きくなり、感染症が蔓延しているという中で、社会不安が拡大しています。時には心が荒んでしまうこともあると思います。
自分さえよければいい、という発想には古代ギリシャも今も通じるところがあると感じました。
そうした物質的な荒廃だけでなく、精神的な荒廃に異を唱えたのがソクラテスでした。
相対主義は違う!人それぞれの生き方は確かにあるだろうが、それでも絶対的に善い生き方がある!
ソクラテスは、人々に渇を入れ、この世の真理を追い求めようと活動を始めます。
ソクラテスが求めたこと
ソクラテスは知的に荒廃した状況に対して、真の「知」を求めることが重要だと考えました。
ここでいう「知」とは、人としての善い生き方です。古代ギリシャでは「善美のことがら」と呼ばれていました。
こうした考えを持つきっかけは、デルフォイの神託と呼ばれる出来事でした。
デルフォイの神殿と呼ばれる、日本でいえば〇〇神社という由緒正しい場所です。
ある日、最も賢い人物はソクラテスだという神様からのお告げがありました。
信心深いソクラテスは戸惑います。なぜなら、ソクラテスは自分は全く賢くないと考えていたから。
それなら賢いとされている人たちに色々聞いてみよう!ということでソクラテスは学者や政治家、軍人など様々な専門家に問答を仕掛けます。
ソクラテス「勇気とは何か?」
軍人「勇気とは、戦場でも怯えずに立ち向かうことである」
ソクラテス「それは勇気の例である。勇気の概念とは何か?」
軍人「戦場で逃亡せずに、立ち向かうことである」
ソクラテス「では、敗北が明らかになっていても、無謀に戦い続けることが勇気なのか?」
軍人「それは…」
ソクラテスは、問い返します。
そして、専門家は返答します。
問答の繰り返しで最終的に専門家は詰まってしまいます。
色々聞いてみてわかったことは、彼らはそれらしく言うことはするが、決して正しさや勇気の概念を明らかにはしていないということでした。
専門的な知識は豊富にあるけれども、正しさや勇気などの人生において重要な知は持っていない。
ソクラテスはこの経験から次のような結論に至ります。
『他の人は「知」にいて知らないのに知っていると思い込んでいる』、一方で『自分は「知」について無知であることを理解している』、「その点において自分は他の人よりも賢いということなのだろう」
これが有名な無知の知と呼ばれる考え方です。そして、自分が無知だからこそ、知を追い求めようとする。つまり、無知の知を自覚することが哲学の出発点になるのです。知っていると思ったら、それ以上は知ろうとは思いませんもんね。
ここから、ソクラテスは無知の知を自覚させ、より善い生き方を追及させようと様々な専門家に問答を仕掛けます。
確かに彼らの持っている知識は生活に役に立つだろうが、それは善い生き方につながるとは限らない。
だからこそ、人生において大切なことについて無知ということを自覚させ、知を求める生き方に改めさせようと行動しました。
これ以降の続きに関してはこちらのリンクからご覧ください。
無知の知の効用
近年、考えることが非常に重要視されています。
人工知能の普及やグローバル化の進展など、不確実性の高い社会においては個人が自律的に思考することが成功の源泉になる、ということでしょうか。
その流れは教育界にも波及しています。
たとえば、新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が重視され、生徒が自律的に考える教育への方針転換がうたわれています。
しかし、考える上では、前提となる態度が重要です。
たとえば、何かあったときに、既に知っていると思っているなら、わざわざ調べたり、考えようとはしないでしょう。
でも、自分はまだまだ無知だということを自覚していれば、もっと知りたい、調べたい、考えたいという知的な行動が起きるはずです。
つまり、無知の知は学びを駆動させる前提条件なのです。
仕事でも自分の仕事が効率的と思っていれば、効率的に仕事ができるようにはしません。
文章力が高いと思い込んでいれば、文章を良くしていこうという動機は起きません。
でも、自分ができない、わからない、と解釈することで改善のきっかけを得て、新たな地平が見えることもあります。
勉強する前までは「知ってるよ~」と思っていることでも、勉強を深堀してみると、たくさん知らないことが出てくることがあります。
変化が激しくなる今後の社会においては、常に学び続けることが求められます。
ソクラテスの知的な姿勢は、現代人に非常に示唆的ではないでしょうか。
以上、今回の記事が皆さんのお役に立てば幸いです。
それでは。
▼入門書としてオススメ
▼ソクラテスが現代に蘇ったら?というテーマの本。池田さんの文章は読みやすいです。
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