北海道新幹線の開業
北海道新幹線が3月26日に開業してから3週間が経過した。整備計画が立てられてから実に43年が経過しており、まさに日本中を新幹線で結びつけるという「悲願」が達成された事業だといえる。しかし、前評判ほど業績は良くないようだ。開業2週間時点での平均乗車率は27%を記録しており、JR北海道によれば「今後3年間の収支見通しは約48億円の赤字」である。
北海道新幹線が赤字を出している背景
こうした事態は、人々が新たな移動手段を求めていないこと、とりわけ北海道への新たな移動手段を求めていないということを意味している。消費者は既存の手段で満足しており、もはや開拓する市場がほとんどないのである。
市場はモノとモノを交換する場であり、モノの中には財だけでなくサービスも含まれる。そうしたモノの交換は必要性から生じる。例えば、人々が移動において「速さ」を求めるなら、自動車より電車、電車よりも飛行機というように、より早く移動できるサービスを求める。電車だけを見ても、普通列車よりも快速列車、快速列車よりも新幹線、新幹線よりもリニアモーターカーというようにより速度の速い移動手段を利用するだろう。ましてや飛行機であれば、どれだけ時間を節約できるか。
北海道新幹線の価値はどこにあるのだろうか
翻って見ると、北海道新幹線は東京-函館間で飛行機による移動の1.5倍の時間がかかるため、既存の移動手段に対して「速さ」という点で劣っている。価格という点から見ても、特段安いわけではない。したがって、既存の移動手段と比べて市場価値があるとは言えないだろう。
暴走列車「資本主義号」
必要性がないにもかかわらず、市場ではどんどん新たなモノが作り続けられる。そこには、人々が必要性に駆られて行う交易という市場本来の姿はない。需要のないところに需要を作り出そうとして失敗した。まさに資本主義の暴走という事態が生じているのだ。
資本主義は市場の拡大をその原理としている。つまり、資本を集積し、その資本を元手に新たな市場を開拓することで、さらなる資本の集積を行うのである。カネを投資することで、さらなるカネを呼び寄せ、そしてまた投資するという拡大を基本とするシステムなのだ。
しかし、北海道新幹線の乗車率が3分の1にも満たないという事実は、拡大するべき市場が既につき始めていることを物語っている。あるいは適切な需要を考慮せずに、「悲願達成」だけのために投資してしまったのだろうか。そうだとしたら、それは社会主義経済における計画経済と変わらない。これだけ買うだろうから、これだけ作ってしまおうと。とするなら、供給過多になるのもうなづけるだろう。
国富が減少し、さらには資源の有限性が世界中で叫ばれている。拡大を続ける資本主義も、それを支える旺盛な需要と無限の資源がないともはやシステムを維持することはかなわない。そろそろ日本における資本主義は限界を迎えつつあるのではないだろうか。ニュースを見て、そんなことを考えた。