こんにちは、しらすです。
義務教育で金融リテラシーを育てるべきだ!という意見、たまに耳にしませんか?
それについて思うことをまとめたので、良ければご一読ください。
結論から
結論から申し上げます。
義務教育下で金融リテラシーの育成は必要とは思いますが、同時に道徳・倫理面の教育も必要と考えます。
※ここでの「義務教育」は実質的にほぼ全員が受ける教育のことで、高校進学率が約99%であることを鑑み、高校までを含みます。
金融リテラシー
そもそも金融リテラシーとは何なのでしょうか。
金融庁は「最低限身に付けるべき金融リテラシー」として、以下の4分野・15項目を掲げています。
分野は次の4つです(かっこ内は項目の何番目かを表わします)。
第1に家計管理(1)、
第2に生活設計(2)、
第3に金融知識及び金融経済事情の理解と適切な金融商品の利用選択(3~14)、
第4に外部の知見の適切な活用(15)です。
そして次が15の項目になります。
- 適切な収支管理(赤字解消・黒字確保)の習慣化
- ライフプランの明確化及びライフプランを踏まえた資金の確保の必要性の理解
- 契約にかかる基本的な姿勢の習慣化
- 情報の入手先や契約の相手方である業者が信頼できるものであるかどうかの確認の習慣化
- インターネット取引は利便性が高い一方、対面取引の場合とは異なる注意点があることの理解
- 金融経済教育において基礎となる重要な事項(金利(単利、複利)、インフレ、デフレ、為替、リスク・リターン等)や金融経済情勢に応じた金融商品の利用選択についての理解
- 取引の実質的なコスト(価格)について把握することの重要性の理解
- 自分にとって保険でカバーすべき事象(死亡・疾病・火災等)が何かの理解
- カバーすべき事象発現時の経済的保障の必要額の理解
- 住宅ローンを組む際の留意点の理解
- 無計画・無謀なカードローン等やクレジットカードの利用を行わないことの習慣化
- 人によってリスク許容度箱となるが、仮により高いリターンを得ようとする場合には、より高いリスクを伴うことの理解
- 資産形成における分散(運用資産の分散・投資時期の分散)の効果の理解
- 金融商品を利用するにあたり、外部の知見を適切に活用する必要性
出展:「最低限身に付けるべき金融リテラシー」
https://www.fsa.go.jp/news/25/sonota/20131129-1/01.pdf
どれもめちゃくちゃ重要ですね。
特に社会人になって、自らの稼ぎで生活しはじめるようになると、上記のリテラシーがあるかどうかが非常に重要になるかと思います。
言いづらいことではありますが、こうした知識があるかないかで、生活の質・経済的な豊かさも変わってきます。
たとえば、個人的な事例で言えば、保険の知識をもっていて得をしたケースがあります。
新卒入社してから1週間後くらいに、保険のお兄さんが営業に来ました(海峡のような名前の会社です)。
独身で若いこと、私学共済で十分と考えていことから、加入する気はゼロだったことから契約はしませんでしたが、もし何も知らずに加入していれば、結果的に大損、家計を圧迫する材料になっていたかと思います。
老後2000万円問題と労働市場の変化
2019年6月頃、金融庁が発表したレポートが議論を呼びました。
夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20~30 年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円~2,000 万円になる。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。
出典:金融審議会「市場ワーキング・グループ」報告書の公表について:金融庁
ライフスタイルにもよりますが、老後の豊かな生活には2000万円ほど必要という衝撃的な数字です。
加えて、近年においては、労働市場が成果型にシフトしており、一つの雇用先にのみ依存しないために複業や副業、資産運用など、収入源を多角化することの重要性が増しています。
そして、これらは教員の大半である公務員にも当てはまると考えています。
というのも、この先ずっと公務員である保障はないからです。
たとえば、1980年代に中曽根康弘内閣の下で国鉄・電電公社・専売公社が民営化されました。
また、2000年代には国立大学が国立大学法人と組織が全く変質してしまいました。
最近の例でいえば、水道事業の民営化があげられます。
現在、国家財政・地方財政はものすごい勢いで悪化しています。新自由主義的な改革の流れの中で、主に都道府県ごとに採用されている教員も将来的には独立行政法人化のあおりを受ける可能性があるのではないかと思っています。
こうした社会経済情勢の急激な変化の中では、どのようにライフプランを組み立てるのか、またどのように資金を確保するのかが非常に重要となります。
話がそれてしまいましたが、要は子どもだけでなくて、大人にとっても金融リテラシーは重要だと言うことです。
確かに資本主義は厳しい
資本主義は競争を根本原理としますから、結構厳しいです。
2014年にトマ・ピケティというフランス人経済学者が『21世紀の資本』という本を書き、世界的なベストセラーとなりました。
その本である命題が書かれていました。
r>g
これはr(資本収益率)の方がg(経済成長率)よりも高いことを意味します。
つまり、株の運用益な資本によって得られる富の方が、働いて得られる富よりも成長が早いということです。
なんのこっちゃですね。
もう少しかみ砕いていれば、出世して得られる昇級のスピードより、株価とかの上昇スピードの方が早いよ、ということです。
だから、働かずに株などの不労所得で生きる人の方が、働いて給与をもらうだけの人よりも豊かになっていくわけです。
だから、資本主義社会では豊かになりたければ、絶対に資産運用をしなければならないのですね。
ここでも、金融リテラシーの有無によって大きく差がついてしまうわけです。
それは理論だけでなく、日本の仕組み上もそうなっています。
日本の税制は累進課税制度を採用しているので、所得が高くなればなるほど、徴収される税額も高くなります。
一方で、株式などの運用益にかかる税率は一律約20%です。
たとえば、1億円の給与所得をもらっている人がいて、所得税額は約4500万円です。最高45%の税率がかかります。
一方で、資産所得の場合は20%なので、約2000万円が税金として徴収されます。
働いて資産を育てるには限度があり、逆に言えば、資産運用した方がお得なのです。
こうした資本主義の仕組み、つまり社会の仕組みを教わることなく、我々は社会に巣立っています。ライトがぶっ壊れた車で夜道を走るようなイメージですね。こわっ。
『教育格差』の著者である松岡亮二先生も、学校は資本主義から子どもたちを保護しているように見える一方で、学校を出たとたんに資本主義経済における労働市場で厳格に評価されると言っています。
論語とそろばん
ここまで書いてきて、なんて俺はがめついんだ…と自己嫌悪してしまいましたが、今まで述べたような教育だけやってしまえば、あら不思議、強欲な守銭奴が誕生します。
だから、金融教育を行う場合には並行して、道徳教育も行うべきだと思います。
資本主義はそもそも競争を根本原理としますから、絶対に競争からの落伍者が出てきます。
そうした人たちをどう救うべきか、また競争自体をどうやってフェアにすべきか、という問題が必ず生じます。これは配分の偏りをどう是正すべきか、という正義の問題なのですが、こうした視点がないと社会全体が荒廃し、結果的に全員が共倒れになってしまいます。
たとえば、格差が拡大しすぎてしまえば、全体的な需要が減少してしまうので、結果的に経済全体が縮小します(金持ちでも貧しい人でも必要なものにはそれほど差がなく、現代社会では安価に便利なものを購入できるからです)。
そして、格差の中で困窮した人をそもそも救うためには、理屈だけでなく、苦しんでいる人に対する憐憫の情をもつことが必要と考えます。
経済学者のマーシャルは"Cool head but warm heart”(冷静な頭脳と暖かい心)が必要だと言いました。
経済学の父であるアダムスミスは市場原理に加えて「共感」の重要性を述べています。
日本の近代資本主義の父とされる渋沢栄一は『論語とそろばん』という著作の中である主張をしています。一つは、道義を伴った利益を追求せよというもの。もう一つは、自分より他人を優先し、公益を第一にせよ、という主張です。要するに、金儲けをすることと、世の中に尽くすことを両立しなさい、という主張を掲げたわけです。
経済的な偉人は、必ずと言っていいほど、経済と道徳の両立を主張しています。
それは利己心のみでは経済が破綻してしまうことを知っていたからではないでしょうか。
厳しい経済も根本には人と人との繋がりがあるのです。
資本主義に最適化した、勝ち抜くことだけしか眼中にない利己的な人を育ててしまうのであれば、金融教育は失敗といえるでしょう。
けれども、社会に出るまでに金融リテラシーを身に付けておかなければ、必ず苦しい生活が待っています。
だからこそ、金融教育と道徳教育とをセットで行うべきだと思うのです。
俺が!私が!という自助の論理だけでなく、共助の姿勢も身に付けたいですね。
2030年までの実現目標として掲げられたSDGsも経済と環境、社会との調和を目指しています。こうした社会情勢だからこそ、これからの教育としての金融教育の在り方を考えていきたいと思います。