ある意味、高校の時は浮いていた
高校生の時から、僕の周りで政治に関心を抱く人は、ほとんどいなかったように思う。
大学生の時、友人との会話で政治の話題を出した時には、相手の顔がたちまち曇っていったのを覚えている。
「どうせ投票したって、何も変わりはしないから話すだけ無駄だよ^ ^」
友人の言葉が今でも忘れられない。それ以降、僕は友達と政治について話さなくなった。とても個人的な経験談ではあるが、僕の友人のような考えを持っている人は多いんじゃないかと思う。
近年における投票率の低下という現象は、政治にあきらめを抱いた人が多いことを表しているのだろう。なんといっても身近にいたのだから。
自覚がないままの支持者
理屈で考えれば、政権、すなわち権力者を支えているのは、現状の体制に満足して行動しない「わたしたち」だ。
というのは、現状の体制内である程度の利益を享受できるからだ。なにか行動をしなくても「わたしたち」は生活していける。
ただし、もし「わたしたち」が現状の体制に不満を抱いて行動すれば 、今の体制は崩壊 する。
長く権力の源泉とされてきた軍隊や警察などの「暴力装置」ですら、時に政権に反旗を翻すこともありうる。
2011年のエジプト革命では、反政府デモに対して、兵士たちが発砲するどころか、デモに加わる映像が流れ、世界中が衝撃を受けた。
このように、「わたしたち」は権力を支える側に立つことも逆に権力を覆すこともできる。
※暴力装置…軍隊や警察といった武力をもつ集団のこと
支持・不支持に自覚的に向き合うこと
だからこそ、政治は政治家に任せきりでいればよい、という態度ではいけないと思う。
というのも、ある社会の権力を支えるのも壊すのも、その社会に暮らす「わたしたち」である。
その意味で「わたしたち」こそが最高の権力者なのだ。だから、自分たちが権力の「当事者」である意識を持って政治と向き合うべきだと僕は思う。
どう向き合うか -手段は選挙だけじゃない-
では、実際にどのように向き合うべきだろうか。
「わたしたち」は民主主義社会に暮している。しかし民主主義社会だからといって、すべての 人々の「民意」を測ることは不可能だ。
というのは、多様な価値観を持っている人々が存在し、それを一つにまとめ上げることは原理的にも技術的にも不可能だからである。
だからこそ、選挙だけではなく、デモや世論、直接投票、政治家との討論会などのさまざまな機会を通じて、自分の意見を表明することが重要である。
『政治的思考』の著者である杉田敦氏が,「人々の声を伝える回路は様々な形であったほうがいい」と述べているように、民主主義社会にはさまざまな伝達手段が用意されている。
ちなみにここで言う回路というのは、「政治への向き合い方」ということだ。
大切なことは関心を持つこと
政治を諦めを抱いて、無関心になってしまう人は多い。けれども、声を上げなければ、自分の意見が反映されることはない。
その結果、政治は自分から遠ざかってします。そうすれば、諦めが広がり、ますます無関心になってしまう悪循環を引き起こす。
重要なことは、政治に関わる当事者としての意識を持ち 、政治へのいろいろな回路が用意されている中で、政治と向き合う事だと思う。
たしかに自分の好きなことだけしているのは楽しい。だけれども僕らは社会の一員でもある。自分の殻にこもるのは巡り巡って自分のリスクになって返ってくる。
だからこそ、自分が問題に感じていることを世の中に発信してみよう。あるいは誰かに聞いてもらおう。
政治は社会の問題を解決することだ。自分の思いを世に伝えれば、それは社会の問題になるかもしれない。
まずは声をあげることから始めよう。