子どもの時、本当はおかしいなあと思いつつ叱られたらいやだから、という理由でルールに従っていた経験はありませんか?
ある行動をとりたくでも、なぜかできない。
金縛りのように行動を制限「してしまう」。
そんな経験があれば、フーコーの哲学がきっと役に立つはずです。
フーコーって誰?
本名はミシェル・フーコー
かなりの秀才で高等師範学校(フランスのエリート養成機関です)に進学し、その後大学教員になっています。
フーコーは同性愛者でしたが、当時の社会では公言できず、非常に苦しんでいたようです。そうした彼の苦しみは、次第に社会への関心をかき立てていきます。
自分を苦しめる社会とは一体何なのか、かれはこのテーマを生涯追求することになります。
フーコーの思想~規律権力~
構造主義というのは、「人間は何らかの社会構造に支配されていて、完全に自由に物事を判断しているわけではない」という考え方です。
朱に交われば赤くなる、といいますが、ある立場や環境に身を置くことで考え方や行動が変わることはよくあることです。組織の論理、社会の論理が無意識に人々の思考や行動に影響を与えてしまうんですね。
そういう点で、「自分にとっての真理を見つけよう」という実存主義と構造主義は真っ向から反発する思想です。完全な自由などない!ってことですね。
フーコーが唱えた代表的な考え方に規律権力というものがあります。
権力というと、通常は上から下に命令して強制的に従わせる、というような関係をイメージするかと思います。たとえば、王様の命令に部下が従う、という構図ですね。
一方で、規律権力というのは、上から下ではなく、むしろ下から自発的に従おうとしてしまう権力関係のあり方を指します。
規律権力の例としてフーコーがあげるのが、パノプティコンと呼ばれる刑務所です(下図)。
パノプティコンとは通常の刑務所とは異なり、円形の建物の中央に塔があり、その塔はマジックミラーになっていて看守がいるかどうかわかりません。
囚人たちは常に見られているかもしれない、という恐れを抱いて、自分から刑務所内のルールを守るようになります。
つまり、強制していないにもかかわらず、自発的に権力に従おうとしてしまうのです。
自分の中に勝手に権力者像を作り出して従ってしまう、恐ろしいですね。
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さらに、こうした権力関係は監獄だけでなく、社会の至る所にあるといいます。
学校や工場、職場、家庭、軍隊、病院などなど…
まさに見えない権力関係にスポットライトを当てたのがフーコーの思想でした。
規律権力は至る所にある
規律権力は社会の至る所に発生する、といいました。
たとえば、家庭内でも親が見ているかも、という疑心暗鬼から良い子を「演じている」子どもがいるかもしれません。
あるいは、SNSでの炎上を恐れて発信を一切シャットアウトする、というのも規律権力に支配されているのかもしれません。
また、小さなコミュニティ単位だけでなく、社会全体でも規律権力は起こりうることです。世間体や正義など「正しいとされているもの」に従ってしまう。フーコー自身も同性愛者であることが今よりも奇異な目で見られた時代を生きたからこそ、規律権力に敏感だったのかもしれません。
では、一体どうしたら規律権力の影響から逃れることが出来るのか。
それは、自分自身と向き合うことだとフーコーは述べます。
変化を恐れずに、柔軟に変わっていくことで規律権力を打破していこう。
僕自身は、「理不尽なことでも勇気を出して変えていく強い意志を持ち、行動していくことが重要だ」というふうに解釈しています。
フーコーは同性愛者であることをカミングアウトし、堂々と生きる道を選びました。
フーコーの思想の意義
フーコーの規律権力の考え方は、普段見えない社会構造に光を当ててくれます。
何でかわからないけど、、本当は嫌だけど、、そうしてしまう。
でも、それは自分が勝手に作り出した権力者像に従っているだけかもしれません。
心を縛り付けるもの、メンタルブロックを解除することは大変なことです。
でも、それを意識すれば、変化させることが出来ます。
目に見えないものを見えるようにする。
フーコーの規律権力は、僕らを縛る何かを浮き彫りにする心強い武器だと思います。
今回の記事が皆さんのお役に立てれば幸いです。
それでは!
余談
今回の記事を書こうと思ったきっかけは、私学のとある労働事情を聞いたことでした。
【ブラック私学列伝】
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年11月27日
・残業時間が一定数超えると管理職面談
・面談を嫌がって、タイムカードを押してから働く
・休日もタイムカードを押さずに自主出勤
いくら労働法が整備されて武器が与えられようと、使わなければガラクタに過ぎない。
空気や権力関係などに屈すれば、いいように使われる。
先生方が正しいと思ってその選択をしているならいい。
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年11月27日
けど、おかしいなと違和感を感じながらも「せざるをえない」なら戦ったほうがいい。
なにより、そういう姿を子どもたちは誰よりも見て、敏感に察知している。
最良のキャリア教育は、先生が楽しく「適度に」働いてる姿を見せることだ。
普段、僕は労働法やワークルールの授業を通じて正しい社会について考えてもらっている。
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年11月27日
だが、なにより教える主体が正しくない社会の姿を身を持って示しているなら、子どもたちは法は正義を体現しないことを学んでしまう。
授業一時間よりも働く時間の方が長く、子どもはそこから多く学ぶ。
何かができないというとき
— しらす (@dokomademoinaka) 2020年11月27日
次のどれかに問題がある。
①環境…人間関係、制度など
②能力
③意思
この問題は人事権を持つ人間と持たない人間の間で起こるものなので、①〜③の全てに関わる。
けど、制度は使わないと無意味。
個人の選択によって社会は作られ、変わっていくことは肝に銘じたい。
自分を変えていけるのは、自分だけです。
社会構造に目を向け、そこから逃れるでも、変えていくでも、とにかく自分のあり方を決める意思を強く持つ、という点ではフーコーも実存主義者と共通していたんですね。
参考
・岡本裕一郎『フシギなくらい見えてくる!本当にわかる現代思想』
・田中正人『哲学用語図鑑』
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