Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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政治参加の意義

 

 

ルソーの指摘

フランス革命に大きく影響を与えたルソーは次のような言葉を残している。

イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。 自由なのは、議会の議員を選挙する間であり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷 であり、無に等しいものになる」。(ルソー(2008年)『社会契約論』中山元訳、光文 社、192頁)

ここでルソーは、選挙期間以外において人民は奴隷であると論じている。そもそも選挙とは代表者を選出することであり、代表者とは人民、すなわち主権者の代わりに政治を行う者を指す。代表者の権力基盤の正統性は人民によって選ばれたことであり、その政治には選んだ人民の意向が反映されなければならない。しかし、代表者は往々にして民意に反する政治を行うことがある。

例えば、経団連など利益団体の便宜を図る利益政治が行われたり、官僚による政策決定への裁量権が増大したりする場合である。こうした問題は利益集団自由主義(ロウィ)や行政国家の肥大化によって生じる問題であり、民意ではなく利益集団や官僚の意向が政治に反映されているのである。

伝統的な政治参加

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だからこそ、丸山眞男が言うように代表に対して常に監視し、抑制することが必要なのである。監視・抑制によって権力者の行動は制限される。そのための方法が政治参加である。例えば、現行の制度下では、議員へのロビイング活動、地方自治体への請願、住民投票、デモや集会などが認められている。こうした活動によって代表者に絶えず揺さぶりをかけ、代表者に「自分が監視されている」という意識を持たせることで、代表者は民意に沿った政治を行うようになる。かつての公民権運動のような奴隷解放運動を行うことではじめて、奴隷は奴隷でなくなる契機を得られるのだ。

 

試作段階の政治参加

こうした制度上認められた政治参加に加えて、制度としては試行段階の手法もある。ハーバーマスやディーネルらの唱える討議デモクラシーだ。これは、市民自らが政策決定や法の制定過程へ参加する試みである。ここでは、市民は政策の立案ではなく問題の発見などに役割を限定される。というのも、政策の立案は代表者や官僚が行うことであり、重要なことは政策の前提としての問題を市民が十分に討議することで、代表者たちはその問題に対する政策決定や法の制定をする上で正統性を得られるという点である。この過程で市民は学習し、民主主義の担い手として成長していく。したがって、討議デモクラシーは人民を奴隷から貴族へと知的に洗練させる方法でもあるのだ。

現状認められている手法は過去の試行錯誤の積み重ねの上にある。社会が変化すれば、妥当な参加方法も変化するだろう。討議デモクラシーも試行段階とはいえ、今後の政治参加の在り方を大きく変えるかもしれない。ただし忘れてはならないことは、民主主義を不断に民主化していく、という目的のための手段である、ということだ。それを忘れてしまえば、手段の目的化となってしまう。