新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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柳田国男の教育論を現代風に解釈してみた

民俗学者柳田国男は、戦後に新設された社会科の目標を「一人前の選挙民をつくること」とした(西内裕一「『柳田社会科』の目標と内容についての考察」)。

一人前の定義

ここでいう一人前とは、手紙が書ける程度の平凡な能力、そして新聞が読め、世間の動向を把握できることのできる人間である。その中でも柳田が特に重視したのは、新聞を批判的に読むことのできる能力である。したがって、社会科の目標の一つは、当然新聞に書いてある事象を批判する価値尺度を内在化した人間を作ることが目標となる。柳田はこうした能力を義務教育終了までに身につけさせるべきだと考えた。

 新聞を読むことの現代的意味合い

上記のうちの新聞を批判的に読むということを、現代的に解釈すれば、新聞だけでなく、テレビのニュースやインターネット上のニュースサイトも含むだろう。私はニュースを考える最高のツールは新聞だと思うので、ここでは新聞にのみ焦点を当てて考えてみたい。というのは、新聞には政治や経済、社会、国際問題など幅広い範囲の「最新」の情報が記載されている。もちろん新聞社によって記載されている記事に違いはあれども、大まかな世の中の流れを理解するツールとして最適なのだ。

現状は

さて、考察に戻ろう。柳田が上記のことを述べてから50年以上が経過している。しかし、周りを見渡してみると、新聞を批判的に読むことはおろか、新聞を読むことすら放棄している学生が非常に多いようだ。マイナビの調査によれば、大学生の新聞離れは著しい(https://gakumado.mynavi.jp/gmd/articles/38012)。いわんや、高校生や中学生は読む習慣すらないものがほとんどなのではないだろうか。こうした状況から鑑みるに、柳田のいう一人前の選挙民は少なくとも義務教育終了段階では達成されていない。

 その背景

思うに、それは新聞の読み方や「批判的な」読み方を学校で教わっていないことに起因している。すなわち、教育業界がある意味で「サボって」きたのだ。

これからできること

社会科教師としてできることは、1つには新聞を教材として活用して、生徒が新聞に触れる機会を作ることがあげられる。2つには生徒が新聞に目を通す習慣を持つような教育活動をすることである。たとえば、新聞の読み比べや導入教材としての活用、また「気になる」記事を毎回発表させるなどの工夫があるだろう。そのためには教師が率先して情報収集する必要がある。

ここまで新聞教育を推してきた。しかし若干の問題がある。

 

 新聞離れは確かに進んでいる

確かに今の社会で新聞を読む者は「量的」には減少している。しかし、それは一人前の選挙民が減っていることを意味するわけではない。なぜならば、柳田にとって、新聞とは個人が世間との接点を持つための手段であり、それは終戦後における有力なツールだったにすぎない。現代において世間との接点を保つ手段としては、新聞に限らず、ネットニュースやSNS、2ちゃんねるなどのネット掲示板など多くの手段がある。例えば、今年の1月に大統領に就任したアメリカのトランプ大統領は既存のマスメディアではなくTwitterを中心に情報発信をしており、場合によっては、個人が自分で情報収集したほうが新聞よりも早く情報を手に入れられる時もある。今日では、新聞やニュースサイトが個人の発信した情報を報道で活用する例も散見される。

 大事なことは得た情報をどうするか

そして、重要なのはそうしたツールを通じて得た情報を批判的に吟味できるかどうかである。私が前回の記事で文部科学省教育機関の怠慢として批判したかった点は、この知的営為を学校で教えてこなかった点である。そうした怠慢の結果が、選挙において如実に表れていると思う。例えば、2005年の衆議院議員総選挙において、自民党郵政民営化を単一争点として選挙に臨んだ。結果として、自民党は多数の議席を確保し、郵政民営化を断行した。しかし、その時、多くの有権者はどの程度郵政民営化について理解していただろうか。民営化によって市場経済に対応しなければならなくなるのだから、採算の合わない僻地の住民の生活がどうなるのか、当の本人たちは考えたのだろうか。莫大な郵便貯金がどのように使われるか、考えた上での投票だったのだろうか。情報を吟味することなく投票へ向かっていたのではないだろうか。そう思わずにはいられないのだ。

ただ、あまり表には出ないだけで、情報を摂取し批判的に吟味した人々もいただろう。こうした知的態度を持つ人は、ニュースのコメント欄やネットの掲示板、またSNSなどで散見できる。しかし、大規模な社会的事象の結果から大多数の人間がどのような態度をもっているか類推することもできる。その点、柳田の期待した「一人前の選挙民」はまだ有権者の多数派とはなっていないようだ。放置されてきた有権者の質を高めることこそが、教育界、特に社会科教育に課せられた使命だと思う。