新卒教員の教科書

私立高校一年目。『新卒教員としてのオリジナルテキスト』をつくろうという試みでブログを書いてます。社会科のこととかビビッときた本の書評とか日常生活のこととか。

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歴史から仮想通貨を考える

2日、金融庁仮想通貨取引所コインチェックに立ち入り検査を実施した。仮想通貨に対する監視体制が強化される一方で、マネーロンダリングなど違法な資金調達の温床になるといった理由から、インドや中国など各国が仮想通貨市場の規制に乗り出している。こうした各国中央政府の規制の背景には仮想通貨市場の急騰がある。そして、昨年のビットコインの急騰などは仮想通貨の需要が大きく増加したことを示している。同じように、日本でも貨幣に対する需要が大きく増加した時期があった。鎌倉時代から室町時代にかけてである。

 鎌倉~室町時代の通貨事情

鎌倉では宋銭や明銭など中国から輸入された銅銭が広く流通した。日本でも貨幣は製造されていたが、律令国家が崩壊して以降、統一的な貨幣は作られなくなったため、代替として中国製の貨幣が利用されたのである。しかし、宋銭や明銭だけでは資金需要をまかなえず、民間の私鋳銭が作られた。

では、なぜこの時代に貨幣の需要が増加したのかといえば、三斎市(鎌倉時代、月に三日開かれた市)や六斎市(室町時代、月に六日開かれた市)などの定期市が開かれ、その決済手段として貨幣の需要が増加したからである。そのとき貨幣の信用を担保したのは貨幣自体の質の良さだったと思う。というのは、品質の悪い私鋳銭は撰銭といって質の良い銭と区別され、忌避されていたからだ。

こうした市が開かれた背景には、農業技術の発展に伴う余剰生産物の存在があった。東日本では二毛作、西日本では三毛作が行われた。農具や肥料の改良なども相まって、生産力は大きく向上した。米以外にも麦やソバ、各種野菜などが作られていたという。

こうした貨幣経済の浸透について本郷和人氏はこう述べている。

ことに1225年から1250年の間に日本列島に急速に貨幣経済が浸透していく。それは土地を売買するときの証文が、〇〇石というコメによる表示から、〇〇貫と銭による表示に代わっていくことからも確認できる。(本郷和人『日本史のツボ』204ページ)

銅銭の輸入は平清盛日宋貿易に遡る。

「日本最古の通貨は何か」という問いに、私なら、和同開珎でも富本銭でもなく、清盛が輸入した銅の宋銭だったと答えるでしょう。銭というものは、大量に出回ってはじめて、通貨として機能するわけですから。(同201ページ)

余剰生産物は市場活動を活発にさせる。その際に、売買の仲立ちとして貨幣が不可欠だった。しかし、日本の貨幣鋳造技術は未熟であり、だからこそ宋銭の需要が高かったのである。

仮想通貨との比較

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翻って仮想通貨を見てみよう。鎌倉時代室町時代と同様、通貨に対する需要が大きく高まったために、昨年度のようなビットコイン市場の急騰が生じた。

しかし、それは決済手段としての需要ではなく、あくまでも投機の対象としての需要である。事実、日本ではまだ仮想通貨を決済手段として採用する企業は少なく、さらには今月2日LCCピーチ・アビエーションが仮想通貨を決済手段として導入するのを無期限延期にすることを明らかにした。日常生活レベルでも仮想通貨を利用できる店舗やサービスは極めて少ないと実感する。

こうしたところから、現状において仮想通貨は決済手段ではなく、あくまでも投資の対象としてしか見られていないと思う。また、銅銭など目に見える形で保管できず、さらには流出のリスクもあるとすれば、そうしたリスクが低くなったと人々がみなさない限り、普及は難しいだろう。なぜなら、貨幣が貨幣として機能するには人々のそれに対する信用が必要だからである。今のところは得体のしれないものだから、撰銭の対象になっているという所だろうか。仮想通貨に可能性を感じる一方で、その危うさも感じてしまう。