10年前なら「納棺士」だけを意味したこの言葉も、今では全く異なる意味が加わった。「億り人」、つまり仮想通貨で一億円以上の収入を得た人物を指す言葉として一般的になりつつある。今朝の日経新聞の記事に、2017年度の仮想通貨取引を含めた収入で1億円を超えた人が331人だったとあった。
仮想通貨の登場のように、経済の動きはめまぐるしい。その中心的な存在としての貨幣について、前回に引き続き考えたい。今回は歴史的な観点から貨幣について整理していく。
前回みたように貨幣には、交換手段、決済手段、価値尺度、価値貯蔵という4つの機能があった。では、貨幣が存在する以前、人々はどう生活していたのだろうか。
貨幣以前の社会
産業というのは気候や土地の状況と密接にかかわっている。海沿いの地域であれば、漁業が盛んになるし、肥沃な平野であれば農業が盛んになる。しかし、人は水産物のみ、あるいは農産物のみを食して生活しているわけではない。食卓に魚だけでなく、米や味噌汁があることで、豊かさを享受する実感を持っただろう。それは古代人も同様である。自分が必要とするものと相手が必要とするものとの物々交換が、貨幣登場以前の経済生活であった。たとえば、黒曜石やサヌカイトなどの交易の跡が日本各地にあるが、これらも物々交換の証拠だろう。
市の成立
しかし、古代には、どこでも取引できるようなメルカリなどの便利なサービスはない。GPSのない時代に、取引相手を見つけるのは至難の業だっただろう。よしんば、取引の相手を見つけても、そもそも相手が必要とするものをこちらが持っていなければ、取引は成立しない。そこで、市(マーケット)という仕組みができた。様々な人がものを持ち寄って同じ場所に集まれば、取引が成立するのである。特に余剰生産物ができる農業の発展に伴って、市ができていった。ヨーロッパでは中世に、日本でも鎌倉時代に市が盛んになるが、その背景には、自給自足以上の取り分を人々が得たことがあった(ただし、貨幣の登場と、統一的な貨幣の普及は別次元の話である。)。
物品貨幣が登場した
このように、市が開かれたことで、取引は活発になった。物々交換というのは非常に非効率的である。しかし、食材の場合であれば、取引までの間に腐ってしまうか傷んでしまうため、遠隔地との取引はほぼ不可能となる。そこで発明されたのが、貨幣である。初期の貨幣としては、商品との交換の際に使うことができ、かつ人々が価値(すなわち希少性)を認めるものが使用された。たとえば、古代中国では子安貝が貨幣として使用された。その名残として、お金に関する漢字には「貝」が入っている。たとえば、「貨」幣、「財」、「資」金、などである。また日本では米が貨幣として用いられていた。米のことは「稲」という。昔は稲を「ネ」と呼んでいたのが、いつからか「値打ち」の「ネ」として定着していった。また、布も貨幣として使われた。というのも、貨幣の「幣」は布を意味する言葉である。それが現在の日本語にも残っているのである。
だが、米や布は長期間の保存に適していなかった。また、貝も大量に取れれば、インフレを起こしてしまう。そこで、長期間保存でき、希少性がある金属が貨幣として使われるようになった。それが、金や銀、銅であった。特に金はさびることがないので、非常に重宝された。そして、経済の規模が拡大していくとともに、貨幣の需要が増加していく。
紙幣の登場
しかし、金属は非常に重いため、決済の度に持ち寄るのは非常に効率が悪い。そこで登場したのが両替商である。両替商はまず金や銀を預かる。そして、預かり証というのを発行する。預かり証を取引の際に利用し、相手はそれを両替商に持ち寄れば、取引分の金をもらうことができる。つまり、そもそも紙幣は金や銀との交換の裏打ちがあって効力を有していたのである。ちなみに、世界最初の紙幣は中国の宋代で発行された「交子」である。宋代は経済が大いに発展したため、当時用いられていた銅銭の供給が追い付かず、銅よりコストの安い鉄銭が大量に鋳造された。しかし、鉄は銅よりも重かったために、取引の利便性向上を目的として、銅や鉄との交換を保証した「交子」が発行されたのである。
話を戻そう。両替商はやがて銀行に形を変える。明治時代になって爆発的に銀行が増加したが、両替商の頃と変わらず「紙幣」を発行することができた。つまり、現在のように日本銀行だけが紙幣を発行しているわけではなく、民間銀行が自由に紙幣を発行できたのである。民間銀行は、1879年までに第153銀行まで設立された(当時の名残として、82銀行という長野県の地方銀行は、明治時代に設立された第19銀行と第63銀行が合併したことに由来する)。
金が価値の源泉に
しかし、紙幣発行権を多くの主体が持っていることで、統一的な金融政策が困難になる。そこで、紙幣発行権を持つ銀行が1つに限定されることになった。それが中央銀行である。日本では1882年に日本銀行が設立され、翌1883年には紙幣発行権が各銀行から取り上げられ、紙幣発行の主体は日銀だけとなった。そして、当初の紙幣は金や銀との交換を保証していた。金や銀との交換を兌換というが、それを保証した紙幣を兌換紙幣という。金の価値を担保に紙幣を発行し、金との兌換を保証する制度を金本位制といった。最初は、日本は銀本位制を採用していたが、やがて金本位制に転じていく。
しかし、経済は貨幣量とは関係なく発展を続ける。銀行が保有する金の量は限られている一方で、貨幣需要が増加していったため、金本位制では経済発展が頭打ちになってしまう。そこで、金の保有量と関係なく紙幣を発行できる制度に移行していく。それが管理通貨制度である。現在の日本銀行券では金との交換はできない。
目に見えないものを価値の源泉に
ここで、よく考えてほしい。そもそも貨幣は子安貝や金など希少性を持つものの裏打ちがあったからこそ意味を持った。しかし、管理通貨制度の下では価値の裏付けを持たないではないかと言いたくなる。では、何が価値を支えているかというと、発行主体である政府に対する信頼である。つまり、実体的な価値ではなく、目に見えない「信頼」が価値の根底にあるのが、現在の貨幣なのである。我々はフィクションの中で貨幣を使用しているのだ。その点、仮想通貨は政府が発行主体ではなく、政府に対する信頼という価値に支えられていない。ハッキングなどセキュリティ面でも不安が残る。だが、世界中で政府に対する不信感が取りざたされている現在において、従来の貨幣もどうなるのか全く分からないのであるが…。
おくりびとのように、言葉の中には時代とともに意味を変えていくものもある。貨幣も時代とともにその姿を変えてきた。歴史を踏まえて、その推移を見守っていきたい。