絶対的権力は腐敗する
19世紀英国のアクトン卿の言葉である。100年以上前の発言ではあるが、現代の民主主義社会においても大きく示唆に富む言葉である。
文書改竄の問題点~民主主義とどんな関係にあるの?~
森友学園を巡る財務省の文書改竄問題が報道を賑わせている。まるで政権の政治生命を左右するかのような印象を報道から受ける。それほど、メディアの取り上げ方はすさまじい。
だが、ここでは問題の内容には立ち入らない。マスメディアをはじめ解説コンテンツはあふれているからだ。今回は文書改竄の何が問題なのかを考えたい。
そもそも文書の改竄ってなんなの?
文書の改竄とは、文書内容を偽装したり、書き換えたりと恣意的に書面を操作することである。これが可能なのは、文書を管理する立場にある者かそうした人々に指示を出すことのできる者に限られる。
為政者や官僚の都合によって事実が歪曲されたり、隠蔽されてしまう可能性があるのだ。
それは民主主義という観点から言えば、非常に問題といえる。
民主主義の大原則は市民が自ら判断し、決定することである。そのためには適切な情報公開が必要であり、それが適切な判断・決定の材料となる。すなわち、政府の情報公開は教育的機能を担っているのだ。
しかし、その材料に瑕疵があれば、間違った判断・決定をもたらしうる。政権にとって都合の悪い情報が隠蔽・歪曲されれば、市民の批判能力は大きく減衰し、民主主義が持つ自浄能力は消え去ってしまう。
また手続き上の瑕疵は政治権力の正統性を大きく傷つける。
正統性とは支配を受ける人々が支配者に対して、その支配の妥当性を認めていることを表す。支配者とは権力を有する者のことであり、ここでは代議士や官僚など政策決定に携わる者とする。
近代国家の原則は手続きの順守にある。いきなり段階をいくつも越えることは認められない。たとえば、運転免許試験の点数を不正に操作するだとか、自動車の検査で無資格の検査員が資格を行うだとかは決して認められない。適切な手続きを踏まえなければならないのだ。
そうした原則(文書偽造の禁止)を守ることで社会の運営がなされている。
しかし、そもそもそうした原則を設定する側が原則を守らなければ、人々は支配者に対して不信感を抱く。中には幻滅や怒りを抱く人もいるだろう。この結果、政治権力の正統性は大きく減退するのである。
正統性の度合いは政権の安定性に直結する。しかし、批判があるからこそ、問題点が改善され、より良い状態へと変化を遂げるのである。もし問題があっても、適切に情報公開をし、批判を甘んじて受け入れることが代表制民主主義体制における代表者としてふさわしい態度である。そして、その結果として内閣不信任が成立しようが、甘受すべきだろう。文書改竄というのは民主主義の原則を逸脱するものなのだ。
民主主義を維持するには不断の努力が必要
丸山真男は民主主義を民主主義として維持するには、不断の努力が必要と言った。それは有権者が選挙に行けば達成されるわけではない。制度を構築する側にも、民主主義を守る努力が必要であり、両者が不断の努力をすることで民主主義は実現するのである。
しかし、権力側にいれば腐敗はどうしても起こりうる。だからこそ、市民が権力者に対して働きかけることで、腐敗を是正することができるのだ。
民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりあてはまる。つまり、自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。(丸山真男『日本の思想』156-157ページ)