「考える生徒を育てたい」。
そう思って教員となり早数か月。
目の前の課題に追われていた2学期が終わり、冬休みに入ったので原点に立ち返ろうと思い購入した本。
正直、かなり共感した部分が多く、教育に携わる方にはぜひ読んでもらいたいなあと思っている。
考えるとはどういうことか
子どもは問うことの天才である。
「空はどうして青いの?」「正座するとしびれるのはなんで?」
そうした純粋な疑問を持ったことはだれしもある経験だろう。あるいは親として、教師として答えようとした経験を持つ方もいるかもしれない。
しかし、年を重ねるごとに子供は疑問を持たなくなってくる。
誰しもが持つ天賦の才能はいつの間にか陰に潜んでしまい、時には枯渇してしまう場合すらある。
思考は問いから始まる。
「哲学」とは、問い、考え、語り、聞くことであり、哲学とは考えることなのだ。
語り、聞くのだから個人で完結するのではなく、他者とともに対話することが考えることなのである。
問いから思考は始まる。だから、筆者は「わからないことを増やそう」と言っている。
問いがあってはじめて考えは動き出す。問を重ねることで、考えは広がり、別の角度からものを見られるようになる。
問いは思考を動かし、方向づける。だから、考えるためには問わなければならないのだ。
何のために考えるのか
しかし、いつの間にか子供は問いを発しなくなる。それは環境的な要因が大きい。
学校で授業中に発言をする生徒は決して多くはない。生徒の頭の中には「こんな質問をしたらバカだと思われるんじゃないかな」といった不安があったり、自分の発言が受け止めてもらえなかったりする恐怖心がある。
それは問うことだけではなく、その先の考える行為も同様である。
教師はよく言う。
しっかり考えろ、と。
しかし、こうした姿勢に対して筆者は痛烈に批判する。
「しかし、いざ「考えて!」と言われても、何をどうやって考えればいいのか。しばしば「頭を使って考えろ!」と言われるが、頭をどうやって使えば考えられるのか、どのように考えたらいいのか。その方法を一体だれがいつ、教えてくれるのか」 P14
少なくとも、私は高校までに「考え方」を教えてもらった経験はない。大学のゼミで辛うじて教えてもらった記憶はあるが、基本的には自分で本を読んで勉強した記憶が強い。
考え方を教えてもらっていないのに、考えられるわけがない。
物事は型を身につけるところが出発点であり、型を教わる場がないのだから考えられるわけがない。
ましてや考えることの出発点である「問い」の文化もないのだから環境は最悪だ。
生きることは選択の連続である。しかし、その選択も考え方を知らなければ、十分に決断できない。だから、人に聞いて、その人の意見に従って選択をする。そうして流されて生きることを筆者は良しとしない。
なぜなら考えるのは、自由になるためだからだ。
考えることは、自分を縛り付ける様々な制約から自らを解き放つことである。
世の中のルール、家庭や学校、会社での人間関係、常識や慣習、自分自身の思い込み、様々な恐れや怒り、こだわりから、ほんの少しであっても距離をとることができる。それが私たちのせいに自由の余地を与える。
自由になるためには、「考えること」の哲学が必要なのである。P16
自分が持っている常識から解き放たれ、自分自身が揺さぶられる、そんな経験を考えることを通じて持てるのだ。
しかし、自分で考えない場面は多い。
学びの当事者である生徒は教師が考えた課題を解くように言われる。それで入試の成績が悪ければ、生徒が責任を取らなければならない。こういった場面は学校を出て、社会に出た後もかなりある。
私たちは自ら考えて決めた時にだけ、自分のしたことに責任をとることができる。にもかかわらず、自分で考えも決めもしていないのに、その結果は引き受けるしかない。
その点で対話の意義は明確である。対話は何でも話していい場で行われ、発言の責任は自分が取れるのだ。
そのようにして選んだこと、決めたことは、結果がどうあれ、責任を取ることができる。私たちは、ただ自由だけを求めるのでも、責任だけを甘受するのでもなく、その間で妥協するのでもなく、自由と責任を一緒に取り戻す。それは他でもない、自分自身の人生を生きることなのだ。P104
考えるのは、まさに自分自身の人生を生きるためなのだ。
誰のためでもなく、自分自身のために考えるのだ。
本書の良さ
この本は考えることの必要性を述べただけでなく、具体的な考えの進め方が書いてある点に良さがある。
問いのバリエーションが豊富に記述されており、相手を意識して考えることの重要性が述べられている。
ただ、体系的に「考えるとはこうですよ」ということが述べられているわけでなく、あくまでも筆者が経験的にこう考えた方がいいよ、ということが書かれているので、考え方を知りたくてロジカルシンキングであったり、〇〇思考というような即効性のある考えのハウツーを求めている人には効果は薄いかもしれない。
ただ、私自身は自分の思考に足りないところを改めて可視化するきっかけにできたので、チェックリスト的な点では非常に有用だった。
最後に:本書の社会的意義
考えるということが社会的に求められている。
次の学習指導要領では思考力が重視され、近年の中学受験でも思考力入試問題が出たり、大学入試でも記述問題を通じて思考力を測ろう、という試みが出ている。
だからこそ、学校現場で考える力を伸ばすことはとても大事になってくる。
ただ、その実現は極めて難しい。筆者は痛烈に今の学校や社会の在り方を批判している。
自戒の念も込めて、その批判の言葉で締めくくりたいと思う。
考えるためには、問うことができなければならない。問う力を育てるためには、何でも問うていい場が必要になる。しかし、今まで通り、教師が出す問い、教科書に出てくる問いだけが許されているなら、そこで育てられるのは、与えられた問題に答える力、考えさせられる力だけである。つまり、今と大して変わらないのだ。いや、建前が変わるだけに、欺瞞がはびこり、一層混乱するだろう。
(中略)何でも問ういていいのであれば、当然のことながら、その問いは教師や学校にも向けられる。なぜこんなことをするのか、なぜそれをしてはいけないのか、本当にこれは必要なのか、等々。それは単なる疑問かもしれないが、不満や抗議かもしれない。
考えることを本気で認め、促そうとするなら、そういう疑問、疑念を受け止め、応答しなければならない。学校や社会にその覚悟はあるのだろうか。ないなら、考える力を身につけさせるなど、気軽に言うべきではない。P254-255
考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)
考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書) [ 梶谷真司 ]