東京都知事選挙が終わってからはや1ヶ月。
もう選挙の話題をする人は誰もいません。新聞を1紙、ネットニュースも毎日チェックしていますが、少なくともメディアでは過去の選挙の話題は取り上げられていないみたいです(選挙違反が見つかった場合などは例外です)。
ちなみに煽ってる感じのタイトルですが、当然ながら僕への自戒を含めています。
選挙のとらえ方=フェスティバル
日本では選挙運動がかなり制限されています。
たとえば…
- 選挙運動ができるのは、選挙の公示・告示日から選挙期日の前日まで
- 未成年の選挙運動はできない
そのほか、インターネット選挙運動についても事細かな規制があります…
僕の中では、選挙のたびごとに選挙カーが朝から晩まで候補者の名前を読み上げて、町中でわーわー叫ぶ。瞬く間にブワッと選挙運動が盛り上がって、終わってしまえば「強者どもが夢の跡」という静寂に戻ってしまう。
まさにお祭りのようなものなんです。多くの人の認識も近いところだと感じています。
それ自体は制度的な制約からどうしても生じてしまうものです。
けれども、選挙が一過性にすぎないお祭りだとすれば、どうして人々は理性的に冷静に判断できるでしょうか?
お祭りは人々を熱狂させます。熱狂は理性を失わせ、判断を狂わせることもあります。
なにより、投票の数週間前に「選挙に行こう!」「私に一票を」と言われたところで、「いきなり争点上げられても調べる時間ないよ…」「そもそもあんた誰よ…」となります。突撃!隣の晩ご飯で訪問された家庭の心境です。
つまり、理性的な判断を求める、という選挙の建前と選挙制度、そして人々の生活がマッチングしていないところに問題があるのです。
「選挙が始まったから…!」というマインドセット
確かに選挙期間を短くすると言うのは、政治家が政治に集中してより良い社会形成をすべきだという点では重要だと思います。
だけれども、選挙期間がこれだけ短ければ、有権者の準備が間に合いません。
有権者が「選挙が来たから準備をしよう」というのではなくて、「いつもチェックしていて、選挙でしっかり判断できた」という状態になるためには、選挙運動を長期化した方がいいのかなと思うのです。
選挙運動に資金が必要だというのであれば、もっと政治家を身近に感じることのできる機会を創出すべきなのです。
たとえば、街頭演説を頻繁に行えるようにしたり、街角で市民集会を開いて対話の機会を作ったり、学校に定期的に言って集会をしたり、市民と政治家が関わる機会を「公的に」創出すべきだと思います。あるいは、政治家が積極的に動いて関わろうとする、とかですね。
もう一つの手段としては、メディアが政治家をチェックすることです。
オンブズマンという市民の代理人が行政を監視する制度がありますが、日本では国政レベルでは導入されていません。公的な制度で「政治を監視する」省庁や行政委員会の創設をすべきだと思いますが、中々難しいので、民間のメディアが政府の監視をしっかりと果たすべきだと思います。
けれども、それ自体も商業主義や省庁との関係、そもそも放送事業が免許制だったりと前途多難なわけです。
だからこそ、市民の自発性に可能性を見いだしてしまいます。具体的には、SNSを通じた反政府活動やデモ、特にツイッターなどを通じた世論形成などは目を見張るモノがあります。
こうしたメディアを通じて、日頃から政治家を監視する「仕組み」があれば、より多くの人が政治に関心を持って、より充実した選挙活動を行うことができるはずです。
大切なマインドセットは、選挙が始まるから準備をするのではなく、日頃から政治のことを考えていたら選挙の時期になったからいつも考えていることを活用して投票した、ということだと思います。
これ、ずっと昔から世界的な権威の政治学者が常々議論してきたことなんですけど、可決策はあるんでしょうか。
カレンダーを見たら、都知事選挙から1ヶ月ちょいしか経っていないのに、もう誰も話題にすらしないな~、とふと思ってしまいました。
過去の話をしないのは当たり前なんですが、次の選挙の話も全く聞かないものですから…
こういうところで主権者教育の在り方を考えていきたいな~と思います。それについては別の機会に。
それでは。