昨日は友人と一般参賀に行ってきた。
去年、今年に続き2回目の一般参賀。
今年はニュースの通り過去最多の人数らしく、朝9時前に皇居に着いた時点でかなり混雑していた。
皇居周辺の道路には地方からのツアーできたであろう多くのバスが並んでいて、沿道には地方ナンバーの車がズラリ。これだけの人を動かす力、すごすぎるなあと。
僕らが長和殿前の広場についたのは12時過ぎ。次に陛下がお言葉を述べられるのは13時30分の予定だった。
「あと1時間半か…(寒い・友人との話題が尽きた・どうしよ)」
と思っていたら、なんと13時に変更となった。
あまりにも人数が多かったためか、お言葉の時間が変更され、回数も増えたとのこと。
天皇のお言葉に思うこと
時計が13時を刻む。
天皇陛下と皇族方がお出ましになられ、同時に万歳の声が鳴り響く。
「天皇陛下、万歳!」「バンザイ!」…
そして天皇がお言葉を述べられる。
鳴り響いた群衆の声は静まり返り、天皇のお言葉に注目が集まる。
そしてお言葉を述べられた後、再び群衆が声を上げる。
万歳三唱の嵐は鳴りやまない。皆皆が日本国旗を振り、万歳を叫ぶ。
会場の一体感たるや言葉にできないものがあった。
ここであることを思い出した。
日本国憲法1条だ。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
ここにいる人の中には外国人もたくさんいる。
しかし、この瞬間においては天皇陛下に親しみを持ち、中には敬っている人もいるだろう。少なからず私はそういう気持ちをこの場の人々と共有した「気持ち」になった(あくまでも私個人の感覚であって、他の人がどう思っているかは別の話である)。
そして、この場・この瞬間に、「ああ、自分は日本国民なんだなあ」と。
「これこそが統合の象徴ということなんだなあ」と、そういうことをすごく実感した。
まさに概念と生活が結びついた瞬間だった。
近代国家は、国民の創出を必要とした。その際、多くの人を国民というくくりでまとめるには統合の強力なシンボルが必要だった。王政復古を断行した明治薩長政府が天皇に期待した役割がそれだった。
戦後、天皇は人間宣言を行って宗教的シンボルではなく、新たな統合の象徴となった。
そういう歴史的背景・概念と今眼前に広がっているもの・感覚がリンクした体験だった。
こういう体験を生徒にさせてあげたいなあと思う。
別に国民としての実感云々の話ではなくて、教室で学ぶ概念と生活がリンクするような体験だ。
なにはともあれ最後の今上天皇陛下のお言葉を聞けて、良い1年のスタートをきれた。
それでは。