Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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現代に甦るホッブズ-グローバル化の逆接

 

混迷を深める世界はどうなるのだろうか。ホッブズの面影がちらつく。


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ホッブズの社会契約説-リバイアサンという国家権力

17世紀、イギリスは内乱のさなかにあった。ピューリタン革命である。血みどろの戦いが繰り広げられ、あちこちで殺戮が起こり、イギリスは恐怖と猜疑心で包まれた。そうした闘争状態を目の当たりにしたホッブズは独自の社会契約説を展開する。

 

人はみな自己保存の権利を持つ。これを自然権という。しかし、個々人が自らが生存するために他者との闘争に明け暮れる「万人による万人の闘争状態」が生じてしまう。この状態を克服し、個々人の安全を守るために、あらゆる個人が自然権を国家権力に移譲するという社会契約が結ばれる。政府に絶対的な権力(この絶対的な権力のことをリバイアサンといった)が集中することで個々人が法に服し、社会が安定するというものである。ここにおいて国家権力の正統性は個人(国民)の安全を守ることにあった。これがホッブズの述べた社会契約説である。

 

「新しい」万人の番人に対する闘争

さて、21世紀の現在はグローバル化が進み、当時とは社会状況が大きく異なる。30年前には冷戦が終結し、世界に平和が訪れると思われていた。だが、今やホッブズの述べた世界が再び現れたかのようである。

 

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グローバル化((ここにおけるグローバル化とは交通インフラの技術進歩と情報化の進展による世界の一体化を指すの進展は国境のハードルを著しく下げた。それはテロリストの流入を招き、テロが世界中で頻発するようになった。アメリカでは9・11やボストンでのテロが起き、大西洋を越えたヨーロッパでもパリやブリュッセルで悲惨なテロ事件が起こった。大規模な東西陣営での対立が終わりをつげ、国家対テロという新しい戦争局面が起きたのである。ここで国家は恐怖と猜疑心に包まれる。「もしかしたら国内に敵がいるのでは…」「新たに流入してきた人々の中にテロリストがいるかもしれない」。

 

疑心暗鬼になった国家権力は安全確保のために安全保障国家へと変貌する。それは時には国民のプライバシーや自由を抑圧する。国家が行うのは対外的にはISやアルカイダなどのテロ組織の殲滅、そして(壁の建設など)国境監視の強化である。一方で国内的には通信傍受やインターネットの監視であり、ここにおいて人々の人権は制限される。たとえばトランプ大統領が出したイスラム圏からの入国禁止は移動の自由の制限であり、また通信傍受はプライバシーの侵害である。国家の正統性は安全の確保(自己保存)にあるため、そのための人権の制限はやむを得ないということだろう。

 

リバイアサンの下で自由は

このような安全保障国家化は今後も続いていくと思う。

というのは、国家間対立とは異なり、「相手に勝利した(=テロリズムを殲滅した)」と評価することは極めて困難だからである。テロリズムには国家のような実体がない。しいて言えばISなどのテロ組織であれば殲滅できるだろうが、ある宗教的動機からテロに走る個人を完全に排除することは難しい。ある日突然、アメリカ国旗への忠誠からISへの忠誠を持ってしまうかもしれないからだ。中東はもちろんアメリカから出たことのない若者がネットを通じて感化されてしまうかもしれない。そうした流動性からテロの殲滅は極めて困難と言える。

 

だから国家権力は国民の自由を制限し、危険人物がいればすぐに取り締まれるように通信傍受などを行い、さらには危険分子を流入させないために国境の管理に徹しているのだ。グローバル化が進んだ世界において国家がみずからの殻に閉じこもろうとしている。国境を超えるのが容易になった一方で、国境線が明確になっているのだ。まさに逆説的な現象が起きている。

 

国家によるテロへの対処

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さらにテロは国家も主体となる。中国やロシア、北朝鮮などのサイバーテロの実態が明らかとなり、各国が対策を講じている。だからこそ、今後は国家同士の対立がますます増していくだろう。テロに悩む国は対外的には危険分子の排除、すなわちテロ組織の殲滅に動くだろう。アメリカがISの殲滅やシリア情勢に介入しているのもこうした背景がある。またアメリカにとっての死活的産業であるIT産業の保持のためにも、サイバー空間での対立は今後も熾烈を極めるだろう。実体がないテロリズムよりも目に見える相手との戦いに資源を投入しようということだ。ただ、前述のとおりテロに勝利したと評価することは困難なので国内的には戒厳状態が続くだろう。なぜなら国家の正統性の一つは安全の確保にあるのだから。そうした兆候はアメリカでの愛国者法やフランスでのパリ同時多発テロ後の非常事態宣言の長期化、そして日本での秘密情報保護法の制定などに如実に現れている。

 

ホッブズの時代と現代との相違点は国家の中に社会契約を結んでいない異質な人がいるという点だ。そのために国家は自己保存が脅かされる恐怖に苦しむ。安全保障国家化は進み、緊急時の人権の制限を可能とする法制化が進んでいくだろう。

はたしてリバイアサン自由の代償に安全をもたらすのだろうか。

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