毎月勤労統計に誤りがあることが発覚した。
ニュースで出てくる社会の動向の多くは統計を基にしている。
だが社会事象を把握する根幹の統計に不備があった。
ここでそもそも統計とは何かを整理してみたい。
日本語から-辞書
大辞林には次のようにある。
集団現象を数量的に把握すること。一定集団について、調査すべき事項を定め、その集団の性質・傾向を数量的に表すこと。(大辞林第3版より)
ある集団がどんな行動をするか、どんな性質を持つのか、数字的に把握できるものが統計である。
なるほど、社会心理学とか実証系の学問で不可欠だなあと思う。
英語では
英英辞典を引いてみた。
The practice or science of collecting and analysing numerical data in large quantities, especially for the purpose of inferring proportions in a whole from those in a representative sample.
特に代表的な標本の比率から全体の比率を推測するために、大量の数値データを収集し、分析する実践ないし科学のこと。
つまり、一部分のサンプル(標本)の比率を「全体に当てはめても同じような比率になるんだろう」と推測する。そのために、大量のデータを集めて分析すること自体とその科学的方法のことを統計という。
そもそも明治時代にstatisticsの訳語として統計が使われ始めたことから、定義は日本語と同じである。では歴史的に見るとそもそも統計は何のために使われ始めたのだろうか。
歴史から-近代国家との関係
統計の歴史的源流には次の3つがある。
-
国の実態を捉えるための統計
-
大量の事象を捉えるための統計
-
確率的事象を捉えるための統計
第1の源流-国家動態の把握
古来より徴税や兵役のために人口実態を正確に行う必要から為政者によって行われてきた。
特に近代ヨーロッパにおいては、産業や人口の動態を正確に把握することで国家の繁栄に結び付けようとしたことから発展していった。
18世紀から19世紀においては国家運営の基礎として統計を用いる重要性が認識され、統計調査・統計制度の整備が積極的に行われるようになった。ナポレオンは1801年に統計局を設置し、以後政府による統計整備が進んでいった。
第2の源流-大量の事象の把握
その開拓者はイギリスのグラントという人物である。彼は当時ペストに度々見舞われたロンドンにおいて、教会の資料を基にし志望統計表を分析し、一見すると偶然に見える人口現象の背後に一定の法則があることを見つけた。
その後、エドモンド・ハレーがこうした手法を科学的に発展させる。彼は人間の死亡において一定の秩序があることを見つけた。つまり、ある人口集団における死亡に対して、それを予測し得る一定の法則があることを明らかにしたのである。
これによって生命保険会社は合理的な保険料金を算出することができるようになった。
※ハレーはハレー彗星の発見者である。
第3の源流-確率的事象の把握
確率論はパスカルやフェルマーらによって基礎づけられていった。
後に人口推計や年金論などに応用されていった。
こうした3つの潮流を統合したのが19世紀半ば、ベルギーのケトラーである。
確率論を社会統計に導入し、科学的な統計としての体裁が整う。社会現象や自然現象を数量的にとらえることで科学的な分析が可能になった。
彼は公的統計の改善や世界的な統計機関の設立に尽力し、近代統計学の祖とされている。
統計が現在のような科学的な手法として位置づけられるのは19世紀以降、近代国家においてである。
結局統計とは?
統計とは、社会集団の行動パターンの傾向や集団の性質を数量的に表すものである。
統計によって異なる集団間での比較や同一集団における時間的な変化を比較することができる。すなわち横と縦の比較ができる。
また、ある集団において「ある行動をしたらこうなった」という因果関係を見出すこともできるだろう。それによって行動改善の手立てとすることも可能になる。
また人口動態や給与の変化など政策立案の根幹でもある。
統計学は最強の学問?
統計に関する学問が統計学である。ずいぶん前から『統計学が最強の学問である』という本が出版されているが、目もくれなかった。
統計の効果が社会動向を掴むことにあるとすれば、数量的なエビデンスを基にして考えるための前提となる学問である。
とりあえず記事を書いている途中にアマゾンで買った(笑)
教育の動向は-エビデンスで考えよう
教育においても統計、すなわちエビデンスで考えることがトレンドになっている。
私自身も「わけのわからない根性論」や「狭い世界だけでの感覚的な経験則」、「理不尽な因習」に依拠して意思決定をしたくないので、この流れを歓迎している。
そうした流れは教育政策や子育てといったありとあらゆる領域に浸透し始めている。
この間あるシンポジウムに参加した時、エビデンスベースドポリシーメイキングという言葉が何度も言われていた。
曰く、授業改善の手立てとしてデータを収集して、統計を活用していくということだ。
ただ統計はあくまでも意思決定の材料であって、それを金科玉条のごとく絶対視してはいけない。
さて、冒頭の毎月雇用統計の不備の問題に戻ろう。
統計を基にして国家運営が行われている。政策決定の前提が間違っているとすれば、影響は様々なところへ及ぶだろう。
給付金が少なかったり、統計の見直しが行われたり、すでに各所で社会的なコストが生じている。統計、侮るべからずである。