戦後の日本は戦前の反省を踏まえて国際協調路線の外交政策をとってきた。
日本の外交3原則
第二次世界大戦後、日本の外交では「国連中心主義」「自由主義諸国との協調」「アジアの一員としての立場の堅持」の3原則が取られた。戦前、日本が国連を脱退し、アジア諸国を侵略した反省からこのような原則が採用された。
ただしあくまでも理念であり、国連の機能不全やアジア諸国の多様な利害の存在、冷戦下における自由主義諸国が西側諸国のみを指すなど現実の国際情勢に翻弄されてきた。特に日米同盟を外交の基軸に据えている限りはどうしても東側諸国との対立は避けられない。構造的に矛盾を抱えた外交方針であり、事実一貫性を欠いていた。冷戦下においては自由主義諸国(西側諸国)との協調が最も重視されていた。
そもそも外交とは国益の調整であり、冷戦下の日本においてはそれが最も国益にかなっていたのである。
冷戦の終結はその対象国の拡大を意味するかに思われた。事実、ロシアは憲法を書き換え、自由主義的な色彩の憲法を採用した。東欧諸国も同様の動きを見せ、後のEUの東方拡大の下地を作った。リベラルな国際秩序が世界中に広まるかと思われた。しかし、現実はロシアは市場かの失敗を受け、プーチンに権力が集中する権威主義国家となり、中国は変わらず中国共産党による権威主義国家のままだった。
外交3原則の破綻が露呈した
冷戦の終結は「自由主義の勝利」をアメリカに錯覚させた。勢いづいたアメリカの単独行動主義によって、日本の外交3原則は目に見えて維持できなくなる。湾岸戦争の際、アメリカは国連安保理決議を根拠にイラクを攻撃した。この段階では国連中心主義と自由主義諸国との協調は維持できた。しかし、イラク戦争では安保理で決議がなされず、独仏と英米が決裂し、自由主義諸国間での不協和音が生じた。結局、アメリカは湾岸戦争時の国連決議を根拠にイラク戦争を開始した。ここにおいて、国連中心主義と自由主義諸国との協調はイコールではなくなり、アメリカに追従した日本も自らの原則をないがしろにしてしまったのだ。
そして現在は
現在、アメリカの国力は相対的に低下しつつある。それは中国の経済的・軍事的台頭による。南シナ海で南沙諸島などを実効支配し、法の支配など自由主義的な国際秩序が脅かされている。それだけでなく、アメリカの凋落はアメリカ自身にも変化をもたらした。トランプ大統領が「アメリカ第一」を掲げ、自由主義諸国の間でも亀裂が走っている。さらにはアメリカと中国が貿易戦争をはじめとして新冷戦と呼ばれるほどの対立状態に陥っている。こうした中で日本はどうすべきなのだろうか。
「自由と繁栄の弧」など自由主義諸国との協調を重視する外交政策はもちろん重要である。価値を共有する国々の連帯はその価値を共有しない国への圧力となるだろう。しかし、経済的繁栄などの国益を確保するには中国やロシアなどの権威主義諸国とも協調していくことが必要であることは間違いない。とりわけ中国は一帯一路やAIIBなど国際秩序形成の将来的な担い手となる可能性もある。中国が独善的な秩序を作らずに、いかにして現状のリベラルな秩序に取り込めるかが今後の国際的な課題であろう。
参考
小原雅博『日本の国益』