※随筆です。
人は過ちを犯す生き物である。
誰しも一度は悪事を働いただろう。
それが明るみになったとき、親や先生から「正直に言いなさい」と諭されて育ってきた人は多い。
正直に述べ、そして反省することは望ましいこととされてきた。
そして、大人になっても「正直であること」は美徳とされる。
生育過程で何度となく繰り返されてきた規範は、心の奥底に沁みついてしまう。
素朴な道徳感情は、カントの言う「実践理性」のように、人々の行動を縛るものであるから、大人になっても一定の影響力を持っている。
しかし、日本国憲法にはそれと相反する規定がある。
日本国憲法第38条第3項にはこう書いてある。
第38条第3項 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
「黙秘権」という形で、真犯人であれ、被疑者・被告人には黙っていることが権利として認められているのである。
こうした司法社会でのロジックと、日常生活でのロジックの乖離は、どうやって埋めるべきなのだろうか。
それが学校であって、特に公民科における憲法教育なのだろう。